NEWS ZERO 2014.03.11

どこにいるの?どこでもいいから上がってちょうだい。
大切な人を失ったあの日。
ハッピー・バースデー・トゥー・ユー。
新たな命も生まれていた。
被災地の3年。
小泉政務官の目に、その現実は。
被災地の皆さんとの心の距離が離れるような気がして。
復興への道のりは見えてきたのか。
それとも。
今もそういう状態が続いてる?
今夜、3年という時間を考える。
こんばんは。
東日本大震災からきょうで3年。
まだまだ続く悲しみの中から、復興のつち音が聞こえてきますが、その復興にも、これまでとは違った新たな課題が出てきています。
今夜はここ、岩手県宮古市から、30分拡大してお伝えします。
私たちの後ろにあるホテルは、3階部分まで津波が押し寄せました。
ホテルの1階、鉄骨はねじ曲がり、配管がむき出しになっています。
そして画面中央に写っているのが、エレベーターです。
津波の直撃を受け、その原形をとどめていません。
こうして実際に目にすると、津波の威力のすさまじさを改めて感じさせます。
巨大な津波は、人々の日常を一瞬にして奪いました。
あれから3年。
被災地では悲しみと希望が交錯しています。
午後6時ごろ。
岩手県山田町の海沿いには、優しい明かりがともされた。
ほらほら。
鎮魂の祈りを込めた灯籠が、次々に海へ流される。
頑張れ、頑張れ。
みんな頑張って一生懸命生きるからね、あんたの分までって、そう書きました。
あの日から3度目の3月11日。
きょう。
夜明けとともに、各地では祈りがささげられた。
宮城県南三陸町の防災対策庁舎。
大切な人に思いをはせる。
3年間、考えない日はなかったよね。
忘れることはないし。
この3年に、何を思うのか。
岩手県釜石市の港には、リヤカーを押す女性の姿が。
ごはんだよ。
みんなで食べてね。
娘が今も見つかっていないという。
どこでもいいから上がってちょうだい。
1万5884人が亡くなった東日本大震災。
2633人が、いまだ、家族の元に帰っていない。
津波の大きな被害を受けた宮城県山元町。
すべてが流され、さら地となったこの場所に、3年間、毎週通い続ける夫婦がいる。
大久保三夫さんと妻の恵子さん。
この場所には。
かつて、娘が働く自動車学校があった。
あの日、校舎を飲み込んだ津波。
教職員や教習生37人が犠牲になった。
大久保さんの一人娘、真希さんもその一人だ。
私たちが大久保夫妻に初めて出会ったのは、震災からまもなくのこと。
娘捜しです。
一人娘なもんで。
来る日も来る日も捜し歩いた。
海岸では、嫌いになった波の音に耐えながら。
しかし、真希さんは今も見つかっていない。
1年目はね、本当に夢中で過ぎた1年だったの。
3年目は、ちょっと今までにないぐらい寂しいですよ。
本当に、待ってるからってしか、言えない。
かわいそうで、早く帰ってこいって言えなくなりました。
だから、待ってるからしかないんだね。
待ってるから。
そして迎えた、午後2時46分。
黙とう。
黙とう。
東京都内では、政府主催の追悼式が行われた。
長きにわたって、国民皆が心を一つにして、寄り添っていくことが大切と思います。
福島第一原発でも。
黙とう。
黙とうがささげられた。
除染や福島の復興に向けた取り組みについては、社員一人一人が汗をかいていくということをしていかなければなりません。
その福島原発からおよそ7キロ。
浪江町では、町民らも参加し、不明者の捜索が行われた。
避難区域のため、町は今もなお手付かずのまま。
いや、3年前と今、全く変わってないなっていう。
福島県内では現在も、13万5000人を超える人が、避難生活を余儀なくされている。
3年たった今も、収束のメドが立たない原発事故。
原発いらない!
1000人以上が、反原発や再稼働反対を訴えた。
多くの人の日常が奪われた東日本大震災。
一方で、あの日、生まれた命も。
ハッピー・バースデー・トゥ・ユー。
ハッピー・バースデー・トゥ・ユー。
岩手県宮古市に住む、下沢さくらちゃんは、きょう、3歳の誕生日を迎えた。
何歳?3歳?
3歳!
大きくなったの?
