生字幕放送でお伝えしますこんばんは。
比留木⇒「ゆうどきネットワーク」金曜日は大阪のスタジオからお伝えしてまいります。
きょうは田丸さんがお休みでして田代アナウンサーとともにお伝えします。
田代⇒よろしくお願いします。
比留木⇒きょう最初のコーナーは「関西人生劇場」田代⇒きょうはこの方です。
♪「霊登
(ヨンドン)サリの」♪「願いはひとつ」演歌歌手、天童よしみさん。
デビューから42年を迎えその歌声は、多くのファンに支持されています。
聴けば、元気と力が湧いてくる。
それが天童さんの歌です。
大阪の八尾市で育ち歌の天才少女と呼ばれた天童さん。
数々の歌謡コンテストで優勝し10代半ばで、プロデビュー。
しかし、天才少女は歌を諦めかけるほどの挫折を経験。
そんな天童さんに、元気と力を与えてくれたのはやはり歌でした。
♪「負けたらあかん」♪「負けたらあかんで東京に」「関西人生劇場」歌に元気と力をもらい負けたらあかんと歌い続けた天童さんの人生に迫ります。
比留木⇒改めてご紹介します。
きょうのゲストは演歌歌手の天童よしみさんです、よろしくお願いします。
天童⇒こんにちは。
よろしくお願いします。
きょうはシックな、というかお衣装ですね。
そんな感じでお越しいただきました。
羽根がいっぱいな感じで先ほど映っていましたけどね。
衣装が派手に。
田代⇒シックですけれどもパワーを感じます。
比留木⇒どうですか街の皆さんから元気が出てくるねと言われて。
そう言われると自分自身も元気になって健康でなければいけないなと思いました。
それで元気づける歌を、お届けするということですかね、大変うれしいです。
きょうはたっぷりとお話を伺おうと思いますが、実は番組をご覧の皆さんからも質問・メッセージお待ちしています。
田代⇒番組のホームページそしてファックスでお寄せください。
比留木⇒まず天童さんのプロフィールです。
4歳で大阪八尾市に来られて今もそうなんですよね。
そうです。
僕も近いところなんですよ。
ご近所さんなんです。
ちょっとうれしい感じです。
1985年「道頓堀人情」のヒットは記憶に残ってらっしゃる方もたくさんいらっしゃると思います。
40年以上も歌い続けてこられている天童さんですけれども。
本当に。
最初の質問、改めて今、歌を歌うときいちばん大事にされているのはどんなことですか?そうですね、やはり皆さんがやっぱり喜んでくださる笑顔がいちばん私はうれしいなと思う瞬間なので、元気になったと言っていただけるのもすごいうれしいです。
自分自身感謝の気持ちを込めて歌うということその態勢をいつもいつも守っています。
そんな歌への気持ちというのはどこから生まれてきたのかきょうは掘り下げてうかがっていきたいと思います。
ありがとうございます。
田代⇒聴いた人が元気になるそんな天童さんの、歌の原点を振り返ります。
天童さんには身近に歌の師匠がいました。
6年前に亡くなった父、義行さん。
歌が何よりも大好きでした。
かつて、義行さんが地元の新聞に投稿した記事が残っています。
「正月貧乏を覚悟してボーナスで新品ラジオを買い求めました。
家族は音楽が好きなものですからレコードも買うのです。
」天童さんが少女時代を過ごした大阪・八尾市の自宅は義行さんが買ってきたレコードであふれていました。
そんな環境で育った天童さんも自然に歌が好きになりました。
義行さんのいちばんの楽しみは天童さんに歌を教えることでした。
その指導方法はとてもユニークだったんです。
分厚い電話帳をおなかに乗せて腹筋で持ち上げます。
歌にとって重要な腹式呼吸がしっかりできるよう腹筋を鍛えたのです。
まず、レコードをかけてイントロを流します。
♪〜イントロが終わるとレコードの音を絞って天童さんが歌います。
♪「緑の芝生がふんわり」♪「それから小さな…」そして、歌の途中でボリュームを上げ天童さんのテンポと音程がレコードと合っているか確認。
ぴったりと合うまで何度も繰り返したのです。
熱心に教えるあまり義行さんの口調が厳しくなることもしばしばあったと言います。
それを見ていた母親は…義行さんの指導が実を結び天童さんは6歳のときテレビの、のど自慢番組で優勝。
