(一同)321…。
(石原)
震災から1年後営業を再開した
福島にも観光客が少しずつ戻ってきました
お目当ては彼女たち
全国キャラバンから帰ってきたフラガールのステージ
それはまさに復興のシンボルでした
フラガール15代目のリーダー大森梨江さん
(線量計のアラーム)
福島県双葉町の出身です
自宅は福島第一原発からわずか1キロ
故郷に復興の兆しはありませんでした
(大森さん)全てが終わったとしか思わなかったんで。
復興のシンボルというもう1人の自分
そして福島で広がる復興の格差
新たな問題も起きていました
(斉藤さん)泣いて帰ってきたって。
(斉藤さん)悔しいですよ。
引き裂かれそうになる福島の絆
(一同)「繋いだ手離さないで」
そこには彼女たちの願いが込められていたのです
フラガール笑顔と涙の3年間を追いました
(一同)フラガール!
ハワイアンズのグランドオープンから3週間が経ったこの日
故郷へ向かうフラガールがいました
(スタッフ)横山さんはJヴィレッジは初めて?
(横山さん)初めてです。
2人の自宅は福島第一原発がある双葉町
原発事故のあと立ち入りが制限されています
後にリーダーになる大森さんはこの時入団8年目のサブリーダーでした
横山実香さんは入団5年目
フラガールの中で双葉町の出身は大森さんと横山さんの2人だけです
ステージでは華やかな衣装で踊るフラガール
一時帰宅では全身を防護服で覆います
1個は下にやってた方がいいかもしれない。
プロダンサーという立場を離れれば横山さんにとって大森さんはお姉さんのような存在
運転免許証の提示をお願いします。
厳重な警戒が続く境界線
(警察官)車が来ます!
2人にとって今回の一時帰宅にはある特別な思いがありました
あの日故郷は手の届かないところへ離れていきました
大きな揺れが襲う直前まで彼女たちはステージの上にいました
福島第一原発が危険な状態になったという連絡を大森さんが受けたのはその日の夕方でした
(大森さん)何も考えたくもなかったですし原発が爆発したって全てが終わったとしか思わなかったんで。
なんか本当にどん底じゃないですけど…。
なんかただ呼吸をしてるだけっていう感じだったかもしれないです。
今思うと。
多くの人が安全と信じて誘致した福島第一原発
かつてはこの場所で毎年冬になると伝統の双葉だるま市が開かれ威勢のいいかけ声が響いていました
大森さんは高校生の頃ここから電車に乗ってフラガールのショーを毎週のように見にいっていました
(スタッフ)前の日に坂上二郎が死んだんだ。
売店に並んでいたのは3月11日の新聞
あの日から時は止まったままでした
(スタッフ)あれは水がたまってるの?
(大森さん)水がたまってるんですかね。
え?
前回の一時帰宅では通る事が出来た道
(大森さん)来るたびに亀裂が広くなってる。
朽ち果てていく故郷
横山さんが生まれ育った団地です
ただいまって感じです今。
自分の家が懐かしいって思うのもなんかおかしいんですよね。
(大森さん)大丈夫?
