NHKニュース7 ▽東日本大震災から3年 2014.03.11

平成23年3月12日の新聞です。
3年前のきょう、3月11日に起きた巨大地震を伝えています。
配達されることなく、今も新聞販売店の中に詰まれたままです。
私がいるのは、福島県の浪江町です。
原則として、午後4時以降立ち入ることはできないんですが、きょうは町の許可を得まして、この時間、お伝えしています。
新聞販売店の人たちは、12日の早朝、原発の危険を知らせる防災無線を聞いて、新聞を残したまま、避難したということです。
浪江町は全域が避難区域です。
今も町の外ですべての住民が避難生活を送っています。
東京電力福島第一原子力発電所からは、私のいるこの町の中心部は、8キロほどの所にあります。
人がいなくなった町では、ご覧のように、地震で崩れた建物の壁も片づけられることなく、そのまま放置されています。
あの日から3年。
時間が止まったかのように感じられます。
巨大地震と大津波、そして福島第一原発の事故。
あの日から、きょうで3年です。
ニュース7、きょうは番組を1時間に拡大してお伝えします。
東日本大震災では、多くの命が奪われました。
いわゆる震災関連死を含めますと、2万人以上に上ります。
大切な人たちへ。
各地で祈りがささげられました。
3年前のきょう。
違う姿を見せた海。
2時46分。
亡くなった人を思い、手を合わせました。
児童70人が死亡、4人が行方不明になっている大川小学校でも、祈りがささげられました。
黙とう。
原発事故の影響は続いています。
仮設校舎で学ぶ子どもたち。
海に向かって黙とうしました。
東京都内の集合住宅です。
原発事故の影響で、福島県の住民を中心に、今も1000人余りが避難生活を送っています。
政府主催の追悼式には、天皇皇后両陛下、安倍総理大臣、遺族の代表らおよそ1200人が出席しました。
黙とう。
取れたてのキャベツやナス。
長崎県佐世保市のグループです。
震災が起きた年の秋から、毎週、宮城県の仮設住宅に、地元の野菜を送り続けています。
きょうも直売所で買った野菜を箱詰めして発送しました。
和歌山県印南町です。
津波が来るぞ!
児童が高台に駆け上がる避難訓練に取り組みました。
南海トラフの巨大地震では、最大15メートルの津波が想定されています。
あの日、津波や火災、原発事故などで大きな被害を受けた被災地。
その姿は、3年でどう変わったんでしょうか。
完全に水に取り囲まれています。
仙台市の沿岸部です。
家も田んぼも、津波に飲み込まれました。
なかなか進みません。
仙台市ではまだ、およそ2万人が仮設住宅で暮らしています。
宮城県気仙沼市の港は、火災にも見舞われました。
大きな漁船が、押し寄せられて乗り上げています。
まだ煙が上がる中に、第18共徳丸の姿がありました。
船は解体されましたが、にぎやかだった港町の姿は、戻っていません。
町の中心部がほぼ壊滅した岩手県陸前高田市。
保存処理が施され、松の姿は変わっていません。
しかし、周りの様子は大きく変わりました。
巨大なベルトコンベヤーです。
宅地を造成するため、山を切り崩して、土を運ぶのです。
造成が完了するのは5年後の予定です。
岩手県山田町では、特産のカキを養殖するいかだが大きな被害を受けました。
養殖いかだの数は、震災前の6割近くまで回復しています。
福島第一原発の事故で、人が住めなくなった周辺の町はどうでしょうか。
無線操縦の小型ヘリコプターで、現在の状況を撮影しました。
住民全員が避難している大熊町です。
町の中心部です。
雪の上に、足跡がありました。
正体はイノシシ。
人の姿が消えた町を、わが物顔で歩いていました。
建物の2階にあるのは、船の残骸です。
津波の爪痕が今も残ります。
そして再び現在の浪江町です。
こちらはJR常磐線の浪江駅です。
震災前は一日1400人ほどが利用していた駅だということですが、駅は閉まったまま、電車が通ることもありません。
