ETV特集「ネットワークでつくる放射能汚染地図〜福島原発事故から3年〜」 2014.03.08

ごめん下さい。
どうぞ。
どうぞ相変わらずでございます。
放射線計測の第一人者岡野眞治博士です。
ビキニ水爆実験チェルノブイリ原発事故世界の核実験や核事故の現場に立ってきました。
2011年3月福島原発事故が起きると岡野さんは現地に入り独自に開発した測定器で放射能汚染を調査しました。
車のフロントに付けたカメラの映像です。
画面下のバーグラフは空間にある放射線量をその上の図はヨウ素やセシウムなどの放射性核種がそれぞれどのくらいあるかを示しています。
全走行距離は3,000kmに及びました。
人間や生き物の営みを断ち切った放射能の爪痕です。
2011年5月私たちは岡野さんのデータを基にETV特集「ネットワークでつくる放射能汚染地図」を放送しました。
あれから3年岡野さんは再び福島に向かおうとしています。
放射能汚染はその後どう変わったのか。
現場に行かなければ分からない細部の実態をつかみたいからです。
3年というのは一つの節目ですけどチェルノブイリはね私行ったのは5年先ですよね。
大体3年4年っていうのはある意味から言うとねそろそろいろんな事が分かって安心しきって食べ物なんかもある程度測定も済んでいいじゃないかという時に逆に言うと安心して手を抜くとそれによって人間の体に入る放射能が増えたりする。
安心しないで今度の事故に対して現実をちゃんと捉えて引き締めてやっていかなきゃいけないですね。
放射能汚染の実態調査は海でも行われています。
汚染水はどれほどの量漏れ続けているのか。
放射能はどこにたまっているのか。
地道な観測が続けられています。
科学者たちのネットワークは今さまざまな領域に及んでいます。
高濃度汚染地帯の牧場では酪農家と研究者が協力して牛に影響が出ていないか研究が行われています。
原発事故から3年放射能汚染はどう変化したのか。
生き物たちに何が起こっているのか。
そして私たちが事故直後に出会った人々は3年の歳月をどう生きてきたのでしょうか。
調査に出発する前岡野さんはまずGPSの受信機とカメラを車に固定します。
それらは放射線測定器に接続していて道を走りながら映像と位置放射線量を記録します。
国が行う空中からの測定に比べきめ細かな汚染地図を作る事ができます。
今回は放射性核種をより正確に識別できる新しい検出器を装着しました。
87歳になる岡野さんの体調を気遣い郁子夫人も同行する事になりました。
(取材者)何のお薬ですか?いろいろ入ってるんじゃないですか老人の。
フフフ…。
常磐自動車道を北上します。
2011年3月私たちはこの道を通り福島に入りました。
私たちは福島県を南北に貫く国道399号線を走り計測しました。
0.43…44。
今回同じ道で計測しました。
放射線量はどう変化したのかデータを比較するためです。
3年前の国道288号線です。
郡山から第一原発がある双葉町に続くこの道を私たちが最初に走ったのは原発事故発生から5日後3月16日の事でした。
今現在車中でも300マイクロシーベルトパーアワーを超えてますので針は一番端ですね。
今回の岡野さんのカメラの映像です。
バーグラフの左端の点は毎時0.1マイクロシーベルト右へ向かって1マイクロ10マイクロ100マイクロと増える対数の目盛りです。
毎時0.2から0.3マイクロシーベルトの場所に一年暮らすと一般人の年間被ばく限度量1ミリシーベルトに達すると言われます。
その50倍に当たる毎時10マイクロシーベルトを超える地点が現在もありました。
399号線と288号線の汚染を以前と比べてみます。
赤は毎時6マイクロシーベルト以上。
オレンジ黄色緑青と低くなってゆき紫は0.1マイクロシーベルト以下を示しています。
全体的には放射線量は大幅に減りましたが一部に今も高い線量の汚染が残っている事が分かります。
前回の調査で私たちは国道114号線に沿ってホットスポットがある事を発見しました。
今回の汚染地図でも赤やオレンジの部分がおよそ6kmにわたって続いています。
その国道114号線沿いにある…外で測ると毎時80マイクロシーベルトあった場所です。
現在はおよそ8マイクロになっていました。
車のフロントに据え付けたカメラの映像です。
どんな放射性核種があるかを示すスペクトルが表示されています。
今回やっぱりこの周りから来るものとそれから直接なんて言うのか…セシウムの直接線が分解能がいいからはっきり分かりますよね。
今はもうセシウム137と134の時代ですね。
それらのセシウムは一体どこに存在してると考えられますか?近くにある周りのこういう所に出てくるのは周りから5mとか10mとかそういう範囲のものですね。
近くの泥の表面にあるとかあとは周りのコケとかそういうものにくっついているものが近くにあるとしたら影響がありますね。
以前と同じ場所で土壌を採取しました。
放射能が蓄積されると言われるコケも採取しました。
サンプルの分析は今回も広島大学と長崎大学に依頼しました。
広島大学の遠藤暁さんは「イメージングプレート」という方法で植物の汚染を調べました。
汚染が強ければ強いほど早い時間で赤や黄色の画像が浮かび上がります。
(遠藤)かなり濃度が下がってますね。
初期は20分ぐらいでハレーション起こすぐらい高かったというか放射能が高かったんですが今はこれが3日。
植物の汚染も薄くなっていますが赤宇木のコケは今回も強い反応を示しました。
濃度で10倍ありますんでどうしても強いですね。
土壌の分析は長崎大学の高辻俊宏さんが行いました。
12か所で採取した深さ30cmの土壌サンプルを5cm単位で測ります。
合計70を超すサンプルを2か月がかりで分析しました。
今回採取した赤宇木の土を3年前と比較してみます。
3年前にはヨウ素やテルルなど半減期が短い核種もありましたが今回はセシウム134とセシウム137以外の核種は見えなくなっています。
そして半減期がおよそ2年のセシウム134が半分以上少なくなっているのに対して半減期がおよそ30年のセシウム137は減り方が遅い事が分かります。
赤宇木の場合はほぼ物理的半減期どおり減っているように見えます。
今後はやっぱりだんだんセシウム134が影響が少なくなってきてだんだんだんだんセシウム137だけが線量に影響すると。
それから測定にも関わってくるというふうになってくるのでこれからだんだん30年ごとに半分になるような割合で減っていくだけだろうと思います。
ここを軸にこうしてですね最初は早くガーッと減るんだけどあとこういう形でダラダラダラッと。
これちょっと下げてもいいけど。
(取材者)今どの辺にいると仮定してですか?
