関西テレビ放送開局55周年特別番組 オレたちのフルスイング プロ野球同級生・… 2014.03.23

(小笠原)はははっ元気そうだな。
(坪井)おお元気やで。
ようこそ。
めっちゃ久しぶりやわ東京。
(ナレーション)プロ野球界の同級生が久しぶりに再会した。
いやオレの方がでかいからね。
いくつだよ?オレ77あるからね。
オレ8あるから。
マジで?ほんまに?あっほんまや。
ほら。
ほら〜。
いくら髪の毛あれしてもさ。
わぁ何やオレよりガッツの方がでかいの?イチローのフォームをまねた独特の振り子打法でルーキー時代から2年続けて打率3割をマークした。
2年前からはアメリカで戦っている。
そして元ジャイアンツ…。
豪快なスイングとまれに見る勝負強さを武器に…今年は再出発のシーズンを迎える。
2人ともあのイチローと同じ40歳だ。
年齢っていうのはガッツもそうやしオレもそうやし48年会イチローもそうやし。
年齢の壁っていうのは永遠のテーマで。
ちょっと前にイチローに会った時に年齢的に例えば肩がちょっと最近弱くなった足が遅くなったとか動きがどうだとか目がどうだとか。
「そういうこと感じることあるの」って聞いた時にイチローは即答したんだよね。
「いやないよな。
ないよね」って言うんだけど。
ガッツはどうなのかなと思って。
動いてる中ではねほんとにないんだよね。
ないよね。
ないんだよ。
ただ自分じゃわかんないこともあるんだろうけども自分の中では違いはない。
今までと同じようにやるしやってるし。
そうなんだよな。
見えない壁と戦っていた。
昭和48年に生まれプロ野球選手となった男たちは全部で90人。
彼らの多くは早くからチームの顔となり昭和48年世代はプロ野球の黄金世代と呼ばれた。
しかし40歳を迎えた彼らを過去の栄光は守ってはくれない。
かつて上り詰めた男には知られざる苦しみがある。
マウンドでカクテル光線を浴びていたその記憶は簡単に消えるものではない。
区切りをつけるのは戦力外通告ではなく自分自身だ。
エースと呼ばれ続けてもいまだ達成感は得られない。
プロ野球人生の岐路に立つ男の覚悟に迫った。
3度目の戦力外通告を受け所属チームがなくなった坪井智哉。
コーチへの誘いを断り現役続行にこだわっていた。
タイガースに入団した25歳のルーキーはシーズン序盤からレギュラーの座に座った。
独特の振り子打法でヒットを量産し1年目から大活躍。
2年目も面白いように打ち続けた。
簡単にヒットを打てるなって思った時期はありましたね。
三遊間とセンター前に関して言えばこういう感じでバットを出せばヒットになるなっていう感覚がありましたよね。
この簡単に打てるって思ってしまったことが失敗だったのかもしれないですけどね。
3年目に入ると思うようにバットを振らせてもらえない。
そして2002年このプレーで左足首を骨折。
このあと思わぬ運命が待っていた。
朝起きてコーヒー飲んででテレビ見てたら「トレード」って僕は見たので。
完全にテレビ情報だったんですよね最初のトレードが。
でまあ寝ぼけ眼でテレビ見てたら一気に目覚めましたけど。
いや〜。
どんな思い。
そら腹立ちますよねうん。
ふざけんなですよねまずは。
移籍1年目はルーキー時代をほうふつとさせるバッティングで首位打者争いにも顔を出した。
(観客)かっ飛ばせ坪井!しかしシーズンを通しての活躍は1年目のみ。
人並み外れた技術を持ちながら肉離れや骨折など常にケガと戦う野球人生だった。
そして…。
チームの方からは来季コーチとしての打診があったんですがまあ自分の夢というかまだプレーヤーとしてやりたいというわがままを貫かせていただきましてこの度退団することになりました。
ボロボロになるまでプレーヤーでいたいなという一心で決断しました。
もう坪井を必要とするチームはなかった。
救いの手を差し伸べたのは名前も知らないアメリカのチームだった。
異論っていうよりは何かもう野球やりたいなぁみたいな感じかな。
