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●折り鶴と世界平和●
1945年8月6日、2才の時に広島で被爆した佐々木禎子さんは、小学校6年生になった1954年、体の調子が悪くなってしまいます。彼女は「ツルを千羽折ったら願いがかなう」という言い伝えを信じて、「元気になりたい」という願いをこめて一生懸命鶴を折りつづけましたが、1955年10月25日12才で白血病によって亡くなりました。
そのことに大きなショックを受けた彼女の同級生たち(禎子さん同様被爆した子が多かったそうです)は、自分達に何ができるかを話し合い、「禎子さんのために何かしたい」「原爆なんかなくしてしまいたい」という気持ちから、禎子さんをはじめとする原爆の犠牲になった子どもたちみんなのための像を平和記念公園に作るための運動を始めました。1956年のことです。
その呼びかけに応えた全国の子供達の応援もあって、1957年1月、平和記念公園の中に「原爆の子の像」をたてることが正式に決まり、1958年のこどもの日、ついに像は完成しました。
禎子さんが短い生涯を閉じてから半世紀近く経ちましたが、今も「原爆の子の像」には世界中から手紙や千羽鶴が贈られて来ます。
禎子さんの物語はアメリカにも伝わり、2002年9月11日のニューヨークでも折り鶴という鎮魂と祈りの花を咲かせようとしています。
これはぼくらの叫びです
これは私たちの祈りです
世界に平和をきずくための
という原爆の子の像の前におかれた石碑に刻まれた想いは、受け継がれ、世界に広がりつあります。
【参考サイト】キッズ平和ステーション[ヒロシマ]
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