世界遺産ドリーム対決!▽大解剖!栄華を極めた二大帝国 オスマンVSハプスブルク 2014.03.24

「世界遺産ドリーム対決!」。
今回は…遊牧民族が築き上げた最強のイスラム教国家オスマン帝国と太陽の沈まぬ国とたたえられたキリスト教国家ハプスブルク帝国。
世界遺産が伝える両国大繁栄の秘密をトルコ人とオーストリア人がプレゼン合戦します!オスマンチームが取り上げる世界遺産は…目もくらむほどの…絶大な権力を誇った皇帝スルタンの野望と情熱がよみがえる!ハプスブルクチームが取り上げる世界遺産はウィーン歴史地区とシェーンブルン宮殿。
子宝に恵まれた女帝と絶世の美女といわれた皇妃の孤独な戦い。
華やかな宮廷文化の陰には激動の時代を生きたヒロインたちの壮絶なドラマがあった!プレゼンをジャッジするのはこちらの審査員たち。
(南原)おいしいですもんね。
絶品スイーツと国が威信を懸けて生み出した宮廷料理の数々。
そして世界遺産に響き渡る…さあスケールいっぱいの歴史の旅にいざ出発!
(拍手)「世界遺産ドリーム対決!」司会の南原清隆です。
首藤奈知子です。
さあ今日は栄華を極めた二大帝国の歴史を大解剖致します。
オスマンとハプスブルクそれぞれの都があった国の皆さんに集まって頂いています。
こちらがトルコ人によるオスマンチームでございます。
トルキエ!トルキエ!トルキエ!トルキエ!我々で言う「日本チャチャチャ」みたいなものですね。
「頑張りましょうみんな」という感じです。
対するこちらはオーストリア人によるハプスブルクチームでございます。
Servus!シンプルですばらしい。
ちなみに何ておっしゃったんですか?こんにちは。
(笑い声)「オ〜ッス」と同じですね。
さあ審査員の皆さんはこちらでございます。
人間世界遺産美輪さんです。
よろしくお願いします。
(拍手)世界遺産とかはよくご覧になったりとか…。
ええ大好きで。
髪の毛も世界遺産の感じで…。
いえこれは私の前世がピカチュウだったんです。
ロイヤルにピッタリですよね。
でもあれですよねそもそもオスマンとハプスブルクっていっても何がすごいのかっていうのはちょっと分かんないんですよね。
共に13世紀末日本でいう鎌倉時代から20世紀初頭まで600年以上も続いた多民族国家でちょっとこちらをご覧下さい。
赤い部分がオスマン帝国。
現在のトルコのイスタンブールを首都としまして地中海地域からアラビア半島黒海周辺までこの広い地域を治めています。
おいしそうなとこがある所を押さえてますね地中海の。
そして緑の部分がハプスブルク帝国。
オーストリアのウィーンを首都として全盛期はヨーロッパのみならず新大陸やアジアアフリカの植民地も治めていたと。
でも600年も続くって事は何か秘密がある訳ですよ。
江戸時代の倍ですもんね。
では早速最初のプレゼンテーションにまいりましょう。
先攻は…ジェムさんは…生まれたのは世界遺産トロイの遺跡に程近い町チャナッカレ。
歴史が大好きでトルコ観光の普及にも努めているジェムさんが…まずはこちらをご覧下さい。
右に見えるのがアジア大陸。
左に見えるのがヨーロッパ大陸です。
実はですねイスタンブールはこの2つの大陸にまたがる世界でも珍しく唯一の町なんです。
イスタンブールは15世紀からオスマン帝国の首都として栄えました。
旧市街が世界遺産になっているんですよね。
そうなんですよ。
イスタンブールは景色もすごくいいし人もフレンドリー。
トルコはすごく親日の国といわれています。
私も去年行ったんですけれどもとってもいい所でした。
優しいですよね皆さん。
すごく優しいです。
トルコ人はほとんどがイスラム教徒です。
ヨーロッパ系もいればアジア系の人もいます。
実はトルコ人の僕が見ても誰がトルコ人で誰が外国人か全く分からないです。
オスマン帝国の栄華を知るのに欠かせない場所がこちら…東京ドーム15個分にも及ぶ広大な敷地。
ここにはオスマン帝国の王スルタンが代々400年近く暮らしていました。
スルタン以外は男子禁制のハレムです。
400の部屋に多い時には1,000人もの女性が住んでいました。
スルタンはここで踊りや音楽を楽しんだのです。
一番奥にあるのが王の寝室です。
ベッドの上には黄金の天蓋。
その中心に描かれているのは色とりどりの果実。
富と子孫繁栄のシンボルでした。
スルタンは宝物で絶大な権力を誇示しました。
この黄金の玉座は8万枚の金貨を溶かして作られました。
埋め込まれているのはクリソライト。
古代エジプトの王ファラオも大好きだった宝石です。
こちらは86カラットのダイヤモンド。
大きさは大人の拳と同じくらい。
スルタンの指輪につけられたそうですが重くて大変だったでしょうね。
スルタンの甲冑にも金や宝石が惜しげもなく使われています。
圧倒的な富の差を見せつけて戦う前から敵を威圧したのです。
スルタンはこんな考えを持っていたといいます。
宝物は外交にも使われました。
エメラルドは直径3cm。
ダイヤもぎっしり。
この豪華な短剣は18世紀隣国イランの王朝に贈るために作られたもの。
「こんな国と戦ってもとてもかなわない」。
そう相手に思わせるねらいがありました。
そんなオスマン帝国でしたが一旦怒るともう大変だったんですよ。
最強の軍隊がこんな勇ましい音楽鳴らしながら攻めてくるんです。
戦争中に音楽なんですか?そうなんですよ。
オスマン軍はたくさんの楽器で大きな音を出しながらめっちゃテンション上がってました。
相手は「怖いオスマン軍が襲ってくるぞどうしよう!」とすごくビビりまくったんですね。
一石二鳥の心理作戦だった訳ですね。
勇ましい。
オスマン帝国の始まりは13世紀。
遊牧民の族長だったオスマンがトルコの大地に国を興しました。
オスマンの一族は領土を拡大する中で征服された人々を自分の軍に取り込んでいきました。
この絵に描かれたのはキリスト教国の子弟から集められた兵士たち。
イェニチェリ軍団といわれスルタンに忠誠を誓う直属の精鋭部隊として恐れられました。
とりわけ頭脳明せきな若者には英才教育を施しました。
