4分9秒の奇跡 浅田真央11年密着【03〜14年まで11年間にわたる秘蔵映像】 2014.03.24

(歓声)
大歓声に包まれてほほを伝う涙
どん底から羽ばたいた黄金の翼は世界中を感動させました
浅田真央
応援はすべて彼女の力になりました
(浅田真央)たくさんの人に応援してもらえるということはホントにすごく自分はうれしいことですし。
また頑張ろうと思いますし。
プラスだけです。
フリースケーティング4分9秒間を支えていたのは感謝とプライド
みんなが期待してくれているから。
みんながそれを待ち望んでくれているからこそやらなきゃいけないという気持ちになりました。
笑顔が一番似合う彼女こそみんなの笑顔が好きでした
だから跳ぶ
だから美しく舞う
あきらめることを知らない努力の天才が起こした奇跡
2013年1月帰国する真央を出迎えた姉の浅田舞
(浅田舞)おかえり〜。
手にしていたのはビデオカメラ
お互いを撮影していこうと提案しました
これをお互いに持ってお互いのふだんメディアとかで見られない部分をお互いで撮影して記録していこうと。
目標の舞台まであと一年
スケート人生で最も大切な一年が始まると自覚していました
やっぱりソチに向けての準備の一年だと思っているのでケガなく悔いなく出来ればいいなというふうに思っています。
(舞)なるほど。
こういう感じで毎日よろしくお願いします。
毎日!?
(舞)まぁこんな感じでいつも運転しています。
写ってる?暗いけど。
(舞)うん写ってるよ。
(真央)見える?
(舞)はい見えますね「sochi」。
ソチオリンピックグッズが今のお気に入りだと笑う真央
一番落ち着くのは仲良しの姉舞と過ごす何気ない時間
もうちょっと後ろ行って?
(舞)これぐらい?すっぴんなのですみません。
うん。
(舞)どうですか?う〜んそうだな。
(舞)自分への挑戦。
わかりました。
舞がフルマラソンに挑戦
世界選手権直前だというのにいてもたってもいられませんでした
(舞)ありがとう。
沿道に駆けつけ自らの手でチョコレートを手渡しました

真央が5歳舞が7歳の時に始めたフィギュアスケート
二人は良きライバルでした

少し先を行くお姉さんに追い着きたい一心で練習に励んだ妹
どちらが上手にジャンプを跳べるか毎日の勝負
軸がまっすぐで…。
軸がまっすぐで。
安定したジャンプを跳びたい自分で。

(ディレクター)こけなかったりとか?はい。
軸まっすぐ。

ジャンケンだって負けたくない

小さな真央は大の負けず嫌い
なのになかなか舞には勝てず悔しい思いばかりしていました
二人を指導したのが山田満知子コーチ
真央について今も心に残るのはコツコツと頑張る姿
そして姉妹を支え続けた母匡子さんの熱意だったと話します
(山田満知子コーチ)わたしが天才と言うと「真央は天才じゃない努力家」と言うのね真央ちゃんが。
だけど天才だけではない。
ねっ。
努力家だけでもない。
両方よ。
もううちに来た時から「先生きょうだいでオリンピック出た子っています?」という感じで。
それが夢だったの彼女の。
そういうこうスターダムに子供をのし上げるのに努力。
そういうアイデア。
すごい持ったのがママかなという。
名古屋市大須のリンクまで送り迎えはもちろんいつも二人を厳しく見守っていた母匡子さん
練習態度にも目を光らせていました
「しゃべってないで何度もジャンプ跳びなさい」と言われていました。
時間がもったいないから。
お母さんが熱中していったという感じで。
舞と真央はそれにくっついていってた感じですね。
三人はいつも一緒でした
母に見守られて二人はどんどん上達しました
姉妹が得意にしていたのはアクセルジャンプ
これを3回転半トリプルで跳べる選手はほとんどいません
今は世界で浅田真央ただ一人
過去を見ても試合で確実に跳べたのはリンクの先輩伊藤みどりさんだけでした
(伊藤みどりさん)わたしの時代も世界で跳ぶのは一人。
今も真央ちゃんも世界で試合で。
ましてや大舞台で跳んでくるのは真央ちゃんだけですので共通点のものがやっぱりありますね。
天才の中にもこう努力をすることで花がこう見えて開いていくんだなというのを真央ちゃんにはすごく思いますね。
トリプルアクセルにはいつも全力で取り組みました
2005年12月
深夜0時から家族だけの貸切練習
跳びたいという思いがあふれていました
そんないちずな努力が真央を押し上げます
原動力はもちろんトリプルアクセル
14歳全日本ジュニア選手権で初めて完ぺきに成功して優勝
15歳グランプリファイナルを制し全日本選手権ではフリーで2回のトリプルアクセル
わき上がる歓声を楽しんでいました
みんなに何よりママに喜んでほしいと考えていました
感謝しています。
いつもずっと送り迎えとかしてもらったり夜遅くまでずっと一緒に付いてやっているのでそのことを感謝しています。
表彰台に上がってほしいと思っていると思うのでそういうことで返してあげたいです。
16歳アメリカに拠点を移しよりいっそうフィギュアスケートにのめり込みました
17歳演技はすごみを増しついに世界の頂点へ
スケート界の先輩たちもその成長に目を見はりました
(荒川静香さん)新しい階段を上りたくて上りたくてという。
そんなスケートに対しての喜びが大きかったのでそれが競技にもすごくいい形で表れていて。
シニアに上がって2年目3年目くらいからジャンプ以外の部分で必要なもの。
表現力とかそういったものにも力を入れるようになって。
数々のオリンピックチャンピオンを育てたタチアナ・タラソワコーチの指導を受け始めた18歳
(ロシア語)
(ロシア語)
すべては夢の舞台オリンピックでのパーフェクトな演技と金メダルのため

