あさイチ「10代が見つめてきた震災3年 それぞれの春」 2014.03.11

断り?生字幕放送でお伝えしますおはようございます。
イノッチ⇒3月11日火曜日の「あさイチ」です。
有働⇒いかがですか、柳澤さん。
柳澤⇒相変わらずだね、2人とも。
久しぶりに3人そろいました。
モニターもずっと変わってないよね。
久しぶりで戸惑っているんだけれども逆にテレビをご覧の皆さんが、変なおっちゃんがいると戸惑っているんじゃないかなと。
決して怪しい者ではありません久しぶりにスタジオに来ました。
きょうは柳澤さんも一緒に。
ゲストは内藤さんと浜島さんです。
浜島⇒めちゃくちゃみんないろいろ言いますよね。
楽しい。
いい時間を過ごさせていただきました。
それではきょうの特集なんですが震災からきょうで3年たつわけなんですけれども、10代の子どもたちはどう過ごしてきたのか、きょうは子どもたちの視点から考えていきます。
この春、特別な日を迎えた生徒たちがいます。
卒業式に臨んだ被災地の高校生です。
3年前、震災の年に入学。
悲しみや不安を抱えてのスタートでした。
卒業式の直前に被災。
その体育館で避難生活を送ることになった生徒もいました。
楽しいこともつらいこともあった3年間。
今、震災の記憶を胸に旅立ちます。
被災地が迎えた3回目の春。
10代の心の軌跡を見つめます。
浜島⇒あれから3年たつんですね。
入学した生徒たちが卒業というのがひとくくり、というか。
3年たったんだなと。
何が変わって何が変わっていないのかというのも、また改めて見たいなと思いました。
内藤さんはどういうふうに思いますか。
内藤⇒災害に遭わなくても3年間はものすごく心が動くときじゃないですか、大人になっていくから。
それ以上につらい思いをしたのかなともしくは、うれしい思いをしたら倍だったのかもしれないし震災のことを考えるときに私たちは大人の目線で課題と復興を考えますがきょうは10代の子どもたちの目で見ていきたいと思います。
寺門さんお願いします。
寺門⇒10代が見た震災3年。
今ちょうど卒業式を迎えている子どもたちもたくさんいると思いますが、まさに3年前の卒業シーズンのさなかに起きたのが東日本大震災です。
3年たった今、再び卒業を迎える生徒たちがいます。
彼らにとって被災地で過ごした3年間はどんなものだったのか、その声に耳を傾けたいと思います。
有働⇒被災地に関わらずちょうど卒業式も終わってお休みの10代の方もいると思いますので、この3年どんなふうに過ごしてどんなふうに思っているのかをお寄せいただきたいと思いますもちろん大人の皆さんも震災から3年で今感じていること、思うことをお寄せいただきたいと思います。
寺門⇒まずはこの春、被災地で旅立ちのときを迎えた高校生を見つめました。
高校3年生の田畑祐梨さんです。
みずからの被災体験を語る語りべをしています。
1年前から全国各地で語りべをしている祐梨さん。
この日は、都内の高校で900人を前に語りかけました。
同世代だからこそ分かるエピソードを交えて話します。
震災を身近に感じさせる祐梨さんの語り。
これまで3000人以上にそのことばを伝えてきました。
祐梨さんが住む宮城県南三陸町は津波によって中心市街地のほとんどが被害を受けました。
死者・行方不明者は816人に上ります。
当時、祐梨さんは中学3年生。
卒業式を前日に控え、学校で記念の寄せ書きを書いていました。
祐梨さんは無事でしたが自宅は流されてしまいました。
祐梨さんが生まれ育った南三陸町。
海に近い静かな町でした。
津波が来たのは中学校の卒業式の前日。
卒業式の準備が整った体育館が避難場所になり祐梨さんの家族もそこに身を寄せました。
それから4か月後ようやく入居できた仮設住宅。
そこで母と祖母、それに叔母の4人の生活が始まりました。
不便な暮らしも、最近では笑い飛ばせるようになりました。
実は、祐梨さん震災で大切な人を亡くしています。
幼稚園のときから10年間通っていた英語の塾の先生です。
震災前日の夜卒業式で会おうね、と先生と約束した祐梨さん。
そこで、感謝の気持ちを伝えようと思っていました。
ところが、その約束はかないませんでした。
祐梨さんは、どこにいるの、と先生にメールをしましたが返事はありません。
そして、2週間後避難所の掲示板で先生の死を知りました。
先生の死を知ったあと祐梨さんは部屋に閉じこもりがちになりました。
外には、いつまでたっても変わらない町の姿。
それは、震災から1年半が過ぎても同じでした。
祐梨さんは大きな憤りを感じます。
そんなとき、祐梨さんに大きな転機が訪れました。
2年生の夏被災地の高校生を対象としたアメリカでのホームステイに参加したのです。
応募の際に問われたのはあなたは、アメリカから帰ったら何をしますか?その答えを考える中で祐梨さんは自分にも何かできるのではと思い始めます。
悩んだ末に祐梨さんが見つけたのが震災体験を伝える語りべでした。
語りべとなった祐梨さん。
いつも必ず伝えることばがあります。
亡くなった恩師に伝えられなかったことばです。
祐梨さんには最近になって、もう1つ伝えたいことができました。
それは、生まれ育った町の魅力。
語りべのあとの交流会で無邪気に語ります。
震災から3年。
今、中心市街地ではかさ上げ工事が始まっています。
4年後には、町の中心部が海抜10mを超える予定です。
復興とともに知らない町に生まれ変わっていく自分のふるさと。
震災が何をもたらしたのかそれを理解してもらうため祐梨さんは事実を淡々と語ります。
卒業後、奨学金を受けて静岡の大学への進学が決まっている祐梨さん。
これからも、語りべとして全国を回るつもりです。
はあ?だってしかたないじゃん。
どこに行ってくるわけ?神戸、盛岡、仙台、東京。
震災で失ったものとそこで得たもの。
祐梨さんの3年です。
イノッチ⇒とても立派ですね。
柳澤⇒しっかりしているね。
ただ10代の女の子ですから抱えるにはすごく大きいと思いますが、本人もおっしゃっていましたけど、それで今乗り越えようと頑張っている自分がいるというこれはものすごく彼女の成長の中でとても大きいことだと思います。