その中から国の中枢を担う宰相や高級官僚も現れました。
オスマン帝国ではスルタンだけに権力が集中し家柄で登用されるという貴族制度はありませんでした。
才能さえあれば出世できる徹底した実力主義だったのです。
さまざまな民族を束ね力をつけた帝国はキリスト教徒の領土を次々と支配下に置いていきました。
そして15世紀いよいよ長年の悲願であった都市の攻略に乗り出します。
それが…ローマ帝国の流れを引くキリスト教世界最大の都でした。
実はこのコンスタンティノポリスこそが現代のイスタンブールです。
この水道橋4世紀ローマ帝国時代に造られたもの。
古いんですけど立派ですよね。
イスタンブールはオスマントルコ時代だけじゃなくてその以前のすばらしい建物がたくさん残っています。
ここを車が通っているというのも面白いですけれども…。
さあこちらは何でしょう?これは城壁なんですよ。
コンスタンティノポリスは1,000年も栄えました。
その秘密がこの何重にも守られた壁でした。
この町は攻めにくい要塞都市だったんですね。
ぐるっと!この都を攻めたのが当時21歳だった若き…オスマン帝国繁栄の礎を築いたスルタンです。
メフメット2世は防御が甘い金角湾から攻め込もうとします。
しかし湾の入り口は封鎖されていました。
鉄の鎖がくくられ船が入れないようになっていたのです。
メフメット2世はそこで驚くべき作戦に出ます。
なんと船を陸路で運んだのです。
油を塗った丸太を敷き詰め人と牛とで船を引っ張り上げ丘を越える大作戦。
その数70隻。
敵は大混乱に陥りました。
実力主義のオスマン帝国。
ここでも異国の才能を活用しました。
船の丘越えのアイデアを唱えたのはイタリア人だったとされています。
更にこの戦いでは長さ8mもの最新鋭の大砲が使われました。
600kgの砲弾は破壊力抜群!厚い城壁に穴を開けました。
これはハンガリー人が売り込んだ新兵器でした。
こうしてメフメット2世はコンスタンティノポリスの陥落に成功。
後の大繁栄への道を切り開いたのです。
すごいでしょ?メフメット2世。
彼は今でもとっても尊敬されています。
このアヤ・ソフィアもメフメット2世とすごく深い関係がありました。
とってもきれいな建物ですよね。
イスタンブールには3,000のモスクがあります。
その中でも一番古いのがこの建物です。
これよく見て下さい。
中に不思議なものがありませんか?さあ何が現れるんでしょうか?よ〜く見ましょう。
とても厳かな雰囲気。
なんと聖母マリアがあるんですよね。
なぜモスクにあるんでしょうか?実はここはもともとモスクではなくてキリスト教の大聖堂でした。
驚きですよね。
アヤ・ソフィアが建てられたのは6世紀。
コンスタンティノポリスが陥落するまでキリスト教最大の大聖堂でした。
自慢は直径31mの円形ドーム。
この地を征服したメフメット2世はその建物の壮大さに魅了されそのままモスクへと改装したのです。
十字架が取り去られメッカの方角を示すイスラムの祭壇ミフラーブが造られました。
イスラムは偶像崇拝を禁じています。
しかしメフメット2世はなぜかモザイク画を壊す事なく残しました。
その後しっくいで塗り固められた時期もありましたが今は宗教を超えた歴史博物館になり一部が公開されています。
イスラム教徒のトルコの人々はどう感じているのでしょうか?自分たちの町にキリストの絵があるなんてすばらしい事です。
壊さずに守った事を誇りに思います。
イスタンブールにはその後アヤ・ソフィアの建築を参考に巨大なドームを持つモスクが次々に誕生しました。
キリスト教とイスラム教の様式が融合してイスタンブールの独特の町並みが生まれていたんです。
オスマン帝国の繁栄の秘密。
それは異なる文化の知恵を柔軟に取り込んでいく広〜い心にあったんですね。
なるほど!こういう歴史があったんですね。
宗教の垣根を越えて誇りに思うっておっしゃってましたよね。
何かトルコ人の皆さんのお人柄が出てたなっていう映像でしたね。
一番指導する指導者がすてきな人がいると全体がよくなるっていう事なのね。
そうですね。
やっぱり王様がマリア像や何かの絵を壊さなかったって美術的に惜しいと思ったんじゃないかしら。
そういう目があったんですね。
文化の目がね。
メフメット2世は…ハンパじゃなかったんですね。
そうなんです。
なので当時イスタンブールを手に入れてからすぐ宗教を自由にしたんです。
この町に住んでいるキリスト教の人やほかの民族の人は私自身が守りますという…。
信じているものはそのまま信じなさいよという事ですもんね。
今世界がやっとグローバル化に進みだしたでしょ。
それをずっと昔にやってたのね。
ナズルさんいろいろな歴史の勉強を学校でもされると思うんですがやはりメフメット2世は特別な存在ですか?小学生からメフメッドさんの事を勉強するんです。
メフメッドさんは私の理想の彼です。
理想の彼!?理想の…結婚したいような?早く目を覚まして下さい。
いいじゃないですか!でも分かりますよ。
ちゃんと肖像画に花をやる。
あれがちょっとロマンチックな。
(美輪)しかも21歳よ。
それで船で丘を越えていくってやっぱり男でも好きですか?ああいう男性は。
なりたい。
そういう理想が…持ってるんだけど私今23歳ですけど。
23歳なの!?いろいろあったんだね。
イスタンブールどころかまだ住んでいる町も征服なんかできないし。
その受け答えは23歳だわ。
(笑い声)ハプスブルクの皆さんオスマン帝国見てどうですか?メフメッドはすごく参考になりましたよねリーダーシップとしては。
やっぱり経営者としてすごく持ってましたと思うんですね。
ああいう経営者のあたりが優れているんじゃないかと。
じゃあこっちの勝ちでいいですか?駄目!ちょっと待ちましょう。
まだこれからでしょう。
これから?始まったとこね。
さあジェムさん改めてオスマン帝国の見どころ最後にアピールお願いします。
日本人の誰がトルコに行ってもすごい…特に女性はお姫様気分で男性はすごくモテますけども。
ああそうですか?是非。
でも日本の何がそんなに好きなんですか?
