「いくつかの建物を残してほとんどほかの建物姿がありません」。
「今カメラを内陸に向けていますが津波の被害でめちゃくちゃに壊れています」。
震災発生直後からヘリコプターで撮影を続けてきた被災地の姿。
これまでに撮りためた空撮映像は600時間に及びます。
壊滅的な被害を受けた被災地はどう変わったのか。
「津波で全てが流された海にカキの養殖いかだの姿が戻ってきています」。
復興への歩み。
一方福島第一原発の周辺ではあの日で時が止まったような風景が今も広がっています。
空から見た被災地3年間の記録です。
震災発生直後宮城県の海沿いに向かったNHKのヘリコプター。
最初に捉えたのが仙台市若林区が津波に襲われる様子でした。
津波は海岸から4キロの内陸まで達し300人以上が亡くなりました。
震災の前水田が一面に広がっていた仙台市の沿岸部。
津波で農地の8割にあたる1,800ヘクタールが被害を受けました。
「完全に水で取り囲まれています」。
若林区では至る所でがれきを取り除く作業が行われ傍らには壊れた農機具が山積みになっていました。
その一角でいち早く農作業を再開していた人がいました。
専業農家の渡辺茂美さんです。
(取材者)毎朝来られてるんですか?渡辺さんは津波で自宅と3ヘクタールの田畑を流されました。
震災直後の映像には渡辺さんの農地が津波に襲われる瞬間が記録されていました。
仮設住宅から通い自分でがれきを取り除いた渡辺さん。
少しでも元の暮らしを取り戻そうと野菜の栽培を始めていたのです。
震災発生から1年の春。
「津波で被災した農地に再び水が張られています」。
比較的被害の少なかった内陸の田んぼで米作りが再開されました。
そして震災発生から2年。
海に近い水田でも田植えが再開され被災した農地の8割が復旧しました。
用水路や排水設備などの復旧を急ピッチで進めた結果です。
渡辺さんも震災後初めての田植えをしていました。
知り合いに農機具を借りての再出発です。
沿岸部の主力産業水産業も大きな被害を受けました。
岩手県山田町です。
震災前山田湾には4,000台近くのカキの養殖いかだが広がっていました。
「湾に面した町から白い煙が上がっています。
町は壊滅状態です」。
およそ2万人が暮らす町を襲った津波。
800人以上が犠牲になりました。
海にはたくさんのがれきが散乱し養殖いかだもほとんどが流されてしまいました。
「ヘリコプターは今岩手県山田町の上空です」。
震災発生から2か月。
まだ津波の傷痕が残る湾の一角に整った列を見つけました。
地元の漁師たちが少しでもできる事をしようとがれきの中から使えるものを集めいかだを作り直していたのです。
カキを出荷するまでには2年から3年かかります。
漁師たちは毎日避難所から通いながら作業を続けていました。
「津波で全てが流された海にカキの養殖いかだの姿が戻ってきています。
これまでに設置されたいかだはおよそ800台。
震災前の5分の1にまで回復しました」。
更に…いかだの数は震災前の6割近い2,200台まで回復していました。
いかだでは品質をよくするために欠かせない温湯という作業が行われていました。
およそ60度のお湯にくぐらせカキの殻をきれいにし出荷に備えます。
そしてこの冬山田湾では震災後に種付けをしたカキの水揚げが行われました。
やや小ぶりですが甘みの強いカキが育ったといいます。
一方で課題もあります。
水産加工場などの復旧が遅れているのです。
震災前に6億円を超えていたカキの出荷額は今シーズン30分の1の2,000万円ほどにとどまる見込みです。
「宮城県気仙沼市の上空です。
カツオ漁船の姿が戻ってきました。
今日も朝早くからカツオの水揚げが行われています」。
「黒い煙を吐きながら被災地石巻へ。
SL宮城・石巻復興号が走っています」。
「鋭く切り立った岩が並んでいるのが見えます。
浄土ヶ浜です」。
アムッてでっかいとこ。
「おいしいね〜!」って。
壊滅的な被害を受けた町をどう再建するのか。
震災前およそ1万人が暮らしていた宮城県女川町。
津波で800人以上が犠牲になり建物の7割近くが全壊しました。
「避難をしている人たちと思われます」。
女川町では高台の野球場のグラウンドに仮設住宅が造られ入居が始まりました。
お先しま〜す。
佐藤彰一さんです。
この時81歳。
津波で自宅を流され不自由な避難生活を続けてきました。
そういう覚悟…。
そして震災発生から3年。
