特集 小さな旅「忘れ得ぬ山河」 2014.03.26

(テーマ音楽)誰にでも忘れられない風景があります。
心を躍らせ時に傷ついた心を包み込んでくれた山河です。
「小さな旅」では視聴者の皆さんから毎年旅の思い出をつづったお手紙を頂いております。
今年は全国から500通近いお手紙やメールを送って頂きました。
(2人)ありがとうございました。
新たな人生へのきっかけとなった旅。
旅先で出会った忘れられない人。
幼い頃のふるさとの風景や夫婦の心に残る旅があります。
その一通一通にはかけがえのない思い出が刻まれています。
その旅路をたどります。
雪を頂く鳥取県の大山。
最初のお手紙は山陰地方への旅。
3年前の年末記録的な大雪の時に受けたもてなしです。
「私は旅行が好きで特に年末年始には必ずというほど出かけています。
平成22年末には出雲を旅する一行30人ほどのバスツアーに参加しました」。
日本海に沿って山陰地方を走る国道9号線。
ツアーは岡山から中国山地を通り抜けこの道に入ります。
宍道湖や出雲大社鳥取砂丘を巡るコースでした。
「岡山では抜けるような青空が一転猛吹雪となりました」。
「出雲大社にお参りをしたあと鳥取に向かう途中の国道9号線で大渋滞に巻き込まれました」。
「大雪の中進む事も戻る事もできずバスの中に閉じ込められ飲まず食わずで大みそかを過ごす事になったのです」。
平成22年の大みそかから元日にかけて大雪が降り鳥取県米子市では積雪89cmと観測史上最高を記録。
国道9号線ではタンクローリーがスリップして道路を塞ぎ大渋滞が起こりました。
巻き込まれた車は千台に及びました。
「外は猛吹雪。
足も伸ばせない窮屈な車内で一晩を過ごさなければなりませんでした。
添乗員の方が食料を求めてコンビニまで行ってくれましたがほとんど品切れでした。
いつまでこの状態が続くのか情報は入らず眠る事もできず不安な夜でした」。
翌元日。
思わぬ救いの手が差し伸べられました。
「長時間動けないでいるバスを見た地元の方が公民館を開けてくれました。
およそ20時間ぶりにバスの車内から解放されました」。
「元日にもかかわらず主婦の方が食材を持ち寄りおにぎりみそ汁お総菜まで作りもてなしてくれました」。
「通りすがりの旅行者にしかも新しい年の元日というのに支援の手を差し伸べてくれる地元の方々の厚意に深く感激しました」。
渋滞に巻き込まれた人たちをもてなした大山町の岡集落です。
大山の麓で38世帯がねぎやブロッコリーなどを作って暮らしています。
当時公民館で炊き出しにあたった谷野春枝さんです。
自宅から見える9号線の渋滞に気が付くといち早く行動を起こしました。
(谷野)どんなって全然動かんです。
不思議でね。
まあこれは大変だなあと思って。
それでおじいさんが「炊き出し出さないけんでないか」って。
それで御飯をお握りしたりして。
かわいそうっていうか何ていうか旅行ですけんな。
それだけまああれでしたがなんとかしてあげなきゃいけんなと思いましたわ。
集落の人たちが開放した公民館。
バスや車から降りた40人ほどを迎え入れました。
自宅から米や野菜などを持ち寄って料理を振る舞った地区の人たちです。
自家製の白菜の漬け物を届けてくれた人。
帰省する子供や孫のために用意したおせち料理を持ってきた人。
みんなお正月を返上して駆けつけました。
田舎だけんな。
これがあれだわ。
「手伝って」って言えばみんなが手伝ったりするだ。
みんな助け合いだわ。
ふだんのまとまりができてるからね。
集落には今も大切にしているものがあります。
大雪の日ツアー客が残した寄せ書きです。
あの日の出来事は町の子供たちの記憶にも刻み込まれています。
今年春に卒業した48人の6年生が木版画を作成しました。
大渋滞や公民館での様子が描かれています。
「大山町の方々の素朴な温かさが昨日の事のように思い出されます」。
「優しさがいっぱい詰まったあの日の味は一生忘れる事がないでしょう」。
続いては紅葉の奈良の旅。
共に暮らす母と娘の思い出です。
「母は心臓が悪くほんの少ししか歩く事ができません。
一度談山神社のすばらしい紅葉を見せてやりたいとずっと思っていました」。
