「GAIA」…それは息づく大きな生命体。
混沌の時代にも希望を見いだし再生を果たして未来へ向かう。
そこにきっと夜明けがやってくる。
宮城県の東部太平洋の沿岸に位置するこの場所で長年民宿を営んでいました。
沿岸部には家が密集していました。
その沿岸部に木村さんの民宿はありました。
ホタテなど地元の海産物を使った料理が評判でした。
しかし3年前の3月11日女川町は津波で甚大な被害を受けました。
町のおよそ7割の建物が失われたのです。
震災当日木村さんは病院に行っていて命は助かりました。
しかし民宿も住む家も失ったのです。
ねぇ民宿ね。
昔の思いそれこそ抜けないでいんだけどもなかなかね。
女川町の高台に建てられた仮設住宅。
木村さんは今ここで息子夫婦と暮らしています。
民宿を再開するめども立たず働く場を失った木村さん。
日中は部屋で一人過ごす日が増えていました。
こんにちは。
どうぞ。
いらっしゃい。
おじゃまします。
訪ねてきたのは女川出身の八木さんはこうした仮設住宅を回り高齢者の生活支援などを行っていました。
仮設住宅にこもる高齢者をなんとか元気づけたいという思いでした。
そのために八木さんが作ったのがこちら。
街道沿いに建つプレハブ小屋。
うみねこハウスといいます。
そこへお年寄りが荷物を抱えてやってきました。
こんにちは。
持ってきてくれたんだ。
ありがとう。
中には高齢者が大勢集まっていました。
八木さんはここに震災で失われた交流の場を新しく作っていたのです。
多くは震災で職を失った女川の人たちです。
八木さん単なる交流の場というだけではなく高齢者たちが収入を得られる場にもしようと考えていたのです。
彼女たちが布を編んで作っていたのは草履です。
同じ物が2つとない個性的なデザイン。
早い人なら1日で1足作ります。
草履の材料は使い古しのTシャツ。
全国の企業や個人から無償で提供されたものです。
これを有効活用しておばあちゃんたちの収入源にしようと考えたのです。
出来上がった草履は1足につき1,000円で八木さんが買い取ります。
布草履を作れば作るだけ収入になるのです。
30足を持ってきたこのおばあちゃん3万円を手にしました。
はいありがとうございます。
かえってありがとうございます。
更にうみねこハウスではこんなものも。
12の3。
女川名物さんまをかたどったさんまのたい焼き。
これもおばあちゃんたちの収入源。
防災のイベントが開かれていました。
その会場に八木さんの姿が。
店を出してあの布草履を販売していたのです。
価格は1足1,500円。
こうした出張販売を中心にこれまでおよそ2,500足を売り上げました。
布草履は観光ポスターに採用されるなど町の新しい顔にもなっています。
女川町の仮設住宅。
八木さんの活動をきっかけにこうした仮設住宅でも草履作りを始める人たちが増えています。
この部屋には6人のお年寄りが集まっていました。
そのなかに震災で民宿を失った木村敬子さんの姿も。
自分…作ってねお金になるからね。
そうそう。
この色とかさもらってって…。
ダメダメダメ。
(笑い声)あの日から3年。
今被災地に働く場を増やそうとさまざまな取り組みが始まっていました。
スタッフの9割が60歳以上。
被災地で生まれた元気な会社。
壊滅的な被害を受けたイチゴの産地。
そこからびっくりするようなイチゴが生まれていた。
仕掛けたのはこの人。
生きがいです。
被災地の高齢者の健康を守るお弁当。
そこに隠されていた秘密とは?3年前の今日2011年3月11日に発生した東日本大震災はここ東北を中心に甚大な被害をもたらしました。
3年が経ち被災地は現在どの程度復興してきているのでしょうか?まずは鉄道と道路です。
被害を受けた鉄道の89%が復旧。
そして道路は99%。
つまり被災前の状態にほぼ復旧しているといえます。
次に震災後大量に発生したがれきですがその91%はすでに処理が進んでいるそうです。
このようにインフラの面ではようやく復旧が進んできてるようですが問題は被災者の方々の生活です。
仮設住宅など自分の家ではない場所で暮らさなければいけない方の数は震災直後47万人でしたが現在でもおよそ27万人もいるといいます。
こうした方々の雇用は今どうなっているのでしょうか?現在の仕事と生活について聞いてみました。