限られた滞在時間
当たり前だったかつての日常がいとおしく感じます
あの日全てはこの場所から始まりました
(大森さん)白いのあるじゃないですか。
あそこがサービスホールっていって原子力についてだったりウランとかそういう細かい説明が書いて…。
(横山さん)社会科見学で…。
(大森さん)行ったでしょ?そう。
(横山さん)ああはい来ました。
懐かしいです。
なんかちょっともらえるんですよね。
(大森さん)そうそれが楽しくて。
原発は安全。
そう何度も聞かされていました
排気塔に原子炉建屋
大森さんの自宅は原発からわずか1キロです
自宅と原発を隔てる林の中にどうしても行きたかった場所はありました
震災後手を合わせる事が出来たのはこの日が初めてでした
(横山さん)えー…こんなにですか。
(大森さん)崩れちゃってるね。
(横山さん)ですね。
故郷双葉町には復興の兆しすらありませんでした
(大森さん)なんか自分が今まで生まれ育った町がどうなっていってしまうんだろうっていうそういう不安はすごくあるんですけどあの場所でしか感じられないものだったり…。
いつかは絶対おじいちゃんおばあちゃんになってからでも帰りたい。
双葉町から南におよそ50キロ離れた福島県いわき市
フラガールはこの町で誕生しました
時計の針は50年前にさかのぼります
炭鉱の町として栄えたいわき市
しかし時代は石炭から石油へ
炭鉱は閉山に追い込まれました
そんな時観光客を呼び込もうと炭鉱夫の娘たちがフラダンスを学び全国キャラバンに挑戦
彼女たちをひと目見ようと全国から大勢の人がいわきに押し寄せました
フラガールが故郷の危機を救ったのです
それから46年。
福島を襲った大地震
そして原発事故
ハワイアンズは休館に追い込まれフラガールも踊る場所を失いました
それでも震災からひと月後には練習を再開した彼女たち
半世紀ぶりとなる全国キャラバンが決まったのです
故郷のために踊り続ける事
それがフラガールの原点だからです
(一同)ハイ!
全国キャラバンを前にフラガールは各地の避難所を訪ね慰問を続けていました
彼女たちの笑顔が被災者の心にひと時の安らぎを届けます
大森さんたちは埼玉県加須市を訪れました
ここでは大森さんの故郷福島県双葉町の人たちが避難生活を送っていました
行くかもしれないっていうのは事務所の人に…。
軽く耳にはしてたんですけど。
もうそこからドキドキでしたよね心は。
気持ちはもうドキドキしてて一睡も出来なかったですね。
原発事故のあと連絡すら取れなかった故郷の人々
待ち遠しかった再会の日でした
福島を離れ避難生活を送る双葉町の人にとってもフラガールの踊りは懐かしい思い出をよみがえらせてくれます
「これからまだまだ先の見えない事もあると思いますが皆さんで力を合わせて乗り越えられると思うので私も陰ながら支えになっていきたいと思います」自分の娘みたい。
もううれしくて。
大変な事ばかりだと思いますけど頑張ってください。
家族のように可愛がってくれた近所の人々
でも握り返すその手に力強さはありませんでした
拍手で笑顔で迎えてくれたけれどもその奥に多分なんかすごい…。
なんていうんだろう空気もそうですしあとは髪の毛が白髪になってたりなんか全然もう疲れきってるなっていう。
それはすごく自分自身なりに感じ取れた部分があったので。
先の見えない不安の中で憔悴しきっていた故郷の人々
この日の記憶はそれから2年以上大森さんの心にとげのように深く突き刺さっていたのです
46年ぶりの全国キャラバン
(加藤さん)そう。
で広げたらすぐはけちゃう。
はい次…。
この時みんなを引っ張っていたのは14代目のリーダー加藤由佳理さんです
加藤さんを先頭に28人のメンバーが3つのチームに分かれて全国を駆け巡ります
最後の時にここで終わるよね。
そしたら前の方に置いて…。
この時はまだサブリーダーだった大森さんもチームの1つを任されていました
故郷の復興ただそれだけを願ってフラガールは踊り続けたのです
大森さんの家族は震災後いわき市内の住宅で避難生活を送っています
狭いです。
狭いのですみません。
押し入れの中には双葉町の自宅から持ってきたアルバムがありました
(大森さん)こっちはまだなんとか…。
なんとかっていう感じだけどこっちはもう…。
放射線量が高かった写真は袋詰めにしてまとめてあります
(スタッフ)戻しちゃうの?だって普通にゴミとして捨てれないじゃないですか。
なので戻せば間違いはないので。
これはなんですかね?夏ですねきっと。
運動会とか…保育園の運動会とか。
小学生の時ハワイアンズに初めて遊びにいって自分もフラガールになると誓った大森さん
一度は不合格になったものの次の年再び挑戦してその夢をかなえました
こんな感じでいいですか。
いやあ成長したんですね。
夢に向かって歩み始めた少女時代
(大森さん)やっぱあるからどうしても欲が出てきてしまって。
ないならない方が多分気持ちの踏ん切りはつくのかな。
(スタッフ)寂しくない?