大きくなったの。
よーし、いい子だ。
さくらちゃんが生まれたのは、地震発生の僅か30分ほど前だった。
私はもうだめかなと思いましたね。
無事に命をつなぐことだけが、まず目先の目標というか。
病院は出産後1日で退院。
電気やガスなどのライフラインが絶たれる中、なんとかさくらちゃんを守り抜いたという。
ただ、両親には複雑な思いも。
多くの人が亡くなった日に、生まれてるっていうだけでも、本当に喜んでいいのかなという思いは、ずーっとありますよね。
寒く困難な時期に生まれた命。
さくらという名前には、ぬくもりのある子に育ってほしいという思いが込められた。
復興を実感できる日はいつなのか。
4年目の生活が始まる。
きょう午後2時46分、被災地の人は何を思い、何を願ったのか。
そのさまざまな思いに、私たちは応えることができているのか、そのことを、私は考えました。
さて、被災地を襲った巨大な津波。
大きな被害を避けるためには、津波の脅威を後世に伝えていくことも必要です。
しかし、その伝え方にも課題が見えてきました。
ホテルの中から、右松キャスターに伝えてもらいます、右松さん。
私は今、たろう観光ホテルの3階の廊下に来ています。
このホテルは、今から3年前の午後2時46分までは、いつもどおりに営業していました。
このように、廊下だけを見てみますと、それほど被害を受けているようには感じえないかもしれませんが、客室を見てみますと、お分かりいただけますでしょうか。
この階にまで達した津波によって、もともと和室の畳敷きだった床の一部が、このように抜け落ちてしまっています。
そして、1階にありますカメラから、3階にいる私の姿が見えるようになってしまっています。
そして、客室の奥のほうには、布団が残されたままとなっています。
このホテルは震災前、四季折々の三陸の豊かな海の幸を楽しみにした多くのお客さんでにぎわっていたといいます。
そしてこちらが、3階で最も被害の大きかった部屋です。
このように、壁は津波で突き破られています。
その向こうには、夜の闇が広がっています。
時折、海からの風によって粉雪が舞い込んできています。
この場所は、海からおよそ250メートルほど離れています。
この田老地区には、高さ10メートルを誇る巨大な防潮堤がありますが、津波はその防潮堤をやすやすと乗り越え、このホテルにも直撃しました。
去年の11月、このホテルは、津波の脅威を多くの人に伝える震災遺構として、自治体が保存にかかる費用を負担することが決まりました。
しかし、津波の傷痕を残すことには、つらい記憶を呼び起こすとして、反対する声も多くあります。
この震災遺構を巡って、残すのか、解体するのか、意見が分かれたままの震災から3年の今の被災地を取材しました。
なお、これからご覧いただくVTRの中には、津波の映像も含まれています。
ストレスを感じられた方は、視聴を控えるようにしてください。
まだ雪が残る岩手県の沿岸部、宮古市田老地区。
震災前、世界最大規模の防潮堤に囲まれ、防災の町と呼ばれていた。
そのはずだった。
こんにちは。
こんにちは。
たろう観光ホテルの社長、松本勇毅さん。
ホテルは今も、がれきが取り払われただけの姿で残っている。
うわ!
3年前、田老地区にも津波が襲った。
画面奥に見える白い波。
次の瞬間。
うわうわうわ、すごい。
一瞬にして、防潮林をなぎ倒す様子が映っている。
津波は巨大な防潮堤を破壊し、家屋や車を飲み込みながら押し寄せる。
たろう観光ホテルにも、津波が直撃した。
被災したホテルの1階部分を案内してもらった。
元あった位置からずれた階段は、大きくゆがみ、ぐにゃりと曲がっていた。
波がこう。
津波の勢いは1階だけにとどまらない。
3階の客間の天井が見えますね。
壁に当たり、行き場を失った津波が、天井や床を壊し、3階まで突き抜けたという。
かろうじて残った4階から6階部分。
実は、そこを利用して、あることが行われていた。
この日、やって来た観光客およそ30人。
そこで松本さんが見せたのは、津波が発生したとき、この部屋から撮影した映像だ。
これから見るこの映像は、私、この窓から撮ってた映像なんで、同じ目線で見れるんで、比べながら見てもらえれば、一番、当時のことが分かるかなと思って。
撮影した映像を、この場所限定で観光客らに公開し、津波の恐ろしさを伝える語り部活動をしている。
これから、向こうから入ってきますんで。
あー!
すごい。
あれ、津波来たよ!早く逃げて!津波が来たよ!逃げて!
窓から見える人影に、大きな声で呼びかける。
早く逃げないと。
津波来たよ!
まだいるんですか?人が、その辺に。
人、いるんだよ。
1人歩いてました。
ああ、そう…。
車が飛んでる。
これ、消防車。
迫り来る津波の映像が、見る人の心に突き刺さる。
津波から逃げることの大切さを伝えたいと話す松本さん。
われわれも逃げろっていうことは、何回も何回も親からも言われてきてたのに、なぜ逃げなかったかっていったら、やっぱり、その怖さっていうところが伝えきれなかったんじゃないかなと思って。
だからこそ、怖さを伝えるには、津波の爪痕を自分の目で見て、感じることが必要だと考えている。
このホテルは去年11月、国が一部費用を負担し、保存される震災遺構第1号となった。
保存される建物がある一方で、解体されるものも。
宮城県気仙沼市に打ち上げられた大型漁船、共徳丸。
住民の保存反対や、費用の問題などが理由で、去年、解体された。
この町にある建物も姿を消そうとしている。
先週月曜日、女川町で解体工事が始まった。
基礎部分ごと横倒しにされた建物。
交番だった建物を除いて、すべての遺構が解体されることとなった。
女川町に住む遠藤達彦さん。
津波で父親を亡くした。
遠藤さんは震災後、観光客らに女川町を案内している。
そのとき訪れるのが、遺構の周辺だ。
