ゆうどきネットワーク▽舞台俳優・樫山文枝さんに、これまでの人生について伺う。 2014.03.26

生字幕放送でお伝えします出田⇒「ゆうどきネットワーク」まずは中継「いま旬一本勝負!」水戸といえばやっぱり納豆ですよね。
森さん。
森⇒そうなんです。
水戸が納豆日本一に返り咲きました。
どういうことかといいますと、こちらをご覧いただきましょう。
納豆の1世帯あたりの購入額というのはここ最近、福島ですとか盛岡に水戸は負けていたんです。
しかし、ことし2月に何と7年ぶりに水戸が納豆の購入額日本一に返り咲いたんです。
購入額1世帯当たり5916円。
断トツの1位です。
何で、日本一に返り咲くことができたのかその理由を3つお伝えします。
まず1つ目は素材のよさです。
納豆の原料となります大豆なんですけれど茨城県で納豆専用に作られたものです。
普通の大豆と比較してみますと粒が小さいんです。
山本⇒半分ぐらいですね。
なぜ小さいのか納豆工場の社長で茨城県納豆組合の専務理事を務める高野さんに伺います。
小さいのはなぜですか?高野⇒納豆用の小粒大豆なのでおいしいんです、口当たりもよく、香ばしくてすごく人気があります。
県内の子どもが学校給食でも大人気です。
ということなんですが大豆普通の大豆に比べて若干値段が高いんです。
にもかかわらず6、7年前からこの大豆を使うところが増えているんです。
つまり安さよりも味そして香りが選ばれたということなんです。
この自慢の大豆をどうするのかと言いますと見てください、こちらの釜で30分から2時間程度、蒸します。
そうしますと、納豆になりましたよね。
それでできたものを納豆菌納豆の粘りの元になります納豆菌をまぶします。
できたものを、水戸といえばわらですよね。
わらに手作業で入れていくんです。
わらに入れることで納豆にわらの風味が付いて、さらに発酵を促してくれるんです。
この工場では65年前から変わらぬ製法で作り続けている自慢の納豆なんです。
この納豆をやっぱり多くの人に食べてもらいたいということで、開発したのがこちらの商品たちです。
たくさんありますよね。
例えばこちら。
納豆の粉末が中に入っているんです。
ご家庭の納豆をさらに入れてもおいしいラーメンなんです。
本当に?皆さんこのように食べるそうですよ。
この商品を作ることによって、なかなか納豆が食べられなかった方たちにも納豆を食べてもらおうという工夫なんですね。
これが、日本一に輝いた第2の理由です。
そして、3つ目の理由は作業場の外にあります。
♪「ねばっぺねばっぺねばっぺよ」♪「夢をかなえるまで」♪「ねばっぺねばっぺねばっぺよ」♪「いつかは日本一」♪「いばらき手拍子ください」ということで納豆のフレーズを盛り込んだ歌を歌ってくれたのは水戸ご当地アイドル
(仮)です。
去年行われましたご当地アイドルの全国大会で、300組の頂点に輝いたんです。
今、披露してくださった歌を全国の皆さんの前で歌って水戸と納豆をPRしてくれました。
ほかにもいろいろやってくれているんですよね。
私たち水戸のことを水戸ご当地アイドル
(仮)は、私たちは1年間納豆列車や納豆早食い大会など、納豆大好きな方々と一緒にPRしてきました。
納豆列車というのは何ですか?納豆列車を納豆列車で食べられる列車です。
これらがNHK水戸放送局のキャラクターなっとうどーもくんもこうしたイベントを応援しています。
高野さん、こうしたイベントで町を盛り上げて来年も再来年も何でも頑張りたいと思います。
ありがとうございます。
粘り強い努力で、7年ぶりに日本一に輝きました。
納豆の町、水戸市から中継でお伝えしました。
山本⇒日本一にNHKも一役買っていましたね。
今のコメントがありましたけど、納豆の購入額は正確には5916円です。
福島盛岡が黙っているわけじゃありませんね。
テレビを見て策を練っていると思います。
出田⇒「人生ドラマチック」きょうのゲストは俳優の樫山文枝さんです。
