東日本大震災から明日で3年になります大勢の方々が亡くなりましたそして今も大勢の方々が苦しんでらっしゃいます私は東北出身の一人としてあの震災の記憶を記録として語り継いでいかなければならないと思っていますではそのためにはどうしたらいいのか?一つのキーワードに注目しました72時間です次にまた3年前のような地震・津波があっても生き残ってほしいどんな状況でも助かってほしいんですそのために知ってほしいのは72時間のすごし方ということですあのときあの震災を生き延びた人がどんな72時間をすごしたのかご覧いただきたいと思いますその真実の記録です
3年前
あの大震災で繰り広げられた救出劇の
初めて公開された映像です
それは時間との闘いでした
人命救助におけるタイムリミットの目安
72時間が勝負72時間以内に72時間をすぎて
という壁
災害の現場では72時間を超えると
生存率が著しく低下すると言われています
(リポーター)笛が鳴ってます
3年前地震発生から72時間に
何があったのか?
私達は取材映像に加え
警察消防自衛隊などから
膨大な映像と証言を集めました
初めて公開されるあの夜
情報収集ヘリが撮影した
救助に駆けつけた東京消防庁の初公開映像には
火災の中行われた
そして被災した人達の
その映像には震災を生き延びた様々な知恵と
壮絶なドラマが刻まれていました
よかったです!
津波にのまれた男性はなぜ助かったのか?
あったまりてえ〜
絶体絶命の危機をどう乗り越えたのか?
がれきに引き裂かれた
小さな命を守るため
おばあちゃんがとった行動
3年ぶりの被災地に立った
震え続けた
刻々と刻まれる時の中で
救助隊の誰もが思っていました
大地震の脅威が忍び寄る今だからこそ
知っておく必要があるのです
命を守るヒントがここにあります
宮城県沖で発生した大地震は
かつてない混乱を招きました
寸断されたライフラインと届かない情報に
被災地の行政機関も翻弄されることになります
・
(女性)ああーッほら早く!早くー!わーッ!・
(男性)早く早く早く早く早く来て!
午後3時14分には
岩手県釜石市に津波が到達
・
(男性)あッあッあッあーッ!ただいま大津波が押し寄せています
その後も続いた津波は沿岸部に壊滅的な打撃を与えました
準備されていた避難場所や
同じ頃宮城県庁では
災害対策会議が始まろうとしていました
会議室のテレビからは
津波に襲われた各地のニュースが
その映像に言葉をなくす村井知事
このとき県庁には情報がほとんど入っていませんでした
会議で報告される情報をはるかに超えた現実
村井知事の視線はテレビから離れませんでした
現場に行って亡くなった命はもうこの際仕方がないまず72時間はそこだったですね
午後4時すぎ
宮城県警情報収集ヘリの映像です
これは初めて公開される交信記録です
高圧線が間近に迫るほどの超低空飛行で
状況が伝えられました
よく聞くとパイロットがサイレンを鳴らしながら
地上の人達に避難を呼びかける声が
(サイレン)…願いますどうぞ
上空からは第二波第三波の津波が
ハッキリと見えていたのです
映像に記録された津波に襲われる
町のおよそ6割が浸水し
338人の遺体が見つかりました
津波が襲いかかった直後若林区に
TBC東北放送の記者が入りました
(記者)若林区荒井です辺り一帯が水浸しになっています津波が押し寄せたんでしょうか一帯が水浸しになっています
記者のカメラは津波の爪痕を記録していました
そのとき…
(記者)ケガ人ですねケガ人いますね!
(男性)どこに?
(記者)おんぶしてます!
消防隊員が全身ずぶぬれの男性を背負っていました
津波に流され流木にしがみついていたところを
助け出されたのです
(記者)大丈夫ですか大丈夫?
水に浸かったまま救出されるまで1時間あまり
男性は低体温症と呼ばれる
危険な状態に陥っていました
記者は他の消防隊員を探しますしかし…
(ノック)
(記者)誰も乗ってないっすね
消防隊員は救助に戻るため
男性は記者に託されました
あったまりてえ〜
(記者)大丈夫ですか?
