こういう一途な思いが安倍総理には伝わったのでしょうか。
しかし、私たちはこの地域の未来についての議論をほとんど忘れかけているような気もします。
こちらのじじい部隊の皆さん、そんな風潮に抗うように日々奮闘しています。
きょうの午後3時、急きょ会見を開いた理化学研究所。
今年1月、理化学研究所の小保方晴子さんらが発表し、生物学の常識を覆す発見だとされたSTAP細胞。
ところがきのう共同研究者の一人である山梨大学の若山照彦教授自らが論文の撤回を呼び掛け、事態が大きく動きました。
論文の取り下げも視野に検討に入った理研。
一方、「STAP細胞の存在自体はゆるぎない」という姿勢は崩しませんでした。
この異例の事態に文部科学大臣は…そして、若山教授はさきほど会見を開き、小保方さんからメールがあったことを明らかにしました。
STAP細胞の論文の信憑性をめぐり波紋は広がるばかりです。
共同研究者の若山教授が呈した3つの疑問がこちらです。
これは、一体どういうことなのかまとめました。
若山教授が疑問を呈したのは、ネイチャーに掲載されたこちらの写真です。
若山教授によると、STAP細胞から組織をつくったとする今回の写真と、3年前に書かれた小保方さんの博士論文の写真がよく似ているといいます。
博士論文ではSTAP細胞ではなく「骨髄の細胞」から組織をつくったと書かれ、二つは全く違うものだと言います。
若山教授がSTAP細胞の作成に成功したのは、小保方さんと一緒に作った1回だけ、その後は数十回試してすべて失敗しているといいます。
ほかの研究者からも「再現できない」との指摘がありますが、かつてクローン羊も発表から1年以上、再現できなかった例があり、現時点での判断は、難しいといいます。
STAP細胞が再現できないという声が多く理研は今月、作製の手順書を公開しました。
若山教授によりますと論文では、遺伝子の中に「変化が生じた」とされていたのに、手順書では「変化はない」と説明が変わったといいます。
STAP細胞の論文の信頼性はどうなのか?幹細胞研究が専門の大阪大学の仲野徹教授に聞きました。
まず昔の博士論文の写真が使われたのではないかとされる点は…また、論文で遺伝子変化があるとたものが、手順書ではないとした点については…今回のSTAP細胞をめぐる騒動は再生医療の世界にも波紋を広げています。
iPS細胞を使った心筋細胞を研究している心臓外科医は日本の科学界のためにももう一度論文の正確な検証をしてほしいといいます。
世界的発見の発表からわずか1か月半、理化学研究所は14日金曜日に会見を開く予定です。
真相は明らかになるのか。
今週金曜の理研の会見が注目されます。
以上、STAP細胞の論文をめぐるニュースをお伝えしました。
東日本大震災の発生から3年を迎えたきょう、神戸では、犠牲者の慰霊と鎮魂を祈る追悼行事が行われました。
発生時刻の午後2時46分。
被災地にむけて黙祷が捧げられました。
神戸市中央区の東遊園地には、地元の住民や東北から避難した人たちおよそ300人が集まりました。
訪れた人たちは、「3・11」の形に並べられた竹灯籠にそれぞれの思いをつづり犠牲者への冥福と被災地の復興を祈りました。
おととし、京都市の小学校のプールで1年生の女の子が死亡し遺族が損害賠償を求めていた裁判の判決です。
京都地裁は「現場にいた教員が監視義務を怠った」として市などにおよそ3,000万円の支払いを命じました。
おととし7月、京都市左京区にある市立養徳小学校のプールで当時1年生だった浅田羽菜さんが溺れて死亡しました。
訴えによりますと、浅田さんの身長は113センチでしたが、プールは最も深い所で110センチあり、遺族は「低学年対象の指導で使うのは不適切」などとして、市などにおよそ8,100万円の損害賠償を求めていました。
きょうの判決で京都地裁は「事故当時、教員は誰1人プールサイドから児童全体の様子を監視しておらず、監視義務を怠ったのが事故の原因」などとして、市などにおよそ3千万円の支払いを命じました。
京阪電鉄は大阪府枚方市の大型商業施設、「くずはモール」をあす、リニューアルオープンさせます。
府内では最大級の規模となりますが、鉄道会社ならではこだわりもあるようです。
