仙台である舞台が上演された。
この度は息子とチョン・ヨンヒの祝言のために遠路はるばる…。
幸せな結婚式。
しかしそのさなか大地震が起きる。
(地震の音)
(津波の音)襲いかかる津波。
物語はそこで終わらない。
記憶をなぞって生きるのは愚かだ。
けれど記憶のない生活は切ない。
命を落とした人たちの無念生き残った者たちの心のイタミ。
いまだ消えない震災の傷痕とそこから立ち上がろうとする人々の姿が描かれる。
あの音とかセリフを聞くと込み上げてくるものがあります。
(長谷川)行きますよ暗くして下さい。
よ〜いはい!震災を正面から描いたこの舞台参加したのは福島や宮城など被災地出身の役者たち。
震災のイタミを抱えながら芝居と向き合った。
黙祷!震災から3年目の鎮魂劇。
その稽古から公演までの日々を見つめた。
演劇「祝/言」に参加した役者の相澤一成さん宮城県閖上の出身だ。
21歳で上京。
雑誌やショーのモデルを経て役者に転身その後ずっと東京で活動を続けてきた。
結婚を機に里帰りする事も増えたが地震が起きた時は東京で芝居の稽古中だった。
友達が携帯のワンセグでニュースかな何か見てて「相澤さん確か仙台の方ですよね。
何か大変な事になってますよ」って見せてくれたのがちょうど仙台空港に津波が押し寄せてくる映像でやべえなって。
閖上にいる両親は無事だった。
しかし駆けつけた相澤さんが目にしたのは…変わり果てたふるさとの姿。
自宅は流され親戚や友人が命を落としていた。
(相澤)正直言うと僕も初めは見ておこうという気持ちで行ったんですけどだけど愕然としましたね。
自分の親戚とか亡くなってるのでセレモニーホールとか行くんですよ。
そうすると1階に100ぐらいの遺体があって2階にも50ぐらいの遺体があって何でこんなにたくさんの人が死んでんだろうって。
ショックというか申し訳ないな興味本位で見に来てしまってという。
舞台の稽古が始まる前相澤さんは改めてふるさとを訪れた。
震災前はおよそ5,000人が暮らし漁港の朝市が町の名物だった。
戻った時に最初に来たのがここだったんですよ。
町の中心にある日和山子どもの頃よく遊んだ場所だ。
僕が来た時にはまだ瓦礫というか土台がむき出しになっている状態で戦争の跡みたいでどのくらいの爆弾を落としたらこんなふうになるんだろうってそんな感じがしましたね。
震災の日9mを超える津波がこの町をのみ込んだ。
700人ほどが命を落とした。
3年近くたつ今も町の復興はほとんど進んでいない。
ここがうちのあったところです。
僕には見えるんですよね建物が立っているのが。
ただいまです。
どうぞ!相澤さんの両親は震災後親戚の家やアパートを転々とし別の町に移り住んだ。
ふるさとが無いっていうのが一番やっぱり…。
まるっきり自分のふるさとが無いわけですよ。
閖上に帰れって言われてもね。
まあね好き好んで便利じゃない所に戻るわけ…ね。
お前もそうでしょ。
早く何とかしてほしいなと思うけどただ時間が…。
閖上の人たちに見てほしいなと思ってますよね。
これから前に歩きだすきっかけというか少しでも気持ちが軽くなればいいなとは思っています。
青森市で演劇「祝/言」の稽古が始まった。
集まったのは東北の役者たちだ。
作・演出は青森県在住の…劇団弘前劇場を率いて国内外で活動を続けてきた。
今回は結婚式のさなか津波が起きるという物語。
震災を正面から描いた。
僕たちができる事は忘れない事だから。
常にあなたの隣にいますよ隣にいてあなたの事にまで僕は想像力を使っていますよというメッセージを出しておかないとすぐに忘れちゃいますから人は。
そういう事もあったんだなって。
忘れるのも一つの才能ですよそれは。
ずっと覚えていれば大変な事になっちゃうんで。
それでもあれは忘れちゃいけないですね。
(韓国語)実は「祝/言」は日・中・韓の国際共同制作となっている。
