ゆうどきネットワーク▽俳優の鶴見辰吾さんが出演。これまでの人生について伺う。 2014.02.26

生字幕放送でお伝えしますこんばんは「ゆうどきネットワーク」です。
きょうも東京の渋谷は春のような陽気でしたね。
合原⇒日ざしが気持ちよかったです。
山本⇒今週は震災からまもなく3年ということで被災地の皆さんの声をお届けしています。
3日目のきょうも中継が出ています、岩手県盛岡市から柴崎さんです。
柴崎⇒ご覧の建物は盛岡市役所です。
海からは、およそ100kmほど離れています。
きょうは沿岸部から内陸部に避難された方についてお伝えしていきます。
岩手県には3万5000人ほどの避難している方がいます。
そのうち1400人ほどがこの盛岡で生活をしています。
もりおか復興支援センターではそういった皆さんのサポートをしています。
まずは地元とのつながりです。
例えばこちらは子どもたちが描いた地図です。
真ん中の赤い丸が復興支援センターです。
そこから歩いて回れるところにどんな場所があるのか知ってほしいということでこの地図が作られました。
それだけではありません。
避難している方はふるさとへの思いが強いんです。
用意されています。
かつては当たり前に家に届いていた、広報誌です。
今、ふるさとがどんな季節なのかどんな行事があるのか新しい月になると食い入るように手にとって読む方がいらっしゃいます。
それだけではありません。
専門の方との相談もできるんです。
今後の進学や教育費などのお金の問題。
ふるさとに土地や建物を残してきた相談そういったことを弁護士や建築士に相談できます。
震災、あの日から3年がたちます。
より具体的なこれからの行動が問われるという状況になっています。
また盛岡に避難されている方生活がばらばらなんです。
人と人をつなぐということにもこのセンターが一役買っています。
それがこちらです。
裁縫サークルの羅針盤の皆さんです。
先ほどまで笑い声がありましたが、今は緊張しているのか、静かに作業されています。
35人ほどが所属しています。
週5日、時間でいうと5時間ほどここで作業されるんですね。
何をしているかと言いますとご覧ください。
全国から寄せられた品物です。
その品を今から配るという役割は終えましたので、なんとかしたいということでリメークをして届けてくれた方に送り返しているんです。
例えばこういったエプロンで作ったもの、ブックカバーにしました。
ありがとうございましたという感謝の気持ちを込めて、送り返しています。
この活動を2年続けているのが、岩間さんです。
岩間さんは義理のきょうだいも含めまして、8人のうち6人が津波で亡くなりました。
釜石市がふるさとなんですが今は旦那さんの病気で大きな病院が必要ということで盛岡に来ていらっしゃいます。
ふるさとに対するじくじたる思い、後ろめたさがあるそうですね。
岩間⇒戻れるんだったら釜石市に戻りたいんです。
ちょっと時間がどのくらいかかるのかなという心配のほうが大きいので当分は盛岡で生活をしたいと考えています。
お墓があるということでお墓には日帰りで?そうですね。
うちも埋め立ての関係で住めなくなりますので日帰りになると思います。
岩間さんにとってこの場所、このサークルはどんなものですか。
毎日来て癒やされるというんですか。
楽しくいろいろなものを作って生活をするということになりますね。
楽しみに通ってきています。
今からなかなか新しい人間関係を作るのは大変ですよね。
そうですね。
でも、皆さんそれぞれ違うところからきていますけれど思いは皆さん同じ思いをしていますので仲よく活動できていると思います。
ありがとうございました。
盛岡から中継でした。
山本⇒まさに支援センターがくつろぎの場というか気分転換になっていますね。
さっき、当分の間、盛岡に住むとおっしゃいました。
当分の間というのがいつまでになるか分からないから皆さん不安なんですよね。
合原⇒あすは岩手県釜石市から中継でお伝えします。