(ディキメン)私たちアジア人です。
モンゴルと同じ民族でだんだん西に行って今のオスマントルコ時代のトルコになったんです。
だからアジア人見れば私たち仲間と思っています。
へえ〜!是非皆さんトルコの元気をもらって帰って下さい。
よろしくお願いします。
ジェムさんどうもありがとうございました。
行ってみます。
お願いします。
行ってみよう。
行きたくなった。
さあ続いてはハプスブルク帝国です。
プレゼンターはスザンネさんですね。
はい私です。
よろしくお願いします。
育ったのはウィーンにあるこの観覧車のすぐ近く。
世界的映画「第三の男」で主人公が親友と再会する名シーンの舞台として有名です。
ウィーンを愛するスザンネさんが…私のふるさとウィーンへようこそ!ハプスブルク帝国の首都だったんですよ。
そして町の中心部は世界遺産になってますよ。
あっ馬車が走っていますね。
のんびりしてるでしょ。
ウィーンは横浜市ぐらいの広さですが人口はその半分ぐらいですね。
この落ち着いた雰囲気が自慢なんですよ。
町そのものが美術館といえるぐらい美しい都ですよ。
あっオペラ座が見えてきました。
懐かしい!うわ〜すごいな!オペラ座では年に1度セレブたちが一晩中踊る舞踏会も開かれます。
特別な個室もあります。
値段はなんとたった250万円です。
うわ〜高級だ!ここは代々皇帝が住んでいた王宮ですよ。
ご覧下さい!このゴージャスな空間。
うわ〜!何だと思いますか?舞踏会の会場でしょうか?いえいえここはなんと図書館なんですよ。
(金子)行きたい!
(篠原)本届かないと思うけどね。
バロック様式で造られたホントにきれいな図書館です。
知識の豊かさを世界にアピールしたんでしょうね。
王宮には皇帝が代々受け継いできた帝冠があります。
カトリックの領主の集まり神聖ローマ帝国のリーダーのしるしです。
ハプスブルク家は15世紀以降その座をほぼ独占してきました。
そんな栄華を誇った一族もルーツをたどるとスイスの山あいに小さな城を構える弱小貴族にすぎませんでした。
これは13世紀領内の農民が起こした反乱を描いた絵。
この時ハプスブルクの兵隊は完全敗北。
やがて一族は領地を捨てドナウ川に沿ってウィーンへとたどりついたのです。
こんなに弱い一族がなぜ大帝国を築く事ができたのでしょうか?繁栄のきっかけとなった人物がシュテファン大聖堂に眠っています。
15世紀の王…彼は長男を経済大国だったブルグント公国の姫と婚約させる事に成功。
その後ブルグントの跡継ぎが途絶えたためその領土を丸ごと手に入れる事ができたのです。
こちらはブルグントの都だった町ブリュッセルです。
このぽっかり空いている空間は世界遺産のグラン・プラス。
世界で最も美しい広場といわれているんですよね。
私も学生時代にバックパッカーで行ってとっても感激しました。
中世そのままの豪華な建物ですね。
今のニューヨークみたいな商業都市だったんですよ。
ハプスブルク家は結婚でこんなすごい所を棚からぼた餅で手に入れる事ができたんですね。
超ラッキーでしたよ。
毎年夏グラン・プラスではハプスブルクの繁栄を記念したイベントが開かれます。
双頭の鷲の紋章はヨーロッパの東西を見据えたハプスブルク家のシンボル。
ブルグント公国の成功に味を占めた一族はその後結婚で領土を広げる婚姻政策に力を注いでいくのです。
ハプスブルク家にはこんな家訓が生まれます。
婚姻政策で16世紀にはスペイン王国やボヘミアハンガリー王国もハプスブルクのものに。
更にスペインが持っていた新大陸などの植民地まで手に入れる事ができたのです。
ハプスブルクの結婚といえばやはりマリー・アントワネットが有名ですよね。
彼女の結婚は長い事敵だったフランスと和平を結ぶためだったんです。
この時僅か14歳でした。
若かったんですよね。
こちらは世界遺産ヴァッハウ渓谷。
アントワネットがフランスに向かう途中で宿泊した所です。
とても美しい所ですよね。
彼女は自分の船と最後の別れはここでしました。
平和のためとはいえつらかったのではないでしょうか。
太陽の沈まぬ国とまでうたわれたハプスブルク。
しかし大きな脅威にさらされた事があります。
鳴り響く太鼓やシンバルの音。
あのオスマン帝国がウィーンに攻め込んできたのです。
数十万のオスマン軍に対して1万にも満たないウィーン軍。
2か月にわたる籠城で陥落寸前でした。
しかし同盟国が援軍を引き連れなんとかオスマン軍を撤退させる事ができたのです。
勝ちましたよ!強い敵を追い払ってハプスブルクは最盛期を迎えたんですね。
その舞台が世界遺産シェーンブルン宮殿ですよ。
見事な宮殿です。
庭の広さは東京ドームのなんと32個分ですよ。
そんなに広いんですか!これは一番好きだったんですけど。
何でしょう?おっキリンがいます。
かわいいでしょ!宮殿の庭になんと動物園もありますね。
アジアやアフリカ南米から珍しい動物を集めて1752年にオープンしました。
世界一古い動物園ですよ。
そしてこちらは宮殿の大広間ですね。
壁には48枚の鏡も貼ってあります。
夜は何重に映ってとってもきれいだったと思いますよ。
ロマンチックだったでしょうね。
タイムマシンに乗って行きましょうか?行きたいです!天井画の中心にはこの宮殿を完成させた人物が描かれています。
マリー・アントワネットのお母さんです。
ハプスブルクの女帝として僅か23歳で即位。
夫フランツ・シュテファンとの間に16人もの子どもを生みます。
そのうちアントワネットをはじめ6人が他国との同盟のために結婚しました。
子どもこそが国の未来を担う宝だったのです。
ここはマリア・テレジアの書斎。
壁を飾る東洋風の絵の多くは子どもたちの筆によるものです。
子どもたちは美術や音楽の素養が磨かれ他国に行っても恥じないよういくつもの言葉を話せるよう教育されました。