この1週間であったドラマチックなことは何ですか。
樫山⇒今舞台の稽古中なんですけれど無我夢中、様子も分からずにまい進しておりましてミモザの花が咲いていたりいろんなお花がいっぱい咲いて一気に春になったんだなと咲いていたのを気が付かずに春を押し当てていたのがドラマチックで井の頭公園の桜を見ながらまいりました。
それがとてもドラマチックでした。
お花がいっぱいでうれしい春になりました。
山本⇒それだけ一生懸命稽古されているんですね。
本当に周りが見えなくなってしまうんですね。
春ですよ。
はい。
本当に春が大好きです。
躍動感にあふれていて。
テレビが生んだ最初の国民的アイドル。
それは、昭和41年の連続テレビ小説「おはなはん」のヒロイン、樫山文枝さん。
「おはなはん」は夫と死別した主人公がさまざまな困難に遭いながら明治・大正・昭和の時代を生き抜いていく物語です。
あれじゃろか?平均視聴率は、45.8%!樫山さん演じる、はなの生き方は多くの人を勇気づけました。
一躍テレビ界のアイドルとなった樫山さんですがその後はテレビを離れ舞台の世界に活躍の場を移します。
戦後の演劇界をリードしてきた劇団民藝でたくさんの役を演じました。
そこで出会った芝居の師匠が俳優、演出家の宇野重吉さんでした。
樫山さんは宇野さんから何をやってもだめと言われる厳しい演技指導を受けます。
当時の様子を同じ劇団の俳優は…。
その試練に耐えた樫山さん。
しかし、宇野さんが亡くなったあと今度は自分の演技に自信が持てなくなったといいます。
10年近く続いた苦しい日々をようやく乗り越えた樫山さん。
現在、劇団民藝在籍51年目を迎え、稽古に励む毎日です。
きょうは、女優・樫山文枝さんのドラマチックな人生に迫ります。
山本⇒きょうのお客様、樫山文枝さんです。
きょうは疲れた顔をしていますね。
どきどきしてしまって。
生本番ですよね。
あがり症なんですって?そうなんです、緊張症で。
きょうは舞台じゃないですから。
舞台じゃないんですけれど頼りにしています。
毎日見ています。
出田⇒ありがとうございます。
まずは樫山文枝さんのプロフィールからご紹介させてください。
先ほど井の頭公園のお話がありましたね。
今、1年に1本ずつのペースで舞台に出ていらっしゃるんですね。
もう50年も劇団民藝に在籍して1年に1本新作をやっています。
樫山文枝以外の人生を毎年毎年作り出しています。
「おはなはん」から数えたら48年なんですけれど、私は子どものころ見ていたんですけれど今でもおはなはんと言われることはありませんか?ありますね。
ご年配の方や同世代の方からやっぱりおはなはん、樫山文枝さんとこのごろは少なくなったんですけれどやはりありますね。
私も強烈に覚えていますし、それだけ世の中の人は樫山さんは、おはなはんと思っていますからね。
出田⇒視聴率が45%ですからね。
とても幸せなことなんですがやはり日本じゅう誰も知っている人がいないというのはすごい人生をひととき過ごしてしまったなと思いますね。
出田⇒まず「おはなはん」に出演されるまでの樫山さんを見ていきたいと思います。
樫山文枝さんは昭和16年の夏東京・吉祥寺に生まれました。
父・欽四郎さんは、大学で西洋哲学を教える学者。
母・まつさんは歌人でした。
樫山さんは、母が台所の片隅でノートを広げて一心不乱に短歌を詠んでいた姿をよく覚えています。
家事をきちんとこなしながらも創作意欲を失わなかった母を樫山さんは尊敬していました。
樫山さんは、母の生き方から興味のあるものに脇目も振らずに没頭することを学びました。
中学3年のときに、学校の演劇で偶然「夕鶴」の主役を演じたのがきっかけで樫山さんは舞台女優になることを目指すようになります。
昭和38年、劇団民藝の俳優教室に入ります。
初めて主役の座を射止めたのは「アンネの日記」のアンネ・フランク役。
予定された主役の女優が体調を崩し、代役として抜てきされたのでした。
舞台は好評を博し樫山さんは、注目を集めるようになります。