枚方市の大型商業施設「くずはモール」。
リニューアルオープンを前にきょう内覧会が開かれ地元の住民、およそ2万人が招かれました。
営業面積は本館と新築した南館をあわせて改装前の1.4倍の7万2,000平方メートル、ショップやレストランも240店舗と大幅に増え大阪府下最大級のショッピングセンターに生まれ変わりました。
中でもこだわったのは…「テレビカー」の愛称で親しまれ去年、引退した京阪特急の実物車両を展示したミニ鉄道博物館です。
運転を体験するコーナーや京阪沿線のジオラマなど鉄道好きだけでなく、誰もが楽しめる空間となっています。
京阪らしさで他のショッピングモールとの差別化を図る狙いで改装前のおよそ1.5倍にあたる年間500億円の売り上げを見込んでいます。
大阪府豊能町で建設残土が突然崩れてからきょうで2週間が経ちます。
府などが道路の復旧作業を続けていますが再開の見通しは立っておらず近隣住民の生活にも影響が出ています。
カメラマン)「大量の土砂が流れ込んできて道を完全に塞いでいます」先月25日に発生した豊能町の土砂崩れ。
きょうも作業が行われていますが土砂で塞がれた府道の復旧のメドはたっておらず、町民の日常生活にも影響を及ぼしています。
地域住民の通勤通学の足、豊中市の千里中央に向かうバスは通常で50分、しかし、いまは北周りで大きく迂回するためおよそ20分、余計に時間がかかるといいます。
今回の土砂崩れは建築会社が大阪府の許可に反して大量の建設残土を持ち込み、府の度重なる指導を無視した上に発生しました。
昨夜行われた府などによる住民説明会では行政側の対応の甘さに批判の声が上がりました。
府は復旧作業の長期化も見越して迂回道路の建設も検討したいとしています。
あれから3年。
避難するという選択をした人達の今、です。
福島から、遠く離れた関西に、3年。
夫と離ればなれで暮らす母子、「自主避難者」たちの今です。
原発事故の発生からまる3年。
特集は福島から関西に避難して生活を続ける家族についてです。
福島では原発から20キロ圏内、そして、年間の被ばく量が20ミリシーベルトを超える恐れのある地域は「避難指示区域」となっています。
ただ、県外へ避難している人およそ4万8千人のうち、その半数近くは、福島市や郡山市など、避難指示が出されていないところからの避難者、いわゆる「自主避難」の人たちです。
VOICEは大阪に自主避難してきたある家族のその後の歩みを追いました。
今月7日、横断幕を掲げ、大阪地裁に裁判を起こした人たち。
みな福島から関西へ逃れ、避難生活を続けて来ました。
そのほとんどは、国が定めている避難指示区域以外の場所から避難してきたいわゆる「自主避難」の人たちです。
裁判の原告の1人、森松明希子さん。
震災の2か月後、夫を福島県郡山市に残し、二人の子供と一緒に大阪に避難してきました。
大阪と福島、離ればなれの生活で、家賃や光熱費の負担は、倍になりました。
夫が子どもたちに会いにやってくるのも、月に一回がやっとです。
震災にともなう原発事故で、福島県のほぼ全域が高濃度の放射能で汚染されました。
除染をしなければ、避難指示の目安とされる年間の被ばく線量が20ミリシーベルトを超える場所が、至るところにあるような状況です。
しかし、去年夏・・・。
森松さんの地元・郡山市のプールに行ってみると事故の影響などないかのように賑わっていました。
ちょうどこの時期、森松さんは夫が住む郡山市に一時帰宅していました。
久しぶりの家族団らんですが、やはり放射線量が気にかかります。
内科の勤務医として働く、夫の暁史さんは、妻と子どもたちの避難に理解を示しています。
森松さんは放射線の被ばくを少しでも避けようと、震災後に市内に作られた、屋内遊戯施設で、子どもを遊ばせました。
そこで、子育て仲間だった友人とも再会。
これは、自主避難区域である福島市が行った市民意識調査の結果です。
見かけの平常さとは裏腹に、放射線による被ばくに不安を感じ、国や県などの助けを待っている人が大勢いることがうかがえます。
しかし、公式には避難の必要はない、と言われている地域からの「自主避難」。
批判や、誹謗・中傷の対象になることもあるといいます。