そしてこちらは、駅前と山間部とを結んでいた町営のバスです。
お年寄りや、通学の高校生たちが、よく利用していました。
こうして見ていると、今にも動きだしそうにも見えるんですが、人が乗ることはありません。
浪江町の住民2万人余りは、今も町で暮らすことができません。
和歌山県を除く46都道府県で、避難生活を続けています。
町で暮らせない理由は放射線です。
この場所の現在の放射線量を計測してみますと、1時間当たり0.8マイクロシーベルトほどあります。
ただ、この辺り、きょう、私歩いてみたんですが、2マイクロシーベルトを超える地域も場所によってはありました。
この放射線量を下げることが、町に戻るには欠かせません。
こちらをご覧ください。
その放射線量を下げるための除染、完了時期の見通しです。
この緑と黄色で示された地域は、当初は今月末に除染が完了している予定でした。
それが去年12月に計画が見直されました。
線で囲った地域は、2年から3年、除染の完了が遅れることになりました。
ここ、浪江町も、3年ほど、除染の完了のメドが延びました。
そしてこの赤で示した帰還困難区域、ここは、本格的な除染すら始まっていません。
町に戻れる見通しが遠のく中、もう町には戻らない、そう決めた人たちが、震災から3年になる今、増えています。
男性が見せたのは、自宅の部屋の写真です。
この日、茨城県内に避難している大熊町の住民たちが、交流サロンに集まりました。
次々に聞かれたのは、町に戻ることを諦めようとしている複雑な思いでした。
今もすべての住民が避難生活を強いられている大熊町。
国からは去年、除染の廃棄物を最長30年間保存する、中間貯蔵施設の建設を要請されました。
町に戻れる見通しが遠のく中、住民たちの多くが、戻らないことを決断し始めています。
サロンに参加した羽田野務さんも、そうした一人です。
羽田野さんは、ずっといつか大熊町の自宅に帰りたいと願っていました。
月1回の一時帰宅には必ず帰って、自宅の掃除を続けてきました。
しかし。
羽田野さんは茨城県内に新たに自宅を建てました。
町には戻らない。
悩んだ末に出した結論でした。
大事にしてきた車の福島ナンバーも、茨城県のものに変えました。
大熊町の自宅には、去年11月を最後に帰っていません。
アンケートでは、大熊町に戻らないと答えた人は67%に上っています。
ほかの自治体でも30%を超え、自治体は危機感を抱いています。
福島県から遠く離れた京都市。
ここに事務所を構えたのは浪江町です。
46の都道府県にばらばらに避難しているおよそ2万人の町民に、いつか町に戻ってもらいたいと開設しました。
2人の支援員が担当するのは、関西や中国地方などに暮らすおよそ60世帯150人です。
事故から3年、今、難しい対応を迫られています。
この日、岡山県に避難している住民たちの要望を受けて、倉敷市で交流サロンが開かれました。
ここでも、住民たちから聞かれたのは、町には戻らないという声でした。
ここからは浪江町の馬場有町長にお話を伺います。
よろしくお願いします。
こちらが、浪江町民の意向調査、最新の結果なんですけれども、町に戻りたいと答えた人が18.8%という数字でした。
この数字、町長どういうふうにお感じになってますか?
非常に残念ですね。
震災の年は60%戻りたいということだったんですけどね、この数字は、本当に残念だっていう考え方です。
そうですね、大変おつらい気持ちにもなるかと思うんですけれども、今、現状をどういうふうに受け止めていらっしゃいますか?
そうですね。
やっぱり若い方ね、特に戻らないという数値が出たんですが、やっぱり若い方が帰らないと、町の活性化というんですか、そういうものがない感じになりますよね。
少しでも多くの住民が安心して戻るために、必要になってくることって町長、どういうことだとお考えですか?