山があって、レンガの建物があって、ここが津波のメインの通り道になっちゃったんですよ。
伝えていたのは、ここでも、津波から命を守ることの大切さ。
しかし、周辺の土地のかさ上げや、漁港の復旧工事の妨げになることなどから、町は解体を決めた。
取り壊しの工事が進んでいますけれども、その光景を目の当たりにして。
以前の女川の思い出というのがなくなってしまうんだなと。
でも今後、この町づくりのためにはやむをえないことですから、それはもうしょうがないことだと。
ちょっと複雑な気分ですね。
地元が新たな町に生まれ変わる喜びがある反面、解体で震災の記憶が薄れてしまうのではないかとの不安をのぞかせる。
一方、解体と保存で揺れている遺構もある。
宮城県の南三陸町防災対策庁舎。
町職員ら43人が犠牲となった。
震災から3年。
漁師の千葉正志さんは、庁舎を残すことに反対している。
南三陸町の事務をしていた娘の光子さん。
庁舎に避難したあと、行方不明になったと見られている。
千葉さんは漁に出るとき、今でも、亡くなった娘の手がかりを探しながら、網を引いているという。
あの建物は見たくないから、行かない。
見ればやっぱり、気持ちが新たにまた、あのときの気持ちがよみがえっからさ。
手すりが曲がってるでしょ、屋上の手すりがね。
あの手すりを、どんなふうに流されていったのかなと思ってね。
庁舎の解体を望んでいる。
南三陸町は、住民らの意見をもとに検討を重ね、去年9月に解体を決定。
しかし、国が遺構を保存するため一部費用を出すなど、支援策を示したため、県が解体にストップをかけたのだ。
今も保存か解体か、決まっていない。
残すものと壊すもの。
津波の記憶をどう伝えるのか。
3年たった今も、明確な答えは出ていない。
お話を伺いましたこちらのホテルの松本さんも、3年という、この月日の中で、少しずつ生活再建の見通しがついてきて、そこで初めて、ホテルを残して、この津波の被害を多くの人に伝えようという気持ちが、強くなってきたとおっしゃっていたんですね。
被災された方の心情ですとか、町の再建のために、この震災遺構を解体するのか。
一方で、子どもたちですとか、さらには、その次の世代の教訓として残していくのか。
この震災遺構を解体するのか、保存するのか。
その決断には、まだまだ多くの時間が必要なんではないかなということを、取材を通じて感じました。
東日本大震災は、私たちに多くの悲しみをもたらしましたが、また多くの教訓も与えましたよね。
その教訓を震災遺構という形で残すのか、それとも別の形で生かしていくのかが、課題となってるんですね。
続いては、滞る防潮堤建設の問題です。
被災3県の海岸線には、全長およそ390キロに及ぶ防潮堤を新たに造ることになっています。
計画では、あと2年で完成予定なんですけれども、取材をすると、現場は次々と課題にぶつかり、建設がなかなか進んでいないことが分かりました。
宮城県石巻市の海岸沿いを訪ねると。
今までの防潮堤ですが、津波で壊されています。
それから、その前に見えるのが、これから建設される防潮堤の形を示した構造物ですね。
新たな防潮堤の建設が始まっていた。
この海岸には、海面からの高さ7.2メートルの防潮堤が造られる予定だ。
被災3県におよそ600か所、総延長392キロにわたって、新たに造られる防潮堤。
復興予算8500億円以上。
2016年3月末までの完成を目指す。
最も工事箇所が多い宮城県。
新たな防潮堤の工事が、岩沼市の海岸で進められていた。
従来の防潮堤は、3年前の津波で破壊された。
どう生まれ変わるのか。
粘り強い構造にしようということで、工夫をしております。
例えば、かみ合わせの構造にして、護岸が取れにくくするような取り組みをしたり、堤防と地盤のすりついてる所、コンクリートで頑強に固めようということで、粘り強さを出しております。
しかし、こうした工事が始まっているのは、県内で全体のおよそ30%。
震災から3年。
完成した防潮堤は僅か3%にすぎない。
なぜ建設が遅れているのか。
理由の一つが、住民の合意。
先月、気仙沼市で開かれた防潮堤の説明会では。
鮪立の湾の周りに、このピンクの部分が、防潮堤の一番高い所で、こちらが9.9メーターの高さになるんですけれども。
もともとこの地区に防潮堤はなかったが、今回、新たに建設が計画されていた。
高さは9.9メートル。
これは数十年から百数十年に一度発生する、チリ地震や昭和三陸沖地震の津波を想定して決められた。
だが、この高さを巡り、住民の意見が割れていた。
われわれのね、高さが5メーターという高さなのに、それが9.9っていうことは10メーター、2倍でしょ。
4、5メートルでは低いと思います。
やっぱり、こないだのを見ててもですね、やっぱりそれ以上のものを。
やっぱり受け入れるところは受け入れて、造ってもらう。
巨大な防潮堤は、漁業に支障を来すという意見。
その一方で、早く造ってほしいという声。
これまでに10回以上の話し合いが行われた。
こうした議論は、ほかの地域でも繰り返されている。
県は、1000回以上、説明会を行い、現在、8割の住民から合意を得ることができたが、震災から3年を要した。
そして今、防潮堤の建設は新たな課題にぶつかっている。
村尾が訪ねたのは、
被災地に、新たに造られる防潮堤。
今、ある課題にぶつかっている。
村尾が訪ねたのは、東部土木事務所。
こちら、用地班ですね。
失礼します。
用地班は、公共事業に使う土地を取得するための、調査や交渉を行っている部署。
従来の防潮堤より高さが増した新しい防潮低は、面積も広くなる。
そのため、新たに土地を買い取る必要があるという。
土地の名義人さんを、まずわれわれは調べるんです。
で、土地の名義人を調べる、これが登記簿といいまして、これは通常、1対1という1人の方の地権者で、その土地を所有しておると。
比較的交渉しやすい?