そして昭和41年には朝の連続テレビ小説「おはなはん」の主役の座が巡ってきます。
しかし、演じるにあたって条件が1つありました。
それは、18歳から80歳まで1人で演じきれるかどうか。
樫山さんは、そのカメラテストを受け、見事に合格したのです。
これが80歳を演じた樫山さんです。
合格と聞いて、樫山さんは迷ったすえ、「おはなはん」出演を決断しました。
すると、放送直後からものすごい反響が。
「おはなはん」は大成功し一躍、樫山さんは国民的アイドルになりました。
おばあさんが漫画みたいだなと思って。
本当にメークアップの人にご迷惑をかけてしまいました。
逃げ回ってね。
しわを、かかれるので追いかけてしわをいっぱいかいてくださるんですよね。
皮膚の上にもう1枚皮膚をやるような工夫をしてメーキャップがそれほど技術がないところを試行錯誤して今懐かしくおばあさんの姿を見ていました。
綿をぬらして薄くぬらして、卵の白身か何かでやってみたりずいぶん苦労していらっしゃいましたね。
つるんつるんでしょう、20代でそれを殺すのに今はシワだらけなんですけれどね。
そうなんですか。
あとは収録のときは覚えていらっしゃることはありますか。
収録のときは、やっぱり毎日毎日ほとんど音楽も一緒に入れていたと思うんですよね。
前後3つぐらいにしか切れなかったと思うんです。
山本⇒15分でしょう?15分の収録をするのに短くても5分ずつぐらい切っていたんですか。
切らないです。
音楽が鳴ったときに、全員スタートして緊張して。
4台のカメラでくぐって隣の部屋に行くとか走り回ってスタジオにいましたね。
すごい反響でうれしかったですね。
20本にやったあとに、ものすごい反響でこんなことになるとは思いもしませんでした。
途中で、そうですね…四国から来た青年が今だったらストーカーですよね、うちの前に来て母が困って応対していたら、寝袋を持って吉祥寺の寺に泊まってまだあどけなくてすばらしい青年だったんですけれど、私が帰っていたときに会えましたけれどそんな青年もいました。
自分の知らない間にそんなこともありました。
出田⇒朝8時15分になると全国的に水道の使用量が激減したというのはその時間主婦の方が台所に、立たなくなってしまったということで。
そうかもしれませんね。
山本⇒銭湯が空っぽになるという話を聞いたことがありますよね。
水道の使用量が激減ということですよね。
みんな家事をやめてしまったんですね。
学校に行くのも、走りながらテーマ音楽を聴きながら行った人とか。
1時15分から再放送をしていたので、先生がお昼休みでみんなに見せていたというかそういう話も聞いたことがあります。
教育に深く関わっていましたね。
深く貢献させていただきました。
出田⇒もともとは森光子さんの代役ということで「おはなはん」もお話があったそうですね。
「おはなはん一代記」というので1時間番組を作ったときに全部終わったあとに聞いて私は何も知らないまま自分がやるんだと思っていたんですけれど、あとでご病気だったということを伺って突如、何も分からない新人で抜てきしようということでですから、1年間おばあ様までやれるかしらってみんな心配していただいたと思うんですけれど。
山本⇒国民的アイドルになりますよね。
気分は悪くなかったと思うんですけれど国民的アイドルになったにもかかわらず舞台に戻りましたね。
テレビには出るつもりはなかったんですか。
そんなこともなくて、いくつかテレビは出ていましたけれど自分の居場所というのが舞台かな、と。
きちんと両足をつけている場所は舞台だなと。
民藝にきちんと戻って1年間本当に「おはなはん」だけという時期でしたので預けられていたような時期でしたのできちんと、一度そうですねきら星のごとく大先輩がいらっしゃいましたし宇野先生とかたきざわ先生とか芦田しんすけさん、とかしみずさんとか。
私の憧れの方たちがいっぱいいらっしゃったので。