やっぱりまず医療機関、それから福祉サービス機関ですね、あるいは買い物する場所、そして欲を言えば、学校もね、再開できるような状況になれば、ある程度、形にはなるんじゃないかなというふうに思いますけどもね。
それから安定した働き口も必要ですよね。
もちろんそうですね。
就労の場。
ですから、今ちょっと光が、ちょっと出てるのは、農地を再開してみたいとか、あるいは事業を再開したいとかっていう、そういう方々がね、若干見えてきたんですね。
ですから、いわゆる起爆剤になってね、戻れるような状況、そういうような感覚が出てくれば、いいんじゃないかなと思いますけどね。
そういう人を少しでも増やすために、どんなことが必要ですかね?
そうですね、やっぱり事業の再開とかね、就労の場、そういうものも多くできるような環境になればいいなと思いますけどね。
町長。
東京のスタジオの武田と申します。
こちらからもひと言お伺いしたいと思います。
住民の皆さんが戻れるようになるまでは、並々ならぬ苦労があるかと思うんですけれども、そうした困難を乗り越えてもなお、浪江町を残したいというのは、どういう思いからなんでしょうか?
やっぱり復興計画作るときに、いわゆる小中学生の子どもさんからの作文を書いてもらったんです。
その作文がですね、浪江町に戻って、再生させたい、そして元気のある町に戻したいというような作文があって、もう本当に勇気づけられましたね。
そうした町の人たちの、やはりふるさとを思う思い、お感じになるわけですね。
そうですね。
やっぱり子どもたちに、われわれは大人の責任として、このふるさとを引き継いでいくという責任がありますので、ぜひこの子どもたちの夢をかなえてやりたいなというふうに思っております。
ありがとうございました。
ありがとうございました。
福島県浪江町からお伝えしました。
人口が減ることに苦しんでいる町は、福島県だけではありません。
震災前と先月の人口を比べてみますと、こちらの黄色で示した9つの市と町で、10%以上減っています。
中でも、岩手県の大槌町、宮城県の女川町、そして山元町では、20%以上も減りました。
復興が当初の計画よりも遅れていることから、震災から3年がたった今、もう待ちきれないと決断する人が相次いでいるんです。
住民の流出は、町の財政や復興計画にも、影響を及ぼしています。
人口減少率が20%を超えた山元町です。
町では、集団移転の計画を進めています。
計画では、内陸におよそ750世帯が住む3つの町を作ります。
早い所では、ことし9月ころから宅地の供給を始めるとしていました。
しかし、地権者との調整に手間取ったり、工事用の資材が不足したりして、計画はすでに半年遅れています。
津波で沿岸部にあった自宅を失った佐藤修一さんと、妻の嘉代子さんです。
震災から3年。
いまだ見えてこない町の復興の姿に、娘夫婦のいる仙台市に引っ越すことを決めました。
人口減少の原因の一つとなっている復興計画の遅れ。
災害公営住宅は、被災地全体で完成したのは3%にとどまっています。
被災地で続く人口減少は、こちら、生活に欠かせない水道に影響を与え始めています。
岩手県山田町では、人口が13%余り減少しました。
この結果、水道の料金収入は20%以上減少し、町は去年4月、水道料金を平均10%値上げしました。
値上げは、地域産業の復興にも影を落としています。
おととし7月に再建された工場です。
イカの加工を行っています。
1か月に使う水はおよそ300トン。
震災前と比べて、売り上げが4割程度までしか回復していない中、水道料金の値上げは痛手だといいます。
国の研究機関の推計では、山田町の人口はおよそ20年後、さらに30%程度減ると見られています。
こうした現実を踏まえ、人口減少率が最も高い宮城県女川町は、復興計画の大幅な見直しに踏み切りました。
当初、中心部の高台に520戸分の宅地を整備する予定でしたが、ほぼ半分に縮小することにしたのです。
少しでも住民たちをつなぎ止めておきたいと、新たな町の計画作りには若い世代に参加してもらって、その声を生かそうとしています。
人口の減少に歯止めがかからない中、どう復興を進めていくのか。
復興庁の谷副大臣は。
専門家は、東北全体の復興の在り方も含め、計画の抜本的な見直しが必要だとしています。
3、2、1、届け!