この3年間ずっと見つめてきたんだね、その中で見つけた自分で見つけたことばで語っている。
ことばに重みがありますからね。
内藤⇒語ることは立派だと思うし聞いている子どもたちは、震災はどうだったかということも、そうかもしれないけど、彼女が勇気を出したということが伝わるんじゃないかな、そうやってそういうことも大きいと思う。
震災をリアルに知るということも大事だけどこうやって頑張っている人が同世代にいるということ勇気がたくさん伝わっていると思う。
だから自分も、頑張って生きていこうと思えるようになるからすばらしいことをされていると思う。
10代のときこんなに立派だったかな。
浜島⇒子ども時代は大人にそして先生に頼ることが当たり前じゃないですか。
頼っていいんだけれどもだけど、私は頼ってばかりだった、自分に何ができるかな、そう思えた彼女がすばらしいです。
柳澤⇒同情してほしいじゃない共感してほしいということです。
ことし高校卒業しました。
志望校の合格発表が3年前に会って喜んで家に帰って、ふとテレビをつけると見たことのない状況でした、今は同じ年代の子が頑張っていることを見て東北のこと一緒に頑張ろうと思いました。
高校2年生です。
ちょうど高校2年生のときに当たり前のように同じように一日が送れるかどうか分からない。
ほんとに毎日ありがとうと大好きと伝えてもそれでもやっぱり後悔すると思うんです、何かを失うということは、彼女にそれを教えてもらいました。
ありがとうと言いたいです。
有働⇒ありがとうございます。
寺門⇒祐梨さんはこのあと大学で学んだあと、地元に戻って恩師のように子どもたちに英語やそれを使って、コミュニケーションする楽しさを伝えたいと言っていました。
祐梨さんは今回将来に向けて大きな一歩を踏み出しましたけれども、必ずしも、みんながみんなそうできるわけではありません。
被災地で問題となっていることの1つに不登校があります。
福島県のデータです。
最新の文部科学省の調査では小・中学生と高校生の不登校の数2011年度は2000人に満たなかったものが2012年度には、2152人。
この1年で9.7%増加しました。
実は全国平均では1%減少しているんですね。
その中で、やはり仮設住宅での暮らしや、家庭環境が急に変わってしまったことなど震災による影響もあるのではないかというふうに考えられています。
今回、ふるさとを離れて避難生活を送る福島の高校生に、今どんな思いでいるのか話を聞かせてもらいました。
高校2年生のまちるさんです。
原発のある福島県大熊町から会津若松市に避難してきました。
いつもみんなを笑わせるムードメーカーです。
しかし、まちるさんは今月に1回、カウンセラーのもとに通っています。
知らない町で始めた避難生活。
そのストレスで気分が大きく落ち込むことがあるからです。
まちるさんが住む会津若松市には大熊町からおよそ2500人が避難しています。
まちるさんは8人家族。
両親と5人の弟や妹たちと仮設住宅で暮らしています。
まちるさんの自宅は原発から僅か3km。
震災翌日原発事故のニュースを聞き妊娠中の母ときょうだいを連れて逃げました。
中学3年生のころまちるさんが書いた作文です。
震災直後避難した体育館での体験が書かれています。
毛布などがきて、寒さをなんとかしのげるようにはなりましたが重要な食料はいつまで待ってもくることはありませんでした。
しかたなくおなかに赤ちゃんのいる母が徒歩で1kmも離れたスーパーに食べ物を買いに行ってくれました。
しかしきょうだいの多い私たちの食料はすぐになくなりました。
この作文には、まちるさんのふるさとへの思いも書かれています。
まちるさんは原発で働く多くの人を知っていました。
その胸の内は複雑なものでした。
その後、県内外を転々としたまちるさんの家族。
ほとんどが被害の小さかった地域でした。
しかしそこでは大熊から来たという理由でアパートの入居を断られたこともありました。
当時、小学校5年生だった妹の真緒さんも周囲の目を気にしていました。
しかし、真緒さんはふるさとの町が大好きです。
震災から1年後会津若松市の高校に入学したまちるさん。
同じクラスには大熊町から避難してきた人はいませんでした。
自分のような避難生活を送っていないクラスメートたち。
まちるさんは1人孤独感を深めていきます。
毎日を楽しんでいるクラスメートにまちるさんは、自分の気持ちを話せなくなります。
入学して半年ほどたつとまちるさんは頻繁に学校を休み家に閉じこもるようになりました。
もどかしい思いを、物にぶつけてしまうこともありました。
1年ほど続いたまちるさんのつらい日々。
しかし去年の秋ごろから、再び学校に通えるようになりました。
きっかけは友達からのメールでした。
大丈夫?1人で抱え込まないでねというメッセージがまちるさんの心に変化をもたらしたのです。
そして、仮設住宅でもいつも元気な妹たち。
まちるさんの大きな力になりました。
まちるさんには最近夢ができました。
卒業後サッカーの専門学校に進みプロの選手になることです。
再びふるさとをみんなが誇りに思えるように。
まちるさんは大熊町出身の選手として活躍することを目指します。
内藤⇒まちるさん絶対できるよ。
被災された方そうじゃない方の距離なかなか埋まらないものなんですけれどもね。
同じ福島でも。
あのころ絆ということばを使っていたじゃないか。
それをもう1回取り戻すのはどうなんだろうちょっとした想像力だと思うんですよね。
自分があなただったらどうか。
周りの大人がちょっと想像してみようよ、彼女の立場や気持ちを。
溝は埋まらないかもしれないけど少しでも近くなるかもしれないと思う。
あのころ有効だったことばをもう1回思い出すのはどうだろうとオールジャパンとかいろいろありましたね。
違う形かもしれないけどもう1回取り戻してみるのはいいと思います。
彼女は絶対サッカーやってほしいですね。
背負ってほしいです。
もう1つ、ファックスがきています。
30代の方です。