(スタッフ)お仕事っていうのは就かれている状態なんですか?その引きこもりみたくなってしまうとやっぱりやたらああだこうだっていうこのあとどうなるんだろうとか。
お仕事はされてます?今回の経験で。
現在被災地の雇用は徐々に回復してきているといいますがそれでも水産加工業中心に職に就けていない方々がまだまだたくさんいるというのが現状のようです。
『ガイアの夜明け』今回はシリーズ復興への道第16章被災地に雇用を生み出すため新たな形の支援に取り組む人たちの姿を追いました。
宮城県のほぼ中央に位置する3年前の東日本大震災でこの町も大きな打撃を受けました。
働く場を失った人たちも多くいたのです。
去年12月塩竈市内に開設された職を求める特に働く場がないのが60歳以上のシニア層。
企業からの求人を見てみるとほとんどが60歳未満の働き手を求めています。
塩竈市内に去年3月に出来たここは小尾さんこの日仮設住宅に求人活動にやってきました。
掲示板に貼った募集広告にはこんな文字が。
シニア世代積極採用中いったいなぜなのか。
小尾さんもともと被災地の高齢者に働く場を提供したいという考えがあったのです。
小尾さんは神奈川県川崎市の出身で都内の被災地でボランティア活動に参加し健康を害する高齢者の姿を目の当たりにしました。
そこで高齢者専門の宅配弁当屋を開くことにしたのです。
現在店で働くスタッフは12人。
そのうちの9割が60歳以上のシニア。
当初の目的どおり高齢者を積極的に採用しました。
夫婦一緒に採用されました。
週に3回弁当の配達をしています。
おはようございます。
どうもありがとうございます。
高齢者が高齢者のために運ぶお弁当。
そこにはどんな工夫が隠されているのでしょうか。
現在調理場ではさつまいもが刻まれていました。
こちらでは更に細かく。
届ける高齢者のそれぞれの噛む力に合わせてこうして食材の大きさを変えているのです。
これは一人ひとりの健康状態に合わせて注意する点が細かく書き込まれています。
その表をもとに一つひとつ弁当をチェック。
更に…。
こうして注文者ごとにメニューの変更を行っています。
脱サラして店を始めたのがこの人自ら弁当の配達にも向かいます。
雪道の運転にも慣れました。
小尾さんがやって来たのは…。
失礼しますいつもどうもです。
なんだいおら顔も洗わねえで。
76歳の京野敏子さんのお宅です。
いつもありがとう。
いやいや。
独り暮らしの京野さん食生活はどうなっているのでしょうか?作らんから手あれでね。
心臓病で大きな手術をしました。
服用している薬との兼ね合いで食べられない食材があります。
担当のケアマネージャーの勧めで愛さんさん宅食の弁当を頼み始めました。
今のあれでないような味がしてね。
塩竈市内のアパート。
小尾さんの奥さん一緒に仕事を手伝っています。
このところ毎日一番に出勤してくるのは働き始めたばかりの三島さんはこうしてみんなで働くのは初めての経験です。
おかずを詰める仕事を任されました。
思い切って人の中に出るっていう今までは…。
三島さん震災後初めて新たな一歩を踏み出したのです。
この日の三島さんどこか元気がないようです。
えっ!?どうしたの?実は数日前食材のチェックミスが起きていたのです。
それはあれじゃないですか昨日話したとおりだから今日は箸持って全部ひっくり返して…。
三島さん責任を感じていたのです。
作ってる調理部門だしね。
そんなことないですよ。
だからやっぱりダブルで人間必ずミスするからダブルでいきましょう。
責任感の強い高齢者。
小尾さん働くことに少しずつ慣れていってくれればと考えていました。
お疲れさま。
お疲れさまでした。
はい。
私たちの年代になると何もないんですよね。
今ねもうね仕事が。
お疲れさまですありがとうございました。
気をつけて。
小尾さん被災地での雇用を更に広げる新たな一手に乗り出していました。
ここは石巻駅近くの空き店舗。
愛さんさん宅食の2号店をここにオープンさせようと考えていたのです。
一方壊滅的な被害を受けた宮城県のイチゴの産地。
しかし画期的な方法でよみがえっていました。
ここにも雇用の場が。
生きがいです。
東北にとって大切な産業だった漁業と農業。
その基盤となる漁港や農地はいったいどれくらい復旧しているのでしょうか?まず漁港はというとまだおよそ37%しか復旧していないそうです。
そして農地はおよそ63%が復旧。
