(テーマ音楽)東京・上野の美術館に日本画の歴史を切り開いた名作が集まっています。
描いたのは明治から100年以上にわたり日本画を牽引してきた日本美術院の画家たち。
自由に学び革新を追い求める。
彼らはその精神で伝統と格闘しました。
その突破口を開いた画家がいます。
なんと時の権力者に絵筆で挑んだ画家。
彼の作品こそ日本画の始まりでした。
進化は加速します。
その画家はたった一つの色に執念を燃やし山の霊気まで描き出しました。
そして戦後。
日本画に「モダン」という言葉をもたらした女流画家。
時のトップスターを見つめ今という時代を捉えた全く新しい境地とは?常に革新を追い求めた画家たちの静かなる戦いの記録。
さあひもといていきましょう。
では最初の作品へとまいりましょう。
それはまさに日本画の始まりを物語る名作。
生まれて間もない幼子と命を与えた観音。
子を思う母の慈悲深い心を持つ観音です。
観音の優しい表情に見守られ幼子は地上へつまり現世へと降りていきます。
それにしても実に繊細な色使い。
淡い色彩の線が濃密に絡み合っています。
そしてこの観音ただの観音ではありません。
この絵にはそれまでの常識を覆すような表現が幾重にも重ねられています。
日本画って古いものを守った守ってきたように思われがちですが最初の出発点から新しいものを取り込んで出来たものだという事がこの「悲母観音」というのを見るとよく分かると思います。
画家の名は狩野芳崖。
「狩野」といえばピンとくる方もいるかもしれません。
そう狩野派です。
信長や秀吉徳川幕府に仕えた日本の絵画史上最大のエリート絵師の集団。
江戸の末期芳崖は19歳で狩野派に入門。
そこで室町時代から伝わるお手本どおりの手法を学んでいました。
しかし時代は動きます。
200年以上続いた鎖国が解かれ西洋の文化が大波のように押し寄せる。
その時登場したのが西洋から渡来した油絵の具を使った洋画。
あの明治天皇の姿も油絵で描かれるほど洋画は脚光を浴びます。
新たな絵画「洋画」。
それに対して狩野派などかつての流れをくむ絵画は「日本画」と呼ばれるようになったのです。
そんな中芳崖は初代内閣総理大臣伊藤博文からこんな事を言われたといいます。
日本画家には洋画のような絵はとても描けないと言われた芳崖。
模索が始まります。
そしてこんな絵を描くのです。
ショッキングなほどに色彩が踊っています。
実はここには日本の絵の具ではなく西洋の絵の具が使われていました。
この絵の調査にあたった荒井経さんは芳崖が西洋の絵の具を使ったのは日本画の色数の少なさに原因があると言います。
当時の日本画で使われてた絵の具というと大体このぐらいの色数なんですね。
植物から取ったり石から取ったり貝殻から取ったりとかっていう事でそれぞれこう性質がまちまちなんですね。
それに対して西洋で油絵の具になっていったような絵の具というのはほとんど人工的に作られていたものなので数も多いですし鮮やかなものもたくさんあると。
更に色を混ぜ合わせる事も西洋の絵の具ほどうまくいかないと言います。
例えば赤と青を混ぜれば紫が出来るのですがこの日本画の絵の具だと…濁った赤が出来るのみ。
色によって粒子の粗さが違うためうまく混ざらないのです。
そこで芳崖は西洋の絵の具を使いました。
日本画を描いてきた自分でも西洋の絵の具を巧みに使い洋画に負けない絵を描ける。
その事を証明しようとしたのです。
この経験から芳崖は学びます。
今までの日本画にはない色彩感覚を。
そして後に描いたのが「悲母観音」。
ここでは主に日本の絵の具を使っているといいます。
しかしただ絵の具を戻したのではありません。
新たな色彩感覚を十二分に発揮するのです。
線を見て下さい。
幼子の耳や輪郭が淡いピンク色で描かれています。
これこそそれまでにない表現でした。
狩野派では太い墨で輪郭線を描きその間を色で塗るという手法が伝統でした。
しかし芳崖は淡いパステル調の色彩で線を引いてます。
更に極細の線でレースのような細かい模様を描いたり金を盛り上げて使うなど実に多彩な表現です。
芳崖は伝統的な絵の具を使いながらもかつてない繊細な色彩のハーモニーを奏でてみせたのです。
西洋の顔料を使って新しいものを見せてやるというそういった背伸びした姿勢じゃなくて今まで自分が学んできた狩野派の技法そして西洋画の技法そういったものを全部踏まえたうえで新しい境地に進んでいったのが「悲母観音」というふうに言えると思うんです。
それだけではありません。