どこでもいいから野球やらせてくれよみたいな感じかな。
日本でやる場所がなくなってしまって。
やっぱりねえ野球発祥の地で何か最後は終わりたいなっていう感覚はありますよね。
野球の母国アメリカ。
坪井の新たなチームはメジャーリーガーを夢みる若者が集うチームだ。
手にできる月収は20万円にも満たない。
それでもここにはベースボールがある。
(拍手と歓声)
(拍手と歓声)野球のレベルは満足できるものではない。
しかし夢を追いかける若者たちとのプレーは刺激的だった。
独立リーグに参戦しておよそ1ヵ月。
(アナウンス)TomochikaTsuboi!坪井は節目の打席を迎えた。
(拍手と歓声)いろんな球団で1本目のヒットを打ってきたりメモリアルなヒットを打ってきましたけどいちばん今日のがかっこ悪かったっすね。
ほんとこんなかっこ悪いヒットあんのかと思ったんですけど。
でもまあそれもあの…。
コーチの話も断ってね引退セレモニーの話も断って「いや僕選手したいです」って。
何かもうプライドも捨ててまあ…アメリカに渡ってよかったなって思ってますけどね僕ははい。
だがこの試合で野球人生を左右するケガを負ってしまう。
これからという時だった。
坪井がアメリカにいたころ小笠原道大は二軍でもがいていた。
球界最高年俸4億3,000万円。
シーズンのほとんどを二軍で過ごした。
衰えなど感じてはいない。
しかしプロ野球の世界は結果が全てだ。
もう一度スタートを切るという…。
もう終わるんだろうなと多分みんな思ってると思いますけどね。
その中でやっぱり覆す結果というものが必要になってくると思うんでね。
絶対にそれはいい意味で見返してやるという気持ちでやっていきたいなと思ってます。
復活をかけた2013年。
これまでになくナーバスになっていた。
小笠原の野球人生は流した汗の分だけ輝いてきた。
プロ入り後も初めは外野まで飛ばなかった。
しかし誰よりもバットを振り込んだ男は4年目の2000年から大ブレーク。
2年連続の首位打者にも輝いた。
ブレークの秘密はシーズンへの準備だ。
特に2月のキャンプでは他の選手を寄せつけなかった。
「何でそんなにできるの?練習を」って聞いた時に「シーズン中を見越してシーズンは絶対波がある」と。
「調子が悪くなった時に練習する体力を今のうちに培っとかないとシーズンで調子が悪くなった時にガタガタッてくるからオレそのために練習してるんだ」って言ったんだよ。
練習なんて見せるもんじゃないし。
そうだよね。
ねっアピールするものでもないし。
自分がわかればいいことでしょ?全く練習しなくても試合で打てばいいんだから。
ベストはそれだけどさ。
でもそういう人で長続きする人間見たことないでしょ。
ははははっ。
正直。
まああの〜数年はいる。
単発的にね。
数年はいるけど。
長いこと考えて…。
10年はいないね。
生きていけないよね。
巨人に移籍しても練習の虫は変わらなかった。
ナイターの日でも朝からバットを振り込んでいた。
その結果1年目から3割30本をマークしチームの優勝に貢献。
日本ハム時代に続きシーズンMVPにも輝いた。
更に2011年にはかつての大打者たちに肩を並べる。
小笠原が入団してから巨人はリーグ3連覇。
快進撃を支えた…しかし2000本安打以降は初めての長いスランプに陥る。
理由は飛ばないボール。
このボールの出現により相手投手たちはコントロールを気にすることなく思い切ったボールを投げ込んでくるようになった。
結果小笠原のホームラン数は激減。
しかし当時その影響を否定している。
全くないというのはうそになると思うんですけどもね。
ただそれだけではなくて今までプロ野球で16年間やってきた中での知らず知らずのうちに変化していったもの。
それによっての弊害で出てくるバランスの違いとか。
あらゆるものが出てくると思いますのでね。
体心全てにおいて1回フラットゼロにしてもう一度一つ一つ今までやってきたように積み上げていって新しいものというか一つのかたちというものをつくっていきたいなと思っていますけども。
