さあ今宵も居酒屋「知恵泉」開店のお時間となりました。
前回に引き続き佐賀藩主鍋島直正の知恵を読み解きます。
佐賀市を流れる早津江川のほとり。
4年前造船ドックの跡が発掘されました。
およそ150年前ここで日本初の本格的な蒸気船が建造されたのです。
開発を推し進めたのは幕末佐賀藩が設置した「精煉方」という研究所。
蒸気というエネルギーの存在すら知らない人が大半の時代精煉方は蒸気船や小型の蒸気機関車を作り上げました。
佐賀は「日本一の技術藩」と呼ばれるまでになります。
藩主直正は一体どんな姿勢で部下たちを成功に導いたのでしょうか?前回に引き続き鍋島直正の知恵を読み解くのは日本を代表するインターネット企業社長藤田晋さんです。
24歳で起業僅か3人で始めた広告代理店を社員3,000人の大企業に成長させました。
人気のブログや仮想空間でコミュニケーションを楽しむサイトスマートフォンのゲームなど若手社員をまとめ新サービスを次々と打ち出しています。
人材育成の名人と組織を巧みに育てる現代のリーダーが今宵も響き合います。
前回に引き続きまして鍋島直正の知恵見てまいりたいと思います。
石井さんいいの仕入れましたよ生きがいいやつね。
(石井)お〜何ですか?お〜どうどう…。
はいヨイショ。
はい蒸気機関車。
ですよね。
この蒸気機関というものを日本で初めて作り上げたのが佐賀藩の人たちなんですよね。
そこの製造に携わったのが精煉方というチームですよね先生。
(大園)はいそうですね。
精煉方はこういう蒸気車それとか蒸気船ですね。
今に続くものをいろいろ実験したり作ったりしている。
理化学研究所みたいな施設なんですけどいろんな研究進めてたんですね。
先週大砲のお話ありましたけどそれだけじゃなかったんですね。
大砲を造るまでのエピソードだけでもすごかったのに他同時にやって全部それに対して人材をつくる事に育成する事に成功していたから結果が生まれてるわけですね。
そういう事ですね。
藤田さん頑張る部下をどういうふうに守り育てていくのか。
これは会社にとっては大切ですよね。
うちの会社では「採用育成活性化」っていうふうに言ってるんですけど。
採用育成活性化。
要はいい人材を採用してちゃんと育成してそれをやる気にさせる。
活性化をやってれば事業は伸びるはずだというふうにしてるんですけど。
まさに直正はその活性化に成功した人という事になりますか。
この時代ですからね優秀な人材が多かったといってもやっぱり優秀になったんだと思うんですよね。
いい使命を与えられやる気になってずっと頑張って結果的にやっぱり優秀になったと。
その過程がどのようなものであったかっていうのは知りたいと思います。
あぁなるほどね。
どういうふうに優秀になっていったのか。
直正が自分の部下に対してどういうふうに接していったんでしょうか?まずは鍋島直正の知恵味わって頂きたいと思います。
あふれるほどの知恵をお楽しみ下さい。
(石井)うお〜!ああ〜。
嘉永5年1852年直正は藩の技術力強化を目指し西洋技術の研究所「精煉方」を設立します。
精煉方が開発を目指すのは高性能の火薬ガラスやパルプなどの新素材カメラそして蒸気機関でした。
リーダーに任命されたのは直正があつい信頼を寄せた部下の一人…佐野の他藩内きっての優秀なメンバーが集められ早速研究に取りかかります。
しかし佐野は技術を伸ばすためには藩の人材だけでは限界があると感じていました。
西洋から伝わってくる技術は高度化し輸入書は生半可な知識では解読できなくなっていたのです。
そこで佐野は京都から優秀な技術者を呼ぼうと考えます。
西洋の化学を学び誰にも負けない知識量を誇る中村奇輔。
奇抜なアイデアマンとして知られていました。
洋書翻訳は任せとけ!そして京都の人気者。
田中は一度ゼンマイを巻くと1年動き続ける時計や滑らかな動きのからくり人形など精巧な機械作りで既に名をはせていました。