芳崖はもう一つ大きな約束事を破っているのです。
その事を物語るのが「悲母観音」の下絵です。
初期の下絵を見るとその顔は男性的です。
実はこれが普通なのです。
そもそも観音は男性をイメージして描くのが常識でした。
しかしその後芳崖は女性的な顔に変えてしまいます。
一体なぜ?芳崖はこの時大切な人を失ったのです。
「悲母観音」の制作中愛妻のよしが他界。
芳崖はよしを観音様と呼ぶほど愛していました。
妻の姿を追い求めたのでしょうか。
その姿を女性のように描き変えた芳崖。
観音でありながらこれは仏画ではありません。
芳崖の思いが詰まった新しい絵画なのです。
宗教という枠組みを超えた子を思う母の愛。
伝統にとらわれない自由な発想と技。
それを確立したこの絵こそ日本画の誕生を告げるものでした。
今日のゲストは画家の山口晃さんです。
どうぞよろしくお願いいたします。
今目覚ましい活躍を見せている山口晃さん。
大和絵風の緻密な画面の中に過去・現在・未来を融合させたユーモラスな作風で注目を集めています。
芳崖の「悲母観音」もこの色彩なのでしょうかこうじっと目を凝らして見てみるとこの一枚の中にあるとんでもない情報量というものにほんとに驚かされるんですけども。
ですから芳崖のこの絵なんかはやっぱりパッと見た印象だと色が見えてこないんですね。
「あっ何か黄色っぽい絵だな」と思って近づいてくると思いの外色が使われていてびっくりするんですけど。
色が使われてるとこなんか見ますと線の部分にかなり色を載せる事が大きいんですね。
要は線というのはものを形づくる大本なんですね。
そこに色を載せちゃうとそれが立体じゃなくて模様になっちゃうんですね。
形が平面の上にある模様になっちゃう。
そういう弱さを一方で含んでて。
彼というのはそういう事で色の使いどころというのをかなり悩んでそういう苦しさが見える成果といいますかすごくギリギリのところだなというのでやっぱり壮絶さがある絵ですよね。
観音様を描いているんだけれども実はそこに芳崖自身の亡くなった妻への愛を重ね合わせて女性らしい観音に変えてしまった。
そういう事でさえも当時にしては相当なトライだったんですよね。
仏画というのは一番決まり事の多いジャンルですので要は御本尊はほんとに描き方が決まってるんですね。
線だってどういう線で描かなきゃいけないっていうのでこういうので描いちゃいけない。
もうちょっと赤くて細い線でとかあるんですけども要は俗画の一つの形態として描いたというそういう事で彼なりのはみ出し方というのをやっぱり示したというところではあると思うんですね。
やっぱり漱石なんかの文章を見ますと日本画が洋画を取り入れる事に対しての苦言というかそういうのあったりするんですよね。
洋画家が「日本画じゃないじゃないか」って。
あんたたちなんか西洋のすねかじりじゃないかってちょっと思っちゃうんですけどねそういうの言ってたりとかまあまあお互いそういうので応酬があった時期ですから思いもひとしお強いものがあったと思うんですね。
こうして芳崖が切り開いていった日本画ですがそのあとどう進化していくのでしょうか。
大正時代を生きたある画家の物語です。
漆黒の闇に炎。
火の粉の中を飛び交う蛾の群れ。
こんな神秘的な世界を描くと思えば…がらりと違うあでやかな屏風も。
常に新しい絵画を模索した画家。
それが速水御舟。
大正時代に彗星のごとく現れた天才画家。
御舟の初期の傑作です。
25歳の時に発表した真っ青な世界。
その青は日本古来の岩絵の具群青。
時に明るく時に暗く。
群青をどこまでも巧みに使い分けています。
その青が複雑に絡み合い聖なる山が誕生する。
これは御舟の初めの一歩ともいえる作品でした。
この時御舟は新しい日本画を生み出そうともがいていました。
何かをつかもうと各地を転々とし行き着いたのが京都でした。
そこで目にしたのが比叡山。
聖なる存在に魂を揺さぶられます。
滋賀県立近代美術館に御舟の模索を伝えるものが保管されています。
本画の1年ほど前に描かれたスケッチです。
墨ではなく鉛筆で描かれています。
大体御舟の前の世代ぐらいまでは基本的には墨で描いてますし御舟の世代なんかでも墨で描いてる。
でも御舟はこのスケッチについては鉛筆とか木炭とかそういうどちらかと言うと西洋画なんかで使われている技法を使うんですね。
それがこういう物事を非常に写実的に捉えていくという彼の考え方とそういう技法がやっぱりマッチして出来上がっていくのかなというふうに思いますけども。