マリア・テレジアは自分の子どもだけを大事にした訳ではありません。
ウィーンにあるこの小学校は女帝が一般市民の教育のために造りました。
授業では必ずマリア・テレジアの事を学びます。
マリア・テレジアはどんな制度を導入したのでしょうか?どうぞ。
義務教育。
(教師)そう。
前はお金持ちの子だけでしたがマリア・テレジアは6歳から12歳の全ての子が学校に行けるようにしました。
すごいでしょ!マリア・テレジアは身分や性別にかかわらず誰でもみんなが教育を受けられるようにしたんです。
しかもたくさんの民族が自分たちの言葉で学べるようにとそれぞれの言葉で教科書を作らせたんですよ。
10種類以上ですよ!偉大な人だったんですね。
結婚をきっかけに領土を広げたハプスブルク帝国。
その繁栄を支えたのは教養のパワーでもあったんですね。
ハプスブルク家はこういう秘密があったんですけれどもどうですか?金子君。
何かもう現代的な子育てをあの時代にさせてたっていうのがすごいですよね。
絵を…東洋のを描かせてたりとか…。
しかもその国の教科書を見せていた。
言葉で。
あの図書館がすごかった。
本を見るより建物を見てる方が…。
私一度美輪さんのお宅に伺った事があるんですがあの宮殿そっくりでした。
あんな感じでした。
本があってシャンデリアがあって異空間に入った感じがあって…。
うちの事はいいんです。
美輪さんいかがですか?こういうふうにやって国を治めていくっていう…。
だから相手が結局心の中から屈服する訳。
尊敬するから。
だからそういう方法をとったっていう事はものすごく頭がいいでしょ。
だから武力の戦争をするやつはみんな頭悪いし「自分は尊敬されている」っていうふうに独り相撲で思っているだけなの。
教育とか文化が一つの武器になったと。
そうですね。
今は義務教育っていいますけれども教育ってホントに権利ですよ。
いろんな国で現在でも教育を受けられない特に女性がいますよね。
その時から誰でも教育を受けられるようにしたのでマリア・テレジアは偉大なスーパーウーマンです。
さあオスマンチームの皆さんご覧になっていかがですか?フセインさん。
私は見てさっきオスマン軍が攻めたっていう事があったんだけどオスマン軍はウィーンを見て「こんな美しい都市をこれ以上やると壊れちゃうんで帰りましょうか」っていうふうに思ったんじゃないかと…。
なるほど。
あまりにもきれいだから?もったいないよと。
いいように解釈するね!
(歌声)ウィーンは音楽の都。
王宮礼拝堂では毎週日曜日天使の歌声が響きます。
ウィーン少年合唱団です。
このミサ曲の作者シューベルトも幼い頃合唱団の一員として王宮で歌っていたのです。
少年合唱団の起源は500年前に遡ります。
時の皇帝マクシミリアン1世が地方の聖歌隊にほれ込みウィーンに連れてきたのです。
ハプスブルク帝国はキリスト教の信仰を深めたり式典を盛り上げる演出として音楽を大事にしてきました。
多くの民族が集う国をまとめるためには誰の心にも響く音楽の力が必要だったのです。
一族は敵国との結婚や国同士の駆け引きなど常にストレスにさらされ続けていました。
彼らの心を癒やしたのも音楽。
こちらはシェーンブルン宮殿でバレエを踊るマリー・アントワネットと弟。
宮廷の人々は自ら踊ったり作曲するなど日常的に音楽を楽しんでいました。
ウィーンでは音楽が一大産業として栄え折々の優秀な音楽家たちが集まってきたのです。
1762年マリア・テレジアが一人の天才音楽家をシェーンブルン宮殿に招きます。
女帝一家を前に見事な演奏を披露したのはまだ6歳だった…当時既にオリジナルの曲を作るほどの才能を持っていました。
そしてこの音楽聴いた事ありますよね?モーツァルトが27歳の頃にウィーンで作曲した「トルコ行進曲」です。
この曲のモチーフとなったのが…。
オスマン帝国が戦いで演奏していた音楽でした。
ヨーロッパにはない力強いリズム。
モーツァルトはウィーン包囲から100年という節目に「トルコ行進曲」を作ったのです。
後にベートーベンも「トルコ行進曲」を手がけます。
オスマン帝国の脅威がなくなった18世紀。
宮廷ではエキゾチックなトルコ趣味が流行していました。
マリア・テレジアもオスマン風の衣装に身を包みました。
異国の文化から受けた新鮮な感動。
ウィーンの人々はそれを新たな表現へと高めていったのです。
ビックリしました。
「トルコ行進曲」がまさかここでつながるとは。
どうですか?後ろの皆さんがちょっと誇らしい顔をしています。
これ知ってましたか?こういうのになったのは…。
(ディキメン)そうですね。
確かにオーストリアに行った時にごはん食べてたら流しのバイオリニストの人が来て「トルコ行進曲」弾いてました。
え〜!でワイン頂いて…。
ちゃんとコイン渡した?はいなけなしの金で…。
でもトルコは脅威だった訳ですよねオスマンは。
その文化を取り入れたというのはどうしてなんでしょうね?怖いものを自分のものにするという事もあります。
もっと一般的に文化はそんなものだと思います。
いろんなものを受け取って自分のものにしてまたほかの人がそれを受け取ってとかやります。
自分の文化を守る…「これ私の」じゃなくて「どうぞどうぞお互いに頂きましょう」で更にすばらしいものになるといいですね。
ナンチャンは一生懸命こちらとこちらとけんかさせようとしてるけどうまくいかなくてね。
そうお互いね心が広いんですよ。
なんとかして対決させようとしてるのに。
残念ね。
ホントですね。
ギーブさんは小さい頃から音楽が身近に…。
たまたま僅か200mモーツァルトの生まれた家と私の生まれた家ザルツブルクの真ん中なんですけれども…。
近くでいろいろ室内楽やっています。
夏だと窓を開けますクーラーがないので。
そうすると音楽がタダで流れてきますので…。
風と一緒に音楽が流れてくるんですね。
ピアさんもワルツを?
