文化ファッション大学院大学教授 櫛下町伸一

現代の男性ファッションは、様々なバリエーションに溢れており、各人各様、自由な着こなしを楽しんでいます。職業の幅が広がり、それに伴う服装の選択肢もバラエティに富んで、何を身につけるかは個人の判断に任されます。情報化社会になりグローバル化が進むにつれて、ファッションの情報は世界中を駆け巡り、服装の自由化はさらに加速を増しています。その反面、「着こなし」や「マナー」といった服装にまつわるルールがおろそかになったようにも思えます。服装の簡略化、いわゆるカジュアル化が進むにつれて、その傾向はますます顕著になってきました。きょうは、礼節とか信頼性、社会性といった男性服の本質を、長い間かたくなに保ち続け、いまだに進化を続ける不思議な西洋服についてお話します。

日本では明治政府がイギリスに学んで洋装化を進め、現代に至るまで多くの流行を生み出してきました。また、縫製や裁断の技術、デザインの分野でも急速な進歩を遂げ、今では西洋と肩を並べるほどになりました。そんな服装の歴史の中で、150年間も基本的な形、構造を変えていない完成されたスタイルがあるのを皆さんご存知ですか。実は、私が今着用しています、男性の「スーツ」のスタイルなのです。人類の長い服装の歴史から見ても他に類を見ない王道をゆく、大変優れたファッションと言っても良いでしょう。これまで、幾度もこの基本的なスタイルを改革しようと試みた例はありますが、結局は追従する者がなく、ファッションの歴史の一部としてその短い命を終えています。

そもそも、この「スーツ」スタイル、150年前はどんな形をしていたのでしょうか。
 
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これが「ラウンジ・スーツ」と言われる「スーツ」の原型となったものです。それまでの男性服のスタイルは、昼間の正装として「フロック・コート」や「モーニング・コート」、夜は「イブニング・コート」という出で立ちでした。
 
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しかし、この正統派の服装は、社交界のパーティーの場において、男性同士が別室でソファーに座りながら歓談するには、長い丈が邪魔となるため、丈の短いゆとりのある上着に着替えるようになりました。それが「ラウンジ・スーツ」の始まりです。当然のことながら当時は、この「ラウンジ・スーツ」が、それまでの正統派の服装にとって代わるとは思ってもいなかったことでしょう。時代の流れに呼応するように今まで最上位であった服が、下から押し出されてその座を奪われ、古典的な服へと祭り上げられる、これが現代でいうカジュアル化の現象です。

それでは次に、「スーツ」の構造、特にジャケットに関して簡単な解説を交えながら、西洋服の本質に触れてみたいと思います。男性の「スーツ」はその着こなしにおいて、素材や色、シャツやネクタイとのコーディネートといったデザイン的視覚効果とは別に、内部の構造、目に見えない部分にこそ男らしさを演出する最大の要素が含まれています。特に肩から胸、そして背中にかけての立体感、筒状の布をいかに体にフィットさせ、適度なゆとり感を持たせるか、ジャケットのシルエットを形作る重要な部分です。その内部を支える構造物が毛芯と肩パッドなのです。
 
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布の持つ特性をうまく利用して、伸ばしたり、縮ませたり、膨らませたりして体の曲面に沿わせて、立体的フォルムを作り上げていきます。立体的に形作られた服は、立体的に着こなさなければなりません。長い間、和服という平面的な服に慣れ親しんできた日本人にとって、西洋人が「スーツ」を日常的に着こなす様子は、明治時代の日本人にはとても理解しがたいもので、カオスの世界に迷い込んだことでしょう。

さて、ジャケットの立体感を出すために補助的な役割を果たす毛芯や肩パッドは、人体もしくはその上にまとう衣服を、理想のバランスに近づけるための人工的な矯正装置でもあります。女性の場合では、下着やコルセット、バランスをよく見せるためのハイヒールもその類でしょう。このように理想の形や世界観を人工的に作り出す作業は、西洋の庭園様式にも見られるもので、日本の庭園様式とは真逆の表現方法をとっています。きれいに刈り込まれた木々を、丸、三角、四角といった幾何学模様で左右対称に配し、水の流れは重力に逆らい天空へと噴射されています。人間の富と権力の象徴を人工的造作物として表現しています。
対比して日本の庭園様式はと言いますと、自然のままに育つ木々を、対称的な配置を行わず、外界の自然と同じく調和させ、水の流れは重力のおもむくまま、上から下へと流れています。このことを衣服に置き換えますと、曲線に裁断された布地を円筒状に組立て、型崩れしないように内部に人工的な詰め物を施し、理想的なプロポーションに仕上げる西洋服。直線で裁断された布地を平面的に縫い合わせ、身体に掛けて、布地が自然に落ちるさまに美を求める和服、と言うことになるでしょうか。

話を「スーツ」に戻しましょう。ファッションに関して言いますと、「女性は変化を求め、男性は進化を望む」という表現があります。一般的に女性はファッションに敏感で、貪欲な傾向にあります。敏感な性質は、常に変化するファッションを瞬間的に捉える能力につながります。貪欲さは現状のスタイルに満足せず、次なる高みを目指します。型にはまることよりも美に関して常に移ろいと変化を求め、このことが女性の「スーツ」スタイルのデザイン性に富んだバラエティ要素に繋がっていきます。

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この作品は2013年1月に行われた、文化ファッション大学院大学の学生のファッションショーの1シーンです。ご覧のように女性のウエストや胸の曲面を立体的に表現した、バリエーション豊かなデザインの数々です。ファッションの表現者としての視点から言いますと、女性にはウエストや胸の凹凸があるからこそ、デザイン展開が豊富にできると言えます。一方男性は、「スーツ」というほぼ完成された定型の服装を、歴史的背景や伝統の重み、細部へのこだわり、そして着装した時の振る舞い方など、文化的なたしなみを持って着こなした者にこそ、輝ける魅力が出てきます。もちろん男性の「スーツ」にも流行としての多少の変化はあります。それは長い間に培われてきた、伝統的なスタイルへの最低限のルールを守ってからこその改革であり、女性服で言うところの流行の中での移ろいの変化とは、多少意味合いが異なります。今では古典的な服となりつつある「フロック・コート」や「イブニング・コート」などの、正統派の服への敬意を常に忘れずに、進化という形で体現した衣服こそ、男性の「スーツ」と言えるのです。

人類がイギリスの産業革命をもとに、近代化への道を歩み始めた頃、「スーツ」の歴史も始まりました。そして今、進化を続けて成熟した「大人の服」として、その地位は確立されています。しかし、21世紀になり物事の価値観が変わってきました。次の世代の人々が、この「スーツ」をどのように捉え、変えていくのか、また、まったく違った男性服が登場するのか、その運命をこの写真で想像してみてください。

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