(テーマ音楽)
(歓声)かつてオリンピックの金メダルより難しいと言われたタイトルがある。
柔道の日本一を決める…1985年。
決勝で相まみえたのは2人の金メダリストだった。
前の年オリンピックで無差別級を制覇。
全日本選手権は8連覇中。
挑むのは斉藤仁。
オリンピックでは95kg超級を制し…斉藤は過去2年決勝で山下に敗れ栄冠を逃していた。
斉藤には山下を倒すための秘策があった。
それは常識外れの稽古で磨いた技だった。
一方の山下。
現役最後の戦いで斉藤の挑戦を受けたいと考えていた。
悔いの残らない試合がしたい。
自分の全てを出し尽くしていこう。
2人の最後の戦いには意外な結末が待っていた。
(歓声)史上最高の一戦。
2人の心の軌跡を追う。
1980年代前半。
経済大国へと成長した日本はその豊かさを謳歌していた。
このころ日本柔道界も黄金期を迎えていた。
その頂点に君臨していたのが山下泰裕。
70年代後半から国内のみならず海外でも負けた事がなかった。
早く私を超える選手が出ないと日本柔道界はやっぱり暗いわけですよね。
私だって出ないとですね私の王座が続くという事で非常に複雑な心境ですけど。
このころ山下と同じ重量級で頭角を現してきたのが3歳年下の斉藤仁だった。
(インタビュアー)山下さんに追いつき追い越してくれる人を誰しも待っているわけですけども。
自分もそのつもりで稽古して早く山下さんを破りたいです。
その2人がそろって臨んだロサンゼルスオリンピック。
山下はケガのアクシデントにもかかわらず一瞬の隙を逃さない柔道で期待どおりの金メダル。
(実況)「ブザーが鳴った。
ケガを押して山下やった」。
斉藤は95kg超級に出場。
(実況)「斉藤の内股だ!決まったか」。
豪快な投げ技で圧倒。
見事金メダルを獲得。
しかしマスコミの注目は全日本選手権の覇者山下にばかり集まった。
実際これはもう自分のおやじから「お前はオリンピックで優勝しても世界選手権で優勝しても……という思いの方がものすごい強かったんだよね。
青森出身の斉藤は中学卒業後親元を離れ柔道一筋の高校生活を送った。
110kgの体に抜群の柔軟性。
卓越した運動神経。
高い身体能力でメキメキと力をつける。
体の柔らかさを生かしてねカーン!と跳ねていく入っていく刈っていくというそういう柔道。
それが柔道だっていう気持ちでやってきたからね。
斉藤が大学1年となった年山下と初めて対戦。
一本負けしたものの山下の技を返す場面もあり善戦した。
この日を境に斉藤は若手のホープとして注目され「山下2世」と呼ばれるようになる。
「うわ〜俺は山下2世なんだ」って。
すごく「ポスト山下」とか…正直言ってうれしかったですね1年生ながらに。
しかし王者山下にとって斉藤は数多い挑戦者の一人にすぎなかった。
多分俺が現役をやめたあと出てくる選手だろうって思ったと思うんですね。
2年前山下は弱冠19歳で全日本を初制覇した。
(実況)「優勢勝ち。
初優勝は山下」。
勝負技は…たとえ大外刈りで倒せなくても技を重ねて一本勝ち。
山下の柔道には隙がなかった。
どんな小さなチャンスも逃さない。
技をかける時には投げると。
必殺という気持ちでかけてました。
その山下に憧れていた斉藤は何度も胸を借りに行った。
嫌でした非常に。
どうしたら来なくなるだろうか。
来るのを逃げるわけにはいかん。
そうしたら考えついたのは…山下はわざと大勢の前で相手をした。
必ず全力で倒し力の差を見せつけた。
大抵の場合は嫌気さして練習をお願いに来ないんですよ。
恥をかかされて。
でも恥をかいてもかいても来るんですね。
もうこれかないませんでした。
稽古でどんなに恥をかいてもそんな事は関係ない。
強くなりたいんだ。
強くなって山下さんに追いつき追い越したいんだっていうのが彼の柔道に打ち込む姿勢から満ち満ちてましたね。
急速に力をつけた斉藤は日本代表に選ばれ国際大会で優勝するまでになっていく。
だんだん地力がつくとともに…そのためには山下先輩に勝たないと一回は勝たないとこれはもう名前が取れないなと。
このころから山下を倒して日本一を取る事が最大の目標となった。
初対戦から4年。
ついにチャンスが訪れた。
全日本選手権山下との決勝。
(主審)始め!斉藤は投げ技で一本を狙っていた。
だが攻め込めない。
組み手争いで優位に立った山下。
主導権を握る。
(実況)「大外!大外刈り」。
(実況)「大外大外刈りにいった」。
(実況)「赤旗2本。