山本⇒アンケートの声をご紹介します。
番組では、これまで取材に応じてくださった被災地の皆さんから声をいただきました。
アンケートに100人を超える方が答えてくださいました。
紹介してまいります。
きょうは住み慣れた町を離れた人そして離れずに住み続ける人それぞれの方の決断や、思いをお届けしていきます。
まずは住み慣れた町を離れる決断をした方からです。
宮城県パートで働く木村恵美さんです。
女川町の自宅は全壊。
石巻市に自力で自宅を再建。
町外移転することにより定住を決めました。
子どもたちは、こちらの環境学校生活にも慣れてきました。
無我夢中で生活、仕事をしてきた3年でした。
合原⇒岩手県の早野昌子さんです。
田野畑村の家は津波で流され娘のいる盛岡に家を購入しました。
娘が働いているので留守番と孫の世話をしています。
老いて72歳。
私には、都会は合いません。
元気のあるうちは村と行ったり来たりしたいと思っています。
続いては宮城の渡辺みゑ子さんです。
牡鹿半島の鮎川で震災に遭い東松島市に家を新築しました。
鮎川の復興住宅も考えましたがなかなか進まず私たちの年齢では待てないので息子や孫の近くに住むことにしました。
初めての土地での暮らしに早く溶け込むように心がけていますが時々は海を見たい。
心おきなく鮎川弁でお茶飲み会をしたいです。
こうして年齢のこと家族のことを考えて、やむなくふるさとを離れたという方たちがたくさんいらっしゃいます。
その中で、一組の親子に、実際にお話を伺ってきました。
岩手県宮古市の小田島イソさん。
震災直後、市内の小学校にお母さんのヨシエさんと避難していました。
家は流され、無事にここに避難させてもらっています。
アンケートには、避難所を出て住まいを探して転々としたためお母さんが体調を崩したと書かれていました。
そんな小田島さんを見かねて埼玉にいる弟が、1年半前盛岡市内に新しい家を建ててくれました。
小田島さんは今ヨシエさんと2人でようやく落ち着いた暮らしを取り戻したといいます。
新しく暮らす場所に盛岡市を選んだのには、理由があります。
母のヨシエさんは重い呼吸器の病気を抱えています。
盛岡なら、十分な医療を受けられると考えたのです。
山本⇒健康の問題は大きいですね。
健康であるということがイコール安心ですよね。
合原⇒続いては地元から離れて仮の住まいで生活を続けている方の声です。
宮城県の伊藤純子さんです。
雄勝町を離れて石巻市の仮設で暮らしています。
いつも不安な気持ちと隣り合わせにいるように思います。
続いても宮城県の70代の女性です。
借り上げアパートに移り住んでいますが近所づきあいは一切なし。
さみしいかぎりです。
海の見える、わがふるさとに戻りたいです。
そして福島で津波の被害にあった遠藤かほるさん雪子さんの親子です。
津波で家が流され今は借り上げ住宅です。
とにかく、地元に戻りたい。
早いうちは外に出てもよいかと思っていたけど90過ぎた母に、お墓どうする?こんな家から出棺できない、と言われます。
合原⇒そして、住み慣れた町に残るか離れるかその間で揺れている方たちの声です。
岩手県の東キヌさん。
昭和の津波の苦い経験から家は高台にあったので流失は免れました。
津波前は近くに実家もあり親類も多かったが今はみんな、遠くに散りました。
便利な場所で暮らしたい気もあるがこの土地を去ることも忍びない。
山本⇒宮城県の千尋よしみさんです。
今は町の仮設に夫と2人長男夫婦と孫はアパートに住んでいます。
町外の津波のこない土地で家を再建し家族みんなで生活する予定です。
これから違う土地に行って生活するのには抵抗があるのも、本音です。
年齢的にその土地になじめるのかどうか精神的不安が大きいです。
千尋さんに直接お話を伺いました。
今、新築中の家は6月に完成するそうです。
家族みんなで暮らせることは本当にうれしいんですが自分の知らない土地に知らない人の間で暮らすというのは不安です。
