(アナウンサー)こちらの皆さんは岩手県宮古市にある宮古小学校に避難していらっしゃいます。
それぞれお孫さんへあるいはおばあちゃまへ。
そして知人の方へ安否を知らせたいという事で集まって頂きました。
皆さん宮古小学校にいらっしゃいます。
あの大震災が発生してまもなく避難所に身を寄せた500人近い人々が登場しテレビを通じて連絡が取れない家族や知人にメッセージを伝えました。
父も母も元気で頑張っています。
早く中学校に行きたいです。
みんなでここで住みましょうねって。
もうその人たちの分も一生懸命生きたいと思います。
テレビが被災者のために何か役立てる事はないか。
悩んだ末取り組んだ初の手法でした。
公共のメディアであるテレビが個人のために使われたのです。
あの日私たちに伝言を託した人々のその後の物語を3年にわたって見つめました。
ちょっとママ…盛岡で離れ離れになってます。
赤ちゃんが生まれるという事でここらでは難しいという事で急遽行ったようですけども。
元気な赤ちゃん産んでください。
実はこの時出産間近だった妻の静代さんはヘリで盛岡市内の病院に搬送されていたのです。
「ああ〜」って…。
でその時…。
長男の颯汰ちゃんが産声を上げたのは夫の呼びかけが放送された2日後の事でした。
自宅は全壊しましたが六串家に差し込んだ一筋の光。
今は仮設住宅で5人暮らしです。
ともに暮らすはずだった六串さんの自宅跡。
颯汰ちゃんが初めて見たふるさとです。
(アナウンス)「黙祷」
(サイレン)まもなく1歳になる颯汰ちゃん。
新たに授かった命と失われた命。
誕生日とあの日が交差します。
この子と一緒に絆を深めてそして人との絆も深めていきたいと思います。
頑張っていきます!大震災から2年。
長男は外で走り回れるほど成長しましたが…。
公園には仮設住宅が建っているため体育館に出来た広場が遊び場です。
再就職が決まった真一郎さんですが自宅再建のめどは全く立っていません。
この子が3歳4歳5歳…どれぐらいになったらちゃんとした町になるんだろうなっていうのは思いますけど。
あの日生まれてきた命に復興への日々を重ねながら少しずつ前へ。
颯汰も2歳になります。
一歩一歩前へ進んでいきます。
大震災からまもなく3年。
相変わらず3部屋しかない仮設暮らし。
お姉ちゃんたちは2段ベッド。
颯汰ちゃんはママと布団の中。
颯汰ちゃん。
大寒波でも颯汰ちゃんだけは生まれて初めて見る豪雪に大喜び。
おかよ!おはようございまーす。
大した降ったね。
食べれねえよ。
何かけて食べるの?もうすぐ3回目の誕生日。
春からは幼稚園に通います。
大槌町でも一部地域でようやく災害公営住宅が完成。
入居も始まりましたが…。
まあこう言っちゃあれですけども…。
しかし六串さん宅の建設予定地の野球場は全く手付かずのまま。
そっちの方がなんかもう優先的になってますよね。
住む場所よりはね。
六串家が災害公営住宅に入居出来るのは2年後の予定ですが…。
実際本当にそういうふうになるのか不安なところもあるしちょっと焦ってる部分も…あります。
はい。
仮設の生活は色々大変で苦しい事もあります。
でもこういった生活は後々必ず役に立つものだと思っています。
だから今を大切に一日一日を大切に生きていこうと思います。
気仙沼の菊田真由です。
佳那です。
せーの。
(2人)将来お父さんとお母さんに家を建ててあげたいです。
(ノック)こんばんは。
こんばんは。
仮設住宅で暮らす菊田さん姉妹。
津波で自宅が流され祖父母を失いました。
祖父は行方不明のままです。
気仙沼市の合同慰霊祭。
真由さんは遺族を代表してあいさつしました。
祖父母を救えなかった悔しさ。
ある決意が生まれました。
そして家族への感謝の気持ちが芽生えてきたのです。
今まで両親にたくさん迷惑をかけてきたのでその分親孝行したいと思います。
今まで色々な悩みとか相談事にずっと両親が乗ってくれたので自分の夢を実現して親孝行したいと思います。
大震災から2年。
真由さんは大学受験を控えていました。
夢は数学の先生です。
仮設住宅という不自由な環境での受験勉強。
おじいちゃんおばあちゃんのためにも頑張ろうっていうそっちの前向きな気持ちの方が強いですね。
成績が上がったり賞状をもらったりするたびに人一倍喜んでくれた祖父母。