山下見事に7連覇を達成しました」。
斉藤は自分の柔道ができなかった。
ほぼ互角か組み負けるっていう中でだから技のかけ数も少なくなってくるんですよね。
まあ簡単な話ですよ。
僕が山下先輩より弱かったから。
ところが山下の思いは全く違っていた。
自分で「いった!」。
絶妙のタイミングで思いどおりに大外刈りをかけた。
それがいかなかったんですね。
その時から私の中ではもう目の前の……という認識に変わったような気がしますけどね。
「まだ斉藤に負けるわけにはいかない」。
実は山下は以前恩師に打ち明けていた。
「燃えないんです。
試合に勝っても充実感がないんです」。
その山下が変わった。
斉藤がどんどん接近してくるのが分かりますからそれに対する激しい闘争心が出てきた事も事実だと思いますよ。
だから練習その他でもねどんどん打ち込むようになってきたんですね。
山下は再び斉藤の挑戦を退けた。
山下時代が続いた。
しかし…。
ロサンゼルスオリンピックで山下は右足を大ケガ。
誰もが金メダルを花道に引退すると思った。
ロスのオリンピックで優勝して現役引退するというのは勝ち逃げのような気がしました。
彼がずっと「打倒山下」で一生懸命努力してきてるのは私にもよく分かってたんです。
とにかく全日本選手権に出て…斉藤は燃えた。
王者打倒の最後のチャンス。
山下の柔道を徹底的に研究した。
そして攻略の糸口を見いだす。
それは山下の得意技…山下先輩の得意技を受けた時に軸足が倒れる。
そこを潰していくというか前に倒していくという。
まあそこしかないなと。
大外刈りは技をかける時大きく踏み出す。
そのため軸足が傾き不安定な体勢となる。
斉藤の作戦はこの軸足を狙って自分の全体重をかけ浴びせ倒すように技を返すというものだった。
そのための特訓を当時の指導者はこう語る。
2人か3人にかけさせてそれを相手を2人3人を投げるだけの返す力がなきゃ勝てないという事の練習だと思います。
山下のパワーを想定した2人がかりの大外刈りを全力で返す。
失敗すると2人分の体重がのしかかる。
斉藤は何度も脳しんとうを起こした。
まあある部分こんだけやったんだからこんだけ追い込んでやったんだから勝てるという部分とね競り合った時に絶対に妥協しないというねそういう気持ちで稽古を積んでいたんじゃないかなと思いますよね今思えば。
全日本の決勝は三度最強の2人の対決となった。
そして名勝負が生まれる。
こうやってまじまじと見るのはほんと十数年ぶり。
(会場アナウンス)「白山下選手」。
前人未到の9連覇か。
「赤斉藤選手」。
悲願の初優勝か。
始め!この試合斉藤は意表をつく組み手に出た。
本来は相手の肘の下を持つところわきの下をつかんでいる。
その腕を突っ張り距離を取る。
わきの下を持つという事は…間合いを取らなきゃ駄目だっていうのが強かったんだよね。
私にとってはどっちかというと嫌な組み手でした。
投げにいくというよりも山下の持ち味を殺すという事に重点を置いた組み手だったと思いますね。
攻めあぐねる山下。
一瞬の隙をうかがっていた。
斉藤は大外刈りをひたすら待っていた。
その瞬間は4分過ぎに訪れた。
(歓声)最初に仕掛けたのは山下。
あのタイミングからいくと……と思ってパーンとこうやって入ったんだよね。
ところが山下の狙いは大外刈りとは逆の足に技をかける…
(山下)胸を突かれている中で…だが斉藤は大外刈りだと思い反射的にあの返し技にいく。
手応えは十分だったんだよね。
バーンとこう…。
ポーンとこう倒れる瞬間の手応えは十分で。
「しまった」と思ったです。
はい。
だって自分が倒れてるんですからかけた自分が。
背中から倒れた山下。
しかし主審のコールはなかった。
実は斉藤もこの時「しとめた!」という感覚はなかった。
山下先輩もボーンとこっちに来るのではなくて一回転ドン。
一回転で向こうにこう行ったから「あれ?」っていう気持ち。
斉藤は山下を自分の体の下に巻き込むようにして倒すはずだった。
しかし山下をつかんでいた手が離れてしまう。
最後まで技をかけきれなかった。
「あぁいった!」と思ったけど確かに背中はついたけどこれは山下のスリップと思った。
スリップは…主審は技をかけにいった山下が自ら足を滑らせたつまりスリップによる転倒と判断した。
技はね自爆と見たんでしょう審判はね。
しかし…斉藤が有利になったシーンですあれは。
その直後斉藤が「待った」をかける。
倒れ込んだ時に足を痛めていた。
