NNNドキュメント「それでも生きる 震災3年…喪失と希望」 2014.03.10

忘れてはならない
失われた多くの命を
時が流れ行くとも悲しみは癒えないということを
(大久保三夫さん)時間止まったまんまだ3年前と。
周りが動いてるだけ。
その夫婦はひとり娘を捜し続けている
(菅野哲男さん)何で「被ばく」って書かねえんだって言ってる…!
なりわいを奪われた男性は暗闇から抜け出せない
津波にのまれ生き延びた人がいる
(岩崎さん)「過ぎた」「過ぎて行った」っていうことですかね。
「失った」っていうより…。
ありがとうございました。
あの日から何を背負って生きて来たのか
東日本大震災の犠牲者は1万5000人を超えいまだ2600人余りの行方が分かっていない
宮城県山元町でその夫婦と出会ったのは震災の12日後だった
大久保三夫さんは妻の恵子さんとがれきの中を捜し続けていた
娘捜しです。
ひとり娘なもんで。
ひとり娘の真希さん
自動車学校のアルバイト事務員だった
海から800mに立つ自動車学校に津波は押し寄せた
2階へと避難した真希さんはそこで津波にのみ込まれた
どこかで生きていないか…
娘を捜し続けた
いないなぁ。
ねぇ〜。
びっくりだ。
信じらんない。
震災から7か月
自動車学校は取り壊されていた
娘の面影が遠ざかる
(大久保恵子さん)行くとこがなくなっちゃった。
(三夫さん)あっちこっちからねいろんなものが…。
(恵子さん)マリオシリーズ。
娘の部屋はそのままにしてある
(三夫さん)出て来た。
(恵子さん)フフっ。
(三夫さん)これラスカルでねえか?あるんだここさ入ってたんだべ。
ここも何かあるんだけど。
俺取れないものないくらい上達したの。
うん。
クレーンゲームやって。
そして取ったんだね。
娘が「欲しい」って言うものね取れるまでやったね。
(恵子さん)途中で諦めることなかったね。
100円玉こんなに重ねてアハハハ…。
(恵子さん)諦めないで最後まで取ったね。
(三夫さん)ねぇ。
クレーンゲームのガラス越し娘がねだった宝物達
一粒種の女の子
精いっぱいの愛情を注いで育て上げた
誰もがうらやむ仲良し家族
夫婦は今も内装の仕事を請け負い現場に出ている
幼い頃娘は2人が家に帰って来るのをいつも一人で待っていた
はいこれね。
いつもよりは余計か。
(三夫さん)ここで…。
やれやれほっとひと息。
ねっ。
はぁ〜。
今日みたいにして働いてる時は取りあえず娘のことは頭から消えてますね。
(恵子さん)消えてるよね。
まぁ仕事のほうに向いてますよ。
だからかえって家にボ〜っとしていると娘のことばっかり考えてんだけどこうやって仕事に来てれば。
だからね余計できるからやろうかなと思って仕事。
で現場に来てんですけどね。
ねっ。
どうしてもね娘のこと気になっとね仕事来たくないのね。
海のほう行ってずっと…。
怪しいなと思うとこ捜して来てねっ。
うちらは計画的なんですよ潮見表を持ってて。
うんと潮引く日があるんですよね。
そういう時やっぱり何か仕事来たくないんですよ。
海に行って見たいんだよね場所を。
ねぇ。
だから出て来るまでダメでしょうね。
ねっ…。
復旧が進む海岸線
かさ上げした防潮堤が完成すれば埋め立てられる場所
工事を一時中断し大久保さんの要望で捜索が行われた
「娘を見つけてやりたい」
一方で「復興を止めるようで心苦しい」
(三夫さん)お疲れさまでした。
あっいいえお力になれず…。
あっいいえ…。
いいえ。
(スタッフ)この3年間三夫さんを一番支えて来たものってのは何ですか?やっぱり女房ですよね。
女房がずっと寄り添って一緒にいられること…。
これのほうがやっぱりねぇ娘と女房一緒に亡くしたんではもうこんなことしてらんないので。
やっぱりね女房だけでも残ってくれたんでね。
まぁ支えられているなぁっていう感じはしますよ女房に。
(スタッフ)その3年間で一番支えになったものは?三夫ちゃんだねうん。
やっぱり何があっても2人で娘帰って来るまで頑張って行こうねって。
優しいからうん。
だからねいたわってくれるし。
だから一人…もし娘と主人と亡くしたらこんなことしてられないよね。