しかし当時は情報管理の面から藩外の人間を入れるのは御法度。
特に佐賀は「二重鎖国」と言われるほど厳しいものでした。
しかも技術者の中には問題人物もいました。
化学の中村。
なんと京都に百両の借金を残したままやって来ていたのです。
彼らを受け入れるかどうか。
藩の重臣たちの緊急会議が行われました。
当然の事ながらそのほとんどが猛反対。
しかし直正は意に介さず中村の借金を全て肩代わり。
技術者たちを快く迎え入れます。
早速語学の石黒が化学や機械の最新情報を大量に翻訳。
精煉方の持つ参考書が急増します。
この参考書はメンバーたちの間で競うように読まれていきます。
田中や石黒に続き佐賀藩の精煉方メンバーが参考書を次々と借り出している事が分かります。
直正のねらいどおりぬきんでた人材を投入した事でチームが活性化互いに刺激しあう環境が整いました。
こうして精煉方の研究が本格的に始まったのです。
すごい事ですよね。
二重鎖国でしたっけ?それぐらい他の藩の人が入ってくるのは御法度の時代にそういう事をするっていうのは今の時代の企業とかだとニュースとかでよく聞きますよね。
いわゆるヘッドハンティングみたいな感じですかね。
やっぱりそういうのってするものなんですか?今ではそれは当たり前のようになってるんですけど僕はちょっとここについては直正と違う方法をとってまして社員を刺激するにあたって同期の中からいきなり抜擢するやつを出したりとか安穏としてられないようにしたり。
あと役員が2年に1回2人入れ代わるのでその役員になるために頑張ろうというふうに…役員もその中で外れたくないので一生懸命頑張るという事で中を活性化させていってるんですけど。
なかなか厳しい世界ですね。
まあはっきり言って厳しいです。
刺激を与えるって事がメインで鍋島も動いたわけだもんね。
(大園)新しい人材を入れて活性化させるという事もあったでしょうが外へ行って学ぶという事も随分やってるんですね。
人を出す。
(大園)他の藩に比べれば随分多いと思います。
江戸の「昌平」という学校幕府の学校がありますね。
そこはもう90を超える藩から若者たちが集まってたと思いますけどやっぱり佐賀藩が一番数が多いんです。
50名弱ぐらい。
当時の常識で考えたら全部常識外れじゃないですか。
どうしてそんな事ができたんですかね?それはやらなくては学べないといいますか外国に追いつく事ができないという直正に識見があったからなんですよね。
だからどうしてもそれは必要事項だったんですね。
精煉方役者はそろいましたよ。
精煉方が究極の目標にしていた蒸気機関の開発に突き進もうとしていた時に直正はどんな姿勢で臨んでいったのかという事をご覧頂きたいと思います。
こちらも有田焼でお楽しみ頂きましょう。
研究を続ける精煉方が第一の目標に掲げていたのは西洋技術の最先端蒸気機関の開発でした。
しかし半年たっても何の成果も出せないうえ出費ばかりがかさんでいました。
藩を挙げて倹約に取り組む中役人たちの理解も得られず「金の無駄だ」と閉鎖要求が相次ぎました。
しかし直正はそれらの批判を退けます。
「これは私の道楽だ。
制限するな」。
精煉方をかばい…更に資金不足を補うため自ら金を工面研究環境の維持に努めました。
佐野たちはこれ以上直正に迷惑をかけられないと更に研究にまい進します。
そのころ化学の中村奇輔は視察に訪れた長崎でロシア人の走らせる小型の蒸気機関車を目にします。
話を聞いた佐野たちは考えました。
原理の研究のためまずそれを作ろう。
成功すれば本物の蒸気機関も夢ではない。
まず中村が目にした情報を基に設計図を描きます。
次に語学のプロ石黒を中心にそれを形にするために必要な情報を洋書から翻訳していきます。
それを基に部品を作り組み立てるのはからくり儀右衛門田中たちでした。