つまり残りのおよそ40%の農地がいまだ元に戻っていないのです。
こちらは宮城県の沿岸部を地図にしたものです。
この辺りはもともと漁業だけではなく農業も盛んな地域でした。
例えば仙台市はお米。
名取市はチンゲン菜。
岩沼市はキュウリなどが特産品なのだそうです。
そしてこちらの亘理町から山元町にかけてはイチゴの産地として有名でした。
これは被災前この地域にあったイチゴ農園の写真です。
このようなイチゴ農園が震災前ここ山元町には129軒もありました。
しかしそのうちの125軒が津波に流されてしまいました。
あれから3年。
海水による塩害でいまだ再開できないイチゴ農家も数多くあるそうです。
そんなイチゴ農家を救おうとある若手経営者が新たな取り組みを始めていました。
これは震災の1か月後に撮影された山元町の映像です。
イチゴハウスは跡形もなくがれきに覆いつくされていました。
今年2月。
そこに佇む夫婦がいました。
ここは渡辺さん夫婦が43年間イチゴ栽培を続けてきた場所。
渡辺さんのハウスもまた自宅とともに津波で流されてしまいました。
震災前この辺りのイチゴ農園の多くは土耕栽培という土に直接苗を植える方法でイチゴを栽培していました。
しかし今なお山元町ではこうした看板が目立ちます。
農地の除塩。
大量の海水が押し寄せてしみ込んだ土では作物は育ちません。
そのため水を何度も張って塩分の濃度を下げる作業が続いているのです。
そうですね。
この一帯で農業を再開するにはあと2年はかかるといいます。
渡辺さん夫婦は貯金をはたいて内陸部に家を建てました。
生計は2人合わせて月12万円になる年金で主に賄っていました。
紀美子さんがあるものを…。
かつての自宅とイチゴハウスの写真です。
しかし再び農園を始めるには資金がない上に農地も塩害で使いものになりません。
震災後紀美子さんは編み物などで時間を費やすことが増えました。
この山元町を何とかしたいと動き始めていた人がいました。
山元町の出身です。
祖父の三浦一男さんもかつてはイチゴ農園を営んでいました。
岩佐さんは24歳の時東京でパソコンの修理などを手がける会社をおこし経営者としての道を歩き始めます。
しかし震災後ふるさとを何度も訪れがれき処理などボランティア活動を続けるうちにある思いが強くなったといいます。
しぜんにそういう気持が強くなってきたっていうことです。
津波に流されずに済んだためここを活動拠点にしてイチゴ農場を復活させるための計画を練ってきました。
イチゴ栽培の最先端技術を持つオランダへも行きました。
海を埋め立てた土地でイチゴを育ててきた国です。
そして苺一会と名付けたイチゴ農場の再生プランを作成。
収穫量を増やす方法などを考え…。
それによって合わせて5億円の研究費がついたのです。
岩佐さんが作り出したイチゴは今東京の百貨店で高級品として売られていました。
被災地から生まれたブランドイチゴ。
その驚きの品質と値段。
果たしてどういうふうに作られどこがどう違うのか?震災で壊滅的被害を受けた岩佐大輝さんはここにイチゴ農場を復活させていました。
内陸に位置する広大な農地にひときわ目立つハウス。
岩佐さんのイチゴ農場です。
ここでは画期的な栽培方法でイチゴが作られていました。
ここでは地上90センチのところに作ったプランターに苗を植えています。
更に。
もうひとつ特徴としてはこれでいうと…ちょっと中見ましょうか。
土の代わりに価格が安いうえに保水能力が優れています。
岩佐さんの考えた仕組みはこうです。
地面から高いところに棚を組んで苗を植えそこに小さな穴の開いたチューブを通し水と肥料を混ぜた溶液を流していきます。
吸収されなかった水は何度でも再利用できるため使用する水の量は少なくて済むといいます。
更に驚きの技術が。
空が暗くなり寒くなると…。
無人のハウスに電気がつきました。
また天井のカーテンが閉まりはじめます。
同時に床からは温かい風が流れハウス内を暖めイチゴの栽培にとってよい環境が作れるといいます。
これらはオフィスにあるコンピューターによってすべて制御されています。
こうした最新技術を使えば高品質なイチゴを安定的に一年中生産できるのです。
また山元町のイチゴをブランド化し大々的に売り出していく計画です。
現在自らイチゴの収穫時間になると…。
続々と従業員たちが農場に集まってきました。
そこにやってきた1台の軽トラック。
降りてきたのは…。