中国韓国の役者ミュージシャンが参加。
舞台では日本語中国語韓国語のセリフが交わされる。
舞台を通して3か国が震災のイタミを共有する事が目的の一つ。
相澤さんが演じるのは韓国人の女性と結婚する男性の役自分と同じ閖上出身という設定だ。
はいじゃあ行きますよ。
暗くして下さい。
え〜っとねカズお前ただ立っているだけだ。
ぼさっと立っているだけだ。
駄目だよそれは。
俳優だからこそできる事があるわけだよ。
いい?セリフでもってどう表現するかというのあるわけだからね。
それを考えろよ。
それをちゃんと分かってやらなきゃいけない。
花婿は結婚式という人生の晴れ舞台のさなか津波に遭う。
そして多くの参加者たちと共に命を落とす。
舞台では津波があの時の音を使って再現される。
この日完成したその音を相澤さんは初めて聞いた。
じゃあいいですか。
テラちゃん音を下さい。
(津波が迫り来る時の音)うみねこの声サイレン迫り来る波の音…。
(長谷川)カットアウトじゃあ30分休憩して下さい。
津波を経験していない相澤さんにとって想像を超える生々しさだった。
あれはきついな…うん。
いろんな人から聞いた話とかが頭の中で立体的に映像になってしまうのでどうしても平常心ではいられなくなります。
どんどんどんどん自分の閖上の町とそこに押し寄せる波と壊れる…逃げる人とサイレンの音とどんどん見えてくるんですよどうしてもね。
被災した人たちの気持ちを本当に理解する事ができるのか。
(相澤)あの津波を体験した人はねどっか何かきっと思うと思うんですよ見たら。
その辺がやっぱり心配ですね。
不安ですよね。
舞台で描かれるのは津波で命を落とした人たちの事だけではない。
長谷川さんは生き延びた人の苦悩にも目を向ける。
例えば長谷川さんが聞いた話をもとにして書いたこの場面。
震災から1週間ぐらいたってみんな寝静まった夜お寺の住職さんに中年の男の人が相談してるのが耳に入ったんです。
一番これを書こうと思ったのはあのエピソードがあったからだしそれを聞いたから。
恐らくそういうものはみんな持っていると思うんですよ。
つまり何で俺だけ残ったんだろうとかね。
人を犠牲にしてまでも俺は残ったとかあれはとても大きい問題だと思うし。
でも答えは生きててもいいんですよって事ですから。
(取材者)それも実話なんですか?実話ですね。
(取材者)生きててもいいんですよというのも?それも実話ですね。
生きてていいんだよって。
福島の劇団で活動する…演じる役は津波から助かった青年。
震災後久しぶりに津波に襲われた式場を訪れるシーン。
(長谷川)はい行きますよ。
よ〜いはい。
地震が来てそれから津波が来ました。
ええ。
俺と先生だけが助かりました。
あのあとすぐに現場に行きました。
何かしなきゃなんねえって思いましたから。
先生もそうだったでしょ…。
はい。
青年は震災直後から被災地に通いボランティア活動を続けていた。
自分が津波に遭ったっていう目にあいながらもすぐ現場に行ったりそういうボランティアができたのかっていう。
自分と全く違うからそこも理解していかなきゃいけないし。
佐藤さんが暮らす内陸の町だ。
梁川は震度6弱津波などの被害はなくライフラインも数日で復旧した。
しかし60km離れた福島第一原発の事故が町を変えた。
そうこれですね。
町のあちこちに立つ放射線量を示す掲示板。
被ばくしていないかどうか検査を促す市役所からの通知。
時がたつにつれ事態の深刻さを実感するようになったという。
「今後の日常生活においては国で定めた基準値を超える食べ物を食べ続けない事」とかいろいろ書いてあるんですけどね。
もうなんか不安なりをあげたら切りがないっていうか…。
どうなってくんだろうみたいな。
日々付きまとう放射能への不安その中で震災の芝居に臨む。
稽古が続く中佐藤さんにとって思いがけない事が起こった。
歌のあと?