見ただけの情報から複雑な機械を作り上げるのは至難の業。
寝食を忘れて研究します。
直正は奮闘を続けるチームの様子を見るため…研究を始めてから2年。
ついに小型の蒸気機関車が完成しました。
全てが手作りの日本初の蒸気機関でした。
同時期に精煉方で作られた蒸気機関のX線写真です。
燃料を燃やした熱でボイラーの水が蒸発。
その蒸気が管を通ってピストンを動かし歯車に力を伝えます。
完成後行われたテスト走行には直正だけでなく多くの役人たちも訪れました。
勢いよく走る蒸気機関車に歓声が上がったといいます。
精煉方が生み出したものはそれだけではありません。
こちらは国産では初めてのものと考えられるカメラです。
更に電信機ガラスなど西洋技術を用いた製品を次々と開発していきます。
そして設立から13年。
ついに…全長18m。
10馬力の推力を持つ日本最初の本格的な蒸気船でした。
「凌風丸の製造大変骨が折れた事であろう」。
直正は関わったメンバーたちを表彰しねぎらいの酒を振る舞いました。
そして佐賀藩は大砲製造や造船の実績を生かし本格的な海軍を創設。
最先端の技術力を誇る日本屈指の雄藩になっていったのです。
いや…すごいですね13年!13年ですよ。
13年かかって出来た時に振る舞われた酒はうまかったでしょうね。
石の上にも三年プラス10年ですからね。
もうそりゃあ長いですよ。
よく耐えましたよね鍋島さん。
それぐらいの年月何も成果が出なかったら不安になりませんか?自分のプロジェクトチームとかで会社の。
いやぁ不安ですね。
それこそ僕が率先してやった「メディア事業」というのは黒字化するまでに5年かかっちゃいましたので。
もうずっとぼろくそ言われ批判されて大きな利益を出す事業に育ったんですけど「かけた時間に成果が比例する」という話はほんとそのとおりだと思います。
批判あったんですか?あれさえやめてくれればいい会社になるのにとかあの部門が足を引っ張っているから自分たちが稼いだものが少なくなると。
やっぱりそう思われてしまいますし。
そういう時にリーダーとしてはどういう気持ちで?「これは投資をするんだ」と批判を僕がかわさなければ部署任せではどうしようもないですから。
僕も「それで駄目だったら社長を責任取って辞める」と言ってやってたので。
それでようやく封じ込めたぐらい大変だった。
直正も大変だったんじゃないかと思いますけど。
現場が一番苦労してるという事を直正はよく知ってるわけですね。
現場が一番苦労してる。
佐賀で「日峯さん」と呼ばれている藩祖の人がおるんですけど二十一か条の小さな文章ですけどそれを残してるんです。
その中に「人は下ほど骨折り候事よく知るべし」という言葉があって直正も頭の中にいつもよく読み込んでた言葉だと思うんですけどそれを常に思い返すという事をやっぱりやってたんじゃないかなと思います。
なるほど。
何回も現場に自ら足を運んで見に行くというのがあったじゃないですか。
あれ藤田さんどういうねらいがあったと思います?やっぱりプレッシャーですかね。
(石井)そうかそっちなのか。
激励しに来てくれたという方に取ってましたけど。
僕も現場に行くとやっぱり調子のいい社員はもうすごい勢いで僕の顔をニコニコしながら見に来るんですがうまく仕事がいってないやつは目そらしたりするんです。
それだけでもそうかというのが分かっちゃうんですけど。
だから「調子どう?」と聞いただけでも「社長に詰められました」っていうような…。
現場に来るプレッシャーっていうのは大きいですよね。
でも「ちゃんと見てるぞ」っていうメッセージを送る事…。
それは大事ですね。
実際にそれに成功した時に金額の報酬よりも…やっぱりみんなが見てるしトップがすごい褒めてくれるっていうそれがやっぱり何より効きますよね。
そしてその幕末に育った佐賀藩の優秀な人材たち。
各方面で花を咲かせるんですよね。