ここからは、命と向き合う被災地の姿をお伝えします。
避難生活が長引く中、体調の悪化などで亡くなる、いわゆる震災関連死は、今も増え続けています。
去年9月末の時点で、全国で少なくとも2916人。
1年間で新たに600人以上が亡くなりました。
中でも福島県では、関連死と認定された人は1671人に上り、津波や地震で亡くなった人の数を上回りました。
一方、遺体で見つかったものの、誰なのか分からない人が、今も100人近くいます。
時がたつにつれ、身元を特定することが難しくなってきています。
先月6日、震災の犠牲者が1人、家族のもとに帰りました。
これも一緒に合わせてね、お墓に入れていただければなと。
ベイサイド425。
男性は3年間、こう呼ばれていました。
当時80歳の男性と分かり、ようやく勝二さんという、本当の名前を取り戻しました。
宮城県警察本部は、専従の捜査班を作り、遺体の身元を特定を進めています。
しかし、時間がたつにつれ、身元の特定は難しくなっています。
その理由の一つに、県外から流れ着いた遺体が、多く含まれることがあります。
青森から千葉まで太平洋沿岸では、沖合や海岸で見つかり、身元が特定された死者のうち、ほかの県から流れ着いた可能性のある人は、少なくとも86人に上っています。
そして今も身元が分からない死者のうち、ほかの県から津波で流された可能性がある人は、少なくとも24人いるということです。
震災から発生から3年を前にした、先月21日。
岩手県警と共催で、初めて岩手県の人に、情報提供を呼びかける説明会を開きました。
推定年齢が50歳から60歳ぐらいと、短い髪で、白髪交じりと。
一人でも多く、そして一日でも早く、家族のもとに帰したい。
今、連携に向けて動き出しています。
一方、避難生活の中で亡くなる人が後を絶ちません。
今月初め、納骨式が行われました。
仮設住宅で1人暮らしだった、60代の女性の骨が納められました。
避難先を転々とするうちに、持病が悪化したといいます。
浪江町の寺の住職、青田敦郎さんです。
避難区域の寺に戻ってきては、亡くなった人たちを弔っています。
今、青田さんは避難先で体調を崩して亡くなる檀家が目立ってきたと感じています。
青田さんの檀家の1人で、埼玉県に避難している亀田和行さんです。
去年4月、父親の義勝さんを亡くしました。
避難先が3回変わった末のことでした。
父親の義勝さんの趣味は、浪江町の風景などを題材に、絵を描くことでした。
しかし、荒れ果てたふるさとの写真を見て、塞ぎ込むようになってしまいました。
ふるさとを離れ、避難生活の中で亡くなった父親。
亀田さんは無念だったのではないかと感じています。
多くの尊い命を奪った震災。
一方で、同じ日に新しい命を授かった人もいます。
あの日、被災した岩手、宮城、福島の3県では、110人を超える赤ちゃんが生まれていました。
あれから3年。
どんな思いできょうを迎えたんでしょうか。
3歳って。
3歳。
仙台市に住む大町左嘉絵さんと、息子の云櫻くん。
云櫻くんは3歳の誕生日を迎えました。
3年前のあの日。
停電で真っ暗になった病院。
云櫻くんはここで、地震から1時間15分後に産声を上げました。
暖房が切れ、凍える寒さの中、体温が下がらないように、保温シートに包まれました。
母親の左嘉絵さんは、その後、云櫻くんと共に退院。
そこで直面したのは、親しかった友人の死でした。
津波に巻き込まれて亡くなった友人は、生前、早く子どもが欲しいと話していました。
わが子の誕生を素直に喜んでいいのか、左嘉絵さんは悩み続けました。
そんな中でも、云櫻くんはすくすくと成長していきます。
日々、息子と向き合っていくうちに、左嘉絵さんは亡くなった友人に恥ずかしくない母親になろうと思うようになったといいます。
おいしいってやって。
おいしい!
