3.11news every.特別版 2014.03.11

…はないかな。
さんまさん今後例えで『ニューオータニ』やめてもろうていいですか?『ニューオータニ』禁止でお願いします。
私はもうねトレードに出してちょうだい!あら?
(陣内)この空気は。
ワァ〜!!全国の皆さんこんばんは。
東日本大震災の発生からきょうで3年がたちました。
警察庁のまとめによりますと、1万5884人が亡くなり、2633人が行方不明となっています。
私は現在、福島県の海沿いの町、富岡町に来ています。
被災地の多くが復興へと徐々に動きだしを始めている中、ここ富岡町の時計は、午後2時46分をさしたままで、時間が止まっています。
この町から10キロ先にある福島第一原発の事故で、住民は避難を余儀なくされ、この場所は今も昼の間しか立ち入りが許されていません。
きょう、私たちは町から特別に許可を得て、この場所から中継をさせていただいています。
午後2時46分、福島でも多くの人が黙とう、祈りをささげました。
黙とう。
黙とう。
さて、諏訪中央病院名誉院長の鎌田實さん、震災から3年がたちましたが、今、どんなことを感じていらっしゃいますか?
この1、2か月、ずっと岩手、宮城、福島と回って、もう3年っていうふうじゃなくて、ただただ、つらい3年の人たちもまだかなりいるということが分かってきました。
だから僕たちは忘れないようにしないといけないなと思っています。
そうですね。
ここ、福島からは見えない放射性物質の問題に苦しむ、福島の現実などについてお伝えしてまいります。
それでは続いては、宮城県の石巻市から伝えてもらいます。
小熊さん。
宮城県石巻市の日和山です。
こちらの写真は3年前の震災当日にこの高台から撮影されたものです。
町は水、そして雪で覆われているのが分かります。
寒さの中、小さなお子さん、そしてお年寄りも皆、こちらの下から数えると200段近くある急な階段を、津波から逃れるために、必死に駆け上ってきたということです。
そしてこちらにある鳥居を抜けて、今私がいる鹿島御児神社に避難してきたということです。
ここからは、日本テレビの小栗泉解説委員と共にお伝えしていきます。
お願いします。
あの日はきょうよりもっと寒かったということなんですね。
あのときは必死で、3年たった今だからこそこの景色を見て涙が出てくると、地元の方がおっしゃっていたのが印象的でした。
宮城でも午後2時46分、犠牲となった方々に黙とうがささげられました。
小山さん。
私たちは、岩手県宮古市の田老地区からお伝えしていきます。
あの日、この一帯を襲った巨大な津波は、私たちの後ろにある建物の4階まで達しました。
過去にもたびたび大きな地震と津波に襲われたこの地区では、沿岸に世界最大級の防潮堤を築くなど、対策が取られてきました。
しかし3年前のきょう、津波はその防潮堤を乗り越え、この地区を飲み込みました。
きょう午後2時46分には、その防潮堤で被災者の皆さんが手を取り、黙とうをささげるなど、岩手県の各地で犠牲者を悼みました。
津波の恐ろしさを無言で伝えるこの建物は、国が資金を一部補助して、後世に残す震災遺構の第1号として認定されました。
震災から3年、復興に向けて今、何が障害となっているのか。
この震災遺構の前からお伝えします。
改めて福島からです。
震災前、およそ1万6000人が暮らしていた富岡町。
現在は日中の立ち入りが一部で許されているものの、住むことができません。
除染が進まないと、人々は生活ができないんです。
福島県内で今年度市町村が除染を行った住宅は、4割程度にとどまっています。
その鍵を握りますのが、どこに中間貯蔵施設を作るかという問題です。
その建設候補地が決まらない現状と、その影響を取材しました。
今月2日。
私たちが訪れたのは、福島県楢葉町。
楢葉町の仮置き場に来ています。
ここにはですね、除染で出た土などが黒い袋に入れられていまして、見渡すかぎり、その黒い袋の山となっています。
身長180センチの藤井キャスターを優に越える高さに詰まれた黒い袋。
除染がこの3月をもって終了する楢葉町では、仮置き場に置かれた袋の数が、およそ37万個に上ります。
一方、こうした仮置き場が一つもない郡山市では。
ここは郡山市内の住宅街なんですが、汚染された土を入れた容器が、このように並べられて、置かれている状態です。
マンションの除染で出た土などを入れた容器が、敷地内に所狭しと並んでいました。
こういった民家の軒先にもその除染をしたときに出た土が置かれています。
放射線を遮るため、コンクリートで囲い、土のうでふたをした容器。
これらの容器は、住宅の玄関先や庭などにありました。
自宅の庭で容器を保管している人に話を聞くと。
いつから置いてあるんですか?
去年の今ぐらいですから、1年前。
丸1年、ここに置きっぱなしなんですか?
そうです。
いやぁ。
郡山市ではこれまでに、およそ2割の住宅で除染が行われました。
しかし、今のところ市内に仮置き場がないため、住民は除染で出た大量の廃棄物を、自宅の敷地内で保管しなければならないのです。
その郡山で、3歳と1歳の子どもと暮らす、橋本倫典さん。
幼い子どもへの影響を心配し、除染で出た廃棄物を自宅の庭に埋めました。
この辺りですか?
そうですね。
今、雪がかぶってますけど、この赤いくいが。
これはここに埋めたという印ですか?
そうですね。
おととし11月、橋本さんは自宅の除染を実施。
除染で出た大量の廃棄物は、自宅の敷地内に埋められました。
自宅での保管について郡山市は安全性を説明していますが、橋本さんはふあんを隠せません。
一日でも早く、ここから上げるというのを見てみたいですね。
除染で出た廃棄物は、一時的に仮置き場などに置かれ、その後、中間貯蔵施設に搬入。
そして、30年以内に福島県外の最終処分場に運び出すとされています。
その中で今、中間貯蔵施設をどこに作るのかが大きな課題となっているのです。
中間貯蔵施設とは、コンクリートで周りを覆い、放射線を遮蔽したうえで、除染で出た土などの廃棄物を、最長30年間保管する施設のこと。
国は原発に近く、町の大半が高い放射線量で、住民が帰るのが困難とされる大熊町と双葉町に集約する案を検討。
しかし、候補地に家がある人は。
中間貯蔵施設じゃなくて、最終処分場にされる可能性も出てくるんじゃないかなっていう。
住民の懸念などもあり、候補地の自治体は建設の受け入れを認めていません。
建設が検討されているのは、原発を取り囲むおよそ16平方キロメートルのエリア。
東京ドームおよそ340個分の巨大な広さの施設です。
その候補地、大熊町に自宅がある斉藤さん一家。
現在は会津若松市に避難しています。
斉藤さんの自宅は、中間貯蔵施設の建設が決まると、取り壊されることになるのです。
震災当時4歳だった孫娘の愛奈ちゃんが大熊町の家の絵を描いてくれました。
何歳までこの家にいたことになるんですかね?
3歳!
3歳?
4歳ぐらいか。
でっかい屋根だったんですね。
でっかい屋根だよ。
幼いながら、ふるさとの家で暮らしていたころを覚えていました。

以前、住んでた家のことを思い出すこともありますか?
いや、これはやっぱりありますよ。
やっぱりたまに夢に出てくるときもあるしね。
子どもたちの記念樹が2、3本あるもんですから。
長女が小学校を卒業したときに庭に植えたシダレザクラ。
ライトアップしていると、ちょっと止まってね、眺めていく方がいるんですよ。
置いていかなければならないのは、本当に心が痛いっていうのかな。
原発事故でふるさとを離れ、自宅まで失うことになるかもしれない斉藤さん。
中間貯蔵施設の候補地に挙がっているというのは、どういうお気持ちですか?
戻りたいんだけども、やっぱり戻れないというのがやっぱり現状であって、放したくないんですけれども致し方がないのかなと。
60年以上過ごしたふるさとの家。
福島第一原発から僅か3キロの所にある、斉藤重征さんの自宅。
今月2日、私たちは一時帰宅する斉藤さん夫妻に同行しました。
原発があっちの方向ですか?
そうそうそうそう。
家の前から、原発の排気塔が見えるほどの近さです。
月に1回、一時帰宅するという斉藤さん。
ただいま。
ネズミのふんがすごいですね。
すごいですね。
ネズミのふん、いつも来たときに掃いてるんですけど。
来るたびに、産卵したネズミのふんの片づけに追われます。
そのままですよ。
そこは触ってないから、全然。
震災当時のまま、物が散乱していました。
かつては家族みんなで食卓を囲んでいた部屋。
かんぱーい!はい、かんぱーい!
これは震災前にこの部屋で撮影された映像です。
おいしい?その顔!幸せ?
ふるさとのわが家での一家団らん。
防護服を着て家に入る今、この場所で、家族そろって食事をすることはできないのです。
写真で見せてもらったあのシダレザクラ。
これ、すごいでしょ、根っこ。
うわー。
子どもたちの成長を見守ってきた記念樹です。
こういう記念樹を植えておくと、季節によって咲くことによって、いろいろな思い出がよみがえってくるんだよね。
この下で雪だるまを作ったりだとか、かまくら作った、なんてこともあったしね。
わー、ちゅめたい!