うん…。
だから主人がいるからこうやっていられるそれも感謝。
あと娘にも感謝うん。
いてくれてありがとう…うん。
バレンタインデーは2人の記念日だったことを長らく忘れていた
(恵子さん)はいよ。
(三夫さん)んっ?あら何で…そっちにあったですか?外れた。
恵子さんと36回目の結婚記念日。
(恵子さん)フフフ…。
フフフねっ。
いただきます。
(三夫さん)いただきます。
うん。
ねっ。
うん。
んっおいしい。
おいしい。
(三夫さん)真希の好きだったケーキ。
(恵子さん)ブルーベリー。
(スタッフ)毎年?あのね真希にやってもらってからなの。
それはいつなんですか?あのね2011年の2月14日に仕事から帰って来たら何かねケーキがあって「どうしたの?」って言ったら…。
(恵子さん)自分達が忘れてたんだよね。
自分達が忘れてたみたいでねぇ。
「お父さんとお母さんの結婚記念日なんだよ」…って言われてねっ。
3人してケーキ食べたの。
でもねあの年が初めてだったのねそういうことしたの。
うん。
(三夫さん)ねっ。
(三夫さん)だから去年もやったしずっとやってれば…もうやろうってなったのはねっ。
2人だけでも。
バレンタインだからってチョコレートは貰ってたんですよずっと娘からは。
(恵子さん)貰ってたんだけど…。
でもあの年に限って何かケーキ…テーブルの上にあって。
「どうしたんだ?」って言ったらね怒られて。
「何言ってんの!お父さんとお母さんの結婚記念日なんだよ」って言われて。
本人達が忘れてんですよ。
フフフねぇどうなってんだがなや。
でもうちらもやっぱり子供のこと考えるからねぇ。
うちらのことなんか考えてもいなかった。
ねぇホントに。
おいしい!おいしい?真希ちゃんのケーキそれフフフ…。
写真の娘はほほ笑んでいたり寂しそうだったり
寂しそうに見える日は海へ行く
娘を捜し続けることで家族はつながっている
(三夫さん)ねぇ間もなく3年だっつうのに。
よいしょ。
世の中の時計は等しく進まない
2人の時間はあの日から止まったままだ
当時1500人近くの行方不明者がいた
その人の夫も津波にのまれた
(菅原さん)大きな大きな波が来てすっぽりこう主人が波の中にこうねぇのまれた瞬間はもちろん忘れられないけれども。
菅原文子さんの夫豊和さん
差し伸べた手を擦り抜け妻の目の前で津波に消えた
94年続く酒店を2人で営んで来た
震災は夫を奪い夫と生きた証しも消し去ってしまう
ここには人情あふれる商店街があった
記憶をとどめるために店の跡地に写真を貼った
(菅原さん)頑張って建てたのにね。
商店街のみんな…。
楽しかったのにねぇ。
お祭りの時はすんごい人が出て。
ホントに…。
何の不安もなくこの町でず〜っと暮らすはずだったのにね。
夫の店を何とか再建したい
夫が生まれ育った町の風景を取り戻したい
帰らぬ夫を待ち続ける日々を重ねるうちにその願いは遠ざかって行った
店の跡地はかさ上げされ避難道路になる
震災から1年3か月
突然の知らせが届いた
夫の遺体が見つかった
解体が始まった市営アパートの一室
(菅原さん)どうも申し訳ありません。
どうもすいません。
(菅原さん)そうですかお父さんここにいたんだ。
(菅原さん)何か守ってくれたんだねここね。
そこは店のあった場所からわずか200m
生まれ育ったこの町を見守るように眠っていた
ワッショイ!ワッショイ…!
震災後3年ぶりに祭りが復活
商店街の仲間が久しぶりに顔を合わせた
ワッショイ!ワッショイ!ワッショイ…!♪〜
生きるために町を出て商売を立て直した者も多い
♪〜
夫が好きだった祭り
これが最後になるかもしれない
♪〜
震災から間もなく3年
町づくりの計画はなかなか進まず復興の足取りは遅い
この町が元の姿に戻ることはない
ここに来るとホントに思い出す。
ここにいた人のお顔もね思い出すし声も聞こえますようん…。
みんなでねここでやってたんだよな〜ってねぇ。
店があった場所には立ち入れなくなった
文子さんは仮店舗で営業を再開したがその場所も転々として来た
腰を据え夫の店を復活できる場所はないのか?