仙台市で津波で自宅をなくしました。
当時息子は小学校1年生で、学校も被害にあって転校、県外にいます。
息子は自分が被災したことを友達に言いません、楽しそうに生活をしていますが、どんな思いでいるのかを考えると複雑です。
被災地にいない子どもたちには支援がありません被災地にいる人たちだけが被災者、ではありません。
温度差があるということが子どもたちにも敏感に伝わっているようですね。
柳澤⇒転校したら新しい土地でなじみにくいというのはありますよね。
今回の場合は、ちょっと違った意味で災害ということで考えると当事者もそうだし周りにいる友達も逆にどう接していいのか分からないという部分もあると思うんですよ。
そういうところで、彼女も言っていましたが友達はそうじゃないと思うけど、自分を追い込んでそう思ってしまった。
いたたまれないようなお互いになんとかしようと思っている気持ちが接点が見つからない場合、こじれてしまう場合があるのかなお互いそんな気持ちじゃ決してないと思うんですが阻害されているわけではない。
相手もしてるわけではないんですね。
今回の被災の特徴の1つかなと思うんですよね。
浜島⇒どんな組織でも人間関係うまくいかない場合もありますよね。
そういうときは、相手を知ること知る作業、努力することだなと思うんですよね。
本人も知らせること情報を共有することで共感して、共感すると人間の行動もちょっとずつ変わってくるのかなと。
今回は多感な10代の子どもたちですよね。
大人が思っているのとは違った悩み事、もっと苦しみがあるんだなと思いますね。
その辺りも含めてどうですか。
寺門⇒被災地の子どもたちに詳しいジャーナリストの森健さんにお越しいただいています。
森⇒よろしくお願いします。
震災後、被災地を回って子どもたちに作文を書いてもらい「つなみ」という本にまとめています。
以前「あさイチ」でもご紹介しました。
VTRにもありましたまちるさんの作文も当時、森さんが声をかけて書いてもらったものだったんです。
森さん、まちるさんのような葛藤を抱える生徒は少なくないんですよね。
多いですね。
ふさぎ込んでしまうタイプの子と放出というか悪いほうにぐれるような子もいてどちらかというと僕の印象では移動してきたところの地域とうまくなじめないとか理解されていないという意識があってギャップが出ている。
そうした生徒を支援するために事業として国は宮城県の岩手県、福島県にスクールカウンセラーが派遣されています。
震災で心に傷を負った10代と向き合うある高校のスクールカウンセラーを取材しました。
宮城県女川町です。
死者・行方不明者827人。
津波で大きな被害を受けました。
先週土曜日、女川高校では卒業式が行われました。
卒業する生徒は45人。
誰もが震災の影響を受けています。
この高校のスクールカウンセラー佐藤秀明さん。
2年にわたり、子どもたちの心と向き合ってきました。
佐藤さんが気にかけている生徒がいます。
阿部駿樹君です。
なんか、恥ずかしいんだけど。
去年6月、阿部君をカウンセリングしたとき気になることがあったのです。
阿部君は、震災直後から頻繁に幻覚を見るようになったといいます。
阿部君の自宅は1109人が亡くなった東松島市にあります。
高さ7m以上の津波が押し寄せ1階部分が浸水しました。
家を失ったあと、阿部君は両親と祖母、曽祖母と車で寝泊まりするようになります。
2週間後、借家に移ったもののそこには家を無くした親戚が集まってきました。
のべ16畳ほどの家に一時、7家族、30人が暮らしました。
そんな生活を続けるうち家族に異変が起こります。
曽祖母のキヨさんが持病の腰を悪化させ介助なしでは暮らせなくなったのです。
佐藤さんは、阿部君の幻覚は被災体験のストレスからきたものだと考えました。
しかし、卒業を前に改めて聞いてみると…。
家を直し、腰が悪かった曽祖母とまた暮らせるようになりストレスが軽くなったようでした。
阿部君の心が落ち着いてきたのにはもう1つ理由がありました。
理学療法士の資格を取りリハビリを指導するという目標ができたのです。
ひいおばあちゃんのためにもなると興味を持った理学療法士。
震災と向き合いながら阿部君は、春から短大に進学します。
佐藤さんには卒業を機にどうしても話を聞きたい生徒がいました。
生徒会長の柏峻平君。
さまざまな活動を通して被災した町を盛り上げようとしてきました。
地元の企業と協力しお菓子を開発。
その売り上げを使って町の人が楽しめるイベントを企画しました。
被災地で奮闘する高校生の取り組みは地元の新聞に何度も取り上げられました。
しかし、柏君は無理をしすぎているのではないかと心配していた、佐藤さん。
卒業式のあと、面談をし心の内を聞くことにしたのです。
震災によって受けた心の傷その苦しい胸の内を柏君はずっと隠してきました。
柏君の家は女川高校のすぐ近くにあります。
津波で全壊しました。
石巻にある父親の実家から通うことになった柏君。
通学の道すがらいつもがれきになった自宅を見て心を痛めていました。
そのことを忘れようと柏君はいつも活動の先頭に立ってきました。
みんなのためにと弱音を吐くことはありませんでした。
卒業式のあとに行われた高校生活最後の面談。
そこで柏君から思わぬことばが飛び出しました。
死にたい、と思うほどつらかった震災直後の自分の気持ち。
柏君は3年たってようやく打ち明けることができました。
浜島⇒なんか震災でたくさんの被害私たちはそのとき目に見える被害を画面を通して見たと思うんですが、今見たのは震災後、二次的三次的な被害をVTRで見させてもらったなと人の心の闇人それぞれ吐き出し方もレベルも全く違うものだろうし。
つらかったと言ったとしても、もっとそのことばの奥にもっと深い意味があるだろうと思うから言って終わりではなくこれから、相手を知ることコミュニケーションをとることそれを続けていかなければいけないんだなと思いました。
寺門⇒柏君は私たちの取材中も、前向きなことばしか出てこなかったんですよね。
それが、あのとき初めて、あのときだけそのつらかった気持ちをディレクターの問いかけに対してでできました。
