こころフォトスペシャル 2014.03.11

去年1月から始まった「こころフォト」。
震災で亡くなった一人一人の命の尊さを忘れないために亡くなった方や行方の分からない方の写真と家族のメッセージをお伝えしてきました。
ホームページに寄せられた写真は150人を超えています。
がれきの中からようやく見つけ出したもの。
携帯電話にたった一枚だけ残っていたもの。
どの写真にも大切な時間が刻まれています。
メッセージには愛する人を思う気持ちがあふれています。
「夢でもいいからあなたの笑顔に逢いたい」。
「本当に亡くなったの?と思いは募るばかりです」。
震災から3年。
寄せられたメッセージの中には「亡くなった人の存在を確かに感じる」という声が少なくありませんでした。
毎朝コーヒーを入れるのが日課です。
(佐野)コーヒープレスの味が一番私おいしいというか…。
コーヒーが好きだった長男の公紀さん。
3年前の今日18歳で亡くなりました。
(佐野)天気の話をして…線香を上げて頂いてるんですけど…。
毎朝なんかこんなんなっちゃうんですけど…。
いつまでたっても弱いっていうか…。
公紀さんはいつも「お母さん大丈夫?」と気遣う優しい子供でした。
8歳上の姉と手をつないで寝るほど仲が良く何でも話をする家族でした。
薬剤師になるのが夢で念願の薬科大学に合格。
学生証の写真を撮影したその5日後津波に巻き込まれました。
自動車学校の送迎バスで自宅に帰る途中でした。
佐野さんは一日中家に籠もって泣きどうすれば息子の後を追えるかばかり考えていたといいます。
震災から3年。
佐野さんが「こころフォト」に寄せてくれたメッセージです。
最愛の息子を亡くして3年「幸せに生きて」という声が聞こえるようになったのはなぜなのでしょうか。
あの日佐野さんは自動車学校にいた公紀さんとメールを交わしていました。
公紀さんから「お願いします!待ってます」という返事。
佐野さんは車で迎えに行くつもりでした。
しかしその8分後公紀さんからメールが届きました。
時刻は午後3時50分。
津波が迫っていたと思われる時間でした。
…とずっと思ってるんですけど。
それが最後のメールになりました。
息子が守ろうとしてくれた命。
何度もメールを読み返すうちにある思いが込み上げてきました。
佐野さんは息子の足跡をたどりたいと思うようになりました。
去年の秋修学旅行先だった広島へ家族で出かけた時の事です。
岩手県陸前高田市。
住民の7割が被災し1,800人以上が亡くなりました。
こんにちは〜。
ケアマネージャーとして働く菅野佳代子さんです。
細かいのをやる時やりづらいとかそんなのはないんですか?笑顔で話を聞く菅野さん。
その指にはいつも2つの結婚指輪があります。
菅野さんは最愛の夫を震災で亡くしました。
菅野さんは仮設住宅で息子と2人暮らしています。
(鈴の音)市役所の職員だった夫の誠さんは市民を避難させている最中津波に巻き込まれました。
困っている人を放っておけない面倒見のいい人でした。
いつも本当に「何でそればっかり着るの?」というぐらいこれをいつも中の方に着ていたので…二人が出会ったのは中学1年生。
席が前と後ろになって以来38年間いつも隣にいるのが当たり前でした。
これから先も一緒に年を重ねていくと思っていました。
あまりにもなんて言うか…そんな感じでしたね。
眠れない日が続きました。
震災から1か月後菅野さんは車で仕事に向かう途中橋の欄干にぶつかり車は横転。
命を失ってもおかしくない大事故でした。
菅野さんは右手を失いましたが一命は取り留めました。
…という感じは勝手にしてるんですけど。
…と自分は思ってるんですけども。
そのころ菅野さんのもとにがれきの泥の中から出てきたという写真が少しずつ届けられるようになりました。
「あこれじゃあ駄目だ」という事で…泥を洗い流した向こうに現れたのは夫と過ごした幸せな記憶。
あ〜なんかもう30年も…30年も前の写真なんですけど…若いですね。
あ〜これ…。
まだこれ1か月にもなんないくらいだと思うんですが…菅野さんは「こころフォト」にその思いを寄せてくれました。
あどうぞ〜。
こんにちは。
どうぞはっちゃん久しぶり。
夫の写真には亡くなった多くの友人も写っていました。
菅野さんはその家族にも写真をあげたいと思うようになりました。
(鈴の音)家族ぐるみのつきあいだった河野初さんです。
河野さんの夫も仕事中に亡くなりました。
一応今回焼き増ししたのは…。
今年になってようやく夫の写真を見たいと思うようになりました。
(菅野)あとこれはうちの建て前なんだけどはっちゃんのうちも写ってるから一応焼き増ししたの。
(河野)おばあちゃん喜ぶな。