(記者)頑張ってくださいねああ〜寒い〜寒い〜
(記者)頑張って
記者が乗ってきたタクシーの車内で
男性はすでに
(記者)頑張ってね頑張ってね!寒い〜寒い〜
(記者)ちょっと待ってて車の中で暖とってましょう
近くに見つけた小学校へ男性を運び込みます
停電で暖房は停止中
1台きりの石油ストーブで懸命に体を温めました
そして1時間半後…
(女性)よかったですね
男性は一命を取り留めました
当時の記憶は曖昧です
そこの道を歩いて
(堀江)そこからのタクシー運転手さんと
(堀江)ただ一つ記憶にあるのが「寒い寒い」って言ったのは記憶に残ってますね
堀江さんが命の危険にさらされた
放っておくと
低体温症に詳しい増山茂医師によると…
堀江さんは極めて危険な状態にあったといいます
ああ〜これはあったまりてえ〜
(記者)大丈夫っすか?
うわ言を繰り返すのは意識障害のあらわれでした
寒い〜寒い〜
(記者)頑張って!
「寒い」と言いながら震えてはいません
これこそ低体温症が悪化しているサイン
東日本大震災では
避難所の寒さが災いしたケースもあったのです
ではどうしたら低体温症から救えるのでしょうか?
例えばわきの下とかそけい部に温めるのと同時に胸の中心部を温めてあげるというのがとてもいいと思います
低体温症から命を守るのです
(男性)うわーすげえ何だこれ?
各地で大規模な火災が発生していました
宮城県気仙沼市では
湾内に流れだした重油が炎上
(男性)ああすごい
(男性)爆発が起こりました
住宅地が火の海になっていました
けれど消防団には打つ手がなかったのです
なすすべもなく彼らは炎を見つめていました
政府の現地調査団が宮城県庁に到着します
被災地の状況を詳細に把握することが目的でした
ところが…
情報は錯そうし被害の全貌は
まだまったくといってよいほど見えていなかったのです
夜間の捜索を決断した県警は
この「まつしま」に
電気が途絶えた被災地に目印となる明かりはありません
危険なフライトでした
今回初めて公開される暗視カメラの映像です
1000人を超える死者を出した東松島市
被害は全家屋の7割以上に及んでいました
午後11時すぎ
暗視カメラが写しだしたのは
住宅地の大半が水没している様子です
画面中央を走るのは線路
トンネル
驚くべき光景が待ち受けていました
夜の闇に向けられたヘリコプターの暗視カメラは
驚くべき光景を写しだしました
津波に流されくの字に折れ曲がった列車です
乗客乗員およそ50人を乗せて消息を絶っていた
この人達は無事に
暗視カメラは列車周辺の人影も捉えていました
道路を歩いている人
建物に集まっている人
この映像を手がかりに宮城県警は
翌朝の救出計画を立てたのです
夜明けを待って宮城県警は救出活動を始めます
ヘリは…
一夜が明けた被災地には
全国から救助隊が集まり始めました
これは茨城県から来た航空自衛隊の救助活動
宮城県山元町の小学校から
あの震災では子供達を守る
いくつもの知られざる闘いがありました
孤立していた幼稚園から子供達が助け出されたのは
午前11時40分のことです
先生達の知恵と工夫が
小さな命を救いました
その現場は…
津波による人的被害が最も大きかった地域です
海岸からわずか200メートルの場所にあった
地震直後
逃げる手段と考えたときにここの場所見てご覧のとおりそのうちに滝のように右からダーッとあそこの信号機に水が流れたんですよ
園長は墨のように黒々とした津波を目撃しています
2階建ての幼稚園はまたたく間に
波に沈んでいきました
2階の窓から屋根に逃れようと決断した園長は
脚立を持ちだして子供達を一人一人
屋根に上げたのです
途中は大人の上からも下からも手が届かないとこがあるんですそこはとにかく後ろから手で支えながら押し込むと
これは園長が撮影したそのときの写真です
屋上にある三角屋根の一番高い所に
園児11人と先生達が身を寄せ合ったのです
地上9メートル
屋根の上から撮影された写真は
辺り一面が水没した様子を伝えています
先生達の記憶
しばらく同じ体勢のままというかその状態で
この日石巻は雪でした
一般に…
屋根の上では体感温度は
マイナス12度にもなったと考えられます
(佐藤)そのときにじゃあ下から
いったん水は引いたものの
また津波が来るかもしれない
園児11人と先生達は
屋根の上で夜を明かそうと決めたのです
余震が続く中先生達は
必死で机を運び上げました
屋根の平らな場所に机を立てて
囲いを作り
冷えきったコンクリートの上に体操用のマットを敷きました
さらに別のマットを屋根の代わりにかぶせました
子供達にはここから順番に中に入ってもらいました寝ないでね寝ないでねっていう声がけはしました職員もですねこの中に入ってこんな感じでね
それはとっさの工夫でした
でもこの工夫が風をさえぎり
体温の低下を防いだのです
実はこのとき思いがけないものが
