(アナウンサー)「スタート!弾丸スタート!立っている!立っている!突っ込んできた。
今日もすばらしい!通過した。
これが清水の滑りだ!低い姿勢だ。
9秒54!これは速い!世界新記録が出るかもしれない!清水あと50だ!清水ゴールイン!35秒59!金メダルを獲得した!」。
日本人で初めてスピードスケートで金メダルを獲得した清水宏保さんです
小柄な体格ながら世界の頂点を極めた清水さん
今自分の経験を医療の分野に役立てようと活動を始めました
目標を作って目標を達成する繰り返しの人生。
それが僕の生きがいなんでしょうね。
(テーマ音楽)
清水さんは今年大学院に入学しました。
週に5日経営学を学んでいます。
スケート競技を通して自らの体と徹底的に向き合ってきた清水さん。
その経験を生かしてケガや病気の予防につながる医療施設をふるさとにつくるのが夢です
北海道東部帯広市。
これまで8人のオリンピック選手を輩出したスピードスケートの盛んな町です。
清水さんはここで生まれました。
ここは清水さんが子供の頃から何度も訪れた公園です
ああいうふうにリスもいっぱいいるんですよ。
えっリス?見えます?ピョンピョン跳ねてるの。
ここリスがいっぱいいるんですよ。
ああいますね。
清水さんは3歳の時ここで初めてスピードスケートの靴を履きました
ここに水を張って凍らせてっていう事だったんですか?北海道十勝っていうのは非常に寒暖の差が激しい地域でして夏は30℃以上まで今はいきますけど冬はマイナス20℃から下手したら30℃まで冷え込むような土地だったんですね。
ここが初めての僕のスケートのデビューといいますか滑り始めた靴を履いた場所になります。
親御さんもいろいろスポーツやらせてなぜスケートこれだって決めたんですか?はじめ氷の上に連れて来られた時はもちろん立つ事も滑る事もできない。
姉は滑っていたんですよね。
僕は氷の上で平泳ぎをしたりとか転んで遊んだりとか雪だるまを作ったりとかして遊んでたんですけども周りを見てるとうまい人たちがいた中で僕はこう見よう見まねでああいうふうに滑ってるんだって思いながら。
でもいつでも僕もマネして滑れるなっていうのは子供心の中にも分かっていたんですよね。
でも僕は遊びたいから遊んでいてとりあえず体を動かす冬外で体を動かす事に専念していたんですよね。
である日突然急に滑りたくなって。
もうこううまい上達している人たちのマネで滑ってみたらすぐ滑れちゃったんですよね。
もう親がびっくりしてしまいまして。
スケート教えてもいないのに勝手に一人で滑ってるってなって。
まああとから聞いた話によるとこの子はすごい才能があるんじゃないかという事で本格的にスピードスケートやらせようという事になったんですよね。
清水さんは今後輩たちに自らの技術を伝えています
帯広市が主催するスケート教室に講師として参加し選手の育成にあたっています
全然勢いがないよ。
それ横に押してるっていうの。
横に押したら駄目だから。
横に押さないで倒れ込む。
とにかく。
こう。
前回のバンクーバーオリンピックに出場した木美帆選手の姿もありました。
技術だけでなくスケートと向き合う意識の持ち方も伝えようとしています
いろいろ教えてもらう中でもふだん他の先生方から教えてもらう事と違う着眼点というか違う角度から教わる事もあったのですごいいろんな意識ができて良かったと思います。
この教室には清水さんの子供の頃をよく知る人も関わっています。
清水さんが所属した少年団のコーチです
こんにちは。
こんにちは。
ご無沙汰してます。
帯広市でスポーツ振興に携わる川原正行さん。
自らもオリンピックに2度出場した経験があります
活躍してるねいろいろ。
大したもんだ。
川原さんの方から指導してもらってほんとに懐かしいなって。
懐かしいな。
ちょうどその頃の子供がいるほら。
同級生の子供だよあれ。
山田の子供だ。
あっほんとですか?そうそう。
同級生の子供だ。
えっ清水さんの同級生のお子さん。
そうそう。