自分はそんなに才能があるとは思わなくてしっかり修業しなくてはと本当に思っていたので修行の場というのが劇団で舞台の上に1人ずつ描くことの1人で立つことの孤独「夕鶴」が出ましたけれど、中学3年生のときにやってそれ以来、揺るがずに女優を続けてしまったのでそのときのやっぱり舞台に立つというすばらしさとすばらしい戯曲を演じるうれしさを中学の先生が恩人ですね。
それもあって、やっぱり舞台で通用する女優になりたいと思ったんですね。
映画もテレビも大好きなんですけれどきっちり勉強しようと思ったんですね。
出田⇒「おはなはん」出演のあとは、舞台に戻られた樫山さんですけれど舞台の道は平たんなものではありませんでした。
どんなことがあったのでしょうか。
樫山さんにとって、51作目の舞台となる芝居「シズコさん」。
冷たかった母と心を通わせていく娘の姿を演じる樫山さん。
しかし、演じることが楽しくなってきたのは50代を過ぎてからだといいます。
間に合ったのですか!許されるのですか!それは、演技の師匠である演出家・宇野重吉さんの厳しい指導があったからでした。
稽古場の鬼といわれた宇野さん。
正面こっち来て言うんじゃないの?おかしいでしょおかしくないようにやってみて。
私に似てるとおっしゃりたい…。
お前がすぐ、私に、なんて前に間があんのがおかしいだろ。
33歳で演じた「きぬという道連れ」では樫山さんは、公演開始5分前まで宇野さんに怒られ続け幕が開いても涙でせりふが言えませんでした。
当時の樫山さんがどれほど耐えていたか同僚の伊藤孝雄さんはこう振り返ります。
46歳のとき、樫山さんはがんで入院中の宇野さんから夜中の3時に電話で起こされせりふの練習をさせられたこともありました。
最期まで、舞台の上の妥協を許さなかった宇野さんは昭和63年1月に73歳で亡くなります。
樫山さんは、信頼していた宇野さんを失いどう演技したらいいか分からなくなってしまいます。
その悩みは、それから10年近くも続きました。
山本⇒今の紹介の映像の中、あるいはコメントを聞いているだけでも、宇野さんの存在が、いかに大きいかというのが私たちにも伝わってくるんですけれども伊藤さんがおっしゃっていた人間性を問う稽古というのはどういうことですか。
樫山⇒お前の生き方が悪いからできないんだっていうことを言われるとそうなのよねって自分を全否定しますよね。
なんか思い出しちゃって…だから、そういうことはどんな演技をしようと自分と役とのかかわりなんですよね。
ですから、そこのところをきちんと捉えてこすれていないかぎり本物に見えてこないという迫り方ですのでね。
こすれてこない、というのはどういうことですか。
役と自分とかに、密接に何て言うんですかね…つながってこないっていう心の中のかっとうというのがですねうそをついていると薄っぺらいもので伊藤孝雄さんが言っていましたけれども、自分の生き方と演技とはイコールだということですね。
だから、生半可にやっていてはすぐに見破られてしまいますし先生に、私は「3人姉妹」のときにちょっといい?って先生は褒めないんですよね。
だめだだめだと言われて少し上り坂になったかな、というときにはあ、と息をついてそうしたら先輩が何かに樫山君きょうの稽古はよかったねと言われて、うれしかったんでしょうねちっとも同じように次の日もやったんだけれども、何かあったのかと先生に聞かれてお前な褒められたら落とし穴だと思えと教えられて。
だから一生懸命これでいいのかこれでいいのかと点検しながらやっているときに気が緩むんでしょうね、褒められると。
そうするとそこで安心してしまって、次のステップにいかなくなってしまう。
だからそういうことの繰り返しで自分を責めていくというかでも、皆さんそうで私だけじゃなくてそれを乗り越えて宇野先生は、どなたかをターゲットにされて後輩はそのターゲットにされているだめ出しを聞きながら自分を直していくということですかね。
自分の人生をきちんと生きなきゃ常に自分が悪い、自分が間違っていたというふうに思うということは大変ですよね。