役に立ったといいます
津波を避け幼稚園の屋根に逃れた園児11人と先生達
氷点下の夜から命を守ったのは
机とマットの囲いだけではありませんでした
濡れずにしまわれていた
…が活躍したのです
園児も先生もリスやブタを演じるニット帽をかぶることで
頭が冷えるのを防ぎました
こうすっぽり耳までかぶれるようにしましたもう全然あったかいですニット帽なので
サンタクロースの帽子も
私も帽子はホントはあったんだけども水に濡れてしまって結局
翌朝海上保安庁のゴムボートが救出に駆けつけました
そこにはサンタ姿の先生と
おゆうぎ会のニット帽をかぶる子供達
帽子によって体温を逃がさずにすんだのです
そのとき石巻市の海側は
まだほとんどが水没していました
園児11人と先生達は仙台湾に停泊していた
海上自衛隊の護衛艦に収容されます
船ですごした2日間で
みんなすっかり元気を取り戻しました
そして護衛艦から
ヘリコプターで市内へと搬送され
子供達は…
あれから3年石巻みづほ第二幼稚園は
場所を移して再開しています
震災を経験した園児達は
皆無事に卒園していきました
…って会うたびに言われてね私も非常に感激してんですけどねそういう3歳児がね盛んに言うんですよ
小さな命を守った幼稚園の建物が取り壊されたのは
震災の翌年
そのとき先生達はシーツと布団カバーの垂れ幕を飾り
感謝を込めてこうつづりました
いやホント助かってよかったですもう津波がギリギリまできたんですからホントに園児の皆さんもそれから先生達も怖かったろうと思いますでも苦しかったでしょう寒かったでしょうよ〜く頑張りましたええホントに助かってくれたことがこんなに感動できるってことはホントに大事な大事な命なんだなということをホントに改めて痛切に感じます生きてくれてありがとう助かってくれてありがとうとホントに言いたいと思いますそして同じ12日の朝あるご夫婦ががれきの中をさまよっておられました津波で離れ離れになった家族を捜しておられたんですねさあそのご家族どう困難に立ち向かったのでしょうかご覧ください
一夜が明けた一帯はがれきに埋め尽くされ
道路さえ跡形もありませんでした
その朝がれきの中をさまよっていた
一組の夫婦がいます
幼い子供2人と離れ離れになっていました
味わったことない感じのもうホントにず〜っと家まで
夫婦はそれぞれが職場で被災
6歳と2歳の幼子は
おばあちゃんの家に預けていました
その家は津波の被害が大きかった場所にあったのです
その地域を津波が襲った瞬間です
夫・友輝さんはわが子と母親を案じて
胸をかきむしられる思いでした
子供達を預かっていた…
津波が押し寄せてくると末美さんは…
上に行こうと2階に
(スタッフ)2階あるんですねうん行けなかったの水の勢いが強くてこの辺も渦巻いてるからだって
納屋の片隅で3人は凍えていたといいます
雪も見えるのねこんなおっきいのがこう窓開いてるから寒くて釉実はもうだっこして離れないんだもの
寒さと不安で極限状態でした
そのとき末美さんは
流されてきたクーラーボックスに気づき
フタを開けたまま涼太君を中に入れたのです
入れって言われたから入ってそれで
断熱効果の高いクーラーボックスが
体温の低下を防ぎました
孫達を守らなければ
その強い思いが生んだ機転でした
涼太君頑張ったのね一言も泣き言言わないでかえってそういうの見たらね頑張んなきゃって思うもの
一方で夫婦は途方に暮れていました
おばあちゃんの家に近づこうにも行く手を阻む…
もうそこが家ですんで
子供達とおばあちゃんはすぐそこにいるはず
諦めることなどできませんでした
2人は身を切るような水の中を
もがくように進んだといいます
わずかな距離に1時間以上
やっと納屋にたどり着いたとき
そこには衰弱しきった子供達がいたのです
そのとき救助ヘリが現れました
これは実際の映像です
母親の恵子さんは無我夢中で手を振りました
ヘリがちょうど向こうの方から見えてきたので石があったんですけど
JNNのカメラがとらえた救出の瞬間です
最初に引き上げられたのは…
続いて妹の…
必死で2人の孫を守りぬいた祖母の末美さんが
最後にヘリへ
救出にあたった仙台市消防局のヘリは
3月12日だけで40人を超える被災者を救いました
中でもヘリを呼び寄せた恵子さんの姿は
印象的だったそうです
非常に目立ったっていうのは印象にあります
(スタッフ)そうですかはいあの
一面のがれきの中で彼らは
なぜ恵子さんに気づいたのでしょうか
この服ですねこのピンクの服を着てたので目立ったみたいで
鮮やかなピンクのコートが
ヘリの目にとまったのです
オレンジとかピンクとか自然界にないような色があるとやっぱり目にとまりやすいですよねそういったところで色は有効になるのかなと目立つ色ですね
家族の絆が小さな命を救ったのです
この救出劇の1時間後
同じ若林区
(記者)大丈夫ですか?