(大森さん)寂しいですよ。
手元には置いときたいっていう気持ちとまだ…。
なんかモヤモヤしてます。
笑顔の裏には被災者としての孤独な葛藤があったのです
キャラバンで大森さんと同じチームにいた後輩の賀澤教子さん
彼女もまた被災者の1人でした
ここです。
ここ全部が私んち。
いわきの海沿いにあった賀澤さんの自宅は津波で流されました
(賀澤さん)玄関ここでした。
なんか狭い家だなって思ってたんですけど意外と広かった。
20年間暮らした我が家
今は記憶の中にしかありません
いつでも頭の中で家に行けるんで。
ちょっと悲しいですけど…全然大丈夫です。
ですね…。
楽しい思い出を作ってくれた大好きな海
大切なものを奪ったのもその海でした
チームの中で一番年下だった賀澤さん
キャラバンでは決して涙を見せず笑顔で踊り続けていました
そんな賀澤さんの姿が大森さんの心を突き動かしたのです
賀澤さんだったり津波で流された子もいるじゃないですか。
やっぱそういう子に限って弱音を吐かないでコツコツとやっていく姿も見てましたし。
自分も頑張らなきゃ。
自分だけじゃないんだ…。
125か所に及ぶ全国キャラバン
チームが1つになって夏を駆け抜けました
(一同)ゴー!フラガール!「いつの間にか」「あたり前のことが」「出来なくなってた」「余計なこと考えすぎて」「素直になれないWhy?」「そんな時もあるでも」「人の愛で人は変われる」「OneLove」「勇気をくれた君から僕へ」「OneSmile」「今度は僕から君へ」「OneLoveOneSmile」「OneLove」
いよいよハワイアンズの営業再開
フラガールが福島に帰ってきます
ハワイアンズが営業を再開しました
子どもたちの笑顔も帰ってきました
えー!楽しそう!皆さんこんばんは。
(一同)こんばんは。
笑顔をいただきにきました。
なので本当に皆さん頑張ってください。
(一同)ありがとうございます。
踊る場所を失ったあの日から駆け抜けた1年
彼女たちのステージはまさにいわき復興のシンボルでした
ここでは双葉町の住民およそ400人が避難生活を送っています
1年になるか2年になるか3年になるかわかんないですけども…。
この仮設住宅で自治会長を務める斉藤宗一さん
震災前ホウレンソウ農家を営んでいました
これは私が初めて作った時の写真です。
斉藤さんのホウレンソウは県知事賞を受賞した事もある双葉町の特産品でした
一時帰宅をした際に撮影した自宅の写真です
ホウレンソウを作っていたビニールハウス
斉藤さんは言葉を失いました
(斉藤さん)毎年知事賞いただいてな。
私のよりいいのはなかったです。
諦めきれないわうん。
私らもこの仮設で頑張ってますけどもお会いしたらばこの名刺大森さんに渡しておいてください。
頑張ってくださいって。
お願いします。
夢を失いかけた双葉町の人たちにとって大森さんは数少ない故郷の希望
そしてこの時フラガールは大きな転機を迎えていました
リーダー加藤由佳理さんのラストステージ
震災がなければもう1年早くこの日を迎えるはずでした
由佳理さん!
メンバーの誰からも愛され慕われていた加藤さん
引退の言葉を胸にしまい復興のシンボルとして福島のため仲間のために走り続けてきたのです
(拍手)
チームの大黒柱加藤さんの引退
それはフラガールの新たな出発を意味していました
加藤さんが引退した次の日
新体制という事で大森リーダーを中心に頑張っていきます。
フラガール15代目のリーダーに選ばれたのは大森さん
今日からリーダーを務めさせていただきます。
まだまだ本当に慣れない部分があって皆さんにご迷惑ばかりおかけすると思いますが今までどおりよろしくお願いいたします。
(一同)よろしくお願いします。
矢澤さんと鈴木さん…。
(大森さん)はい665でいきます。
同じ日いわき市内の河川敷には仮設住宅で暮らす双葉町の斉藤さんたちがいました
サツマイモを植えてみようかっていう事でね。
みんな慣れた手さばき。
それもそのはず
私らは専業農家だったから。
久しぶりです。
28年やってました。
双葉で。
やっぱり明日に備えて少しスタミナ付けておかないと明日活力なくなりますから。
我慢や気遣いも重なる仮設住宅での生活
久しぶりの畑仕事に自然と笑みがこぼれます
この畑には双葉町の人たちのある思いが込められていました
お返しに。
(スタッフ)なんのお返しに?