(菅原さんの声)ホントにギリギリのところでね主人が帰って来てあの主人のお骨を抱き締めることができたのでそのことはホントに悲しいことではあったけれども何か主人に「帰って来たぞ」と言われて…。
「頼む頑張ってくれ」と言われたような思いでね。
あの〜…。
絶対この鹿折の地にねまたわが家の根を張って次の息子や孫達にね残したいと思ったことはホントにその思いがあったのでね。
みんなが笑顔になる酒店をかつての町の少しでも近くに構えたい
文子さんは思っているそれが夫の願いなのだから
あの事故で生きる糧を失った人がいる
原発から30km以上離れた飯舘村
その人はここで家族と暮らす牛農家だった
(哲男さん)あ〜こらこら…。
これやっと嫌がんだよなこら。
菅野哲男さん
親から継いだなりわいを息子の世代に渡せればと願っていた
(哲男さん)ほら気持ちいい。
えっ?なっ気持ちいいな。
飯舘村は放射線量が高く全村避難を余儀なくされた
(哲男さん)ほらほら…よしよし…。
菅野さんは育てていた牛13頭全てを手放すことになった
手塩にかけた田んぼは汚染され廃業に追い込まれた
自分の時代ではこういうことはないだろうと思ってたんですけどそれがね来たっていうのはホント悔しいですよね。
村を離れる前の晩家族で最後の食卓を囲んだ
海がいいんだよ。
優しい友達がいるんだよ。
分かってっと思うけど料理はできっけど片付けはできねえから。
掃除はできねえから。
(敏さん)片付け俺やったもんな。
息子達とは別々の場所に避難することになり家族は離れ離れになる
せいぜい長生きしろよ。
普段は口にしない酒にこの夜ばかりは手が伸びた
(哲男さん)そんなのやってたら共倒れだよ。
息子達と牛を育てる日常を取り戻せるのだろうか?
菅野さんの避難先は福島市の市街地
身を寄せたのは借り上げアパート
2DKに夫婦2人暮らし
事故後1年が経ち気掛かりは飯舘村の避難区域が再編されること
どう?
自分の家がある蕨平地区はどうなるのか?
(菅野文子さん)ここ?
(哲男さん)これはこっちが…。
ほとんどが年間50ミリシーベルトを超える長泥は5年間は戻れない帰還困難区域に
しかし高い線量はまだらな蕨平は除染を進め帰還を目指す居住制限区域になる見通しだった
・ただ今より避難区域見直しに関する…・
ふるさとに数字で線を引く
蕨平の中でも汚染量の高い所があるということは私どもも承知をいたしております。
しかしながらこと24時間生活をされる…ということで考えますと常に線量の高い所ばかりにず〜っととどまって生活をされてるわけではなくて平均的にはやはり線量の低い所も含めてですね生活をされておられると思いますので高い所に合わせるというよりはむしろ平均的な所で捉えたほうがいいというのが私どもの考えでございますが…。
私息子4人いるんですよ。
ねっ21歳から28歳まで。
この人達がもし結婚できなかった場合今実際にあったんですからねあの嫁さんが決まっててそれでキャンセルになったっていう話が。
そういう場合の補償っていうのは誰がどういうふうにまた責任っていうのはどういうふうに取るんですかね?このへんまで考えておかないとダメですよ。
これを突き詰めて言うとですねあの〜どういうふう…それが実際にどういうふうに起こったのかっていうところの状況なしにはなかなか言えないと思うんですね。
国で当然そこが立証されれば「それは払います」っていうお答えになるんでそれはそれだと…。
実際にこういうことあんだからちゃんと被ばく手帳でも何でも出して将来のことちゃんと責任を取れるようにしとけっつうの。
だからさっきから何で「被ばく」って書かねえんだって言ってる…!