水没した住宅の…
津波で町のおよそ6割が浸水した…
カメラは屋根の上の女性をとらえました
(記者)大丈夫ですか?
津波に巻き込まれすでに16時間が経過していました
(記者)あッ大丈夫今消防の方にも伝えましたんでもうすぐ助かります
記者の通報もあって女性は無事に救出されます
屋根の下の隙間に入り込み風をさえぎったことで
命をつなぐことができたのです
私達がですねこの震災から命を守るためにはどうしたらいいんだろうここで地震学・防災教育がご専門の方にお話を伺います大木聖子先生ですよろしくお願いしますヘリコプターがかなり活躍してますね色んなとこでヘリコプターの存在はありがたいなとそうですね今懸念されている…西日本で想定されている…ヘリコプターでのいち早い…先ほどの家族と離れ離れになったご夫婦の奥さんがたまたまピンクの色のを着ててパイロットの方がそのときの映像が残ってるとおっしゃってましたねヘリコプターに見つけてもらうというかどういうふうな方法というかあるんでしょうね実際にヘリコプターに乗ってその実験をしてまいりましたのでぜひそちらをご覧くださいはい拝見します
一面がれきの中でいち早く
ヘリに自分の存在を知らせるには
実際にヘリが救助活動で飛ぶ
地上から出す合図は6パターン
それぞれ空からはどう見えるでしょうか
まずは300メートル離れた場所から実験です
すごいあの光鏡が見えますねあれすごく目立ちますね人間の姿は全然確認できないですけどチラチラしてるのが一番最初に目に飛び込んできます
さらに目を凝らすと…
姿見の隣でチラチラするのが見えるとあれ小さい鏡の人ですよね小さい鏡は遠くでもうまく命中すればピカーッてかなりきますね
300メートルの距離でも鏡に反射した光は
確実に居場所を伝えることができました
続いて高さはそのまま
距離を150メートルに近づけると
どうでしょうか
オレンジの方は立ってるだけで分かりますでも最低限着てればそのつど寄っていって確認するっていう作業になるのかなと思いますあとピンクの服の人手を「お〜い」ってやってるのがかろうじて見えると白いタオルを持ってる人タオルを振ってもらえますかね
(大木)タオルは振ってる方が分かりやすいです振った方が圧倒的によく分かるああやって白いものを振るのが一番手っとり早くできることですかねなるほどねやっぱり鏡は一番よくすぐ発見できますねはい小さいものでも女性はよく鏡持ち歩いてますので借りたりして集めてみんなでヘリコプターに向けて反射させたりとかそういった形でも合図を送ることはできると思いました普段ね生成りの色が好きだとか地味な色が好きだみたいな人そういう場合は目立った動きをいっぱいするということでしょうかそうですね白いものを振っていただく大勢で振るタオルを持ってるだけとこうして振っただけで随分な違いがありましたので上空からご覧になって何か気づいたことは?たまたま町の上を飛んでいるときに「公民館」大きく屋上にオレンジの色で書いた公民館がありましてパッと目に入ったんですね屋上に「指定避難場所」ってオレンジで書くのを国で標準化するだけでも随分生存率が上がるんじゃないかなと今まだそういうことは…いえないですその公民館さんのように自分達で機転を利かせてされた場所だけですねぜひこの機会に検討してもらいたいとそうですね今日はありがとうございました命を守るために震災から72時間どうすればいいのか再びあの日の映像に戻ることにしましょう
明暗を分ける
災害における人命救助では
初公開の映像には
命をたぐり寄せた人々のドラマと
いくつもの教訓が潜んでいます
もしもまた大災害が起きたら
72時間をどう生き延びるのか
そのヒントがここに
宮城県災害対策本部では
自衛隊のヘリパイロットでもあった村井知事は
72時間の重要性を知り尽くしていました
しかし…
…というような状況でした
地震発生から丸一日というのに
入ってくる情報はまだわずかだったのです
けれどまさにその頃
世界を駆け巡った1通のメールが
孤立していた450人を
救おうとしていました
古くからの港町がその舞台です
この映像は気仙沼中央公民館の屋上で
撮影されたものです