3年かかりました。
でも生徒によっては、4年、5年かかる子もいます。
これからが大事なんだと、繰り返し佐藤先生がおっしゃっていたのが印象的でした。
そういう生徒はたくさんいるんだろうね。
彼のようにリーダーシップがあって、率先していろいろできる子は適度に吐き出しながら自分の精神を保ちながら、さらに、いろんな人の役に立ちたいと思っているでしょうから佐藤先生のような方がいるというのはとっても大きいことだと思いますが森先生はどう思いますか。
森⇒各地にああいう方が回って話を聞いていると思います。
思春期だから打ち明けられない子もいるんですよね。
阪神・淡路大震災のときにも3年後ぐらいがいちばん多かったんですね。
今あしながで東北で事業所長している方がいるんですがちょうど3年なんですね。
親御さんから子どもがちょっとおかしいと、聞き出したのが去年くらいでした。
1年目は我慢して2年目から出てくる。
それがことし、来年ぐらいなのかなと思います。
気をつけないといけないですね。
9時になりました。
ニュースをお伝えします。
理化学研究所などのグループが発表したSTAP細胞の論文に、不自然な点があるという指摘が相次いでいることを巡り、論文の共同著者が所属するアメリカのハーバード大学医学部は、いかなる懸念も精査するとして、事実関係の調査を進めていることを明らかにしました。
STAP細胞の論文を巡っては、不自然な画像やデータがあるという指摘が相次ぎ、きのう、共同著者の山梨大学の若山照彦教授が、ほかの共同著者に論文の取り下げに同意するよう呼びかけたことを明らかにしています。
これに関して共同著者の一人、チャールズ・バカンティ教授が所属するアメリカのハーバード大学医学部は10日、最高水準の倫理と研究の整合性を維持するために全力を挙げている。
われわれの注意を引く、いかなる懸念も規則に基づいて精査するとコメントし、事実関係の調査を進めていることを明らかにしました。
STAP細胞の研究を主導してきた、理化学研究所の小保方晴子研究ユニットリーダーは、以前、バカンティ教授の研究室に所属していたときに、STAP細胞のアイデアを思いつき、研究を進めたということで、ハーバード大学としても論文を巡る指摘を重く見ているものと見られます。
政府が、いわゆる従軍慰安婦の問題を巡って、謝罪と反省を示した河野官房長官談話の作成過程を検証することに関連して、アメリカ国務省の報道官は、安倍政権が談話を踏襲する立場を示していることを、前向きな一歩だと受け止めていると述べ、韓国との関係に配慮するよう求めました。
政府はいわゆる従軍慰安婦の問題を巡って、謝罪と反省を示した平成5年の河野官房長官談話について、有識者も参加した少人数のチームを設け、機密を保持しながら作成過程を検証する考えを示しています。
10日、これについて記者会見で問われたアメリカ国務省のサキ報道官は、作成過程の検証には触れず、菅官房長官は今月3日に記者団に対して、安倍政権として河野談話を踏襲する立場を示していると述べ、日本政府が談話そのものを見直すことは考えていないという認識を示しました。
サキ報道官はこのように述べ、韓国との関係に配慮するよう求めました。
全国の天気、まず雲の様子です。
日本海に広がっていた筋状の雲は少なくなっています。
太平洋側を中心に晴れている所が多くなっています。
イノッチ⇒きょうは10代が見た震災3年についてお伝えしています。
寺門⇒こちらは被災地の10代の子どもたちが書いた作文です。
8時台にもご紹介しました「つなみ」に作文を寄せてくれた子どもたちが、震災から3年がたった今、どんな思いでいるのか再びこうして作文に書いてくれました。
字がきれいなんだよね、みんな。
教えてもらいたいな。
本当だ。
まずは宮城県石巻市の中学2年生廣瀬迅人君です。
震災当時は小学5年生でした。
あの震災には町を破壊され食料を奪われ、人を殺された。
自然災害なので、怒りを誰かにぶつけることができなかった。
中学生になった僕はなぜかイライラしていた。
学校全体がピリピリしていたように思う。
悪いことをして親や先生にたくさん迷惑をかけました。
今、僕は仮設住宅に住んでいますがその土地を貸してくれている人が土地を売ることになり出ていかなければなりません。
また、環境が変わることに少し戸惑っています。
まだまだ、震災には振り回されそうですがとりあえず僕は元気に暮らしています。
そしてもう1人、当時高校1年生だった鈴木啓史さんの作文です。
鈴木さんは今は父親の営む建設関係の仕事を手伝っています。
イノッチさんお願いします。
僕なんかが読んじゃってもいいんですか。
お願いします。
俺は今、父の会社で働き道路工事現場で働いています。
震災で壊れた道路工事をしていて今、自分が直している道路が日本中につながる道だと思うと少しでも日本に復興に貢献していると思うと寒さや暑さ、疲れなど何とも思いません。
俺は、この憎い津波のおかげで大切なこと、大事なことを勉強させられました。
俺にとっていちばん悔しいことはこの俺たちから大切なものをすべて取り上げた水。
この憎い水に頼らなければ一生、生活していけないこと。
どうしようもないことですがそれが悔しくてなりません。
最後は俺らしくすばらしい国、日本よみがえらせます、石巻輝いています、俺たち家族!力強いことばですよね。
有働⇒作文をどんなふうにご覧になりましたか。
内藤⇒書くということはつらい体験だったでしょうけれども、客観的に見る作業だと思うんですね。
それと、もう1つは何か決意表明だと思う自分に対する約束とか、自分に対する契約だと思う。
だから大変なことかもしれないけれども書くこと、つらいこともあるかもしれないけれども、それで一歩でも進めるのであればすてきなことかなと思いますね。
浜島⇒誰に見せるわけでもないけれども自分自身の整理もつきますものね。
「つなみ」という本も森さんは書いてもらおうと思ったのはそういうこともあったんですか。
森⇒そこまでは思っていなかったんですが、僕自身驚いたのは、書いてくれないかなと思って恐る恐る言ったら、みんなむしろ乗り気というか。