(ピア)家族の習慣で結婚する時に絶対ワルツはファーストダンスで結婚式で踊りますね。
私も絶対に旦那さんと踊る予定です。
ピアさんと結婚したい人はワルツを踊れないと駄目だって事ですね。
絶対勉強させます。
強要。
「させます」!何か羨ましいと思ったのはウィーンには恋愛をするお膳立てが全部できてるのね。
いろんな所にロマンがいっぱいあるからだから恋愛が成立するじゃない。
ウィーンに行った方がいいんじゃないの?だからチャンスがなかったんですね。
是非一度…いや2度3度ウィーンにいらして下さい。
スザンネさんどうもありがとうございました。
(拍手)対照的でいいですね。
ホント対照的ですね。
似てるところもあるんですよ。
そうなんですよね。
さあここまでどちらが優勢だと思いますか?私はものすごく揺れ動いてるの。
今の時点では私はトルコ。
(拍手)アジアだったりとかヨーロッパだったりとかのいろんなもののよさを知ってるのはトルコだと思うんですよ。
なるほど。
私はハプスブルクですね。
モーツァルトがやっぱり「トルコ行進曲」を作ってそれを世界に広めていますよね。
だから私がもしトルコ人だったらすごい大好きになっちゃうなって。
自分のところを広めてくれてありがとう。
そう思ったので。
後半は…大帝国繁栄の面影を残す世界遺産の町ウィーンとイスタンブール!国を率いたリーダーたちがこよなく愛した絶品グルメも今に伝わっています。
オスマンとハプスブルク!世界遺産ならではの味覚の旅にご案内します!さあ今度はハプスブルク先攻でまいりたいと思います。
プレゼンターは選手交代致しましてアンギャルさんです。
よろしくお願いします。
(拍手)すごいイケメンですよ。
見て下さい鼻どんだけ高いんだってぐらい。
おいしいものすごい食べてそう。
食べてそうだわ知ってそう。
オーストリアには音楽と同じぐらい世界に誇れる文化があります。
こちらです!現れました。
おいしそうなもの。
(アンギャル)スイーツの文化です。
女子力上がるわこれ!大好き大好き。
スイーツ男子もうれしいですよ。
スイーツ男子もうれしいね。
アンギャルさんはオーストリアで250年続くワイングラスブランドの社長です。
スイーツのように甘〜いマスクで…世界遺産の町ウィーンを歩くとお菓子屋さんがもういっぱいありますよ。
ショーケースを見て下さい。
ほら色とりどりのスイーツがあります。
まるで宝石箱みたいでしょ!王宮の目の前にあるこのお店は1786年に創業されました。
皇帝や貴族のために毎日お菓子を持ってきた宮廷御用達の老舗です。
今では人気の観光スポットになっていますよ。
(篠原)かわいい〜。
(美輪)細かい仕事。
日本ではスイーツ男子がはやってますがウィーンには昔からたくさんいましたよ。
でもこのカフェーにいるスイーツ男子はちょっとご年配かな。
私はこの太った体を維持するために食べているんだよ。
おいしいから是非食べにおいで。
オススメされたケーキにはどれも歴史があります。
女帝マリア・テレジアがこよなく愛した…非常に薄い生地でリンゴの甘みと香りを包み込んで焼く手間のかかる逸品です。
ハプスブルクはポルトガルやスペインと姻戚関係を結んだ事で新大陸から大量の砂糖を手に入れる事になりました。
砂糖は白い黄金といわれるほどの貴重品。
ふんだんに使う事は財力の証しでした。
マリア・テレジアは宮廷菓子専門の部署を設立し毎日100皿ものスイーツを作らせたといいます。
ハプスブルクのお菓子を世界に知らしめたのはウィーン会議でした。
ナポレオン戦争の戦後処理のためにシェーンブルン宮殿に各国の首脳が集まり話し合いは9か月に及びます。
退屈を癒やしたのがたくさんのスイーツ。
この時振る舞われたお菓子です。
特に人気だったのが…中にあんずジャムを詰めて揚げる今でいう菓子パン。
会議開催中になんと1,000万個も食べられたそうですよ。
ところで皆さんウィーンに来たらこんなものを目にするかもしれません。
この円い物は何だと思いますか?実はこれはコインを入れると量る事ができる体重計なんですよ。
ああ見ないで見ないで見ないで見ないでもうケーキを食べ過ぎたのよ!見ないで!そうお菓子を食べるとやっぱり気になるのが体重ですよね。
でもハプスブルク家にはお菓子が大好きなのにスマートな体型を維持した人物がいました。
19世紀の皇妃エリザベート。
「妖精のごとき可憐な皇妃」として一世を風靡しました。
彼女が夢中だったお菓子が…全体を包むチョコレートのコーティング。
鏡のように仕上げるには高い技術が必要です。
生地もチョコレート。
こちらは砂糖を抑えて原料のカカオ本来の苦みを楽しみます。
エリザベートがケーキを買った時の領収書が残っています。
いろんな店で買っていたんですね。
ザッハー・トルテを今のお金にして10万円分も買い込んだ事があったようです。
王宮での窮屈な日々…。
お菓子がせめてもの救いだったのかもしれません。
エリザベートは16歳で皇帝のお妃となりますが待ち受けていたのはしきたりに厳しいしゅうとめ。
すぐに子どもが生まれたものの「未熟なあなたには育てられない」と取り上げられてしまったのです。
息苦しい生活の中彼女は美容に生きがいを見いだします。
美しい皇妃として国民の誇りになろうとしたのです。