これはね、交渉しやすいです。
通常は、土地1区画に1人の所有者のケースだが。
一番苦労するのはですね、やっぱり、共有地のときについてなんです。
これは24名、名前がずっと連なった共有地の登記簿になります。
この一人一人に、すべて、同意を取っていかなくてはいけない?
そういうことなんです。
複数で土地を所有している共有地の場合では、所有者全員と交渉しなければならない。
さらに。
この24名を調べた結果、24名中、16名の方がお亡くなりになられてたんです。
そこでまた、相続調査をしてですね、実際のところ、この一筆の土地だけで、関係者が230名になってしまったと。
これは、用地班が作成したある一人の所有者の相続関係図。
所有者と妻はすでに死亡、その子どもも亡くなっている。
この場合、7人の孫が土地の権利者となる。
子どもが多ければ孫も増え、権利者の人数はさらに膨れ上がる。
現在、用地班の職員は、地方からの派遣職員を含む18人。
うち10人で、防潮堤の建設地、191区画の調査・交渉を行っている。
完了したのはまだ3割だ。
こんにちは。
こんにちは。
土木事務所です、お世話さまです。
この日は、建設予定地に水田を持つ男性に、土地の買い取りの説明に向かった。
ここが実質ですね、所有地という所で、ここのまず、土地の単価については、田んぼなので、1平米が×××円というところで、お願いをせないけんかなと。
震災によって、土地の売却を迫られる住民は、どう考えているのか。
親が、先祖からもらった土地だもんだって、今はこういう震災の関係で、今、こういう工事をするってなって、入ってるから、一人でも反対すると、工事できないっちゃな。
男性は復興のためであればと、土地の売却に応じた。
では、複数の所有者がいる土地の場合はどうなのか。
村尾はある共有地の権利者の一人に会うことができた。
村尾と申します。
きょうはよろしくお願いします。
阿部正悦さん54歳。
その共有地に案内してもらうと。
今はもう、こっち、砂浜が見えないんですけど、この砂浜が、24人の共有地ということであったんですけど、それが。
防潮堤を早く造ってほしいと、阿部さんは土地の売却に応じている。
しかし、ほかの権利者の中には、連絡がつかない人もいて、足並みがそろわないという。
今もそういう状態が続いている?
今、まあ県のほうとの話し合いで、今大体50%ぐらい進んでいるんですけど、まだまだ半分は残ってるという感じで。
土地の売却は、全員の同意が必要。
この現状に阿部さんは。
何かに使ってる土地じゃないんで。
だから、ここにいる人たちはもう権利を破棄してもいいっていうほどだったんです。
ただ、まあそれが、勝手にできないもんですから、だから、国のほうでの働きかけで、裁判所なりなんなりで、司法のあれで、なんとかできないのかなっていう話もしてるんです。
防潮堤のほかにも、河川や道路などの工事箇所などを含め、県内の共有地はおよそ1600区画。
気の遠くなるような作業が続いている。
私たち取材した土木事務所では、20年分の量の仕事がたまっている状態なんですよね。
被害が甚大、かつ被災地域が広範囲にわたったことで、3年たった今でも、行政が処理しきれない状態が続いてるんですよね。
一方で、防潮堤のほかにも、被災地では高台への集団移転など、さまざまな課題がありますよね。
そうなんですね。
こちらですけれども、これは復興庁がまとめた、復興事業の進捗状況を示したものなんです。
まずですね、こちら、高台などへの集団移転、これは5%しか事業は完了していないんですね。
それからですね、次はこちら、ちょっと見えますかね。
復興住宅の建設、これは2%です。
またさらに、新たな町づくりのための土地区画整理は0%なんですね。
こうした事業はすべて、用地取得が課題となっているんです。
今、国は用地取得を進めるために、例えば手続きの迅速化のほかに、民間に委託をしたり、ほかの自治体から応援の職員を派遣したりしているんですね。
ただ、行政のやることにも限界があります。
政治がさらに、行政の背中を押すことができないか。
被災地ではこんな声も聞かれました。
その政治の中で、被災地の再生を担う復興庁の政務官、小泉進次郎氏。
私は小泉氏が力を入れる被災地での取り組みを取材したんですが、震災から3年がたち、企業が抱える課題が見えてきました。
そして、小泉氏はきょう、意外な本音を漏らしました。
きょう、宮城県石巻市。
電車で被災地を回っていたのは、小泉進次郎氏だ。
きょうが3年だけど、これからが本当の勝負だなと。
この3年で、復興は進んだのか。
小泉氏の口から出たのは、意外な本音だった。
3年たって、景色っていうのは、小泉さんの目にどういうふうに映りましたか?
なんか僕の中で、復興が進んだって、立場としては言わなきゃいけないんだけど、言える気になれないんですよね。
進んだ、進んだと、声高に叫べば叫ぶほど、被災地の皆さんとの心の距離が離れるような気がして。
復興を思うように進めることができない。
苦しい胸の内を明かした。
仮に今までの3年間で、掛け違えたボタンがあるとしたら、何度でも掛け直そうと。
小泉氏は今、ある活動に力を入れ、被災地との間に出来た溝を埋めようとしている。
先月、小泉氏は被災地の産品を販売するイベントにいた。
試食の品を渡されると。
いただきます。
うん!おいしい。
白いごはんないの?