海上で起きた火災が建物に迫っていました
別の場所から公民館を撮影した映像です
迫る火の手に屋上にいた誰もが
恐怖を感じていました
これより高いところはないし
公民館近くにあった…
当時所長だった林小春さんは
地震の直後71人の園児を連れて
公民館の3階に避難していました
その屋上から撮影した津波の映像です
3階の窓のところまで波しぶきがきて
(林)ここでももしかしたら危ないんじゃないかと
避難していた人々は
少しでも高いところを目指しました
林さん達も最も高い鉄塔の上に
園児達を上げました
津波は建物の2階天井にまで達し
周囲は完全に水没
日が落ちるとそこに炎がのびてきたのです
メールが発信されたのはまさにその頃でした
林さんとともに避難していた
障害児支援施設の園長内海直子さんから
そのメールは送られました
打ちながらでもそうなりたくないと思ってたんですけど
携帯電話が通じない中で内海さんは
自分の状況を家族に伝えようとしたのです
そのメールは何と
ロンドンに暮らす長男の直仁さんに届きました
驚いた直仁さんは祈るような思いで
ツイッターにメッセージを流します
誰か母と子供達を助けてほしい
直仁さんは公民館に
450人もの人々が避難していたことなど
知る由もありませんでした
ツイッターの文面に注目したのは
東京で内装業を営む
文章が本当にしっかりしていて伝えたいことを140字以内でねすべて伝えてるんですね救助の仕方までも明確に伝えてるので
ちょうどテレビで気仙沼の火災を知った直後でした
間違いないと確信した鈴木さんは
この情報を送ります
そして情報は折よく気仙沼に向かっていた
東京消防庁の救援部隊にもたらされたのです
…というふうに聞いておりましたので日が昇った直後ですね
東京消防庁のヘリは気仙沼へ
初めて公開される当時の映像です
情報どおり公民館の屋上には
助けを求める人影がありました
ヘリコプターの音が聞こえてきて上で止まったんですよ嬉しかったですよ
しかし救出を待っていたのは
およそ450人
一人ずつ引き上げるため時間がかかります
残るおよそ400人が
また夜を越さなければなりませんでした
また今日もここで過ごさなくちゃいけないのかと思うと
周囲は水没し
歩いて脱出することなどとても不可能だったのです
2度目の夜を迎える中には
あの一景島保育所の園児達も
東京消防庁の方から絶対助けに来るから頑張ってと
けれど2日目の夜は想像を絶する寒さでした
家族にメールを送った内海さんが当時身につけていた上着です
とっさの避難で防寒の用意はありませんでした
こんな感じの上に着まして
避難していた3階の窓は割れ
容赦なく吹き込んでくる氷のような風に
誰もが歯を食いしばっていました
非常用の毛布も全員には行き渡らなかったのです
内海さんが見つけたのは
その毛布を包んでいた
これを拾って私は腰が悪いのでこんな感じで
使えるものは何でも使おう
必死でした
あったかいですね下に敷いてね座るときに
床に落ちていたゴミ袋も
これをこうしてこうして中に入れてこれなんですね
アルミなど風を通さない素材が
寒さから身を守ってくれたのです
直面したのは激烈な寒さだけではありません
71人の園児達を追い詰めました
色んな症状が出てきまして
林さんは万一のためにと公民館に準備しておいた
避難袋を思い出します
保管場所は水没した2階でした
(林)下りてみようとなりまして2人が下りていってくれて
泥だらけだった避難袋
でも林さんの周到な備えが功を奏しました
お菓子とかアメ類とかミルクとか紙コップはこのようにこれは一つの袋ですけれども中に水が入っても
港町という土地柄林さんは
子供達は厳しい夜を耐えることができました
3月13日の朝
東京消防庁に加え自衛隊のヘリも救出に当たりました
残る400人近くを高台の小学校へ
1通のメールに始まった救出作戦は
こうして成し遂げられたのです
(リポーター)今助け出された人が避難所へと向かいます皆さんよかったですねはい2日ぶりにはいどうですか?何か…何かもう…よかったですみんな無事で一景島保育所のみんなみんな無事ですから
公民館で二晩を過ごした子供達