(斉藤さん)子どもたちにやってもらった方が喜ばれるかななんて。
みんなの丹精込めたイモ作りでおいしいイモが出来るんじゃないですか。
気持ちの温かいイモ。
でもその一方で心ない言葉がささやかれ始めていたのです
営業再開後初めての夏を迎えるハワイアンズ
風評被害がなくなったわけではありません
それでもフラガールをひと目見ようと観光客の数は徐々に回復していました
復興に向けて歩み始めたいわき市
営業再開後も彼女たちはショーに出演しながら全国を駆け回っていました
キャラバンで回った時よりもある意味すごくハードな夏だなっていう風にはすごく思っていて。
自分の事よりもやっぱり先にチームのみんなの体調だったりそういうのをすごく気にするようにはなりましたね。
次のステージに向けた練習やメンバーのスケジュール管理
リーダーの大森さんが帰宅するのはいつも深夜です
それでも大森さんが朝出勤前に立ち寄るところがありました
これ持ってきたんですけど。
よかった!お預かりします。
(大森さん)すいません。
ここでは避難生活を余儀なくされ飼う事が出来なくなった犬や猫を預かっています
忙しいんじゃねえの?大丈夫?
(大森さん)大丈夫です。
これだけは大丈夫です。
大森さんは出勤前ボランティアで檻の掃除や餌の入れ替えを手伝っています
(物音)すいません。
こっちで遊んでてください。
かつては家族の一員だった犬や猫
震災の爪痕はこんなところにもありました
(大森さん)本当の現実なんだなって感じますねやっぱりここいると。
震災があってなんかいろんな事が変わったんだなっていうのは来るたびに思います。
復興の兆しすらなかった故郷双葉町
一方でフラガールのリーダーとして求められる復興のシンボルという役割
希望と現実のはざまで大森さんの心は揺れ動いていました
ここいると復興っていう言葉は消えてしまうんですよ自分の中で私自身も。
なぜかっていったら普通に戻ったからなんですよね。
でも一歩外に出れば結局現実があるからまだまだだ頑張らなきゃって思う自分もいて。
でも思うんだけどまたここで仕事に来るとまたその復興っていう言葉が消えて。
でも外からくる要請っていうのが結局復興のシンボルとしてフラガールをっていう風な事で言われるとどこまですればいいんだろうって逆に思ってしまう時ももちろんあったし。
ふとした時にもう帰りたいってあの場所に帰りたいって思ったり。
なんでこうなっちゃったんだろうってその言葉がポロって出なくなったら多分復興なんじゃないかなっていう風に思う部分は…。
この日仮設住宅で暮らす双葉町の斉藤さんたちはいつもより少し早い朝を迎えていました
今からクリーンアップ月1回の。
月初め第1土曜日な。
仮設住宅の人たちのアイデアで始まったクリーンアップ作戦
毎月1度地域のごみ拾いを続けています
なんていうんだかやっぱここさ世話になってっから少しでもごみやっぱりなキレイにしてもらえば…。
本当はここに住むかっていう考えの人もいたはずですよいっぱい。
ですから地域には迷惑をかけてるっていう風な考えは私たちにはありますよ。
先の見えない仮設住宅での暮らし
それでも避難を受け入れてくれたいわきへの感謝の気持ちを決して忘れる事はありませんでした
でもその一方でつらい現実も起きていたのです
泣いて帰ってきたって。
それはこの仮設住宅で暮らす双葉町の子どもがいわきの町で言われた言葉でした
「あんたのお母ちゃん毎日エステに行ってるのか」って。
そういう事を質問される。
最初は「は?」っつって言って…。
「なんでしょう?」という風な感じでいたけども。
突然の話で内容を理解出来なかったんだけど。
お金の事を思い出して…。
双葉町のように避難を余儀なくされ移り住んできた住民などでいわき市は人口が急激に増えました
地価の上昇や賠償金の問題なども絡んで避難住民に対する心無い言葉が一部でささやかれていたのです
この「不自由」っていう意味がわかんないな私。
私がそこにいたら「じゃあ空いてるとこあるから一緒に入って自分で生活してみたら」って。
「ただ家ねえくなっからな」って。
かつては原発事故からの復興を誓い合った同じ福島の人たち
でも斉藤さんたちは決して言い返しませんでした
(スタッフ)どうしてですか?言って収まればいいですけど早い話が最後にはいわき市を責める事になりますから。
私らはいわき市に今現在こうやってお世話になっているわけです。
黙って我慢して別に見返す事なくねいい勉強だと思っているのが普通の当たり前の人生なのかな。
避難住民という周囲の視線を感じる日常
今はこうやって言ってても一歩表出たらいつでも気遣いしてますよ。
お世話になってますっていう事しか言った事ないです。
(スタッフ)ひずみが出てきている部分っていう…。
これは大森さん自身耳にした事とかはやっぱりある?