この間山下は考えた。
この時の斉藤選手の圧力プレッシャーの中で彼を投げられる自信はありませんでした。
投げる事できないと思った。
じゃあ自分にできる事は何か。
彼に精神的なプレッシャーをかける事。
彼に精神的にプレシャーをかけて追い込んでいけば何らかのミスを彼はするかもしれないし何らかのチャンスが生まれるかもしれない。
攻めて彼にプレッシャーをかけると。
その意識だけでいきました。
山下の動きが変わった。
次々と技を仕掛ける。
対する斉藤。
技が出ない。
攻めようとすると山下先輩の足が飛んでくるんだよね。
…というのが正直な表現かな。
(山下)あの流れを変えないという思いで戦ったと思います。
勝負は判定にもつれ込んだ。
(拍手)判定!勝ったのは山下だった。
(会場アナウンス)「白山下選手の優勢勝ち」。
斉藤はまたしても山下の壁を越えられなかった。
何で負けたんだろう。
何が足りなかったんだろうって。
俺もう少し考えてねあの時やっぱり組み手また…やっぱり悔しさだけ。
うん。
ほとんど差がなかったと思いますよ。
俺がやめたあとは彼が日本柔道を引っ張っていくんだろうなと。
こんなに早く追っかけてきてこんなに苦しめられて…というふうには思わなかったけどもうすばらしい後継者がいて悔いはないと思いましたね。
山下の引退から3年後斉藤は悲願の全日本初優勝を果たす。
そしてソウルオリンピック代表の座もつかんだ。
そのオリンピック。
日本は最終日まで柔道の金メダルがゼロ。
最後の望みを託されたのが斉藤だった。
最大のピンチは準決勝。
地元韓国の選手が相手だった。
(声援)斉藤らしい投げ技が決まらず苦戦。
(実況)「背負い!あっと危ない危ないぞ。
これは危ない。
グラグラっときましたか」。
両者ともポイントがないまま残り時間は僅か。
(実況)「今斉藤がチラッとこちらを見ましたか?山下さんの方を見たんじゃないですか?」。
(山下)「そうですね」。
テレビの解説席にいたのはあの山下だった。
…っていう気持ちでこうしたらね山下先輩がね…「うんうん」に聞こえたんだよね。
まあ数多く試合した中で目と目が合ってこういうふうにしたのは初めてですよね。
私はただうなずいて。
ひと言も言葉を交わしてないけどもそれで本当にお互いに分かり合えていたんだなと思いました。
(実況)「斉藤気合い十分!斉藤がいきます。
20秒切った。
20秒切りました。
趙の方は逃げる逃げる。
逃げる作戦に出たのか」。
判定は…。
(実況)「斉藤です」。
攻め続けた斉藤に上がった。
斉藤が掲げた日の丸で日本柔道の金メダルの歴史はつながった。
解説席で山下も泣いた。
山下先輩との最後の試合負けていたからこそソウルオリンピックの金メダルがあるなと言っても過言じゃない。
山下さんだからこそ燃えられたし山下さんだからこそ頑張れたし追い込んだし。
柔道では戦う相手は敵じゃない。
相手がいるから自分を磨き高める事ができる。
だからそれをライバルと言わなかったら何という表現をしていいか分からないです。
最強の座を争い最強の時代を築いた2人。
その戦いは今も熱い記憶として刻まれている。
2014/03/08(土) 22:30〜23:00
NHK総合1・神戸
ヒーローたちの名勝負「無敗の王者を倒せ 柔道・山下×斉藤」[字]
ロス五輪金メダリスト対決となった85年全日本選手権決勝。8連覇中の山下泰裕に挑んだ斉藤仁は秘策を講じる。ライバル二人の最後の一戦への執念とソウル五輪の感動秘話
詳細情報
番組内容
ロス五輪柔道の金メダリスト対決となった1985年全日本選手権決勝。8連覇中の山下泰裕に挑んだのは斉藤仁。「世界王者でも日本では2番目」と言われ続けた斉藤は、山下を倒す秘策を講じる。五輪で大けがを負った山下は引退勧告を退け、斉藤の挑戦を受けるために出場。最後の対決は、両者の究極の技がぶつかり、意外な展開に。切磋琢磨(せっさたくま)し続けたライバルの執念の対決を、感動的なソウル五輪の後日談と共に描く。
出演者
【出演】五輪金メダリスト…山下泰裕,斉藤仁,【語り】鈴木省吾
ジャンル :
ドキュメンタリー/教養 – スポーツ
スポーツ – 相撲・格闘技
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音声 : 2/0モード(ステレオ)
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