(関係者)歌のあと。
ドラちゃんと李丹のシーンを追加しています。
ラストに新たなシーンが加えられた。
そこには津波を生き延びた青年を演じる佐藤さんのこんなセリフがあった。
びっくりな…最後というか。
ラストシーンわざわざそれを入れたのは結局まだまだ日本には問題がありますよというのを出したかったし。
佐藤さんと共に演じる中国の役者李丹さんもセリフの意味を推し量ろうとしていた。
「子どもを作りました福島で」。
へぇ〜。
いいですよね希望が見えますね。
どうですか?私たちよりは全然感じ方まだ違うから。
うん。
(李丹)大変ですね。
大変ですこれ。
福島で生きていく未来が託されたラストシーン。
佐藤さんには重い課題となる。
出身どこだっけ?栗原。
生まれ故郷があそこ?そうそう。
宮城県から参加しているなかじょうのぶさん。
地元で劇団を主宰演出家でもある。
舞台では花婿の父を演じている。
この度は息子とチョン・ヨンヒの祝言のために遠路はるばる誠にありがとうございます。
結婚式の席で感謝の言葉を述べたその直後地震が起きる。
(地震の音)なかじょうさんが暮らす宮城県栗原市は最大震度7を記録。
自分の劇団の公演を翌日に控え劇場で準備している時に地震が起きた。
本当にね劇団の2人の家が倒壊したりとか結構そういうのがあるんでまだ距離を置いて見れない部分というのはありますよね。
表現者として発信しなきゃいけないっていうものは強く持ってるんだけれども発信するために…迷いながら芝居に向き合うなかじょうさんこの舞台のテーマともいうべき重要なセリフを語る事になっていた。
本番が迫る中佐藤さんはラストのセリフについて悩み続けていた。
(佐藤)自分が言うとなるとどうしても放射能がらみで考えてしまうんですよね。
いくら希望につながるっていったって満面の笑顔で結婚しましたというのはどうも違うだろうなって思うし子どもの事思ったら放射能無え所さ行ったらいいんでないのかいつうのもあるし。
ちょっとラストここだけ明かり下さい。
ちょっと最後の芝居やってみて。
結婚しました。
おめでとう。
子ども作りました。
おめでとう。
(長谷川)「福島で結婚しました」が抜けてる。
「福島」が。
結婚しました。
おめでとう。
子ども作りました福島で。
佐藤さんは自分の悩みを先輩たちに打ち明けた。
セリフの中で作りましたって言うだろ子どもを。
「子どもを作りました」というのは何なのっていう事だよ。
それが生まれましたじゃなくて作りましたって事は俺はあそこに根を下ろしますそれで次の世代の面倒も俺は見る樹木になりますって事があって作りましたってなるわけ。
そうなんですよ。
もちろん「祝/言」の作品の中では希望としては終わりたいけど…。
でも自分は福島の役者として呼ばれているわけですからいろんな意見があるわけですよ。
子どもが一番心配だからってうちの劇団…。
うちの劇団からも東京に避難した方もいるわけだから。
「祝/言」公演初日。
亡くなった方に黙祷を捧げたいと思います。
黙祷!被災地を生きてきた役者たちが舞台に立つ。
お父さんお父さんモンヤさん。
はじめまして。
それからタンニとシャオホン。
こんにちは!オオサキです。
コウキの父です。
セリフで悩んでいた佐藤さんも観客の前に立つ時が来た。
結婚しました。
おめでとう。
子ども作りました福島で。
おめでとう。
来年は三つになります。
ねえ。
はい。
来年また来る?もちろん。
今度は嫁と子ども連れてきます。
青森3日間の公演はほぼ満員の観客を集めていた。
しかし佐藤さんはまだ戸惑っていた。
公演はこのあと韓国・中国を回り1か月後仙台に舞台を移す。
相澤さんは古い友人を舞台に誘っていた。
2人とも高校時代からの親しい仲。
これ渡しときますから。
(取材者)佐々木さんとか行った事があるような場所なんですか?ほぼ毎日ですね仕事で。
現在閖上の復旧作業に燃料を卸す仕事をしている…閖上でガソリンスタンドを営んでいた。
そこで仕事をしている時津波に遭った。
相澤さんは津波を目の当たりにした人たちがこの芝居をどのように見るかずっと気がかりだった。
仙台の町は東北楽天イーグルスの優勝パレードで盛り上がっていた。
ありがとう!