それでも、やっぱり役に迫っていくためのなんとか、こいつをね下手な女優を、なんとか舞台に立たせてあげようという先生の思いだと思うんですね。
でも、その自分はだめだと思っていて先生が亡くなられて何年かたって北林谷栄さんという、おばあさんをやられる、すごくすてきな女優さんですけれども電話なんていただくことなんてないんで、話をいただくことないんですね大先輩だからでも電話をいただいてお前さんよかったよ、と言っていただいたんですね。
でも、あれもできていませんここもだめでという話をしたら私の演劇観とか人生観を疑うのかと怒られてがちゃんと電話を切られてしまったんですね。
それからは人に褒められても肩の力が抜けるというか褒められれば褒められただけまたしっかり自分の思いようなんですね、私は融通が利かないですから。
思い込みが激しくて北林さんのことばとか先生のことばが1つになって今自分の中にあるんですけれども気を引き締めろと自分の役がこれでいいのかと常に自分に問えよと演劇の神様がこれでいいのかと先生はよく演劇の神様とおっしゃってましたけれどもなんか私は怖いように先生の指導のもとにこの音を出さなきゃとかこの足から出なきゃと思っていた時期もありましたね。
でも、それはすごくいいことではあったと。
宇野さんは73歳で亡くなりましたけれども宇野さんから、いろいろしかられたという年齢に近づいてきましたけれども今、自分がその年齢に近づいていちばん何を感じられますか?やっぱり、大変な教えとすてきな方々に恵まれてしかし、やっとなんか人生が楽になったというか自分の足で考え自分の頭で考えるようになってきたのが50過ぎてからでしょうかね先生が亡くなられて何年か、本当に師事を仰ぐ人がいなくなって周りの先輩や若い演出家や同世代の演出家とやっていくうちに自分で試行錯誤する遅すぎるんですけれどもそういうふうになってきたのかな。
でも、それは宇野先生の教えというのは脈々とありますが、しかしそろそろ先生と同じくらいの年になりつつありますのでやっとこの15年、16年はできても、できなくても自分で楽しくやれるようになってきたのかな。
まだまだ聞きたいんですが時間が許しません。
本当にありがとうございました。
また、改めて。
ありがとうございます。
出田⇒「人生ドラマチック」樫山文枝さんでした。
山本⇒続いては出田アナウンサーの旅です。
2月に私は何度も出田アナウンサーは出張中と申し上げましたが実はある番組の旅に出ておりました。
出田⇒4月から始まりますBSプレミアムで放送します「世界で一番美しい瞬間
(とき)」という番組の取材で海外に行っていました。
イタリアのシチリアとオーストリアのウィーンに行ってまいりました。
山本⇒インターナショナルです。
日本ではありません。
出田⇒その旅の模様を一足早く皆さんにお届けします。
私が、まず訪れたのはイタリア・シチリア島。
島に春の訪れを告げるアーモンドの花とその花に思いを寄せる人たちに出会います。
アーモンド畑の中にある小さな民宿にやってきました。
わあ、かわいい。
絵本に出てくるおうちみたい。
民宿を営むマッテオさんとアウローラさんです。
夫婦そろって北イタリアの出身。
観光でシチリアを訪れた際アーモンドに魅せられ一大決心。
7年前この地に移住してきました。
雪が降り積もる場所で育った2人にとって南国で農業を始めることは全く未知の体験でした。
地元の人たちの助けを借りて大切に育ててきた農園。
自家製ワインをいただくことに。
ボーノ。
お二人の愛がたくさん詰まっているんですね。
山本⇒あれれれ。
出田⇒訳してもらえると思ったんですけれどもね。
次に訪ねたのは古くからアーモンドを育ててきた農家です。
まさにイタリアのマンマアンジェラさん。
自家製のアーモンドミルクのリゾットを作ってくれました。
一家は10人の大家族。
次は新婚旅行で来ます。
山本⇒本当?出田⇒頑張ります。