(大森さん)最近も姉の友達のお母さんが自殺をしてしまって。
じゃあそれの理由は何かって聞いたらやっぱり原発で避難してきて避難生活してるのになんでそうやって趣味をやってる時間があるの?お金があるの?っていう事を言われたみたいなんですよね。
そこで多分すごく追い込まれたというか。
(スタッフ)どういう風になるにつれてそういうひずみが出てきたなっていう風になんとなく感じる?こうやって時間が経つにつれて普通に生活が戻って今まで見えなかったものが見えてきたりしてるのかなとか。
今いわきに住んで周りの人でやっぱり優しいというか声かけてくれる人もいれば避難者だっていう風な目で見る人ももちろんいるんですよやっぱり。
でもそれでもそれに負けずに生きていかなきゃいけないし何かの役に立ちたいっていう思いもあればあるほどやっぱ強くなるし。
50年前故郷のために踊ったフラガール
そして彼女たちも…
フラガールのショーをリニューアルする事になりました
その中に特別な1曲があったのです
(一同)「決して忘れない」「あきらめない心」
メンバー全員が震災を改めて振り返りそれぞれの思いをつづった言葉で歌詞を作りました
(一同)「ふと隣に目をやれば」「同じ気持ち抱いた仲間」「繋いだ手離さないで」「輝く未来はきっとある」「アイナふくしまここにしかない」
曲の名前は自分たちは今までどおりの生活には戻れたけれどもまだまだそうじゃない人がいる。
じゃあその方たちのために自分たちが出来る事…。
全然復興が進んでないところとか原発とかすごいいろいろな風景が浮かんでましたね。
ずっと忘れないそしてこれからも諦めないと書きました。
(大森さん)ほんの一部でもそういう現実を知ってもらうきっかけになれば…。
今フラガールだからこそ伝えられる事でもあるのかな。
いわき市から北におよそ80キロ福島市
この町にもいじめという不安を抱える少女がいました
双葉郡富岡町に住んでいたうららちゃんは4か所の避難所を転々としたあと3年前大森小学校に転校してきました
(うららちゃん)いろいろな町を引っ越してきていつまで避難所まで行くんだろうとか思ってた。
お母さんとお姉ちゃん妹と4人での生活
初めは学校に行く事が出来ず泣いてばかりいました
原発避難っていう事で放射能とかなんでこっち来たのとかそういう風に言われるのが多分怖かったとは思うんですね。
幼なじみの友達とは会う事も出来ません
(横田さん)しばらくは富岡町に帰りたいって言ってました。
そんなうららちゃんが苦手な鉄棒を練習している時駆け寄ってきてくれたのはクラスの子どもたち
頑張れ!
