四国徳島。
深夜の港にやって来たのは和歌山行きのフェリーです。
24時間の終夜運航を続けています。
就航したのは58年前。
それ以来ずっと人々の暮らしを支えてきました。
一日の利用客はおよそ1,000人。
今も仕事や帰省関西への旅行などに利用されています。
毎週金曜日最終便に乗り込み母の介護に向かうサラリーマン。
四国で取れた魚を本州そして世界に向け運ぶトラック運転手。
スピードが優先される時代にあえてフェリーを選ぶ地方の人々。
なぜ船で海を渡るのでしょうか。
四国の玄関口徳島。
紀伊水道を東へ63km。
和歌山と結ぶ航路があります。
一日8往復。
早朝3時の始発から24時間体制で走り続けています。
フェリーには次々とトラックが集まってきます。
毎日90台が建設資材や生鮮食料品などを運んでいます。
中には海外に輸出されるものもあります。
午後4時。
徳島港で一人のトラック運転手に出会いました。
(取材者)どちらからいらっしゃったんですか?
(取材者)愛媛県のどこですか?
(取材者)何を運ばれているんですか?
(取材者)タイって魚の?
(取材者)もしよかったら見せてもらっても?いいですよ。
荷台の中は10tの海水。
活魚を運ぶために特別に造られた車です。
(中川)タイの大きさによってこの籠の入り数が違うんですよ。
(取材者)これは大きい方ですか?
(中川)大きい方ですね。
これで大体平均2kgの魚。
愛媛の運送会社で働く…宇和島産のタイを運ぶため週に3回フェリーを利用しています。
配達先は和歌山大阪愛知岐阜の4県。
3日間往復1,200kmの道のりです。
ここまで270kmを走ってきた中川さん。
愛媛を出て4時間。
休憩はまだ1度しか取っていません。
中川さん乗船すると一般客席を通り過ぎ奥へと向かいました。
トラック運転手専用の仮眠室です。
フェリーの上は唯一体を横にできる時間です。
トラック乗る人は船はもう仮眠の時間というのが多いんで。
なくてはならないですね。
これがなかったら毎日本当えらいです。
ありがたいです。
ここでの休息が厳しい仕事を支えています。
出発から2時間一度も起きる事はありませんでした。
このあと翌日の昼までに7か所の取引先を回ります。
時間厳守の気の抜けない道のりです。
最初の目的地は関西空港から30分の距離にある鮮魚の加工場。
この加工場は中川さんの会社の主要な取引先です。
この日届けたタイは800匹。
国内向けだけではなく海外にも輸出されていきます。
行き先はアメリカや中国アラブ首長国連邦のドバイなど10か国。
四国の海産物を運ぶフェリーは世界への入り口となっていました。
次に向かったのは大阪の東部市場。
全国9位の売上高を誇る巨大市場です。
タイはここから関西のデパートやすし屋にも届けられます。
宇和島から海を越えて運ばれてきたタイは大消費地の食も支えていました。
深夜2時。
中川さんは再び運転席に乗り込みます。
向かう先は愛知そして岐阜です。
フェリーを降りてから7時間。
その間一睡もしていません。
何だかんだ言うても。
中川さんが全てのタイを届け終えたのは午後1時。
フェリーを降りて18時間後の事でした。
消費者のニーズに応えるため進化を続ける物流業界。
欲しいものがすぐ手に入る日本の暮らしを徳島発のフェリーが支えています。
2日ぶりに愛媛の自宅に帰った中川さん。
迎えてくれたのは小学生の子供たちです。
妻の鶴美さんは夫が帰ってくる日はいつも子供たちと待つようにしています。
家にいる時間がやっぱり一緒にいられる時間がどうしてもちょっとしかないのでケンカするぐらいだったらこう…なんかくだらん事を言いながら一緒にご飯をみんなでワイワイ食べたりしてる方がやっぱりいいかなと思って。
フェリー乗り場で出会ってから3日後。
中川さんは再び配達の準備をしていました。
トラックいっぱい1,500匹載せてこの日も本州へと配達に向かいます。
朝食は鶴美さんが朝4時半に起きて作ってくれたお握りです。
毎日です毎日。
日課ですねこれ。
(取材者)奥さんも大変ですね。
そうですね。
やっぱ朝が早いんでね。
…で中途半端ですよね時間が。
自分が起きてまた寝る間がないですよね。
そのあと子供もちょっとしたら起きる時間とかになるんでね。
ありがたい話ですよ。
2日間に及ぶ仕事が始まります。
4時間後徳島港に到着。
フェリーの出港を待つ間は中川さんにとって特別なひとときだといいます。
じっと何かを見つめていました。
子供たちからの手紙です。
1月の誕生日にもらいました。
(中川)「お父さんお誕生日おめでとう。
今年で40歳になったけどまーちゃんはお父さんの事大好きだよ。
お父さんお仕事頑張ってね。