19歳バンクーバーではショートとフリー合わせて3回のトリプルアクセルに成功
しかし完ぺきに滑りきることは出来ませんでした
(歓声)
この時快挙の裏で真央は自らのジャンプを作り直す決意を固めていました

2010年佐藤信夫コーチの門をたたきます
求めたのはより質の高いジャンプ
基礎からやり直すことで悪い癖があれば修正しスケート技術そのものを見直しました

それは二十歳の挑戦でした

(佐藤信夫コーチ)一番基礎のところの部分でちょっとずつ毎日ちょっとずつ小出しにして変化を求めているというのが現状です。
これからいっぱい問題が多分出てくるだろうと思うんですけども。
道のりは困難を極めました
試合でジャンプを決めることが出来ず歯車がくるい始めたようにも見えました
一応今くるってはいないので。
練習でもすごくいい方向には向かっていると思うので。
パーフェクトな演技を目標にしているのでそれを早くファンの皆様に見せられるように頑張りたいと思います。
強がってはいましたがプライドはズタズタでした

それでも真央は決してあきらめません
減点されることの多かったルッツジャンプ
大の苦手でプログラムに組み込んでこなかったサルコウジャンプ
トリプルアクセルだけではなくすべてのジャンプを美しく跳ぶ
オリンピックを見据えた我慢の時でした
ほかのジャンプもそうなんですけどまぁ苦手なジャンプもありつつ得意なジャンプもあるんですけど。
すべて質良くすれば2年後3年後にもつながると思いますし。
今直しておけばもっと難しいジャンプも出来ると思うので。
今が一番の頑張りどころという感じです。
そんな時母匡子さんが病に倒れます
思うように跳べないジャンプ
誰よりも心配なママ
それでもたった一人リンクに立ち続けました
ママがリンクにいてというのが当たり前だったので。
やっぱりちょっと心のどこかで絶対寂しいなという思いはあったんですけど。
まぁ真央もそういうところしっかりしているのでちゃんと理解して自分で頑張っていました。
その期間に真央は車の免許取りにいってすべて何でも一人でやるようになったので逆にその期間があったから真央も成長出来たんじゃないかな。

成長した姿を一番に見てほしかったのに
目標を見失い立ち止まってしまいます

でも真央の心の強さを舞は信じていました
優しくて強かったママのように真央にも力強くこれからの道を歩んでほしいとみんなが温かく見守りました
お姉ちゃんの意見だともうやっぱりもう色んなことが重なりすぎていてもう辞めたいんだったら辞めてもいいと思うという言葉をかけました。
その言葉が正しかったかどうかわからないんですけど。
何かそういう言葉をかけても真央は辞めないだろうなというのがわかっていたので。
とりあえずママが亡くなった時にわたしすごい心配したんだけど強いなこの子はって。
ものすごく思ったやっぱり。
わたしなんかもうダメだ。
だから何も変わらないというか。
本当にお葬式があって次の日ぐらいから来ていて。
まぁそりゃ心の中ではいろいろあったでしょもちろん。
だけれどもこう練習のしかたは同じ。
ねぇすごい。
やっぱり真央はすごいよ。
そういう意味では強い。