お手紙を下さった福井雅子さん。
94歳の母ヨシエさんです。
33年前福井さんは夫を事故で亡くしてから母と娘ずっと助け合いながら暮らしてきました。
ヨシエさんは4年前から介添えなしでは歩く事ができず一緒に旅行に行く事も難しいと言います。
福井さんは好きな写真で奈良の四季を撮り母に見せるようになりました。
しかし旅の空気を思う存分味わってほしいと思っていました。
去年秋一日だけドライブに出ました。
「ここしばらく母の体調も良かったので出かける決心をしました。
細い山道を対向車を気にしながら走らせました」。
旅の目的地は奈良飛鳥に近い談山神社です。
木造としては世界で唯一の「十三重塔」があります。
秋には境内3千本のカエデなどが見事に色づきます。
「赤く燃えて私たちを誘ってくれているようでした。
赤や黄に染まる神社。
その中に十三重塔や本殿があり秋色に紅葉しています」。
「『すごいね』『うわ〜』母はあまりの美しさに感激していました。
別世界の中にたたずんでいるかのようでした」。
もっともっと回りたいのですが母の体の事を思い帰りの途につきました。
母も疲れたのでしょう。
車の中でうとうととしていましたが『楽しかったよかったよかった』と言ってくれました」。
群馬県榛名富士の山裾に青く水をたたえる榛名湖です。
続いても母と娘の旅。
住み慣れた町を離れた母のために娘が誘いました。
「母は原発事故で埼玉の我が家へ避難していました」。
「私が母を連れて泊まりがけの旅行をしたのは初めての事でした。
母は82歳。
この機会を逃したらもう二度と泊まりがけの旅行はできないだろうと思っていました」。
お手紙を下さった田中美恵子さんと母・豊子さんです。
福島県楢葉町に暮らしていた豊子さんは震災直後から美恵子さんのもとに避難しました。
身を寄せて1年5か月。
美恵子さんは元気がなかった母を誘いました。
自分の夫息子と娘孫も加わりました。
「当日は天候にも恵まれみんなで遊覧船に乗りました」。
「青い空緑深き山々パノラマが広がりました」。
「母と一緒にまるで一幅の風景画を見ているようでした」。
母・豊子さんは戦時中楢葉町の近くに疎開。
17歳で米農家に嫁ぎました。
葉タバコや酪農の仕事もこなし朝から晩まで汗を流して3人の娘を育て上げました。
旅行は50年以上前に一度行ったきりでした。
夫と苦楽をともにし子供たちを育て上げた豊子さんの家。
楢葉町は今もほとんどに避難指示が出ていて暮らす事ができません。
「船が岸に戻る途中この榛名湖をモデルにした『湖畔の宿』が船内に響き渡りました」。
・「山の淋しい湖に」・「ひとり来たのも悲しい心」「私は静かに歌に聴き入っていました」。
「『ふるさとへ書いて又消す湖畔の便り』母は何を思い聴いているのだろうと心をよぎりました」。
豊子さんは今福島県いわき市に暮らしています。
埼玉で2年間過ごしたあと長女と三女を頼り自宅の近くにケアハウスを見つけました。
なかなか思っててもそういう機会ってないんですよね。
ですから小さい娘とも一回も旅らしい事もした事ないしもちろん大きい娘ともそういう事した事ないんですよ。
だから子供と一緒にというのは初めてですから。
ありがとうのひと言ですね。
ほんとにあれだけ親の面倒見れるってなかなかできないですよ。
あの日の旅は家族がアルバムにまとめてくれました。
豊子さんの宝物です。
「短い母との旅でした。
私は一生に一度懸命に働き苦労の絶えなかった母をやっと旅行へ連れていく事ができホッと安堵しました」。
「小さな旅」には海外からもお便りが寄せられました。
これからご紹介するのは遠くブラジルから届いたふるさとの風景です。
「昭和39年当時15歳だった私はブラジルに移住しました。
東京オリンピック前の日本はまだ貧しい国で将来の見えない苦しかった生活から逃れるために移住を決心した両親に連れられて一家5人の旅立ちでした。
移民船ブラジル丸の横浜出港は2月3日でした」。
「日本最後の日の朝私は晴れ渡った空のはるかに小さな富士山を見つけて声を上げました。
私に頑張って行ってこいよと言うために姿を見せてくれたようでその時から富士山は私にとって大事なふるさとの山になりました。
