華麗なる王朝文化が花開いた頃。
和歌を駆使して次から次へと男性を引き寄せ虜にした女性がいました。
僅か三十一文字の和歌には古来人々の魂を揺さぶる力があると考えられていました。
和泉は沸き上がる情念を次々と歌の中に注ぎ込んでいきます。
下級貴族の娘にすぎなかった和泉は歌の力で人生を切り開きます。
華やかな宮中での宮仕え。
そして高貴な皇子との禁断の恋。
この恋は平安王朝を揺るがす一大スキャンダルとなるのです。
恋が歌になり歌が恋になる。
和泉式部が歩んだあてなき恋の道をたどります。
夜ごとに変わる月のように男を替える魔性の女和泉式部。
関係があった男性は名前が挙がるだけで10人以上。
無数の男たちを呼び込んでいると噂されました。
しかし初めから色恋に身を委ねる女性だったわけではありません。
平安時代夫が浮気をしてもじっと待つのが妻の定め。
和泉もまた他の女性たちと同じ待つ女でした。
一体何が彼女を恋に走る女に変えたのでしょうか。
和泉が結婚したのは18歳。
夫は同じ下級貴族の橘道貞です。
「大好きな大好きな道貞様。
いつもおそばにいて見つめ合っていたい。
朝起きて向かうこの鏡のように」。
和泉は夫にひたむきな愛情をささげる初々しい新妻でした。
夫に会えない寂しさ恋しさ。
道貞への思いを和泉は次々と歌に詠みました。
感性豊かな和泉の歌は次第に貴族たちの間で評判になっていきます。
「道貞様の事を思って空ばかり見つめてしまいます。
天から降りてきて下さる事などありはしないのに」。
飛び切りですよ。
あの当時「つれづれと空ぞ見らるる思う人天降り来ん物ならなくに」ってね。
そういう大胆な感覚も自分で思ったらばそういうふうに歌うっていうね。
和泉は幼い頃から父親に教わって和歌の素養を身につけました。
貴族の女性たちが学ぶ手本としたのが…身につけるべき教養として20巻1,111首の歌全てを暗記するように努めました。
よりよい結婚相手と巡り合う事もできました。
やがて和泉の歌がある人物の心を捉えます。
美貌の皇子弾正宮為尊親王です。
有力な皇位継承候補だった弾正宮が和泉の歌に惹かれて積極的に迫ってきたのです。
和泉は夫がある身の上です。
しかも相手は皇族。
このころ和泉は地方にいる夫が自分のもとに戻ってこない日々に思い悩んでいました。
一夫多妻が認められていた貴族の結婚では通常夫は正妻と一緒に暮らしその他の女性との間を行き来していました。
一方妻はというと夫以外の男性と関係を持つと多くの場合離縁されてしまいました。
貴族の女性が経済的にほとんど自立できなかった平安時代。
夫と離れ心に出来た隙間を狙うかのような弾正宮の誘いに和泉は戸惑いを隠せませんでした。
そんなある日。
衝撃的な知らせが和泉にもたらされます。
夫・道貞が別の女性を妻として迎え入れ共に暮らしているというのです。
ひたすら夫を待っていた自分は一体何だったのだろう。
心の奥で何かがはじけた和泉。
弾正宮の誘いに一歩踏み出します。
「白浪になびく藻のように私の気持ちも揺れています。
誰にもなびくまいなんてそんなかたくなな女ではないのです」。
ある夜和泉はついに弾正宮との禁断の恋にその身を投じました。
平凡な下級貴族の妻だった和泉の人生はこの恋によって大きく変わっていくのです。
和泉と弾正宮の恋のアバンチュール。
和泉の父もまた激怒します。
安定した妻の座を捨て許されざる恋に走った和泉に父は勘当を言い渡したのです。
「せっかくこの世に生まれてきたのに恋の炎に身を滅ぼしてしまいました。
まるで炎の中で燃え尽きる夏虫のように」。
全てを失い弾正宮との逢瀬を一心不乱に重ねる和泉。
「私にはもうこの恋しかない」。
しかし1年余りの後。
悲嘆に暮れる和泉ですが一度燃え上がった情念の炎を消し去る事はできません。
それは恋に生きる歌人和泉式部の誕生でした。
ようこそ「歴史秘話ヒストリア」へ。
今日は平安時代の歌人和泉式部の物語をご覧頂いております。
和泉式部といえば小説家の紫式部エッセイストの清少納言と並んで「王朝の三才女」と呼ばれ平安時代を代表する女性の一人。
宮中で数々の男性たちと浮き名を流しその実体験をもとに数多くの恋の歌を詠んだ事で知られています。
平安時代和歌は恋愛において大きな力を発揮しました。
当時貴族の女性が過ごすのは御簾の中。