(高辻)この辺なんじゃないですかね。
原発事故から2週間後私たちはこの赤宇木集会所で原発近くから逃れてきた人々に出会いました。
家に残してきたペットの世話などそれぞれの事情を抱えて共同生活をしていました。
彼らはそこが放射線量が非常に高い場所である事を知らずにいました。
私たちと調査を共にした木村真三さんが彼らに脱出するよう説得しました
(木村)飯舘の3倍ぐらいですかね。
え?ここ?飯舘より高いですか?
(木村)はい。
3倍ぐらいですかねこっちの方が高い。
誰も知らないよねこの辺の人は。
私たちが赤宇木の集会所で出会った人々はその後ちりぢりとなって各地の仮設住宅に入居しています
その中の一組岩倉さん夫妻を訪ねました
こんにちは。
は〜い。
こんにちは。
こんにちは。
いらして下さい。
2年ぶり。
どうぞ!2年ぶりだよね11年の3月27日に赤宇木にいらしたから。
だからもう2年だねってうちの人と言ってたの。
パンダ!
玄関先には1匹の犬がつながれていました。
犬の名はパンダ。
私たちにとって忘れ難い犬です
2011年4月原発から20km圏内が立ち入り禁止になる直前岩倉さんは犬や猫に餌を与えに家に帰りました。
これが最後になるかもしれませんでした
避難先に戻る夫妻をどこまでも追い続けるパンダの姿は今も私の目に焼き付いています
その後パンダは動物愛護団体の手で救出されました。
岩倉さんの元に戻ったのはおととし6月の事でした。
今パンダの餌は腎臓病用の特別なものです。
岩倉さん夫妻と別れたあと体を壊したようです
食べなさいよ。
あ食べてる。
パンダにとっても苦難の3年間でした
夕どき同じ仮設住宅に住む末永善洋さんが訪ねてきました。
岩倉さんとは赤宇木集会所で出会って以来のつきあいです。
岩倉さんも末永さんも帰還のめどは立っていません
自分が思ったように動けないというか…。
そんなふうにあった人がないもんなこれ。
刑務所と同じだよな。
懲役。
(末永)俺もまさかこんなになっと思わなくて…。
こんな状態ずっと続いたらうつになる人だの自殺する人だの出てくんでない。
なる。
だから知らない所で死んでる人もいんだぞ。
どうしたらいいんだっぺ…。
行くとこないんだもんな仮設以外な。
ひょっとしてなひょっとしていつもう生活が生きていくのが嫌でひょっとしてあした何すっかもしんねえぞ誰だって。
そういう気持ち。
(末永)助ける人がいなくて一人で闘ってるという感じだ。
本当に悩むっていうのはこういう事なのかもしんねえよ。
今までは悩んでたって解決できるんですよ。
2〜3日寝れば。
(公子)解決も…見通しできないもんな今の状態。
赤宇木集会所の隣の体育館にいた夫婦も忘れられません
田代澄男さんとスミ子さんです。
スミ子さんは足が不自由でポータブルトイレを使っており集会所の皆とは離れてこの場所にいました
夫妻は今福島県北部の桑折町の仮設住宅に暮らしています
おはようございます。
夫妻はこの仮設に入ってから2度部屋を変えてもらいました。
スミ子さんが薄い壁を隔てて聞こえる声に悩まされたからです。
「遠くから聞こえてくる聞こえてくる」と言ってんだよね。
今の部屋の隣は空き部屋ですがそれでも聞こえるはずのない声が聞こえ始めました
台所やったりいろいろ…女のやる仕事みんなやってくれるでしょう。
そうすると澄男さん…あの人といるのはもったいないって言うのよね。
そう聞こえてくるの。
だから実際そう言ってるんだよ絶対に。
(取材者)そういう声が聞こえてきたんですか?そう。
だから別れさせるって。
それが一晩中しゃべってるの。
スミ子さんは精神科を受診し今症状は緩和されています。
週に2度デイサービスに通っています
はい。
じゃあお願いします。
田代さんはスミ子さんのためにも早く仮設住宅を出て災害復興住宅に入居する事を希望していますがそのめどは全く立っていません。
原発事故の被害者は忘れられているのではないか。
いらだちが募ります
うちのやつの実の弟が川崎にいるんですよ。
この間電話…何かのあれで大事な話があって電話して話してるうちに「もう忘れてますよ」って。
「最初だけですよ」。
東京オリンピックが来るでしょう2020年だっけか。
「いつかは忘れられるんだろうけどまだ早すぎるよな」って弟と電話で話したけど「だよなあ」って。
岡野さんの測定器を積んで福島を走るのは3年前と同じ今井秀樹ドライバーです。
今井の記憶の中には前回は車の中からしか計測できなかったホットスポットがあります。
そこは現在でも高いレベルの汚染地帯です。
(今井)ここは段差が激しくできちゃっててこのまま行けば車スタックするなという感じだったんですよね。
同乗していた木村真三さんが様子を見ようと降りた瞬間放射線量の高さに驚いたのを今井は覚えています。
その場所は汚染地図にも記録されていました。
浪江町小丸です。
小丸の区長木幡久紀さんです。
去年夏木幡さんがお盆の墓参りに一時帰宅する折同行しました。
小丸が近づくにつれ線量が上がり始めました。
え〜林道の中を走っています。
線量もかなり上がってきました。
13…11…。
11〜13の間…。
あまた上がりますね。
着きました。
このお宅ですか?そうです。
いやこの辺やっぱり高いですね。
高いですよ。
ここは。
車を降りた瞬間測定器は毎時19.99で振り切れ計測不能となりました。
小丸は世帯数およそ30。
もともと林業で生計を立ててきた村です。
しかしやがて林業は衰退し村人たちは出稼ぎに出るようになりました。
木幡さんは福島第一原発が出来るとそこで配管工として働くようになりました。
全国の原発も回りました。
その原発の事故によって今小丸は廃村の危機にひんしています。
(取材者)これいっぱいまいてあるのは?これはネズミ捕り。