書きたいという感じだったんですか。
まちるちゃんもそうだし鈴木啓史君もお願いしていないんですよ、そのときにはあとからお母さんから電話があってこいつも書きたいと言っているんですけれどもいいですか?と言われてみんな言いたいというか、伝えたかったんだと思うんですよね。
それは今回3年たってお願いして書いてきたのを読んですごくその思いが伝わるし成長がまたあるんですね。
ここに書いてあることがすべてではないけれどもでも、これだけいろいろな人生があるんだと思うと本当に1つの出来事だけではなくていろいろな人たちの思いがこれだけあるんだなとそう感じますよね。
あとほかに何人か書いてくれた子がいるんですが、全員に共通していたのが日本とか、みんな助けてくれた人たちへの感謝の気持ちをあたりまえですけれども、お願いをしていないんですけれども書いてあるんですよね。
最後のほうにすごく熱いそういう思いが書いてあって本当に今彼らが、復興していくというかその担い手になる。
その思いを強く言っているんだなというのが伝わってきました。
有働⇒ファックスが届いています神奈川県20代の方です。
私は福島県いわき市で高校2年生のときに被災しました。
進学を機に上京し地元を出ていくことに罪悪感を抱きながら過ごしていました。
震災前は都会に憧れていて地元が好きではなかったですが、震災後は地元が大好きになり時間があれば帰省しています、今就職を考える時期になり迷わず地元での就職を目指しています。
看護という仕事を通して少しでも復興に携われればと思っています。
被災地ではなく、復興地出身です。
それから、埼玉県40代の方からです。
看護師、介護福祉士の学校の講師ですということです。
埼玉県で看護師、介護福祉士になる学校の講師をやっています。
この2年前、学生数が減少するなか東北の学生数が増えてきています、震災のとき何もできなかったことを考えて、資格を取って誰かの役に立ちたい学生がほとんどです、やる気があり人の痛みが分かりとてもよい看護師、介護福祉士になると思います。
家族を亡くした学生もいます、みんな、頑張っています。
私たちは彼らに、本当の心を教えていただきながら、知識を教えさせていただいています。
10代の彼らに感謝です。
そのほかにも皆さんからたくさんいただいていますので、後ほどファックスやメールはご紹介します。
続いてはこちらのコーナーです。
アッキー⇒おはようございます。
柳澤さんお久しぶりですね。
柳澤⇒元気だった?見てたよ。
誰だか分からないですよ。
テレビをご覧の皆さんに戸惑いを与えているのではないかと思って決して怪しい者でありません。
ただのおじさんじゃありません。
先週から始まりましたバスや列車で、復興の地を訪ねる旅ですがきょうは2本立てです。
ことしは石巻からスタートしました太平洋沿岸部を南に下り福島県に入りました。
南相馬市からは内陸に入り福島市そして二本松市と前回はお伝えしてきました。
今回は三春町です。
こちらでは日本三大桜の1つに数えられる大きなしだれ桜があるんですが実は震災の1か月後僕も訪ねていたんです。
二本松からは郡山で列車を乗り換え三春に向かいました。
三春といえば、桜。
何はともあれ、桜のもとへ。
内藤⇒大きいですよね。
幅25mに及ぶ巨大な、しだれ桜。
この日は、春に備え枯れ枝をせんていするための準備が行われていました。
最初に訪ねたのは震災から1か月後。
見事な花を咲かせていました。
三春滝桜。
日本三大桜の1つで、樹齢は1000年以上といわれています。
ここで出会ったのが原発からほど近い富岡町から避難してきた人たち。
復興への思いを桜に重ねていました。
あのとき出会った人たちをもう一度訪ねてみることにしました。
まず、地元の滝桜保存会の方に会いに行きました。
僕は元気です。
橋本トキさんです。
20人の仲間と一緒に肥料やりから清掃まで一年中、桜の世話をしています。
この手作りの籠も富岡町の人たちからのプレゼント。
3年間でトキさんは近所にできた仮設住宅の人たちと交流を深めていました。
トキさんは富岡の人たちのためにもことしも桜がきれいに咲いてほしいと願っています。
滝桜に勇気づけられた人がいます。
こんにちは。
渡辺雄樹さんです。
今、仮設住宅で住民と行政の間に立つ連絡員の仕事をしています。
3年前、初めて出会ったとき渡辺さんは家族とともに富岡町から避難してきたばかりでした。
震災前は、福島第一原発で配管の仕事をしていました。
3月11日は原発の敷地内の駐車場で地震に遭いました。
富岡町に早く帰りたい。
そう願って見た滝桜。
ふるさとの桜を重ねているようでした。
それから3年。
渡辺さんの思いは少し変化していました。
渡辺さんの背中を押したのは息子の聖君の存在でした。
震災の年に三春の小学校に入学。
まもなく4年生になります。
滝桜は、渡辺さんにとってこれから新たなふるさとの桜となります。
その桜を前に、胸に秘めた決意を話してくれました。
もうすぐ震災から3度目の春を迎えます。
渡辺さんの目に、ことしの滝桜はどのように映るのでしょうか。
柳澤⇒1か月のリポート、覚えているよ。
あのときも思ったんだけれどもあんなことがあっても桜が咲いてくれるという桜を見たときに僕自身、目頭が熱くなったんだけれども、改めてそういう思いで見ると、みんなそういうふうに心の支えにしているものなんだなと何かみんな、そういうものが欲しいんだなと思いますよね。
何か象徴としてね。
有働⇒渡辺さんの覚悟はすごいですよね。
下の代に残すものではないと。
柳澤⇒目に見えるものではないでしょう?放射線というのは。
そこにどう向き合っていくのか、いろいろな心配があるんだけれども。
アッキー⇒渡辺さんは3年前、滝桜の下で絶対に富岡町に帰るんだと決意されていました。
でも今3年間、三春町で過ごしていて、三春町を新たな故郷にするという決意を抱くその時間が3年間だったのかなと思いますね。
子どもに対する思いも強かったんでしょうね。
子どものことを思えば。