震災の僅か1か月前に雪が降ったときも、孫娘たちは桜の木の下で雪遊びをしていました。
庭に色とりどりの花が咲き、家族の思い出が詰まった大熊町の家。
その家を建てた自分の父親の墓参り。
避難生活を余儀なくされてからは、月に1回しか来ることができません。
60年以上暮らしてきたわが家が、自分の代で取り壊されることへの思いが込み上げます。
これも、うちのじいちゃんが建てていったんですよ。
じいちゃん、どうもありがとな。
ありがとう。
どうもすみませんでした。
震災から3年たった今、住み慣れたふるさとは、中間貯蔵施設の建設によって、失われていこうとしています。
子どもたちの思い出、親たちの思い出。
思い出ばっかり詰まって、なかなか諦めきれないんだけども、なんともね、これは致し方がないのかなと思っていますし。
鎌田さん。
建設候補地になった大熊町や双葉町の方々は、本当につらい判断をしないといけないですよね。
そうですね。
お年を取った方と、若い方と意見が分かれてるって話も聞きます。
ここでみんなが、いろんな情報のもとにきちっとした納得のできる自己決定ができるといいですよね。
そうですね。
そして、鎌田さん、きのうどちらかへ取材に行かれたということですね。
富岡町の女性の方だったんですけれども、このふるさとが好きで好きで、もう切なくて、ここへ帰れないのがつらくて、でも、私はやはり帰らないっていうんですね。
その方が言ったのは、私はふるさとは日本って思うようにして、乗り越えようとしてきた。
ふるさとは、日本全体がふるさとだと?
その方が言ったのは、双葉郡、この大熊や、双葉町の方々も含めて、双葉郡の人たちが、なんかみんなで同郷の人たちと一緒になって住めるような町を政府が提案してつくってくれたり、そこへ移っていく補償なりをもうちょっと明確にしてくれれば、いろんな議論がもうちょっと前向きに進むんじゃないかなというようなことをおっしゃっていました。
取材をしました斉藤さんも、やはり地域のコミュニティーごと引っ越していきたいんだというふうに話をしていました。
本当にこういった状況について、スタジオの青山さん、国はどのように考えているのでしょうか?
中間貯蔵施設については、できるだけ建設を早く行いたい考えなんです。
安倍総理も週末に、福島県を訪れた際に、除染を進めるためには、極めて重要だと述べているんですね。
その一方で、最終処分場については、実は全くメドは立っていないんです。
そこで福島県は、中間貯蔵施設を受け入れるならば、最終処分場はせめて県外に造るということを法律で定めるように求めています。
しかし、これについておととい、日本テレビの番組に出演した自民党の幹部はこのように述べました。
中間貯蔵施設の受け入れが可能な状況が出来たとき。
つまり、その法制化よりも、まず中間貯蔵施設の建設ができなければいけないということを述べているんですね。
しかしですね、これではなかなか中間貯蔵施設を受け入れる住民のほうにも、不安は払拭できないということになるわけなんです。
VTRにもあったように、もう自宅に帰れないんじゃないかという、不安や懸念を抱えている住民の不安に、政府はそろそろ明確に答える時期に来ていると思います。
青山さんでした。
続いては宮城の小熊さん。
宮城県石巻市です。
豊かな漁場を抱え、水産業の町としても知られています。
その石巻市を一望できる高台から、お伝えします。
今、私の後ろに見えているのが、旧北上川です。
かつては工場や施設などが立ち並び、活気ある風景が広がっていました。
しかし、津波で建物も施設も流されました。
あの日から3年、復興へと向かう被災地に、今も大きな壁が立ちはだかっています。
その一つが、工事の入札がうまくいかないため、工事が行われないという現実です。
なぜ工事は進まないのでしょうか。
宮城県東松島市。
今月1日、小熊キャスターが訪れたのは、市内でも多くの家屋が被災した野蒜地区です。
今、急ピッチで工事が進められている現場。
うわー、ものすごい大きなベルトコンベヤーから大量の砂が落ちてきてますね。
浸水した野蒜地区の住民が高台に移り住むための山を削り、住宅地を造成する工事です。
削り出した土を搬出するために、導入されたのが、高台から沿岸部の平地に続く、およそ1.2キロの巨大なベルトコンベヤーです。
導入にかかった費用はおよそ70億円。
トラックで搬出するよりも、およそ2年半、工期を短縮できるといいます。
工事を発注した東松島市は。
人口減というのは、もう現実に顕著に表れていますので、早く進めないと、当然、市外あるいは県外も含めて、人口が流出するっていうのは、当然ありだと思います。
被災地で急がれる復旧・復興工事。
しかし、ある事態が起きていました。
宮城県の土木事業担当者は。
年度内に、一応その事業費は、使い切る計画だったわけですが、それが次年度まで、ちょっと引きずってしまうっていう。
なんと、県の予算を使い切れず、次の年度に繰り越すのだといいます。
金額は年々積み上がっており、土木関連事業で、およそ1957億円など、県全体で、およそ4373億円に上り、その多くが復旧・復興関連予算です。
進捗が少し、当初計画していたものよりも、若干遅れているような形になってくると思います。
遅れる復旧・復興工事。
一体なぜなのでしょうか。
石巻市雄勝町の漁師、永沼信良さん。
沖合1キロほどの所にある養殖場を案内してもらいました。
あっ、これが立派ですね。
わかめですね。
養殖用のロープにびっしり付いているのは、収穫直前のわかめです。
2011年3月、この浜も津波に襲われました。
この漁場も、このいかだも、全部なくなったですね。
養殖場だけでなく、自宅も被災した永沼さん。
その年のうちにわかめの養殖を再開しましたが、3年たった今も、変わらないことがあります。
ここが、だいぶ岸壁が下がってますね。
地震により、1メートルほど沈下した地盤。
応急的に一部、仮工事が行われたものの、本格的な復旧工事は、まだ始まっていません。
そのため、大潮のときや天候が悪いときには、浜全体が浸水。
天気がよくても工事されていない部分には、船が接岸できないなど、不便が生じています。
どうして工事は行われないのでしょうか。
入札しても、誰もやってくれないというか、何回も不調に終わってるんですね。
立ちはだかっていたのは、工事の入札不調です。
国や自治体などが工事を請け負う業者を募集する入札。
事業を行いたい業者が契約内容を提示し、最も有利と判断された業者が落札します。
しかし、業者が集まらなかったり、入札予定価格よりも、高い金額しか提示されなかったりして、落札されずに終わる、入札不調が起きているのです。
永沼さんが漁をする港の工事については、6回入札が行われましたが、すべて入札不調に終わり、今も施工業者は決まっていません。
宮城県が発注した工事などが落札されず、入札不調になる割合は、震災前に比べ、高くなる傾向が続いています。
なぜ、工事の入札不調は続くのでしょうか。
石巻市の工事現場を訪ねてみると。
出身は兵庫県ですね。
九州から。
九州はどちらの?
佐賀。
およそ8割を、県外からの作業員で賄っているといいます。
人材不足は特に感じますね。
知っている業者さん伝いで集めるような感じになってますね。
港の復旧工事には、潜水士のように専門の技術者も必要です。
潜水士は、水中でコンクリートブロックを並べるなどの作業を行います。
専門の技術者など、作業員は各地で不足しており、人件費は高騰しているのです。
さらに震災前に比べ、工事現場で使う資材も値上がりしています。
競争っていうか、物の取り合いとか、人の取り合いが、取り合いすれば高くなるよね。
やっぱり赤字は困るよね。
工事にかかる費用が高騰する中、赤字覚悟では、多くの業者は入札すらできないのが現実です。
その影響は、
東北で整備計画が進められる巨大な防潮堤。
岩手県釜石市根浜地区でも震災後、大きな防潮堤を整備する計画が持ち上がりました。
こちらの地区では、震災後、もともとの高さの倍以上の防潮堤を造る計画もありましたが、住民と行政が話し合った結果、防潮堤をもとの高さで整備することで合意しました。
当初14メートルを超える防潮堤が計画されましたが、最終的に、震災前からある防潮堤を整備することで合意しました。
なぜ高い防潮堤は必要ないという結論に達したのでしょうか。
根浜地区の旅館、宝来館。
おかみの岩崎昭子さんは、旅館の裏にある山へ避難する途中で、津波に飲まれました。
ほら、早く!
宝来館の裏山から撮影された映像。
右側に映るのが宝来館です。
この場所にいた人は全員助かり、岩崎さんもなんとか津波から逃れ、山へと逃げ込みました。
震災のあと、岩崎さんは、高い防潮堤が必要だと考えていたと話します。
震災直後はね、おかみも津波に飲まれてるので、戻ってくるためには、早く自分たちを守ってくれるものが欲しいと、おかみも思ってましたよ。
しかし、観光資源でもある、海を遮ってしまう高い防潮堤を造るのではなく、別の方法で津波から命を守ることができないかを考えるようになったといいます。
旅館の裏山に作られた木製の手すり。
岩崎さんらが、地元の森林組合などと共同で設置した、手作りの避難路です。
いざというときには、車いすでも上がれる避難路作りということで。
岩崎さんら住民側は、こうした避難路の充実や、住宅を高台に移転させることなどで、防潮堤を高くしないことを行政側に提案。
行政側がその提案を受け入れ、震災のよくとし、合意に至りました。
自分たちで、現実的にね、考えなくちゃいけないんですよね、やっぱり、全部が正しいことなんです、今、議論されていることは。
どれか一つだけが正しいわけじゃなくて、みんな正しくて、だから悩んでいると思うんですけど。
防潮堤の高さを巡って、今も続く議論。
住民と行政が一体となって、それぞれの地域に合った対策を進めることが急がれています。
海に囲まれている日本列島では、防潮堤を必要としている地域が、多くあります。
どう対処するべきなのか。
東京にいる青山さんは、どう考えますか?