いうなれば69歳での転勤のようなものと話していらっしゃいました。
夫とご本人、いずれも大病を患ったことがあるので健康には、くれぐれも注意していきたいと話してくださいました。
続いてはふるさとに戻ることを決めた人たちです。
岩手県の小笠原真太郎さん、アケさんです。
市営アパートに住んでいます。
家はもとの場所に建てる予定ですが近所の人たちが帰ってこないとさびしいです。
合原⇒続いて、岩手県の小林渉さん、敏子さんです。
今後は、地元大槌に戻り自宅を再建しようと思っておりますが町は人口が減少し今後どうなるのか、不安です。
続いては地元に住み続けている人たちです。
岩手県の及川則子さん。
地域内で被災した人と、しない人で温度差が出てきて、何となくぎくしゃくしてきています。
何気なく言ったあなたは家が流されなくていいねのひと言が、皮肉に聞こえるとか気持ちの持ち方に、微妙なずれが生じてきているようです。
合原⇒岩手県の上林堅郎さんです。
同じ町内の新しい土地に住宅を新築して暮らしている。
復興が進まない。
町の高台移転で、元の集落がばらばらになるのかと思っている。
山本⇒岩手県の村松岩蔵さんです。
町内会の役職などで頑張っています。
町づくりについて皆さんのご意見を取り上げながら集約して参りたいと思っているところです。
最後は岩手県の郵便局で働いている菅野大気さんです。
さら地になった光景が日常化し時々悲しくなる。
震災が風化していくことなく復興に向かう現状を見続けてほしいと思う。
山本⇒ふるさとを離れて家を建てた方またふるさとに残って、家を修理して暮らしている方状況が違うように本当に思いもさまざまです。
あすもお伝えしてまいります。
合原⇒中継です。
福井県高浜町から、大橋さん。
大橋⇒はい。
3月3日、桃の節句までの間福井県高浜町では通りにピンク色ののぼりが目立ちます。
何て書いてあるかと言いますとひな人形ロードです。
こちらは人口1万1000人ほどのこの町に3000人の観光客が2週間で訪れるというイベントです。
どんなイベントかと言いますと家の軒先に、ひな人形が飾られているんです。
高浜町では、この時期100軒以上の家の軒先でこのようにひな人形を飾って観光客の方に見てもらおうというイベントが行われているんです。
10年前にこの手作りのイベントを始めたお一人、本庄洋子さんです。
本庄さんのお宅にお邪魔しています。
こちらには2種類のひな人形があります。
左側にあるのが昭和44年、今から45年前のひな人形です。
本庄さんの娘さんが初めての節句を迎えたときにご両親と本庄さんが相談して買ったということです。
どうしてこのひな人形を選ばれたんですか。
本庄⇒私の小さいときにはこういうものではなかったので娘のときには段飾りを買っていただきました。
りっぱな7段飾りですよね。
右にあるのは少しコンパクトなひな飾りです。
こちらは本庄さんがお孫さんのために買ったものなんです。
高浜町では女の子が生まれると、初めての節句のときに母方の祖父母がひな人形を贈るという慣習が残っています。
お孫さんが高校生になったということですがこうやって、いろいろな人に見てもらうというのは、ひな人形も喜んでいるでしょうね。
そうですね。
小さいときは飾ったんですけれど、こういう機会を得て皆さんの前でお披露目ができるのは、大変うれしくお人形さんも喜んでいると思います。
このようにいろいろなひな人形が見える、若狭たかはまひなまつりなぜ始まったかと言いますと代々ひな人形を贈る慣習があって女の子がいるほとんどの家庭にひな人形があるので町おこしに生かそうということで始まったんです。
このひな人形ロードは全長が2kmです。
いろいろなひな人形、町歩きしながら楽しめるんです。
町の方たちのおもてなしの気遣いが感じられるのはこのはり紙です。
自由に開けてご覧くださいというはり紙があるので気軽に中をのぞくことができます。
お邪魔します。
こちらは今から90年前、大正時代後期に作られたひな人形です。