渡辺さん今でも富岡に対する思いが強いとおっしゃっているんですが、しかし三春にこれから根を生やすとおっしゃったときの渡辺さんの表情はどこかすがすがしい印象を受けたんですね。
子どもがいて、子どもが楽しんでいる三春で生活していくと背中を押してくれたということがあったのかもしれませんね。
浜島⇒決して故郷を捨てたわけではないんだなと思いました。
ちゃんと思っているからこそ、今は子どものために三春に住んで僕は僕の故郷のことをここから思うという彼の思いが伝わってきました。
柳澤⇒絶対にふるさとは捨てられるものではないですよね。
自分でまた片づけに行くというかそういう決意をしてくれているわけですものね。
浜島⇒本当にすばらしい。
旅はまだ続きます。
三春町からJR磐越東線に乗りまして、再び沿岸部のいわきに向かいました。
旅を始めて6日目この日は見事な青空でした。
いわき駅からはバスに乗り換え小名浜へ向かいます。
津波でダメージを受けた港町が今、どうなっているのか見に行くためです。
20分ほどで海沿いの集落に出ました。
いわき市の薄磯・豊間地区です。
この辺りは沿岸部に小さな集落が続きます。
しかし、見えてくるのは住宅の基礎ばかりでした。
バスを降り歩いてみることにしました。
バス停からすぐのところにあったのが薄磯地区。
9割近い家が全壊し115人が亡くなりました。
もともと住宅地だったこの辺りは防災緑地になることが決まっているそうです。
海沿いには慰霊碑がありました。
この地域に暮らしていた人たちが今も、絶え間なく訪れていました。
再びバスに乗ること30分。
まもなくこの日の目的地に到着です。
小名浜港では、去年10月から沿岸での漁が一部再開されています。
原発事故のあと、長い間漁が自粛されてきた小名浜港。
しかし去年、週1回の試験操業が始まったのです。
国で安全が確認された32種類が水揚げされています。
2年7か月ぶりに再開された漁。
港町に活気が戻ってきました。
福島県産の魚があるか地元のスーパーに寄ってみました。
この日は、他県で水揚げされた魚しか見当たりませんでした。
再び漁に出始めた漁師さんにぜひ話を聞きたいと港へやってきました。
しかし、残念ながらこの日、試験操業は中止。
海が、しけだったんです。
それでも、なんとか漁師さんに会いたい!探し回っていると思わぬ光景に出くわしました。
なんと、鉄格子の間から糸を垂らしていたんです。
ふ頭の下は絶好の穴場。
皆さん、よくご存じなんですね。
そして、ついに船を眺める男性に遭遇。
スーツ姿ですが、漁師さんです。
漁師になって50年小名浜に住む志賀金三郎さんです。
震災前、小名浜港では100種類以上の魚が水揚げされていました。
そのころの活気には及ばないが試験操業は大切な一歩だと志賀さんは感じています。
浜島⇒いや、すてき。
皆さんのプライドを感じますね。
地産地消の、ここで取れたものがほんとに僕らが取ったものおいしいんだぞというプライドを感じて、ぐっと熱くなりました。
内藤⇒すぐまた情報が必要ですね。
安全だという。
本当に漁師さんと話していると明るい顔を見せてくれて、こちらが元気づけられてしまう部分があります。
もともとは100種類以上が、水揚げされている小名浜の港、今は3年かけて現在、水揚げして試験操業で取った魚は32種類、3分の1以下です。
ここにこぎ着けるまでも3年かかったということです。
今後、本操業の見通しというのはどれぐらいありますか?本操業という定義というものは地域でも揺れています、もちろんもともと取れていたを魚を水揚げしていいよという状態そこまでたどり着くのには何年もかかるということなんですが、でも、本当はそこから先なんですよね、全部魚を取っていいよという調査を続けて、ここまでこぎ着けたとしてもそこから先へ福島の魚、手に取ってもらえるのかということです。
まだまだは、勝負というか、戦いは続いていきます。
しかもこれからますます正念場が来るということだよね、たぶんね。
非常に難しい部分があるなと思ったのは例えば、農産物で放射線量が上がった、高いのがあがったときうまくいけば畑まで逆算することができますでも海の場合、水揚げしたあとに調査しますので、じゃあは実際どこで線量が上がったのかそういう難しい部分があるんです。
それが風評被害につながりやすいんです、非常に難しいです。
そして旅は茨城のひたちなかまで行っているんです。
けれども実は、きょうのお昼旅のゴールの模様をお送りするということなんです。
「バスで!列車で!アッキーがゆく復興の地」午後0時22分から放送を旅のゴールをお届けするということです。
有働⇒午後ですが、お昼なのに「あさイチ」というものを、ここでもう一度やるんですがニュースのあとです。
続くということです。
アッキー⇒後ほどお会いしましょう。
続いてはこちらのコーナーです。
きょうはどんなお悩みでしょうか。
あらららら。
きょう、これを解決してくださるのはヘルシーなレシピとシンプルなライフスタイルが今とても注目されている料理研究家のワタナベマキさんです。
よろしくお願いします。
教えていただくのはドレッシングといってもこちらのひき肉のジンジャーソース、というものなんです。
そうですね。
野菜もお肉もとれる、万能な食べるソースです。
食べるソース、いいですね。
サラダだけではもったいないということで、このような形にも。
サラダごはんということです。
おしゃれですね。
カフェっぽい感じですね。
いい感じです、これもとても簡単です。
そうですね、混ぜるだけの簡単なものです。
気軽なのでランチにもおすすめです。
もとになる、ひき肉のジンジャーソースから教えていただきます。
作りやすい分量でご紹介します。
しょうがとたまねぎはみじん切りにしておいてください。
まずオリーブ油を引いていただいて、大さじ1です。
そこに、しょうがとたまねぎを入れていきます。
しょうがもたっぷり、2かけ入りました。
結構多いですね。
たっぷりとしょうがの香りがポイントなので。
しんなりするまで炒めていきます。
もう最強だよね、この2種類の組み合わせ。
香りがね。