咲き誇るアーモンドの花の香りが人々を優しく包み込んでいました。
続いての旅はオーストリア・ウィーン。
ウィーンのオペラ座を舞台に1年に一度だけ繰り広げられる舞踏会、オーパンバル。
そのオープニングを飾るのは社交界デビューを果たす少女たち。
大人の女性として認められるいちばん美しいときです。
古くからハプスブルク帝国の都として栄えたウィーン。
中心部は世界遺産にも登録されていてかつてのたたずまいを残しています。
パリ、ミラノと並び世界三大オペラ座の1つに数えられるウィーン国立歌劇場。
その中で、本番に向けたある準備が進められていました。
彼らは17歳から24歳の若者たち。
オーパンバルで社交界デビューを果たすデビュタントと呼ばれる男女です。
毎年、厳しい審査を通過した150組300人だけが選ばれる狭き門です。
舞踏会に出るということはデビュタントの人たちにとってはどんな意味があるんですか?私も17歳のころの思いをもう一度と思って一緒に踊ってみたんですが。
山本⇒ステップがちょっと子どもっぽいですね。
出田⇒てれがありました。
ことし、デビュタントに選ばれた1人の女性に会いに行きました。
アンナ・シュテュリュンペルさん17歳。
放課後、毎日ダンスの練習を積んで審査に合格。
夢の舞台に立つことになりました。
オーパンバルで社交界デビューを果たすことは家族にとっても誇らしいことといいます。
オーパンバル当日。
オペラ座の正面には、一面レッドカーペットが敷き詰められ華やかな装いの紳士淑女たちであふれかえっています。
私も、アンナのデビューを見届けるために参加しました。
山本⇒なかなかいいじゃないですか。
出田⇒ありがとうございます。
そして、控え室でそのときが来るのを待つデビュタントたち。
少女から大人へ…。
一生に一度のいちばん美しいときが始まります。
山本⇒終わりなの。
出田⇒この後は放送で。
山本⇒こういう世界もあるんですね。
出田⇒夢みたいな世界でした。
「世界で一番美しい瞬間」4月からBSプレミアムで始まります。
ぜひご覧ください。
毎週木曜日の夜9時からです。
山本⇒出田アナウンサーの番組でした。
「毎日食べた〜い絶品!まかない飯」です。
出田⇒きょうは野菜の甘みをそのまま味わえる、お鍋1つで簡単に作れるフランス料理のまかないです。
まかない飯。
それは料理人が自分たちのために作る一皿。
そこには家庭でもすぐに使えるプロの技が詰まっています。
若者の街、東京・渋谷。
にぎやかな繁華街を抜けると通りの一角にたたずむ小さなビストロがあります。
去年5月にオープンしたばかりのカフェのような雰囲気漂うフランス料理店です。
オーナーシェフは…いらっしゃいませ。
野菜が大好きな堀岡徹也さん。
ホテルの料理長を務めた後フランスで修行をし念願だった自分のお店を開きました。
堀岡シェフはみずから畑に出向いて野菜を収穫しているんです。
無農薬、無肥料に徹底的にこだわっています。
これなんかも、いつもこうやって食べているんですよ。
看板メニューは、シェフみずから収穫した自慢の野菜をたっぷり味わえるバーニャカウダ。
黄色いかぶや京にんじんなど珍しい野菜がてんこ盛り。
自家製のからすみで作った特製ソースをたっぷりつけていただきます。
堀岡シェフ。
きょうのまかない、何ですか?きょうのまかないは鶏肉と白菜と大根のブレゼです。
奥様、ブレゼとは蒸し焼きにするっていう意味です。
野菜は、白菜と大根を使います。
あとは、鶏のもも肉だけ。
少ない材料で手軽に作れるのがポイントです。
野菜は蒸すと小さくなるのですべて大きめに切り分けます。
白菜の芯は、断面が斜めになるよう包丁を入れるのがポイントです。
大きめに切った鶏肉に塩、こしょうでしっかり味付けをします。
バターを敷いた鍋に、大根を入れ溶かしたチキンブイヨンとローリエを加えます。
弱火で5分ほど蒸し焼きにすると大根から水分が出てぐつぐつしてきます。
そこに白菜の芯を加えふたをして置いておきます。
この間に鶏肉の下準備。