先ほどご覧いただいたものに比べると少し小ぶりで顔の表情や着物の感じもちょっと違うのが分かりますかね。
細かいところこの小さいカメラでご紹介します。
おひなさまの手もとをご覧ください。
注目していただきたいのはせんすです。
一枚一枚しっかりと作り込まれているのが分かります、今から90年前です。
細かいところまでちゃんと作られているんです。
お内裏さまとおひなさまの前にいるのが3人官女。
そしてその前にいるのは5人ばやし。
さらにその前にいるのが宮中の雑務を担当する仕丁ですね。
真ん中の仕丁の手もとにあるのがくつ台です。
このくつ乗っているくつも、しっかりと作られているんですよね。
小さなくつが乗っています。
このひな人形は、こちらのお宅の知り合いの蔵から見つかったということです。
譲り受けたものです。
このように今若狭たかはまひなまつりではぜひ、うちの人形を飾ってほしいということで持ってくる方もあるということで、住民の輪が作った手作りのひな祭りです。
♪〜「うれしいひな祭り」音楽が、聴こえてきましたよ。
飾るだけじゃなく、みずからひな人形になってしまおうという町の人たちです。
3年前からこうやって週末に練り歩いて祭りを盛り上げています。
お内裏さまとおひなさまおひなさま、後ろ向いていただきたいのですが、手作りなんですこの髪の毛はストッキングなんです。
手作りです。
このように住民の皆さんのさまざまなアイデアで作られている手作りのひな祭り、3月3日の桃の節句まで開催されています。
皆さん来てください!中継でした。
山本⇒歩くひな人形は、意外な展開でしたね。
合原⇒創意工夫にあふれています。
山本⇒お年をめされたひな人形の方もいらっしゃいましたが珍しいですね。
合原⇒それだけ愛情が深いのかな。
山本⇒「人生ドラマチック」合原⇒本日のゲスト、俳優の鶴見辰吾さんに質問です。
この1週間であったドラマチックな出来事を教えてください。
鶴見⇒きのう横浜駅で高校時代の友人と会って、うれしくなってそのまま飲みに行ってしまいました。
何時まで?10時ぐらいですね。
わりと早く帰りましたね。
よろしくお願いします。
織田信長、誠に運の強い男…。
大河ドラマ「軍師官兵衛」で出演中の鶴見辰吾さん。
芸暦、なんと37年。
中学生のときには「金八先生」に出演。
クラスメートを妊娠させてしまう役は世間に大きな波紋を広げました。
バッシングも受け役者を辞めようと思ったこともあります。
高校3年生のときその後の役者人生を決定づける作品と出会いました。
以来、武将役からコミカルな会社経営者役まで幅広い役を演じる鶴見辰吾さん。
最高ですよ、きょうは。
ここ数年は、自転車に夢中。
チームを組んで国内外のレースにも出場しています。
自転車が人生に与えた影響とは?鶴見辰吾さんのドラマチックな人生に迫ります。
きょうのお客様小早川隆景こと鶴見辰吾さんです。
よろしくお願いします。
官兵衛と、意外な展開があるようで楽しみです。
楽しみにしていてください。
きのうのお酒は10時でしたから残っていませんね。
さすがにもう夕方ですから大丈夫です。
合原⇒鶴見さんのプロフィールを簡単にご紹介します。
ことし50歳を迎えられます。
15歳のときに出演した「3年B組金八先生」で一躍脚光を浴びます。
それ以来、ドラマや映画、舞台と幅広く活躍されてきました。
現在放送中の大河ドラマ「軍師官兵衛」にも出演中です。
13歳から芝居の世界で生きてきた鶴見さん、現在に至るまでの37年間にはドラマチックな道のりがありました。
鶴見さんがデビューしたのは13歳のとき。
きっかけは芝居好きな叔母にのせられて応募したオーディションです。
2500人もの応募者の中から選ばれいきなりドラマに出演します。
直後にはNHKドラマ「天城越え」で物語の鍵を握る、少年役を熱演。
兄さん、どこまで行くの?下田まで、帰ります。
子役として順調に経験を積んでいきました。
その翌年思わぬ経験をすることになります。