欲しくなります。
いかがですか?
おいしいですね。
被災地と、それを支援する学生のコラボレーションが、いい感じで深みを増しますね。
被災地と学生とのコラボレーション。
これを実現するため、小泉氏は、大学生が被災地の企業で就業体験を積む、復興インターンと呼ばれる活動に力を入れている。
市川紗瑛子さんは、被災地が忘れ去られていくことが気になり、参加を決めたという。
もともと、東北に関わっていってる人は、確かに自分でインターンに行こうとか、ボランティアに行こうって思う方が多いと思うんですけれども、そのほかの人、ちょっと、遠巻きに見てるじゃないですけど、そういう人たちにも、なんか、行った私たちが伝えていくっていうことが、大事なんじゃないかなと思いました。
今回参加するのは、全国7大学から51人。
小泉氏は、震災の記憶が薄れる中で、インターンを、風化防止につなげたいねらいだ。
風化っていうのを、どういうふうに対応していけば、それが強まらないというふうにお考えですか?
自分の五感で、今の被災地で感じたことを、持ち帰ってくれる人を一人でも増やせば、その身になって全国で被災地のことを考えたり、心を寄せる人材になるわけですよね。
地道かもしれないけど、こういった取り組みってやっていきたいと思うし。
インターン活動が行われるのは、津波で甚大な被害を受けた町、宮城県気仙沼市。
実際に、町なかを歩いてみると。
ここだけが、あの日から時間が止まっているかのようですね。
洋服だんすがそのまま、中の洋服も、しっかりそのまま残って。
今でも深い爪痕が残っていた。
この日、インターンを受け入れる会社に現れたのは、小泉氏。
学生たちがどんな仕事を経験するのか、白衣に着替え、みずから工場を視察した。
これで大丈夫ですか?
いいですね。
大丈夫です。
正装できた?
眉毛が濃いから。
眉毛落ちたら大変です。
そりたい?
大丈夫です。
この復興インターン活動は、去年夏にスタート。
宮城県内の11の企業が受け入れを行っている。
復興庁はこの夏には、受け入れ企業や派遣する学生を、さらに増やしたい考えだ。
小泉氏が視察を終えると。
皆さん、どうも、本当にありがとうございます。
そして、先月24日、復興インターンの学生たちが気仙沼に到着した。
まずは、被害が大きかった地域を見て回ったあと、インターン先の企業へと向かった。
この会社を訪れたのは、東京の大学生6人。
初日となるこの日は、従業員から仕事についての説明を受け、その後、地元の名産品であるイカの塩辛を作る作業を手伝った。
慣れない仕事に戸惑う学生たち。
山岸も、その作業現場へ。
インターンは滞在中、一従業員として働くことになる。
こちらは、原材料のイカの中に紛れている骨を見つける作業。
しかし骨は小さく、簡単には見つからない。
骨!こういうのを取っていく作業なんですよね?
そうですね。
でもこういうの見つけるの、やっぱり大変ですよね?
大変です、本当に。
何時間やっても見つからないときあります。
そうですよね。
学生たちは、被災者でもある従業員と一緒に働くことで、被災地の今を感じ取ったという。
みんなそれぞれ、社員さんに話を聞いたときに、ずっと後ろばっかり向いててもしかたないし、これから前を向いて、次の世代に伝えていくっていうことが、大事だって、皆さんおっしゃってたって言ってたので。
一方で、受け入れる企業側は、ある問題を抱えていた。
こちらの機械、今、動いて、作業されてますけど、ここにある機械は動いてないですね。
そうですね、震災前ですとね、2台動いて、フル生産してたんですけども、まだちょっとそこまでは至ってないんです。
機械の数は震災前に比べ、およそ8割まで回復した一方で、実際に動いているのは半分以下だという。
箱詰めを行う生産ラインも、4つのうち、2つ。
半分は停止したままだった。
こうやって動かせない機械があるっていうのは、どうしてなんでしょうか?