でも応援してくれてるんじゃないかなって。
この前おじいちゃんが夢に出てきてなんか…。
すごい笑ってて…。
って思います。
大好きだった祖父母。
思い出を胸に輝く未来を見つめて。
(2人)将来の夢叶えます!希望の春。
(司会)「教員養成課程201名起立」真由さんは第一志望の教育大学に合格したのです。
入学式を迎えてここから…。
スタート地点に立ったなという気はします。
夢は被災したふるさと気仙沼で教職に就く事。
この日は春休みにもかかわらず集中講義に出席しました。
親元を離れ仙台でのひとり暮らし。
キャンパスライフを楽しんでいます。
すごいでも全部…。
大学でどうしてもやりたかったのは社会奉仕。
ボランティアサークルに入りました。
あとは震災関連の勉強会と…。
(真由さん)自分たちがそうしてもらって嬉しかったから気仙沼のために何かしたいっていう思いが自分の中にもあるし…。
明日への希望を失いかけたあの日支えてくれたボランティア。
この日は母校の小学校での活動。
企画立案から運営まで1人で手掛けました。
震災で傷ついた子どもたち。
ふるさとの復興のために今度は自分の出番です。
(真由さん)子どもたちのサークルやるにしても大学生活を送るにしても支えてくれた人たち全員に向けての感謝の気持ちを表したいなと思って感謝という字を書きました。
気仙沼市の梅野紘平です。
同じく気仙沼市の岩渕竜です。
野球がやりたいです。
自分も野球がやりたいです。
2人は本吉響高校野球部のピッチャー2本柱でした。
校庭に自衛隊の支援基地が置かれたため練習場所を失いました。
1234…。
(一同)12!練習を再開したのは4月。
他校のグラウンドでの3校合同練習。
再び動き出した夢。
野球が出来る喜び。
チームみんなでそして迎えた最後の夏。
岩渕君が先発。
(歓声)梅野君がリリーフ。
しかし善戦及びませんでした。
野球部の人と一緒に…。
私のひと言は感謝です。
震災が起きてから今までたくさんの人々に支援して頂き野球の出来る環境を作ってもらったからです。
ありがとうという言葉しか出てこなかったのでありがとうと書きました。
大震災から2年。
あっどうも。
おはようございます。
(スタッフ)元気にしてました?あっしてました。
岩渕さんは東京の自動車メーカーで働いています。
都会の生活にも慣れてきました。
来たばかりだと…。
全然もう普通に大丈夫ですよ。
この日は原宿の美容室に。
新しい友達も出来ました。
変わらない思いもあります。
東京に持ってきた宝物。
青春の思い出が詰まったグローブです。
今は会社の草野球チームに所属しています。
まだまだ覚える事はたくさんありますけど頑張っていき後輩に慕われる先輩になっていきたいと思います。
去年の暮れ。
岩渕さんの姿は気仙沼にありました。
梅野さんと一緒に児童養護施設旭が丘学園を訪れたのです。
あ〜どうもどうも!いつ来たの?さっき。
あっそうなんだ。
休み?2人は高校を卒業するまでこの施設で育ちました。
子どもたちにとって頼もしい兄貴のような存在。
今も年に数回訪れては差し入れを続けています。
持ってくんだからね。
ボーナスのいいお前が。
何言ってんすか!いや園長先生が…。
成人式のお祝い金に。
そんじゃあな。
(岩渕さん・梅野さん)はい。
2人にとって小原園長は今も親と慕う存在なのです。
梅野さんは高校卒業後仙台で水道設備の仕事をしています。
まあけど楽しく出来ているんでいいです。
一方の岩渕さんは…。
仕事はだいぶ覚えました。
社内の技能認定試験合格に向け日々奮闘中です。
充実した生活を送っていますが…。
まあ笑い話だったら…。
ふるさとで迎えた成人式。
ビシッとスーツに身を包んだ2人。
同級生と久々の再会です。
おお!お久しぶり!おお〜!あの日から3年。
野球少年はいつの間にか大人になっていました。
会社に入って3年目になるので会社の人やみんなに認められる大人になっていきたいと思います。
早く一人前の職人になれるように頑張っていきたいと思います。
残念ながら2人のお友達を亡くしたけれども絶対絶対またのぞみ福祉作業所が復活して開所出来る事を…。
これからみんなで力を合わせて頑張ろうね。
あの日宮川さんが復活を誓ったのぞみ福祉作業所。
津波で建物は全壊し利用者2人が犠牲になりました。