重なりうねる稜線。
山肌を照らす光そして影。
洋画のように山の姿をリアルに捉えています。
しかしここからが日本画としての本当の挑戦でした。
それが「群青」への挑戦。
群青はまばゆいばかりの鮮やかさを放つ色。
それだけにちょっとした事で画面全体のバランスを崩してしまう手ごわい色です。
御舟はあえてそこに活路を見いだします。
誰よりも大胆に群青を使う事で新たな日本画を生み出そうとしました。
それがこの「比叡山」。
画面下は群青を何回も塗り重ね静かなる闇を表現し空には細密な線を引き来るべき光を表現しています。
こうして巧みに使われた絵の具。
それゆえに私たちの目はくぎづけになってしまう。
ただ単純に群青のきれいな色を出すという事ではなくてそれを使ってむしろ山の存在感とか山が持っている神秘性とかそういうものを追究しようとしてる。
青に執念を注ぎ山の霊気までも写し出した若き御舟渾身の一枚。
ほんと不思議な絵ですね。
こう群青色の統一感からつい静かさを感じるような一枚の絵に感じるんですが神気がうごめいているようなそういう「動」の絵に動きのある絵に見えてくるんですけども。
…と言われるとそうにしか見えてきませんね。
いやいやでも確かにちょっと見えるかどうか…。
ここがやっぱり後光というか比叡山京都から見たらこれ朝日でしょうけどもパパパッとこう…何かがほとばしってる様が。
確かにこう鳴動してるようなそういう迫力がありますよね。
群青というのはほんとに美しい色だなというイメージですがやっぱりそれほど恐ろしい色なんでしょうか?実際御舟は「群青中毒になってしまった」とも語っているそうなんですがどうなんですか?山口さん。
何か群青に限らず青って無条件に来ますでしょ?青いガラスの深いマリンブルーのものとか置いてあると…何か思う前にこれにスコーンと来てああってなりますでしょ?そういうエクスタシーっていうんですかねそこにまでいくようなものがあってただそれを絵にする時にそういう強いものって劇薬ですので他を食っちゃうんですね。
下手な人がまねするとケガをする描き方をやっちゃうんですね。
この人だから成功してああこうやっていいんだって他の人がまねするとえらい目に遭うっていうそういう天才がたまに出てきて…。
色の面白さに加えこの作品で注目した何と言われようと細かく細かく描いていく。
山口さんはこの作品だと細かい緻密な表現どこが面白いと思いますか?これで言うとやっぱりここら辺の悪あがきですよね。
こうやって稜線が重なっていくとそこって手前奥の関係で図像として遠近感を出しやすいんですね。
そうじゃなくて何もない所にいかにその塊を出すかというところでちょっと後ろから来るのとは違う光がさしてるんですね。
これが非常に山が不気味なまでにというある不気味さを含んだやっぱり気持ち悪いと思うんですね。
そういう1個汚い1個気持ち悪いものを入れておく事できれいなものと二重写しになると絵の厚みが違ってくるんですね。
だから細かさっていうよりも絵の多層性みたいなところでの細かさ豊かさっていうところだと思うんですけどね。
その人は筆ではなくノミを振るった芸術家です。
107歳まで生きた彼の言葉です。
田中が日本の彫刻に新風を吹き込んだ作品それがこの「禾山笑」。
椅子に座る人物は西山禾山という禅僧です。
僧侶でありながらのけぞり大笑いをする姿は実に豪快でユーモラス。
その笑い声まで聞こえてきそうです。
当時田中は42歳。
実はある人物と出会わなければこの作品は生まれませんでした。
36歳の頃の作品「愛犬」。
驚くほど緻密に彫られた犬と少年。
この頃既にその技巧が高く評価されていました。
しかしこの作品を発表した時思わぬ事が…。
当初この彫刻には弓と矢が添えられていました。
それを見たある人物にこう言われるのです。
それは横山大観らを育てた明治美術界の指導者岡倉天心。
天心は説くのです。
「弓矢などなくても彫刻の持つ力で弓を射る人物の気迫を想像させなくてはならない」。
更に天心はこう言います。
天心にしてみると売れるかどうかを気にしながら作品を作るのは芸術ではないと。
田中はこの言葉を聞いて自分が本当に作りたいものを作ればいいんだと。
田中は葛藤します。
本当に作りたいものは何なのか?その時心に浮かんだのが臨済宗の禅僧西山禾山でした。
大物政治家や人気力士まで教えを聞きにやって来たという禾山。
田中も難しい仏の教えを楽しく説く姿に惹かれ彫刻にしたいと考えました。
