先人たちの底力 知恵泉(ちえいず)無駄なものにヒントあり ▽平賀源内・後編 2014.03.11

今宵も店を開ける時間となりました。
「知恵泉」でのひとときをお楽しみ下さい。
今日のテーマは…お薦めはこちら…江戸時代半ばに出現した大天才です。
源内といえばエレキテル。
静電気を発生させる装置で人々を驚がくさせました。
しかし多芸多才の源内にとってエレキテルはほんの一部。
実は源内あらゆる分野でイノベーションを起こし「江戸のレオナルド・ダ・ビンチ」とも呼ばれています。
例えばこちらは歩数計。
西洋の知識がまだあまり入ってこなかった時代なんと源内は独自の工夫で完成させてしまいます。
また浮世絵の世界でも革命を起こします。
もともと浮世絵は単色で刷るのが主流でした。
源内はある工夫でカラフルな色使いを成功させます。
やがて浮世絵は西洋の画家にも大きな影響を与える芸術へと発展しました。
源内は鉱山開発にも興味を持ちます。
山を歩き回り鉱脈を発見して大金持ちに!…なんて事はなくあえなく失敗!しかしこれがあの「解体新書」の成功に結び付くのです。
そこに関わっているのが源内が描いたというこの西洋画。
一体どういう事?失敗をものともせずさまざまな事に挑戦し新しいものを生み出した源内。
今回源内の知恵を読み解くのは老舗製薬会社の社長…会社の創業は明治26年。
主力商品はこの銀色の粒。
生薬を銀箔で包んだ口臭予防製品です。
駒村さんが社長に就任したのは7年前。
当時会社は主力製品の売り上げが不振で30億円もの赤字を計上していました。
そこで立て直しを任されたのが商社マンとして海外に長く赴任し現地企業の業績を回復させてきた駒村さんでした。
社長となった駒村さんは改めて会社が長年培ってきたものを包むという技術に注目します。
それまで医薬品や食品を包んだ商品しか作ってきませんでしたが駒村さんは異分野に目を向けます。
その結果生み出された一つがこのカプセル。
なんと液体の中からレアメタルだけを回収します。
カプセルの中にレアメタルを吸収する微生物が包まれているのです。
こうした新技術によって会社の業績はV字回復。
世界各国からも注目され取引先は150社に上ります。
イノベーションで会社の立て直しに成功した駒村さん。
平賀源内の知恵をどう読み解くのでしょうか?今週も先週に引き続きまして平賀源内の知恵こちら「イノベーションを起こせ!」です。
先週はたっぷりと源内の知恵味わって頂きましたけれども浜谷さんいかがでしたか?イライラを原動力にイノベーションを起こす何かこういうのは勝手に親近感が湧いてきます。
イライラされてますもんね。
イライラをぶつける自分の内なる声を出すというのをモチベーションにして。
駒村さんはイノベーションを起こされる方としてどういう行動共感しました?あれだけ数多くのイノベーションやって自分もそのつもりでやってますがそういう人材欲しいですね。
いないかなと思って一生懸命もう一回探します。
(芳賀)源内みたいな人材ね。
そういう人。
こうやって湧き出るアイデア源内は一人で考えていったんですか?源内の周りは「源内さんというのはとても面白い。
まさに『知恵泉』だ。
知恵が湧き出る泉だ」というので江戸で有名で人気高いんですよ。
いろんな人がイノベーション欲しいような人が源内さんのうちに小さなうちだけど神田白壁町の。
そこにやって来て「源内先生これうまくいかないんだけどどうすりゃいいでしょう?」。
「あれが売れないんだけどどうやったら売れるでしょう?」と。
いわゆるサロンみたいな形でみんなが集まっていた。
友達とか多かったんでしょうね。
それから弟子入りする人ね。
実は源内もまさにその辺りの生活からイノベーションの知恵というのを導き出してたんですよね。
こちらをご覧頂きましょう。
毎年2月10日秋田県仙北市で江戸時代から続く祭りが開かれます。
この祭り源内が秋田を訪れた際暖かい空気が上に上る事を利用し冬の遊びとして子供たちに教えたのがきっかけだと言われています。
源内にとって人を楽しませたいという気持ちはイノベーションの重要なきっかけでした。
そんな源内浮世絵の世界で大きな革命を起こします。
カラフルな多色刷りです。
実はそれまでの浮世絵は黒や赤などの単色で刷られる事が主流だったのです。
話の始まりは源内が江戸・神田白壁町に住んでいた37歳の頃。
源内の自宅は職人から武士までさまざまな身分の人が集う異分野交流の場になっていました。