ああっ…!なかなか上がって来たいと思ってもとてもつらすぎて…。
29年前この障害者支援施設を立ち上げ長い間所長を務めていました。
ここは宮川さんの人生そのもの。
あの日誓ったとおり2か月後には作業所が再開。
場所を移しプレハブでの再出発です。
(宮川さん)こんにちはどうも。
お姉さんこんにちは。
こんにちは。
こんにちは。
利用者14人が戻ってきました。
宮川さんにとって我が子も同然。
夢に向かって頑張ろう。
のぞみ福祉作業所元の姿に戻りました。
これからも元気で頑張ってね!大震災から2年。
宮川さんの姿は仮設商店街にありました。
元々理容師だった宮川さん。
津波で自宅兼店舗を失いましたが仮設の店を出したのです。
どうしても辞めるわけにはいかない理由がありました。
おはようございます。
すいません。
(宮川さん)はいおはようございます。
はいいらっしゃい。
元気だった?元気でやっとるよ。
施設の利用者の多くが髪を切ってもらうのを楽しみにしているのです。
今日どのようにしますか?ショートカットでいいです。
最近仕事が忙しくて作業所はちょっとご無沙汰。
利用者の事が気がかりなのです。
はがきの?ああそう。
みんなの笑顔が復興への原動力です。
ぜひまた以前のような作業所のみんなとお会いしたいと思いますんで待っててください。
あの日宮川さんが避難していた体育館です。
去年の秋福祉まつりが開催されました。
忙しい仕事の合間を縫って手伝う宮川さん。
おはようございます。
聞いてたよお母さんお父さんに。
ひろゆきさんおはよう。
おしばらくで。
元気だった?うん。
あよがった。
実は作業所のみんなが参加しているのです。
懸命に練習した踊りを披露。
しかしそこに作業所に通っていた我が子の姿はありません。
隣町の仮設住宅で夫と暮らす宮川さん。
ここでは知的障害がある息子を介護出来ないため福祉施設に入所させたのです。
私たちも年を取ってきてるもんですからなかなかこれから迎え入れるっていう事が難しいのかな…。
月に一度往復3時間かけて通っています。
はいこんにちは!あっいたの?うん。
どっちにする?そもそも宮川さんが作業所を立ち上げたのは息子のためでもあったのです。
どっか温泉に行くかまーちゃんと。
ねえ。
しかし震災で離れ離れになってしまった家族。
1回はいつでも息子に会えるように近くに滞在型の施設を作ってほしい。
それが願いです。
バイバイ!バイバイ!南三陸町に障害児者が利用出来るショートステイグループホームデイサービスが欲しいと思います。
障害児者に優しい街づくりを取り組んで頂きたいと思います。
残念ながら津波で社屋は流されてしまいました。
…が社員と私の家族は全員無事だと言いたいんですが社員に2人全く連絡のついていない者がおります。
えーとこのグリーンに見えてるところが工場の床です。
そして事務所がこの辺にこうありまして。
釜石で自動車整備工場を営んでいた菊地さん。
あの時安否確認を呼びかけた行方不明の社員2人はどうなったのでしょうか?がれきの中から奇跡的に見つかった看板です。
この看板を掲げ高台で再開した工場に2人の姿がありました。
社長が何日か後にみんなを集めてまず仕事を再開するって喋ってもらった時は俺自身は嬉しかったですからね。
一時は廃業も覚悟した菊地さんを立ち上がらせたのは社員たちの励ましでした。
親子兄弟家族だよという思いはもう最初からそうしてますから。
今高らかに復活宣言です。
こんな災害に負げねえぞ釜石!1年後売り上げは震災前の7割まで回復しました。
しかし倉庫を間借りした工場では顧客の注文に応じきれません。
これはもどかしいのは十分にあります。
行方不明だったあの2人の社員も苦労していました。
流された工場から道路を隔てた場所に新工場建設を決意しました。
中小企業の復旧を支援するグループ補助金を利用しますが1億円は自己負担です。
工場完成後は一日も早く短時間車検を立ち上げ皆様のご支援にご恩返ししたいと考えております。
大震災から3年。
念願の新工場が完成し作業効率が上がりました。
明かり取りの天窓やLEDライトなど節電にもこだわりました。
前の工場であれば今頃つけたら電気消せ!って言ったんですがね今はもうこのままでも…。
(スタッフ)大丈夫?