(放射線測定器の音)
蕨平の自宅は原発から30km圏内
13だね。
線量計は帰還困難区域に相当する値を示していた
その区域には居住制限区域よりまとまった賠償が支払われる
(放射線測定器の音)
(哲男さん)22.28。
(放射線測定器の音)
(哲男さん)23.52。
(放射線測定器の音)
(哲男さん)24.55。
(放射線測定器の音)
(放射線測定器の音)今暮らしてる所からしたら考えられない数値ですよねこれね。
ホントにこういうとこに…。
多分除染しても半分でしょねぇ。
やっぱり…。
…と思いますよねっ。
ここで農家として暮らして行けるわけがない
結局蕨平は居住制限区域となり除染を進め数年後の帰還を目指すことになった
新天地で生活を再建できるほどの賠償は期待できない
菅野さんは週に3日蕨平のパトロールに通っている
生活の頼りは夫婦で月20万円の賠償金
何とか生活はできるが余裕はない
手塩にかけた田んぼは3年で荒れてしまった
こう家には帰れないしホント…やりたくてもやれないしっていうか何て言ったらいいのかな…。
そこまで…。
もうどうにでもなれっていうわけにもいかないんだろうけど。
何とかしなくちゃなんないんですけども。
ただね資金の面が追い付けないとなればこの状態を続けるしかないのかなっていう考えも始まってはいますね。
(スタッフ)あの〜たまに牛に餌を食べさせてる夢を見る…っていう話は今ってどうですか?今全然ないですもう…。
まぁ牛の話は聞くんですけども…競りや何かの情報は。
でも行ってみる気にもなんないですねもう。
でもね夢に出なくなったっていうのはやっぱりそれだけうん…力が入らなくなったのかなぁ。
避難先には新築の家が建ち始めている
まとまった賠償を受けた若い世代には新しい生活に踏み出した人達も多い
この家なんかも私来て1年過ぎたくらいな感じかな。
(スタッフ)あっそうなんですか。
(哲男さん)建ち始めた…。
(哲男さん)あっ出来た!
(哲男さん)あら出来てた。
この辺りは相場も上がり一戸建てはおよそ3000万円
菅野さんには遠い存在だ
再び家族が集える家を…
希望が叶う日は来るのだろうか
「鉄のまち」とうたわれた岩手県釜石市
震災後人口の1割に当たる3000人が離れて行った
ようやく復興のつち音が響き始めたこの町には今工事関係者の姿が目立つ
市街地から車で20分
松林に囲まれた海辺の小高い場所にその宿はある
4階建ての…
おはようございま〜す。
すいません遅刻です。
おはよう。
(従業員)あれしかないですね。
あれしか方法ないんもんね。
父が始めたこの宿を2代目女将として30年余り切り盛りして来た
(岩崎さん)う〜ん場所ねえなどうしようかな。
何をするか分からないけどお昼は外で食べて来てもらうんだけど…。
あの日女将は一度避難した裏山を下り駐車場に集まって来た人達を誘導しようとした
・早く来て!・・早く上がって来て!・・来た来た来た来た!早く早く…!・・ほら早く〜!ほら〜!早く…!・・早く早く!早く早く!早く来て!・
女将は津波にのまれた
(岩崎さん)入ってそして真っ暗だったんだけど私…。
…ってね冷静に考えてたの。
あの時裏山に走った全員が逃げ延びた
女将も必死に這い上がった
みんなにさ…。
うんあ〜うれしい。
おしるこ作って来たの。
わ〜!ちょっとありがとう〜。
行き場をなくした周辺の住民が集まって来た
あら〜!食べて温かいうちに。
うんおいしそう!
宝来館は臨時の避難所になった
(岩崎さん)お魚のみりんどうぞ〜。
一時は150人が女将の元に肩を寄せ合い寒さとひもじさをしのいだ
(岩崎さん)いっぱい食べて…もったいないもん。
・あ〜彼氏と離れるのつらいなえ〜・来てねホントに。
・じゃ〜ね・
震災から2週間
去り行く者達を津波に流されなかった宿の名物大漁旗で見送る
宝来館は避難所の役目を終えた
いち時代のさ宝来館の今日が終わりなのかもしんないねぇ多分。
女将もここを離れる
「地元の希望の明かりになってほしい」
その声に後押しされ宿の再開を決意した
震災の年の暮れ
仮オープンにこぎ着けた
ホントにねいざ始めようとすっと何にもなかった。
(岩崎さん)すいませんごめんね…ありがとう。
え〜っと今日の人数ははい伊藤君のほうから。
え〜っと人数は何人…?
いっときは解雇した従業員に再び声を掛けた
ほとんどが被災した者達
今日こなしてそしてだんだんにお商売がちゃんと回るように頑張りましょう今日は。
どうぞよろしくお願いします!
再開の知らせを聞いてなじみの客が集まった
声高らかにご唱和ください。
乾杯!