(菅野)でしょう。
あちょっとこれ駄目だ〜。
駄目だ?えいいでしょう?いいけど駄目…。
そこには久しぶりに見る夫の笑顔がありました。
あやっぱり駄目だ…。
覚悟はしてきたんだけどやっぱり駄目…。
(菅野)でもいい写真でしょ。
うんうん。
…思い出した。
今菅野さんは折に触れて聴く曲があります。
それは夫が一番好きだった曲。
・「たった一度の人生にあなたとめぐりあえたこと」・「いつも近くに居る」・「ながいながい坂道のぼるのは」・「あなた独りじゃない」震災から3年を迎え「こころフォト」に寄せられたメッセージには深い悲しみの中でも前を向こうとする家族の思いがつづられていました。
宮城県の松下毅宏さんへ妻・尚子さんからのメッセージです。
毅宏さんは銀行を定年まで勤め孫の成長を楽しみにしていました。
悠さんは保育士になるのが夢でした。
早苗さんにとって祖父母は心の支えでした。
大切な人を失った家族は3年という月日をどんな思いで生きてきたのでしょうか。
3人の子供を亡くしたある夫婦を訪ねました。
宮城県の木工作家遠藤伸一さんです。
津波で3人の子供を亡くしました。
工房の名前は「木遊木」。
ロゴマークに描かれているのは3人の子供たちが遊んでいる姿です。
子供たちは皆お父さんが作る椅子や机が大好きでした。
一つ一つの作品に子供たちとの思い出が詰まっています。
(伸一)ただいま。
(綾子)おかえりなさい。
遠藤さんの妻綾子さんです。
綾子さんは3年たった今も部屋に飾った子供たちの写真をじっと見つめる事ができません。
自宅の2階には入る事ができない部屋があります。
がれきの中から見つかった写真が泥のついたまま置かれています。
3年前石巻市の遠藤さんの家は海からおよそ300mの場所にありました。
地震のあと遠藤さんは子供たちを隣に住む母親に預け親戚を捜すために自宅を離れました。
まさか津波が来るとは思っていませんでした。
翌朝遠藤さんががれきをかき分けて母親の家にたどりつくと…。
長女の花さんは家の中で。
長男の侃太君は10日後に自宅から50m離れた場所で見つかりました。
そういうのもまるっきり分かんなくなって…。
子供たちが亡くなった事を納得できなかった綾子さん。
その思いを夫にぶつけました。
その後避難所を出て2人だけの生活が始まりました。
遠藤さん夫婦は初めて正直な気持ちを話し合ったといいます。
仕事をする気になれなかった遠藤さん。
ある日津波で流された学校や幼稚園で使う本棚を作ってほしいと頼まれました。
父親の仕事をいつも見ていた3人。
遠藤さんは亡くなった子供たちのためにも本棚作りを引き受けようと考えました。
ほら英語の本も入ってるよ。
遠藤さんからのメッセージです。
一方綾子さんはなかなか人と接する気持ちになれませんでした。
外出を避ける日々が2年近く続きました。
そんな綾子さんの心を動かす出会いがありました。
兵庫県から移り住みボランティアをしていた…9年前大学2年生だった渡邊さんは通学途中に大きな事故に巻き込まれました。
兵庫県尼崎市で起きたJR福知山線の脱線事故。
同じ電車に乗っていた107人が亡くなりました。
綾子さんと渡邊さんの気持ちが通じたのは去年の春。
事故以来初めて現場に行った渡邊さんに1通のメールが届きました。
つらい経験に向き合う姿を見た綾子さんは次第に心を開くようになりました。
(綾子)ぺちゃくちゃぺちゃくちゃ…去年の夏ごろから綾子さんは外に出かけ積極的に人と関わるようになりました。
はるちゃん!こんにちは。
避難所で親しくなった独り暮らしのお年寄りです。
ほんとにね…。
今遠藤さん夫婦は自宅の跡地に子供の遊び場を作っています。
にぎやかな声が響く事で亡くなった子供たちが喜んでくれると思ったからです。
空に向かって伸びる3本の矢。
「我が子への思いが天まで届いてほしい」そんな願いが込められています。
(綾子)ここでね…。
(伸一)うん。
遠藤さん夫婦は子供たちの事を思いながら3月11日を迎えています。
残された家族の歩みの速さはそれぞれ異なりますが時は確実に進んでいます。
今回寄せられたメッセージには幸せを強く願う言葉が見られるようになりました。
両親と妻次男の4人を亡くした千葉孝幸さんからのメッセージです。
千葉さんは長男と2人で暮らしています。
親子の3年を見つめました。
町の中心部は津波と火災で大きな被害を受けました。
中学2年生。
この日は念願の引っ越しです。
うわほんとになくなってます。
2年半暮らした仮設住宅を出て新居へと移ります。
父親の千葉孝幸さんです。
もう一度家を建てる事を目標にしてきました。
雄貴君と暮らす新居には亡くなった家族4人への思いが込められています。