国の方針なんですけれども、国は基本的にこの防潮堤の問題は、自治体の判断に任せる考えなんです。
ある閣僚に話を聞いたところ、このように話していました。
地元の決定で進めるしかない。
ただ、復興を前進させるためにも、早く決着してほしいということなんです。
しかしですね、政府内にもさまざまな意見が住民の間に出てきていることには、理解が広がっているんです。
安倍総理大臣は、きのう国会でこのように話しました。
気持ちが落ち着いてきて、住民の意識も相当変わってきたのではないか、このように理解を示しているんですね。
誰もが賛成できる案というのは、ないのかもしれません。
そして、どこかで決めて前に進まなければなりません。
しかし、将来の地域の姿を決定するこの判断には、ぎりぎりまで可能なかぎり、住民の理解を得るという、こうした柔軟性も必要だと思います。
それではこちらからお伝えしてまいります。
辺りは日が落ちまして、3年目の3月11日が、少しずつ終わろうとしています。
それでは続いて、岩手県宮古市の田老地区から伝えてもらいます。
小山さん。
復興に向けた大きな課題の一つが、住宅です。
岩手、宮城、福島の3県で、10万人近くの方々が、プレハブの仮設住宅で暮らしています。
しかし、仮設住宅はあくまで仮の住まいです。
自力で家を再建することが難しい被災者のために、被災者の自治体では、国の資金援助を受けて、災害公営住宅の整備を進めています。
ところが、災害公営住宅が出来ても、被災者が入居せず、空室が目立つケースが出てきています。
一体なぜなのか、取材しました。
先週土曜日。
こちらが、災害公営住宅ですね。
そのすぐ目の前に、仮設住宅が並んでいます。
訪ねたのは、釜石市平田地区にある災害公営住宅。
先月から入居が始まりました。
小山と申します。
きょうはどうぞよろしくお願いします。
上野さんは、夫と娘3人の5人家族。
3年前、釜石市内で津波に遭い、自宅が全壊。
ここに入居するまで、仮設住宅で生活していました。
すごく広くなりましたね。
お子さんがいることで、こちらに入ってよかったなって思うことってありましたか?
やっぱ騒音ですよね。
子どもが騒ぐとうるさいよっていう、仮設なんだから我慢してっていう。
仮設住宅では、隣との壁が薄く、子どもが出す音にも気を遣ったそうです。
間取りは仮設住宅と同じ3DKですが、広さはおよそ1.5倍に。
遊び道具も広げられます。
引っ越したら広げようねって話をして。
いたいたいた。
ある程度はやっぱり元気になってますよね。
かなりなってますね。
同じ災害公営住宅に入居した伊藤さん夫婦は、前にある仮設住宅から移りました。
立派な所に入れてもらったから。
そうですか。
夫の昭一さんは、病を患い、ことし1月に手術したばかり。
お父さん、ポスター、すごいいい所に立ちましたね、これ。
出身地、大槌町の祭りに携わってきた昭一さん。
現在73歳。
この新しい住宅で、年を重ねたいと考えています。
目標は父親が亡くなったときの年齢を超えること。
10年生きなきゃいけない、最低でも。
絶対大丈夫ですよ、こんなに元気なんですから。
だから先生さにも言ってきた。
あと10年、生かしてちょうだいって。
被災者の新たな生活の場となる災害公営住宅。
しかし、126戸もある部屋には、意外な現象が。
126世帯に、
岩手県釜石市平田地区にある災害公営住宅。
完成した126戸のうち32戸が空き部屋で、今も募集を続けています。
目の前にある仮設住宅は、来年8月まで入居可能。
142世帯が暮らしています。
災害公営住宅については。
街に行きます。
車も持ってなきゃ、この同じ道歩かなきゃならないでしょう。
しんどいわ。
平田の災害公営住宅は、病院や店が遠く、交通の便が悪いことが指摘されています。
さらに、災害公営住宅へ向かう道は。
すれ違うのが、なかなか難しい所ですね。
釜石市は、道路を広げる予定です。
また去年、市の住宅再建支援制度が拡充され、住宅を新たに建てる際の補助金が増えました。
家をみずから再建する人が増えたことも、影響していると考えてられています。
市の意向調査では、入居希望世帯がおととしの121から去年、73まで減っていました。
市の担当者は。
僅か1年の間に、このように意向が大きく変化するっていうのは、全く予想もしておりませんでした。
こうしたミスマッチは、岩手県内の各自治体で起きているといいます。
平田の災害公営住宅への入居を取りやめた被災者を訪ねました。
小山と申します。
キッチン?
看護師の西原育子さん。
仮設住宅で2年9か月生活しています。
息子の翔さんは、高校で虎舞という郷土の踊りに励んでいます。
お父さん?
お父さんです。
そして夫の和彦さんは漁師。
つまみは海の幸です。
アワビですか?
どうぞどうぞ。
勧められたのは、地元で取れたメカブ。
おいしそう。
自宅が津波で大規模半壊した西原さん。
その場所が道路などになる可能性があったため、災害公営住宅への入居を考えました。
しかし。
入るとしたら、家賃がもう、6万8000円。
家賃のかからない仮設住宅と違い、災害公営住宅は、収入に応じて家賃が決まります。
6万8000円も払うなら、家に少しでもお金をかけて、家を直して入ったほうがいいかなと。
でもやっぱり葛藤はありましたか?
ありました。
やはり立派な家を造ってくれたから。
西原さんは結局、災害公営住宅には入らず、自宅を補修することに。
夏ごろをメドに仮設住宅を出て、自宅に戻りたいと考えています。
やっていくしかないですよね。
ここからは、被災地の取材を続けている、テレビ岩手の藤村惠一アナウンサーと共にお伝えしていきます。
よろしくお願いします。
お願いします。
藤村さん、今回、取材して、被災者の皆さんの希望に、制度が追いついていない、そのミスマッチを感じたんですけれども。
そうですね。
被災者の方々、仮設住宅での生活が長引いてきますと、例えば荷物が増えてきたり、そして部屋の中にカビが発生し始めたり、カビです、カビがね、発生し始めたりすると、非常に狭い空間の中なんですけれども、問題がさまざま出てきているんですね。
ある方がこうおっしゃいました。
仮設住宅での生活に慣れてしまうのが怖いと。
住めば都っていうことばがありますけれども、これやっぱり被災者の皆さんには、もう使えないというか、当てはまらないですね。
そしてその住まいのミスマッチという点では、最初は体育館などの避難所での生活でした。
そして仮設住宅に移っています。
そのあとに災害公営住宅となるわけなんですが、やっぱり仮設住宅と災害公営住宅、一番の違いというのは、恐らく住む期間の長さだと思うんですよね。
長期間、あるいはずっとそこに住まなくてはいけない。
やっぱりそういう点で考えますと、被災者の皆さんのニーズっていうのは、少しずつ変わってくるっていうのは、これ、うなずけるような気がするんですよ。
これが住宅のミスマッチの一つの側面になっているかもしれませんね。
藤村さん、そのニーズというところで言うと、住宅を整備する行政としても、被災者の皆さんのニーズに的確に応えていく、これは難しいことでもありますよね。
そうですね。
いったんこの時期に災害公営住宅、完成しますという期限が設けられるんですが、なかなかそれが始まらなかったり、遅れたり、皆さんの希望が目の前から消えてしまうんですよね。
ですから震災から3年目という、こういうタイミングで、岩手を離れることを決意したというご家族もいらっしゃいます。
それから、先ほど、宮城の小栗さんからもありましたけれども、資材が高騰したり、それから人件費が上がったりということで、これは行政側も、入札不調によって大変だと思うんですが、住宅の問題というのは待ったなしです、待ったなしです。
こういった時期に、東京オリンピックの開催も決まりました。
東京方面でも、さまざまな大きな工事も始まると思うんですが、これは決して、被災地の復興の足かせになってはいけないと思うんですね。
取材してみて小山さん、どうでしたか?
そうですね、災害公営住宅に入居した方からは、仮設住宅に残る方に声をかけづらくなったと。
というのは、仮設住宅の生活の中で生まれた絆がなくなることへの不安の声というのも上がっていたんですよね。
せっかく出来上がったコミュニティーの輪が崩れてしまうというのは、とても寂しいことですよね。
そうなんですね。
一方では、災害公営住宅に入居したご家族の明るい表情も、とても印象的でした。
すべての被災者の皆さんが、生活の基盤を手に入れて、笑顔を見せる日が一日も早く来てほしいと思います。
ここまで、被災地が抱える住まいの問題についてお伝えしました。
午後2時46分にささげられた祈り。
3年前のちょうど今ごろ、この辺りは津波に襲われていました。
そのときからここの現状はほとんど変わっていません。
それではここで被災地のきょう一日をまとめました。
けさ、日の出を迎える被災地の海は、穏やかな表情を見せていました。
3階建ての建物の屋上まで津波が襲い、町の職員など43人が犠牲となった宮城県南三陸町の防災対策庁舎。
ちょうど3年前、職員が最後まで住民に避難を呼びかけた場所です。
3年間、考えない日はなかったので、忘れることはないし、思い出さない日もない。
そして家族や同僚と毎日話をしない日はなかったので、本当にあっという間の3年間でしたね。
1万5884人の命を奪ったあの日から3年。
今も2633人が行方不明となっています。
きょう、各地では県警などによる集中捜索が行われました。
福島県浪江町でも。
捜索に加わった男性は。
この辺りに井戸があって、こっちが倉庫というか納屋ですね。
向こうに自宅。
3年前と全く変わってないなっていう、ただ周りが雑草だとか、そういうのが生えて、ちょっとなんか落ち着かない感じですよね。
今も母親と祖母の行方が分かっていないといいます。
児童を含む84人が死亡、行方不明となった宮城県石巻市の大川小学校。
ひと気のなくなった校舎。
遺族らが手を合わせる姿が見られました。
海藤エツさんはきょう、海へと向かいました。
一人娘のミネ子さんが今も行方不明だといいます。
ごはんだよ、みんなで食べてね。
お茶はあんた飲まないから、持ってこないんだよね。
水いっつもあげてるからね。
お水は絶対、水道の水は飲まないんですよ、ろ過水で。
これみんなで飲んでね。
どこにいるの?みんな待ってるんだよ。
どこでもいいからあがってちょうだい。
3年たっても癒えない悲しみ。
そして午後2時46分。
被災した人々のうえには、今もさまざまな苦労があることと察しています。
国民皆が心を一つにして、寄り添っていくことが大切と思います。
黙とう。
これからも被災者のお一人お一人の事情をよくお聞きして、最後の一人までしっかりと賠償を解決しにいかなければいけません。
原発いらない!