巨人はそのオフ小笠原のポジションに強打者を補強した。
3番長野4番慎之助そして5番村田と。
このクリーンアップで戦い抜けたらなという理想は持ってます。
2013年シーズンが開幕しても二軍生活が続いていた。
毎日朝7時からバットを振り込んだ。
練習時間が10時間を超えることも珍しくはなかった。
チャンスが回ってきたのは6月。
(歓声)相手は古巣日本ハム。
延長11回一打サヨナラの場面だ。
二軍のピッチャーとはボールの勢いが違う。
バッターボックスでこれほど苦しんだことはなかった。
(観客)小笠原!小笠原!小笠原!小笠原!勝負がついたのは8球目。
(歓声)
(歓声)
(歓声)・すごい歓声ですね。
思い出しました。
(歓声)なかなか一軍の試合でね打席立つことが少なかったのでね。
長い野球人生そういうこともあると思いますのでね。
まあまたこういう時もあると思うので明日も同じようにやっていきたいと思います。
(歓声)あのホームランで全てを取り戻したわけではない。
道のりはまだ続いている。
1ヵ月単位であったり1週間1日。
もしかしたらその一瞬というのが必要大事な部分だと思うから。
うん。
そこを怠ったら多分その先っていうのはないと思う。
ないというかわかんないけど確率は下がるよね。
だから確率を上げるためにはその1日を一瞬を…うん。
全神経を研ぎ澄ましてやっていきたいなと思います。
あのホームランは野球の神様がくれたプレゼント。
そう思っていた。
横浜のエース三浦大輔は後輩たちにハッパをかけていた。
投げたいやろ?しんどいとこで投げれば投げて勝って給料上がんねんで。
プレッシャーないとこでさぁファームの試合とかで投げても楽やろ?精神的に。
楽やけど給料上がらへんから。
せっかくこの世界入ったんや。
何千万何億って稼げるチャンスあんねん。
無駄にしたらもったいないやろ?好きな野球やって稼げんねんで。
最高やろ。
もどかしい思いがあった。
横浜のエース三浦大輔。
ここ3年間はチーム最多勝を誇る。
レベルが低いでしょ。
ふふふ。
他球団と比べて低すぎるっていうのありますし。
去年も9勝でチームの勝ち頭って言われること自体がやっぱ恥ずかしいですから。
やっぱり他球団って1415勝とかっていうピッチャーがいっぱいいますから。
そこはやっぱり横浜の弱いところだと思いますし。
う〜ん…まだまだですよねだから。
年齢を重ねるにつれて試合への準備時間は長くなっている。
この日は午後2時のプレーボールに合わせて朝9時からウオーミングアップを始めた。
奈良県の公立高校から…甲子園にも出たことはない。
ちなみに自慢のリーゼントはこのころから。
最初怒られましたよ。
怒られたっていうか「何だ?その頭は」と。
よく言われましたけど。
何とかして目立ってやろうと。
監督コーチに名前覚えてもらうにはまずそこからだったんで。
目立ちたがり屋の性格はプロ向きだった。
1日でも早く成り上がりたかった。
欲かいてずっとやってきたっていうか試合に出たいって思ってました。
先発どうこうより試合に出たいって思ってました。
出たら出たで今度また先発したいって思えてきて。
勝ちたい。
一軍上がりたい。
一軍上がって勝ちたいっていう何か…。
まあ欲深くやってきました。
欲の塊じゃないですけど。
98年には自己最多の12勝を挙げ2年連続2桁勝利をマーク。
優勝にも貢献し存在感を増していく。
真骨頂は2005年だ。
140キロ台のストレートでバッターの裏をかくピッチング。
エースの座を揺るぎないものにした。
しかし2010年36歳の時。
5月以降は1勝もできなかった。
翌年も勝てないまま迎えた5月。
先頭打者から4連打を浴び15年ぶりの初回ノックアウト。
37歳の春二軍落ちとなった。
このままだったら来年ないんじゃないかなって自分の中でもどっかありましたね。
だから引退する時の気持ちっていうか…。