皮だけをしっかり焼くことで蒸したとき身がふっくら仕上がるんです。
最後に、白菜の葉の部分を入れ鶏肉の皮目を上にして敷き詰めます。
これで弱火で10分蒸し焼きにし火を止めて10分ほどそのまま置くと味がなじんで食べ頃に!バターの甘い香りでいっぱい!野菜のうまみたっぷりのスープをかけて完成です。
ジューシーな鶏肉と野菜の甘さが絶妙なとっておきのまかないです。
いただきます!皆さん、お味はいかがですか?堀岡シェフにとってのまかないとは?うまいものを食べる。
料理人は絶対にうまいものを食べなきゃいといけないと思ってます。
それで、本物の食材だったり本物の味を見極める力を養えると思っています。
それが僕にとっての大事なまかない飯です。
山本⇒地震の情報です。
午後5時50分ごろ九州地方で地震がありました。
奄美北部で震度3を記録しています。
津波のありなしについては気象庁で調べています。
出田⇒「人生ドラマチック」に樫山文枝さんをお迎えしてお送りしてきました。
皆さんからファックスやメールをいただいています。
40代の徳島県の方からです。
樫山文枝さんの「おはなはん」。
私は歌しか記憶がないんですが当時のお写真と現在が、あまりお変わりないのでびっくりしています、若さの秘けつを教えてください。
樫山⇒そんなことないと思うんですけれども一生懸命、毎日悲しいことにも苦しいことにも負けないぞ、吹っ飛ばせってやっています。
自分の気分転換を。
山本⇒気分転換ね、なるほど。
出田⇒樫山文枝さんをテレビ画面に見つけて見入っています。
テレビ小説といえば樫山さん演じる「おはなはん」。
宇野重吉さんは亡くなる前に芝居に取り組む師弟の姿に鬼気迫るもの感じてらっしゃいました。
これからもテレビの前の私たちを楽しませてください。
「おはなはん」大好きであんなに新鮮で温かいテレビ小説は生涯忘れません。
長女が生まれたときでしたがこれだけは見ていました。
そして私は70歳の主婦です。
子どものころ毎日楽しみにしていました。
実は私の母は、はなという名前で、近所の人からはおはなはんと呼ばれていました。
とても人気ものでした。
山本⇒樫山さんが春が来るのを忘れて毎日励んだ稽古ですがその舞台がまもなくですね。
4月12日から24日まで新宿のサザンシアターというところでさのようこ原作こいけみちおさんの脚本で「シズコさん」という舞台をやります。
その佐野洋子演じなければならなくて大変なんです。
娘さんですかね。
そうなんです。
エッセイストとしても有名な佐野洋子さんの「100万回生きた猫」とか童話をおかきになった方の半世紀みたいなもので後半のお母様との確執お母様とすごく仲が悪かったって自分で思っていらっしゃるのね。
そのお母様との確執と和解と許しと、すごくおもしろいです。
ぜひ舞台で実際に見たほうがいいですね。
ぜひぜひ。
エスプリが効いていい舞台だと思います。
あすの内容です。
歌手の松崎しげるさんがカメラ片手に全国を旅する「トリタビ」。
京都、丹後、青森、沖縄、香川そして熊本。
行き当たりばったりのぶらり旅です。
2014/03/26(水) 17:10〜18:00
NHK総合1・神戸
ゆうどきネットワーク▽舞台俳優・樫山文枝さんに、これまでの人生について伺う。[字]

舞台俳優として活躍する樫山文枝さんに、朝ドラ「おはなはん」の制作秘話や人生の師と仰ぐ故・宇野重吉さんとのエピソードなど、これまでの人生について伺う。

詳細情報
番組内容
【キャスター】山本哲也,出田奈々
出演者
【キャスター】山本哲也,出田奈々

ジャンル :
ニュース/報道 – 定時・総合
情報/ワイドショー – 暮らし・住まい
情報/ワイドショー – グルメ・料理

映像 : 1080i(1125i)、アスペクト比16:9 パンベクトルなし
音声 : 2/0モード(ステレオ)
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