大津波に襲われた日から3年。
宮城県南三陸町の海です。
この海でワカメの養殖を営んできた遠藤美恵子さんと清喜さんの夫婦。
津波に娘を奪われました。
町役場の職員だった娘の未希さん。
同僚たちと最後まで防災無線で町の人たちに避難を呼びかけました。
(サイレン)
(防災無線・未希)「ただいま津波が襲来しています。
高台へ避難して下さい。
海岸付近には絶対に近づかないで下さい」。
未希さんが放送をしていた町の防災対策庁舎。
津波は3階建ての庁舎の屋上にまで達し多くの職員たちが犠牲になりました。
未希さんの遺体が見つかったのはこの辺りでした。
(清喜)この辺だな。
ね。
あの日から3年。
今も心に響く娘の声。
それに向き合おうと生きてきた両親の歩みを見つめました。
1万7,000人余りが暮らしていた町を襲った津波。
死者行方不明者は800人以上。
町の中心部は壊滅状態となりました。
避難所は家を失った人たちであふれかえりました。
震災発生から13日目。
避難所には行方が分からない家族を捜す人たちも次々と訪れていました。
その中に遠藤清喜さんと美恵子さんの姿がありました。
娘の未希さんを捜していたのです。
避難所から避難所へ。
どこかに娘の手がかりはないか。
(ビデオの音声)「逃げろ〜!」。
ここどこだ?そんな時私たちが入手した津波の映像の中に未希さんの声がはっきりと記録されている事が分かりました。
(防災無線・未希)「絶対に近づかないで下さい」。
少しでも手がかりが欲しいとその映像を見た両親。
娘の最後の声を初めて聞きました。
(ビデオの音声)「ただいま津波が襲来しています」。
未希だね。
未希。
もう波来てたのに言ってたんだね。
(ビデオの音声)「ただいま津波が襲来しています。
高台へ避難して下さい。
ただいま津波が襲来しています」。
まだ言ってるんだ。
(清喜)うん。
(美恵子)まだ言ってるよ未希。
まだ言ってるんだもの。
子供っていうのは親に笑顔を見せるだけで十分なんです。
それで十分だと思いますよ。
未希さんが遠藤家の長女として生まれたのは昭和61年。
「未来へ希望を持って生きてほしい」という両親の願いから「未希」と名付けられました。
家の中でもいつもニコニコして話の聞き役に回っていたという未希さん。
家族の輪の中心にいつも未希さんはいました。
そんな未希さんが就職したのは地元の町役場でした。
当時の姿です。
災害時の情報収集と防災無線を担当していました。
どこかで生きていてほしい。
その願いが絶たれたのは1か月余りがたったあと。
未希さんは自宅近くの海で見つかりました。
連絡を受けたその日清喜さんは仲間たちとがれきの片づけをしていました。
ようやく弔う事ができた娘。
そのころからいつもふさぎこむようになり外に出る事さえ難しくなった美恵子さん。
娘の死は自分にも原因があったのではないかと考えていました。
町役場への就職を勧めたのは美恵子さんだったのです。
未希さんは別の就職先も決まっていましたが役場の方を選びました。
(一同)おはようございます。
(清喜)天候がちょっと悪いんで足元を気をつけて作業して頂けるようお願いします。
震災発生から3か月。
2階まで津波につかった遠藤家にもボランティアが訪れ修復の手伝いをしていました。
この日美恵子さんはボランティアたちをねぎらおうと炊き出しをする事にしました。
ボランティアの女性たちと一緒に準備をしていたその時。
(女性)食べちゃおうか?