これはエリザベートが使っていたウエストベルト。
生涯50cmのウエストをキープし続けたといいます。
それを支えたのが過激なダイエットでした。
こちらは一日のメニュー。
かなり小食ですね。
お昼はこの道具を使います。
何だと思いますか?実はこれで6kgもの子牛の生肉をギュ〜ッと搾り出てくる肉汁だけを飲んだのです。
午後は王宮に作らせた体操部屋で7時間もエクササイズに励みました。
唯一自分に許したスイーツの味は格別だったでしょうね。
オーストリアでは家庭でのお菓子作りも盛んです。
アンドレアスさんは休みになると家族のために腕を振るいます。
作っているのはカイザーシュマーレン。
ふわふわの特製生地にレーズンをたっぷり。
もともとは皇帝が大好きで宮廷でよく食べられていたお菓子です。
このお菓子は難しいけどおいしく作る事ができればいいお父さんと言われるんですよ。
オーストリアではスイーツを朝や昼の食事にする事も多いんですよ。
パパ今までで一番おいしかったわ。
(拍手)ロイヤルファミリーゆかりのお菓子で甘〜いひととき。
皆さんも是非味わって下さいね。
いや私のお父さんすし職人だったのであんなスイーツを作るお父さんなんて憧れですよね。
いいじゃんすしはすしで。
いやそうですけどやっぱり甘い物をみんなで家族で食べるって平和の証しみたいな感じじゃないですか。
でもさっきからおいしいおいしいって言ってどの程度のおいしさなのかしらね。
いきますかそろそろ。
今日は強力なサポーターに来て頂きました。
ご紹介致します。
オーストリア料理のシェフ神田真吾さんです。
どうぞ。
(拍手)よろしくお願いします。
お二人は知り合いなんですか?はい。
ジョークが聞けました。
生涯でたった一度しか受けられないという厳しい試験をパスしてハプスブルクの宮廷料理人の技をマスターしています。
ヨーロッパ人以外では初めてという快挙!オーストリアの食文化のすばらしさを伝えるために活躍されています。
マイスターの神田さんにハプスブルク家ゆかりの特製スイーツを作って頂きました。
いいんですか〜?
(神田)まずこちらがチョコレートとケーキの王様ともいわれてるんですけれどザッハー・トルテといいまして。
さっきのやつだほかのは我慢してもこれだけは食べるっていってた。
ザッハー・トルテだけのために使われるスポンジケーキ。
それに香り高いあんずのジャムを加えてコーティングしてそれで更に特殊な技法を使ったチョコレートのコーティングを最後かけて仕上げるという形です。
さあ続いてこちらのお菓子は美しいですけど何でしょう?
(神田)やはりエリザベート皇妃が好まれたドボス・トルテと申しまして。
ふんだんに上質なチョコレートとバタークリームを合わせて香ばしくしっとり焼き上げたスポンジと一緒に層に重ねまして砂糖をふんだんにキャラメルを着飾ったトルテです。
きれいですねこれ。
エリザベートは宮廷にいるのが嫌でよく旅をしていたそうなんですね。
領地の一部だったハンガリーに滞在中に気に入ったスイーツだといわれています。
そしてこちらが。
こちらがアプフェルシュトゥルーデルと申しまして新聞敷いて文字が透けて読めるぐらいまで薄く伸ばすような生地でそれをリンゴの甘みとあとシナモンの香りを一緒に包み込んで焼き上げた。
繊細な料理ですね。
(神田)そうですね。
リンゴとシナモンとレーズンのハーモニーが楽しめるようなケーキです。
という事で美輪さんにザッハー・トルテ篠原さんにドボス・トルテ金子さんにアプフェルシュトゥルーデルお召し上がり頂きます。
きれい!もう断面がすごいきれい。
ちょっと食べるのがもったいないぐらいですもんね。
(金子)スイーツ自体がアートですよね。
さあ美輪さんいかがですか?すばらしいバランス。
舌触りとか歯応えとか食感とねそれから甘さとその全体のバランスが絶妙。
神田さん大丈夫でした。
ありがとうございます。
相当ほっとされました。
ほっとしました。
これリンゴのポテンシャル才能を全て引き出してますね。
またこのパイがそれを邪魔しない程よい食感でこれ食べ飽きないですよ。
甘すぎなくて軽くいけちゃうっていうか。
ロイヤルなんだけど素朴なんですよね。
あれホールでちょっとお持ち帰り…。
どうぞ買って下さい。
ああ〜高級!スイーツ食べる時には必ずハプスブルクの事を思い出して下さい。
そしてエリザベート完食しようと真剣に。
もちろんよ。
おいしいですもんね。
エリザベートがどんな気持ちで食べていたと思われますか?複雑だったと思いますね。
私の芝居の中でも出てくるんだけど次から次へと皇妃を失脚させようと陰謀を。
策略がいっぱいあるんですね。
それとやっぱりたった一人で闘う訳だから。
だから時にはね涙を流しながら食べてる時もあったでしょうし。
今度のお芝居でこのシーン入るかも分かんないですね。
神田さん実はこのアプフェルシュトゥルーデルはトルコ由来のお菓子?そうですね。
トルコでも食べられていたバクラヴァというお菓子ですかそれが基になってオーストリアではアプフェルシュトゥルーデルになったといわれてます。
また絡んできましたね。
皆さんバクラヴァご存じ?そうですおっしゃったとおりです。
じゃあトルコ由来のお菓子ですからこれ食べたい人いますか?