こらえきれなくなってリンクを離れた時もありました

それでもフィギュアスケートが真央を立ち直らせます

練習を再開し強化合宿で仲間たちの頑張る姿に刺激を受け少しずつ少しずつ

(真央)色んな人の話を聞いたりとかあと合宿に出てもみんながもう来シーズンの曲を滑っていたりとかして自分のためにならないなと思って。

(真央)それでソチもやっぱり目標にしてきていたものだから。
そんな夢も失っちゃうなと思って。
なえたり嫌になったりしたんだけどでもそこから何か知らない間に本気モードに入っていったという感じ。
本当に顔に出さない。
淡々と。
まぁ親子でここまでやってこられたものをね最後までとにかく貫き通そうというすごいお母さんとの心のきずなを最後まで守り通したいというホントにかたくなな決心があったんだろうと思ってますけど。
リンクに来るのが楽しくなるように
そんな思いで作られたプログラムは笑顔を思い出させました
ジャンプの修正を始めて3年目を迎え2012年は連戦連勝
復活の手応え
すご〜い!
(舞)お疲れさま。
びっくりした。
全日本優勝おめでとうございます。
メリークリスマス。
乾杯!メリークリスマス。
(舞)あっおいしい。
飲みやすい?ううん。
アハハハッ…。
お酒はどうですか?お酒って感じ。
自分の理想はやっぱり…。
やっぱり完全復活というのが2013年の目標です。
完全復活?はい。
やっぱりトリプルアクセルと3回転3回転。
試合でそれを成功させることです。
真央ソチで引退の一報
その言葉の真実は最初に舞に伝えていました
ソチオリンピックまでの一年をラストシーズンのつもりで臨む
一番最初に舞に伝えたその決意は真央を強くしました
着いた。
ちょっと晴れてきた!イェーイ!
つかの間のシーズンオフに考えていたこと
ソチで引退するかどうかはわからない
ただ終わりを設定してそこに向かって完全燃焼したい
それだけでした
心は晴れ晴れとしていました
採れた!こんなの。
アハハハッ…。

(舞)あぁ〜。
おいしい。
5月真央は舞と一緒にアメリカニューヨークへ
タチアナ・タラソワさんと共にフリープログラムを作りました
カナダで真央を待っていたのは世界的振付師ローリー・ニコルさん
ショートプログラムの一つ一つのポーズがじっくりと作り上げられます
プログラムを作り終えて日本に帰るといよいよ戦いが始まります
最後と決めたシーズンを前にトリプルアクセルは完成の域に達しようとしていました
真央はアクセルの軌道を確かめます
エッジの跡が細くなったり太くなったりしないように
滑らかなカーブを描くその細い線の先で一瞬だけ力を込めた時最高のトリプルアクセルとなるのです
(真央)最初入る踏み込む時が一番重要だなと感じていてあんまり力を入れすぎてもダメで抜くんだけどそこの瞬間は力を入れるという。
試合に向けて自分の気持ちと体を一緒にしていければ問題はないかなというふうに思っています。
筋力トレーニングにも力を入れていました
体幹を鍛えることはもちろんですが日々の練習で全力を出せるようなコンディション調整の一環として欠かせないものとなっています
一日一日ホントカウントダウン始まっているのであと半年なんてもう毎日でも頑張れると思っています。
10月グランプリシリーズの初戦アメリカ大会に出場
最後と決めていたからなのかふと8年前のシニアデビュー戦2005年の中国大会を思い出しました
最初の中国大会の時もこうして取材を受けたので今回もいい調子でまた臨めて同じような形で終われたらいいなと思っています。
あの時母と出発ギリギリまで練習していました
余裕を持って旅立つ今の自分と若き日の自分とを思い比べていました

2005年11月
真央15歳
初めてシニアのグランプリシリーズ中国大会へ出発する日の早朝6時
大丈夫。
母匡子さんの運転する車に姉の舞と共に乗り込みました
車は空港ではなくスケートリンクへ
出発までわずかな時間を縫って貸切練習

黙々とトリプルアクセルを跳び続けました
年上の選手たちに初めて挑む娘のために母が作ってくれた貴重な練習時間でした
(浅田匡子さん)ねぇ?真央。
うん。
本番で果敢に挑んだトリプルアクセルは失敗しましたが見事銀メダルに輝きました
うん。
元気だよ!うんわかった。
バイバーイ!
あれから8年
もうギリギリまで日本で練習することもなく早めに現地入りし限られた練習時間でもきっちり調整出来る大人の選手になりました