(菊地さん)大丈夫です。
そしてもう一つこだわったのが…。
ようやく完成した新工場。
しかしここも海に近いため津波への不安が消えません。
あの日の経験から避難場所や避難経路の案内図を作ってお客さんにも知らせる事にしました。
高台への避難路の急斜面にはロープも設置。
さらに…。
訓練訓練。
津波警報が出ました。
皆さん避難してください。
定期的に全社員で避難訓練を行う事にしました。
訓練にはあの2人の姿も。
あの日行方不明となった社員に肝を冷やした菊地さん。
防災こそ経営者の使命だと心に誓いました。
津波も地震も天変地異はもう見るのも聞くのも嫌だ。
これに巻き込まれないように常に準備しておく事が大事だと思います。
南相馬市から来た西村京華です。
福浦ジュニアバレーボールスポーツ少年団のみんなとまた一緒にやりたいです。
その後避難所を出て新潟市内の借り上げアパートに移りました。
ふるさと南相馬市へは当面戻りません。
一昨年2月内部被ばく検査を受けた京華ちゃん。
結果は不検出でしたが放射能への不安は消えません。
大好きだったバレーボールですが近所にはクラブがありません。
妹とバレーボールごっこ。
福浦小学校に早く戻りたいです。
戻ったら友達と会いたいです。
しかし震災から2年経っても新潟暮らし。
友達には会えません。
普段は元気な京華ちゃんですが一昨年12月三陸沖でマグニチュード7.4の地震が発生し津波警報が出された時の事です。
って言われたんですね。
南相馬で所属していたバレーボールチーム。
京華ちゃんの面倒をよく見ていてくれた横山先輩と…。
村松監督が津波の犠牲になりました。
テレビから流れる津波警報はその記憶をよみがえらせたのです。
この日久しぶりにお父さんが帰ってきました。
南相馬で建設会社を経営している智己さん。
復興関係の仕事が増え週に一度しか会えません。
久々の一家団欒に弾ける笑顔。
(一同の笑い声)お父さんとの楽しいひと時はあっという間に過ぎていきます。
また来るねはーい。
京華ちゃんは見送りに行きません。
(礼恵さん)京華はやっぱり「寂しい」っていう言葉を口にせず我慢してるっていう姿が私の目にもわかりますし…。
バイキンバーイ。
気をつけてね。
バイバイ。
こんな暮らしを2年以上続けてきました。
つらくても負けずに頑張ります。
去年の秋。
京華ちゃん一家は福島県二本松市を訪れました。
震災前南相馬市で暮らしていた時の親友天音ちゃんに会うためです。
マジ?早っ!私まだ150以下だよ。
南相馬市から二本松市に避難した天音ちゃん一家。
一昨年12月ここで一戸建てを購入しました。
またここからどこかっていうよりか…。
みんなで二本松の菊人形展に出かけました。
京華ちゃんと天音ちゃんは幼稚園から大の仲よし。
震災後は離れ離れになりめったに会えません。
久々の再会に片時も離れようとしない2人。
今度いつ会えるかわかりません。
(日和さん)やだ!やだ!やだやだやだやだ…!天音ちゃんの妹が別れたくないと泣き出しました。
天音ちゃんを見送るまで涙をこらえていましたが…。
ずっと黙り込んでしまいました。
大震災から3年今も新潟で暮らす京華ちゃん。
お母さんは悩んでいました。
ただ体の事を考えるといずれやっぱりどういう影響が出るかわからないわけですから。
ずっと悩んでるんですけど答えは出ません。
天音ちゃんから届いた手紙です。
「元気?私は元気だよ!」「別れる時私は泣いちゃったよ」「毎日会える事の出来るあの日に戻りたいな」京華ちゃんも返事を書きました。
私もこれからも新潟で暮らすのか福島に戻るのか。
京華ちゃん一家は答えを出せずにいます。
福浦のみんなにまた会いたいです。
南相馬市の方から避難してきましてもう半月が経ちました。
保育園の子どもたちが今どこにいるのかすごく心配です。
みんな元気でいるかな?高倉さんが勤めていた保育園は震災の年の10月再開しました。
おはよう。
おはようございます。
今日間違えないで来た?こっちに。
うん。
再開まで7か月もかかったのは除染をする必要があったからです。
鉄製の遊具は表面を削り取りました。
洗っても放射線量が落ちない遊具は撤去。
放射線量は毎時1.1から0.2マイクロシーベルトに下がりました。
みんなが待ち焦がれていた再開の日。