(2人)はい!どうぞ食べて下さい!オーストリアに行ってまたトルコの人が食べるっていうね。
悔しいですけど結構おいしいですね。
よくオスマンから教えたものをここまで出来上がったんですね新しい形に。
(神田)そうですね。
他国からの食材や食文化そういったものが宮廷の職人たちが洗練して優雅なものにしていったという流れが今でも息づいてそれが残ってると思います我々の周りに。
という事で神田さんアンギャルさんどうもありがとうございました。
(拍手)さあ続いてはオスマンチームです。
食文化のプレゼンターはディキメンさんです。
おいしいデザート頂きました。
これで力もらいました。
おいしいもの作ります。
なるほど!ディキメンさんは東京にあるトルコ宮廷料理店のオーナーシェフ。
伝統の味に独自のセンスを加えて仕上げるディキメンさんの料理。
来日したトルコ人も数多く訪ねてきます。
来ましたイスタンブールです!私の実家です。
こちらは600年前のトプカプ宮殿。
まだそのまますごくきれいに残ってます。
きれいな海きれいな景色一番きれいな場所です。
トルコ食文化の魅力を伝えるために里帰りしたディキメンさん。
旧市街行きのフェリーに乗り込みやって来たのは…。
青空市。
トルコは…豊かな大地の恵みがあふれんばかりに並びます。
コンニチハ!値段は大体日本の3/3。
羨ましい!ここも全部羊です。
全て。
トルコの人にとって羊は最も大事なごちそう。
頭の先から足の先まで食べないところはありません。
宮廷でも一日に300頭の羊を料理していたという記録が残っています。
飛び切り新鮮な羊が持ち込まれました。
肉の切り方を細かく指示しているのはカザフスタン系の男性。
(ディキメン)今煙出てます。
切ったばっかり。
羊の食べ方はいろいろ。
ミンチにして焼くキョフテはスルタンも大好きだった食べ方。
ハンバーグのルーツともいわれています。
市場の一角。
こちらにあるのはミルクでしょうか?ヨーグルトはトルコ発祥といわれています。
古いトルコ語の「濃くする」という言葉からきています。
硬いヨーグルトは味も濃厚。
トルコの人は好みの硬さのものを買っていきます。
どんな料理にでも使うヨーグルト。
日本でいえばしょうゆのような存在かもしれません。
羊や乳製品をよく食べるのはトルコ人のルーツが遊牧民だから。
遡ればアジアの突厥という騎馬民族までたどるといわれています。
彼らは世代を重ねながら西へと移動。
やがてトルコの大地にやって来ました。
そこで出会ったのが…大海原。
ここで遊牧の民は魚の文化に出会いました。
ここ見て下さい!注目は魚の名前。
もともとこの土地に住んでいたのはギリシャ人。
遊牧民は彼らから魚の名前を教わりました。
今でも魚の名前の90%がギリシャ語由来だといいます。
そしてイスタンブールにやって来たトルコ人が更に手に入れたものがあります。
ここはオスマン帝国時代から続く香辛料の市場。
シルクロードの終着点イスタンブールには世界中から香辛料が集まりました。
こんにちは!こんにちはお客様。
日本語上手ですね。
あのこちらにねトルコだけっていうのは世界中で有名なスマックというものサラダにかけちゃうものなんです。
日本のシソにすごい似てるやつしょっぱくするようにサラダを酸っぱくするようにこれを使っちゃうんです。
酸っぱくするようにこうやって。
何か昔はレモンなかったでしょこれしか使ってないです。
こちらは3代続くスパイス屋さん。
てんびんを使った昔ながらの売り方をしています。
スパイスは味だけではなく体の調子を整えるために使われたといいます。
遊牧民のルーツに根ざした羊と乳製品。
地中海で出会った魚。
そして豊かな大地の恵みと世界中の貴重な香辛料。
それらが全て集まったのが世界遺産トプカプ宮殿でした。
料理人が1,000人もいたといわれ料理はスルタンが食べるだけでなく大勢の部下や外国の要人をもてなすためにも重要なものでした。
それは一体どんな料理だったのか?数百年も伝えられてきた料理書にレシピが残されていました。
これがオスマン宮廷料理。
子羊の骨付き肉に小麦のパスタを添えた…骨の髄から出るうまみが格別です。
マントゥはトルコ風のギョーザにヨーグルトのソースをかけたもの。
野菜の葉で米やひき肉を包んだ…ロールキャベツの基になりました。
オスマン宮廷料理の特徴は食材本来の味を大切にする事です。
華やかに飾るのではなく自然そのものを愛するオスマンの精神が表れているのです。
ディキメンさん幻の宮廷料理に挑戦するためにレストランの厨房を訪ねました。
2人が再現するのはメフメット2世が愛したと伝えられるムタンジャナという料理。
トプカプ宮殿に仕えた医師が残した料理書の中にありました。
材料は子羊肉ドライプルーンに玉ねぎなど。
しかし詳しい作り方までは残されていません。
ディキメンさんは長年の研究と経験からその作り方を推理しました。
ムタンジャナはアラビア語で鍋料理という意味。
鍋に入れる前の下ごしらえを進めます。
こちらのドライプルーンは炒めた具材と交互に詰めたと想像しました。
この土の鍋基本で味ちょっと違う変わります。
おいしさの秘けつはトルコ伝統の土鍋。
昔は灰の上で温めたといわれるため温度を上げ過ぎないようじっくり加熱しました。
軟らかく仕上がった羊の肉とドライプルーン。
果たしてどんな味がするんでしょう?レストランのお客さんにも急きょ試食して頂きました。
ワオ!とてもスペシャル料理出来ました。
日本の皆さんにごちそうします。
さああのメフメット2世が大好きだったという伝説の宮廷料理ムタンジャナ。
ディキメンさんに作って頂きました!復活させました。
さあでは皆さん500年前のスルタンのメニュー味わって頂きましょう!う〜ん!うわ〜おいしい!ものすごく複雑なうまみですね!甘み酸味…。
うまみもあって。
羊がフワフワで…軟らかい!何かレトロな懐かしい味よね。
人間の人情のあった頃のそういう頃の味って感じがする。
ラムってもっと弾力があるような感じがするんだけどもこれ何かしっとりとしてないですか?
(金子)軟らかいですよね。
これ何かプルーンとかと一緒にやってるから軟らかくなって…?