福島県の郡山市では、およそ1100人が参加して、反原発集会が開かれました。
あの日から3年、東日本大震災の記憶は今も人々の心に残されています。
鎌田さん。
この1、2か月、陸前高田に行って、そこでは、ご主人を亡くした女の奥さんと、それから石巻では3歳の息子さんを亡くしたお母さんと、そしてその奥さんとお子さんを亡くした若い旦那さんと、あってもあっても、みんなまだ悲しみの中にいるんですよね。
ここ、福島来ると、見えない放射能のためにみんながどうして生きていったらいいのかって、まだまだ見つけづらいような状況で、この富岡町できょう一日この周りを歩いたんですけど、20キロゾーンの中にあるということもあって、まだまだいろんながれきが残ったりしていますよね、悲惨な状況が続いていて、やはり僕たちは今、もう3年だから大丈夫じゃなくて、忘れない、この人たち、まだまだ応援しなくちゃいけないなっていう気持ちが強く感じました。
スタジオの青山さん。
この3年で、遅れる住宅建設、進まない除染、そして地域の人口流出と、新たな課題が浮き彫りになってきました。
一度ここでその問題点や課題を振り返って、被災地、被災者の現状に合った対策というのはなんなのか、考える時期に来ていると思います。
政府関係者もこれまでの方針をやみくもに続けるのはもう限界にきていると、率直に認めています。
そして安倍総理大臣がきのうの会見で言ったこちらのことば、心の復興に一層力を入れる。
この心の復興に必要なものは、被災者の先の見えない不安を少しでも取り除くということにほかなりません。
政治の柔軟性とビジョンを示すリーダーシップが今、問われています。
今回私は、福島県内を取材しましたが、取材をした皆さん、ほとんど笑顔でした。
生活はほとんど変わっていないにもかかわらずです。
つまり福島県の皆さんは、現実に笑顔のシートをかぶせているだけなんです。
そのシートを剥がせば、生々しい苦しみや悲しみがそのまま転がっています。
今、福島県外の私たちができることというのは、実はほとんどないのかもしれません。
ただ、福島県の皆さんの願いは、福島を、そして被災地を忘れないでほしい、そのことだと聞きました。
ここから先は、私たちが思いをはせ続けること、そのことは、私たちがやればできること、そう感じました。
そのほかのニュースをお伝えします。
夢の万能細胞の信頼性が揺らいでいます。
理化学研究所の小保方晴子さんらが発表したSTAP細胞について、きのう、共同研究者の一人が、論文に重大な疑問点があるとして、論文の撤回を呼びかける異例の事態となっています。
これに対し、理化学研究所はきょう、論文の取り下げを視野に入れて検討すると表明しました。
午後3時、理化学研究所が会見を開きました。
世間をお騒がせしておりまして、誠に申し訳ございません。
調査結果を踏まえて、理研として取り下げの、例えば勧告ですとか。
理研の小保方晴子さんを中心に研究が進められているSTAP細胞。
論文の取り下げが検討されるほど、その研究への信頼が大きく揺らいでいます。
きのう夜、小保方さんの共同研究者が、論文には大きな疑問があると話したのです。
信じたいんです、僕は。
あったらいいなと思ってます。
でも信じ続けることが難しいという状況なんです。
もう分からないんです。
本当に僕の本心は分からないんです。
権威ある科学雑誌、ネイチャーに掲載され、生物学の常識を覆す画期的な研究成果として期待が高まっていたSTAP細胞の研究。
一体何が起きているのでしょうか。
STAP細胞とは、マウスの免疫細胞に外部から刺激を加えるだけで作ることができるとされる万能細胞。
万能細胞を効率的に作り出せる可能性があるとして、大きな注目を集める一方、論文の写真が取り違えられるなどのミスが指摘されていました。
若山教授は、こうした指摘に対し、作業上の単純ミスであり、研究の本質的な成果に疑問はないと擁護してきました。
しかしきのう、その考えを一変させたのはこの画像。
小保方さんが3年前の博士論文で使っていたという無関係の別の実験の写真を、STAP細胞の論文に使い回ししていた可能性があるというのです。
この写真をもってSTAP細胞というものは、いろんなものに分化できるんだという決定的な写真になるわけなんですね。
この写真がネイチャーで使われているんですが、これと全く同じものが博士論文でも使われていたんです。
画像の、博士論文とネイチャーの論文との使い回し、それが決定的。
小保方さんを中心とする研究グループは、役割分担をしてSTAP細胞の研究をしてきました。
小保方さんの役割は、マウスの細胞に刺激を与えて、STAP細胞に変化させる方法を見つけ、そのやり方で実際にSTAP細胞とされるものを作ること。
小保方さんはこの細胞が、いろいろな組織に変化する能力を持つことまで確認したと発表しています。
その証拠がこの画像だといいます。
若山教授の役割は、細胞を受け取り、本当に万能細胞なのか検証すること。
マウスで実験を行い、受け取った細胞が体内で別の組織に成長したことを確認したといいます。
つまり万能細胞であることを実験で裏付けたのです。
しかし、画像が間違いであれば、そもそもの実験の前提が覆る可能性があると話しました。
なんだったのか分からないSTAP細胞、STAP細胞かなんだか分からないもので僕はそのあと、キメラ実験とか全部の実験を担当しました。
大本のSTAP細胞がなんだったかをはっきりさせないと。
STAP細胞発表後、事態の推移を見てきたという研究者は。
それは本当はあってはいけないことですが、ありえないことですよね。
ネイチャーに発表された論文の正しさとか信頼性という意味では?
非常に低いですね。
仮に研究の核心である写真が、本当に使い回されているとしたら、それは間違いで起こったものとは考えにくいと指摘しました。
小保方さんは最近、何をしているんですか?
研究のほうを、基本的には進めていると。
気落ちしているとか、例えばろうばいしているとか、そういうことはありますか?
そのへんはちょっと個人の心情なので、私としては明確にはちょっと答えられないんですけれども、やはり一般的に見て、大きなストレスにはなっているかと思いますけどね。
論文の取り下げを求めていた若山教授に、小保方さんからメールが届いたことが、先ほど分かりました。
僕の考えは本当に正しいと思いますというようなメールです。
僕の意見をよく聞いてくれて、これから検討します、そういうような感じで。
理研は、金曜日に会見を開き、調査の経過を報告するとしています。
青山さん。
再生医療の研究というのは、政府も力を入れていますし、
発生の可能性は30年以内に70%程度。
街を飲み込むほどの大規模な火災も想定される、首都直下地震。
さらに。
逃げなくちゃ。
逃げるって、なんで逃げるの?
津波が来るの!
巨大な津波を伴う南海トラフ巨大地震。
最悪の場合、死者は32万人にも及ぶとの想定が。
今、この瞬間にも起こりうる巨大地震を最新の被害想定をもとにシミュレーション。
私たちはどうすれば命を守ることができるのか。
こっちのマンションにしよう、ね。
防災のエキスパートが徹底解説。
newsevery.特別版、震災を生き抜く7つの術。
大地震と巨大津波は今この瞬間に起きてもおかしくはないということです。
ここからは震災を生き抜く術をお伝えします。
まずは3年前に起きた悲劇、その真相を知ることから始めます。
宮城県石巻市にいる小熊さん。
その石巻市を見渡すことができる高台に来ています。
辺りはすっかり暗くなり、震災から3年目の3月11日の夜を迎えています。
このふもとにある幼稚園では、送迎バスに乗せられた園児5人が津波で流され、亡くなりました。
私はきょう、その送迎バスが見つかった場所を訪れました。
幼稚園は高台にありますが、園児たちは津波警報が出される中、送迎バスに乗せられました。
そして津波で流され、この場所で見つかりました。
バスはなぜ海側へと向かったのか。
今回私たちは、送迎バスの運転手に話を聞くことができました。
佐藤愛梨ちゃん、当時6歳。
お母さんが大好きな子でした。
楽しかったですか?