それが当時一世をふうびしたドラマ「3年B組金八先生」への出演。
演じたのは同級生を妊娠させてしまう優等生宮沢保です。
中学生の男女が子どもを持つというストーリーは世間に衝撃を与えます。
鶴見さんは15歳の父という役どころがよく理解できないでいました。
ところが、街を歩いても保だ、と後ろ指を指される毎日。
それが重荷となりこのまま役者の道を歩み続けるべきかどうか、悩みました。
18歳のとき運命的な作品に出会います。
山田太一脚本のドラマ「早春スケッチブック」です。
演じたのは、安定した道に進もうとする受験生。
山崎努、演じる生き別れた父親に出会い人生の生き方を問われるという役でした。
胸張るんじゃねえ。
子どもかもしれない。
善人め。
気のちっちゃい、善良でがんじがらめの正直者め。
芝居のせりふか何かですか。
鶴見さんを起用した監督の河村雄太郎さんは鶴見さんが、この作品で人生を見直すような衝撃を受けたと感じていました。
この作品に出演したことで鶴見さんは、俳優という道を歩んでいく決意をします。
山本⇒今うなずいていらっしゃいましたけど実人生とオーバーラップしていましたか?していましたね。
高校3年生のときに「早春スケッチブック」と出会いました。
僕の場合は推薦で勉強も重なっていましたが、ずいぶんオーバーラップしていました。
このまま役者を続けるべきかそれとも普通に役者を辞めて勤めるか何か考えていました。
そんなに大きな衝撃だったんですか山崎さんの出会いは濃密で魂があって裏を返すとあまり熱くない薄い魂のない生活をしていたんですか?鶴見⇒そちらに行きそうになっていました。
どんな生き方でもできると思うんですけど。
高校3年生だったら人生を考え始めるころかなと思うんですけれども、何か山崎さんに言われたひと言覚えていますか。
覚えています、たった1人の人間が世界を揺り動かすというせりふがあったんですが、面と向かって言われて心に響きました。
役者という仕事それと、そのせりふの内容が重なったんです。
あのときは楽屋をね山崎さんと2人きりに同じ楽屋に入れられて、ふだんから濃密な時間を過ごさせてもらったんです。
ですから本当にさっきも河村さんがVTRでおっしゃっていましたが、まさに山崎さんに背中を押されたというそんな感じでした。
合宿みたいですね。
合宿みたいですね。
厳しかったですけれどもいい勉強になりました。
私たちは「金八先生」の、宮沢保成長しているというふうに見ていました。
合原⇒視聴者からもそのようなメッセージです。
埼玉県の方からです。
宮沢保役は大変難しい役柄だったと思うのです。
鶴見さんご自身、役柄に思い悩むことも少なくなかったのではないでしょうか。
「金八先生」第1シリーズが放送されてから35年がたちますが僕にとって鶴見さんと言えば今でも宮沢保です。
迷惑かもしれませんがお許しくださいということです。
いやいやそうやって言っていただくのはうれしいことです。
宮沢保という役で、僕は私は大学生でしたがクラスメートを妊娠させて、という設定がすごいなと思いました。
ショッキングですね。
役を受けるときはどうでしたか。
やっているほうも戸惑いましたね。
思春期のころでしたから親にもそういうデリケートで触れられたくないところ、それを演じて表現しなければいけないというところは恥ずかしがっている暇もないということで、戸惑いました。
役をもらった瞬間はどういうお気持ちでしたか?絶句したような感じでしたね。
台本を読んで初めて知りました。
これどうやってやるのかなと思いました。
直感に頼ってやるのかあとは大人の、演出家や周りの共演者にアドバイスされて。
実生活で女の子とつきあっていたことはなかったですね、なかったんですか。
なかったんですか。
わりとあのころ僕は子どもだったのでそんなにもてなかったしね。
あどけないから年上から、もててたんじゃないですか。
いやいやバッシングを受けたということですけれどもどういうことですか。