涙の対面っていうかもう誰々ちゃんって感じで親も子も一緒に抱き合って泣くような状態。
しかし園児は240人から90人に減りました。
保護者の不安が消えないため外遊びは当面禁止です。
内部被ばくを避けるため給食は全てまだまだ心から笑えない日々が続いていました。
みんなで南相馬市を笑顔いっぱいで子どもたちが安心して暮らせる町にしていきたいと思います。
原発事故から2年。
保育園を訪ねるとまだ除染が続いていました。
除染しても再び放射線量が上がる場所があるのです。
除染の成果もあって外遊びは解禁されました。
(子どもたちの歓声)多くの家庭で外遊びが禁止されていたこの頃数少ないストレス発散の場。
しかし1日30分までと決められています。
それでは中に静かに入ります。
ストレスのない体遊びを今年はしていきたいと思います。
大震災から3年。
放射線量は毎時0.15マイクロシーベルト程度。
1年前とあまり変わりません。
「ちくわこんにゃく」震災のあと90人にまで落ち込んだ園児の数は200人に増えていました。
その多くが避難区域から引っ越してきた園児です。
避難区域の浪江町から南相馬市にやってきました。
一家は去年の夏南相馬市に一戸建てを購入。
ふるさと浪江町には戻らずここで暮らすと決めました。
新しい保育園でやっていけるのか当初は心配だったと言います。
(貴美子さん)たくさんお友達も出来て…。
2人はすぐに溶け込みましたが避難生活が長かった子どもはなかなか保育園になじめないといいます。
(高倉さん)自宅に…ずっと中にいたお子さんはやっぱり保育環境が整ってなかったっていう事で…。
親の方が精神的に苦しんでいるケースも多く親子ともどもサポートしていく必要があると感じています。
笑顔で支え合い子どもと接していきたいです。
原発は大丈夫だ原発は絶対に大丈夫だって。
だからなんにも持って出てこないです。
これだけです。
大井川さんのふるさとは福島第一原発のある双葉町。
全域が避難区域になり役場機能は埼玉県加須市の高校跡地に移転。
を送る事に。
理容師だった大井川さんは仕事を失い避難生活のストレスから体調を崩しました。
今度こそは今度こそはと思うんですけどもどうしても時間がね決められてるもんで。
放射能で汚染されたふるさとに帰れる見通しは全く立っていません。
双葉町井戸川町長さん。
放射能のないところに1日も早く連れて行ってください。
お願いします。
原発事故から2年。
最後の避難所となった校舎にはおよそ140人が暮らしていました。
この頃大井川さんに大きな転機が…。
校舎から車で3分。
震災前に営んでいた理容店を加須市で再開させたのです。
名前は双葉町でやっていた時と同じ双葉理容。
避難者をサポートするNPO法人が場所を提供してくれました。
仕事が出来るっていう事がね一番やっぱりね。
避難している双葉町民だけでなく地元の人たちも訪れます。
やりがいを取り戻した大井川さんは体調も回復。
以前は見せる事のなかった笑顔が戻ってきました。
双葉理容を成功させたいです。
頑張りますのでよろしくお願いします。
校舎で暮らす町民は当初の1400人から100人に。
双葉町はここを閉鎖しようとしていました。
ですがもうそろそろこれは…。
皆さんが普通の生活を出来るように私たちも協力します。
1か月後…。
町の方針に従い避難所を出る事にしました。
2年半暮らした校舎との別れ。
大井川さんはある覚悟を決めていました。
埼玉県加須市。
このアパートが大井川さんの新たな住まい。
今年75歳。
体にこたえます。
3LDKのアパートは荷物で溢れかえっていました。
突然涙ぐむ大井川さん。
その一方で加須市に自宅を兼ねた理容店を建てたいと物件を探します。
望郷の念は今も変わりませんがここで人生の新たな一歩を踏み出す事を決めていました。
その人たちのねお礼するにもねやっぱりここ…出来るならね長くやっていきたいです。
原発事故から3年。
今も避難区域の双葉町に息子と一時帰宅した大井川さん。
防護服に身を包みかつての双葉理容に入ります。
あっ!いた−!ええー…。
一時帰宅の目的はこのマッサージチェアを持ち帰る事。
しかしネズミの被害はここにも。
(ため息)マッサージチェアは諦め使えそうなパーマの道具などを車に積み込みふるさとを後にしました。