(歓声)久しぶりの明るいニュースが人々を元気づけた。
その日の午後「祝/言」の公演が行われた。
東北の役者たちが自分たちに何ができるか模索しながら作り上げてきた芝居。
(相澤)もうやるしかないっていう。
自分たちがみんなで作ってきたものを自信を持って見てらもう。
あとはどう思ってもらうかどういうふうに思うかはお客さんしだいなので僕たちは精いっぱい「祝/言」という作品を仙台でやるだけですね。
会場にはたくさんの被災した人たちも訪れた。
相澤さんの両親の姿もあった。
物語は震災から3年近くたった現在死者と生者が言葉を交わす場面から始まる。
そして震災前の回想シーンへと移っていく。
相澤さん演じる男性が妻となる女性に生い立ちを語る場面。
君の生まれた街には海あったのか?ない。
俺はずっと海を見て育った。
海の匂いまだ覚えてる?うん覚えてる。
…でもその街を俺は出た。
私も都会に出た。
海を背にして…。
オンニ!あ〜!2人は海辺のホテルで祝言を挙げる。
この度は息子とチョン・ヨンヒの祝言のために遠路はるばる誠にありがとうございます。
これからコウキがきちんとヨンヒさんに届くように切に切に願います。
本当にありがとうございました。
(拍手)
(地震の音)
(津波が迫り来る時の音)津波が祝言の場を襲う。
(津波が迫り来る時の音)やがて無念の死を遂げた人たちが生き延びた人たちに向けて語り始める。
私たちは心の潰れ折れる音を聞いた。
精神的な痛みは大きくなりこそすれ小さくなり消えることはないだろう。
誰かが隣にいてあなたを承認している。
仙台弘前金木そして閖上記憶をなぞって生きるのは愚かだ。
けれど記憶のない生活は切ない。
生き延びた者には義務が付随した。
すなわち考え続けるという状態である。
それは過去を想起する事でもなく未来を措定する事でもなかった。
死んだ者たちの代わりに未来を生き続ける。
そしてラストシーンへ。
おめでとう。
来年は三つになります。
ねえ。
はい。
来年また来る?もちろん。
今度は嫁と子ども連れてきます。
うん。
(拍手)すごくなんか涙流しながら見てたんですけどね。
やっぱり思い出すよね流されたうちの事閖上だから。
あの音とかセリフを聞くと込み上げてくるものがあります。
やっぱり経験者ですから込み上げてくるものがあります。
経験してない人に見てほしい地震とか。
(佐藤)感動したとか言ってくれる方もいろいろいたのでありがとうございましたっていう感謝の気持ちでいっぱいでこれからも福島の役者として頑張っていきたいというかこの「祝/言」の参加を経てようやく始まったんじゃないかなみたいなのが自分の中で思うところはあります。
地元での公演を終えた相澤さん。
(相澤)帰り皆さんの顔を見て不安だった部分もちょっとは拭えた感じです。
とりあえずホッとしてます。
相澤さんはスタッフや出演者たちを連れてある場所へと向かった。
ふるさと閖上。
(鈴の音)あの日の事を忘れない。
そして亡くなった人たちの分まで未来を生きる。
それが東北の演劇人たちが発した鎮魂のメッセージ。
被災地と関わりの深い俳優の皆さんがあの未曽有の震災そして原発事故の記憶をどう受け止めてどう表現するのか。
悩み模索しながら演じていましたね。
多分それが演劇の力になっているんだと思います。
被災地の観客の皆さんが劇で次第に元気づけられていくその姿がとても印象的でした。