たまねぎは甘みを出してくれてしょうがはスパイスな感じになるので。
ちょっと香ってきたところで。
本来ならば、しんなりするまで炒めていただいてからこの鶏ひき肉を入れていきます。
そうなんですが、きょうはもうすでに鶏ひき肉を含めて、炒めた物をご紹介します。
しっかりたまねぎ、もうちょっと色づくまで炒めていただきます。
そしてここに調味料を加えていきます。
結構入るんですね。
お酢が。
食べるドレッシングなんだね。
出た。
ハイテクノロジー。
電動でね。
こしょうが入りました。
お酢が多いような感じがしますね。
お酢を入れるとお肉の肉臭さを消してくれたり保存性も高まるのでいろんな素材に合わせやすくなるんですね。
なのでお酢を入れました。
ひと煮立ちさせます。
ここにすりごまを入れます。
大さじ2のすりごまが入りました。
風味がよくなります。
こんな感じで出来上がりです。
出来上がり?ほぼほぼ出来上がりです。
これを容器に?本来なら粗熱が取れてからですけれども保存容器に入れます。
早いですね。
しかし本来ならもうちょっと時間がかかるんですね。
差し替えちゃったんでね。
たまねぎをしんなりさせる時間がね。
きょうは省略しました。
作業としては手順は簡単ですよね。
そして、ここにオリーブオイルで、膜を作ります。
そうすると保存性が高まるので。
これでもう?そうですね。
完成しました。
ひき肉のジンジャーソースの完成です、きょうは焼いたキャベツ。
ちょっと焼いて蒸した感じの野菜にどばっとかけて食べていただきます。
食べ方としていろいろあるんですよね。
そのままじゃがいもを蒸したものにかけてもらったり、パスタですとか、切ったトマトにかけていただいたりいろんな食べ方ができます。
ひき肉以外でも?ベーコンや鶏のささ身肉で代用してもらっても大丈夫ですよ。
バリエーションが広がるということで、きょうはここでコマNaviのコーナーです。
たまには思い出していただけると人形が付いています。
これはしょうがなんですよ。
かわいいですね。
親指を立てているわけではないですよ。
グー。
しょうがでございます。
きょうのテーマは和洋中でジンジャーソースということでお送りします。
今、ジンジャーソースの作り方ベースをそのままにして、ちょっと調味料を変えるだけで和風に中国風になるんだよということでご紹介します。
まずは中国風。
オリーブ油をごま油に変えました。
先ほどのものに、にんにくと赤とうがらしをちょっと加えて中国風の味付けにしています。
最初に炒めるときもごま油だし保存で最後にかけるのもごま油ですね。
どんなものに合いますか?冷ややっこに、例えば掛けていただいたりジャージャー麺のように中国麺にかけてもらったり。
いいじゃん。
レタスで包んで食べてもらってもいいし。
さらに和風にも変身するということで。
オリーブオイルをサラダ油とか菜種油に変えていただいてお塩を減らして、その代わりしょうゆを足します。
これがいちばんおすすめなのがほうれんそうをゆでたものにかけるといいですよ。
何が足りないなと思うときに、これをかけてしまえばお肉もとれますし、ほうれんそうだけじゃなくて本当に幅広く使えますよね。
作り置きもできますよね。
冷蔵庫で、1週間ぐらい保存できます。
そのまま何かにかけていただいて。
パスタでもいいわけでしょう?はい。
ぜひお試しください。
以上、コマNaviのコーナーでした。
続いて、サラダごはんです。
せっかくバリエーションをご紹介したのでその中で中国風のジンジャーソースを使って教えていただきます。
ごはんは、お茶わん4杯分です。
そこに先ほどのソースです。
食べるソースを、大さじ4杯ぐらい入れます。
大さじ5の表示になっていますね。
失礼しました。
多めにたっぷり入れていただいてきゅうりです、薄切りにしたもの塩もみにしたものを入れます。
水けを絞っておいてください。
本当に何にでも使えるね。
鶏ひき肉にしている豚ではないということで、そのまま使えるんですか。
豚肉は脂が固まって火を入れないと使いにくいので鶏ひき肉は冷蔵庫から出して、すぐに混ぜることができます。
豚肉を炒めたりしてシンクに置いておくと白くなって固まっているよね。
いい方法ないのかな?すぐ洗うとか。
そうですね。
脂がね。
ラードなので再利用していただいてもいいですよ。
こそげ取って。
細かい作業ですが、エコですね。
永遠に使えますね。
細ねぎが入りましたね。
塩こしょうで味を調えます。
すごいおいしそうだね。
電動は使わないんですね。
さっきあんなに自慢げにやっていたのになぜ手で回すんですか。
下げちゃったんですよね。
すいませんでした。
せっかく片手でやっていたのにね。
盛りつけていきます。
これはいいよ。
混ぜるだけですからね。
冷めてもおいしいのでお弁当とかにもいいですよ。
ちょっと、ゆで卵ときょうはシャンツァイを入れます。
たっぷり。
これで、完成ですね。
ということで、サラダごはんが完成しました。
皆さんに試食していただきましょう。
柳澤さんさっきからおなかが鳴っていましたものね。
浜島⇒聞こえていました。
まずシンプルなサラダから召し上がってください。
どうやって食べようかな。
スナップえんどうかな?これにちょっとのせて食べちゃおうかな。
柳澤⇒おいしいじゃないですか。
内藤⇒意外と味がしっかりしている。
お酢がいいですね。
あれぐらい入って、ちょうどいいというか。
ちょっと濃いめに作るんですか。
ワタナベ⇒保存性があるのでそのまま食べるより何かに合わせてもらったほうがいいですね。
浜島⇒オリーブオイルもいっぱい入れていましたが、お酢の効果でさっぱりしています。
ドレッシングだけどお肉のうまみもあります。
柳澤⇒けさ食べてこなかったので、ずっしりきますね。
浜島⇒おなかが鳴っていましたからね。
これ、最高。
サラダごはん中国風になっています召し上がってみてください。
いただきます。
内藤⇒中国風ですか。
おいしい。
作り方は同じなんですけど調味料をちょっと変えるだけで。
おいしい。
浜島⇒ごはんにうまみが入っていて、おいしい。