これ大事にしてね。
まーちゃんより」って書いてあるんですね。
だいぶ字も増えて漢字も使えるようになって成長を感じますね。
やっぱ父親が当然今いないじゃないですか家はね。
だけんまあ仕事でお父さんが頑張るんじゃなくてやっぱりみんながみんなふびんな思いをしてるんでねやっぱ家族みんなで仕事しているっていう気分になるんですよね。
俺1人しんどい思いしてるわけじゃないってね。
みんな個々それぞれ寂しい思いとかしんどい思いしてるんでね。
みんな家族4人で仕事してるんだっていう気になったりしますよねこういうの見るとね。
愛媛から遠く離れ過酷な仕事を続ける中川さん。
家族に思いをはせながら今日もフェリーで眠りにつきます。
(取材者)何の勉強されているんですか?一応医学部っす。
ちょうど2回生からちゃんと医学的な勉強するんで。
体の中の話ですかね。
ホルモンの話とか血糖値とか。
(取材者)この時間を食事に充てる感じなんですか?そうですね。
フェリーが着いてからはまた工場近くまで運転して到着すると…。
その間に食事をとるとまた時間が遅くなってきますのでやはりできる限りそういうふうな時間をうまく使っていくのがいいんじゃないかなと思います。
子供と一緒なので。
バスだとサラリーマンの方とかいたりしてやっぱり周りの方に騒いで迷惑をかけちゃう事もあるのでやっぱりフェリーの方がこういうふうに少々走っても騒いでも大丈夫かなと思うので。
やっぱりお客様としてはねぇ…。
(汽笛)南海フェリーは四国で暮らす人々の暮らしや時代の変化を映し出す鏡でもありました。
前身の南海汽船ができたのは1956年。
高度経済成長期フェリーは四国と本州を結ぶ貴重な交通手段でした。
関西方面に向かうサラリーマンや集団就職の若者たちなど多くの人でにぎわいました。
大阪万博が開かれた1970年には観光客が増加。
年間210万人が利用し最盛期を迎えました。
そのころからこのフェリーで働いている人がいます。
船のかじ取りや貨物の積み降ろしなどを行う甲板士です。
境さんは中学を卒業後15歳で入社しました。
どこ行くにしてもフェリー客船使わないかん。
荷物運ぶんでもトラック行き来するんでもやっぱりフェリーがなけりゃ四国に物が入ってこん。
四国からも向こうへは荷物を送れん。
どこもかもデッキの上も皆新聞をひいたり敷物をひいたりで座っとんですから。
それはもうすごかったですよ。
みんな押し合いへし合いでね。
どうぞ!南海フェリーに転機が訪れたのは1998年。
国は四国と本州の物流を増やし経済を活性化させようと考えました。
その結果フェリーで本州に渡っていた乗客の多くがマイカーや高速バスへと流れていきました。
更に追い打ちをかけたのが2009年に始まった高速道路料金の割引制度です。
四国と近畿・中国を結ぶ航路は次々と廃止に追い込まれました。
30年前22本あった航路は7本に減りました。
南海フェリーの乗客数も最盛期の3分の1にまで落ち込みました。
それでも利用者の足を守りたいと考えた会社と従業員たち。
人員やコストが削減される中で境さんたちは努力を続けてきました。
3年前からは燃料費を抑えるためフェリーの速度を遅くするようになり航行時間が10分長くなりました。
個別切り替え。
個別切り替え。
個別に切り替えました。
赤灯台。
赤灯台。
航行時間が長くなった分港での停泊時間が短くなり車の誘導にはよりスピードが求められるようになりました。
一人一人の業務も増えています。
客室の見回りなど新たな仕事も加わりました。
船員の食事を作っていた料理部門も廃止。
港で積み込んだ食事を温めて食べるようになっています。
この日は去年入社した後輩と一緒になりました。
定年退職した船員の代わりに中途採用されました。
もうどんどん減るばっかり。
(鈴木)結局皆一人ワッチになって。
結局は事務部減らされ機関部は減らされ…。
(鈴木)これ以上減せませんもんね。
鈴木さんは入社前別の航路で働いていました。
香川と岡山を結ぶ…おととし休止に追い込まれました。
その時聞いた乗客たちの切実な声が今の鈴木さんを後押ししています。
宇高航路の時には「続けてほしい」とか「これがないと困るんや」というお客さんの声も直接聞いてますんで。
無くなったら困るんやっていう病院通いよる人とか学生さんとか常に毎日使ってくれよる人って顔見知りにもなるしですね。
南海フェリーにもそういう人がいると思うんです絶対。
3年連続の赤字を出すなど厳しい経営状態が続く南海フェリー。
それでも地方に生きる人々の暮らしを支え続けています。
フェリーを30年以上利用してきたという人がいました。
(取材者)何のお仕事されてるんですか?