もちろん経験したことないんでわかんないですけど。
こういう感じなのかなっていうのは頭やっぱりよぎりましたし。
ある言葉が突き刺さった。
まあ女房もね「三浦大輔がこんなんでいいの?」っていうことを。
家で何気なくね「このままでいいの?」って言われた時に違うなって。
このままで終わりたくないなって。
たとえねもし球団…横浜にね「来季契約しません」って言われたとしても自分の中でやっぱり今までやってきた分あるから完全燃焼してたとえどっかね球団があればそのためにも練習しないといけない。
横浜で燃え尽きんのがいちばんだなと思ってますけどでもやっぱりオレは練習してもう一回戻るんだって。
この時プロに入ってちょうど20年目。
忘れかけていたことがあった。
勝利への欲望だ。
そしてどん底からはい上がった。
1年2ヵ月ぶりの勝利だった。
あれから2年。
この日は4年ぶりの2桁勝利がかかっていた。
シーズン10勝はエースとしての最低限のノルマだ。
しかし立ち上がりから思うようにいかない。
こんな試合こそエースの見せ場だ。
1点差になって迎えた3回。
味方が追い上げた直後ここは絶対に抑えなければいけない。
(観客)レッツゴーレッツゴー恭平!レッツゴーレッツゴー恭平!レッツゴー恭平!
(歓声)同じバッターとの対戦は何年も続く。
三浦は20年以上もの間バッターとのだまし合いを制し生き残ってきた。
(観客)かっ飛ばせ恭平!
(観客)かっ飛ばせ恭平!
(拍手)強烈な印象を残したインコースのストレートだった。
投球内容は悪くはなかった。
最終的には…それができなかった…シーズンオフ三浦と会うことを楽しみにしている男がいる。
門倉健。
彼も40歳を迎えた同級生だ。
2005年には同じチームでタイトルを分け合った。
人気実力共に兼ね備えたピッチャーだった。
3ダ〜ッ!現在は韓国プロ野球で指導者をしている。
大変やでコーチ。
マジで。
ほんとね現役長〜くやった方がいいよ。
現役への未練がなくなったわけではない。
韓国プロ野球は全9チームでリーグ戦を行っている。
北京オリンピックで代表チームが金メダルに輝いて以来人気が復活。
男女問わず球場に詰めかけている。
門倉は2009年から現役最後の3年をここ韓国で過ごした。
人気選手だった。
現在は名門サムスンライオンズで投手陣を指導している。
この日2番手で登板したキム・ヒョヌ。
門倉が指導する若手投手だ。
(歓声)勝ち越しホームランで勢いに乗っていた相手打線を何とか3人で退けた。
(門倉)ナイスボールナイスボール。
問題が起きたのは次のピッチャーだった。
決勝スリーラン。
彼の登板がチームにしこりを残した。
おはようございま〜す。
(スタッフ)おはようございま〜す。
おじゃましま〜す。
すいませ〜ん。
(門倉)ほんとにカレーが食べたい時は自分で作って。
門倉は韓国にいる間1人暮らしをしている。
愛する家族は時々日本から遊びにやって来る。

(スタッフ)かわいいですね〜。
(門倉)こういうの残ってると余計さみしくなるんすけどね。
あはははっ。
やっぱ引退する時はねさすがに「えっもう投げないの?」とかうん何かそういう子供ながらのさみしさというかね。
そういうのもすごく感じてましたし。
現役を引退してすぐ指導者になった。
ストレスもたまった時期があったんですよす〜っごい。
で独りぼっちで何か孤独になって。
何かこのまま自分でもちょっと病気になるんじゃないかなっていうぐらい自分で追い詰められて。
まあそん時にさみしさで何かねポロって泣いた時もありましたしね。
その後指導した選手たちが結果を残すと肩の荷が下りた。
今では選手たちから門倉に指導を求める。
門倉の役回りは技術の指導だけではない。
あの夜決勝ホームランを打たれたピッチャーは不満を抱えていた。
十分な準備時間をもらえなかったという。
(門倉)ノーノーノー。
今の仕事は門倉の居場所をつくってくれた。
しかしまだ未練が消えたわけではない。
まだもう一回やりたいなぁって。