両親や家族にとって
再会はどれほどの喜びだったでしょう
何が起きたか分かんなかったんでもうダメかなと思ったんですけどでも助かったんでよかったです
あのとき2歳だった
5歳になりました
(リポーター)ヘリコプターはどうだった?えっと何か外見たっけみんなは怖いって泣いてたけどいや〜よかったです思いがつながってホントによかったと思いますね一人一人皆さんの諦めない気持ち頑張るぞという気持ちそれがちゃんと450人の命を救ったんですね素晴らしいです園長先生のアイデア一生懸命避難袋をちゃんと置いといたああいうことも全部つながってくんですね奇跡のように思いますけど日頃ちゃんと備えておられた言ってみれば助かったということになるんだと思いますホントに感動しました敬意を表しますありがとうございました命を守る72時間続いてはがれきと闘う捜索隊に注目しますもし家から出られなくなったらどうするのかその一つの答えがありました
地震発生の翌日
警視庁機動隊は東京から仙台市若林区に入り
彼らが記録した
押し流されてきた家屋の破片と
いまだに引かない水
この道は何度も行き来しましたので
3年ぶりの被災地に
あのときの記憶がよみがえります
今まで見たことのない景色が一面に広がっておりましてただただあぜんとしました地図を見ながら救助をしたんですが一体どこの部分に我々がいるのか見当がつかない状況でした
地図さえ意味をなさない現場で
向井警部にある情報が伝えられました
…といった声をかけられました私の正面の方向になります
この先に孤立している人がいる
しかも体が不自由だという
ただちにその方向を目指したときでした
まさにそこですね
(向井)水の中を進んでいったんですけれども
(向井)1歩2歩足を進めたところ
がれきと水の下には
思いがけないワナが潜んでいました
しかも
長いものでこのぐらい板から出ているクギなど
救助隊の足元は
絶えず目に見えない危険にさらされていたのです
それは被災者達にとっても同じでした
そこで向井警部がとった行動は
棒なり枝を探し出しまして足の前にそれを突き刺して地面があるのか深みではないかといったことを確認して前進するのと自分より前の人が通ったところは安全ですので必ず1列になって歩くように心がけておりました
100メートル進むのに
1時間以上かかることもあったといいます
それでも部隊は孤立した被災者を捜して
前進を続けました
やがて日没
夜の捜索は危険と判断し
部隊は夜明けを待ちました
バスの中すし詰め状態での待機
翌朝6時捜索再開
そしてついに
警視庁のカメラはその瞬間を見届けていました
生存者に寄り添っているのが
向井警部です
当時62歳
このとき二瓶さんは
同時に引き起こしていました
部隊はヘリコプターを要請
向井警部は上空に場所を知らせるため
津波で流れついていた
はいオッケーです今上がってますもうちょい上げていっぱいまで上げて
二瓶さんはこうして無事救出されたのです
あの日向井警部の部隊が探し当てた家で
二瓶さんは今も暮らしています
失礼いたします
救出以来の対面です
どうぞ座ってください
(向井)お元気そうで何よりですそうですねええ
二瓶さんはそのときのことをあまり覚えていません
地震直後不自由な体で懸命に
ほぼ丸2日
飲まず食わずでした
布団とか毛布敷いたんですけど
動くことができなかった二瓶さんは
・要救助者の救出状況です
警視庁の映像には
記録されていました
付近にいる方でこの声聞こえます方
救助隊が呼びかけたのは音を出すこと
なぜ声ではなくて音なのでしょうか
大きく手を振って被災した方を見ると
声すら出せない状況で
大いに役立つものがあるといいます
誰かいませんか
笛は自衛隊でも合図に使われていました
(笛が鳴る)
生存者発見を知らせる笛
助ける側にも助けられる側にも
笛は極めて有効なのです
海の上で発見された男性がいます
あの震災で漂流中に海上自衛隊に救助されたのは
新川広光さんただ一人
奇跡の生還でした
この辺には倉庫ですね作業小屋
福島県南相馬市
新川さんはここにあった自宅で
妻とともに津波に襲われました
押し寄せた波は2階建ての家を丸ごとのみ込み