いろいろね。
家の中には異臭が漂っていました。
ネズミのフンの臭いでした。
原発事故後小丸の住民の多くが避難を開始したのは3月15日。
放射能が村に到達する頃でした。
彼らは自分たちの村がひどく汚染された事を知らずにいました。
来た時だけでもねこうやって。
彼らがそれを知ったのは事故から5か月後浪江町の人々が一時帰宅した時の事です。
帰りに一人一人のポケット線量計を確認したところ木幡さんたち小丸の人たちの数値だけが突出していました。
(鈴の音)
(取材者)どのくらいあります?うちの中で。
10から12ぐらいまで。
ここはもう帰れないでしょ。
(取材者)帰れない?帰れない。
まあみんなそれぞれ個人の気持ちはあるけどもやっぱりこういう状態でうちの中でも空間線量が11〜12あるんでそれでは住めないんじゃないですかもう。
木幡さんが出会ったのは村で畜産を営んできた渡辺典一さんです。
事故後政府は20km圏内の牛の殺処分を指示しましたが渡辺さんは拒否。
今も70頭の牛の世話に仮設住宅から通っています。
牛が田んぼの草を食べる事で村の景観を守れるといいます。
これまでこの集落でそれぞれ営農生活ずっと先祖代々きた人たちがさ残したものを捨てるような状態希望をなくすような状態でしょ。
それをやっぱりつなぎ止めておきながらさ管理していずれ長い時間はかかるけども少し様子見ながら管理していこうかなっていう希望みたいなものをさ持てるような。
夏の暑い昼下がり牛たちは森の木陰に入り姿は見えません。
渡辺さんに頼んで呼んでもらいました。
(牛を呼ぶ声)リーダー格の牛に導かれるように森の中から牛たちが次々と姿を現しました。
夏場は田んぼに生える草を食べ冬場は渡辺さんが運び込む干し草で命をつないできました。
原発事故のあとに生まれた牛もいます。
小丸の放射能汚染の実態はどうなっているのか。
岡野さんが現地に乗り込みました。
小丸の集落でバーグラフは常に毎時10マイクロシーベルトを超えていました。
放射線量が高すぎてスペクトルが正しく出ない事もありました。
小丸の汚染地図です。
川沿いの谷に沿って放射線量が高い事が分かります。
小丸は結構崖っぷちなんですよね。
(取材者)川を挟んで谷ですよね。
結局放射性物質が…あそこは川があると川っていうのは上昇気流下降気流がありますからどうしても川の周りというのは落っこってきて増えるんですね。
牧場の土を採取させてもらいました。
2本採取したうちの1本は1m^2当たりおよそ357万ベクレルでした。
30cmほど離れた所で採取した土はそのおよそ6倍2,256万ベクレルでした。
いずれもチェルノブイリの立ち入り禁止ゾーンの基準を上回る値です。
それにしても同じ場所で採取した土なのになぜこんなに大きな差が生じるのでしょうか。
うちの研究室でも昨年夏に1か所から36個サンプル採ってどのぐらいばらつくかというのを確かめると。
そうすると36個中5個ぐらいが全体と比べると2倍ぐらいと半分ぐらいというようなものが出てきたと。
これは汚染のばらつきについて遠藤さんが飯舘村で調査した結果です。
10m四方の狭い範囲の中でも汚染がまだら状になっている事が分かります。
高い所と低い所では3倍から4倍の開きがありました。
(遠藤)平坦で均一に見えるような所でもばらつきが出る事はあるというふうに今は思ってます。
日本の土壌の場合だと基本的にはセシウムをしっかり吸着すると言われてましてその土壌が動く事によってセシウムも一緒に移動するんだろうと。
遠藤さんによれば事故で放出された放射性物質は雨や雪によって地上に落ち一円を均一に汚染しました。
しかしその後雨や風の巻き上げ動物の関与などによって移動しまだら状の分布になりました。
その現象は人が住んでいる地域でも起こっているといいます。
まだら状の所がどういう生活圏かによるんでしょうね。
子供が遊ぶ場所だったら…汚染地図を見ると小丸の南に放射線量が高い所があります。
そこは前回の私たちの調査で最高度の汚染を観測した双葉町山田です。
山田に私たちが入ったのは2011年3月16日の事でした。
放射線量は毎時300マイクロシーベルトを超えていました。
土壌は1m^2当たり2,120万ベクレルのセシウムに汚染されていました。
私たちが土を調べさせてもらった玉澤さん一家です。
去年12月一家が2年ぶりに一時帰宅した折同行しました。
3年前と同じ地点で土を採取しました。
1m^2当たり2,584万ベクレル。
セシウムは増えていました。
ここでも放射能の移動が起こっていました。
すごいよ。
グチャグチャ?はいバイバイ。
カエルバイバイ。
今回計測したセシウムによる土壌汚染です。
原発から北西方向に伸びる山田小丸赤宇木のラインになお圧倒的に高濃度の汚染がある事が確認されました。
人間が再びここに住める時は来るのでしょうか。
どれだけの線量になれば我慢できるかというのは今の線量によるわけでだから年数は場所によって違うんでしょう。
だけど昔みたいにほとんど測っても僅かしか出ないという形になるまでは300年かかればそれくらいにはなるというふうに…はい。
(取材者)事故前のレベル?事故前のレベルですね。
去年国は避難指示区域を放射線量に応じて区分けしました。
浪江町で見ると汚染レベルが比較的低く住民の帰還準備が進められている海沿いの区域。
ここは年間被ばく線量が20ミリシーベルト以下になるとされています。
その西側には20ミリから50ミリのエリアがあります。
そして小丸や赤宇木津島などの高濃度汚染地帯は年間の被ばく線量が50ミリを超えると予測され帰還困難区域となりました。
ふるさとに帰還する事が困難とされた人々。
彼らはその現実をどう受け止めたのでしょうか
こんにちは!