源内があらゆる事に興味を持って手を出しているうちに自然と一芸に秀でた人たちが集まるようになったのです。
彼らが夢中になった遊びがありました。
それぞれが工夫を凝らした暦を作り見せ合って品評するというものでした。
現在の暦ではひとつきの日数はその月ごとに決まっています。
例えば3月は31日4月は30日あり毎年変わる事がありません。
しかし江戸時代の暦は太陰太陽暦。
そのため何月が大の月で何月が小の月かを毎年暦ではっきりと示さないと不便だったのです。
しかし単に数字と文字を書いた暦では面白みがありません。
そこで人々は趣向を凝らし一枚の絵の中で大の月と小の月をいかにうまく示せるかを競い合いました。
「絵暦」と呼ばれました。
例えばこちらの絵暦。
「大」と描かれた紋付きを着た商人がそろばんに弾いた玉は…これがその年の大の月だという事を表しています。
こちらはえびすの衣服の中に大の月が隠れています。
そして釣られた魚には小の月が描き込まれています。
こうした遊びを楽しんでいた源内。
人々をもっと面白がらせる絵暦を作りたいと思い立ちます。
同じ事を考えていたのが絵師の鈴木春信でした。
2人は絵暦をカラフルにすれば皆が驚くに違いないと相談し合います。
当時絵暦は浮世絵と同様少ない数の色でしか刷る事ができず地味だったのです。
それは版木に理由がありました。
一枚の版木では一つの色しか刷る事ができません。
色を変えたい部分があれば新たな版木を作り次々と刷り重ねるしかありませんでした。
しかし版木の数が増えればズレが生じやすくなります。
誰もが多色刷りを諦めていました。
それを解決したのが源内でした。
源内は版木の角に「見当」という切れ込みを入れました。
使用する全ての版木の同じ位置に見当をつけそこに紙を合わせればずれる事はないのです。
ちょっとした工夫で地味だった浮世絵が一気に華やかなものに変身しました。
多色刷りの浮世絵に源内が「吾妻錦絵」と名前を付けて売り出すとたちまち大ヒット。
その後多色刷りは浮世絵のスタンダードとなり広重や北斎という天才絵師の登場もあってヨーロッパの画家たちに影響を与えるほどの芸術に成長します。
アートの世界に新風を巻き起こした源内。
そのイノベーションは人を楽しませたいという気持ちから生まれたのでした。
なるほど〜。
浮世絵にも関係してたんですね源内は。
VTRにあった「見当」。
今「見当をつける」っていう言葉あるけどまさか?あんまり確かじゃありませんけど多分「見当をつける」はそうです。
先生がいつになく弱気に…。
いやぁそこまでは分からない。
でも見当はつくわね。
うまいうまい!これダジャレね。
駒村さんは新しいものを生み出す時異分野での交流はとても大事だとおっしゃってるそうですが…。
やっぱり固まっちゃうんですよ。
自分は科学屋でねもの作ってる。
じゃそうじゃない実際サービス業とかメディアもそうですねそこからどう物事を見てるかというとやっぱり違うんです見解というのがね。
そこを知るというのはものすごく自分の頭柔らかくする意味でも大事かなと。
自分で探しても見つからない種が向こう側から自然に寄ってくるというんですか?降りてくる落ちてくるという意味でも交流ってすごく大事だというね。
我々はやっぱりものを考える時にどうしてもせいぜい2〜3本のラインで考えてる。
それが他の人と触れると枠から抜け出る事ができますよね。
それからこっち帰ってきても小さい規模から大きい規模まで交流会をやるんですけどこれ実は目的ないんです。
要するに商売のためにしようという意識では集まらない。
ただちょっと楽しもうよと。
目的なし無目的だと何がいいんですか?何だかんだ言っても楽しくて。
「目的なし」って言うとですね結構みんなとんでもない事言いだしたりするんですよ。
自分のジャンルじゃないんだけど。
これでもうけるためとかこういうビジネスをやるためとかそれ考えちゃったら多分ぎくしゃくしちゃって自由な発想ができなくなるお互いに。
芸人さんの中でも「何々会」とか言って例えば上島竜兵さんの「竜兵会」とか。
あれがね意外と重要なんですよ。
あそこから出てくるネタっていうのはね意外と舞台に持っていっても通用するというか本人たちが心底楽しいと思ってやってるんでそこの中で変な邪念がないんですよ。
ウケようとか笑わせてやろうという邪念がないので。
そこで生まれたネタっていうのは意外とみんな笑ってくれますよ。
仕事にも結び付く?