町の中心部はまださら地のままです。
一方で3年前にあった山の一角が削り取られ無くなっていました。
「山から削り取られた土が巨大なダンプによって運ばれています」。
町ではこの山の土を使って市街地を最大18メートルかさ上げする工事が進められていました。
東日本大震災クラスの津波が来ても住宅地は浸水しない想定です。
工事の面積は226ヘクタール。
終了まであと5年かかる見通しです。
今も仮設住宅で暮らす佐藤さん。
町の再建に時間がかかる中でほかの自治体に移り住む人が相次いでいるといいます。
原発事故が起きた福島県。
ヘリコプターも原発周辺20キロの立ち入りが禁止されていました。
現地の様子を空から間近に捉える事ができたのは震災発生から1年後の事でした。
明らかになったのは全く手がつけられていない町の姿でした。
「港の周辺を見ますと建物や人の姿は全く見る事ができません。
ところどころ建物や住宅が残されていますが大きな波が通り抜けたような様子が今もそのまま見る事ができます」。
原発からおよそ7キロにある富岡町。
およそ1万6,000人の住民全員が避難しました。
「学校の校庭には牛がいます。
牛が2頭います。
あっ牛3頭います。
校庭脇の草を食べているのが見えます」。
震災発生から1年の春。
「人影のなくなった町に地元の人たちの自慢の桜が今年も花を咲かせました」。
2.5キロにわたって咲く500本のソメイヨシノ。
震災前にはこの時期毎年10万人が訪れていました。
今町はどうなっているのか。
先月ラジコンヘリを使って避難区域の状況を詳しく撮影しました。
福島第一原発のある大熊町。
かつてはおよそ1万2,000人が暮らしていました。
3年たった今も住民全員が避難しています。
町の中心部には許可を得た一部の人しか立ち入る事ができません。
原発事故によって住民たちは慌ただしい避難を余儀なくされました。
屋根には穴が開き瓦は崩れたままです。
その先には潰れた建物が放置されています。
被害を受けた家屋は修繕されないまま傷みが進んでいます。
町の中心部です。
商店街に通じる道路に足跡がありました。
足跡は人影のない道路を進み住宅地の中へと続きます。
正体はイノシシでした。
住宅の敷地に入り物置や庭を荒らすなどの被害も出ています。
福島第一原発から北に6キロ。
漁業で栄えた浪江町請戸地区です。
1,600人余りが暮らしていましたが津波で120人以上が犠牲になりました。
避難区域が去年4月に見直され日中であれば住民の立ち入りができるようになりました。
しかしがれきの仮置き場が出来ていないため撤去作業ができません。
港で取れた海産物が人気だった旅館です。
津波で全壊した建物も解体されず放置されていました。
漁協の建物です。
2階には真っ二つに折れた船が打ち上げられたままです。
今も13万5,000人が避難生活を続ける福島県。
あの日で時が止まったような風景が広がっていました。
空から見た被災地の3年。
600時間の映像には少しずつ暮らしを取り戻す一方でまだ遠い復興への道のりを歩む被災地の姿が記録されていました。
2014/03/11(火) 11:05〜11:30
NHK総合1・神戸
空から見た被災地の3年[字]
NHKが震災発生直後からヘリコプターで取材してきた約600時間におよぶ空撮映像。この3年間に被災地ではどのような変化があったのか…最新映像も交えてお伝えします。
詳細情報
番組内容
NHKが震災発生直後から3年間にわたってヘリコプターから取材してきた約600時間におよぶ空撮映像。壊滅的な被害の中から農業や水産業の復興に取り組む人々の姿、まだまだ時間のかかる暮らしの再建、そして今もあの日で時間が止まったかのような風景が広がる福島第一原発の周辺の町…。この3年間に被災地ではどのような変化があったのか、無線操縦の小型ヘリを使って撮影した最新映像も交えて伝える。
出演者
【語り】岩槻里子
ジャンル :
ドキュメンタリー/教養 – 社会・時事
ニュース/報道 – 特集・ドキュメント
映像 : 1080i(1125i)、アスペクト比16:9 パンベクトルなし
音声 : 2/0モード(ステレオ)
サンプリングレート : 48kHz
OriginalNetworkID:32080(0x7D50)
TransportStreamID:32080(0x7D50)
ServiceID:43008(0xA800)
EventID:22959(0x59AF)