はい。
ママ大好き、とかママありがとうとか、常々よく言ってくれてた子だったので。
何しても愛梨がいたらこうだったかもしれない、愛梨がもし今、ここにいたら、こんなことやってただろうなとか、そういうことばっかり思うので。
やっぱり楽しめない、本当に心からは。
あの朝、行ってきますと、いつもどおり幼稚園に向かった愛梨ちゃん。
津波はその命を奪いました。
愛梨とお話したい。
愛梨を抱きしめてあげたい。
佐藤さんはそう思い続けています。
宮城県石巻市。
この場所で無残な状態の幼稚園バスが見つかったのは地震から3日後のこと。
行方不明になったわが子を必死に捜し続けていた家族の目に映ったのは、バスの中でお互いを抱き合うようにして亡くなっていた、5人の子どもたちの姿でした。
思い出しますよね、やっぱりね。
あの日のことを。
ろくに泳げない娘がね、水に飲まれて苦しい思いしてさ、寒かったか、苦しい思いして、それを思うと本当につらい、今でもやっぱりつらいもんね。
この状況は間違いであってほしいという思いはありましたね。
どこかに避難しててほしい。
あとからお母さんって言って出てくるんじゃないかなっていう思いもありましたし。
子どもたちが通っていた日和幼稚園。
海抜23メートルの高台にありました。
地震発生直後、園内にいた55人の園児は、全員無事。
その僅か15分後の午後3時過ぎ。
園長は先生たちにある指示を出します。
バスで帰せ。
これは地元住民が撮影した、地震発生直後の幼稚園付近の映像。
そこにはバスに乗せられる子どもたちの姿が映されていました。
亡くなった園児は内陸に住んでいました。
しかしバスは、海側へ坂を下っていきました。
その映像を見ながらも、わー、下りちゃだめって、いつも思うんです。
だめだめ、下りていかないでって、乗り込むときからも、ああ、乗っちゃだめだよって。
いつも心の中でやっぱり言うっていうか、あーって。
12人の子どもを乗せたバスは、海抜僅か3メートル以下の地域を走り続けました。
途中、避難所の小学校で子どもを降ろすなどして、残ったのは内陸に住む5人の子どもたち。
そして大津波警報を知った園からの指示で、幼稚園に戻る途中、津波に巻き込まれました。
バスは大量のがれきに埋もれてしまいました。
その後、付近は火の海となり、3日後、変わり果てた姿でバスが発見されました。
なぜ、高台にあった幼稚園から危険な海側へ、バスを出発させたのでしょうか。
取材を進めると、あの日、子どもたちを乗せたバスの運転手から話を聞くことができました。
幼稚園のバスに乗っていた、幼い5人の命が津波によって奪われました。
取材を進めるとあの日、子どもたちを乗せたバスの運転手から話を聞くことができました。
運転手は、子どもたちと共に、津波に巻き込まれましたが、バスの外に放り出され、一命を取り留めていました。
子どもたちを先生が連れてきて、またバスに乗せて、出発してくださいということを言われましたのでね。
津波のことっていうか、そういうことはあんまり頭のほうにはなかったものですからね。
やっぱり車は出さないほうがよかったのかなと思いますよね。
一緒にバスに乗っていた奥さんの行方は、今も分かっていません。
幼稚園が開いた遺族への説明会。
その中で園長は、バスを出発させた理由について。
みぞれと風と雨と、そういう状態だったので、少しでも早く、私はそれをまず第一に考えてしまいました。
しかし、私たちが入手した幼稚園の防災マニュアルには。
園児は保護者のお迎えを待って引き渡すようにすると書かれていました。
なぜマニュアルは徹底されなかったのでしょうか。
ちゃんとしたものを職員全員には配布されてるんですかね?
それは私の書庫にファイルとしてあるので、職員には配布はしてません。
配布してないんですか?
配布していません。
マニュアルは配布されず、職員はその存在すら知らなかったというのです。
3年前、佐藤さんたち遺族は、幼稚園に損害賠償を求める裁判を起こしました。
津波が来ることを予想できたのに、必要な情報収集をしないままバスを出発させたため、津波に巻き込まれたと主張したのです。
そして去年、裁判所が言い渡した判決は、遺族たちの主張をほぼ全面的に認めるものでした。
これでやっと娘に、いい報告ができるかと思う。
しかし幼稚園側は、町なかにまで及ぶような巨大な津波が起きることは想定外で、バスが巻き込まれたのは避けられなかったと主張して、高裁に控訴。
裁判は今も続いています。
幼稚園バスに乗っていて津波に巻き込まれた佐藤愛梨ちゃん。
ここが愛梨の部屋です。
あと1か月で小学校の入学式を迎えるはずでした。
背負うことを楽しみにしていた水色のランドセル。
使われることはもうありません。
先生方の危機感の危機意識っていうのを、もっと高めてもらっててほしかった。
大人の危機感が欠けてれば、私たちみたいなことが絶対また起きるんです。
愛梨ちゃんの3つ下の妹、珠莉ちゃん。
お姉ちゃんにこんな手紙を書きました。
愛梨がいれば楽しいのに、珠莉は楽しくない。
愛梨が帰ってきてくれれば楽しいのに、愛梨のこと、思ってるのに。
愛梨に帰ってきてほしい。
願いはそれだけ。
津波に対する危機意識の低さによって奪われた幼い命。
忘れてはいけない教訓がここにはあると、強く感じました。
私たちは心に刻まなくてはいけません。
さて、続いてはこちらです。
都心の現在の映像をご覧いただきます。
今、この東京に最大震度7首都直下地震がいつ起きてもおかしくはありません。
30年以内に起きる確率は70%。
政府は2万3000人が亡くなると想定しています。
これからご覧いただくVTRは、政府の被害想定をもとに、再現ドラマとCGでお伝えします。
首都直下地震を生き抜く術です。
都内の住宅密集地にある一軒家。
ここに住む3人家族、鈴木家。
最近仕事頑張りすぎなんじゃないの。
大丈夫だよ。
きょうの商談が決まれば、また時間ができるから。
もう無理はしないでね。
ああ。
じゃあね。
行ってらっしゃい。
真奈、おなかすいた?先に晩ごはん食べちゃう?
ううん。
大丈夫。
パパと一緒に食べるから。
最も大きな被害が出ると国が想定する冬の夕方に首都直下地震が起こったら。
きゃー!
ママ!
真奈、隠れて!被害が最も大きいと考えられているのは、冬の夕方、都心南部を震源とするマグニチュード7.3の地震です。
関東南部は3種類のプレートが複雑に重なっているため、地震が起きやすい地域です。
このうちのフィリピン海プレートの地表に近い部分を震源とする地震が発生すると、都心は広い範囲で震度6強の揺れに襲われます。
さらに震度7の揺れを観測する地域もあります。
そのとき鈴木家にいたのは、母、ゆり子と娘、真奈の2人でした。
きゃー!大変、ガス、火を止めないと。
危ない!
しかし、家具の転倒が行く手を阻み、コンロの火を消すことはできません。
自宅で首都直下地震に遭遇した2人。
生き抜く術はこのシーンにありました。
首都直下の地震というのは、いきなり大きな揺れになりますから、まず身の安全を守ることが一番大事なんです。
したがって、火を消しに行くよりも頑丈なテーブルなどの下に身をかがめて、揺れが収まるまでそこにいると。
生き抜く術の1つ目は、火を消すより先に身の安全を確保。
現在、ほぼすべての家庭のガスメーターには、地震を感知する機能が内臓されています。
震度5程度の地震が起きると、ガスは自動的に遮断されるので、火災の危険は少ないといわれています。
また首都直下地震では、多くの家屋が倒壊すると指摘されています。
国の被害想定では、全壊家屋17万5000棟、倒壊による死者は、最大で1万1000人に上ります。
特に倒壊の危険性が高いのは、建物の耐震基準が変わった1981年6月より前に建築が始まった建物です。
こうした家屋の倒壊被害は、19年前の阪神・淡路大震災でもありました。
都市部を襲った直下地震で10万棟を超える家屋が全壊。
死亡者のおよそ8割が家屋の下敷きになったことなどによる窒息や圧死だといわれています。
神戸市東灘区に住む庄野ゆき子さんは、家屋の倒壊に遭った一人です。
木造家屋が多かった東灘区の界わいは、神戸市の中でも家屋の倒壊が多い地域でした。
ここらはもう全部潰れましたよ、この辺、全部潰れてます。
地震発生の瞬間、自宅の1階で寝ていた庄野さんは、突き上げられるような揺れに襲われました。
途端に私の体が宙に浮いたんですね。
ばーんと。
ほいで、これはと思って、もう声も出ません、そうなったらね。
その後、自宅は倒壊。
庄野さんは覆いかぶさってきた仏壇の隙間に守られ、一命を取り留めたものの家屋の下敷きになりました。
内臓を圧迫されてるからものすごい苦しいんですよ。
それでこんなに苦しかったら、早く死んだほうが楽になるなと思って。
どうしたら死ねるかなと思って考えてたんです。
そればっかり考えてたんですね。
その後、苦しさに耐えかねた庄野さんは、ある行動を起こしました。
板切れがあって、手に触ったんで、私はその板切れを持ってね、近くにあるたたける場所をこうしてたたいてたんですよ。
音で居場所を知らせた庄野さんは、地震発生から14時間後に助け出されました。
孤独と戦い続け、生き抜くことができたのです。
首都直下地震発生から1分。
揺れが収まった鈴木家では。
真奈、避難するよ。
家の倒壊から逃れるため、避難することを決めました。
地震発生から15分、路地を歩く親子に次の危険が迫ります。
ママ。
燃えてる。
ママ。
冬の夕方は、食事の支度や暖房器具の使用が多いことから、地震をきっかけに大規模な火災が起こると想定されています。
国の被害想定では、焼失する家屋は41万2000棟。
火災による死者は1万6000人に及びます。
実際、都市部を襲った直下地震、阪神・淡路大震災では、同時多発的に火災が発生。
7000棟以上の建物が全焼しました。
神戸市長田区、当時、市の広報課で撮影の仕事をしていた松崎太亮さんは、地震当日、街の様子をビデオカメラに収めていました。
長田区は特に震災は長田区の南部、南側、ここから、JRから南側がひどかったんですね。
これは震災当日に松崎さんが撮影した映像です。
かなり消火活動に手間取っているみたいです。
かなり火の手が上がっております。
新長田駅西口の南側、まだまだ火の勢いは衰えておりません。
冷静に現状を記録し続けた松崎さん。
しかし、被害の全ぼうが明らかになるにつれ、感情が突き動かされました。
なんちゅうことや、これ。
須磨が、長田が、むちゃくちゃになっとる。
なんちゅうことや、ほんま。
被災地を歩いた松崎さんが最も強く感じたのが、火災の恐怖でした。
燃え方が激しいです。
真っ赤に燃えています。
真っ赤に燃えてます。
もう、一度燃えだした炎というのは、もう絶対止められないんだなと。
焼き尽くすまで焼けるっていうのが、火災の恐ろしさなんだなと。
阪神・淡路大震災の主な出火原因は、電気製品から出火する通電火災。
一体どのような火災なのでしょうか?地震により、一度停電した室内に再び電気が通ったとき、散乱した可燃物が電気ストーブなどに接触すると、火災を引き起こす原因となります。
これが通電火災です。
総務省消防庁が行った通電火災の実験映像。
地震によって散乱した衣類が、電気ストーブに掛かっています。
1分後には煙が立ち始めました。
6分30秒後に発火。
そして22分後、フラッシュオーバーと呼ばれる爆発的な延焼が起こりました。
火災を防ぐには、避難する際、ブレーカーを切っておくことが重要です。
通電火災を防ぐため、さまざまな商品も開発されています。
これは感震ブレーカーが搭載された配電盤。
地震の揺れを感知すると、自動的にブレーカーを切る仕組みになっています。
地震発生から30分後。
次々と起こる火災から逃れるために、2人は避難する場所を探していました。
何やってるんだ、もっと広い所に逃げろ、早くしろ!