(うららちゃん)助けてもらった時にうれしくて頑張ろうと思いました。
大切なものはやっぱり友達と家族とあと…。
優しい気持ちです。
迎えたリニューアルのステージ
フラガールの思いが形となるのです
(司会)「次の曲はオリジナルソング『AINAフクシマ』」「アイナとはハワイの言葉で故郷を意味します」「生きている限り」「なんどもなんどでも」「人は立ち上がれる」「強くなれる必ず」「決して忘れない」「あきらめない心」「笑顔で踏み出す」「新しい一歩」「ふと隣に目をやれば」「同じ気持ち抱いた仲間」「繋いだ手離さないで」「輝く未来はきっとある」「アイナふくしま」「ここにしかないこの場所で」「アイナふくしま」「笑顔咲かせよう」「もういちど」
福島の心をもう一度ひとつに
それが彼女たちの願いでした
あれ?これなかったよね?
大森さんは故郷双葉町に向かっていました
1年ぶりの一時帰宅です
(線量計のアラーム)
鳴りやまない線量計のアラーム
(大森さん)上がってきてます。
それでも双葉町に帰ってきたのは理由がありました
(大森さん)前に進まなきゃって思う。
落ち着く場所が欲しいなってすごい思います。
咲いてるところと咲いてないところがある。
桜が色づき始める4月は故郷を最も身近に感じた季節です
春の息吹が前に進むきっかけを教えてくれるかもしれない
そう信じていました
うーん…なんて言っていいかわかんないです。
でもただなんか寂しいです。
こうやって咲いているところを見ると植物も頑張って生きてるんだなっていうのもわかるんですけども。
なんか寂しい感じがしますね。
なんとも言えない。
朽ち果てる景色の中で桜はめでる者がいない町の現実を物語っていたのです
(大森さん)桜もどんな気持ちで咲いてるんですかね。
(線量計のアラーム)
心が落ち着く自分の居場所
それはどこを探しても見付かりませんでした
双葉町の人々が避難しているいわき市の仮設住宅にも足を運べずにいます
行くのが怖いっていうのは正直あるかもしれない。
避難所で見た故郷の人々
不安そうな表情を浮かべ憔悴しきったみんなの姿に大森さんの心は揺らぎました
いいままでこう自分の中でしまっておきたいじゃないですけど…。
あの日の記憶は大森さんの心に深く突き刺さったままだったのです
(一同)おはようございます。
福島市に避難している横田うららちゃん
この日は楽しみにしている授業がありました
(拍手)「私はスパリゾートハワイアンズダンシングチーム大森梨江です」「みんなと同じ小学校の名前です。
覚えてください」さんはい!
大森さんたちフラガールは福島県内の小学校を回ってフラダンスを教える学校キャラバンを始めていました
うららちゃんはフラガールを見るのが初めてです
(拍手)
(大森さん)「はいみんな上手に踊れました」「2011年の3月11日に大きな地震がありましたよね」「今日はその事についてみんなで考えていきたいと思います」
キャラバンでは福島の子どもたちのメッセージをフラガールが全国の小学校に届けます
「みんな地震に負けないで頑張っていこうね」「では4年1組の横田うららさんいますか?」「はいじゃあ前に来てください」「あなたが諦めずに頑張っている事これから頑張ろうと思っている事はなんですか?」「お母さんが風邪を引いたり疲れている時に洗い物とかテーブルを片付けたり妹の面倒を頑張りたいです」
(大森さん)「何かを諦めそうになっているお友達に励ましの応援メッセージをお願いします」「諦めずに頑張ろうねです」「はいどうもありがとう。
大きな拍手しましょう」
(拍手)
お母さんを助ける。
そう約束したうららちゃん
この日もう1つの目標が出来ました
フラガールのお姉さんみたいになりたいと…。
上手にダンス出来るようになりたい。
大森さんも小学生の時フラガールを見て夢を抱きました
(大森さん)フラガールのお姉さんみたいになりたいって書いてくれた子も何人かいて。
やっぱそういうのを見るとすごくやっぱり自分もそうだったんだっていう風にも振り返る自分もいるし。
無邪気に笑っているその姿を見ているとやっぱりこれからのために頑張んなくちゃいけないんだなって。
震災から3度目の夏
双葉町の人たちが避難している仮設住宅では夏祭りの準備が進んでいました
毎年お盆の時期になると町じゅうの人が浴衣やはっぴ姿で祭りに参加しました
かつて町がひとつになったあの夏を再現したい
夏祭りには双葉町の人たちの希望が込められていたのです
地元いわきの子どもたちも招きました
いよいよ夏祭りが始まります
震災直後の避難所でみんなの変わり果てた姿を見たあの日から逃げていた自分
この日大森さんは前に進む事を決めました
なんかドキドキします。
初めて訪れる南台仮設住宅
行きますか。
なかなか車から降りる事が出来ません
大森さんにとって双葉町の夏祭りは高校生の時以来
ちょっといいですか?ちょっといいですか?佐々木さん。
おお!どうしたの?