3年前に出会った人々を訪ねる事にしました。
浪江町津島地区から二本松市に避難している高橋清重さんです
(咳こみ)
夫婦は長い仮設暮らしに倦んでいました
一日一日時間ばかり見てるから。
何にも手につかねえもんここだと。
私が高橋さんに最初に会ったのは原発事故直後の事でした。
津島地区で営む養鶏場を訪ね声を失いました。
5万羽の鶏が死んでいたのです
放射能汚染地帯に餌を運んでくれる業者はなく鶏は餓死しました
こうやってだんだん増やしてここまでもってきたのさこの姿だから。
高橋さんは昭和24年開拓農民としてこの南津島に入植しました。
戦後3年間シベリアに抑留され復員した翌年の事でした。
シベリアでは寒さの中で仲間が次々に死んでゆきました。
高橋さんも赤痢にかかり死線をさまよいました
シベリアから戻った時両親は既に亡く寄る辺ない高橋さんは津島に入植。
遅れて入ったため平らな土地はなく炭焼きから始めました。
養鶏に乗り出したのは昭和20年代の終わりです。
町で本を買ってきて独学。
何度も失敗を繰り返し50羽から始めた養鶏はやがて5万羽にまで成長しました
昭和50年には養鶏場の隣に家を建てました。
入植から26年。
そこは高橋さんがやっと手に入れた安住の地でした
去年3月私は高橋さんと共に津島の家を訪ねました
はいどうぞ。
(取材者)はいお邪魔します。
仮設住宅に入ってからも高橋さんは度々この家に来ては泊まっていました。
いつか必ず養鶏場を再開するつもりだと語っていました
しかし去年4月津島地区は帰還困難区域となり帰宅は月に一度だけしか許されなくなりました。
高橋さんは養鶏場の再開を断念せざるをえませんでした
諦めた。
去年9月高橋さんは失った鶏の賠償金で家を買い仮設住宅を出る事にしました
養鶏場を断念した以上体調を崩した奥さんのためにも新しい場所に移ろうと思ったのです
新居は奥さんの妹が暮らすいわき市の小名浜です。
暖かい海辺の町でのんびりすれば奥さんも良くなるだろうと選びました。
仮設暮らしから解放された高橋さんには日当たりと風通しが何よりうれしいようでした
(取材者)どうですか?高橋さん。
いい。
ああよかった。
これで5〜6年は長生きできるだろうと高橋さん
静かな余生になるはずでした
今年正月私は福島からの1本の電話に驚かされました。
高橋さんが亡くなったというのです。
あの引っ越しから2週間後体調を崩して入院。
肺がんが見つかったそうです。
そういえば時々苦しそうな咳をしていた事を思い出しました
こんにちは。
高橋さんは入院中も看護師を相手に津島の家に帰りたいと話していたそうです
残念ですよね。
(和重)まず歩かれるようになってそして車自分で車運転してそして津島の方に行きたいって。
それが今の俺の希望だという事を言いました。
高橋さんの養鶏場です。
鶏の死骸はカサカサに乾いていました。
頭部はタヌキに食いちぎられていました。
開拓70年の歴史が刻まれた養鶏場の現在です
ふるさとが帰還困難区域となった人たちを取材して歩くうち私はある悲しい死を知りました。
浪江町赤宇木のこの家で一人の男性が自ら命を絶ちました。
原発事故から8か月後の事でした
亡くなったのは今野富夫さん。
柳刃包丁で腹を刺すという壮絶な自死でした。
享年59
1人暮らしだった富夫さんは原発事故後県内の妹の家に身を寄せていましたがある日車で外出したまま帰りませんでした
胸騒ぎがした妹が赤宇木の家に行き遺体となった富夫さんを発見しました。
富夫さんの兄藤原豊勝さんです
避難しててほれ月に3〜4回帰ってたらしいんだけども実家へよ。
行くたんびにしおれて帰ってきたったよ。
がっくりしてもう。
草ぼうぼうになるし。
だんだんあれなってくる。
嫌になったんでねえの。
帰れねえって事はもう大体分かったべからそれでだね。
まあ原因は原発だべな一応。
そういうふうには感じる事は感じてる。
殺されたっていえば殺された。
自分の意志が弱えから亡くなったっつんだろうけどでも柳刃包丁で腹を切るなんていうのは意志がねえわけじゃねえんだよな。
震災前の富夫さんの家の航空写真です。
道路を隔てて手入れが行き届いた田んぼと畑が広がっています。
父母が亡くなってからは富夫さんは一人で田畑を耕しこの家を守っていました
原発事故のあと飼っていた犬が子犬を産んだそうです。
時々家に戻っていたのはその犬たちに餌をやるためでした。
富夫さんは懐かしいこの家を死に場所に選びました。
遺体にはいくつもためらい傷があったそうです。
私には富夫さんの自死が平凡でも穏やかだった暮らしを奪った原発事故に対する抗議の死だったように思えてなりません
岡野さんは原発から40km離れた飯舘村に入りました。
全村避難したこの村では避難解除を目指し除染が行われています。
しかし完了したのは計画の1割未満です。
3年前には毎時4マイクロシーベルト以上あったこの辺りは現在は1マイクロほどになりました。
村に戻り暮らしを取り戻す事はできるのか放射能汚染の推移に関心が集まっています。