柳澤⇒パクチーは大丈夫なんですよ。
みょうがとセロリは…。
セロリはちょっとね。
とうがらしも入っているね。
洋風のものに、ごはんを混ぜてもおいしくてアジアンチックになったりするので。
洋風のドレッシング風のものを作ってみてもよさそうですね。
本当にいろんな組み合わせによってバリエーションが広がるので、お試しください。
ワタナベマキさんに教えていただきました。
来週はキッチンを拝見する予定になっています。
楽しみにしてください。
ワタナベ⇒ありがとうございました。
有働⇒解説委員長なのに食べられないものがいっぱいあるんですね、きょうはうれしいニュースがあるそうですね。
中村⇒「あさイチ」の「JAPAなび」がきっかけで生まれた心温まるお話です。
1月13日。
福島県会津若松市の仮設住宅に岐阜県から、ある人たちがやって来ました。
実はこの人たち、布ぞうりの作り方を教えに来たんです。
去年、JAPAなびでご紹介した、布ぞうり覚えてますね?じゃん!巨大な大布ぞうりです。
岐阜県恵那市の主婦たちが古着を再利用して作っていたものです。
すごいですね。
ロサンゼルスから来てるわけですよ。
独特の肌触りが人気を呼んでアメリカからも販売のオファーが来るほどの人気でした。
これがもっと内側から入っててもいいかもしれない。
ユージさんもモデルとして商品作りを応援。
絶妙。
この番組を見た被災地の人たちから次々と自分たちもやってみたいと要望が寄せられたのです。
この日は、大熊町と楢葉町から避難してきた方々が合同で勉強会を開きました。
ここを下にするということですのでこちらが上下上下ですのでこっちから。
なぜ被災者の皆さんが布ぞうりを学ぼうとしたのかそれには、訳がありました。
楢葉町や大熊町は震災から3年たった今も原発事故の影響で帰って暮らすことが許されていません。
避難が長引き、仮設住宅では1人暮らしのお年寄りの割合が2割を超えています。
引きこもってしまうお年寄りも少なくないのです。
布ぞうり作りに参加した戸田さんもその1人です。
地震で家は全壊。
原発の影響で、今は帰って暮らすこともできません。
戸田さんは、長年連れ添った妻を2年半前に亡くしました。
5回も避難場所を変えたストレスなどが原因だといいます。
そんな様子を見かねた近所の人が戸田さんを布ぞうり作りに誘いました。
今度はアーチというのがありますので。
Tシャツでは無理だと思います。
なるほど、作業をしながらだと自然に人と話す機会ができます。
恵那市の人が帰ったあとも皆さんは平日の午前中に必ず集まって布ぞうり作りを続けました。
その中で、メンバーにある思いが芽生えてきました。
もっとクオリティーの高い布ぞうりを作りたいと欲が出てきたのです。
そして、皆さんは思わぬ行動に出ます。
なんと恵那市までわざわざ出向き、レッスンを受けようと考えたのです。
どうもありがとうございまいした。
駅に着くやいなや早速、戸田さんが練習の成果を披露します。
さあ、レッスン開始です。
すると、次々と質問が。
そして、あの、ふさぎ込んでいた戸田さんも。
ずいぶん積極的ですよね。
あのお年からでも出会うものがあって始めることがあるってすごいですね。
前はふさぎ込みがちだったそうですが皆さんとぞうり作りをやって苦しさを忘れられる、という話をしていたのが印象的でした。
仮設住宅の皆さんはもともと布ぞうり作りをしていましたが「JAPAなび」をきっかけにもっと本格的にやってみようと動きだしました。
よりいいものを作ることで、支援してくださる皆さんにも私たち頑張っていますよという思いを伝えたいということなんですね。
実際に私もはかせていただきました。
すてきですね。
すてきですし、肌触りが優しいんですよ。
ちょっと厚みがあるので、クッションが効いていて履き心地がソフトなんです。
疲れておうちに帰ってはいたら癒やされます。
内藤⇒作ったものを誰かが使うわけでしょ、そこにも、つながりができますね。
それがまた皆さんのやりがいにもつながるんですよね。
引きこもりがちな方を減らすだけではなく、もう1つメリットがあるんですね、それが経済的なメリットです。
1足2500円で販売しているんですが人気で売れ行きが好調なんですよ。
私たちもこれを買うことで、大きな額にはなりませんけれども、皆さんのやりがいにつながるので支援につながるのではないかなと思います。
浜島⇒いいことの循環ですね。
柳澤⇒ええな。
ずっと言っているんですけどね。
有働⇒ファックスがたくさん来ているのでご紹介します。
学生の皆さんからたくさんいただきました。
続いてです。
語りべの田畑祐梨さんですね。
こんなご意見もいただいています。
宮城県10代の方です。
岩手県10代の方です。
2014/03/11(火) 08:15〜09:55
NHK総合1・神戸
あさイチ「10代が見つめてきた震災3年 それぞれの春」[字]

▽震災3年 闘う女子高校生 ▽伝え続ける!卒業式の決意 ▽避難生活10代の本音 ▽“布ぞうり”で復興支援 【ゲスト】内藤剛志,浜島直子ほか

詳細情報
番組内容
【講師】料理研究家…ワタナベマキ,【キャスター】井ノ原快彦,有働由美子,駒村多恵,【リポーター】篠山輝信,寺門亜衣子 ※「解決!ゴハン」はデータ放送 <中断>9:00−9:05 [字]ニュース・気象情報
出演者
【ゲスト】内藤剛志,浜島直子,【講師】料理研究家…ワタナベマキ,【キャスター】井ノ原快彦,有働由美子,駒村多恵,【リポーター】篠山輝信,寺門亜衣子

ジャンル :
情報/ワイドショー – 暮らし・住まい
情報/ワイドショー – 健康・医療
ドキュメンタリー/教養 – 社会・時事

映像 : 1080i(1125i)、アスペクト比16:9 パンベクトルなし
音声 : 2/0モード(ステレオ)
サンプリングレート : 48kHz

OriginalNetworkID:32080(0x7D50)
TransportStreamID:32080(0x7D50)
ServiceID:43008(0xA800)
EventID:22177(0x56A1)