(浜谷)はい。
大事なのは源内はすごく人を楽しませるのが好きな人だった。
源内は絶対笑いながらやってましたもんあの会議をね。
楽しくてしょうがないって感じかもしれないですね。
楽しませたい驚かせたいというサービス精神みたいなのというのは…。
目立ちたい。
人とは違う。
そういう事を見せたいという意識。
ある種功名心ですか。
功名心って一見マイナスなイメージがあるじゃないですか。
それがイノベーションにつながる?人がやってる事と同じ事やってたら目立ちませんよね。
それから利もついてこない。
そうするとやっぱり違う事をやる。
何かその動機でやってる感じもありますけど。
全然否定される事ではないですよね。
源内は数々のイノベーションを起こしていくんですけれどももちろんそこは山あり谷ありで失敗の連続でもあったわけです。
源内は鉱山開発にも興味を持ちます。
まず向かったのは武蔵国秩父でした。
山に入った源内は程なく鉄鉱石を発見。
木炭を大量に買い集め日本初の高炉を造って製鉄に挑戦します。
しかし木炭では鉱石を溶かすほどの高温が得られずあえなく失敗。
残ったのは借金と山のように積まれた木炭だけでした。
しかしここでへこまないのが源内。
源内は木炭を川で江戸に運び販売する事を思いつきます。
この事業は見事大成功し大量の木炭を売りさばく事ができました。
源内が開いたこのルートは明治に鉄道が開業するまで秩父と江戸を結ぶ貴重な流通路として利用されます。
鉱山開発失敗から生まれた副産物でした。
源内は秋田でも鉱山開発を進めました。
秋田藩から依頼されたのです。
自信満々で取りかかったものの結局銀をうまく製錬できずこちらも失敗してしまいます。
ところがこの秋田滞在がまた思わぬ副産物を生み出します。
源内に絵を習いたいとやって来たのです。
実は源内長崎で遠近法や陰影法などの西洋画の技法を学んでいたのです。
これが源内の描いた油絵。
女性の肌の質感や髪のボリュームなど日本画と違って立体的な描写がされています。
それにしても初めて油絵を描いたとは思えない出来。
直武は源内に弟子入り。
江戸に戻る源内を追いかけてくるほど西洋画に心酔します。
源内のもとに友人で医者の杉田玄白が訪ねてきました。
玄白はオランダの医学書の翻訳を進めていました。
その挿絵について相談に来たのです。
それまでの漢方の医学書に描かれている挿絵は平板で不正確なものでした。
玄白はもっと写実的な解剖図を載せたいと考え絵師を探していたのです。
そこで源内が推薦したのが弟子の直武でした。
僅か数か月で西洋画の技法をマスターしていた直武。
玄白の「解体新書」の挿絵を担当します。
安永3年「解体新書」が刊行されると内容はもちろん直武の写実的な解剖図も大評判となります。
西洋画の技法で描かれたリアルな人体は蘭学の普及に大きな役割を果たしました。
鉱山開発の失敗から始まった直武との出会い。
そして「解体新書」の成功。
源内は数々の失敗にめげずその副産物に目を向けた事で大きな成果を生み出したのです。
実は源内が長崎で描いたあの西洋画これもまたある失敗の副産物でした。
源内はそのころ幕府から依頼されオランダの本草学の書物の翻訳に取りかかっていました。
しかし忍耐を要する語学に向かなかった源内。
結局1ページも訳せず失敗し代わりに学んだのが西洋画の技法だったのです。
失敗こそ成功の始まり。
源内は友人に宛てた手紙にこう書いています。
「何事も初めは失敗するものだ。
いくつも失敗をしているうちに道は開けてくる。
だから何も試みず待っているのは愚か者のする事である」。
これは安心しましたね。
源内も失敗してるんですね。
何か新しい事やってみたいという気持ちの方が強いわけですね。
いろんな事に手を染めてもう失敗の繰り返し。
源内は成功した方が少ないんでね。
失敗が8でうまくいったのは2ぐらいの割合じゃないでしょうかね。