当時飯舘村に暮らしていた6,000人のうち7割は農業に携わっていました
ごめんくださ〜い。
農地が汚染された事で村の農業は壊滅。
農家は生活の糧を失いました
あの日から村での自由な作付けは行う事ができません
(菅野)結局自然が全て売り物。
それをやっぱり買ってもらう自然を買ってもらうという形だな。
そういうものを全部奪われたというか一瞬にして無くなっちゃったとそういう事だろうな。
あれから2年半。
菅野宗夫さんの飯舘村の自宅にたくさんの人が集まっていました。
宗夫さんはおととし研究者らと一緒にNPOを立ち上げました
汚染の計測や除染実験などを行うため飯舘村の自宅を前線基地として提供しています
これがそれぞれ線量計です。
自宅には数々の計測機器が備え付けられていました。
放射線量や空気中を漂う放射性物質の有無など24時間態勢で計測を続けています
(菅野)ずっとこうおととしの11月には1.6前後ありましたよね。
それで下がってきてると。
宗夫さんは農地の除染実験にも取り組んでいます。
今年は田んぼの一部17アールの除染を行い米の栽培も試してみました。
この日はその刈り取りです
まあ自然の恵みうれしいね。
やっぱりず〜っと愛情込めてやってきたんだよ。
だからやっぱりこれからも早く再生させたいな。
刈り取った稲は研究機関に送られ土壌からのセシウムの移行の実態を調べます
今年収穫した米は全部でおよそ450kg。
セシウムの移行調査にのみ使用するため残りは土に埋め戻す事が決まっていました
除染の他にも宗夫さんはセシウムが移行しないよう自らカリウムをまくなどしてきました。
サンプル調査の結果は出荷基準である1kg当たり100ベクレルを下回りました
5月からはまた実験のための田植えが始まる予定です
汚染されたこの大地に向き合って自然界にそして危ないものも…要するに危険なものも安全なものも知った上でやっぱりそこでちゃんと生活をするというのがこれからほんとに1世代2世代そのさきざきのところまで私は続くと思うの。
国ではもしかしたら避難解除すれば終わりだと考えてるかもしらんけれども私たちはそこからスタートなんだよというところ。
放射能に農地を汚染されなりわいを失った飯舘村の人々。
いまだ未来をつかめない若者もいます。
村での農業に夢を抱いていた菅野慎吾さんです
慎吾さんは原発事故の5年前に家業の農業を継ぐため東京からふるさと飯舘村に戻ってきました。
結婚し子供も生まれ村での暮らしは軌道に乗り始めていました
奪われたのは当たり前の暮らし
普通にここで農業をやって子供を育てて…。
それが全部無くなったってもうはっきり分かる感じ分かる状況なんですよ。
慎吾さんはその後仕事を転々。
現在は農業用のハウスを建てるアルバイトをしています
(取材者)「つなぎ」ってどういう事?
(慎吾)迎えに来たの?
慎吾さんは今福島市に家族4人で暮らしています。
長男の麗央くんは4歳になりました
(取材者)お邪魔します。
こんばんは。
てんこ盛りだよ。
娘の真安です。
(友美)何歳?1歳です。
嫁の友美です。
よろしくお願いしま〜す。
お〜上手だな。
おいちい?震災当初よりはだいぶ落ち着いてきたですね。
慣れてきて環境とか。
(友美)イライラしてたもんねずっとね。
結構イライラしてましたね。
最初の頃すっげえイライラしてた。
日々の暮らしは落ち着きました。
それでも妻の友美さんは慎吾さんの迷いを感じ取っていました
何か「あれやってみっかな」「これやってみっかな」って。
今仕事2つ目?3つ目?何がやりたいのかというのをはっきり私も分かんなくて。
(慎吾)「これやりたい」というのは見つからないんですよほんとに。
それは分かるけどね。
これやりたいというのはブロッコリーと米なんでしょ。
(慎吾)米なんかもういいよ。
ブロッコリーでしょ?ブロッコリーは好きだったよやってる時は。
向いてるんでしょそっちの方が。
何だろう…。
もちろん私も嫁に行って1年ちょっとだし農業の事も全然分かんないんですけどでももしやるんだったら手伝ってもいいかなって思うし。
もしやるんだったらですよ。
だってそこまでやる気ないんですよまだ。
やっぱりこう飯舘で農業してたようなまっすぐそれだけっていうのを見つけて…。
見つけようとしてるのかな。
何かこう適当になっちゃってるんじゃない適当に流れてくんじゃないのかなと思ってそれがちょっと。
今はよくても後々だんだん大変になってくるんじゃないのかなって。
(慎吾)それはないよ。
それならいいんだけど。
(慎吾)とりあえず嫌な仕事もやんなくちゃいけねえじゃん。
子供もいるから。
最終的にはね。
…とは考えてるよ。
いまだ歩みだせない慎吾さん
一つだけ決めている事がありました
(慎吾)この辺はうちの田んぼですね。
(取材者)この辺一帯そうなの?
(慎吾)はい。
あっちの上の方ですかねずっと。
もうこの辺一帯。
見える範囲は大体ソーラーパネルになっちゃう。
(取材者)ここ一面に敷き詰めるの?