避難するのも、留まるのも、いばらの道。
福島の人が追い込まれている現状をなんとかしたいと考えた森松さんは、裁判をして、そのことを世に問いたいと思い始めていました。
いま、国や福島県は、避難指示区域以外では、除染をしながら、人を住み続けさせる政策をとっています。
しかし、計画は思った通り進まず住宅の除染で出た土は、持って行き場のないまま、庭先で山積みにされています。
「復興」「がんばろう福島」のかけ声の一方で、福島県外に避難している人の数は、およそ4万8千人に上っています。
そんな中、国と東京電力は、柏崎刈羽原発の再稼働を前提に、経営再建をすすめています。
このままでは風化が進み、あの事故はなかったことにされてしまう・・・。
この日、森松さんをはじめ関西への自主避難者ら80人・27世帯が、国と東京電力の責任を問う裁判を起こしました。
去年12月、そして今月7日には二次と三次の提訴が行われました。
原告の中には、福島県以外からの避難者もいます。
これまでは孤立しがちだった「自主避難者」一人一人が、こうして声を上げることで、つながろうとしています。
避難してきたとき3歳だった長男の明暁くんは、この春から、大阪で小学校に通います。
「自主避難」したのは正しかったのかどうか、揺れ動き続けた3年。
しかし、今の森松さんに、もう迷いはありません。
避難するのも、留まるのも、茨の道。
福島の人たちの「震災」は終わりなく続く。
原発賠償関西訴訟の初弁論は今年4月にも行われる。
他の同様の訴訟で、国や東京電力は今のところ、事故の過失や責任を認めていない。
MBSでは、この「自主避難」の問題を扱ったドキュメンタリー番組を、今月16日深夜に放送します。
ぜひご覧下さい。
VOICE+火曜日は、私、金山が気になった街に足を運んで、その町の魅力をお伝えします。
今回行ってきたのはこちら。
京都府京田辺市です。
京都府の南部に位置し、大阪と奈良にも接するベッドタウンですがとんち話で有名なあの僧侶が晩年を過ごした町でもありました。
京田辺市は人口およそ7万人。
JRの学研都市線、京田辺駅を中心に市街地が広がっています。
駅前を歩いていると・金山AN)「こちらはお茶屋さん。
いい雰囲気ですね。
こんにちは、よろしいですか?」こちらは創業170年、老舗のお茶屋さんです。
日本一の玉露。
どんな味なんでしょうか。
金山AN)「味がしっかりしていて、甘みがある。
」金山AN「エスプレッソも量が少ない。
お茶会のエスプレッソ。
」次に向かったのは・・・金山AN「立派な門が見えてきました。
到着しました、酬恩庵一休寺です」酬恩庵一休寺。
名前にあるとおりとんちで有名な一休さんが建てたお寺です。
時は室町時代の1456年。
一休さんが63歳のときでした。
そして、88歳で亡くなるまでこのお寺で過したそうです。
金山AN)「玄関にいきなり虎の屏風。
これはやっぱりあのとんちにちなんで置かれているんですか?」そして、奥に進んでいくと・・。
金山AN)「ご住職、こちらに座っていらっしゃる方が…?」一休さんが亡くなる直前、弟子に作らせたというこの木像。
そのお顔にある秘密がありました。
そんな一休さん、実はある食べ物が大好物だったんです。
ぜんざいは一休さんが名付け親だったんです。
最後にご住職が一休さんのとんち話をひとつ教えてくださいました。
一休さんの機知に富んだその受け答えに、思わず頭が下がりました。
一休さん、私も寺の息子として、昔から大好きなんですが、一休寺では善哉のほかにも「一休寺納豆」という一休さんが中国から製法を学んだ保存食の塩辛い納豆も頂くことができるんです。
一休さんが過ごした場所に行くと、何かいいひらめきがあるかも知れませんよ。
【天気予報は字幕がありません】
気になるあの人達の…
2014/03/11(火) 18:15〜19:00
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夫をフクシマに残して3年…引き裂かれた「自主避難者」家族の苦悩続く
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