バッシングというほどでもないですけれどもテレビ局のスタジオに行くのにも学校の帰りに電車で通っていましたからいろいろな方と電車に乗ったりしていろいろ声をかけてくれるわけですよ。
役と混同されてだめだよはらませちゃと言われたりしましたよ。
今考えると、おもしろい思い出です。
そのときはどんな反応をしたんですか。
どう反応していいか分からないですよね。
自分じゃないことですしね。
役柄の上ですしね。
ただうつむいて歩いていました。
そんなに結構言われることが多かったんですか。
好意的でしたからね。
ナイーブなころだったので今思うといちいち気にしていましたね。
役者を辞めようと思っていたというコメントがありましたが、そうですか?それでやめようと思ったわけじゃないんですが、このままずっと続けていくにはなまやさしい世界ではないと思っていたのでどこかで青春の思い出としていいところできりをつけてやめようかなと思いました。
高校生ぐらいまではそれこそさっきの山崎さんと一緒に、出演したドラマとそれまでは若いうちの思い出でいいのかなと思っていました。
確かにおば様が申し込んだ、自分からの世界ではないですね。
もともと芝居が好きで舞台は見に行っていました。
そうなんだ。
合原⇒そんな鶴見さん30代後半になったころに新しい出会いがあったそうですね。
はい。
20代の鶴見さんにくる役は二枚目役のトレンディードラマがほとんどでした。
大人の役への憧れを募らせ悪役を引き受けてみます。
すると、今度は悪役のオファーが続き再び役のイメージに縛られます。
演じていても自信が持てない自分がいました。
そう感じていた30代後半苦手だった自転車に思わぬ発見をします。
ある日、ゴルフの練習場へ自転車で行ったところ角を曲がって広がる景色に新鮮な感動を覚えたと言います。
自転車に乗るたびに住んでいた横浜の街が次々と新しい景色を見せてくれるようになりました。
鶴見さんは全国の自転車愛好家を集って交流サイトを立ち上げます。
さらには、レーシングチームを作り、トレーニングを積み重ね一日に200kmも走るレースに参加するほどになります。
こうした経験が自分への自信となりどんなことにも前向きな気持ちで取り組むようになったといいます。
♪〜3年前からは、音楽にも挑戦。
ギターを習い始め今では数か月に一度ライブハウスのステージに立っています。
やればできる。
立花陽造、ただ今無事、帰って参りました。
この自信は、本業の俳優にも思わぬ効果を生んだといいます。
やったことのない新しい役柄も自信を持ってこなせるようになり演技のデパートと自分で言うほど楽しく役者人生を送れるようになったのです。
山本⇒自転車でいろいろなことが発見できたんですね。
もともとはゴルフの練習に行くのに自転車に乗ってみたというのがきっかけだったんですけど、それまではゴルフに夢中だったんで。
時々箱根のゴルフ場に、自転車をこいでいっている人をみてすごいなと思っていたんですけど思ってやってみたらおもしろかったんです。
自分が敬遠していたものを乗ってみたらおもしろかった世の中には自分が食わず嫌いでもっともっと楽しくて、魅力にあふれたものがいっぱいあるのではないかと思ってどんどんいろいろなことに前向きに取り組むようになったんです。
おことばですが私も通勤で自転車に乗るんですが、あんまり発見がないんですけど。
距離が短すぎるんです。
距離が短すぎる?仕事に行くんでしょ?仕事に行くという目的で使っているから道具として使っているからおもしろくない。
乗ること自体を目的にするといいんです。
鶴見さんもゴルフ場に行くという目的を持ったんですね。
山本⇒食い下がりますね。
だんだん手段が目的になっちゃったんですよ。
僕もともと東京生まれなんですけれども横浜の街は住んでいてよく街の感じが分からなかったんです。
自転車に乗るようになって、このような道になっているんだここにパン屋さんがあるとだんだんはじめて自分の地元になったような感覚になったんです。