そしてきょう、左嘉絵さんは云櫻くんを連れて、初めて献花場を訪れました。
自分たちのことを見守ってほしい。
亡くなった友人に手を合わせました。
次はこちらです。
史上最悪レベル7の東京電力福島第一原発の事故。
3年がたつ中で、また新たな事実が浮かび上がってきました。
事故直後、最初の水素爆発よりも前から、周辺で放射線量が急上昇したことを克明に捉えた未発表のデータがあったことが、NHKの取材で分かりました。
原発事故から3年がたちます。
NHKはきょう、福島第一原発を空から取材しました。
3号機ではまだ、がれきの撤去が終わっておらず、事故から3年がたった今でも、事故の収束はまだ道半ばだと感じます。
汚染水をためる新しいタンクが組み立てられています。
終わりの見えない原発事故を象徴するかのようです。
原発の北西5.6キロ。
見えてきたのは、原発周辺の放射線量を測るモニタリングポストの一つです。
事故から3年、NHKの取材で、新たな事実が明らかになりました。
事故直後の放射線量を、詳しく記録した未発表のデータがあったのです。
巨大地震の翌日の午後、1号機が水素爆発を起こし、大量の放射性物質が放出されました。
その水素爆発前後の放射線量を、20秒ごとに克明に捉えたデータが、福島県が設置したこのモニタリングポストで記録されていました。
記録によれば、3月12日の午後2時10分以降、放射線量が急激に上昇しました。
まだ水素爆発が起きる前です。
そして午後2時40分40秒、1時間当たり4.6ミリシーベルトと、この日、最大の値を記録します。
瞬間的でしたが、仮に15分続いていれば、一般の人の年間被ばく限度を超える高い放射線量です。
1号機の水素爆発より、1時間近く前でした。
なぜ水素爆発の前から、放射線量が急上昇したのか。
日本原子力研究開発機構が分析したところ、その日の午後2時ごろから、1号機で行われたベント・原子炉格納容器の圧力を下げる作業が影響したことが分かりました。
これは当日、ベントが行われていた時間帯の映像です。
1号機近くの排気筒から白い煙が噴き上がりました。
ベントは、格納容器の破損を防ぐため、中の気体を水に通して、放射性物質を大幅に減らしてから、外に逃がす作業です。
ところが、今回明らかになったデータでは、放射性物質を減らす効果は思うように得られず、かなりの量が放出された可能性を示していました。
多くの謎が残る史上最悪レベルの原発事故。
被害額は膨らみ続けています。
政府や東京電力が公表した最新のデータを足し合わせると、被害総額は11兆1600億円余り。
事故発生の年に政府が算定した額の1.9倍に上ります。
このうち、廃炉と汚染水対策に2兆円、賠償額は5兆円を超える見通しで、しかもこの先、さらに増えるのは確実です。
目に見えない放射線との戦いの中、すべての5号機の燃料を取り出すにはどれくらいかかるのか。
汚染水はどこまでたまり続けるのか、収束の道筋はついていません。
40年にも及ぶとされる廃炉への道のり。
気の遠くなるような作業がこれからも待ち構えています。
震災は私たちの何を変えたんでしょうか。
全国から駆けつけたボランティアの人たちは、震災の年の5月、宮城、岩手、福島の3県で、少なくとも18万人を超えていました。
去年も、ひとつき当たり1万人近くの人たちが活動しています。
あのとき感じたことに、今も向き合い続けている人たちがいます。
被災者の支援活動を行っていた柴田哲史さん。
ITコンサルタントとしての技術を生かして、ホームページを作り、物資の提供を呼びかけるなど、初めて避難所の運営に携わりました。
この経験がきっかけとなり、去年10月、台風による豪雨に襲われた伊豆大島に駆けつけ、支援物資の受け入れなどの役割を担ったのです。
3年がたった東京。
あのとき、町は一変していました。
節電の呼びかけで、繁華街のネオンは消え。
東京タワーからも光が消えました。
都庁では今も、一部の照明を落とす節電が続けられています。
節電への対応。