こちらは埼玉県の双葉理容。
ようやくこの新天地に骨を埋める覚悟が出来た大井川さん。
離れて暮らす息子や孫とまた一緒に暮らすのが夢です。
早く家族一緒に住みたいです。
早くいい土地を授かりたいと思います。
よろしくお願いします。
天国にいるお父さん庄子英美2人で力を合わせて頑張っていくからね。
おばあちゃんお母さんまだ連絡取れてません。
もし誰かに救出されてお世話になっているなら連絡ください。
大震災から1年。
(スタッフ)ごめんください。
あの日から仮設住宅で姉妹2人だけの生活が始まりました。
消防団員だった父は避難誘導中に死亡。
母と祖母は行方不明のまま。
でも…。
まだ2人は津波にのまれた自宅周辺で母と祖母の手掛かりを探し続けていました。
酪農と農業を営んでいた及川さん一家。
あの日東京に旅行していた姉妹だけが助かりました。
折れちゃった。
折れちゃった…。
心の整理をつけようと震災4か月後に3人の葬儀を行いました。
姉妹2人助け合って生きていきます。
2人の夢は再びの幸せ。
はいせーの…。
(2人)復幸です。
天国に行ってるお父さんとかお母さんとかおばあちゃんも2人でやってって…やっていく事を望んでると思うし。
生きたくても生きれなかった両親祖母の分まで…。
幸せになれるように。
大震災から2年。
新しい仮設に移った2人にある変化が…。
(泣き声)
(スタッフ)泣いちゃったねえ。
(2人の泣き声)双子です。
双子の女の子です。
実は英美さん一昨年春に結婚し双子を出産。
夫は単身赴任中で姉と2人で育てています。
動くようになってきてからは特に。
瑛那ちゃんはマイペース。
咲瑛ちゃんは活発な子です。
全部2倍なんですけど…。
我が子のように世話をする庄子さん。
お母さんも2倍です。
自宅があった場所は更地になりました。
それでも母と祖母を捜し続けています。
せめて…。
父と母に守られてきたように今度は瑛那と咲瑛を守っていく番だと思っております。
(英美さん)大切だしかけがえないし守っていかなきゃって思うし。
でもなんでしょうね?お日様みたいな存在ですかね。
大震災から2年が過ぎたこの日。
庄子さんは自宅跡地に咲く花を植え替えていました。
津波に耐え生き残ったトリトマの花。
(庄子さん)お母さんお花が好きで牛舎の周りにいっぱいお花を植えてたので…。
大震災から3年。
自宅跡地には高速道路が通る事が決まりました。
別名復興道路。
そして大震災から3年。
咲瑛。
ダメ。
ダメ。
ダメじゃない!ダメ。
ダメじゃない…。
子どもたちはわんぱく盛り。
こちらはもう一人のお母さん。
だーっ。
だーっ。
手狭で不自由な仮設での子育て。
メガネ…あ〜!曲げないで〜!う〜ん…細かく言えばやっぱり
(英美さん)フフフ…。
最近覚えた言葉はじいじとばあば。
ん?フフフ…。
今庄子さんが胸に秘めているある決意。
かつて田んぼがあった場所で両親の遺志を継ぎ農業を再開する事にしたのです。
(2人)明日に向けて頑張る。
娘が行方不明になっておるので一日も早く見つけてやりたいと思います。
もう家も会社も流されてしまったので何から先に手をつけてよいのかちょっとわからないんですけれども…。
運送会社を経営していた菅原さん。
悲しみを乗り越え新たな一歩を踏み出しました。
今日3個ね。
お願いします。
営業を再開したのは震災2か月後。
トラックの多くが津波で流されました。
そして同じ頃長女の遺体が見つかりました。
DNA鑑定っつうの結構かかりましたねえ。
1か月以上かかりましたねえ。
あの日配達中だった父に代わって会社を守っていた恵美さん。
(菅原さん)一番最後までいたって言うんですね。
うちの運転手たちが言うにはね。
絶望の淵にいた菅原さんでしたが…。
亡き娘に誓った会社の再建。
震災4か月後には元の場所にプレハブの事務所を構えました。
流されたトラックも新たに購入。
菅原さん自ら配達する毎日です。
私の人生さまざまありましたが8勝7敗で終わりたいと思います。
あと10年頑張ります!大震災から2年。
業績は震災前の8割まで回復しました。
一度は解雇した従業員を再雇用。
トラックは8台に増えました。
こんな幸いな事はないなあと思っております。
はい。
しかし…。