それから40数年。
ブラジルで歯を食いしばって頑張りました。
しかし大農場のあるじになる夢は届かず日本に帰るのは夢のまた夢でした」。
「私が50歳を過ぎた頃母が遺産を残していてくれました。
大きな額ではなく何に使おうかと考えた時即座に日本に行こうと決心しました」。
「2008年4月白い雪を頂いた富士が堂々とそびえ立っていました。
それは想像していたよりはるかに大きくはるかに高く神々しい姿でした。
私は少し涙を流していたように思います。
帰ってきたよ…と心の中で呼びかけました」。
「44年ぶりの再会でした」。
夫婦の歩みを刻む旅路もあります。
梅の栽培を始めた夫と2人で東京と三重を往復した思い出です。
「夫と私は2人で梅干しの加工販売を営んできました」。
「夫はかねてから生産から販売までを自分で手がけたいという強い希望を持ち続けていました」。
「53歳の時家族の大反対を押し切って東紀伊熊野の地で梅農家の仲間入りをし夢の実現に向けて一歩を踏み出したのです」。
お手紙を下さった大谷節子さんです。
和歌山から上京した夫と21歳で結婚。
梅の加工場を守ってきました。
自らおいしい梅を育てたい。
夫の決意にほだされ一緒に農園に通う事にしました。
梅農園に向かうために乗ったのは紀伊半島を走る紀勢線です。
御浜町は温暖で果樹栽培が盛んな地域。
ここに梅を育てる土地を買いました。
「何も無い全くの荒れ地で石拾いから始め住民の方の力もお借りしてなんとか苗木を植えるところまでこぎ着けました」。
「夫は農作業の経験が全くありませんでした。
肥料消毒雑草の手入れに追われ月の半分は農園で過ごす日々でした」。
「それでも東京と三重を往復する車中は夢を語り合う楽しい時間でした。
きれいな海岸線が見えると『あの辺りに小さな家を買って住みたいね』などとよく話していました」。
7年かかってようやくたくさんの花が咲きました。
梅の実の出荷が軌道に乗りました。
そのやさき夫は農園で倒れます。
肺がんでした。
しかし抗がん剤放射線治療の合間に東京と農園を往復しました。
3年たったころ主治医から「これ以上の治療は難しい」と告げられました。
平成17年5月夫は農園に行きたいと願い妻はいつものように寄り添いました。
「夫は初めて『ここまで俺がやっておけばあとはお前たちでやれるのだろうな』とふと漏らしました。
この人はもう覚悟ができているのだと思うと返す言葉が見つかりませんでした。
『これが最後の旅になる』と胸に言い聞かせていつもの景色を眺めていました」。
育ててきた梅の木は1,800本になりました。
今農園は娘の夫貴由紀さんが継いでいます。
貴由紀さんは建設機械メーカーで働いていましたが農園を継ぐ人がいないと会社を辞め梅の栽培に懸ける事にしました。
おとうさんも自分の心を見つめて自分がやりたい事をしっかりやっていくという方だったのでそれについては私もそういうふうに思ってやる事がまあ一番…。
この農園を継続させていくうえでも一本つながるような線になるんじゃないかなという気はします。
お手紙を下さった大谷さんは今もしばしば農園に足を運んでいます。
「私は時々どうしても農園に行きたいという衝動に駆られ1人で列車に乗り梅の木々に会いに行きます。
大きく育った木の間に夫の笑顔がふっとかいま見えるような気がします」。
青春の旅は心を新たに次に進む力を与えてくれます。
結婚を控えた親友と巡った北海道です。
「2年前会社で一番仲の良かった同期と宗谷線から留萌線の女子2人旅をしました」。
「この年同期の彼女は4月に寿退社する事になっていたので独身時代の最後の思い出作りとして今回の旅を計画したのです」。
メールを下さった山西杏実さん。
一緒に旅をした荒井彩奈さんです。
2人は札幌市の学習塾で働いていました。
仕事や恋愛の悩み何でも語り合っていた2人は北海道の各地を旅していました。
日高線室蘭線函館線素朴なローカル線の旅は2人だけの時間にゆったりと浸る事ができました。
2人が最後の思い出の旅に選んだのは北海道の西部深川と増毛を結ぶ全長66.8kmの留萌線です。