(笑い声)突然美恵子さんの表情が変わりました。
上げてきますね。
娘の未希さんと同じ年頃の女性たち。
その姿が未希さんと重なって見えたのです。
踏み出す一歩が見つからない。
そんな中で美恵子さんが始めたのが日記でした。
娘に語りかける事で答えを探すためでした。
「少しずつだけどあなたに会う日までお母さんはすぐ忘れてしまうので毎日の出来事ノートに書いておみやげに持って行くね。
それまでお母さん頑張ります」。
よいしょ。
少しずつ人が戻り始めた海。
特産のワカメの養殖もようやく収穫ができるまでに回復してきました。
周囲に促され美恵子さんも仕事をするようになりました。
(笑い声)少しずつ戻ってくる日常。
それを受け入れる事に美恵子さんはためらいを感じていました。
(笑い声)「お母さんは少しずつ笑って過ごせる様になっています。
それも何かさみしい。
少しずつあなたの顔がぼやけてみえます」。
「こうして月日があっけなくいつの間にかあの突然の震災からむなしく流れて行くのですね」。
「復興復興と言われる中心の中のむなしさだけが大きくなって行くようです」。
そんなある日美恵子さんの気持ちを一変させるある事が起きました。
震災から1年半が過ぎ未希さんの遺品を整理していた時です。
その中に初めて目にしたものがありました。
津波でにじんでしまった手紙。
未希さんが二十歳の記念に未希さん自身に宛てて書いたものです。
「あなたも今日から20歳だよ。
いつまでも輝く笑顔を失わず素敵な女性へと成長して下さい」。
つづられていたのは未来への希望。
それだけでなく思わぬ事も書かれていました。
「人生って楽しいことばかりじゃないけれど…苦しいことやつらいことをのりこえてほっとした時いつも心に浮かぶのはこの一言です。
母さん私を生んでくれてありがとう」。
「母さん私を生んでくれてありがとう」…ですね。
未希さんの思いが津波にも消える事なく母に届いたのです。
娘に背中を押されたような気がした美恵子さん。
自分にできる事をやろうと動きだしました。
訪れたのは仮設住宅。
自宅を失った人にストレスケアを行う事業に参加したのです。
そんな中である出会いがありました。
わ〜本当!生前の娘に世話になったという人でした。
遠藤未希ちゃんのお母さん。
ここでこうやってお会いするとは…。
私ね遠藤未希ちゃんにね実はねお世話になったの。
役場の窓口で。
そう。
ああそうだったの。
未希は今でも多くの人たちの中で生き続けている。
自分たちには娘の分までやるべき事があるのではないか。
そう思い始めていました。
そして…どうも。
どうぞ早く入って下さい。
未希さんの話を生徒たちに聞かせてほしいという学校からの依頼に初めて応じる事にしました。
村上桜ヶ丘高校っていうところの…。
自宅を訪れたのは新潟県村上市の高校生6人。
(一同)よろしくお願いします。
社会科の授業で未希さんの事や震災の記憶をどう伝えていくかを学んだといいます。
(清喜)よろしくお願いします。
初めは何を話せばいいのか戸惑っていた2人。
まず当時の状況を語り始めました。
ここまで津波来たっていう時には皆さん今通ってきた町は全滅っていうのが私たちには分かるんですね。
その時に初めて娘の事を思うわけですよ。
どっかに助かってるだろうと思って行ったら多くの人にね「最後まで放送していたのを聞いた」と。
最後まで放送したっていうのは最後っていうのは多分その時に流されたんだなっていうのがそこで察して。
そして美恵子さんはこれまで決して自分から話した事がなかった娘への思いを語り始めました。
最初はもう死にたかったんですね。
私はすぐ娘のところに行きたかったと。
早くまだ娘がその辺にいる間に死にたいなって思ってたんですけどだんだんに娘に申し訳ないので娘の分も生きたいし生きなきゃいけないし多くのお土産を持っていきたい。
私たち生きるために未希を感じて生きていきたいので。
「高校生は真剣に聞いてくれました」。
語り継ぐ事こそが残された自分たちの役割。
今その決意を形にしたものが出来つつあります。
自宅裏の高台で工事が進められているこの建物。
震災の事未希さんの事を語る場所をつくろうと借金をして民宿を開く事にしたのです。
2畳半ぐらい。
ここは一応仕切れて。
はい。
未希さんが好きだった海が見える場所に建てられた小さな宿。
名前は「未希の家」と付けるつもりです。
2014/03/13(木) 22:55〜23:20
NHK総合1・神戸
未希、あなたの声が〜亡き娘と生きる 両親の3年〜[字]
3年前、津波を前に避難を呼びかけ続けて亡くなった宮城県南三陸町の職員、遠藤未希さん。今も心に響く娘の声を胸に、娘の死と向き合い、生き続けてきた両親の3年を追う。
詳細情報
番組内容
3年前、巨大な津波を前に避難を呼びかけ続けて亡くなった宮城県南三陸町の職員・遠藤未希さん。残された両親は、深い悲しみの中で、なんとか踏み出す一歩を探そうと、一日一日を生きてきた。亡き娘の死とどう向き合い、生きていけばいいのか。そんなある日、時を越えて届いた、娘の言葉。語り継ぐことが、残された自分たちの役割ではないか…。娘とともに生きる決意を固めた両親の3年を追う。
出演者
【朗読】風吹ジュン
ジャンル :
ドキュメンタリー/教養 – ドキュメンタリー全般
ドキュメンタリー/教養 – 社会・時事
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