(一同)乾杯!ありがとうございますありがとうございます。
ありがとうございますタケウチさんありがたい。
ありがとうございます…。
賑やかな笑い声が何よりうれしかった
「津波にのまれた女将」そう呼ばれるままに精いっぱいの日々を送って来た
気が付けば3年の歳月が流れていた
震災前に比べ今は8つ少ない12部屋で営業している
従業員の数は前と同じ30人
うちのスタッフは優秀なんで大丈夫です。
(山崎さん)はいはいOKです。
新しい仲間も加わった
震災翌年の春から働き始めた山崎大さん
もしもしはい申し訳ございません。
地元釜石の出身
県内の大学に通っていた
もともとは被災してすぐ来れなかったんですよねもう怖くて。
すごい何か友達と遊んでた公園とか登下校してた道とか家の周りの風景が変わってるのを写真で見るだけでもきつかったので…。
大学卒業後は東京への就職が決まっていた
自宅と営んでいた雑貨店が被災し母と妹はアパートでの仮暮らしが続いている
「地元の役に立ちたい」そう思っていた頃知り合いだった女将から声を掛けられ宝来館で働くことに決めた
でも大さんは将来もここで働くのか悩んでいる
この町と自分の未来予想図は描けない
・おかえりなさいませ・
今宝来館の客は復興工事の関係者がほとんどだ
どこでもいい?あぁここが?・部屋・ちょっと一回…明日も。
フフフ…分かりました。
町中では今後の需要の増加を見越して大手ホテルチェーンの建設が始まっている
ひとのせいにはできないからそれで必要とされる選ばれる自分達をつくって行かなきゃいけないなぁとは…。
不安だけどそういうふうに叱咤激励してるよ。
フフフ…いいコぶってっかもしんないな!
(スタッフ)本音は?いや〜…。
まだまだホントに…どんどんどんどんねいろんな展開が私達の知らないとこでいろいろ動くからさ。
「供給過多でしょうよ」とか「10年過ぎてどうなるかな?」とかね。
頑張って行きたい。
それだけだね。
あっはい。
(岩崎さん)1月分。
そんなことないですはいありがとうございます。
(岩崎さん)頑張って通って…。
フフフ…。
「もっと手当を払ってやりたい」
被災した従業員の生活も気掛かりだ
・いいえとんでもありませんありがとうございました・
(岩崎さん)高梨君。
(高梨さん)はい。
はい今月もいろいろ大変でございまして。
(高梨さん)ありがとうございます。
いろいろ大変で…。
また体に気を付けてよろしくお願いします。
ありがとうございます。
(岩崎さん)お疲れさまです。
(岩崎さん)ごめん…薄いです!お疲れさまです。
お疲れさまです。
ありがとうございます。
女将は多くのものを背負っている
それでも前に進もう
あの日女将が命からがら逃げ延びた裏山
地元有志の協力を得て車椅子でも上がることのできる避難路が整備された
・こうやってペンキ塗って立派になったですね・
将来山の上に避難所を造ろうと思っている
大きな揺れの後宿を離れた3人の従業員が亡くなった
そのことを女将は悔いている
いや〜カミサワ君アベちゃんとユウとみんなでね…。
(慰霊の鐘の音)
悲しみや痛みは増すことはあっても消えることはない
生きるの精いっぱいだけど今生きるこの時の自分達の責任を見つけた3年間かな。

預かった命
じゃあまたお待ちしてます。
ありがとうございます。
どうもありがとうございました。
またお会いしましょうありがとうございました。
お気を付けてどうぞ。
ありがとうございますすいません。
ありがとうございますまたお待ちしてます!おはようございます。
おはようございます…おはよう!あ〜おはよう!頑張ってた?頑張ってます!
(岩崎さん)気を付けて。
東北は負けない
あのコいいコなのよ頑張ってるフフフ…。
これからも歯を食いしばって生きる
70年です…60年どころじゃない。
お国のために働き出られなかった卒業式
今晴れの日に何を思う
乙女達が見つめた戦争と平和
2014/03/10(月) 00:50〜01:45
読売テレビ1
NNNドキュメント「それでも生きる 震災3年…喪失と希望」[字]

大震災から3年、幾度も絶望と向き合い僅かな希望を探しながら、人々はそれでも生きている。今も娘を探す夫婦は…津波にのまれた女将は…牛農家を廃業し離散した家族は…

詳細情報
番組内容
大震災から3年、幾度も絶望と向き合い、僅かな希望を探しながら、それでも生きている人々を追う。今もひとり娘を探し続ける宮城の夫婦。復興が進めば捜索ができなくなる場所は、工事を中断してもらっての捜索。遺骨のかけらでも…その一方で「復興の足止めをしているのでは」と心が痛む…原発事故で牛農家を廃業し家族が離散した福島・飯舘のあの家族は…津波にのまれた釜石の旅館の女将は…亡き夫の酒店の復活目指す妻はその後…
出演者
【ナレーター】
槇大輔
制作
テレビ岩手
宮城テレビ放送
福島中央テレビ

ジャンル :
ドキュメンタリー/教養 – ドキュメンタリー全般
ニュース/報道 – 特集・ドキュメント

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