でまた来年来年韓国新しい球団がね出来るんでね。
やりたいな〜っていう気持ちにもちょっとなってるんですけどね。
でももう無理です。
やっぱさすがに1年近く練習しなくなったわけじゃないですか。
もうだから体が無理ですね。
同級生たちに伝えたいことがある。
やっぱりあのお客さんの前で打ったり投げたり走ったりってすることはねもう想像もできないことなので。
普通のね野球をやってない方だったらねもうわからない感覚じゃないですか。
やっぱりそれをできるってことはねほんとに幸せだと思いますし。
まあ正直羨ましいっていうのもまだありますしね。
それを1年でも長く自分の同級生にはやってほしいなっていう思いでいますね。
頑張れよ坪井。
坪井はある決断を下していた。
球が投げられない人生はないので僕の中には。
うん。
だからまあ思い切ってやる道を選んだんですけどね。
・下のところまで。
かなり下のところまで…。
次のチームは決まっていなかった。
はさまらないように全部取ってしまう。
それでも坪井は1日でも早い手術を希望した。
急ぎたい理由があった。
何かね1打席でもいいし。
何かこう…あれですよねもうほんと笑われるかもしんないですけど1打席でもいいし。
やっぱりこうメジャーの打席に立ちたいですよね。
まあイチローの話もよう聞きますし。
やっぱり川…宗君の話もよく聞きますし。
まあ今年に関してはあのうまあ…。
1週間2週間ぐらいですけど田中賢介君があの〜サンフランシスコ・ジャイアンツでメジャー上がりましたしもうずっと僕その映像をリアルタイムで見てて。
ヒットを打ってあの田中賢介がガッツポーズなんかしてしまうっていう。
う〜ん…スライディングキャッチしてあんな…ねえ子供のような顔をする田中賢介あんま見ることがないので。
やっぱりすごい場所なんだなって思いましたしね。
うん…羨ましかったですよね。
はい。
手術は無事に終わった。
・すいませんノリさんサインお願いしま〜す。
プロ野球界は夢をかなえた男たちの集まりだ。
中村紀洋はあらゆる苦難を乗り越えてきた。
代名詞はフルスイング。
プロ7年目25歳の時から球界を代表するバッターとなった。
難しいボールはヒット狙いに切り替えることもできた。
そして2001年そのバットでチームをリードし悲願の瞬間を迎える。
この時から苦難を抱えていた。
それはケガだ。
フルスイングを支えた左手は若いころに握力を失っている。
中村の野球人生もまたケガとの戦いだった。
やっぱりねひと言それでね弱みを言ってしまうとまあレギュラーのポジションを取られるというのがもう昔からの何かこう…身に付いたものであって。
まあ痛くてもできますよというかたちでそれを見せない。
プレーでは見せないようにまあ努力してますね。
はい。
苦難はケガだけではない。
37歳楽天から戦力外通告。
年が明けても次のチームは見つからなかった。
大観衆の前でね野球ができたらなっていうふうに思いますし。
まああの〜ユニホーム着てねまあ野球をねやりたいなと。
もうそこだけですね。
何も他はいらないですね。
はい。
シーズンが開幕してもバッティングセンターに通う日々。
救いの手を差し伸べたのは新球団横浜DeNAだった。
ええ〜本当にユニホームが着れる喜びでいっぱいです。
この時38歳。
レギュラーを奪うための秘策があった。
中村紀洋は横浜に移籍して2年目レギュラーとして結果を残した。
しかし3年目のスタートはレギュラーではなかった。
まあ球団はねあの…。
代打要員だというふうに言われて。
ああ…代打要員ですかという。
まあ不思議に思ってた部分もあったんですけどまあ年齢がねそこは邪魔をするというところで。
年齢をね感じさせないプレーをしていかなくちゃいけないなというふうに思いましたんで。
守備でしょうねやっぱり。
守備でアピールできたからこそシーズンあの〜スタメンで出してもらえるようになったと思うんで。
ゴールデングラブに7回も輝いている。