家族以外の男性に顔をさらす事ははしたないとされていたからです。
そのためやり取りする歌の印象でつきあうかどうかが決まりました。
つまりもてる条件は顔よりも歌だったんですね。
歌の贈り方にも一工夫。
ただ歌を紙に書いて渡すのでは色気がありませんよね。
そこでこちら…。
緑鮮やかな柳の枝に美しい青色の紙。
春の初めにはこんな色彩の組み合わせで季節感を演出しました。
一方こちらは…。
季節は真夏です。
相手の気を引くための苦労がしのばれますよねえ。
こうしてやり取りされた歌は現代ではいかにもプライベートなもの。
でも当時は違ったのです。
優れた歌はお手本として書き写され次々に回覧されました。
和泉が詠む情熱的な歌はこのような貴族社会のネットワークの中で瞬く間に評判となっていったのです。
「源氏物語」の作者紫式部は和泉について次のように書いています。
「和泉式部は素行がよろしからぬ方である。
しかし歌は抜群にうまい!」。
紫式部も認める歌の才能で男性たちの心を惹きつける和泉。
しかしその真骨頂は歌のうまさだけでなく歌を駆使して巧みに恋を進展させるテクニックにありました。
ある日届いた一枝の花。
和泉はそこに仕掛けられた和歌にちなむ謎かけを解き恋のきっかけをつくってしまいます。
そしてこの白い可憐な花が平安王朝を揺るがす一大スキャンダルへと導く事になるのです。
弾正宮の死から10か月ほど。
和泉のもとに新たな恋の兆しが訪れます。
今日は宮様からこちらをお届けせよと。
使いが持ってきたのは一枝の橘の花。
手紙も歌も付いていないこの贈り物は一体何を意味しているのでしょう。
送り主は帥宮敦道親王。
亡くなった恋人あの弾正宮の4歳違いの弟でした。
橘の花が意味したのは「古今和歌集」の一首。
「橘の花の香りは昔の人の袖の香りがする」という歌。
つまり「亡き兄を私と一緒にしのびませんか」との思いが込められていたのです。
和泉は瞬時に帥宮の心を読み取り歌を返します。
(ホトトギスの鳴き声)和泉は帥宮を橘の花の季節に鳴くホトトギスに見立てお兄様と同じ声かどうかあなた様のお声が聞きたいと詠みました。
「お声が聞きたい」とは「お会いしたい」という意味。
和泉は相手を誘う積極的な歌を贈ったのです。
帥宮は歌のうまさと大胆な返事にすっかり心を奪われてしまいます。
しかしまだ恋の傷が癒えていない和泉は実は別の解釈ができるように歌を詠んでいました。
ホトトギスは黄泉の国から渡ってきて亡くなった人の声で鳴くと信じられていました。
つまり亡きお兄様の声がお聞きしたいと失った相手をしのぶ意味にもとれるのです。
新しい恋の予感に戸惑いながらも…歌には和歌の達人ならではのテクニックが駆使されていました。
その後帥宮が和泉のもとを訪れ二人は結ばれます。
ところが…この恋にのめり込もうとする帥宮の前に立ちはだかったのが彼の乳母でした。
「あんな身分が低く評判の悪い女とつきあう事はなりませぬ。
大体今でも他の男たちがたくさん通っていると噂でございます」。
ある夜帥宮は乳母が止めるのも聞かず和泉のもとを訪ねます。
すると…そこには他の男の牛車が。
家の中に入れてもらう事さえかなわなかった帥宮。
思わぬ仕打ちに愕然とする中で疑いが確信に変わります。
和泉は訪れが間遠くなりがちな帥宮との関係に悩んでいました。
寂しさを慰めるためか一人そっと旅に出ます。
向かった先はびわ湖のすぐそば石山寺です。
都から石山寺までは牛車と舟で1日がかり。
平安時代貴族たちの間で願掛けをするための石山詣が盛んになりました。
和泉式部もこの寺に7日間籠もる事にしたのです。
こちらがこの石山寺という名の由来になりました石なんですね。
大変大きい石です。
見えているのはごく一部でこの下全体大きな岩になっておりましてその上にお寺が建てられているんですね。
和泉式部もここへお参りに来た時必ずこれを目にしたでしょう。
そしてあまりの石の大きさに目を見張った事だと思います。
和泉式部という人は風の音また花の香り全てに自分の思いを重ねて歌を作っている人です。
自然と一体化した寺のたたずまいの中でもの悲しい秋の気配を感じそして都にいる恋しい帥宮との恋の行方がどうなるか非常に不安な思いでここにたたずんでいたんではないでしょうか。
そんな彼女が石山寺に籠もって間もなく都の帥宮から文が届きます。