真奈。
その後、2人が避難したのは広い公園でした。
そこには周辺地域の住民たちが集まっていました。
迫りくる火の手から逃げ切った親子。
生き抜く術はこのシーンにありました。
真奈、避難するよ。
火事が発生したっていうようなことが聞こえてきたり、あるいはそのスピーカーで火災が発生しましたっていうようなアナウンスがあったときには実はなるべく早く避難をしたほうがいいんです。
火を見る前に避難をするということが何よりも大事なんです。
生き抜く術の2つ目は火を見る前に早めの避難。
地震火災というのは同時多発火災といってですね、うかうかしてると、火の挟み撃ちになるんですね。
市街地で人が歩く速さは時速3.5キロほど。
それに対し、火災が広がる速さは時速0.3キロ。
早めに落ち着いて避難すれば、火災に巻き込まれる可能性は減らせるのです。
その避難先というのは、火災のときに避難をする場所として指定されている避難場所、あるいは広域避難場所といわれている所です。
街の各所で火災が起きた場合に逃げ込む避難場所や広域避難場所とは、どのような場所なのでしょうか。
一帯でおよそ東京ドームの4個分に相当するかと思います。
この広さには理由がありました。
例えば東京都が指定する避難場所は、周辺地域の避難者を収容したうえで、周囲のいっぺんに火の手が迫っても、熱風の影響を受けない距離を保っています。
火災から避難する広場などは、市町村によって呼び名や基準が異なります。
自分が住む街の状況を知っておくことが、命を守る備えになるのです。
地震発生まで1分、鈴木家の父、真一はオフィスビルのロビーにいました。
地震だ。
高層ビルは倒壊の危険性は低いものの、落下物などへの注意が必要です。
実際、3年前の東日本大震災でも、室内の危険が明らかになりました。
非常口の看板が完全に落ちています。
立ってられません。
ものすごい強い揺れです。
わー!
揺れが収まったオフィス。
真一の頭に浮かんだのは、家族のこと。
災害発生のため、ただいま電話が大変込み合ってつながりにくくなっています。
妻への電話はつながらないため、家へ帰ろうとします。
ゆり子、真奈。
しかし。
歩道は帰宅しようとする人であふれていました。
だめだ。
国は首都直下地震では都心部の一般道で道路の損傷や液状化による地盤沈下、それに伴う交通事故や大渋滞が起きると想定しています。
さらに鉄道はJR在来線、私鉄ともに運行が停止し、運転再開まで1か月程度を要します。
そのため首都圏の帰宅困難者は、最大で800万人発生すると考えられています。
その数は、東日本大震災時の515万人を大きく上回ります。
首都直下地震で800万人が一斉に帰宅しようとすると、ひどい所では10平方メートル当たりに60人の密度になるとされています。
エブリィではその状況を作り出しました。
このあと10平方メートルの中に60人が入ります。
実際に入ることができるのか、そしてその集団は移動することができるのか、実験します。
帰宅困難者は会社員や学生、買い物客などが想定されるため、さまざまな年代の男女に集まってもらいました。
まずは10平方メートルの円をロープで囲みます。
そこに60人が詰め込まれるという状況を作り出します。
藤井キャスターも、カメラを持ってロープの中に。
徐々に円の中が人で埋まっていきます。
うわ、ちょっと、あら、これは大変だ。
そして10平方メートルに60人が入りました。
うわっ、相当な圧迫感ですね。
意外と背の高い方が多いので、周りを取り囲んでいるように女性の方、ほとんど周り見えないですよね。
見えない。
大丈夫ですか?
果たして、この状況で歩くことはできるのでしょうか。
目指すのは10メートル先の赤い円。
では移動してください。
どうぞ。
うわー、ちょっと、歩くときに肩がぶつかりますね。
そして背の低い女性の方はたぶん、周りがほとんど見えていない状況じゃないかと思います。
皆さん、歩幅を小さくして、少しずつ前に進んでいる状態です。
たった10メートル進むのに、これだけ気を遣いながら前進しているというのが現状です。
誰かが1人転んでしまうと、全体が将棋倒しになる可能性を十分にはらんでいます。
10メートル歩くのにかかった時間は50秒。
普通に歩く時間の5倍かかりました。
いかがでしたか?
いやぁ、ちょっと息苦しいですね。
やっぱり周りの皆さん、少しずつ前に進むという意思統一ができていたから、前に進めたと思うんですけど、例えばですね、停電で真っ暗な状況で、足元も見えない、周りの人も見えないとなると、パニックを起こす方が中には出てくるんじゃないかと思う。
今回の試みで、震災時に無理に帰宅することは危険を伴うことが分かりました。
携帯電話がつながらない。
家族が心配になり、帰宅しようとする真一。
都心で震災に遭ったとき、生き抜く術はこのシーンにありました。
だめだ。
都心にいる人たちというのは、火災が収まるまでは帰宅をしないで、都心にとどまるっていうことが何よりも安全なわけです。
生き抜く術の3つ目は、無理に帰宅せず、とどまる。
さらに帰宅困難者が消火や救助活動の妨げになることも考えられます。
目の前に火災現場があるのに、その前に帰宅困難者が右往左往してて火を消しに行けない、救出・救助にも行けない、結果的にその先の現場で人が亡くなってる。
つまり帰宅困難者が人の命を奪ったということも起こりかねないわけです。
東京都は、救助活動を優先させるため、震災発生から3日間は、帰宅をしないようにと呼びかけています。
地震発生から3日目、家に帰ることのできない住民が集まる避難所に、2人の姿がありました。
真奈!ゆり子!
パパ!
国は、建物の耐震化や火災への備えを進めることで、
首都直下地震を生き抜くすべを見ていただきました。
ぜひ、ご家族で地震が起きたときにどうするのか、話し合って決めておいてもらいたいと思いました。
それとやはりですね、地震が起きる前の備えも大切になります。
ここで、防災の専門家をご紹介いたします。
慶応義塾大学准教授の大木聖子さんです。
大木さんは、東京大学の地震研究所を経て、現在は慶応義塾大学で子どもたちの防災教育などに取り組まれています。
ここからは、大木さんに震災を生き抜く特別授業をお願いいたします。
よろしくお願いします。
よろしくお願いします。
よろしくお願いいたします。
早速ですが。
まずはこちら、安全な場所を知るというのを考えていただきたいと思います。
例えばおうちの中にいるときに地震が起こったら、どうすればいいのか。
それをきょうは、藤井さんと小山さんに、ご自宅の見取り図をご用意いただきましたので、そちらを使って、一緒に考えていきたいと思います。
じゃあまずは私から見ていただきたいんですけれども。
これ、自宅なんですが、あまり家具は置いてないんですが、なんか、危険な場所というのはあったりしますか?
例えばこのソファーに座って、テレビをご覧になってるときに、首都直下地震が起きたらどうされますか?
まず、テーブルの下に入りたいところなんですが、テーブルの高さがひざの高さより低いもので、なかなか入るには難しいものなんですよね。
しかも、これ、テーブルの上には大きな照明があって、それからテレビも、これ、テレビ固定されてますか?壁に。
備え付けではないですね。
ですよね。
壁に穴を開けたりできないので、テレビを固定できないという方も多くいらっしゃると思うんですけれども、そういう場合は、粘着テープで留める、そういう装置も開発されてますので。
で、地震が起きたときですけれども。
安全な場所、ありますか?この中だと。
例えばこの、こちらのオープンスペースですね、ここで安全姿勢を取っていただく、そのほうが無理にテーブルの下に入るよりもいいと思いますね。
安全姿勢というのは、どういう姿勢なんですか?
安全姿勢、テーブルなどの、身を守るものがないときの安全姿勢というのがちゃんとあります。
ちょっとやっていただいてよろしいですか?
もちろんです。
まずですね、両ひざをつけて、床にしゃがんでください。
ひざをつけることです、必ず。
そして、手はお水をすくうように合わせて、ずっと頭の後ろ、後頭部のほうに持っていってください。
そのまま、キューッと小さく丸くなっていただけますか?これ、ダンゴムシのポーズというふうに名前を付けてるんですけれども。
とにかく丸くなるんですね。
そうです。
これが安全姿勢でして、頭を守ることができる。
それから、何か倒れてきたとしても、腰で受けるので、命を守ることができる、そういうポーズになってます。
覚えていただきたいですね。
さあ続いては、この安全な場所を知るということで、そのポイントをまとめていただきましたけれども。
ポイントをまとめましょう。
3つのポイントがありますが、物が落ちてこない、倒れてこない、移動してこない、この3つのない、これが守られる場所を、ご自宅の中で探していただきたいと思います。
では、藤井さん、お願いします。
私の家の見取り図といいますか、このようになってますが、大木さん、どうですか?
一見すると、大きな鏡があるんですね、それからドア、窓ガラスがベランダの所にもありますよね。
そうですね、こういったガラスや鏡、こういったものには飛散防止シートといって、ガラスが仮に割れたとしても、飛び散らないようにする、そういったシートを貼るのが大事になってきます。
それから例えば、この配置も考えていただきたいんですね。
ガラスケースと、この植物、この場所を取り替えっこすることで、ドアの近くのオープンスペース、広い空間がより安全になります。
ぜひ考えてみてください。
私もテレビ台を固定してないんですが、テレビ台とガラステーブルの距離が非常に近いので、倒れてくる可能性もあるかなと思いますが、これはどうでしょうか?