(ディキメン)そう。
軟らかくというより肉の臭み取れる方法です。
プラム…やっぱり果物が。
はい。
トマトない時代です。
だから果物の甘さで肉をもっとおいしく食べれる方法です。
このプルーンも一緒に食べたらまた。
(篠原)プルーンがおいしい!フレンチの赤ワイン煮を食べてるような感覚にもなるんですよ!アジア行ったりヨーロッパ行ったり…。
いろんな味がするよね。
複雑なこの味が。
さあこれだけじゃないんですよ。
えっ?ヨーグルトソース…。
この中にキュウリとミントとおろしキュウリとおろしニンニクとオリーブ入ってます。
今日この料理に合わせてソースとして使います。
キュウリとだってヨーグルト…。
(ディキメン)これで全然変わります味。
全然変わるよ。
え〜?何かタルタルソースみたいな感じなのかな?
(金子)そうですね見た目は。
う〜ん!
(美輪)全く違うものになったのね。
おいしい!うわ〜!おいしい!何か想像と違うでしょ?
(金子)えっ何で合うの?何かサラダみたいに急に優しくなりました。
不思議でしょ〜?全く違う味になっちゃうの。
爽やかで。
爽やかですね!これ夏の朝食べたいなって感じ。
ありがとうございます。
うれしいです。
何か自分の味覚の限界を勝手に決めてた感じがします。
そう?はい。
うわ〜これはおいしい!うわ〜。
食べたいですね。
(バッセカー)匂い結構来てるんで。
香りがね。
伝わってます?せっかくなので皆さんにも味わって頂きましょう!頂きます。
(ディキメン)召し上がって下さい。
実家に帰ったみたいだね。
でもまさにみんなで食べているというか。
いかがですか?すごく軟らかくて酸味と苦みとすごくバランス的にすばらしいです。
さすがトルコ料理ですね。
ホントにイタリアフランス中華日本と並んでホントに世界のベストですよね。
ホントに洗練されて非常においしい料理ですね。
これは食べた事ないですよね?初めて食べました!トルコ人の民族のアイデンティティーをそのまま表している料理でもありますね。
アジアの人もおいしいしヨーロッパの人もおいしいと感じる…。
いや〜スルタンの宮廷料理貴重な体験を致しました!ディキメンさんどうもありがとうございました!どうもありがとうございました。
(拍手)世界遺産の町イスタンブールとウィーンに大帝国繁栄の秘密を探る旅。
いかがでしたでしょうか?多くの国や民族を束ねた知恵はグローバル化を迎えた現代にも参考になるかもしれませんね。
皆さんはオスマンチームとハプスブルクチームどちらのプレゼンがよかったと思いますか?さあいよいよ審査結果の発表。
スタジオの判定はいかに!?さあ歴史ロマンを堪能しましたけども皆さん決めて頂けましたでしょうか?はい!決めました。
決めましたか?はい!美輪さん揺れてますけども大丈夫ですか?まだ揺れてます。
まだ揺れてる!?さあじゃあどうなるか…。
審査結果はですね後ろの画面で発表致します。
審査員のハートをつかんだのはオスマン帝国のプレゼンかハプスブルク帝国のプレゼンか。
結果…。
(2人)オープン!金子さんは…。
(金子)どっちだ?
(拍手と歓声)オスマンチームおめでとうございます!オスマンチームが…。
僅差は僅差でございますから。
早速お互いに握手しています。
感動する!平和ですね〜。
何が勝敗を分けたのか…。
やっぱりトルコは音楽や料理やまねしたくなる魅力があふれているんだっていうのを今日知れたのであと最後のおいしいお料理!料理だったね!完食しちゃいましたから!一番最後に食べたからじゃない?さあ美輪さんはこっちでした。
私は最後まで揺れてたんですけれどねオーストリアの方はいろんな宣伝が上手じゃないですか。
ウィーン少年合唱団もありますしね。
(美輪)いろんなイベントが世界中に宣伝するでしょ?そういうものは何かもうお持ちでしょうにトルコはそういう事を世界に宣伝しないから。
もったいないですよ。
もったいないんだそうです。
我々これから頑張ります。
(笑い声)頑張って下さい。
世界遺産をご覧になっていかがでしたでしょうか?2つの国とも多様化していったと思うんですよ。
いいところをほかの国からのものは受け継ぐというか何かそういうものを今の時代もどんどんどんどん反映していくとより明るく楽しい未来が待ってんじゃないかなと思います。
やっぱりロマンチシズムとか人情とかそれはそのまま大事にして頂きたいと思うの。
大事にして下さい皆さん。
大事にします。
我々日本人も大事にしましょう。
そうですね。
また世界遺産夢の対戦カードでお会いしましょう。
ありがとうございました。
(拍手)2014/03/24(月) 19:30〜20:43
NHK総合1・神戸
世界遺産ドリーム対決!▽大解剖!栄華を極めた二大帝国 オスマンVSハプスブルク[字]

世界史を彩った二大帝国オスマンとハプスブルク。それぞれの都だったイスタンブールとウィーンを舞台に歴史や文化、料理などを世界遺産からひも解き、魅力をプレゼン合戦!

詳細情報
番組内容
600年以上も続いた2つの帝国オスマンとハプスブルク。栄華の秘密を、世界遺産イスタンブール歴史地区やウィーン歴史地区などを舞台に大解剖! オスマンがイスタンブールを陥落させた奇策「艦隊の山越え」とは? 実力主義の登用システムはなぜ出来た? ハプスブルクの領土拡大を支えた婚姻政策とは? ウィーンが音楽の都になった理由は? 両帝国の意外な交流や、宮廷料理、スイーツ情報も満載。あなたの心をとらえるのは?
出演者
【司会】南原清隆,首藤奈知子,【出演】美輪明宏,篠原ともえ,金子貴俊,ジェム・アルデミル,メフメット・ディキメン,スザンネ・シェアマン,ウォルフガング・アンギャル,【語り】バッキー木場

ジャンル :
バラエティ – 旅バラエティ
情報/ワイドショー – グルメ・料理
ドキュメンタリー/教養 – 歴史・紀行

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音声 : 2/0モード(ステレオ)
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