「後に残されてつらい。
いつ帰ってくるのか」。
帥宮のまっすぐな思いを知った時和泉は居ても立ってもいられなくなりすぐに都に戻ってきてしまいます。
この後2人の恋はますます深まっていく事になるのです。
「仏様に守られた山を出てこの煩悩に満ちた人の世に戻ってまいりました。
もう一度あなたにお逢いするために」。
逢瀬が重なるごとに強まる二人の絆。
和泉の帥宮への思いは情熱的な歌となってほとばしり出ます。
「冷えきった冬の夜。
池の水が凍るようにあなたが恋しくて流した涙までもが凍りこの目も閉ざされてしまいました。
早く温かなあなたに包まれたい」。
橘の花の出会いから8か月。
愛人が正妻を追い出す。
この大スキャンダルに人々は騒然となります。
そんな世間のさざめきも二人には遠いものでした。
身分の差を乗り越え惹かれ合った和泉と帥宮。
恋を成就させたのは和泉の和歌にほかなりませんでした。
しかしその4年後幸せは突然失われます。
「亡き宮様に愛され親しくなじんだこの体。
出家する事で一本の髪ですら失うなどたまらなく悲しくてとてもできません」。
平安時代和歌の才能は社会的評価につながり時には出世にも響きました。
そうした事が度々起こったのが歌合の場での事。
参加者にとっては歌のうまさをアピールする絶好の機会でもありました。
例えば天徳内裏歌合での事。
それまで7年も無職だった平兼盛はこの勝負に勝った事で現在の県の副知事職にあたる山城介に任命されます。
一方負けた壬生忠見はショックで食べ物を受け付けなくなり死に至ったと伝えられております。
和歌には言葉の持つ霊的な力いわゆる言霊があると信じられていました。
平安時代は歌の持つ言霊によって世の中が動いていたと言えるのかもしれません。
だからこそ皇子たちと次々恋愛を繰り広げる和泉式部も単なるお騒がせな女性ではなく歌で常に注目を集めるいわば時代のトップスターだったのです。
和歌の入門編として学校で教わるものといえばやはり「百人一首」でしょうか。
いわば和歌のベスト・オブ・ベストです。
もちろん和泉も含まれています。
数ある和泉の歌の中から選ばれたのがこちら。
実はこれは和泉が自分の死を予感した時に詠んだ恋の歌です。
名歌中の名歌と見なされたこの歌には一体和泉のどんな思いが込められているのでしょうか。
帥宮の死から1年後和泉に転機が訪れます。
和泉はキャリアウーマンとしての道を歩み始めます。
和泉が仕えたのは時の一条天皇の后…宮中には天皇の后や娘たちの教養を高めようとそれぞれが社交の場サロンを構えていました。
各サロンには「源氏物語」の紫式部や「枕草子」の清少納言など一流の才媛たちが集まり当代の王朝文化を担っていたのです。
華々しい恋愛遍歴を持つ和泉が宮中に姿を現すと男たちは大騒ぎ。
すっかり時の人となりました。
そんなある日の事。
どうじゃ?いいじゃろ?宮中で貴族の男が自慢げに見せびらかしていたのは和泉がその男に渡した扇でした。
一体何事ぞ?通りかかったのは時の権力者で和泉をサロンに雇った…扇を見た道長はおもむろに書き始めます。
その言葉は…。
「うかれ女」とは移り気な女の事。
そこへ和泉が通りかかります。
からかいの言葉を目にした和泉。
全く悪びれずこちらも扇に書き始めます。
そして何事もなかったかのように去っていきました。
和泉が書いたのは歌一首。
「誰とつきあおうと私の勝手です。
大体夫でもない道長様につべこべ言われる筋合いはございませぬ」。
それも和泉式部が歌人として認められていたという事を示すんじゃないかと思います。
宮中で存在感を示す和泉のもとには言い寄る男からの恋文が後から後から届きます。
しかしみんな興味本位で浮ついたものばかり。
またやっかみや嫉妬が渦巻く宮仕えに和泉は疲れを覚え始めていました。
そして1年余りの後。
和泉は再婚します。
夫となったのは藤原道長の家臣であり大金持ちの藤原保昌。
和泉は再び正式な妻となったのです。
もう妥協だと思いますね。
もう枯葉になっちゃうんです。
夫・保昌は丹後守に任命されます。
和泉は夫と共に天橋立で知られる現在の京都府北部宮津に移りました。
ところが地方国司の夫は仕事のために宮津と都を行ったり来たり。
安定した妻の座さえあればいいと願った結婚ではありましたが和泉は再び寂しく夫を待つ身となります。