そうですね。
特にガラステーブル、ガラスのテーブルですので、きちんとシートを貼るなどしていただきたいと思います。
そうですか。
ぜひ、テレビの前の皆さんにも、安全な場所を知ってもらいたいですね。
そうですね。
ご自宅の見取り図を描いたりして、安全な場所を知っていただきたいと思います。
直下型地震、首都直下地震というふうに言われてますけども、首都圏だけではなくて、日本のどこでも起こる地震なんですね、実は。
ですので、皆さん、こういった備えをきちんとしていただきたいと思います。
大木さんにはこのあともお話を伺います。
続いては、列島水没の危機。
南海トラフ巨大地震です。
想定される巨大津波。
高さは34メートル。
大都市にも押し寄せ、地下街は壊滅のおそれも。
続いては、こちらも発生が迫っているとされる南海トラフ巨大地震です。
さて、ご覧いただいていますのは、静岡県静岡市のライブ映像です。
ここには地震発生後、僅か2分で津波が来ると想定されています。
そして大阪市です。
この大都市にも津波は押し寄せてきます。
高さは最大で3.8メートル、甚大な被害が想定されています。
南海トラフ巨大地震では、震源から離れた地域でも大きな揺れが起きるため、揺れよりも前に、携帯電話の緊急地震速報で、地震発生を知る方も多いと思います。
その際、どのような音が鳴るかを知っていただくため、これからご覧いただく再現ドラマでは、緊急地震速報のブザー音を放送しますが、実際の緊急地震速報ではありません。
実際の緊急地震速報ではありません。
また、VTRには津波の映像が含まれています。
映像によって、体調が悪くなるなどのおそれがある方は、視聴をお控えください。
では、政府が想定する死者の数32万人。
南海トラフ巨大地震を生き抜く術です。
南海トラフ巨大地震が発生した際、最も高い津波に襲われる高知県。
まだ冷たい風が吹きすさぶ冬の深夜、高知市。
もしもし?
遅い時間にごめん。
寝るところだった?
夫婦と娘1人の3人で暮らす山田一家。
この日、夫は大阪市内へ出張中。
ビルの高層階でまだ打ち合わせをしていました。
あした、パパ、お土産いっぱい抱えて帰ってきてくれるから、きょうはママと一緒に寝ようね。
うん。
そろそろ寝る時間。
妻が娘と共に、寝室へ向かおうとした、そのとき。
キャー!
怖い、怖い。
突然、大きな音とともに激しく揺れる室内。
震度は7。
大丈夫!大丈夫!大丈夫だから落ち着いて。
一方、夫がいる大阪でも。
震度6強の大きな揺れ。
でかいぞ!
国は、南海トラフ巨大地震が起きると、関東から九州にかけての太平洋沿岸で、震度6以上の激しい揺れになると想定しています。
3分間にわたって揺れ続けた室内。
収まった。
そのとき、家の外から。
何か聞こえる。
大津波警報が発表されました。
津波!
このあと、
太平洋沿岸で発生した南海トラフ巨大地震。
高知市に住む山田親子が地震直後に聞いたものは。
大津波警報が発表されました。
海岸付近の方は高台に避難してください。
津波!逃げなくちゃ。
逃げるって、なんで逃げるの?
津波が来るの!
ママ、津波って何?
逃げるわよ!早く!早く出て!
親子、玄関にあったリュックだけを手に、家の外へ飛び出しました。
家まで。
家が流されています!
死者のおよそ9割が津波による水死だった東日本大震災。
岩手県宮古市に地震発生後40分で、高さ8.5メートルの津波が到達。
宮城県石巻市には、40分後に8.6メートルの津波が。
福島県相馬市には、65分後に9.3メートルの津波が到達しました。
東北3県で最も高い津波が到達したのは、いずれも地震の発生から40分以上がたったあとでした。
しかし、南海トラフ巨大地震では、国の想定によると、和歌山県串本町に最短2分で津波が到達。
高さは最大で18メートル。
高知県黒潮町には、最短で8分後に到達し、高さは最大で34メートルに達します。
早い場所では、地震後2分で津波が到達。
10メートル以上の大津波は、太平洋沿岸の11都県に押し寄せると想定されています。
津波が高知市内を襲うまでの時間は30分。
母親は車で避難しようとします。
ママ、怖いよ。
大丈夫、車で逃げればすぐなんだから。
しかし。
なんで?
路上に出た瞬間、目撃したもの、それは大渋滞でした。
これは東日本大震災当日に起きた渋滞の映像。
内閣府のアンケート調査では、実に57%の人が、自動車で避難したと答えています。
そして、車の中で死亡した人は、およそ700人に。
これ、渋滞だな。
この教訓は生かされず、震災よくとしに起きた余震でもなお、車での避難が相次ぎました。
高齢者や要介護者の避難では、車が有効な場合もありますが、やはり徒歩による避難が原則です。
停電で真っ暗な高知市内。
寒い。
ごめんね。
その背後では、国の想定では地震発生から20分、高知市内に向かって高さ16メートルの津波が襲来。
高知龍馬空港には、高さ5メートルの津波が押し寄せ、水没してしまうと想定されています。
親子に忍び寄る津波。
高い所、高い所。
生き抜くには、瞬時の判断が求められます。
東日本大震災でも、瞬時の判断で津波から生き延びた人がいました。
宮城県南三陸町にある戸倉小学校の校長だった麻生川敦さん。
あの日、大きな決断を迫られました。
戸倉小学校は、海岸からおよそ300メートルの場所に建っていました。
地震が起きたときの避難先の候補は2つ。
1つは、すぐに避難できる屋上。
そしてもう1つは、学校から歩いて5分はかかる高台。
そのどちらに逃げるのか決める前に、震災が起きたのです。
2、3分ぐらい続いてたように思ったんですけども、その間に、ああ、もう津波が来るって、もう思ってましたので、高台っていうふうに、もう瞬間に決めて。
即決した高台への避難。
子どもたち91人の命がかかっていました。
高台に到着してから30分後の午後3時半ごろ、巨大な津波が町を飲み込みます。
ものすごい音が響いてきて、家がこっちに向かって流れてくるのが見えたんですね。
戸倉小学校どうなってるかっていうのを見たら、もう海の中に戸倉小がぼーっと建ってるっていう状態だったんですね。
屋上に逃げてたら、もう完全に全滅だったと思います。
実際、津波は屋上まで到達しました。
津波から生き延びるためには、瞬時の判断で高い所へ。
一方、都市部では、さらに難しい判断を迫られます。
これは宮城県多賀城市で、宮城テレビの取材班が、実際に遭遇した事態。
津波です、津波。
見える。
車で移動中に、横から押し寄せてきた津波。
逃げたほうがいい、逆走してる車もいる。
さらに。
前方からも濁流が押し寄せてきました。
降りよう、降りよう。
車を離れて避難しますが、行く先々に濁流が。
津波は海側から来ると思いがち。
しかし、市街地では道路を回り込む形で流れ込んでくることもあるため、逃げる方向を決めるのが難しいのです。
高知市内を逃げ惑う山田親子。
高い所。
ママ、早く逃げないと。
こっちのマンションにしよう。
なんとか3階建てマンションの屋上へ逃げ込みました。
そして、地震発生から30分後。
国の想定では、高知市の中心部に高さ1メートル以上の津波が到達。
最悪の場合、高知県内では建物6万6000棟が全壊し、3万6000人が死亡すると想定されています。
そして、地震発生から4時間半ほどで、市街地のほとんどが浸水するとされています。
なんとか津波から逃れることができた親子。
生き抜く術はこのシーンにありました。
近くのビルの、できたら10メートル以上の所など、とりあえず、高い所に逃げていただく。
玄関の所に、そのシンボルみたいなやつが貼ってあるっていうか、一度は見に行くっていうことを、やっていただくっていうことですよね。
生き抜く術の4つ目は、自治体指定の津波避難ビルを事前に確認。
自治体の指定避難所には、このような表示がされています。
あすにでも、近くの避難ビルと、行き方を確認し、すぐに逃げられるよう備えることが大切です。
一方、夫がいる大阪。
数分間の激しい揺れのあと、ビルの高層階ではゆっくりとした水平の大きな揺れが。
高層ビルを襲う特殊な揺れ。
一体、
巨大地震に襲われた夫がいる大阪市。
ビルの高層階では、数分間の激しい揺れのあと、ゆっくりとした水平の大きな揺れが。
東日本大震災当日、震源から400キロ離れた東京でも同じ現象が。
新宿の高層ビルが、しなるように大きく左右に揺れています。
さらに、高さ192メートル、日本テレビタワーの30階オフィスでも。
横揺れでロッカーがゆっくりと大きく移動し、いすもあちこちへ動き回っています。
このゆっくりとした大きな揺れの正体は、長周期地震動と呼ばれる特殊な揺れ。
これは、高層ビル21階のオフィスを想定した実験。
長周期地震動が発生すると、水平に大きく揺れが生じ、オフィスの棚が次々と転倒。
さらに、コピー機が室内を動き回ります。
高層ビルでは、オフィス用品が凶器へと変貌するのです。
まだ揺れてますね。
なんだか気持ち悪くなってきたよ。
20分に及ぶ大きな揺れから、なんとか身を守ることができた夫。
生き抜く術はこのシーンにありました。
なるべく落下、転倒がない所を確保しておく。
例えば廊下ですとか、エレベーターの前ですとか、広くて物がない所がどこかっていうのを頭に入れておいて、余裕があればそこに待機しておいたほうがよいと思いますけれども。
生き抜く術の5つ目は、周囲に何もないスペースへ逃げる。
長周期地震動が発生しても、高層ビルが倒壊する可能性は極めて低いので、廊下など、何もない場所へ避難することが重要です。
国の想定では、大阪でさらなる被害が発生します。
地震発生から2時間後、大阪市にも津波が襲来。
その高さ最大3.8メートル。
市内の広い範囲が浸水し、最悪の場合、2400人の死者が出ると想定されています。
そしてこのあと。
世界最大級、
国の想定によると、南海トラフ巨大地震の発生から2時間後、大阪市に最大3.8メートルの津波が襲来するとされています。
このとき、最も恐ろしいのが地下街の浸水。
世界最大級の地下街を有する大阪市梅田では、最大で2メートル浸水し、水は一気に地下街や地下鉄に流れ込むのです。
そのため、揺れが収まったあとは、速やかに地下街から逃げ出す必要があります。
震災翌日。
高知にいる山田親子は、津波避難ビルで朝を待っていました。
おうち、どうなったかな?