(慎吾)はい。
この辺に住んでる人たちもみんな同意してて下までですか。
ず〜っとあのハウスの辺りまで。
およそ1ヘクタールの田んぼにソーラーパネルを設置するとの約束を企業と交わしました
20年先まで契約してるんですけどその先なんかどうなってるか分かんないし。
(取材者)それは慎吾としては納得できるの?う〜ん…帰ってきて…。
ここに帰るつもりはないんで。
(取材者)決めたの?決めましたね。
(慎吾)納得はできないですけどこうなったのは。
納得できないのはいっぱいありますけどもうしょうがないですよね。
納得するしかないですもんね。

田んぼのあぜ道を息子の麗央君と散歩した日々は遠くなりつつあります。
ソーラーパネルの契約が終わる頃慎吾さんは50歳麗央君は24歳になります
今福島では畜産学や生物学の研究者たちも活動しています。
牛の模様のトラックで渡辺さんが牛の世話をしている小丸の牧場にやって来たのは「家畜と農地の管理研究会」のメンバーです。
高濃度汚染地帯に残された家畜への放射線の影響を調べようとしています。
岩手大学農学部の岡田啓司さんです。
牛の被ばく線量を計算するため牧場の72か所で空間線量を測定し地図に落としてゆきます。
33.0。
38.0。
同じ牧場の中でも少し離れると線量は大きく変わります。
きめ細かい地図を作る事が必要です。
これは牛の首につけるGPS発信装置です。
牛がメッシュマップ上のどこにいるのか。
立っているのか寝そべっているのか離れていても把握できるようになっています。
発信器からの情報と地図上の空間線量を掛け合わせれば牛の被ばく線量を計算できます。
(岡田)こういうふうに今牛が分布しててこの四角が1頭でこの辺いっぱいいるから重なっちゃってるんですけど。
こういうふうにやると牛のセンサーの番号が出てくるんですよね。
放射線率が今この牛は38.79マイクロシーベルトの放射線率受けてると。
血液も採取します。
セシウムの濃度やDNAの損傷の有無を調べデータを集積するためです。
小丸を流れる高瀬川です。
遡上してきたサケが産卵をしていました。
毎年繰り返されてきた命の営みです。
今阿武隈山地にはイノシシなどの野生動物野鳥や魚の研究者が入っています。
高濃度汚染地帯の生き物に何が起こっているのか長期にわたり観察するためです。
岡田さんが向かったのは小丸の牧場から川を隔てた所にあるもう一つの牧場です。
牧場主の柴開一さんも渡辺さんと同様政府が指示する殺処分を拒否してきました。
しかしこの日柴さんは牧場を閉鎖する事にしました。
牛の一部を渡辺さんが引き取る事になりました。
柴さんが牧場の閉鎖を決めたのは周囲の土地が近くで出た除染土の仮置き場となったからです。
環境省によれば住民の帰還のめどが全く立たない場所でも除染をするのはその効果を調べるためだといいます。
仮置き場となったのは牛たちが草を食む場所でした。
この日渡辺さんが引き取ったのはおよそ40頭いたうちの8頭でした。
草が枯れる冬の間の牛の餌代の負担は大きく全頭を引き取る事はできません。
渡辺さんが引き取りきれなかった牛はしかたなく殺処分し海岸近くに運びました。
牛は一旦埋められ最終的には掘り起こして焼却処分する事になります。
岡田さんたちはその前に解剖し臓器や筋肉をサンプリングする事にしました。
世界でなかなかこういう例ってないですからね。
チェルノブイリの場合は牛は全頭避難しちゃったし。
そういう状況の中でもっと経過をきちんと追って分析をしていかなくちゃいけないというのが現段階だと思いますね。
牛をなるべく生かしながら研究を続けようとする岡田さんたちは国に支援を求めましたが受け入れられませんでした。
国の方針によってこれまでに殺処分された牛の数は福島全体で1,700頭に上ります。
科学者たちの探究は海でも続けられています。
海洋生物環境研究所は原子力規制庁の委託を受けて海水や海底土を観測しています。
長年原発周辺の海洋放射能を観測してきました。
日下部さんに原発から半径20kmの外側で採取した海水の分析結果を聞きました。
(日下部)これは海水のですね…こっちだけ見て頂くとこれは海水の表面だけをとったデータですね。
事故直後から始まって今の段階ですね。
これ8月の夏の状況ですけども。
かなり低いレベルに海水に関してはなってるという事ですね。
ただ事故後直ちに1,000分の1ぐらいにすぐ減ったんですけどもそれ以後ちょっと減り方が少ない。
(取材者)カーブがこう。
(日下部)そうですね。
あんまりこの辺が減ってないという事はまだ漏れ続けてるのではないかという事は言われてますね。
(取材者)放射能が海に漏れ続けている。
その事が原因で…。
それで減り方が少なくなってると。
「継続的な漏洩の可能性」という事です。
論文も既に出てます。
100億ベクレル一日に出ていますからインパクトが大きいですよね。
…ぐらいが漏れてるんではないかという事は言われてます。
(取材者)10の10乗ベクレル。
「パーデイ」ですね。
これ濃度的にはそんなに大した量じゃないですからまあ危険なレベルではないという。
(取材者)海水の濃度?そうですね。
海に漏れ出る放射能は海水によって薄められ拡散しているだけではありません。
海底の泥にたまっている事も分かっています。
(日下部)まずあの堆積物に関しては特徴的なのは一般的に高いのではなくて特異的に高いところがあると。
原発に近いからといって高いわけではない。
非常にその濃度のばらつきがあって例えば現在今のところ高いのは原発の南側という事で一つは堆積物の「質」ですね。
つまり粘土質なのか砂質砂なのかという事によって濃度が変わるという事と非常に複雑な状況で濃度がばらついてると。
それがなかなか減らない。
放射能は移動しながら海底でもまだらに分布しているようです。
原発事故は海の環境に何をもたらしたのか。
漏れ続ける汚染水は今後どんな影響を与えるのか。
人体への影響が懸念されるストロンチウム90の行方も含め海の汚染の実態はまだ解明の途上です。
岡野さんは福島市に入りました。
人口30万のこの街はこれまでの地域と違い国の避難指示を受けませんでした。
福島駅周辺です。
毎時およそ0.2マイクロシーベルト。
福島ではバーグラフの目盛りをこれまでより1桁ずつ小さく設定しています。
繁華街に入りました。
ここでもスペクトルにセシウムのピークが見えます。
ここは大学や高校など学校が集中するエリアです。
0.6マイクロ程度に上昇しました。
阿武隈川の土手付近でも放射線量が上がります。
放射能が川底の泥と一緒になって運ばれ川岸に堆積した事が一因として考えられます。
福島市の汚染地図です。
この地図では赤は毎時0.5マイクロシーベルト以上これまでの地域より1桁ほど小さい値で色分けしています。
事故直後に比べて放射線量は全体的に下がっています。
しかし市の東部から渡利地区にかけて放射能汚染が比較的強い場所がある事が確認されました。
あ高い高い。
ちょっとここら辺ストップ。
2011年4月私たちは渡利中学校の傍らで放射線量を計測しています。
毎時4マイクロシーベルトを超えていました
福島市などに暮らす親たちは子供を守る手だてを打つよう国に求めていました
当時その先頭に立っていた一人中手聖一さんです。
福島市の渡利地区に暮らしていました
あなたにかかってんだからお願いしますよ。
お願いします。
それから3年
中手さんの消息を聞き札幌市を訪ねました
失礼します。
はいどうも〜。
すみませんお邪魔します。
よろしくお願いします。
中手さんの一家は新たな暮らしを始めていました
これも映るの?長男の龍一と…。
長男の中手龍一です。
(聖一)これが次男の虎太郎。
ちょ…あ間違えた。
次男の虎太郎です。
よろしく。
食べていいでしょ?