子どものころに自転車に乗っていると自分の住んでいる町が地元になるじゃないですか。
あの感覚がよみがえってきて、一日で2、30km走っていました。
今でも覚えていますかそういう感覚。
はい。
その当時は役者、俳優としてはどういう時期で何を考えていらっしゃったんですか?俳優としてですか?そうですね、そろそろやはり40歳ぐらいになってきていろいろ衰えを感じ始めるというか、衰えに対して準備をしなければいけないなという意識はありましたね。
俳優の衰えですか40前で。
例えば、肉体的に体力が落ちたりとかせりふ覚えであったりとかそういう若い人もどんどん出てきますからそういう人たちとしっかりやっていく上では鍛錬していかないとなかなかやっていけない、そこで自転車というものに出会いました。
どんどん衰えていくかなと思ったら、自転車に乗ったら逆に進化していくんです。
体が締まるというか体重は減るといいますね。
45歳ぐらいのときに本当にいちばん調子のいい体の状態になって高校生にも負けないぞみたいな自信がつきました。
すいません。
高校生と自転車で競争をしたんですか?レース会場では一緒です。
平等に競争ですから。
確か自転車に出会われたのは38歳ぐらいですか?39歳です。
ちょうどそのころ結婚されていますね。
自転車に乗るようになって結婚したんですか?同時ぐらいですね。
そのタイミングも、よかったのかもしれないですね。
自転車が結婚を後押ししたというのはありますか。
結婚が自転車を後押ししたのかもしれません。
どういうことですか?結婚するので、何か健康的なことをしなければとか何か真面目にやらなければとかいろいろなことを考えて、それが自転車につながったのかもしれません。
今写っていらっしゃいますが、ご夫婦でお乗りになることはありますか?きのうも70kmぐらい走りました。
鶴見川を走っていました。
鶴見さんと同じ名前の?俺の川と呼んでいます。
2人で70km体がきつくなりませんか。
ゆっくり走れば全然。
奥様とどんなお話をされるんですか。
今晩何を食べようかとか旅行の計画を一緒に立てたりとかそういう話もします。
本当に自転車が好きなという方はたくさんいらっしゃると思いますが、伺っていると自転車で積極的になれたということですね。
それは間違いなくなれます。
ただ若いころは自転車というのはあまり手を出さないと思います。
ほかにも、やりたいことはあるので僕は40歳くらいだったから自転車がよかったなと思います。
俳優人生はどう変わっていくんですか。
自転車によって。
ですからチャレンジ精神みたいなものが出てくるんですね。
さっきも、いいましたけれども食わず嫌いがなくなったので可能性とかそういったものを見つけようとする何かエネルギーが出てくるというか。
ということはこんな役をやってみたいとか?そういうことですね。
それまではなかったんですか?苦手なものは自分から敬遠してしまうところがありました。
結構拝見していると待っていても役が来るという環境じゃなかったですか?わりと恵まれていた。
環境。
待っていてもくる役というのは自分で選んでいるわけではない。
だんだん少しずつ積み重ねていって自分のやりたい役を役者というのは出会うということで役者というのは台本をもらって役を演じるんです。
200km走ったことを計算したら、東京駅から静岡の藤枝市でしたっけ。
東京から。
それだけ走ったら俳優生活に支障をきたしませんか。
仕事の前はそんなに走りませんね。
沼津ぐらいまでは行ったことがあります。
横浜くらいだったら80kmぐらいです。
80km走ってからお仕事ですか。
撃たれて死んでいるという役だったので。
お便りです、茨城県の方です。
きょう鶴見辰吾さんが出演すると新聞で見て夕飯の支度をやめて見ています。
71歳のおばあちゃんですがずっとずっとファンでいます。
ファックスも生まれて初めて芸能人の方に出しました。
それほど大好きです、ということです。
70歳にして初めてファックスしたということですよ。