明治43年に留萌の港へ石炭を輸送するため開通しました。
駅の数は20。
海側から内陸へ。
2人は途中駅で降りながら沿線を巡っていきました。
「真っ白な雪景色の中にひっそりとたたずむ駅を通っていくうちにどこか知らない世界へ行くような冒険をするような感覚が高まっていきました」。
2人がまず途中下車した恵比島駅です。
駅舎は大正から昭和の炭鉱の町を描いたテレビドラマのセットとして使われました。
隣は車両に板を張った待合室です。
当時周辺には3つの炭鉱があり1日1,000人以上が駅を利用していました。
「周辺を歩いたあと駅に戻った私たちは列車が来るまでの間2人並んでベンチに腰掛けました。
冷たい風が容赦なく吹きつけてきます。
昼間列車は2時間に1本です」。
「『寒いね』と2人で言いながら私が持っていた1枚のブランケットを一緒に膝に掛けました。
そうして肩を寄せ合い列車が来るのを待っていました」。
峠を越えた内陸部雪が少ない北一已。
「イチャン」はアイヌ語でサケやマスが産卵する場所です。
昭和29年沿線の住民が米を1俵2俵と出して資金を作りホームや駅舎の建設に汗を流しました。
駅舎に置かれていた一冊のノート。
ここを訪れた人たちが思い思いのメッセージを残していました。
「結婚が間近だった彼女は楽しそうにメッセージを書いていました」。
「私も書きました。
今はすごく楽しいのにこの楽しい時間が終わっていくんだなぁ。
少しばかりの寂しさを感じていました」。
「『もう少しで会えなくなるけど本当にありがとう』。
そう言って旅を終えました」。
青春の旅から2年。
夫の転勤で水戸市に移り住んだ友人の荒井彩奈さんは8月に男の子を授かりました。
メールを下さった山西杏実さんも去年4月に結婚。
千葉県で暮らしています。
再び会えるようになった2人。
新たなレールの上を進み始めています。
よかったね。
よかったね〜。
かわいいね。
「どこか知らない世界へ行くような冒険をするような旅」。
「いつか2人の子供が大きくなったら子供と一緒にまた鉄道旅をしたいね。
そんな妄想ばかりしています」。
旅は夫婦の歩みを振り返る時を与えてくれます。
「『おじいちゃんおばあちゃん長い間お仕事ご苦労さまでした。
これからはいつまでも仲良く長生きして下さい。
ささやかな退職祝いとして温泉旅行を贈ります』。
孫からの思いもかけぬプレゼントでした。
この便りは2人の老いの胸を熱くしました」。
お手紙は去年秋の富山県宇奈月温泉。
ここから出発する黒部峡谷トロッコ電車の旅です。
トロッコは水力発電所建設のため大正15年運転を開始しました。
今もダムや発電所に資材を運搬する一方多くの観光客でにぎわいます。
終点まではおよそ20km1時間20分の道のりです。
「想像以上の絶景でした。
木々の華麗な彩りは神々しいまでに美しく心洗われるひとときでした。
『夫婦二人泣いて笑っていろんな事があったけど楽しい人生だったね』とこれまでの思い出を振り返りながらの楽しい道中となりました」。
お手紙を下さった上田香代子さんと夫の雅美さんそして旅を2人にプレゼントした孫の槙子さんです。
上田さん夫婦は終戦後の昭和24年見合いで結婚しました。
香代子さん18歳雅美さん19歳でした。
夫は両親を戦争中に亡くし幼い弟と妹を抱えての生活でした。
北陸福井県で米作りに汗を流し2人の子供をもうけます。
子供たちを大学に進学させるため夫婦は洋服に刺繍を施す内職にも励んできました。
旅は80歳を過ぎて内職を終えた区切りに孫からプレゼントされたものでした。
トロッコ電車は終点の欅平に到着しました。
2人はここでゆっくりと散策しました。
「遊歩道の木々は雪の重みで曲がっていても先は空に向かってまっすぐ伸びています。
武骨ながらも凛としたその立ち姿に強く心を打たれました。
夫と二人これからも力を合わせて歩んでいこうと前向きな気持ちになりました」。
「命あるかぎり旅の思い出を主人と二人で語り合っていくでしょう。
今回の旅への招待は孫の厚意によるものですがただひたすらに生きてきた老夫婦への神様のおぼし召しだったのかしらとふと思うこのごろです」。
長野県中部北アルプスの麓に広がる安曇野。