会場には大森さんを子どもの頃から知っている近所の人たちや同級生の姿もありました
ああ!梨江だよね?
原発事故が起きてから離ればなれになっていた故郷の仲間
夏祭りは懐かしい再会の場を与えてくれました
大森さんにも自然と笑顔が
祭りの最後を飾る伝統の双葉盆踊り
よみがえる記憶
目の前に広がっていたのは諦めかけていた故郷でした
斉藤です。
地元の人がリーダーだなんて本当にうれしくてね。
(大森さん)そうですね。
本当に。
原発事故から3年
故郷で過ごす夏をまだ取り戻す事が出来ない双葉町の人々
それでも故郷の伝統は今も確かに生き続けていたのです
(大森さん)もっと早く行ってれば自分の気持ちもなんか変わったのかなとも思ったり。
町の空気ってあるじゃないですか。
そこにいるだけでホッとするっていう多分その安心感っていうのかな。
そういうのはやっぱり将来につなげていかなきゃいけないんだなっていうのは思いますね。
絶対ここで負けてられないって思うし。
どんなにつらくたってなんだってもう歯食いしばってもう本当にうん…。
やってやるぐらいの気持ちはあるかもしれない。
(スタッフ)いいねえいいじゃない。
福島の現実そして希望を伝えていく
それが未来へつなぐメッセージ
「お姉さん自身も原子力発電所の近くにお家がありました」「お姉さんもまだお家に帰れないです」「福島のみんなと同じぐらいのお友達も負けずにみんなと力を合わせて頑張って生活しています」「もしつらい事悲しい事があっても諦めずに前進して頑張ってほしいなって思います」
お母さんを助けたい
大森さんの前でそう誓ったうららちゃん
小さな一歩を歩みだしています
大森さんの後輩横山実香さんは去年秋フラガールを卒業
お久しぶりです。
先月結婚して新たな生活をスタートしました
「ふるさとへの想い」「今こそ涙を情熱にして」「アイナふくしま」「ここにしかないこの場所で」「アイナふくしま」「笑顔咲かせよう」「もういちど」
(一同)わっしょい!わっしょい!
冬の伝統だるま市も復活しました
「かみしめて今を大切に」「今を生きよう」「きっと乗り越えられる」「どんな高い壁も」「みんなで」
結成から50年目を迎えるフラガール
未来を諦めない彼女たちの挑戦は続きます
福島が心から復興したと思えるその日に向かって
(一同)フラガール!2014/03/09(日) 14:00〜15:25
ABCテレビ1
フラガール〜未来へつなぐメッセージ〜[字]
進まぬ故郷の復興という現実を抱えながら、「復興のシンボル」として笑顔で踊り続けるフラガールのリーダー。1000日間におよぶ完全密着ドキュメント。
詳細情報
◇番組内容
フラガールのリーダー大森梨江さん。双葉町の自宅は福島第一原発からわずか1キロで復興の兆しすらない。それでも「復興のシンボル」として笑顔で踊り続ける。震災から3年が経ち、復興の格差という新たな問題も。フラガールは綻びかけた福島の絆を再び取り戻せるのか?
◇出演者
石原さとみ(ナビゲーター)
ジャンル :
ニュース/報道 – 特集・ドキュメント
ドキュメンタリー/教養 – ドキュメンタリー全般
映像 : 1080i(1125i)、アスペクト比16:9 パンベクトルなし
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