その後もさまざまな歌謡コンテストで勝ち続けのど自慢荒らしと呼ばれるほどになったんです。
比留木⇒ユニークな指導方法練習でしたね。
そうでしたね。
まず父が私が歌が好きということを気付いてまあ本当に5、6歳のころからあの分厚い電話帳をおなかに乗せて。
動かすんですか?動かすんですよ。
飛ばすまでいくというのは難しいんですけれども少し動いてきたら、おなかの底から何か声が出たみたいな、そんな感じですね。
すごい。
あとテープレコーダーは、よく考えたらカラオケがない時代ですよね。
そうなんです。
私たちじゃないですが、私は時代がカラオケがありませんでしたのでああいう形でボリュームの上げ下げでテープレコーダーですね昔、買ってきてもらってそれでマイクに声だけ入れて伴奏はステレオからまたマイクで拾って。
当時テープレコーダーだってレコードだって、いわゆる高級品じゃないですか。
貴重なものだったでしょ?娘の歌の稽古のために。
それを買ってお父さんも時間を割いて歌手になりたいと思っていたんですか?最初は歌手にさせたいとか絶対に、歌手になれよとかそういうふうな思いは全然なくてただ本当に父と娘が向き合って歌の練習を重ねていくみたいなそんな、なんか感じでしたね。
ちょっと、スポ根みたいな感じですね。
親子のコミュニケーションツールだったんですね。
お夕飯が終わると、テレビなんかつけないで、その時間ものすごく父と歌の練習をするのがものすごく楽しかったですね。
田代⇒お父さん、いろんな方法を考えられたところにも熱意を感じます。
いろいろ考えたんでしょうね。
今考えるとあれもしようこれもしようと考えられたんでしょうね。
そのころは天童さんはどんな歌を歌っていたんですか。
その時代世の中はポップスでした。
アメリカンポップスが日本にカバー曲として例えば「可愛いベイビー」そういうオールディーズが大ヒットしていたころで私もそういう曲を選んだんですけれどもでも父の好きな曲父がインパクトの強い曲を歌うという何かそういう思いみたいなものがあってそういうの、うまいことまた探してきてくれるんですね。
どんな歌ですか?例えば演歌ですね。
やっぱり演歌ですね。
ちょっと浪曲調が入った歌とかこぶしがものすごく回ってくる演歌ですよ。
まだ、だって幼い天童さんですよね。
はい。
この歌を全部マスターしたらもう絶対に最高に、お父ちゃんうれしい。
お父ちゃんだけの喜び、みたいな感じで最初は言ってたんですね。
そういう意味では、お父さんを喜ばせたい、聴いてくれる人を喜ばせたいという感じなんですか?天童さんの気持ちは。
はい。
そうなんです、だから小さいころからみんなが集まる場所、そういうところへ行って歌って何か拍手してくれるのがものすごく心地よいというかものすごくうれしかったんですね。
その当時。
自分たちの周りで、家族でお知り合いの中で歌手としてスターとして歌っていたという感じなんですね。
そうなんです。
だんだん、それから憧れが歌手になりたいという憧れも自分自身についてくるようになりましたし。
田代⇒このようにして子どものころから周りの大人たちを歌で楽しませてきた天童さんですが、大人になってプロになってある、大きな壁が立ちはだかります。
天童さんは14歳のとき歌番組で10週連続勝ち抜きプロデビューが決まりました。
レコード会社は天才少女歌手としてテレビやラジオでキャンペーンを行い売り込みました。
しかし当時はアイドル全盛の時代。
天童さんの歌はヒットしませんでした。
上京して5年。
天童さんはついに東京での活動を諦め大阪に戻りました。
大阪に戻る決意をします。
もう、歌手は辞めようと考えていました。
そんな天童さんに父・義行さんが見つけてきたのは歌謡教室の講師の仕事。
プロの歌手が教えてくれるという評判は広がり500人もの生徒が集まりました。
♪「生まれ和歌山」どんな形であれ人前で歌い続けたことがチャンスにつながりました。
生徒の1人と知り合いだったレコード会社の関係者が天童さんがまだ歌っていることを知ったのです。
あの天才少女の才能をこのまま埋もれさせてはならない。
天童さんに1本の電話がかかってきました。
数日後、レコード会社から送られてきたデモテープ。