(菅原さん)こういう状態です。
フフ…。
順調な仕事とは裏腹にある悩みを抱えていました。
うーん…まあ…長引く仮設住宅での不自由な暮らし。
住宅建設がなかなかはかどらないので住宅建設早期着工をお願いしたいと思います。
新居では恵美さんに立派な仏壇を買ってあげたい。
菅原さんのささやかな願いです。
そして1年後。
亡き娘に誓った会社の完全復活をついに成し遂げました。
及川さん大島へ行く?大震災から3年77歳になった菅原さん。
仕事は今でも現役です。
明日をも知れぬ年齢なのでとにかくどうなるかわかりません。
やれるだけっつう感じですね。
ついに売り上げは震災前を上回りました。
あの日娘に誓った会社の復興を3年で成し遂げたのです。
しかし高台の集団移転先はほとんど手つかずの状態。
自宅再建の夢はまだ描けていません。
去年の秋ようやく抽選で家の場所だけは決まりました。
とにかくここだね。
ここ100坪だ。
募る行政への不満。
去年と同じメッセージになってしまいました。
復興もなかなか前に進まないが一日も早く着工してこの場所に安心して住める我が家を早く建てたいです。
お父さんとそれから歩兄ちゃんはまだ見つかりません。
行方不明でおります。
なんとかどこかに助かってればいいなとは思いますけどもう7日にもなったのでね…。
熊谷さんは今東京で暮らしています。
(チャイム)はいどうぞ。
ご苦労さまでございます。
遠いところを申し訳ありません。
テレビの放送で捜していた夫の出さん。
夫婦で無事市役所へと避難しましたが気づいた時には夫が建物の外に出て逃げ遅れた人の避難誘導をしていたのです。
職業柄…教師してたもんですからねやっぱり子どもたち誘導とか誰か優先とかそういう気持ちが自然にあったのかなあ…。
余裕もなかったですねやっぱり。
もう精一杯でした。
上に行くまで。
津波を逃れ市役所の屋上にたどり着いたのは120人あまり。
(鈴)夫の姿はありませんでした。
あの呼びかけから4日後遺体で発見されたのです。
さらに次男も失い生まれ故郷を離れる決心をしました。
本当に。
いたと思うんですけど…。
すいません。
それがなかったもんですからね。
だからもう娘たちもこっちに来なさいっていう事で…。
長女夫妻が暮らす東京に引っ越す事を決意した熊谷さん。
(鈴)はいそうそうそうそう。
はい南無南無…。
じいじ。
初孫とのひと時に再び生きる希望が湧いてきました。
ばあばったら〜!フフフ…。
(スタッフ)楽しい感じですね。
(熊谷さん)楽しいですね。
時間がね…。
ちょっとうるさい時もありますけど。
楽しいですよ。
ウフフフ。
「ちょっとうるさい時もありますけど」この放送を見て驚いたという一人の女性がいました。
高校ずっと一緒だったもんですからまさかねこういう形でテレビ見るとも思わなかったし。
本当にびっくりしたんですけど。
熊谷さんと佐々木さんは県立高田高校の同級生。
卒業後も同窓会などで交流は続きました。
実は佐々木さんも同じ番組に登場していたのです。
ボランティアとして最初から関わって盛町の方で頑張っています。
赤松かなりの数あるんだけど確認はしてないそうですので。
震災後は観光客に被災地の現状を伝えようと大船渡や陸前高田でボランティアガイドをしています。
一方東京の熊谷さんはこの日久々に陸前高田を訪れました。
市民会館向こうだしえ〜市役所もあれだね。
あっ本当ねそこのね…。
がれき置き場になってた。
私たちいたのがちょうど…。
衝撃的な光景でした。
がれきの仮置き場となった我が家…。
びっくりしました…。
うわあ…ショックですね。
あの日夫婦で命からがら避難した陸前高田市役所。
夫の遺体が発見された場所です。
友人が経営している仮設店舗を訪ねました。
(熊谷さん)こんにちは〜。
どうも〜。
しばらくでした。
どうも〜。
お元気で…。
あら恥ずかしいこと〜。
(熊谷さん)ねえこの間はどうもねありがとうございました。
仮設で中華料理店を再開した信子さんも高田高校の同級生です。
とその時…。
ごめんください。
こんにちは〜。
どうも。
陸ちゃんしばらく〜。
よく来た〜!ねえ…。
ようやくあれ以来だもんね。
今ここで話ししてたの…。
(佐々木さん)よく来た。
(熊谷さん)変わってしまってさ…。