その源内の言葉「いくつも失敗するうちに道が開けてくる」という言葉ありましたが駒村さんはこういう言葉どういうふうに捉えてます?まあ失敗付き物でね絶対失敗しないようには無理だと思うので…うまくいってるものをそのまま走らせながら今度はまた新たな種をね。
成功してるものもいつかは駄目になるっていうそういう前提で種を常に補充していくという事ですね。
失敗した時はどういうふうに?ほんとにどうにもならない分は捨てますけどひょっとしてこれ環境変わると生きてくるかなと。
それで進めてみるとうまくいく可能性もあるんじゃないかと。
それは解凍してって事は当時と変わってないまんま…。
だから時代背景とか環境で受け入れられなかったけど周りが変わってる事によってこれがOKになるっていうね。
結構あるんですよそういうケースが。
ほんとに使い物にならないものは捨てますけどただいけそうだなってものはそう簡単に手放すなと。
じゃあ一発ギャグもスベっても冷凍しておいた方がいいですね。
それはどうだか分からないですよ。
凍りついちゃいますか。
お客さん凍りついちゃう。
駒村さんのイノベーションを起こすための極意。
手の届きそうだけどちょっと届かないけど思い切って…失敗を恐れてチャレンジしないというのはよくないですよね。
全部そこに立ち止まっちゃってるという意味なんでね。
何も前進がない進歩がない。
これではよくないと思います。
勉強になるようなお話をたくさん頂きましてありがとうございました。
終わりですか?先週も言いましたけどおつまみ何か出して頂かないと居酒屋なんで。
そう思って用意はしたんですよ。
用意してあるの?出しなさいよ。
まあ浜谷さんだったらいいか。
平賀源内が広めたと言われるカボチャを煮つけてみたんですけど。
(浜谷)ちょっともうグチャグチャじゃない!煮込みを失敗したって事ですか?そうなりますね。
ほれ!源内先生を見習って失敗したならスープにするとかね。
文句が多いから…いやいいですよ。
食べるよ。
食べますよ。
味はいいんでしょ?味は自信あります。
おいしい。
おいしいでしょ。
皆さんの分も用意したので。
おいしいですよ。
これは異分野交流ですよ。
こういう料理も食べて何かヒントになるかもしれないですよ。
(駒村)冗談じゃなくておいしいわこれ。
やろうかな?そういう…。
先生私もいっちょうがみさせてもらっていいですか?これぞ異業種交流。
「知恵泉」プロデュースでちょっとタッグ組みましょうか?意外と好評でびっくりした。
2014/03/11(火) 23:00〜23:25
NHKEテレ1大阪
先人たちの底力 知恵泉(ちえいず)無駄なものにヒントあり ▽平賀源内・後編[解][字]

スーパー発想力で、江戸時代、新しいものを次々と作り出した平賀源内。実は、失敗も多かった。しかし、それが意外な副産物を生み出していく。源内の豊かな発想の源とは?

詳細情報
番組内容
江戸の大天才・平賀源内。とてつもない発想力で、エレキテルを始め、新しいものを次々と生みだした。未知の分野に挑戦することが大好きだった源内は、江戸時代にあって、すでに油絵もマスターしていた。そんな源内、実は失敗も多かった。張り切って始めた鉱山開発はあえなく失敗。忍耐を要求されるオランダ語の翻訳も、我慢ができず失敗。しかしそれらが、思わぬ果実を生んでいく。あらゆる分野で革新を起こした源内の発想力とは?
出演者
【出演】静岡県立美術館館長…芳賀徹,森下仁丹(株)社長…駒村純一,浜谷健司,【司会】井上二郎

ジャンル :
ドキュメンタリー/教養 – 歴史・紀行

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音声 : 2/0モード(ステレオ)
日本語
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日本語(解説)
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