40歳で自転車にチャレンジするのに似てますね。
ありがとうございます。
続いての方です。
埼玉県の40代の方です。
「早春スケッチブック」最高のドラマでした。
ありがとうございます。
私は小学生でしたが、見ている私たちにも山崎さんとの緊張感が伝わってくる迫力のあるドラマでした。
あれからそんなドラマを見たことがありません、といただいています。
山本⇒改めて「早春スケッチブック」の話がありましたがあとは保さんもありましたが保役をやって今になってどう見えますか?今となっては財産です。
やはり役者をやっていて役名で呼ばれるということはこんなにうれしいことはないです。
皆さんに愛されたというか覚えていただけた役柄なのでいろいろ思った時期もありますけれどもデリケートな時期思春期のころは、今となってはこうなっているわけですし、自分の財産の1つです。
どうですか。
保から卒業はしたんですか。
でも、やっぱり友としているんですか。
友としています。
さっきも映像を通して出ましたがライブ会場にも「金八先生」で一緒だった人も見に来てくれますそうすると掛け声は保なんです。
今でもですか。
保なんです。
ことしあったんですけれども保君と声をかけてもらえそうですね。
保君を感じながら。
合原⇒きょうは鶴見辰吾さんをゲストにお迎えしてお伝えしてきています。
ファックスが届いています。
奈良県の方からです。
数年前のこと。
なんていいお顔やろうと思わず見とれたことがあります。
少年時代から存じ上げていましたが、つい最近新しく知った俳優さんのように思ったぐらいでした。
年を重ねられた今の存在感がすてきですね、といただいています。
ありがとうございます。
もう1つです。
三重県の方からです。
40代の女性です。
鶴見さんずっと応援していました。
同じ年です。
鶴見さんが映画の撮影で三重県に来たとき一緒に写真を撮ってもらいました。
いつも応援していますということです。
大ファンの方からもいただいています、大阪の方です。
鶴見さんの大ファンです。
いい顔、スポーツマンの顔だなと思っていましたその理由は自転車だったんですね。
私もスポーツ頑張ろうと思います。
ヘルニア治すぞといただきました。
山本⇒伺っていると保さんからの印象がずっと続いて一緒に暮している感じで一緒に生きているという感じが皆さんあるみたいですね。
そうですね小さいころから見守ってくださる方も多くてたぶんそうだと思います。
今週は震災の特集ですが。
自転車に乗って被災地を回るということをされていますね。
仲間で福岡から、青森まで応援メッセージをたすきリレーでつなごうということで4か月ぐらいかかっていますが、去年は石巻で走らせていただきました。
また、行こうと思いますか、もちろんです。
来月には「下町ボブスレー」という熱い熱いドラマにも出演されます。
小早川隆景と一緒によろしくお願いします。
2年前からちゃんちゃんこを作って被災地に送り続けている広島の女性がいます。
手作りのぬくもりを持った支援の形を見つめます。
東京・上野のデパートに昭和30年代から続く屋上遊園地があります。
子ども、大人、お年寄り。
世代を越えて親しまれてきましたが来月、閉園。
屋上遊園地に集まる人たちの姿を見つめます。
2014/02/26(水) 17:10〜18:00
NHK総合1・神戸
ゆうどきネットワーク▽俳優の鶴見辰吾さんが出演。これまでの人生について伺う。[字]

俳優の鶴見辰吾さんがスタジオ生出演。これまでの人生や趣味の自転車について伺う。特集は、東日本大震災から3年目を迎えた被災地の現状と課題を伝える。

詳細情報
番組内容
【キャスター】山本哲也,合原明子
出演者
【キャスター】山本哲也,合原明子

ジャンル :
ニュース/報道 – 定時・総合
情報/ワイドショー – 暮らし・住まい
情報/ワイドショー – グルメ・料理

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