うん。
何もなくなったとこ…。
テレビが繋いだ思いがけない再会でした。
まだなんにもね信じられなくてね来たんだけど。
そして震災後初めての同窓会が実現したのです。
津波で全壊した高田高校。
多くのものが失われた中決して消えない絆がある。
跡形もなくなった母校で熊谷さんと佐々木さんはそれを確かめ合いました。
ふるさとに帰ってくると友達からいっぱい元気をもらっています。
震災以降多くの方たちと知り合いました。
近いうちに同窓会をやりましょう。
去年大震災で不通となったJRに代わって線路の跡を走る高速バスBRTの運行が始まりました。
この新しい交通システムを使って帰省した熊谷さん。
はいいらっしゃ〜い。
待ってたよ。
ご無沙汰…すいません。
ごめんなさい忙しいとこ〜。
いやいやいやいいのよ。
もう1時間半もかかって。
2人は再会した時に約束した同窓会の準備を進めていました。
私たちが一緒にいた…ね?仲間とのねクラブ活動だったりね海で遊んだ事だのマラソンだのね色々ありますよ。
会場は去年高台に再建されたこちらのホテルです。
ふう〜ん…。
生まれ育ったふるさとの光景はもうありません。
だからこそ思い出を分かち合える友人たちと繋がっていたいのです。
いらっしゃ〜い。
お持ちしまーす荷物…。
お疲れさん〜。
ああどうも〜!お世話さま〜!本当にどうもありがとう。
卒業してからおよそ半世紀。
でも懐かしい面影を見つけて青春の日々に時がさかのぼります。
みちこ。
みっちゃんよ。
あっみっちゃん!うわ〜!では乾杯致します。
乾杯!
(一同)乾杯!思い出の場所が失われても仲間との思い出が消える事はありません。
今日だけはつらかった日々を忘れて誰もが心の底から笑顔を浮かべていました。
「よかったよ〜」ってそんな事はないですけど。
本当。
そしてあの日全壊した母校の再建がようやく始まりました。
熊谷さんと佐々木さんが中心となって震災後初めて開かれた高田高校の同窓会。
あれから3年。
母校は高台に移転して再建される事になりました。
生徒たちの歓声が戻ってくるのは来年の予定です。
震災後ふるさとに帰ってみんなと会えてとっても嬉しいです。
友情の輪を広げていきましょう!高田高校…。
(一同)バンザーイ!「古きをたずねもろともに」『被災地からのメッセージ2014年春』。
私たちはこれからも復興を見つめていきます。
2014/03/10(月) 02:08〜03:38
ABCテレビ1
テレメンタリースペシャル〜被災地からのメッセージ2014年春〜[字]
大震災直後の報道特番で放送した避難所に身を寄せた人々からのメッセージ。番組では、あの日、伝言を託した人々の「その後の物語」を見つめ続けてきた。
詳細情報
◇番組内容
大震災直後、「つながろう!ニッポン〜被災地からのメッセージ〜」などの報道特番で放送した避難所に身を寄せた人々からのメッセージ。番組では、あの日、伝言を託した人々の「その後の物語」を見つめ続けてきた。
◇番組内容2
放射能を恐れ未だ故郷に帰れないあの人、亡き父に誓った工場再建を目指すあの人、集団移転が進まず今も仮設で暮らすあの人…やがて巡ってくる3度目の春。それぞれの新しいドラマとメッセージを伝え残す。
◇ナレーター
村上弘明
◇制作
EXテレビ朝日・KHB東日本放送・KFB福島放送・IAT岩手朝日テレビ
【プロデューサー】
原一郎(EX)藤井尚弘(KHB)宇野英人(KFB)佐々木貴(IAT)
【ディレクター】
藤井尚弘(KHB)高橋良明(KFB)山田理(IAT)
◇おしらせ
☆番組HP
http://www.tv-asahi.co.jp/telementary/
ジャンル :
ドキュメンタリー/教養 – 社会・時事
ドキュメンタリー/教養 – ドキュメンタリー全般
ドキュメンタリー/教養 – インタビュー・討論
映像 : 1080i(1125i)、アスペクト比16:9 パンベクトルなし
映像
音声 : 2/0モード(ステレオ)
日本語
サンプリングレート : 48kHz
OriginalNetworkID:32723(0x7FD3)
TransportStreamID:32723(0x7FD3)
ServiceID:2072(0×0818)
EventID:55012(0xD6E4)