外見てみようか。
津波が引いたあとの市内の様子を確認しようと、屋上に上がった母と娘。
すると。
燃えてる。
東日本大震災では、津波が原因の火災が起きました。
日本火災学会の調査によると、そのうちおよそ35%が、車からの出火だったといいます。
海水をかぶった車がなぜ出火するのか。
私たちは専門家の立ち会いの下、実験しました。
車が燃える原因はいくつか考えられていますが、相川さんによると、電気系統の部品から火が出る可能性が高いといいます。
そこで今回は、バッテリーと車の中のさまざまな部品に電気を送る役割を持つヒューズボックスだけを取り出して、模擬的に実験を試みました。
海水は場所によって、塩分濃度や成分が異なるため、被災地、宮城県七ヶ浜町でくみ上げました。
実験は、異なる車種の3つのヒューズボックスで同時に行いました。
バッテリーにつないだヒューズボックス。
この状態では、電気は流れていません。
しかし、ヒューズボックスを海水に浸すと。
どんどん電流計の数値が上がっていきます。
今、海水を入れましたが、電流計の数値がどんどん上がっていきます。
海水は電気を通しやすい性質を持つため、ヒューズボックスの中で電気が流れ始めました。
そのまま浸しておくと、基盤に使われている銅などが溶け出し、海水が濁っていきます。
1時間後、最も濃く濁ったのは、左の水槽です。
津波が引いたという想定で、ヒューズボックスを取り出すと。
今、1時間たって、ヒューズボックスを取り出しましたが、そのうちの一つ、すでに、早くも白い煙が出ています。
取り出してすぐ、3つのうち1つから、煙が出始めました。
実際には津波が引いても、海水は車の中にたまっていて、すぐに乾くことはないといいます。
それを想定し、海水をかけ続けると。
プラスチックが焦げる、非常に強い臭いと、白い煙、そして赤い炎が奥に見えています。
あっ、ヒューズボックス燃えてますね。
ヒューズボックス、燃えています。
30分後、炎が上がりました。
なぜヒューズボックスから火が出たのでしょうか。
相川さんによると、海水につかったヒューズボックスの中では、海水の塩分によって電気が流れ、熱を持ち始めます。
また基板から銅が溶け出して、さびが出ると、電気が流れやすくなることから、さらに加熱してプラスチック類などが燃えたと見られています。
地震発生から丸1日が経過。
母と娘の避難は続いていました。
よいしょ。
あった。
はい、カンパン。
母親が非常食などを入れていたのが、避難用持ち出し袋。
なぜ忘れず持ち出すことができたのでしょうか。
生き抜く術は、このシーンにありました。
慌ててるでしょ、しかも夜、真っ暗かもしれないでしょ。
避難袋はね、玄関の天井近くにぶら下げておくっていうのが一番いいんだよ。
生き抜く術の6つ目は、持ち出し袋は玄関に置いておく。
袋には何を入れておけばいいのでしょうか。
ホームセンターなどで売られている持ち出し袋の中には、マスクやカイロ、携帯トイレや懐中電灯など、必要最低限のものが入っています。
これに加え、消防庁では、缶切りや哺乳瓶、ライター、ナイフなど、20品目を推奨しています。
では、震災の直後、最も必要だったものは何か。
東日本大震災の被災者に聞いてみました。
寒さに我慢が限界っつうか、結局、毛布とかそういうものが欲しかった。
下着類。
物資でもらえるのは、ほら、本当に上でしょう。
下着はやっぱり1週間ぐらいは履いてたもん。
内閣府が行った被災者への聞き取り調査では、必要なものは人によって違いがあることが分かります。
震災に備え、何がないと困るかを家族で話し合い、持ち出し袋に入れておくことが大切です。
そして4日後、親子は。
大丈夫ですか?けがのほうは?
大丈夫ですか?
国によると、南海トラフ巨大地震が起きた場合、被災する地域が広く、本格的な救援活動が始まるまで時間がかかるといいます。
生死を分ける判断を何度も迫られることになる、南海トラフ巨大地震。
生き抜くための準備、あなたはできていますか?
甚大な被害が想定されていますが、準備を進めれば、亡くなる方の数を8割から9割減らせるといいます。
ブザー音を放送しましたが、実際の緊急地震速報ではありません。
それでは、ここで再び、慶応義塾大学准教授の大木聖子さんの特別授業をお送りしたいと思います。
次はですね、震災が起きたときに、どう行動するのかというのを、あらかじめ想像してみる、これを授業したいと思います。
想像してみるというのは?
実際、具体的に、おうちがどうなるのか、家族はどうなるのか、そういうことを想像して、家族と話し合うというのが、防災の初めの一歩になります。
具体的なシチュエーションを想像することが大事ということで、今から例題を出しますので、テレビの前の皆さんも、一緒にそのシチュエーションで想像してみていただきたいと思います。
ではお願いします。
日中、巨大地震が起きて、ある街に津波が迫っています。
お父さんとお母さんは、最寄り駅の近く、高台で仕事をしています。
小学校低学年のお子さんは、海に近い自宅で一人、お留守番をしている時間です。
藤井さん、お父さんの場合、どうしますか?
いやー、迎えに行ってはいけないというふうには学びましたが、父親としては行ってしまうんじゃないかと思います。
そうですよね、たぶん多くの方がそういうふうに感じられたと思います。
お父さん、迎えに来るんじゃないかって思った子どもは、お父さん来るの、待っちゃいますよね。
そうですね。
そうすると、刻一刻と津波が迫ってくるわけです。
では、もう1題、例題としてシチュエーション、先生に出していただきたいと思います。
次はですね、火災です。
津波が来ない地域も、火事が発生するリスクがありますので、ちょっと考えてみましょう。
日中、巨大地震が起きて、住宅街で火災が発生しました。
お父さんとお母さんは、最寄り駅の近くでお仕事をしています。
子どもは駅から数キロ離れた自宅で1人、お留守番をしています。
火事が隣の家まで迫ってきました。
小山さん、10歳ぐらいの子どもになったと想像して、1人、お留守番しているとき、どうしますか?
やはり怖いので、一度、電話をかけてみるかもしれませんね。
親に電話をする?
そうですね。
でも、大きい地震のときは、もう電話はつながらないんですよね。
つながりにくい状態になるっていわれてますよね。
だとすると、両親が帰ってくるまで、家で待つしかないかもしれないですね。
そうですよね。
もう火は迫ってきているけれども、自分は待ってしまう、お父さんとお母さん、帰ってくるんじゃないかと待ってしまったり、あるいはお子さんによっては、自分がなんとか火を食い止めようというふうに思ってしまうお子さんもいるかもしれないですよね。
さっきの津波も同じで、もうこういう事態になってしまったら、これ、手遅れなんですね。
手遅れになってしまうんですか。
ですので、手遅れになる前に、例えば今、今、この瞬間、地震が起こってないきょう、もう今晩のうちに、家族でどうするか話し合っておいていただきたいんです。
例えば今回の例題ですと、お子さんの場合、家族が、お父さんやお母さんが、隣のおうちが燃えていたら、自分のおうちが燃える、それでもいい、家を捨てて、小学校まで逃げなさい。
そこにお父さんとお母さんが迎えに行くから、そうやって約束をしてるだけで、全然違いますよね。
そうですね。
津波も同じです。
待ち合わせ場所、高台の待ち合わせ場所をぜひ、ご家族で決めておいていただいて、そこで会う。
何日たってでもそこに迎えに行くから、そこに行きなさいというふうに、家族で約束をしていただきたいと思います。
ポイントは。
ポイントは、問題を、家族の問題を把握して、対策を話し合っておくということになります。
家族で約束事をしておくということが、とても大事なんですね。
そうです。
ここまでVTRでは、震災を生き抜く7つの術のうち、6つまでをご紹介しましたが、7つ目、大木先生、お願いします。
こちらです。
家庭内に防災文化を作るということをぜひ、徹底していただきたいと思います。
例えば、おうちの家具を固定するということ、めんど臭くてなかなかやってないんじゃないかなと思います。
ちょっと、こういうふうに考えていただきたいんですね。
家具の固定は、お子さんやお孫さんと一緒にやる。
そうすることで、あっ、家具は留めなきゃいけないんだなという意識を持った人に育っていく。
お子さんがお嫁に行ったときに、嫁いだ先でも家具を留める、巡り巡って、お孫さんが棚の前で遊んでるときに地震が起こっても、命を救うことができる。
そうやって、今、あなたが作った文化が、命を守るということを知っておいていただきたいと思います。
家庭に防災。
大木先生、ありがとうございました。
ありがとうございました。
ここまで7つのすべをお送りしてきました。
藤井さん。
きょうはちょうど、震災から3年ということになりましたが、これは震災4年目のスタートを意味します。
きょうから震災を忘れないこと、
今夜の『さんま御殿!!』は…
2014/03/11(火) 16:53〜19:56
読売テレビ1
3.11news every.特別版[字]

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