民間の調査では、節電を強く意識している世帯の割合は低下する傾向にあります。
震災を受けて、首都圏では51%に達しましたが、去年の夏はその半分でした。
都内のホームセンターでは、節電グッズのこの冬の売り上げが、ピーク時の半分にとどまっています。
あのときから、新たな課題に向き合い始めた若者もいます。
大学3年生の小竹舞さん。
震災の年に大学に入り、エネルギー政策について学んでいます。
国民の意見を、政策を決める過程にどう反映させられるのかを課題として取り組んでいます。
先週金曜日、小竹さんは、エネルギー問題について若い世代が月に1回程度意見を交わす会合に出席しました。
この日の議題は、政府が先月示した新たなエネルギー基本計画案です。
あのときの経験は、今を生きる私たちに、あるべきあしたの姿を問いかけ続けています。
多くの人の命と暮らしを奪った東日本大震災の発生から3年。
今もなお、日常を取り戻せない被災地の現実を見つめるとともに、命を守るため、新たな災害への備えを進めていかなければなりません。
次です。
政府は、国家安全保障会議の関係閣僚による会合を開き、いわゆる武器輸出三原則に代わる新たな原則の政府案が示され、あすからの与党間の協議で出される意見を十分に反映させながら、新たな原則をまとめることを確認しました。
これまでの武器輸出三原則では、武器の輸出が原則として禁じられていますが、アメリカへの武器技術の供与が例外とされるなど、個別の案件ごとに例外が認められてきており、明確なルールを定めるべきだという指摘も出ています。
政府はこうした指摘も踏まえつつ、日本の安全を確保すると同時に、積極的に平和貢献などを進めるため、武器輸出三原則の見直しを進めており、きょう、示された防衛装備移転三原則という新たな原則の政府案は、厳格な審査と適正な管理によって、防衛装備の輸出など、移転を認める場合を整理しています。
具体的には、紛争当事国や、国連安全保障理事会の決議に違反する国など、国際的な平和と安全の維持を妨げることが明らかな場合は、移転しないとしています。
その上で、日本の安全保障に資するかどうかや、平和貢献や国際協力の積極的な推進に資するかどうかなどを厳格に審査し、原則として、日本の事前同意なしには、目的外の使用や第三国への移転を認めないとしています。
政府案によりますと、これまで例外とされてきた、国連などの国際機関への移転などのほか、新たに国産のUS2救難飛行艇を、武器に当たる装置を取り外さずに移転することなども、厳格な審査の下に、認める措置が講じられます。
政府はこの案を、あすから始まる自民、公明両党の作業チームでの協議に提示することにしていて、きょうの関係閣僚による会合では、与党間の協議で出される意見を十分に反映させながら、新たな原則をまとめることを確認しました。
理化学研究所の小保方晴子研究ユニットリーダーなどのグループが、STAP細胞の作製に成功したと発表した論文で、研究の核心部分を証明する複数の写真が、別の論文から流用された疑いのあることが分かり、理化学研究所は調査を始めたことを明らかにしました。
こちらがその写真です。
上の3枚が、科学雑誌、ネイチャーに発表された論文に使われた写真。
STAP細胞に万能性があることを示す研究の核心部分の一つです。
そして下の3枚は、小保方さんが3年前に書いた、博士課程の論文にある写真です。
骨髄から採取した細胞から出来た組織だと、全く異なる説明がされていますが、上と下の写真は、極めてよく似ています。
理化学研究所は記者会見で、写真が流用された疑いがあることを認めました。
STAP細胞の論文については、共同著者の若山照彦山梨大学教授が、重大な問題があるとして、論文の取り下げを呼びかけ、理化学研究所も取り下げを視野に入れて検討しています。
この問題で、日本分子生物学会は、緊急の理事長声明を発表し、多くの作為的な改変は、単純なミスである可能性をはるかに超えているとしたうえで、理化学研究所に対して、STAP細胞に関する2本の論文の生データの即時開示や、論文の撤回などの適切な対応と、公平性が疑われるような事態を招いた原因に対する詳細な検証と報告を求めています。