こちらご覧下さい。
時がたち明治の世。
佐賀藩の技術者の多くは全国の交通や通信などのインフラ整備を担当する工部省で活躍。
人員の実におよそ80人が佐賀藩の出身でした。
佐野は工部省でそれまで日本にはなかった…航海の安全をもたらします。
電報や電話の発展に貢献しました。
あの蒸気機関車のテスト走行を見て感銘を受けた若者がいました。
明治新政府の中枢に入った大隈は鉄道の実現に力を尽くし新橋横浜間に…直正自身は明治4年にこの世を去りますが直正に育てられた人材は大きく飛躍。
近代日本の基礎をつくっていったのです。
すごい人たちばかりじゃないですか。
はなわさんだけじゃなかったんだ佐賀は。
そこにきますか。
はいそうなんですよ。
直正の場合はですね今人材をつくったという事を言われていましたけども…明治維新史…幕末史を見ますとどこの藩でもたくさんの優秀な人材を失ってます。
罪せられて亡くなったりあるいは戦いで亡くなったり同士討ちで亡くなったりするわけですね。
それが佐賀藩の場合は直正の力でなかったんですね。
それは佐賀藩の中にも対立する意見は当然あります。
門閥系と登用される人たちの間にぎくしゃくした事もあったでしょう。
しかし直正はみんなが納得する形で藩論をまとめていくと。
藩論が分裂しないと分裂させなかったという力は人材を送り出す出せた大きな力だったと思います。
人材こそ財産なりという事を一番よく分かっていたという事ですよね。
そうですね。
「人材を大事にするよ」と言うとやっぱりすごく自分も佐賀藩が大事だとか直正さんについていくというふうになるので。
うちの会社「終身雇用」という言葉を時代に逆行して言ってるんですけど社員を大事にする事がやっぱり自分も会社に貢献したいと結果を出そうというふうに思う事でそれを通じて人は育成されるんだと思うんですけど。
残りの時間も少なくなってまいりましたが上がりにはこの佐賀名産の「嬉野茶」をご用意いたしました。
佐賀のお茶ですね。
はい。
粗茶でございます。
この嬉野茶といいますのは直正が殖産興業に力を入れていてその地に脈々と受け継がれているというお茶でございます。
ほんとにいろんなところに力を注いでたんですね。
お茶にまで。
蒸気船からお茶まで。
そういう事になりますね。
幅広いですね。
禁煙を試みたシモヤマ刑事。
2014/02/11(火) 23:00〜23:25
NHKEテレ1大阪
先人たちの底力 知恵泉(ちえいず) 激動の世の人材バンク「鍋島直正」(後編)[解][字]
幕末、貧しかった佐賀藩を急速に発展させた藩主・鍋島直正。日本初の蒸気機関の開発に挑む部下たちに対して、直正がとった行動とは?直正流、常識破りの人材育成術に迫る。
詳細情報
番組内容
幕末、貧しかった佐賀藩を急速に発展させた藩主・鍋島直正。藩を建て直すにあたって直正が最も力を入れたのが、西欧の脅威に対抗するため、藩内で技術者を育成することだった。その一環として設立したのが、基礎研究のための理化学研究所だ。だが、なかなか目に見える結果を出すことができず、藩内での批判が高まっていく。部下たちを奮起させるため、直正がとった行動とは? 当時の常識を超えた、直正流の人材育成術に迫る。
出演者
【出演】株式会社サイバーエージェント社長…藤田晋,石井正則,歴史家…大園隆二郎,【司会】井上二郎
ジャンル :
ドキュメンタリー/教養 – 歴史・紀行
映像 : 1080i(1125i)、アスペクト比16:9 パンベクトルなし
音声 : 2/0モード(ステレオ)
日本語
サンプリングレート : 48kHz
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日本語(解説)
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