その裏側には圧倒的な練習量がある。
確実な捕球と絶対に乱れない正確なスローイングは誰にも負けない。
それをね見てもらったら若い子たちに見てもらったらうわ〜めっちゃくちゃのやつ受けるなとかすごいなと思わしたら勝ちだと思うんで。
それを思わせるように毎日やってましたねはい。
あのバッティングセンターでの日々は毎日不安に襲われていた。
(歓声)
(歓声)フルスイングも健在だ。
現役選手で400本のホームランを打っているのは中村しかいない。
40歳のシーズンは大記録とともに1年を通しての活躍を見せた。
しかし41歳での契約条件は厳しかった。
「嫌ならやめてもらってもいい」そういう内容だった。
野球選手になりたいという子供さんたちにほんとに夢を与えるようなプレーを僕らはしたいと思ってますしと。
でまあ選手としても夢を持てるような球団になってもらいたいなというふうな話をさせていただきました。
中村の野球人生はずっと波乱万丈だ。
それでも野球を嫌いになったことは一度もない。
ほんとにホームランに憧れて野球をスタートして今でもホームランというのすごく魅力を感じて忘れられないというところはあの〜ずっと思い続けてるんで。
そのホームランのことが頭から抜ければもう恐らく引退する時だと思いますんでホームランに憧れてるうちはまだまだ振り回したいなと思います。
この男もホームランバッターだった。
彼もまた昭和48年生まれだ。
ドラフト2位で社会人からプロへ。
王監督の指導を仰ぎ左の大砲に成長した。
初めてのタイトルはプロ7年目の2003年城島小久保ら強打者がひしめく打線で4番を張った。
また阪神との日本シリーズでもそのパワーを見せつけチーム3年ぶりの日本一に大きく貢献した。
そして2004年。
打率ホームラン打点全てでパ・リーグのトップを走る。
(歓声)ゲッツー…あ〜!追い上げてきたライバル選手の試合が終わりイチローも松井秀喜も届かなかった史上8人目の三冠王に輝いた。
ほら。
せ〜の。
ありがとう〜。
しかし…。
2010年右ひざは回復が遅れ更に左手首も故障。
ケガとの戦いが始まり代打での出場も増えていった。
そして…。
交流戦の優勝を決めた試合代打・松中は怒っていた。
試合中にコーチからそう告げられていた。
(アナウンス)バッター松中。
背番号3。
突然の代打だった。
(拍手と歓声)試合後は駆けつけたファンへの優勝セレモニー。
松中は参加を拒否した。
ボイコットだった。
ベテラン選手は参加を免除される秋のキャンプに松中は志願して参加した。
(松中)は〜い!はい来〜い!あの優勝セレモニーのボイコットから5ヵ月が過ぎていた。
ボイコットをしたことは自分の中では…まあ悪いんですけども何かこうすっきりしたってのはちょっと語弊があるかもしれないですけども。
やっぱりそれだけ僕が準備をしてきたっていうことをわかってほしかったという。
やっぱり準備をして結果を出したい。
出る出ないっていうのが僕っていうか。
今の立場なんで。
やっぱそこ無視されるとせっかくたくさんのファンの人たちが応援してくださってるのにやっぱ結果が出なかったら自分がたたかれるわけなんで。
やっぱそのファンの人たちに応えたいっていう気持ちで準備をしてるわけなんで。
それができないっていうのがいちばん悔しかったので。
過去の栄光だけでプロ野球の世界は生きていけない。
三冠王のプライドは心の奥に閉じ込めてある。
・Happybirthdaytoyou秋季キャンプが終わり40歳を迎えた。
いい時も悪い時も家族だけはいつも味方だった。
2004年三冠王の時2歳だった長男・大輝くんはこの春中学生になる。
(大輝くん)あのちょうど三冠王獲った時がまだ僕が記憶残ってない時だったし2人もいなかったんでみんなで見たいなと思ったことはあります。
(恵子さん)代打だといつ出るかわからないじゃないですか。
それで楽しみにしてても出番がない時もありますよね。
そうすると「パパが出てこない出てこない」って言って。