一緒にやってたよスケートね。
高校で同じ部だった。
山田の子だよ。
小学校2年生。
ちょうど宏保が2年生の時に来たから同じだよ。
小学生の時の清水さんはどんな選手でした?2年生3年生4年生5年生の前半ぐらいまでは小さくてもスピードもあったし瞬発力あったんですけど5年の後半6年生ぐらいになるとやっぱりみんな大きくなるんですよね。
周りが。
中学生クラスの体になるし宏保はそのまんまの大きさだったんで相当きつくなったんですね。
100mぐらいまではダントツに速くてもゴール近づいてくるとテクニックなくてもでかい子供たちに抜かれていくっていう状況だったんで小学校5年後半6年中学校1年生ぐらいまでは相当きつかったと思いますよね。
川原さんは清水さんがここまで大成すると思ってました?いや思いませんでしたね。
正直言って。
いやもうそれは誰しもがほんとみんなにそう言われてたので。
でもそんな話を直接した事っていうのはあったんですか?まあそれは大きくなるに従ってあったんですけど大体ほんとに小さかったですから大体ありゃもう駄目だとかね最初だけでっていうのは100人いたら150人ぐらいそう思ってたんじゃないですかね。
そうじゃないっていうのはお父さんが信じてたと思うんですよね。
父親の均さんです。
たとえ小柄でも清水さんは一流の選手になると信じていました。
清水さんが高校2年生の時均さんがガンで亡くなるまでの9年間親子とは思えないほど厳しく指導しました。
均さんが重点を置いたのは小柄な体格をどうカバーするかでした。
小学校の低学年までは持ち前の瞬発力で常にトップを独走。
しかし成長期を迎え他の選手と体格差が広がるとレースで勝てなくなりました
具体的には体格の方はどうやって乗り越えたんですか?父親以外は指導者も周りの父兄選手も含めて誰もが僕が速くなると思ってない。
たとえ今速くても絶対に将来性のない選手だっていうのは言っていたのででも唯一父親だけがそうではないっていう信念。
ほんとこの執念にも似た絶対にやれるんだ息子は育つんだっていう指導の中でやはりそれが無言の中でもパワーを感じるわけじゃないですかその父親の執念っていうものを。
やはり自信もない。
小さい頃から自信もないし。
それをカバーしていくのも結局練習量だったんですよね。
だから筋量を増やしたりとか身長ない分逆に筋量増やしたりとかあとはもうとにかく器用に物事やっていくようにしてましたね。
トレーニングでいえばタオルギャザーっていうトレーニングが今トレーニング用語としてもう確立されているんですけれどもタオルを床に敷いて座った状態でこう指だけでタオルを巻きつけてまた戻していくってトレーニングをそれを小学校の時からやってたんですよね。
そうする事によって足の裏の足底筋っていうのが鍛えられる。
その足底筋が鍛えられるという事はそれだけ地面氷を捉える事ができる。
ないし足や上体の力がそこに効率よく伝える事ができる無駄なく伝える逃げる事がないっていう根本的なものをやはり足の裏から鍛えよう。
鍛えましたね。
でもそのやっぱり大柄な外国人選手で単純に脚が長い方が有利なのかななんて思うんですけどそのあたりっていうのは?そりゃもちろん一歩の稼ぐものが全く違いますから脚が10cm長ければ10cm歩幅が大きくなるわけで非常に不利ですよね。
でもその190cmある外国勢が体の隅々まで手先指先まで使いこなせたらそれは怖ろしい事だと思います。
でもやはり大柄な選手ってなかなか自分の体を生かしきれてない使いこなせてない使いきれてないっていう部分があるんですよね。
僕は小さい体を隅々まで使いこなせるっていう器用さがあるんでもうそれは誰にも負けないっていう自信がありましたね。
だから極力ほんと足の指先まで鍛えるようにしてましたしそれを使いこなせるような感覚も持つようにしてましたね。
清水さんのハンディは体格だけではありませんでした。
3歳の頃から患っているぜんそくです。
発作が起こると夜も眠れず歩く事もできないほど重い症状でした。