教育委員会制度の見直しを検討してきた、自民、公明両党の作業チームは、教育委員長と教育長を一本化して設ける新たな教育長の任期を3年とすることなどで一致。
与党の改革案が、大筋でまとまりました。
きょうの会合では、新たな教育長の任期を3年とし、議会の同意を得ることを条件に、自治体の長に任命や罷免の権限を持たせることで一致しました。
改革案ではこのほか、自治体の長が主宰する総合教育会議の設置を自治体に義務づけ、この会議で、教育行政の大きな方向性を示す大綱の策定や、児童・生徒の生命などに関わる緊急事態への対処などを協議するとしています。
大相撲春場所は3日目。
横綱・白鵬と、新鋭の遠藤が初めて対戦しました。
白鵬、場所前の稽古では遠藤を圧倒しています。
遠藤は、きのうの日馬富士に続く横綱戦です。
張っていきました。
はたいた、たたいた。
送り倒し。
白鵬、全く問題にしませんでした。
遠藤、連日の横綱挑戦。
勝つことはできませんでした。
3連敗の遠藤。
横綱戦はいい経験になった。
あす、また頑張りたいと、気持ちを切り替えていました。
中入り後の勝敗です。
貴ノ岩と舛ノ山、それに大砂嵐が3連勝です。
旭天鵬は通算勝ち星を872章として、歴代5位の元横綱・大鵬に並びました。
綱取りに挑む大関・鶴竜が平幕の隠岐の海に痛い1敗です。
大関・鶴竜、このところ2場所連続で敗れている隠岐の海戦。
うん?隠岐の海、左が入った。
回り込んでいます、鶴竜回り込んで、離れようとしています。
しかし攻め込んだのは、隠岐の海。
敗れました、鶴竜3日目。
気象情報は岡村さんです。
こんばんは。
あすは東日本と西日本で気温が上がって、3月下旬から4月中旬並みの気温となりそうなんです。
こちら、晴れれば15度前後まで気温が上がるような暖かい空気ですが、きょうは日本の南にありました。
この暖気があすは東日本や西日本までかかる予想です。
このために最高気温を見ますと、東京や大阪、きょうより5度以上も上がって、16度まで上がりそうなんです。
ずいぶん暖かくなるようですけれども、天気はどうでしょうか?
天気は次第に下り坂に向かいそうなんですね。
天気図を見てみましょう。
まず東北付近、前線が進んでくるため、太平洋側も含めて広く雪となりそうなんです。
さらに夜には別の前線や低気圧が進んできます。
このため、西日本を中心に夕方以降、雨が降りそうです。
それではあすの予報を見ていきましょう。
東北地方は広く雪となるでしょう。
西日本の雨の表示、こちらは夕方から夜を中心となりそうです。
3時間ごとの予報、札幌から東京です。
ニュース7、今夜は時間を延長してお伝えしてきました。
大切な人との別れに直面した人。
生活環境が一変した人。
震災発生から3年を経て、新たに歩み始めた人もいます。
2014/03/11(火) 19:00〜20:00
NHK総合1・神戸
NHKニュース7 ▽東日本大震災から3年[二][字]

▽東日本大震災から3年 ▽中継・原発避難の町 ▽止まらない人口流出 ▽日本はどう変わった ▽終わらない関連死 【キャスター】武田真一ほか

詳細情報
番組内容
【サブキャスター】松村正代,【気象キャスター】岡村真美子
出演者
【キャスター】武田真一,【サブキャスター】松村正代,【気象キャスター】岡村真美子

ジャンル :
ニュース/報道 – 定時・総合
ニュース/報道 – 天気
スポーツ – スポーツニュース

映像 : 1080i(1125i)、アスペクト比16:9 パンベクトルなし
音声 : 1/0+1/0モード(デュアルモノ)
日本語
英語
サンプリングレート : 48kHz

OriginalNetworkID:32080(0x7D50)
TransportStreamID:32080(0x7D50)
ServiceID:43008(0xA800)
EventID:22230(0x56D6)