それが、「道頓堀人情」という曲でした。
この歌を聴いた瞬間天童さんの心が動きました。
「負けたらあかん」「負けたらあかんで東京に」夢を諦めかけていた自分を奮い立たせる歌だったのです。
♪「負けたらあかん…」天童さんはこの「道頓堀人情」で再デビューを果たします。
父親の義行さんが天童さんのために事務所を設立。
家族に支えられ新たな道を歩み始めました。
しかし、再び世に出るための道のりは厳しいものでした。
北海道から九州までレコード店やカラオケスナックを回りその数、ひと月で300件以上に上りました。
かつて天才少女と呼ばれスポットライトを浴びた天童さんにとって地べたをはいずりまわるような営業活動はつらいものでした。
そんなとき、励ましてくれたのがこの歌でした。
「負けたらあかん」「負けたらあかん」地道なキャンペーンを5年ほど続けた結果この歌はしだいに多くの人々の共感を呼びヒットしたのです。
そして…司会⇒歌手人生のすべてをかけて歌います。
20世紀、紅組の歌い納めです。
天童よしみさんで「道頓堀人情」。
田代⇒トップスターに上り詰めた天童さんは「紅白歌合戦」に出場。
一度は諦めかけた、歌の道。
しかし、その歌から元気と力をもらい天童さんは復活を果たしたのです。
比留木⇒いやあ、すごい。
転機になった曲なんですね。
「道頓堀人情」という曲が。
そうですね。
東京へ最初デビューしていきましてね。
挫折感という自分自身で苦労を無理にするということも考えてなかったし挫折といえば、あのときすごく自分自身では、つらい生活だったんですね。
大阪にまた帰っておいでと言ってくれたのは父でそれから「道頓堀人情」に出会うんですけれどもやっぱり歌の縁というかつながりというか私がもし、そのまま東京に残って頑張っていたとしてもその時点で「道頓堀人情」には出会えていなかったかもしれない。
かもしれませんね。
大阪に帰って、大阪で頑張ると思ったときに「道頓堀人情」がすぐに会わせてくれたというか。
すごいなって自分で感じるんです。
最初に聴いたときどんな印象だったんですか?どんな思いでしたか?歌詞がね本当に私の今の気持ちがそのまま歌詞がそのままなんですよ。
だからその当時は、本当に地で歌っている。
自分自身の思いがそのまんまというのが、ありましたから。
歌詞を用意しています。
田代⇒2番の歌詞にぐっとこられたということなので用意しています。
比留木⇒大体1番とかを聴くことが多いので2番を聴くことはないと思うんですけれどもね。
2番の歌詞の中にくちびるかんでもきのうは過去やという歌詞とわかるやつにはわかっているそういう歌詞ですね。
でんと構えた通天閣は、どっこい生きてる、浪花のど根性それが私の思いみたいな大阪にどっこい生きてるねんでそういう思いみたいなものがあって2番目の歌詞でレコーディングのときには、胸が詰まって何度も泣きながら歌っているんですけれどもつらかったなあと思っています。
わかるやつにはわかってる、まさに大阪に来てもうたわ辞めずに何かと関わりながら頑張ろう、それが分かったわけですよね。
会わせてくれたわけですね「道頓堀人情」に。
田代⇒この曲がヒットしていくじゃないですか。
実際に歌ってらして、ヒットしているという実感あったんですか。
やっぱり歌っていくとお客様の拍手の強さとか反応がものすごいんですよね。
やはりこの歌で一丸となってみんなで力を合わせてキャンペーンもしようこの歌をとにかく世に送り出して私が歌っている。
天童よしみが歌っているんだとみんなに認めてもらうには、時間がちょっと掛かりましたけれども一丸となってやっていくうちに皆さんの拍手です。
これはみんな喜んでくれているんだ、やっと私も認められたという感じが感情的にありました。
天童さんが私の歌やと思ったように、天童さんの歌を聴いて、俺の歌やと思った方が全国に当時いっぱいいたと思いますよ。
そうかもしれません。
負けたらあかん東京にと言いますけれども一人一人負けたらあかんというもの書き替えたり聴きかえたりして聴いているんですね。
この歌詞の中には負けたらあかんで東京に、となっていますけれども私は東京はもちろん大きいです。