そんな時ふと思い出すのは最初の夫道貞の姿でした。
「あまりの悲しさに髪が乱れるのも構わず泣いていた私。
そんな時道貞様が私を抱き起こして髪をそっとかきやりなだめてくれた」。
遠い昔に見失ったはずの穏やかな愛に包まれた日々が和泉の胸によみがえるのでした。
満たされぬ思いを抱えた和泉はある時京都貴船神社を訪れます。
自分は見果てぬ愛を求めてまた暗い煩悩の道へと踏み出してしまうのだろうか。
とその時…暗闇で何かが光りました。
一筋また一筋。
それは闇に飛び交う蛍の群れでした。
あまりの美しさに立ち尽くす和泉。
思わず胸に歌が一首わき起こります。
「あまりに思い悩むと人の魂は体から抜け出すという。
この蛍は私の魂なのだ」。
真の愛に憧れながら恋のはかなさに翻弄されてきた和泉。
蛍の姿に自らのさまよえる魂を見たのです。
つまり器にはまらない人だったわけね。
その悲しみや寂しさだったと思いますよ。
晩年和泉は病に侵されます。
そしてもはや命も果てんという時一首の歌を詠むのです。
それは「百人一首」に選ばれたあの歌でした。
「この世の最期の思い出にもう一度あなたに逢いたい」。
仏教では人は亡くなる前に煩悩を全て捨てないと極楽には行けないと諭します。
しかし和泉にとっては仏がもたらすあの世の永久の極楽よりも人が生きるこの世の刹那の愛が何よりの救いでした。
枯れ尽きようとしてもなお沸き上がる女の情念。
生涯を通じ恋に生きた和泉がその最期に会いたいと願ったのは一体誰だったのでしょうか。
和泉が亡くなったのは60歳前後と考えられています。
和泉の死後その数奇な人生は仏教の教えを広めるための説話に使われました。
語り部は熊野比丘尼。
熊野信仰を人々に勧めるために諸国を回った尼たちです。
その説話では男性遍歴を重ねた和泉でも仏にすがって極楽往生を遂げたと語られたのです。
実は日本各地に和泉式部の墓と呼ばれるものがなんと21もあるのです。
こちらはそうした比丘尼たちの墓であったりあるいは説話にあやかろうと願う人たちが建てた和泉式部の供養塔だったりしたものです。
それがいつしか和泉自身の墓と呼ばれるようになったんですね。
それでは最後にもう一つ。
そんな秘話をどうぞ。
京都の繁華街新京極にある誠心院。
この寺にも和泉の墓があり伝説が一つ残されています。
平安時代女性は普通極楽には行けないと言われていました。
その時ささげた一首の歌をきっかけに和泉は極楽往生を成し遂げこの墓に葬られたという伝説です。
以来女性たちが和泉にあやかり救われたいと墓を訪れるようになったと言われています。
伝説の中で和泉が極楽へ導かれるきっかけとなった歌。
それは実際には和泉が20代の頃仏教の高僧に宛てて詠んだ歌でした。
「私は今煩悩の闇の中に迷っております。
このままだと更に深い闇へと入っていってしまいそうです。
どうか進むべき道を仏様の慈悲深い光で照らして下さいませ」。
その歌は後の和泉自身の人生を見通しているかのようでした。
恋に生き恋にはぐれる中で和泉が求め続けたもの。
それは闇夜を照らす月明かりのような優しい愛の光だったのかもしれません。
2014/02/26(水) 22:00〜22:43
NHK総合1・神戸
歴史秘話ヒストリア「和泉式部の恋多き生涯〜平安王朝・女の生き方〜」[解][字]
平安時代、和歌の力で次々と男を虜にした歌人・和泉式部。美貌の皇子との禁断の恋は、平安王朝を揺るがす一大スキャンダルに発展。恋に生き、歌に生きた和泉式部の物語。
詳細情報
番組内容
平安時代、みやびな宮中において、ひときわすぐれた女流歌人だった和泉式部。“恋多き女”でもあり、高貴な殿方たちとの恋愛を重ねながら、すぐれた恋の歌を数多く生み出す。しかし、身分違いの禁断の恋は、ついに平安王朝を揺るがす一大スキャンダルに発展。和泉の人生は思いもしない方向へ転がりだす。世間のそしりも時の権力者も恐れず、ひたすら愛と幸せを追い求めた一人の女性の秘話。
出演者
【キャスター】渡邊あゆみ
ジャンル :
ドキュメンタリー/教養 – 歴史・紀行
ドキュメンタリー/教養 – ドキュメンタリー全般
ドキュメンタリー/教養 – カルチャー・伝統文化
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