おはようございます。
おはようございます。
あの被災したイチゴ農家の…。
GRAのパート社員として働き始めていました。
早速収穫に取りかかります。
これまでの栽培方法との違いを実感していました。
腰がこういう形でしょ。
働く人にも優しい栽培方法。
これならまだまだ続けていけそうです。
あの日から…。
岩佐さんの農場にはおよそ30人の被災者が働いています。
昼過ぎ渡辺さんの妻紀美子さんもやってきました。
ここは出荷前のイチゴの選別作業場。
紀美子さんも長年の経験が買われここで働いています。
43年間イチゴ農家でした。
扱いはお手のもの。
夫婦揃っての再就職。
1日数時間働き収入は2人で月におよそ16万円ほど。
最高の幸せです。
そのGRAのイチゴは都内の百貨店などで販売されています。
生鮮売り場の一角を見てみるとありました。
MIGAKI−ICHIGOというブランド名で価格はなんと1粒735円のものも。
びっくりするほど高い値段ですが次々と客が手に取り買っていきます。
イチゴは不思議と財布の紐を緩めるようです。
本当においしいのか切って糖度計で測ってみると…。
14.3%。
一般的なイチゴの糖度は10%ほどだといいます。
3月上旬山梨県甲府盆地。
ワイン工場に岩佐さんの姿が。
大きな商談が始まろうとしていました。
笛吹市にあるワイナリーに岩佐さんの姿がありました。
実はここに去年からイチゴを使ったワインの製造を委託していたのです。
これが山元町のイチゴを使ったスパークリング・ワイン。
1本3675円ですが売れ行きがよく品切れの状態になっていたのです。
岩佐さんワインの増産を依頼しにきました。
はい。
ワインを増産するにはイチゴも増産する必要があります。
そうなれば岩佐さん更に雇用を拡大できると考えていました。
岩佐さんハウスの拡大に動いていました。
ここに9月には農場を作り従業員も増やす計画です。
もちろん建てるのは最新の技術が詰まったハウスです。
ふるさとの特産品を復活させるだけではなく世界的ブランドにして町に人を呼び戻したい。
夢は広がっていきます。
被災地のインフラは徐々に復旧してきているようです。
しかし何より大切なのは被災者の方々のやりがいや生きがいなど心の充実をどう図るかです。
働きたいと思ってる人たちがちゃんと仕事に就くことができているのか。
今後はそうした視点での支援がますます求められていくのではないでしょうか。
『ガイアの夜明け』ではこれからも復興への道のりを見つめ続けていきたいと思います。
2014/03/11(火) 22:00〜22:54
テレビ大阪1
ガイアの夜明け【「復興への道」第16章〜被災地に“働く場”を…】[字]
1粒700円以上の高級イチゴが大人気…生み出したのは壊滅的被害を受けた宮城県のイチゴの産地だった…▽スタッフの9割が60歳以上という弁当宅配会社が被災者の雇用を救う
詳細情報
番組内容
未曾有の大災害となった東日本大震災から、3年。さまざまな支援・救援が行われたが、被災地の漁業・農業の復活はまだまだである。職を失った人たちは、ガレキの処理などに従事してきたが、それももう打ち切られるところが増えている。被災者が職を持ち、自立していかなければ、真の被災地の復興にはつながらない。そこで、斬新なアイデアで被災地に雇用を生み出そうとする人たちの取り組みを追った。
出演者
【案内人】江口洋介
【ナレーター】蟹江敬三
音楽
【音楽】新井誠志
【テーマ曲】オープニング曲「鼓動〜ガイアの夜明け」(作曲/岸利至)/エンディング曲「夜空の花」(作曲/新井誠志)
「ガイア」とは
ギリシャ神話に登場する「大地の女神」を意味し、後にノーベル賞作家のウイリアム・ゴールディングが「地球」を指して“ガイア”と呼んだことから「ガイア=地球」という解釈が定着している。「ガイアの夜明け」という番組タイトルには、地球規模で経済事象を捉えることで21世紀の新たな日本像を模索すること、そして低迷する経済状況からの再生=「夜明け」を目指す現在の日本を描くという意味合いが込められている。
関連情報
◆ホームページ
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◆公式Twitter
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