(取材者)建設関係の会社ですか?徳島市に住む…徳島と和歌山の両方に営業所を持つ建設会社の社長です。
紀伊水道に面した港や空港堤防などの港湾工事を請け負っています。
仕事は水中の基礎工事。
この現場では海底に石を並べて堤防の土台を造っています。
潜水士の資格がなくてはできない特殊な仕事です。
大鋸さんにとってフェリーはなくてはならない存在です。
2年前に脳梗塞を患い車を長時間運転する事ができなくなったからです。
18歳で潜水士になった大鋸さん。
フェリーはそのころから欠かせないものでした。
漁港の建設や護岸工事など日本のインフラ整備が進んだ80年代。
フェリーで四国と関西を往復しながら潜水作業に励みました。
これまでに関わった最大のプロジェクトが関西国際空港です。
15年前に始まった空港の拡張工事。
大鋸さんの会社は護岸工事のおよそ半分を担当しました。
大鋸さん自身も社長業のかたわら徳島から週3回フェリーで通い懸命に働きました。
空港や港など主要なインフラ整備に区切りがつきおよそ10年前から仕事は大きく減りました。
その後病気で潜水士として働けなくなった大鋸さん。
今度はフェリーを利用して営業活動で会社を支えようとしています。
僕も楽しみにしてますんでお願いします。
この日は新たな工事の受注を目指して取引先への挨拶回りを行いました。
多分来年度は製作で据え付けはもう一個先かな。
何とかええ返事もらえるんがありがたいんでお願いします。
長年のあれやから。
社長が不在と分かっている会社にも足を運ぶようにしています。
こんにちは。
お世話になります。
社長にちょっとあったんやけど忙しいっちゅう事やったんで朝電話して聞いてます。
まあ来とった事だけお伝え下さい。
お願いします。
いつもすいません。
ありがとうございます。
新たな仕事を期待し大鋸さんは徳島へと帰っていきました。
乗客の数は昼のおよそ半分。
その多くは眠りながら徳島に向かいます。
毎週金曜日この最終便を利用している会社員がいます。
和歌山の給湯器メーカーで働く…母親の介護のために実家のある香川に帰省しています。
もうちょっとで80なんでね元気やったらいいんですけどちょっと弱いもんで。
できるだけ…できたら毎週帰りたいんで。
仕事終わってから帰るんでこの時間になります。
徳島に着いた馬場さんは車で香川へと向かいます。
実家までは1時間。
フェリーを利用する事で運転時間を短縮し体の負担を減らしています。
深夜1時実家に到着した馬場さん。
日曜日の夕方まで母と一緒に過ごします。
(鳥のさえずり)ちょっと俺がいれたけん熱い。
熱い熱い。
馬場さんの母…リウマチを患い手足の関節が動きづらくなっています。
週に1度ヘルパーの介護を受けています。
明日雨だっていう時はもう関節全部がめっちゃうずく。
だから自然に「あっイタあっイタ」動く度に「イタッ。
あ〜イタッ」って言う。
口にどうしても出る。
(馬場)天気予報は要らんね。
要らん。
よく分かる。
馬場さんがフェリーを使って車で帰るのには理由があります。
足の不自由な母を連れて大切な場所に出かけるためです。
はい。
閉めるで。
まず訪れたのは道の駅。
トヨ子さんが大好きな花を選びに来ました。
ちょっとええんちがう?4つ。
ユウちゃんの方と…。
時期のもんだからね。
きれいね。
たくさん入った方分けて入れるの。
そして向かったのは車で1時間かかる山の中。
これはひどいな。
20年前に亡くなった父親の墓です。
全然解けてない。
トヨ子さんは毎週息子とここに来るのを楽しみにしています。
(馬場)全然解けてないな。
馬場さんは母が転ばないように傍らに寄り添います。