(取材者)そして…?かみさんの日子です。
こんにちは。
(取材者)すみませんお邪魔します。
よろしくお願いします。
こっちかな?カメラは今。
やっぱりまだ慣れたっては言えないかな私は。
(取材者)何で?慣れたっていうかついまだ「今札幌はこうだけど福島はどんなかな」っていうのを常に考えてしまって。
それはなくしたもんが戻ってくるわけではないんだけどね。
だけど4人の生活の再建という意味ではね戻りつつあるよね。
事故発生から2週間後に日子さんと子供たちは岡山県に避難しました
(日子)4年生の龍一と1年生の虎太郎とね。
避難から1年3か月後家族は福島に戻らず北海道で合流しました
やっぱ子供がいなかったら多分私は避難もなかった話ですし子供をなるべく健康を守りたいという思いだけです。
今でも放射線が…というか放射能があるわけでそれは事故前と比べれば桁が1つ2つ違うぐらいの放射能があるわけで。
生活再建もしなきゃなんないし何とかして子供たちをね育てていかなきゃなんないし。
仕事もないわけですからね。
全部失って来たわけですから。
福島市は避難区域にならなかったため中手さんたちが受け取る支援や賠償は限られています。
北海道で中手夫妻は障害がある人の訪問介護事業を始めました
お邪魔します。
今何かしゃべってた?まだひと文字目しか…。
夫妻はもともと福島で経験があり資格を持っていました
「事業を広げ避難した人たちの雇用の受け皿を作りたい」。
2人の新たな目標です
去年4月中手さんは福島県が行う甲状腺調査を子供たちに受けさせました。
次男の虎太郎君の結果はB判定。
精密検査を勧められました。
甲状腺に1cm程度のしこりが見つかったのです。
事故初期に出る放射性ヨウ素によって甲状腺にがんが引き起こされる可能性があります
6月の頭ごろから虎太郎の声のかすれが出てきててそのうち治るかなと思ったらずっと1か月ぐらい治らなかったんですよ。
声のかすれっていうのはね甲状腺がんの症状の一つにもなるものだから他の症状とは違って注意深く感じていて。
そこにこれがちょうど来たんですよ。
「え〜!」ってほんとに…。
「何で?うそじゃないの?」という信じられないっていうね…。
すぐさま精密検査を受けさせました。
幸いがんの可能性は今のところないとの事でした
初期被ばくが原因かもしれないなとはちょっと思いますよね。
やっぱり高かったしね実際ね福島は。
(聖一)そこについては今全く予断を持たないように努力するという感じですよ。
つまり「そうかもしれない」「違うかもしれない」なんて事を判断する根拠もないのに決めつけて思った方が楽だからなんだけど予断を持たない。
しっかりとちゃんと判断していこうと。
子供たちにきちんと説明できるような判断を持たなきゃいけない。
「福島を離れても原発事故を経験した事実が消える事はない。
その事を子供たちにも伝えていきたい」と中手さんは考えています
福島の事を断ち切って全く別な人間として生きてほしいというのではなくてむしろこういう事情で福島を離れなきゃならなくなったんだからしっかりと福島の人間であるという事を誇りを持って生きられる人間に育てたいというふうに。
これはずっと思ってきた事なんですよ。
更に加えて言うと避難者というだけじゃなくて被ばく者という面もあるので自分の事をちゃんと理解してる自分の事をしっかりと受容して受け入れてしかも堂々と生きていくそういう人間に育てたいですね。
中手さんの子供たちが通うはずだった渡利中学校です。
その隣の民家で土壌をサンプリングさせてもらいました。
除染のため表面を削り新しい土をかぶせてある事が分かります。
これは深さ別の汚染を表しています。
除染により地表の汚染が低くなっている事が確認できました。
次に空間線量を測ってみると地上1mで毎時0.5マイクロシーベルト。
汚染された土地では上がるはずの地表近くでも線量は変わりません。
まあ同じかな。
土の入れ替えによって空間線量も抑えられている事が分かります。
それにしてもなぜこの場所は今なお毎時0.5マイクロシーベルトあるのでしょうか。
(取材者)という事は周りから放射線が来ていると。
うん。
(取材者)どういう所に放射線源があるんですか?この前の庭のちょっと離れた向こう側に茂みがあります…茂みっていうかあまりいじっていないとこね。
そこから来ますよね。
だから極端に言うと庭の表だけ表面取っても駄目なんですね。
全部取りゃあいいですけどね。
それはどこでもそうですよ。
渡利地区では住宅地の除染が行われました。
しかしそこから離れた山や林はまだ手付かずのままです
そんな中で徹底した放射線対策で園児を守る保育園があると聞きました
おはようございます。
おはようございます。
さくら保育園の園長…
お願いします。
園長の齋藤先生です。
齋藤です。
よろしくお願いします。
およそ100人の子供が通うさくら保育園。
事故後園を一度も閉じる事なく子供たちを受け入れてきました
(齋藤)おはようございます。
おはようございます。
ここがずっと線量を測っているポイントですね。
定点測定をしているんですよ。
一定の場所をね。
今0.09ぐらいになりましたか。
事故から2か月後には園庭で毎時4マイクロシーベルトありました。
そのため子供たちの活動は屋外は一切禁止。
比較的線量が低い園舎の中に限られました
園は除染の実施をいち早く国に求めました。
事故から3か月後には園庭の表土の剥ぎ取りが行われ放射線量は8割程度減少しました
更に汚染されたマットの除去などは国の除染の対象外だったため自前の予算で行いました。
加えて内部被ばくの予防にも取り組んでいます
子供たちの給食に使う食材は全ての品目のサンプル調査を毎日行います
出荷基準より10倍ほど厳しい基準で調べ放射能が検出できない食材のみを使用しています
福島はこれから先もずっとね測定しながら暮らすというのがスタイルだからね。
そういうふうなせざるをえない状況にはずっと長くあると思いますので特に子供の施設としてはねそこは譲れないものとして測定しながら暮らすんだというのはねしてます。
去年10月。
さくら保育園でようやく再開できた事があります。
園の外への子供たちの散歩です
「四季の変化を感じさせ自然と触れ合う感性を養ってあげたい」。
園では散歩は子供の成長に欠かせないものだと考えています