父親の均さんはぜんそくにもトレーニングで立ち向かわせていきました
ここは僕にとって非常に特別な場所でして小学校中学校と毎日氷の上での練習を終えたあと毎日走って帰った場所です。
凍ってないですか?凍ってます。
雪道の上を滑ろうが雪が積もっていようがアイスバーンでも全く関係なくここをランニングで帰ってました。
これが1本目スタートだとしたら次の電柱までこれ何mぐらいなんですかね?50mくらいはありますよね。
あそこまで全力ダッシュですね。
次の3本目の電柱はちょっと30〜40%の力で走ってまたその次の電柱は全力っていう。
速い!え?ここ1本過ぎたら…。
ゆっくり走って。
これを…何kmぐらいあるんですか?2kmぐらいですかね。
どれぐらいだろう?ちょっと距離はその当時は測った事ない。
父親は車で距離を測れたんですけど僕は子供なので分かんないですが2kmぐらいだと思いますね。
これちょっと走っただけできついじゃないですか。
僕今現在も重度のぜんそく患者なんですけど割と状態がいい時はこういうふうに走れるんですが発作が起きた時はもう途中こんなになるかこう這ってこういう感じで待ってくれって言いながらちょっと待ってと言いながら呼吸が落ち着いたらまたダッシュをやって。
また繰り返しやってましたね。
そういった事もあったのでちょっとした事で練習をやめさせてくれないのは理解していたんですよね。
なので多少のぜんそくの発作が出たぐらいでは休んでればまたすぐいけるだろうという発想でやってましたね。
心肺能力が強くなったというのもありますか?心肺能力とあとは疲れを運動しながら除去する能力が自分の体で出来上がっていくんですよね。
ぜんそくっていうのは昔運動しちゃいけないって言われていたんですよね。
今でこそある程度の緩い運動であればした方がいいと言われています。
運動する事によって誘発するぜんそく発作というのがあるので非常に危険なんです。
一般のぜんそく患者には勧められないんですけど僕はこのトレーニングで非常にぜんそくのコントロール方法を身に付けた…手段の一つでもありますね。
ぜんそくで自分の体と向き合ったと。
そこで得たものっていうのは?自分の体と向き合って得たものっていうのは自己調整能力。
どこの部分でどう体をほぐしていったりケアしていったり。
そこに刺激を入れていけば自分の体がどう変わっていくいい方向に変わっていく悪い方向に変わっていくというかなり深い部分での自己管理能力はできるようになりましたね。
小さい頃から肺に意識がある。
人間が自ら子供が内臓に意識を持つという事ないと思うんです。
ぜんそく患者っていうのは内臓に常に意識を持ってる肺に意識を持ってるのでそれがただ単に筋肉に意識が変わっていったという。
非常に作業としては簡単だったんですよね。
だから大事な試合でここぞという試合で勝つ事ができるのは自己管理能力があったからではないかなと思います。
(歓声)
(アナウンサー)「スタート!弾丸スタート!立っている!立っている!突っ込んできた。
今日もすばらしい!通過した。
これが清水の滑りだ!低い姿勢だ。
9秒54!これは速い!世界新記録が出るかもしれない!直線!直線に入った!ブシャール追ってきたが清水あと50だ!清水ゴールイン!35秒59!金メダルを獲得した!」。
小柄な体格ぜんそくという逆境を自らの体と向き合い続ける事で乗り越えつかんだ栄光でした
例えば大会の時に朝起きて何となく調子がいいな悪いな以上のものが分かるって事ですか。
全盛期の頃は分かりましたね。
今日は世界記録絶対出るなというのはありましたね。
確信めいたものが。
オリンピックの金メダルも前日にはもう俺確実に金メダルとれるなというのが分かっていて。
長野の…。
長野オリンピックの時は。
それを思って自分自身に感動して涙を流したりしました。
結果が見えるぐらいそれぐらい鮮明に自分の体を把握できていましたね。
現役を引退して1年半清水さんは大学院で学んでいます。
病気やケガの予防効率の良いリハビリテーションを提供する医療施設を経営する事が清水さんの次の目標です