あの日母が心配した幼い姿はもうありません
もう子供ではないのでやっぱりそういう調整とかもちょっとずつわかってきたんじゃないかなと思います。
体は本当にこっちの時間に合っていて別に何か動かないとかそういうわけではなかったです。
はい。
調整方法もジャンプも集大成に向けてすべてが成長の証しでした
自分のリズムとしてはこれはすごいいいスタートだと思うのでソチまでもうあと4か月ですけどもう本当にやるべきことをもうやっているので自分の目指しているものに近づけるんじゃないかなと思います。
続くNHK杯
大観衆が見つめる中ほぼ完ぺきな演技で優勝
3年前ジャンプの修正を始めたばかりで全く跳べなかったのもNHK杯でした
苦しんでいたあのころの自分にもし言葉をかけるなら
う〜ん。
まぁ失敗してもいいんだよと言うと思います。
もちろん悔しい気持ちもあったかもしれないですけど悔しい気持ちがあったからこそ成功出来たという部分もたくさんあると思うので。
乗り越えた者だけが持つ強い心を見た気がしました
そのあとグランプリファイナル連覇
福岡から戻りちょっとだけリラックス

続く全日本選手権でソチへの切符を手にするとみんなの期待に応えたいという思いが強くなりました
と同時に感謝の気持ちもわいてきます
なかでも大会後特別に祝ってくれた舞には直接お礼を伝えました
舞がいたから真央も多分スケートをすごい成長出来たと思っています。
やっぱりこうして時々会ってお話しするだけでやっぱりすごい力になってくれるからいつもありがとう。
(舞)アハハハッ…。
そして迎えた2014年
ソチオリンピックが開幕します

(ディレクター)おめでとうございます。
今日は来ちゃいました。
はい聞いています。

(ディレクター)よろしく…。
お願いします。
2014年の初滑りは一人静かに
表情は澄み切っていました
年越しは家にいてご飯食べてあぁ〜おなかいっぱいになったと思って寝てたんですよ。
寝ちゃったんですよ。
そうしたら12時過ぎてた。
アハハハッ…。
それでそこから起きて初詣で行きました。

(ディレクター)どちらまで?熱田神宮まで。
この時ジャンプは跳ばずに丁寧に丁寧に滑りながらあることを考えていました
1月8日フリープログラムを3ブロックに分けて滑り込みます
ラストの見せ場ストレートラインステップ
氷を削る激しい音は強い決意を表しているかのようでした

小さなころからこだわってきたトリプルアクセルはバンクーバーのフリーでは2回成功しました
ソチでも2回に挑戦すべきか
年明けから考えていたことに決断を下しました
トリプルアクセルは2回ではなく1回にし6種類すべての3回転ジャンプを8回成功させるエイトトリプルに挑戦する
それこそが集大成の演技だという家族の思いもありました
わたしの父も言っていたんですけどもう絶対1回の方がいいって。
今までやってきたことが全部出せなくなるってそんなことしたら。
今までバンクーバーからソチまで一からすべてのジャンプを跳べるようにというふうに練習してきたのにそんなことしたらまたバンクーバーと同じことになるというふうに言ってました。
以前はその役割がママだったんですけどその時はちょっと相談にのってもらったらそういうふうに言っていて。
そうですね。
はい。
ここが最後の夢舞台となるのか
ソチオリンピック開幕
2月5日
ソチへと旅立つ夜明け前
1時間滑りを確認しました
今年に入ってからしっかり追い込んで練習が出来たので自信持って行きたいと思います。

(ディレクター)いってらっしゃい。
(真央)はい。
いってきます!
4年に一度の祭典
熱を帯びたソチのスケートリンク
世界中の視線が真央を襲う中団体戦そしてショートプログラムで力を発揮出来ません
(真央)もう終わったなって思いました。
ちょっと恐怖心みたいなものを感じてしまっていたので。
それは自分もちょっと怖かったですね。
フリー当日朝の公式練習でも不安は変わらず
日本で映像を見た家族はそれを敏感に感じ取りました
当日の公式練習を迎えた時に表情が全く変わっていなかったのでこれは1回電話しないとちょっとダメかもと思って舞から電話をかけました。
もうすべてをやりきって何も悔いなくソチ入っているんでしょと言って。
じゃあもうやるしかないということとあとはもう4年間一から全部やり直して苦しいことも辞めたいこともあったけど乗り越えてきたんだからこの気持ちのままフリーに臨むのはもったいないというのとすごくあの泣きそうな感じだったのでこんな状態だったらママも怒ってるよというのとそんなような感じのことをちょっとやる気が入るように強めに言いました。
よく眠れなかったような雰囲気で朝もちょっとボーっとしていましたからまぁ少々きついめに頑張れということでここで自分の力を全部絞り出さないということはねそれは考えられないことでしょ?頑張れば残りの3分の2でどうにかなるんだから。
自分自身にすごく日本代表として来てるのにどういう練習をしているのかなと自分で思って。
その時に初めて自分に対して怒りみたいなものを感じて舞に電話したりまぁ父にメールしたり。
色んな方の色んな話があったりして試合まで自分で考えて備えていました。
本当に身近な人だけはあえて厳しく接しました
まるでかつて真央の背中を押した母のように
自分の今までの色んなことをわかってくれていますしだからまぁ大体のパターンっていつもわかっていてそこでいつも大体ショート終わってまぁ大体母の喝が入るんですね。
それの代わりをしてくれたって感じです。
感謝の気持ちを胸に
絶対にあきらめない
(声援)
応援の声が聞こえる
集中力を研ぎ澄ます