やっぱり「何で?何で?何で出ないの?パパ」ってなるんですよ。
・いきますよ〜。
ゴー。
12345。
カモン!3はい4はい。
グッと。
789。
ええ〜FA宣言を…。
宣言っていうかFAしようと思います。
まあ慣れた環境でやるのも一つの方法とは思ったんですけどもね。
新たに違った環境でもう一度自分でゼロから挑戦しようというふうに思いましたね。
新しい背番号は初めての2桁だ。
坪井との再会は入団会見の2日後のこと。
オレもう背番号36がイメージでけへんのね。
1桁のイメージしか。
いいんだよそこはな一つの固定観念にとらわれなくていいわけだから。
でも言いながら2桁のイメージが湧かない…。
だってさずっと2だとさ2に縛られるだろ?まあまあそうだよね。
そうだったら逆に新しい番号だったらさ全然縛りもないでしょ。
うん。
だからまあ気楽にやるかな。
楽しみだね。
オレはいいんだよ。
オレはいいんだよ。
リハビリがいつまでかかるか。
そうなんだよな〜。
どうなんやろな。
でももう来月ぐらいに投げ始めやから。
そっからまあトントン拍子でいったらまあ2ヵ月ぐらいにはビュンビュン投げれる予定なんでね。
リハビリは予定よりも遅れていた。
これは今日イチっすね〜。
・今日イチ?痛いっす。
2014年のプロ野球が始まる。
最近はユニホーム着れる幸せを感じてますけどね。
また今年も着れるっていう。
(三浦)おはようございます。
(一同)おはようございます。
(三浦)23年目になりましたけども今年はコーチ兼任ということで選手としてもそしてコーチとしても横浜のために精いっぱい頑張っていきます。
そして引退するまでにもう一回優勝したいのであんまり時間がないと思うので皆さんよろしくお願いします!
(拍手)40歳を迎えてもブルペンでの球数はチームナンバーワンだ。
勝利への欲望があと1球もう1球とつながっていく。
(球審)ストライク!もう一丁。
後輩たちへの指導もおのずと力が入る。
・ナイスボール!
(土屋)
(三浦)高いレベルで競争しようぜって。
そうすればおのずとチーム力ってもっともっと上がっていくし。
それで勝てないようだったらもうやめるしかないんですからこの世界は。
チーム内の争いが激しければ激しいほどやっぱり優勝に近づけると思うんで。
いつも頭の中にあるのはあの時の記憶だ。
プロ野球選手としてもう一度あの喜びを味わいたい。
頑張ります。
(三浦)頑張んの当たり前やねん。
・声出して頑張ります。
(三浦)声出せよ。
(三浦)1年もたないぞ〜!
(三浦)おお〜いいねぇ!
(三浦)おっ!おいおいおい。
何だそれは〜。
諦めんの早いな〜お前。
(三浦)大丈夫か?ダメ?ストレッチしとけよ。
ジョグして歩いてもいいから。
ウオーキングしてストレッチして。
(三浦)今日もねあの2人もねしんどいはずなんですよ。
やっぱ練習メニュー終わってから最後また別でやるんですから。
捕れる捕れないじゃなくて捕りにいく姿勢。
球際のもう少しもうちょっとっていう。
シーズン入ったらもっとしんどいんすよ。
結果がやっぱついてきますから。
出てる時はいいけど出ない時も絶対きますから。
そこでどう乗り切るかって。
今日のしんどさなんて肉体的なしんどさだけなんで。
そういうのも鍛えつつ。
やっぱり1年間フルに戦うっていう時が…。
どんだけ大変かっていうのね。
456789ラスト!再出発の日を迎えていた。
あえてこうチームが変わったからつってあえて聞かれても…。
特にないですよってなってくるのね。
いつも同じようにやってきてるわけだからまあ多少ねチームが変わってってあるのかもしれないけども。
じゃあ根底にあるものはっていったら一緒。
同じように毎年こうキャンプを迎えてやってるということなのでね。
うん。
・おおいいじゃないの。
・よっしゃ〜。
はい!ユニホームが着られる喜びをかみしめている暇はない。
見据えるものはいつも変わらない。
監督を胴上げするその輪の中にしっかりといるという。