さて東北にも間もなく春がやってまいります。
震災3年を迎えるのを前に東北の復興を支援し魅力を伝えようと新たなキャンペーンを立ち上げる事になりました。
題して…その一つとして東北の四季をおなじみのマスコットキャラクターこの2人が旅をしてまいります。
ワン。
(カメラのシャッター音)
どーもくんとチャロが訪れたのは福島県会津磐梯山の麓にあるスキー場
コウタロウ君は野球選手の夢のためにお父さんといつも練習しているんだって。
磐梯山カレーが好きなのはミワちゃん。
雪遊びが大好きなユイちゃんとマリンちゃんはいつも一緒なんだって。
みんないくよ
(シャッター音)
どーもくんとチャロが東北で出会ったのは花のような笑顔でした。
「花は咲く東北に咲く」
どーも。
ワンワン。
どーもくんとチャロがどんな旅をしどんな出会いがあるのか楽しみですね。
この他にもさまざまな番組で東北の魅力をお伝えしていきます。
BSプレミアムの「めざせ!グルメスター」では東北各地の復興商店街が自慢料理を競う「復興グルメF−1大会」をご紹介。
あの川越シェフも応援に駆けつけました。
放送は…同じくBSプレミアムの「新日本風土記」は山形県の霊場出羽三山。
祈りを胸に厳しい風土と向き合いながら暮らす山麓の人々を見つめます。
放送は28日金曜夜9時です。
キャンペーンではどのような番組が放送される事になるのかそしてどーもくんとチャロの旅がどのようなものになるのか番組のホームページでご覧頂けるようになってます。
是非一度見て頂ければと思います。
それではいつものようにこの時間の締めくくりです。
被災された方々の声に耳を傾けて頂きます。
岩手県陸前高田の皆さんの声です。
広田の田んぼは津波をかぶってほとんど駄目になってしまいました。
整備も少しずつ進んできております。
ここのおいしいお米を地元の皆さんに食べて元気になって頂き復興を前に進めて頂きたいと思います。
ここの仮設住宅ではこの仮設の中に陸前たかた八起プロジェクトを立ち上げまして住民のサポートをしてきました。
広田湾でカキ養殖をやっています。
今シーズンからようやく個人出荷ができるようになりました。
2014/02/09(日) 10:07〜10:55
NHK総合1・神戸
明日へ−支えあおう−「消えないイタミをいやす〜震災から3年目の鎮魂劇〜」[字]
去年11月、津波のまさにその瞬間を描いた舞台「祝/言」が上演された。演じるのは被災地の俳優たち。消えないイタミ、そして被災地の未来をどのように表現するのか?
詳細情報
番組内容
去年11月、仙台で、津波のまさにその瞬間を描いた舞台「祝/言」が上演された。俳優やスタッフには被災者や被災地出身者が加わり、東京・北京・ソウルでも公演が行われた。「震災で受けた痛みは大きくなりこそすれ、消えることはない。人々の“消えないイタミ”を癒やすのが演劇の役割なのではないか…」。舞台では、命を落とした人たちの無念とともに、未来への希望も語られる。舞台「祝/言」の準備から公演までに密着する。
出演者
【語り】中嶋朋子
ジャンル :
ドキュメンタリー/教養 – 社会・時事
ドキュメンタリー/教養 – ドキュメンタリー全般
情報/ワイドショー – その他
映像 : 1080i(1125i)、アスペクト比16:9 パンベクトルなし
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