そして新境地の彫刻が誕生します。
大笑いをする禾山の顔を見て下さい。
のけぞり大口を開けて笑う顔。
まるでギャグ漫画のキャラクターのようです。
しかしだからこそ禾山の存在感がぐっと見る者の胸に響くのです。
そういう形を通じて禾山の人格それから禾山の豪快な笑い声それからその場の雰囲気まで目に見えないものまで丸ごと表現しようとした。
目に見える形を通じて精神だとか魂といった目に見えないものまで表現した作家だと。
今も残る田中の邸宅。
玄関に彫刻用の大きな木が置かれています。
満百歳の時に田中は30年分の材料を買い込んだと言われています。
その時の言葉です。
この言葉に触れた小説家横溝正史はこんな事をつぶやいたとか。
今の言葉は実際に横溝正史70代の頃の言葉だそうでもう百歳の田中さんにはかなわないけれどせめて80代まで現役で頑張ったアガサ・クリスティのようにはなりたいという言葉を残しているそうなんですが…。
元気でいらっしゃいますね。
僕はもう60ぐらいでとっとと隠居したいですけどね。
まだはなたれ小僧にもなってないみたいですけど。
百歳にしてあと30年分の材料を手に入れるとか何かこう背筋が伸びるというか。
この方にするとまだもうちょっとというのがやっぱり見えたと思うんですね。
北斎でもあと10年くれって90の時に言ってますんで…。
その10年たったらまた多分あと3年とか言うと思うんですね。
見る人って出来上がったものが見えますんであっこんなに出来てるじゃないと言うんですけど作る方からすると出来上がってない部分まで見えてこんなに足りないって思っちゃうんですね作る方は。
そうするともう百歳になってもあと30年分ぐらいかなっていうのはむしろ変に気宇壮大に装ってるんじゃなくて自然なところだと思うんですね。
田中が生み出した「禾山笑」…。
ただ笑う時あそこまで上向かないですよね。
喉を触って多分笑えないんですね。
でもあれ一番笑ってる感じしますでしょ?そこなんですよねあれが普通の笑ってる位置じゃ駄目でこの不自然なポーズをとらしてなおかつそれがああそうだこうだって思わせるっていうのが。
要はその…作っちゃうとなくなっちゃうものあるんですね。
細かく作っちゃったらあっ何かが消えたっていう時があるんですよ。
それを一歩手前とかここを描き込まないでおこう作り込まないでおこうっていうふうにすると出てくるものってあるんですね。
少し要素を少し引いてあげる事で真意を浮かび上がらせるというね。
大正から昭和にかけて活躍した巨匠たちを紹介しましょう。
江戸初期に始まる琳派の世界を思わせる華麗な屏風です。
そして歴史画を描き続けた安田靫彦。
中国の武将が敵軍に追い詰められた場面。
戦前から活躍した彼らは琳派や歴史画など古典的な世界を独自の手法で描く事で日本画の可能性を模索しました。
そして太平洋戦争敗戦。
あらゆる価値観が見直される中日本画壇も問われます。
この先どんな道を歩むべきか。
それに一つの答えを示した画家がいます。
今も鎌倉に残るアトリエ。
遊亀はここで身の回りのものや家族を描きました。
歴史画や花鳥画ではなく目の前の日常の風景を描いたのです。
そんな遊亀の力作です。
足を組み横たわる女性はまさに休息中。
ですがその目は力強くこちらを見つめています。
遊亀は新しい時代にふさわしい絵を探していました。
だからこそ彼女を描いたのかもしれません。
戦後一世を風靡した大スター。
シャンソン歌手…抜群の美貌と歌唱力。
遊亀は彼女のファンでした。
2人が会ったのは1960年遊亀からの依頼でした。
越路の印象を遊亀はこう語っています。
遊亀の孫の健一さんは越路をモデルとするのは遊亀にとって大変な事だったといいます。
絵描きさんですからなるべくたくさん会って描きたいなと思ったとは思うんですけども相手も当時ね人気があってスケジュールがとれなかったという事もあってそう何回も会ってないんですよね。
という事もあってほとんど印象だけで描かざるをえなかった。
写真もスケッチもほとんどありません。
一体どうやって描けばいいのか。
その時遊亀は思い出したのかもしれません。
恩師の言葉を。
恩師安田靫彦は遊亀が壁にぶつかっていた時こう言ったのです。
それは「絵にする前に自分の感じたものに忠実になれ」という教えでした。
そうすれば一枚の葉っぱだけでなく宇宙全体まで描ける。
越路から感じたものは何なのか。
その答えを探して遊亀は力強く筆を振るいます。
浴衣を着てデッキチェアに横たわる越路の姿。