でも人生に負けたらあかんここを置き換えながら歌うとよりいっそうぐっとくるんですね。
元気になれると思います。
田代⇒人生の中ではいろんな負けたらあかんというものが出てきますよね。
いくつもいくつも出てきます。
比留木⇒何十年と歌い続けて今もいらっしゃいますけれども今、改めて「道頓堀人情」というのは天童さんにとって、どういう歌だなと思っていますか?そうですね。
最初は「道頓堀人情」は地でいったらいい。
自分自身の気持ちの歌なんだ、負けたらあかんという自分自身のエールを歌っていた曲ですけれども、今はいろいろつらい思いをされたり突然、本当にいろんなことが襲ってきたときに負けたらあかんで東京にと言ったときに皆さんが、そやと声をかけてくれるんです。
そやというのは大阪弁で言いますよね。
そうだよということですよね。
この部分、負けたらあかんで東京にそや、と入るときは私だけの歌ではなくて皆さんにこの歌を聴いてもらったら元気になってもらえるあかしになってきたと思う。
私はそのように歌っています。
元気を与え続けている天童さんですが、歌手生活40年を迎えたころに天童さんは、改めて歌手として進む道を確認した出来事がありました。
おととし、地元・八尾市にある行きつけの理容店に、天童さんが訪れたときの出来事です。
そのときのことを今でもよく覚えているという溝口茂子さんです。
♪「母はきました」この日、店内には天童さんが歌う昭和20年代の懐メロが流れていました。
ちょうどね、今お客さんいてはりますねんけどこういう状態やって。
あのーLP?何ていうの?CD。
CDをねこないしてかけてまして、今…さらに、そのお客さんは…と、誰に言うでもなくつぶやいたのです。
それを聴いていた天童さん。
ほなこうして私、こうタオルを蒸しとってね…目のあれが、だからわーっと私も感動してしもうて。
もう、あの…なんて言うの胸が、わーっとなってしまいましたわ。
本人もそんなのやったの違うかな。
もう、うれしかったん違うかなと思います。
この話に天童さんが心動かされた理由とは?今VTRを見ながらも、ちょっとこみ上げてこられている感じがしましたけれど。
そうなんです。
何がいちばん?溝口さんの理容店なんですけど実は皆さんご覧になっていらっしゃる方は何で、よしみさんが散髪屋さんなの?って。
思いました。
思われるんじゃないかと思うんですが、実は父の行きつけの店だったんです。
溝口さんは父と仲よしで本当にお世話になった散髪屋さんでそれで母が父が亡くなってお世話になったところによしみと一緒に行こうとお母さんと通っているところなんです。
美顔といって顔そりとかいろんなところをやっていただけるんですけどそのときにちょうど隣の席にいらっしゃったお客さんが大体いつも私が行きますと私のアルバムの中からとかCDが流れているんですね。
ちょうど「岸壁の母」や「帰り船」名曲が流れていてそのときにお客さんが胸にジーンときている。
こういうものを歌ってほしいんや、いつの時代も歌ってほしいんやということおっしゃったんです。
そのときは蒸しタオルで顔が全然見えない状態だったんですけど。
まさか天童さんがいるとは思わないですよね。
私は、そのお客さんの話を聞いているうちにそうやねんそうやねん。
私が歌わなあかんねんとそういう思いを感じてものすごく泣きましたねそのときは。
期待感というか歌っていかなければいけない使命感というか伝わってきたんでしょうね。
なんかすごくそれを感じましたね。
絶対に責任を持って大事な歌を歌わせていただきたいというそういう思いを感じました。
歌い継がなければいけないということですよね。
田端義夫さんであり美空ひばりさんの歌であり、皆さんの期待がどんどん集まっている感じがしますね。
そうですね。
やっぱり昭和の時代はすごく歌がいっぱいありましたのでその辺を皆さんは懐かしいだけではなくてこういう曲今聴きたいという方々が非常に多いということなんですね。
メッセージも来ています。
私が天童さんの歌に対して、いつも感動して涙を流してしまうんです。
兵庫県の方からです。
楽しみに拝見させていただいてます。
私は大大大ファンでカセットのときから繰り返し聴きテープが伸びるほどです。
山形県の方からです。