その衝撃で夫婦は2人とも水中に投げ出されたといいます
こんなのに負けてたまるかとそして一生懸命はい上がって東を向いたときに
屋根にはい上がった新川さん
でも
そして屋根は強い引き波で
海へと流されたのです
震災直後の海上の映像です
大量のがれきが流れ出しています
新川さんはがれきの中で
二度と帰らぬ妻を思いながら助けを待ったのです
寒いなって気づいたときにそれも少し干してこれは…
新川さんを救出した
横須賀基地を出て福島沖に到着したのは
13日の未明でした
船見えたとき必ず「助けてー!」と声を出してそして手をこうやって振ってね
発見されたときの映像でも
高く掲げた棒と
先端の旗らしきものが分かります
この旗が新川さんを救ったのです
旗のようなものを必死に振られている新川さんを発見しました私も旗見たときは赤だったので
およそ2日間の漂流
ついに生還することができました
助かった瞬間っていうかボートに乗った瞬間は体から涙がいっぱい出ました遺体が見つかったようです
1万人を超える人々が救出される一方で
多くの遺体も発見されていました
この頃現地の自衛隊には
一刻も早く
遺体を安置所へ連れて行ってほしい
という声が寄せられていました
遺体の搬送が先か
どこかで助けを求めている命を探すのが先か…
…いう趣旨でねよく説明して誤解を受けないようにしてやってもらいたい
誰もが72時間の壁を
強く意識していました
部隊を率いた彼の記憶
という思いは強くありました救助を待つ側もそれから助けに行く側も72時間までに何とかしたいともがきましたこの番組は時間にそってあの震災で何が起きたのか見てまいりましたいよいよ地震発生から70時間が経過しました最後の祈るような闘いが始まります
青森県の消防防災ヘリコプター
「しらかみ」が離陸したのは
3月14日午後1時過ぎでした
一路気仙沼市へ
「しらかみ」の使命は
今回初めて公開される当時の映像です
…と言われてますけどもというふうに思いました
そのとき
青森県の消防防災ヘリ「しらかみ」が
気仙沼上空に達したとき
人命救助におけるタイムリミットの目安
病の夫とともに孤立し
3階建ての自宅は
海岸からおよそ300メートル
津波の直撃で激しい損傷を受けていました
地震の瞬間2階にいた文子さん
夫の政雄さんもその脇でテレビを見ていたといいます
室内は今も当時のままでした
心臓を患っていた政雄さんは体調も悪く
歩いて避難できるような
状態ではなかったのです
やがて津波は海岸線を越え
齋藤さんの家にも達しました
政雄さんを支えながら
文子さんが3階に上がり始めたとき
ここまでこのへんまで来るうちに2人で上がってるうちに
まるで追い立てるように
かろうじて3階の部屋にたどり着き
津波からは逃れたものの
外の眺めに文子さんは絶句します
周辺はことごとく水没
2人はすっかり孤立してしまったのです
それ以外にあと何にもできませんよね何にもないんですから
夫の体を気遣いながら
いつ来るとも知れない
そしてあの大火災
文子さんは近づく炎におびえたといいます
(文子)という感じですよねこのうちも…私は
次第に衰弱していく政雄さん
残り少ない薬の不安
押しつぶされそうな夜が
3度巡っていきました
自衛隊でーす!いたら返事してください
3月14日
懸命に生存者を捜す自衛隊が
2人を発見!
捜索に気づいた文子さんは
この窓から声を限りに叫んだといいます
避難所に行くことはできない
一方で「しらかみ」
付近の空を旋回する機影を
偶然JNNのカメラがとらえていました
地上の様子は変わり果てていたのです
そこで…
はいR1機外へ出た続いてR2機外へ出るよ
救出現場を特定するため
地上に降りた隊員は
齋藤さん夫婦を保護している自衛隊員を
懸命に捜しました
ていうのが一番大変かなと
火の手も上がる現場で
いたずらに時間だけが過ぎていきます
このとき機内は
切迫した空気に包まれていました
72時間を目前にして
燃料切れか!?
地震発生から
孤立した夫婦を捜すヘリ「しらかみ」に
このままでいけば
上空で待機できる時間が
残り10分をきろうとしたそのとき!