人が集まらない状況がございまして。
ちょっともう少し、機械を動かしていきたいなと思うんですけれども、今のちょっと、人数で精いっぱいなところもありますので。
ーじゅうぎょういんのかずは、震災前の4割程度にまでしか回復していないというのだ。
実は気仙沼地域では、復興の工事現場などに労働力が流れ、水産加工会社に人材が集まりづらい状況が生まれているという。
復興政務官として、被災地を回る小泉氏。
そこから浮かび上がった深刻化する、被災地での人材不足問題。
一体どう取り組んでいくのか。
人材不足の問題というのを、具体策を示してほしいという声も上がっていますけれども。
被災地の中から、自分たちで、この復興を支えるという人材を、どうやって支えていけるのか、これはもちろん、町のビジョンと復興庁のほうも、同じような方向性を向いて、住民の合意形成を図りながら、新たな町づくりを挑戦していかなきゃいけないなと思ってます。
やはり現場の声としては、スピード感を持った対応をという声も上がっていると思うんですが。
大事ですね。
特にこの3年という一つの節目が来ますけど、これからが正念場だと思います。
被災地のアイデアと、それを支える国とのさらなる協力体制が不可欠だという小泉氏。
震災から4年目に入る中で、目に見える形での成果を出す責任が問われている。
この人材不足問題。
水産加工会社から復興事業に人材が流れる原因の一つは、賃金の格差にもあるんです。
復興事業の工事に携わる人の賃金というのは、水産加工会社で働くよりも高いという現実があるんですね。
さらに問題は、それだけではなく、販売ルートも一つ、大きな課題になっています。
震災によって、一度失われてしまった販売ルートは、なかなか取り戻すことができないそうなんですね。
私が取材した会社は、売り上げは伸びてきているそうなんですけれども、それでもまだ震災前の3割程度。
この売り上げが戻るまでには、まだ先が見えないと、会社の方は言っていました。
復興庁も懸命に仕事をしていると思うんですけれども、一方で、被災地の声を聞くと、調整役にしかすぎないとか、遠い存在で顔が見えない、そういった意見も少なくないんですね。
どれだけ被災地、被災者の側に立つことができるか。
小泉さんはじめ、政治家に求められていますよね。
さて、東日本大震災では、私たちの住まいだけでなく、多くの店舗や商店街も被害に遭いました。
そうした商店街の復興も、今、被災地にとっては大きな課題になっています。
人が減り続ける中で、どんな商店街を再び作り上げていくのか。
若い経営者を取材しました。
岩手県大船渡市。
県内でも有数な港町です。
津波で壊滅したその市街地に立ち並ぶのは、仮設の商店街。
すべてプレハブ造りの商店街では、およそ70軒が営業しています。
その1つを訪ねました。
ドアを開けると。
こんにちは。
こんにちは。
広がるアロマの香り。
淡いピンクの壁のこのお店は、ネイルサロンです。
このお店も、津波で流され、ここで再開しました。
仮設の形でも再開していただけたっていうのは?
なんかすごいうれしいです。
こんな田舎でも、おしゃれしてるんだぞって思うし、すごい自分のモチベーションアップ。
商店街に若い人たちは何を求めているのでしょう。
服屋とか、なんか食事できるような所があったらいいなと思ってます。
今って、そういうお洋服とかはどうしてるの?
あんまり、こっちの地域にないので、内陸に行って買うことが多いです。
こちらは仮設の飲食店20軒が集まる屋台村。
たくさんお店があるんですね。
そうなんです。
その中に、若い人たちでにぎわう店があるといいます。
こんにちは。
今、何されてるんですか?
三線を弾いて、練習です。
まだまだ弾けないんですけど。
この店を経営する佐藤圭二さん34歳。
琉球衣装に泡盛。
店内は沖縄ムードでいっぱい。
ここは大船渡でただ一軒の沖縄料理店なのです。
佐藤さんと、料理担当の弟、30代の2人で営む仮設商店街で一番若い店。
若いお客さんでいっぱいになるのは、大船渡では珍しいことです。
新しい創作メニューも。
こちらがカキチャンプルーですね。
はーい、ありがとうございます。
カキなんですか?
カキなんです、地元、大船渡の。
そういうことか。
大船渡の素材を使った沖縄料理。
私も頂きました。
うん!カキがプリプリ。
勝手にちょっと、東北っぽい味付けにはしてますね。
味濃いほうが、東北人はいいかなぁと思いますね。
さらにやっぱり、お酒にも合いますしね。
そうなんだ。
しかし、店があるのはあくまで仮設の商店街。
将来、ここは住宅地になる計画で、早ければ2年後には、ほかに移らなければなりません。
それに変わる新たな商店街の予定地は、津波に遭った駅周辺の中心部。
大船渡市は、商業地の復興を、ほかの被災地に先駆けて進めようとしていて、建設はことし中にも始められるといいます。
その中心、かつての駅前に、佐藤さんが案内してくれました。
周囲にはお店や宿泊施設が80軒も並んでいたといいます。
おもちゃ屋さんとか、確かこの辺にあったりして、あと楽器屋さんとかですね、自分がよく行ってたのは。
こんなに生活がね、あったんですもんね、ここの場所には。
地元の夏祭りとかも、この辺で。
にぎわってたんですね。
そうですね、結構、わいわいしてましたね。
しかし、にぎわった町も、若い人たちが次第に減り、静かになっていきました。
佐藤さんも高校卒業と同時に大船渡を去り、東京へ。
居酒屋で働きました。
しかし、たまたま地元に戻っているときに、津波が大船渡を襲ったのです。
地元のために何かをしたい。
佐藤さんは、弟とこの店を始めました。
この町、正直あまり好きでもなかったんですけど、この町が好きになっていっているっていうのが、感じてます。