ありがとうございます。
田代⇒本当に皆さん元気をもらっている。
聴きたい歌を天童さんが歌ってくださっているという感じですね。
うれしいです。
比留木⇒天童さんには、このあと番組の最後までおつきあいいただきます、質問・メッセージまだまだ受け付けています。
「関西人生劇場」きょうは天童よしみさんでした。
続いてはこちらです。
田代⇒「週末中継さきのり」比留木⇒きょう関西では、春の訪れを告げるある魚の漁が解禁されています。
淡路島に中嶋リポーターが行っています。
中嶋さん!中嶋⇒こんばんは、まずこちらのリフトにご注目ください。
上がってきましたのは、けさ水揚げされたばかりのイカナゴです。
大阪湾から播磨灘にかけての地域でこの時期限定で漁が行われる関西、春の風物詩本日解禁しました。
ということで、きょうは兵庫県の淡路島にありますイカナゴの加工場から中継をお伝えします。
この大きなお鍋でぐつぐつ煮込んでいるもの、何か分かりますか?分かりますよ。
それがこちら、くぎ煮なんです。
イカナゴをしょうゆや砂糖、しょうがなどで炊いたつくだ煮のことで出来上がりの形がさびて曲がったくぎに見えることから、くぎ煮と名付けられました。
まずは解禁初日のけさのイカナゴ漁の様子をご覧ください。
天童⇒おいしそう。
淡路島の岩屋漁港です。
待ちに待った1年ぶりのイカナゴ漁に漁師さんたちも気合が入ります。
顔が真剣ですものね。
イカナゴで春が始まるんでね漁師だけでなく、町じゅうがそれを待ってるんでね。
この港だけでも100隻もの船が漁に出るんです。
漁港の目の前にある明石海峡大橋。
この周辺は潮の流れが速く身の締まったおいしい魚がとれる漁場です。
いよいよ水揚げです。
元気!魚がきれいでサイズもいいのでくぎ煮でもいけるような形なのでまた次に出て、また新鮮な魚をとってきますわ。
焦ってる、焦ってる。
大忙しなんですよね。
初日の水揚げは去年と比べてやや多めということで、これからの漁に期待が持てます。
いっぱいだ。
関西の人にとってイカナゴは特別な魚なんですよね。
漁師さんたちも、春の訪れを告げるぞ、と熱い情熱を持ってけさ、漁に出かけられました。
さて関西の人は生のイカナゴを買ってきて自宅で、くぎ煮を作られる方も多いんですけれどもきょうはこの道40年のプロ西田典幸さんにおいしいイカナゴのくぎ煮の作り方を教えていただきます。
まず、こちらにはしょうゆと砂糖を入れたたれを沸騰させています。
この割合はどれぐらいですか。
大体1対1の割合で沸騰させています。
イカナゴを入れてくんですね。
沸騰した状態なんですけど温度を下げずに少量ずつ入れていくのが鮮度を落とさずにおいしく。
おいしく炊くポイントの1つ目は分けて入れることでたれの温度下げないことなんです。
このあと、強火で煮込んでいくんですけれども、強火というのもポイントなんですよね。
イカナゴの水分を飛ばしながらしょうゆをイカナゴの体になじませることが味のしみ込み方かなと思います。
しっかり水分を飛ばすことで味がしみ込む形なんだそうですよ。
ぐつぐつ煮込んでいきますともうできたかなと思ってついつい触ってしまいがちなんですがこれはだめなんですよね。
たれの状態があめ状になるまではしっかりとイカナゴが体が締まりませんので、それまで触るのは控えたほうがいいと思います。
たれがあめ状になるまではぐっと我慢することが大事だそうです。
最後にここでプロの技があるんですよね。
西田さんの手もと、ご注目ください。
鍋を持ちましてこのように鍋の下にあったたれを全体に行き渡るようにひっくり返すんです。
この最後の作業は大事ですか。
そうですね、やっぱり平均的にたれをからますことで、大事ですね。
最後のこの技が必要なんですね。
そして出来上がったものです。
このたれを切ります。
このようなざるでたれを切りましてこのたれもおいしそうですね。
それを冷ましてそのあと箱詰めにしたら全国発送されていくんですね。
箱に詰まっている!そうなんです。
全国発送された先で関西では春の頼りが届いたなと待ちわびているファンの方も多いそうですよ。
西田さん、いよいよシーズンが始まりましたね。
そうですね。