午後2時38分
ついに齋藤さんの家が特定できました
(吉本)通常でしたら時間的に余裕のある救助をするんですけどもすぐ上げれるんだやれるんだと…と思いました
救出開始
文子さんがヘリに引き上げられたのは運命の
間髪を入れず
夫・政雄さんが続きます
空からの救出作業が完了したのは
それはまさに地震発生から
丸3日間身動きがとれずにいた政雄さんは
意識こそあったものの
かなりの衰弱状態に陥っていました
ヘリの到着を待ち構えていたのは
彼らもまた応援のために宮城県に入っていたのです
ていう気持ちはありました
政雄さんはただちに病院に運ばれ
一命をとりとめました
今妻の文子さんは
気仙沼市の高台に移り住んでいます
色んな方々に携わって助けられてホントにありがたく思っております
齋藤さん夫婦の救出を指揮した彼は
こう言います
(五十嵐)72時間は我々にとって大変なプレッシャーでありますしというふうに教育されてます
宮城県の村井知事は…
72時間というタイムリミットは一つの目安です
現場では可能性を信じて救助活動が続けられました
その可能性ってどこまでなの?
こちらの倒壊家屋で
80歳の祖母と16歳の孫が発見されたのは
3月20日午後4時でした
2人はともに無事だったのです
おばあちゃん大丈夫だよもう少しだからね大丈夫?おばあちゃん頑張ったねもう少しで今運ぶからね
閉じ込められた家の中で10日間
冷蔵庫にあったわずかな食料を分けあったという2人
ニュースは日本中を力づけました
悲しい出来事ばかりが報じられる中の
ひと筋の光だったから
2人が搬送された病院の医師はこう言います
あれから3年
警視庁は災害救助の
専門部隊を新設しました
厳しい訓練を積みながら
懸念される首都直下地震などに備えています
消防庁は2年後の配備を目指し
がれきの中でも活動できる水陸両用車や
無人探査ヘリの開発を進めています
自衛隊は各部隊の救助活動を分析し
次世代に伝える膨大な資料を作成しています
そして
家族へのメールがきっかけで
450人を救うことになった…
今も障害児の支援施設で園長を務めています
震災で失われた建物は
高台に建て替えられました
非常ばしご上がったときに間があってなかなか上れなかったんですよね
あの日がれきに引き裂かれた…
孫を救ったあのクーラーボックスは
その後も活躍したそうです
これすごく役に立ったんだよってその後
おばあちゃんはますます元気
きめ細やかな備えで
保育所の子供達
一緒につらい思いをした子供達のその後が心配で
心のケアを始めました
今日は助かった方々の映像を見てまいりました救助に携わられた方々のホントにその勇姿に感動しましたそして改めてお礼も言いたいと思いますホントにありがとうございましたでも我々心にとどめておきたいと思います助かった方々の陰には同じような状況で亡くなった方々が大勢いらっしゃいます無念だったでしょう悔しかったでしょう私達はそうした方達の思いを決して決して忘れてはいけないと思いますでは亡くなった方々の思いを受け継ぐにはどうしたらいいんでしょうそれは震災の教訓を一人一人がしっかりと胸に刻みつけて次の世代に伝えていくことだと私は思います2014/03/10(月) 21:00〜22:54
MBS毎日放送
テレビ未来遺産 震災直後…生死を分ける72時間になすべきこと[字]
初公開映像の数々で描く、東日本大震災発生から「72時間」の知られざる現実。危険な低空飛行をしたヘリが見たもの。津波にのまれた男性・・。命を守るヒントがそこに。
詳細情報
お知らせ
■番組HP
http://www.tbs.co.jp/mirai−isan/
番組内容
▽初公開・・危険を冒して低空を飛行したヘリが見たもの▽初公開・・暗視カメラにうつった震災当夜▽初公開・・津波にのまれた男性を救え!▽初公開・・燃料が限界に。72時間目の緊迫救助・・・・
膨大な映像が解き明かす、東日本大震災発生から「72時間」の現実。人命救助の最重要時間「72時間」に何が起きていたのか?次の震災への教訓は?極限の体験をした方々の姿を通して「命を守るヒント」が見えてきます。
出演者
【ナビゲーター】
西田敏行
【ゲスト】
大木聖子(慶応義塾大学準教授)
ジャンル :
ニュース/報道 – 報道特番
ニュース/報道 – 特集・ドキュメント
ドキュメンタリー/教養 – 自然・動物・環境
映像 : 1080i(1125i)、アスペクト比16:9 パンベクトルなし
音声 : 2/0モード(ステレオ)
サンプリングレート : 48kHz
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