大切な人と歩んだ道。
最後は祈りの旅です。
「もう30年も前の事です。
私はかねてから妻に引け目を感じ貧しさ故にできなかった新婚旅行ならぬ老婚旅行を提案しました」。
安曇野は道祖神の里としても知られています。
村を守り旅人を守る道祖神が500以上道沿いにたたずんでいます。
「道祖神は肩を抱き頬を寄せ合って仲むつまじそうに何事か言葉をささやき合っていました。
『まるで私たちのようだね』と妻に声をかけました」。
新井さん夫婦が出会ったのは旧満州中国東北部です。
新井さんは陸軍の航空部隊の機械工妻シノブさんは料亭で働いていました。
引き揚げの混乱の中2人は知り合いました。
しかし新井さんのふるさと前橋は焼け野原でした。
父は空襲で亡くなり戦時中父と結婚していたという義理の母が残されていました。
「私は入隊前病死した母親を必死に看病した事を忘れた事はありませんでした。
その母を慕う心にどうして義理の母を受け入れる事ができるでしょうか。
私は義母をふるさとを捨てる決心をしました」。
仕事を求めて夫婦は前橋を後にしました。
妻のふるさと筑豊の炭坑や化学工場で働きます。
妻も炭鉱労働者の寮で働き支え合ってきました。
信州の旅で2人は善光寺にも立ち寄りました。
参道に近い宿に泊まり翌朝6時にお参りに向かいました。
「お数珠頂戴」と言われる毎朝の行事。
住職が本堂にお勤めに上がる時境内にいると数珠で頭に触れ御利益を与えてくれるといいます。
そして妻は本堂に上がり祈りをささげました。
(読経)「本堂の瑠璃壇前で妻は数珠を手に持ち般若心経を唱えながら熱心に祈っていました。
その様子は真剣で長い間続きました」。
お手紙を下さった新井三郎さんです。
今はケアハウスで暮らしています。
妻シノブさんは7年前87歳で亡くなりました。
その後新井さんはこれまで気付かなかったシノブさんの心を知りました。
「三回忌のあと妻の遺品の整理をしていた時柳行李の中を見てぼう然と声を失いました」。
「『善光寺』と書かれた封書の中に義母の戒名が書かれた証文が入っていました。
本堂での妻の長い祈りは夫に黙って妻としての義理に殉じた四十九日の法要だったのです」。
「更に年代順におびただしい数の郵便為替の束がありました。
宛名は全て私がふるさとに捨てた義母となっていました」。
シノブさんは前橋に残してきた義理の母のために炭鉱の初めての給料日から義母が亡くなるまでの30年間毎月仕送りをしていました。
「私は愚かであった我が身を妻にわびながらいとしさに身も世もない寂寞に襲われました」。
「あの旅で妻は長い間祈りをささげていました」。
Dialogue:0,0:56:53.40,0:57:00.31,2014/03/26(水) 09:00〜10:00
NHK総合1・神戸
特集 小さな旅「忘れ得ぬ山河」[字][再]

視聴者の皆様からいただいた、旅の思い出をつづる手紙シリーズ「忘れられないわたしの旅」の総集編。鳥取県大山町、奈良県談山神社など心に刻まれた旅の物語を伝える。

詳細情報
番組内容
視聴者の皆さまからいただいた、旅の思い出をつづる手紙シリーズ「忘れられないわたしの旅」の総集編。500通近いお手紙やメールをいただいた。大雪でバスが立ち往生し、元旦に温かいもてなしを受けた鳥取・大山町の旅。介護が必要な母と訪ねた、奈良・談山神社の紅葉。15歳でブラジルに移住した人の、心に残る富士。結婚する親友との北海道・留萌線の女子2人旅など、心に刻まれた旅の物語を伝える。
出演者
【語り】国井雅比古,山田敦子
おしらせ
きょう26日に予定されていた選抜高校野球は3試合すべてが中止になり、27日に順延されました。この時間は番組の予定を変更してお伝えしています。

ジャンル :
ドキュメンタリー/教養 – 歴史・紀行
ドキュメンタリー/教養 – 自然・動物・環境

映像 : 1080i(1125i)、アスペクト比16:9 パンベクトルなし
音声 : 2/0モード(ステレオ)
サンプリングレート : 48kHz

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