だから1年間一軍でしっかりプレーをして貢献するという。
貢献して胴上げをするということを…。
うん。
したいしするという。
与えられた打席というのをしっかりと。
貢献できるように集中してバットを振っていきたいと思います。
(歓声)ここ3年納得のいく野球人生ではなかった。
復活のシーズンはもう目の前だ。
坪井の左肩は春を待って回復への道をたどり始めた。
ああ〜っ!アメリカでのチームはまだ決まっていない。
・よしっ。
はい〜。
・よしっ。
はい〜。
・よしっ。
・はいよ。
もう一度チャンスをつかみにいく。
よし〜。
プロ入って阪神に入って1年目からそうなんですけど。
毎年が勝負の年ですし毎年が分岐点だと思ってやってきましたから。
今年特に…今年は分岐点やぞっていう感じはないですね。
気持ちは一緒です。
1年勝負の世界ですので。
どんな仕事でも思うようにいかないことはある。
そこで諦めるかどうかは自分しだいだ。
そして大事なのは今だ。
その一瞬を全力で生きなければ未来はない。
不安が消える日はやってこない。
オレたちはフルスイングを繰り返す。
それが黄金世代と呼ばれた男たちの力だ。
好きな野球をここまでねやれてるっていうのは今現在プロでもね続けられてるっていうのは幸せなことだと思うんでね。
その幸せな時間をもっともっと味わっていたいと思うんでね。
そのためにはしんどいこともしないといけないし。
だからまだまだねこれからも突っ走っていきたいなと思ってますけどね。
2014/03/23(日) 16:00〜17:25
関西テレビ1
関西テレビ放送開局55周年特別番組 オレたちのフルスイング プロ野球同級生・…[字]

かつて数々の栄光を手にした男たちは、40歳になった。年齢のカベ、チーム内での立場、引退後の葛藤…それぞれの戦いに密着しました。

詳細情報
正式タイトル
関西テレビ放送開局55周年特別番組 オレたちのフルスイング プロ野球同級生・40歳の戦い
出演者
小笠原道大 
三浦大輔 
松中信彦
中村紀洋 
坪井智哉
門倉 健 ほか
番組内容
アメリカでもスーパースターの座に君臨する、イチロー。メジャーに舞台を移してからも安打を量産し、昨年、日米通算4000本安打を達成しました。
しかし…昨年からその地位に暗雲が立ち込め始めています。

イチロー選手と同い年、昭和48年生まれのプロ野球選手たちは、日本でも球界をリードしてきました。
セ・パ両リーグでMVPに輝いた小笠原道大、平成唯一の三冠王・松中信彦、近鉄を12年ぶりのリーグ優勝に導いた
番組内容2
中村紀洋、「ハマの番長」三浦大輔。
彼らは現在、日本球界で現役を続ける同世代最後の4人です。そして元阪神の坪井智哉は去年9月、左肩を手術し、大きな夢に向かって今も現役を続けています。

一方でユニフォームを脱いだ男たちも、まだ野球にこだわっています。
かつて中村紀洋のチームメイトだった門倉健は、去年、韓国プロ野球でコーチ修業。言葉の壁以上に、みずからの無力さと向き合っていました。
番組内容3
イチロー選手同様、いま彼らは分岐点に立っています。

自分の限界を受け入れるのか。
自分の限界にあらがって、苦難の道を歩き続けるのか。
その姿を、かつて限界を受け入れた同級生たちは、どう見るのか。
同級生だからこそにじみ出る感情は、葛藤と羨望…。

同級生でも立場は違い、仕事も違います。
でも心は、みんな同じです。
「いつでもフルスイングしたい」。
そんな彼らの姿を描いた、ドキュメンタリー番組です。

ジャンル :
スポーツ – その他
ドキュメンタリー/教養 – スポーツ
ドキュメンタリー/教養 – ドキュメンタリー全般

映像 : 1080i(1125i)、アスペクト比16:9 パンベクトルなし
音声 : 2/0モード(ステレオ)
サンプリングレート : 48kHz

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