大震災の前よりも、にぎわう大船渡を取り戻したい。
そこで。
なんかこちら、たくさんね、サイン、ありますね。
そうですね。
佐藤さんはお笑い芸人を呼び、仮設商店街でイベントを実現。
だめもとで、やってくれないですか?みたいなことをお願いしたところ、さまざまな芸人さんたちと一緒に来てくれて、すごい盛り上がって。
町の皆さんのうれしそうな顔だったりとかっていうのをご覧になって。
すごい、みんな笑ってんなっていうのが、単純にうれしかった。
そんな佐藤さんのもとに、賛同する若手も集まり始めました。
仮設商店街でアパレル店を営む小牟禮さんと、クリーニング店の2代目、畠山さんです。
商店街の中では、次世代として頑張られてらっしゃるのかなっていうふうに思うんですが。
元のシャッター商店街にならないようにするために、10年後、20年後を見据えてというのを考えています。
新しい商店街に客を呼べる目玉を作りたい。
3人は、いくつかのアイデアを提案してきました。
これは、そのときの資料です。
そこには若者が体を動かせるフットサル場や、海の見える足湯といった計画が。
子どもからお年寄りまで喜ばれるんじゃないかなっていう。
海も山もある、この町なんで、そういうのも生かしていくべきっていうのもありますね。
若い人を呼べる商店街を作りたいという佐藤さん。
この日は、新しい商店街について考える会議。
商店街の団体は、造成された土地を市から借りるのですが、建物は基本的に自己負担。
店の家賃も震災前の1.5倍から2倍になります。
そのため。
この商店街が作れるかどうか、そういうことのほうが最初で、後のことだって、その手のことを話するのは。
もともと高齢化していた商店街。
あと何年かを乗り切るのが精いっぱいという店も少なくありません。
高くなる家賃も不安な中、佐藤さんたちのプランを実現させれば、負担がさらに増えかねない。
意見は割れたままです。
そもそも設備は考えられないということですか?そういう設備というか。
それだけは本当に、同じ繰り返しになったら…。
数字の中に盛り込んでいくということは、まだ今の段階ではできないということ。
立ち行かなくなる前に、手を打ちたい人々と、あまりお金をかけず、とにかく今を乗り切りたい人々。
どちらも切実です。
佐藤さんの店が新しい町に移るのは、早ければ2年後です。
できるかぎり、全体でまとまって、自分たちも楽しめて、来てくれたお客さんとかも楽しめるような町づくりをしていきますよ。
先ほどから雪が強くなってきましたね。
ところで桐谷さん、大船渡の町、いかがでしたか?
今回取材した大船渡の町、震災から3年がたっても、生活感が感じられず、未来が見えない状態でした。
震災前には4万人を超えていた人口なんですが、3年間でおよそ2000人減ったそうなんですね。
そうした中で、佐藤さんのように、初めに商店街にお金をかけて、人を呼び込もうという考え方もあるでしょうし、人口が減っているのだから、お金をかけずにやっていこうという考え方もあると思うんです。
こうした世代間の考え方のギャップを、いかに埋めていくかというものが、商店街の直面する課題、被災地共通のものなんじゃないかなということを感じました。
そうですよね。
過疎化、高齢化、それから後継者不足。
ある意味で、震災によって地方が抱える問題が、3年たった今、実際に表面化した感がありますよね。
被災地の復興をどう進めていくか、それは日本が抱える課題とどう向き合っていくかということと、
震災から3年。
スポーツ界でも各地で黙とうがささげられました。
去年、被災地、宮城に日本一を届けた楽天。
嶋基宏選手が、東北への思いを語りました。
黙とう。
楽天では練習前、半旗を掲げ、星野監督や選手全員が黙とう。
震災当時、選手会長を務めていた嶋は。
この3・11を風化させてはいけないという、そういう思いで、きょう一日、練習に臨みました。
リーグ優勝、そして日本一を、もう一度チームとして目標とやってますし、東北の方々と一緒に戦っていきたいなって、そういう思いです。
そして、各地で行われたオープン戦でも。
黙とう。
黙とうがささげられました。
阪神対DeNAの試合前には、阪神の選手が募金活動。
震災から3年がたった今、風化させないようにと、被災地への支援を募りました。
試合後、福島出身のDeNA、中畑監督が被災地への思いを語りました。
野球のやっぱり力っていうのは、ここの国はすごく大きなものがあると思いますんで、勇気と元気と笑顔をね、届けることができればね、幸いだと思いますけどね。
続いてはサッカー、アジアチャンピオンズリーグ。
サンフレッチェ広島は、アウエー、オーストラリアから復興へのメッセージを送ります。
広島は前半21分のコーナーキック。
合わせたのは塩谷。
塩谷の公式戦3試合連続ゴールで、広島が先制。
そしてゴール後には、広島のイレブンが、3・11の人文字を作ります。
しかしその後は2点を奪われた広島。
逆転負けを喫しています。
広島、セレッソ、共に敗れまして、2試合を終え、いまだ勝ち星なしと、苦しいスタートとなりました。
そんな中、あすは横浜F・マリノス、そして川崎が登場します。
訃報です。
きょう午前7時過ぎ、レスリング、吉田沙保里選手の父、吉田栄勝さんが運転する乗用車が、ガードレールに接触する事故がありました。
栄勝さんは病院に搬送されましたが、死亡が確認されました。
警察の調べによりますと、死因はくも膜下出血ということです。
オリンピック3連覇の世界女王、吉田沙保里選手の父で、全日本のコーチでもある栄勝さん。
かつて全日本チャンピオンだった栄勝さんは、厳しい指導で、娘を世界女王に育て上げました。