シーズンが始まって期間が短いものですから頑張ってこのおいしいイカナゴを届けたいと思います。
きょうは初日で忙しいときにすみません。
早速、私にもイカナゴを食べさせていただけますか。
どうぞ、こちらのほうに。
こちらには西田さんの娘さんに来ていただきました。
出来たてほやほやのくぎ煮になります。
けさ水揚げされて出来たばかりのくぎ煮です。
ほかほかのごはんでいただきます。
すみません、私だけ。
田代⇒ごはんもきれい。
しっかり味がしみ込んだちょっとかためのイカナゴが、このほくほくのごはんでいい具合に溶けてばっちり合います、おいしいですね。
そうですね。
イカナゴのくぎ煮だけではなくて地元で食べられているお料理をご用意しました。
イカナゴはイカナゴでも、フルセと呼ばれるイカナゴ。
先ほど、ご紹介したイカナゴが1年ほど成長した親なんです。
これは地元では巻きずしにして食べるんですよ。
ぜいたく。
各家庭で作られる料理で春祭りなどの行事でも、ふるまわれる料理なんです。
西田さんこのおいしい味、全国の方にも味わっていただきたいですよね。
明石海峡の水の流れのきれいなところで日本一のイカナゴの味を皆さんに食べていただきたいと思います。
1か月大変ですけど頑張ってくださいね。
きょうは、イカナゴ漁が始まったばかりの兵庫県淡路島イカナゴの加工場よりお伝えしました。
比留木⇒全体的にスタジオの3人が前のめりでしたね。
イカナゴのくぎ煮、すごい。
毎年食べていらっしゃいますか。
食べていますね。
絶対にごはんに合うしそれから、お酒を召し上がられる方はお酒のあてにすごい合うんですよね。
田代⇒この季節になるとね。
比留木⇒あの段ボールに入っているのを見ましたか。
ごはん何杯食べられるんですかねあれ。
田代⇒ごはんに合わせる派なんですね。
比留木⇒ごはんに合わせたいですね。
やっぱりおいしいですよね。
天童さんはお米が好きですか。
お米好きです、お茶わんもあんまりちっちゃいのよりちょっと大きめの多めに盛ります。
おいしそうでしたね。
1か月本当に忙しいようですので頑張っていただきたいと思います。
おいしいイカナゴのくぎ煮ができるのを楽しみにしております。
「週末中継さきのり」でした。
続いては大阪が生んだ伝統芸能人形浄瑠璃文楽の話題です。
その物語を語る大夫で人間国宝の竹本住大夫さんはことし春の舞台を最後に引退する意向を、固めたということなんです。
住大夫さんはおととし脳梗塞で倒れましたがリハビリを重ね奇跡の復活を遂げました。
芸の鬼といわれる住大夫さんの正月公演までを追いました。
大阪ならではの、華やかなお正月。
ファンが待ちに待った人間浄瑠璃、文楽の初春公演です。
ユネスコの無形文化遺産にも登録されている文楽は人形と三味線そして、語り手の大夫が1つとなって作り出す大阪が誇る舞台芸術です。
初春公演で特別な注目を集めた大夫がいます。
ことし、90歳を迎える人間国宝の竹本住大夫さん。
30年にわたり最高峰の義太夫語りとして文楽をけん引してきました。
大きな危機を乗り越えての舞台です。
おととしの7月脳梗塞で倒れた住大夫さん。
もう舞台に戻ることはないと一度は諦めたといいます。
2か月半の入院生活を経て退院。
右半身のしびれが消えず声にも不安が残りました。
今度はね、ボールをキャッチしながらの片足踏み出してください。
いきます。
1日もリハビリを欠かさず舞台に立てるまでになった住大夫さん。
語りの要となる腹と腰の力を回復するためのトレーニングも続けています。
去年の暮れ。
初春公演に向けての稽古が行われました。
腹に力が入らない。
ろれつが回らない。
みずからの語りに不満を募らせます。
稽古を繰り返して臨んだ公演初日。
住大夫が語るのは世話物の名作です。
慈しみ合いながらも永遠の別れを選ばなければならない親子の悲劇を、住大夫はみずからの人生経験を織り込み情愛を込めて描き出します。
体力の続くかぎり、芸を高めたい。
竹本住大夫さんの挑戦は続きます。
竹本住大夫さんは芸への闘志を燃やし続けてきました。
比留木⇒いや、すごいですね。
すばらしいですね。
同じ声をお仕事とされている天童さんから見て、どんなふうにご覧になりましたか。