(真央)自分の中での戦いですね。
自分に負けないこと。
それだけでした。

(真央)本当にみんなが応援して下さっているからこそやっぱりこのフリーでは期待に応えたいという思いが強かったです。
たくさんの方の応援が後押しになったなというふうに思っています。

(歓声)
美しくも残酷でそして大きな感動を呼ぶフィギュアスケート
そのすべてを見せてくれました
集大成にふさわしい心を込めた4分9秒
自分の中では難しいですけどまぁ自分なんだなと思いますね。

(ディレクター)自分。
はい。
やっぱりフィギュアスケートってすべてはやっぱり…。
何だろう。
やっぱりあの場に立ったらそれがすべてなので。
一人一人それぞれ違う。
やっぱり自分は自分の滑り。
あのショートもフリーも自分なんだなと思いました。
本当に良い時もあれば悪い時もあったしスケート人生でもやっぱりこう良かったり悪かったりがあったと思うんですけどやっぱり最後の最後でやっぱりまたすごい失敗をしてしまって。
そこからすごい成功をして。
何だろうな。
これがやっぱり自分なんだなって最終的には思いましたし結果最終的に最高の滑りでたくさんの方に恩返しすることが出来てうれしく思っています。
帰国後初練習
3月末の埼玉での世界選手権に向けて疲れと時差で少しだけぼんやりした体を動かします
しっかり練習して世界選手権で良い形で締めくくれるように最高の演技を目指して笑顔で終われるようにしたいと思います。
浅田真央はこれからもリンクに立ち続けます
みんなの声援がその胸に届いているから
ホントにこの20年間…約20年間やってきたスケートというのはいくら嫌いになろうとしてもやっぱり離れないものですしやっぱり自分が今までスケートをしてきてスケートにすごい助けられた部分もたくさんありますし今でもやっぱりいくら嫌だなと思ってもスケートは大好きなのでやっぱり将来的にも何かスケートを通じて子供たちに夢を与えたりとかたくさんの方の何か手助けになればいいなというふうにも思っています。
2014/03/24(月) 02:15〜03:15
関西テレビ1
4分9秒の奇跡 浅田真央11年密着[字]【03〜14年まで11年間にわたる秘蔵映像】

ソチ五輪涙のフリー「4分9秒」に込められた浅田真央の想いとは?ロングインタビューにプライベートカメラ、さらに11年にわたる密着取材映像で奇跡の演技の真実に迫る。

詳細情報
番組内容
ソチ五輪で日本中を感動させた浅田真央。完璧な演技を目指して臨んだ2度目のオリンピックだったが、ショートプログラムで失敗。しかし、メダルが絶望的な状況で迎えたフリースケーティングでは、見事完璧な演技を見せて涙を流した。あのフリースケーティングの4分間にはどんな想いが込められていたのだろうか?真央は、ソチ五輪のフリースケーティングで、これまでのスケート人生で培ったことをすべて出し切りたいと考えていた。
番組内容2
番組では、そんな真央への帰国直後のロングインタビューや、姉・舞をはじめ真央を支えてきた人たちへの取材をとおし、真央の強さ、そして「感謝の気持ちをこめて滑りたい」という真央の“心のスケート”の真実に迫る。そして誰よりも濃密なスケート人生を、家族だけの練習シーンなど2003年から2014年まで11年間にわたる秘蔵密着取材映像で振り返る。
出演者
浅田真央 
浅田舞 
佐藤信夫 
山田満知子 
伊藤みどり 
荒川静香
【ナレーター】
香里奈
スタッフ
【プロデューサー】
若林輝彦 
山本貫太
【ディレクター】
千先一平
【取材・演出】
渡辺克樹(東海テレビプロダクション)

ジャンル :
スポーツ – マリン・ウィンタースポーツ
ドキュメンタリー/教養 – スポーツ

映像 : 1080i(1125i)、アスペクト比16:9 パンベクトルなし
音声 : 2/0モード(ステレオ)
サンプリングレート : 48kHz

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