それでも除染が十分でない園外へ出るのは被ばくのリスクを伴います。
そこで使用しているのが園周辺の汚染地図です
地域の汚染の程度を地図に落とし比較的放射線量が少ないルートを選んで散歩コースを定めました。
この汚染地図の作製に協力したのが立命館大学名誉教授安斎育郎さんを中心とした研究チームです
チームは園周辺をくまなく歩き放射線量の変化を記録しました
その結果分かったのは汚染が生活環境にまだら状に分布している事でした
(安斎)この中は高い。
0.6を超える。
線量は数メートル離れるだけで倍の違いがありました
子供を放したら当然この中に入りたがるので。
ただそういう知恵を持って行動すれば被ばくは低く抑える事もできると。
そこんとこ今生活の知恵として必要になっちゃってんのね。
それやっかいな事ですけど。
特に線量が高い場所も見つかりました
雨に含まれた放射能が流れてきてこの辺にしか流れ込みようがない。
これ除染すれば明らかに減るんですけど。
このコースにしても全部保護者と相談しますので一定のデータとかこんなふうに測ってもらえるからねそれを提案しながら考えあえる材料は出来ますね。
この春これまでの努力がある数字となって明らかになりました。
さくら保育園では去年一年継続して園児や職員など個々人の被ばく量を測りました。
その結果原発事故による被ばく量は平均で年間0.27ミリシーベルトと推定されました。
予想を下回る結果でした
思ったより確かに低かったのでそれは不幸中の幸いだったなとは思っているんだけども。
油断すると放射能が高い草むらにゴロンと寝転んだりいろんな事して遊んだりするのをそのままにしておくと被ばくが上がるって事はありうる事なので。
ここでより安全に低いリスクで暮らすにはどうしたらいいのかっていうそういう知識をもっと普及する必要があるというふうにね…。
きっとこの子供たちを大人が守るんだっていうのは私はここに住みながらみんな大人たちは思ってる気がするんですね。
だからきっとその思いがあればこの事態に対して何となく忘れようとかそんな形じゃない切り開き方その可能性は絶対そこにはあるはずだって。
福島に踏みとどまる人。
福島を去った人。
それぞれの判断は違っていました。
それでもその選択は事故が起きたあとの人生をどうつくるのかという同じ問いへの模索のように私には感じられました
3年目の福島を調査してきた岡野さん。
最後に浪江町にある岩倉さん夫妻の家に向かいました。
夫妻が犬のパンダや猫たちと共に暮らしていた家です。
(公子)どうも。
いつもテレビで拝見してます。
庭先で測ると毎時5マイクロシーベルトありました。
岩倉さんの家は年間被ばく量が20ミリシーベルトを超える事が予測される居住制限区域です。
避難の継続が求められています。
家の中でも3マイクロシーベルト以上ありました。
ダイレクトにこの辺に降ったやつがたまってますね。
それで表面に結構ありますね。
表面にね。
浅い所。
だから除染するんだったら浅い所のあれを削った方がいいんだけれど。
いつか帰れる日が来るのか岩倉さんが庭の土を採取します。
分析してみるとセシウムの他にもアンチモンや放射性銀などが検出されました。
セシウムは…帰還困難区域の赤宇木をしのぐ高さでした。
実際に計測してみないと分からない事を痛感するデータでした。
今後福島では避難指示が解除される区域が増えていくと予想されます。
それは汚染度に応じて一人一人が放射能に向き合う暮らしが始まる事を意味しています。
ともかく「現状はこうですよ」という事が今度の測定ではっきりしたわけですね。
やっぱり帰った自分の生活するとこが年間を通してどのぐらいの放射線を受けるかっていう事をきちんと数字として把握する事ですね。
それからもう一つは食料をちゃんと管理して放射性物質の高いものは食べないようにするっていう。
岡野さんが食べ物を重視するのは若い頃調査した太平洋のビキニ環礁を思い出すからです。
1954年のアメリカの水爆実験で被ばくし避難していたロンゲラップ島の住民は3年後に故郷に帰ります。
しかし年月がたつうちに流産や死産甲状腺の機能障害が目立ち始め結局島民は再び島を離れました。
ビキニのマーシャルでもそうですね。
マーシャルが「みんな帰ってもいいです。
線量はいいですよ。
食料は大丈夫ですよ」と言ってもヤシの実をとったりヤシガニ食ったり海から勝手に魚を取って食ったりという事で線量が上がって。
それと同じような事が今度福島の場合にどういうふうになるか。
福島原発事故が起きてから3年がたちました。
私たちの記憶は少しづつすり減ってきています。
しかし福島の道路を走っている間中岡野さんの測定器は耳障りなノイズを発しながらまだらに増減を繰り返す放射線を記録し続けていました。
3年目の放射能の爪痕。
人々は今もその現実と向き合って生きています。
2014/03/08(土) 23:00〜00:35
NHKEテレ1大阪
ETV特集「ネットワークでつくる放射能汚染地図〜福島原発事故から3年〜」[字]

ETV特集は原発事故直後に現地に入り放射能汚染の実態を独自に調査、報告し大きな反響を呼んだ。あれから3年。汚染はどう変化し人々は今どんな現実に直面しているのか。

詳細情報
番組内容
ETV特集は原発事故直後から科学者とともに被災地に入り、「ネットワークでつくる放射能汚染地図〜福島原発事故から2ヶ月〜」を放送した。あれから3年、汚染はどう変化し、出会った人々はどんな現実に直面しているのか。放射線測定の第一人者・岡野眞治博士(86歳)ら科学者たちとともに再び現地を調査し、避難生活を送る人々を取材。そこから見えてきたものは何か? 3年間にわたる継続取材の成果を調査報道で再び伝える。
出演者
【出演】元・理化学研究所…岡野眞治

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ドキュメンタリー/教養 – ドキュメンタリー全般
ドキュメンタリー/教養 – 社会・時事
ドキュメンタリー/教養 – 文学・文芸

映像 : 1080i(1125i)、アスペクト比16:9 パンベクトルなし
音声 : 2/0モード(ステレオ)
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