アハッ…。
雄貴君が自分の部屋に飾ったのは弟の写真です。
雄貴君にとって10歳離れた弟は宝物のような存在でした。
3世代6人家族だった千葉さん一家。
津波で4人が亡くなりました。
雄貴君の母親峰子さんは料理が得意で明るいお母さん。
祖父の兼司さんは畑仕事に精を出す毎日でした。
祖母のチヤさんは2人の孫の成長を楽しみにしていました。
千葉さんは新居のダイニングに家族6人分の椅子を用意しました。
(孝幸)ねえ。
うん。
千葉さんは自宅があった場所を撮影していました。
あの日千葉さんは妻の峰子さんに両親と一世ちゃんを連れて避難するよう頼み学校にいた雄貴君を迎えに行きました。
ところが峰子さんの車は渋滞で動けなくなり4人とも津波に巻き込まれたのです。
当時千葉さんは自分を責め続けていました。
小学生だった雄貴君は悲しむ父親の前で家族の話をほとんどしなくなりました。
仮設住宅で始まった2人だけの生活。
家の事を妻や母親に任せきりだった千葉さんは必死に家事をこなしながら雄貴君を励まし続けました。
そんな2人の生活が2年半続きました。
新居に移って2か月がたちました。
(鈴の音)朝5時半。
仏壇の4人に手を合わせる事から千葉さんの一日が始まります。
雄貴兄ちゃん!おい!雄貴兄ちゃん朝だぞ。
家事もすっかり板についてきました。
妻や母親がしてくれたように毎日欠かさずみそ汁を作ります。
ねえ雄貴。
(雄貴)うん。
一息つく暇もなく掃除に取りかかります。
水産加工会社で働く千葉さんにとって出勤前の2時間は貴重な時間です。
一方雄貴君は受験勉強を頑張って父親を安心させたいと思っています。
それでも一人になると考える事があります。
家に帰ってもかつてのように出迎えてくれる人はいません。
父親が帰るまで一人で過ごす雄貴君。
ふとにぎやかだった家族を思い出すといいます。
千葉さんは仕事帰りにある場所に立ち寄りました。
雄貴君の14歳の誕生日です。
こちらになります。
はい。
千葉さんは雄貴君に誕生日プレゼントを用意していました。
(千葉)準備してるから。
「天国の4人から雄貴へ」。
千葉さんが亡くなった4人の気持ちになって書いた手紙です。
雄貴。
皿洗った今?
(雄貴)うん。
お父さんに何かを伝える雄貴君。
突然部屋を飛び出しました。
手に取ったのは4人の写真です。
家族みんなに祝ってもらう誕生日。
誕生日おめでとう!じいちゃんばあちゃんも言ってるよ。
はい!
(千葉)煙が…。
アハハハハ!
(千葉)おめでとう。
一世に煙が全部行った。
(笑い声)お父さんに手紙を読んでもらいます。
峰子さんは運動会や部活動の試合を必ず見に来て雄貴君を応援してくれました。
(雄貴)うん。
(千葉)多分ママはね今でもしゃべってるよ。
亡くなった4人の大切な思い出。
千葉さんと雄貴君がこれほど家族の話をしたのは震災後初めてでした。
月命日の2月11日。
雄貴君は「こころフォト」にメッセージを寄せてくれました。
(笑い声)千葉さん親子の夢は雄貴君が結婚して子供が生まれかつてのような大家族で暮らす事だそうです。
「こころフォト」に寄せられた写真あの日から3年たった今なお輝きを増し残された家族を支え続けています。
東日本大震災で亡くなった方行方が分からない方2万1千人余り。
その一人一人が今も家族の心の中で生きています。
2014/03/11(火) 13:05〜14:00
NHK総合1・神戸
こころフォトスペシャル[字]

震災で亡くなった方の写真と家族のメッセージを伝える「こころフォト」。寄せられる文章には幸せという言葉が数多く見られるように。【出演】鈴木京香【語り】大沢たかお

詳細情報
番組内容
東日本大震災で亡くなった人の写真と家族のメッセージを伝える「こころフォト」。最近、寄せられる文章には「亡くなった人の存在を確かに感じる」という声が少なくない。また、メッセージの中に“幸せ”という言葉が数多く見られるように。亡き夫のために幸せにならなければと思う妻、残された子供を幸せにすると心に決めた父親…。“幸せ”という言葉に込めたそれぞれの思いを描く。【出演】鈴木京香【語り】大沢たかお
出演者
【出演】鈴木京香,【語り】大沢たかお

ジャンル :
ドキュメンタリー/教養 – ドキュメンタリー全般
ニュース/報道 – 特集・ドキュメント
ドキュメンタリー/教養 – 社会・時事

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音声 : 2/0モード(ステレオ)
サンプリングレート : 48kHz

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