本当に、人生において大きな危機も乗り越えられてそれでも、まだ90歳になられてあのすばらしい響きのある声。
努力もされて、まだまだ死んでからもあの世で稽古をすると…。
そうおっしゃっていましたね。
そのことばで、本当に私たち元気づけられますね。
私たちも、やっぱりそういう気持ちでずっと頑張らなければならないと思っています。
いったんは、これで舞台あがられへんかな、と思ったけどそこから湧き出してくるもういっぺんという気持ち田代⇒100点満点はとれないと言ったときに大きく天童さんがうなずいていらっしゃいました。
ものすごく、きましたね。
私たち、お手本になりますね。
頑張っておられる姿って。
住大夫さんは4月の公演に向けてもう稽古を始めていらっしゃいます。
ことしは大阪日本橋に文楽劇場ができて30周年名作「菅原伝授手習鑑」を語るということです。
天童さんがとらのすけの肩に。
しかもね虎のかぶりものの天童さんも見つけてきたんですよ。
ありがたいですね。
かわいいです。
自分で自分を言いますけど。
田代⇒若い女性で持っている方多いですよね。
比留木⇒皆さんからもメッセージをいただいています。
うれしい!かわいい、そっくりです。
特徴をよく捉えていますね。
マイクを持っていますね。
即、私ですね、すぐ分かります。
質問も来ています。
神奈川県37歳主婦の方です、天童さんは落ち込んだり悩んだりしたときはどうやって気持ちをアップしていますか?70の祖母、72歳の祖父は天童さんの大ファンで今も正座して見ていますということです。
気持ちが落ち込んだときはあえて鏡を見て、すごく落ち込んだ顔しているので、もっとかわいく明るくという自分自身で言いながら鏡に向かっていーとしたり。
変顔に近い顔。
子どものころからご両親から、どのような生き方を教えられましたか?印象に残ることばなどありますか?梅の花寒いときにいちばん厳しい冬にぽっと咲く花で、そういう一輪の花になればいいなというふうに父親から言われました。
まさに、この季節ですね。
寒い中でも耐えて一輪の花でもきれいだなと言われる花になれよと、言われました。
田代⇒歌手人生へとつながっていらっしゃいますね。
兵庫県の方からです。
私も「道頓堀人情」の歌で現在生きています。
ぜんそくで3回ほど死にかけましたがそんなとき負けたらあかん負けたらあかんぜんそくに、と置き換えて頑張りました。
本当にありがとうございます。
うれしいな。
比留木⇒来週のゆうどきの内容です。
シニアのリタイア後の生き方を求め山本哲也キャスターが街へ飛び出す「あしたを探そう!」暗中模索の末、根付けの世界にあしたを見つけた人に迫ります。
きょうは天童よしみさんにゲストにお越しいただきました。
ありがとうございました。
2014/02/28(金) 17:10〜18:00
NHK総合1・神戸
ゆうどきネットワーク 天童よしみ・なにわの「負けじ魂」でつかんだ成功[字]
「一流のあの人」の人生をじっくりと聞く「関西人生劇場」。今回は天童よしみさん。挫折しながらも「東京に負けてたまるか!」という負けじ魂で成功をつかんだ人生に迫る。
詳細情報
番組内容
各界で活躍する関西出身の著名人の人生に迫る「関西人生劇場」。今回は歌手の天童よしみさん。幼少のころ「天才少女」の名を欲しいままにしながら、15歳でデビューするも挫折。一度はあきらめかけた夢を再び追いかけたその原動力は「東京に負けてたまるか!」という負けじ魂だった。歌う楽しさを教えてくれた父、マネージャーとなって支えてくれた母とともに苦境を乗り越え、成功をつかんだ秘訣など歌手生活の裏話を聞く。
出演者
【キャスター】田代杏子,比留木剛史
ジャンル :
情報/ワイドショー – 暮らし・住まい
情報/ワイドショー – グルメ・料理
映像 : 1080i(1125i)、アスペクト比16:9 パンベクトルなし
音声 : 2/0モード(ステレオ)
サンプリングレート : 48kHz
OriginalNetworkID:32080(0x7D50)
TransportStreamID:32080(0x7D50)
ServiceID:43008(0xA800)
EventID:14056(0x36E8)