(トヨ子)みんなのおかげで…。
よかった今日は…。
お父さん喜んでるわ。
まあありがたいですよね。
実家に帰らない人もいろいろ仕事の関係で忙しかったりなかなかね実家の方へ帰れん人もやっぱりね遠くに行けば親子でもめったに会えない帰れない人も多いと思うんだけどね。
うちはおかげでしょっちゅう帰ってくれるから。
今ちょっと近いですしね。
3時間ぐらいで帰れますし。
日曜夜9時50分。
ふるさとでの週末を終えた馬場さんは再び和歌山に戻ります。
毎度の事ですけど長いようでいつも今の時間になりますと短かったなと思いますね。
いろいろしたい事もあるんですけどもほとんどもう顔見てゆっくりするだけで。
まあ週のうち2日だけでも家におれるし。
あんまり大して何もしてませんけどまあよかったかなと。
まああと4日5日もすればまた金曜の晩ですからまた帰ります。
これもうずっと続けていくだけです。
忙しい仕事の合間を縫って母との時間を過ごす馬場さん。
フェリーが親子の絆をつないでいました。
朝8時。
和歌山へ向かう船の中に建設会社社長大鋸さんの姿がありました。
訪ねたのはこの日も元請けの建設会社。
来年度和歌山で行われる大きな工事の予定を聞きつけたためです。
(大鋸)こんにちは。
お世話になります。
今はそこまでしか…これまでしか出来てない。
この3つしか出来てない。
あとここまであるんやけど。
元請け会社が今狙っているのは国が進める総額250億円のプロジェクトです。
南海トラフの巨大地震に備えて海上7.5mの防波堤を造ります。
完成は6年後の予定です。
やっぱり出れば参入やりたいですからね。
工事自体がものすごい大規模な工事なんで。
僕らはとにかく東さんが取ってくれなんだら…。
初めて…ほんま話にならんからもう。
もうつきあいしてる会社もそんなないし。
くればまた…また。
(笑い声)
(取材者)こっちでもしあれば結構長期の仕事になりますね?そうやねうん。
最近の中では。
紀伊水道を行き来しながら港湾工事に生きてきた大鋸さん。
今日よりも明るい明日を信じてまた船に乗り込みます。
3月。
新年度から明石海峡大橋で新たな割引制度が導入される事が決まりました。
就航から58年フェリーを取り巻く状況は一層厳しさを増しています。
それでも四国と本州をつなぎ続ける終夜フェリー。
ひたむきに生きる地方の人々を乗せて今日も紀伊水道を渡っていきます。
2014/03/25(火) 00:40〜01:25
NHK総合1・神戸
地方発 ドキュメンタリー「終夜フェリーがつなぐもの〜徳島・和歌山 航路〜」[字]
紀伊水道には、終夜運行によって人々を運ぶフェリーが、今もある。深夜、光ひとつない漆黒の海上を、雑魚寝しながら渡る様々な乗客たち。どんな事情を抱えているのか。
詳細情報
番組内容
紀伊水道を渡って徳島と和歌山を終夜運航で結ぶ南海フェリー。かつては四国−本州の大動脈として年間100万人以上が利用したが、明石海峡大橋や高速道路網の整備で乗客は3分の1に減少し、近年は赤字続き。それでもフェリーを必要とする人がいる。往復1000km、愛媛から愛知までタイを運ぶトラック運転手。仕事と母親の介護に追われ、職場と実家を往復するサラリーマン…。地方に生きる人々の声から日本の今を映し出す。
出演者
【語り】高橋克実
ジャンル :
ドキュメンタリー/教養 – 社会・時事
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音声 : 2/0モード(ステレオ)
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