そのポーズから自由奔放な性格が伝わってきます。
顔ははっきりした線で簡潔に描かれています。
印象的な瞳。
そこにはショービジネスという厳しい世界で生き抜く強さが見えます。
そして背景の赤。
越路と会って感じたものを忠実に絵にしようとした時情熱の赤が画面いっぱいに広がったのです。
それは一つの時代を象徴する女性の肖像。
この絵を見て越路は言いました。
う〜んなんと心地よい解放感。
山口さんいかがですか?もうですか?ちょっと良さが分かんない部分がありましてね。
顔がやっぱりまだ分かんないんですよ。
ただ良さが分かんないというのは良くないと言ってるんじゃなくて過去にもやっぱり分かんないのをどういう事だろうって気になるじゃないですか。
見ていくとあっこうかとかこういう所がいいんだってね。
分かんないものって自分にないものですからねよく考えて勉強していきたいと思うんですけどね。
画家が同時代の誰もが知っているスターもしくは人物を描くというのは一体どのような思いが?同時代のものっていうのはやっぱりホットなんですね。
ホットなものってホットなうちはいいんですけど冷めた時これ困るんですね。
ちょっと前のコマーシャルのギャグなんか今言っても全くウケないとかですね。
あまりにも時代に即したものって時代を超えない危険があるんです。
その時代の地盤ごと次の時代に移っちゃった時にその時代に立脚していないと分かんない事ってあったりしてそういう意味で現代性というのは危険な一面もあるんですけどでもやっぱり今目の前にあるものなんですね。
僕らしかできない事なんですね。
今しか描けないものを見ながらそれを深く掘り下げるんですね。
そうすると動かないところまでこう掘った部分が届くと。
そうするとそれっていうのがずっと人に訴えかける語り口になるっていうんですかね。
山口さんご自身もまさに現代の町を描かれたりされてますけど。
新しくしたいっていうのはあまりないんですね。
もっとこうしたいこれできるでしょ?こっちのがいいでしょ?という結果新しくなっちゃったらなっちゃっただし古かったらそれでもいいんじゃないかっていうので何かやっぱり個人個人があるんですね。
もうちょっとこうあそこに行くというようなのが。
まあ結局それをやり続けていくしかないんですね。
きっと今も戦いがそれぞれのアトリエで続いて…。
ああ私も帰って絵を描かなくては。
今日はどうもありがとうございました。
日本画の未来を描く人たちがいます。
日本画の絵の具の美しさに惹かれこの世界に入りました。
探し求めているのは今までにない色の響き合い。
自分の感覚を信じて多少色のぶつかり合いがけんかしていてもそれが自分が美しいと思えば信じてそういう事を自分としては挑戦というか探求していけたらなと。
そしてもう一人。
その人が描くのは…?「ウルトラマン」。
少年時代から好きだった「ウルトラマン」を日本画で描く。
その大胆な試みに挑んだのが…自分にとって何がリアルかという事を追求していくとテレビや漫画っていうのが人生の教科書みたいでしたのでそういう世界からイマジネーションを膨らませた方向性のある絵を描いてるんじゃないかなと思って今制作しています。
日本画は進みます。
更なる高みへ。
今日の「アートシーン」は今も古い町並みが残る東京の下町谷中にやって来ました。
2014/03/23(日) 20:00〜20:45
NHKEテレ1大阪
日曜美術館「自ら学び 革新せよ〜日本画家たちの戦い〜」[字][再]
日本画はどこから来てどこへ行くのか。明治から続く日本画の歴史はまさに“革新”の連続。そこには100年に及ぶ画家たちの格闘の物語があった。ゲストは画家・山口晃。
詳細情報
番組内容
東京都美術館で「世紀の日本画」と題した展覧会が開かれている。集められたのは、日本画の近代を築き上げた巨匠たちの傑作。明治以降、西洋の文化が流れ込んでくる中で、日本の絵画は大きな変革を余儀なくされた。新たな時代を切り開くにはどうすればいいのか。画家たちは、その難題にぶつかってきた。数百年に及ぶ伝統に立ち向かった狩野芳崖。速水御舟や、戦後を担った小倉遊亀。その格闘の物語。ゲストは画家・山口晃。
出演者
【出演】画家…山口晃,東京藝術大学准教授…古田亮,【司会】井浦新,伊東敏恵
ジャンル :
趣味/教育 – 音楽・美術・工芸
ドキュメンタリー/教養 – カルチャー・伝統文化
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