それは清水さん自身の経験から生まれた思いでした。
長野から4年後のソルトレークシティーオリンピック。
ケガに苦しむ清水さんの言葉です
この時清水さんはなかなか適切な治療が受けられませんでした。
その経験から自らの症状を正確に医師に伝え治療を受けられる環境や施設をつくりたいと考えたのです
スポーツ選手というのはケガをした事によって初めて自分の体と向き合うんですよね。
その中で非常に医療意欲というものが出てきて体の仕組みを知ったりとか運動療法を知ったりとか。
分かりやすく言えば更にレベルの高いリハビリが分かっているんですよね。
そういったものを医療の現場に還元しなければいけない本来。
それがなかなかできていない。
そういったものを還元できるように医療とスポーツをつなげていけるような活動をしていきたいなと思ってます。
スポーツ指導とケアも含めたケアってマッサージ…そういったものも含めて小学生のうちから指導していけばケガも少なくなりますし何よりも温度差なく時間差なくスポーツの最高の技術を教えられる。
そうすればスポーツ選手のサイクルも出来上がってきますし地域の子供たちも将来性が非常に伸びしろが出ると思うんですよね。
スケートの世界の頂点を極めた清水さんがあぐらをかかずに新たな事に取り組むというのはどうしてなんです?う〜ん…。
いろいろ要因はあるんですよね。
まずチャレンジしたいっていうのとやはり自分の病気で苦労してきて自分の病気をぜんそくをうまく改善してこれたので。
自分の中でそれが当たり前だったんですけど実は医療現場で必要とされていたというのを最近気付いたんですよね。
それは生かすべきでしょうしまた僕が実際アマチュア競技のスピードスケートという中でオリンピックという場で金メダルをとる事ができた中で将来どうしようって…正直金メダルをとってもなるんですよ。
将来心配なんですよ。
スピードスケートの世界に残ればまあやっていけるかもしれないけどじゃあ他の人たちはどうなるんだろうってやはり考えますよね。
そういった事を考えればもっと新たな道をつくるべきなんだろうな新たな道筋を切り開いていくべきなんだろうなって。
昔から父親が亡くなってからレールのひかれた人生を歩むのではなく新たに自分を切り開いていく人生がどうしても癖づいてしまってるというかそういう方が生き方としては面白いし刺激的ですし。
そういう事をやっていく事が自分の成長へつながっていくというのがあるんですよね。
金メダルをとってそれがゴールではないと。
まだまだどんどん人として成長していきたい?そうですね。
目標を作って目標を達成する繰り返しの人生。
それが僕の生きがいなんでしょうね。
2014/02/11(火) 06:30〜06:53
NHK総合1・神戸
ホリデーインタビュー選▽金メダルの先へ〜長野オリンピック金メダリスト・清水宏保[字]
長野オリンピック金メダリスト清水宏保さん。ふるさと北海道の帯広で逆境と向き合い続けたすえの栄光だった。清水さんに原点とこれからの夢を聞いた。きき手・阪本篤志アナ
詳細情報
番組内容
1998年の長野オリンピック金メダリストの清水宏保さん。金メダルは、ふるさと北海道帯広で逆境と向き合い続けた日々を乗り越えて、ようやくつかんだ栄光だった。そして、現役引退から1年半。新しい目標に向かって活動を始めている。大学院に入学し、経営学の勉強をスタートさせた。番組では、過去の栄光にとらわれることなく、新しい道を歩む清水さんの原点と将来の夢に迫る。【聞き手】阪本篤志アナウンサー(札幌放送局)
出演者
【ゲスト】長野五輪スケート金メダリスト…清水宏保,【きき手】阪本篤志
おしらせ
2011年11月3日放送
ジャンル :
ドキュメンタリー/教養 – インタビュー・討論
ドキュメンタリー/教養 – スポーツ
スポーツ – オリンピック・国際大会
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