ロンドンオリンピックでは、吉田選手はマットの上で、栄勝さんを肩車。
親子でオリンピック3連覇の喜びを分かち合いました。
吉田選手は今週末に行われるワールドカップ出場のため、東京に向かう途中でしたが、事故の一報を受け、帰宅。
吉田選手の兄、栄利さんが、父の死に対し、涙ながらに語りました。
皆さんのおかげで、最高の人生を送れたと思います。
家族の意向としては、ワールドカップに帰します。
ワールドカップに出てっていうのが、おやじの気持ちだと思います。
夢の万能細胞、STAP細胞の論文を巡る問題です。
きょう、論文を発表した小保方晴子さんらが所属する理化学研究所が、取り下げも視野に検討していることが明らかになりました。
衝撃の発言から一夜明け、きょう夕方、若山教授が再び会見を開いた。
論文の取り下げを求めたことについて、小保方さんからメールの返信があったという。
僕の考えは、本当に正しいと思いますというようなメールです。
とにかく前向きの、そういう感じのメールでした。
論文をよくするために考えてくださってありがとうございますというような内容でした。
問題となっているのは、夢の万能細胞と呼ばれたSTAP細胞を巡る論文。
理化学研究所の小保方晴子さんを中心とした研究グループが、イギリスの科学誌、ネイチャーに発表したものだ。
その研究は、役割分担で行われていた。
STAP細胞は、若いマウスのリンパ球などの細胞を取り出し、外部からの刺激を与えるだけで作ることができる。
小保方さんは、このSTAP細胞を作る役割を担っていた。
若山教授は、その細胞を受け取り、マウスの体内で別の組織に成長したことを確認し、万能細胞なのかどうか、裏付けする実験を行っていた。
若山教授は、このSTAP細胞に疑問を持ったという。
STAP細胞が、いろいろな組織に変化する能力を持つとして発表した、この画像。
若山教授は、小保方さんが博士論文で使用した無関係の別の実験の画像を、使いまわししていた可能性があると指摘。
この画像が間違いであれば、そもそもの実験の前提が覆るおそれがあるとしている。
一方で、共同著者であるハーバード大学のチャールズ・バカンティ教授は、私たちの取材に対し、結論には影響しないと確信していますとコメントしている。
理化学研究所は。
論文の信頼性、それから研究倫理の観点から、論文の取り下げにつきましても視野に入れて、検討をしている状況でございます。
理化学研究所は、14日金曜日に会見を開き、
マレーシアの警察当局はきょう、消息を絶ったマレーシア航空機に盗難パスポートで搭乗した2人の写真を公開しました。
うち1人は、19歳のイラン人の少年でした。
マレーシア警察と、ICPO・国際刑事警察機構は、少年はテロ組織と無関係の可能性が高いと述べています。
警視庁によりますと、住吉会系暴力団の幹部、高橋浩二容疑者らが、東京スカイツリー周辺の公共工事に、知人の会社を参加させるため、入札予定だった建設会社の役員を、命の危険もあるよなどと脅し、入札を辞退させた疑いで逮捕されました。
警視庁は、住吉会総本部を家宅捜索し、組織的関与についても調べています。
きょうの日中は、日ざしの暖かさを感じました。
あすは南風が吹いて、さらに気温が上がりそうです。
では、全国あすの予報です。
日中は広く晴れますが、天気は下り坂でしょう。
夜は西日本で雨の降る所が多くなる見込みです。
北日本はところどころで雪か雨でしょう。
予想気温です。
朝の冷え込みは少し緩みそうです。
日中は関東から西では、
今夜は、岩手県宮古市からお伝えしています。
今回の取材では、商店街の若い人たちが前向きに進んでいこうとしている姿を、感じることができました。
しかし一方で、被災地の皆さんが、震災前の生活に戻るためには、まだまだ解決しなければいけない問題というのは、たくさんあると感じました。
震災から3年がたち、今回、私が取材した中で一番多く聞かれたのが、風化ということばでした。
震災の記憶、そして教訓を風化させてはいけないという思いを、被災者の方々と私たちが共に持ち続けていくことが、大事なんだなと、改めて感じました。
私は、震災直後に被災地で聞いた復興してから悲しもうということばを思い出します。
今回、その復興の現状と課題をお伝えしました。
いまだに行方不明となっている方が2633人。
避難を余儀なくされている方はおよそ26万人いらっしゃいます。
被災地の皆さんの悲しみは癒えず、まだまだ復興への道のりも長いものがありますよね。
人材不足や資材不足を指摘する声、国の積極的な関与を求める声、復興庁の在り方を問う声、3年たった今、量的な面でも、質的な面でも、復興の在り方が改めて問われています。
ではまたあした。
2014/03/11(火) 23:00〜00:29
読売テレビ1
NEWS ZERO[字]

日本をより良くするために、今何が求められ、私たちは何をすべきか、皆さんとともに考えます。ニュース、スポーツ、カルチャー。NEWS ZERO、ニュースの原点。

詳細情報
出演者
村尾信尚
桐谷美玲
右松健太
山岸舞彩
鈴木崇司
磯貝初奈
おしらせ
※生放送のため、放送内容などは急遽変更になる場合がございます。

ジャンル :
ニュース/報道 – 定時・総合
ニュース/報道 – 天気
スポーツ – スポーツニュース

映像 : 1080i(1125i)、アスペクト比16:9 パンベクトルなし
音声 : 2/0モード(ステレオ)
ステレオ
サンプリングレート : 48kHz

OriginalNetworkID:32725(0x7FD5)
TransportStreamID:32725(0x7FD5)
ServiceID:2088(0×0828)
EventID:28309(0x6E95)