洋画とは明治時代に生まれた日本では新しいジャンルの絵画です。
そのうち重要文化財の指定を受けた作品は現在わずか19しかありません。
実は今日の作品もその中の一つなのですが…。
これが重文なのかと思わせるほど荒々しい筆あと。
まるで未完成のようにキャンバスがあらわなのです。
この画家は本来装飾的で夢ともうつつとも知れぬ甘美な世界を得意としていました。
こちらの絵でも花の香りのごとく匂い立つ女性の気品を繊細に捉えています。
ところがこの作品だけは違っていました。
しかも描かれてから30年以上もの間封印されていたといういわくつきの絵なのです。
画家の名は…。
近代日本洋画界の巨人です。
東京美術学校の教授として青木繁や熊谷守一など多くの画家を育てました。
もちろん重要文化財となったこの作品は画家にとっても最高の傑作です。
なのになぜ30年以上もの間ずっと発表を拒み続けていたのか。
東京駅から程近い名だたる印象派の名作が並ぶ美の殿堂に画家の最高傑作が収められています。
今日の一枚。
薄明かりの中に異国の女性がたたずんでいます。
真っ黒な扇。
柔らかな女の体は長い純白のベールにすっぽりと包み込まれています。
潤んだ藍色の瞳は何を語りかけているのか。
透き通るような肌はバラ色に染まり形のよい唇がわずかにほほえんでいます。
頬の影は大胆にブルーで。
しっかりと描かれた顔に比べ黒い扇は一気呵成の筆運び。
しかもまるで描きかけの絵のようにキャンバスがむき出しになっています。
風に揺れる白いベールも画家は太く豪快な線をよどみなくジグザグと走らせているだけです。
なのにそうした画面上の荒々しさをこの絵はまったく感じさせない。
ただ彼女のまっすぐな眼差しにくぎ付けになってしまうのです。
この作品を描いていた頃武二は人生最大の歓喜に包まれていました。
ようやくつかんだ憧れのヨーロッパへの留学。
20世紀を迎えまさに百花繚乱の芸術の都フランスパリ。
夢にまでみたイタリアルネサンス芸術の豊饒の美。
4年間西洋のさまざまな芸術に触れ武二の筆は軽やかに羽ばたいたのです。
しかし帰国した画家を待ち受けていたのは誕生間もない混迷期の日本洋画界。
そこで次々巻き起こる騒動でした。
私が東京藝術大学の前身である東京美術学校に入学したのは昭和10年代半ば。
当時西洋画教室の教授だった藤島先生はすでに70歳を超えていたがかなりな熱血漢で生徒から恐れられていた
デッサンがなってない!早く消せ!
いつもこの怒鳴り声が教室に響いていた。
生徒が描いた絵などまるで無視。
先生はぐんぐん描き始めこう言うのだ
絵とは見えたとおりに描くもんじゃない。
えっ?見たとおりに描くなってどういうことだ?他の先生は対象に忠実に描けって言ってたよな?
ならばいったいどう描けばよいというのか?
しばらくして先生はある作品を発表されたがその絵は30年以上も前に描いたものだった。
「絵とは見えたとおりに描くもんじゃない」というあの先生の言葉の意味をやがてこの絵から私たちは教わることになるのだ
『黒扇』は40代の武二がイタリアで描いた作品です。
まるで描きかけのような粗さがあるにもかかわらずなぜか生き生きとした輝きを放つ絵の世界に強く引き込まれてしまうのです。
画家が30年以上もこの絵を封印していた理由。
その謎を解く鍵が実はこの荒々しい筆のタッチに。
それはいったい?藤島武二の『黒扇』。
画家は40代で描いたこの作品を晩年まで手放そうとはしませんでした。
こんなことを言っていたそうです。
武二の50年を超える画業を振り返ってみても『黒扇』は極めて異質だといいます。
絵の具を叩きつけたような激しい線。
強引な線はベールそのものの形を無視するかのように強靭なスピードでぐんぐん突き進んでいきます。
どこか未完成のような荒々しさを残しながら。
いったいここに何をさらけ出そうというのか?藤島武二は薩摩の人です。
まだ日本に職業としての洋画家など皆無だった時代18歳で上京した武二は数少ないツテをたどりながら油絵の技術を修得していきます。
やがてその才能を認めたのがこの『湖畔』で知られる黒田清輝。
同じ薩摩出身で1つ年上の黒田は東京美術学校に開設した西洋画科の助教授に武二を推薦します。
当時の武二の作品です。
外光派紫派と呼ばれた黒田の影響を深く受け継いでいます。
武二の名を一躍知らしめたのがこの『天平の面影』。
外光派を離れロマンに満ちた独自の作風が竹久夢二や青木繁ら若き才能に大きな影響を与えていきます。
そして豊かな色彩構成で新しい境地へ。
しかしこの『蝶』という作品を最後に武二は黒田と一線を画すことになるのです。
藤島先生は1905年に確か38歳で留学されたんだよな。
うんでも先生の実力からするともっと早く留学してもおかしくなかったんだって。
噂じゃ黒田先生が藤島先生の人気に嫉妬したからだっていうぜ。
えっ嫉妬?気づいてたのか?藤島先生は。
さぁな。
黒田先生もフランス留学されただろう。
そのときの恩師を推薦したのに先生はとうとう会いに行かなかったそうなんだ。
やっぱ気づいてたんだ。
どうかな?でもパリの美術界は黒田先生の頃とは様変わりしていたからね。
もっと新しいことを学びたかったんじゃないか?えっ新しいこと?黒田の留学から遅れることおよそ20年。
武二はフランスへ。
パリは20世紀という新たなる時代の幕開けに活気づいていました。
美術界では自然の色をまったく無視したかのようなフォービズムと呼ばれる色彩の時代が始まりその2年後に今度はピカソがキュビズムを展開します。
武二の言葉です。
画家の野見山暁治さんは東京美術学校で藤島武二に本質の捉え方を授かりました。
ただ見えている表面にとらわれるのではなく武二は本質を掴み出そうとこの絵で闘っていました。
既成の法則に縛られず無限の可能性を突き詰めていく新しい西洋の芸術。
それが武二に本質を見つめることの大切さを示してくれたのです。
その闘いに緻密で繊細な線は必要ありませんでした。
対象が発するものを感じとってそれをすばやくキャンバスに写しとること。
瞬時の決断と強靭な意志で画家は迫力に満ちた鋭い線を走らせていったのです。
豪快に筆を走らせながらもよく見ると画家が顔だけは克明に描いていたことがわかります。
わずかにほほ笑む引き締まった口もとには女性の慎みと意志の強さが。
バラ色の頬が伝える情熱。
こちらを見据える藍色の瞳の底には一途さそして優しさが。
しかし顔とは対照的に白いベールや黒い扇は絵の具がかすれるほどの勢いで即興的に描かれているだけです。
武二はキャンバスに捉えたモデルの本質を際立たせるためにあえて周囲を粗く描いたのです。
だからこそ見る者はその表情に引き込まれるのです。
天井の高い自慢のアトリエは武二が帰国後に建てたものです。
壁に飾られたヨーロッパ時代の作品から武二は常に新たな表現へ挑む活力を得ていました。
ではこの『黒扇』はというと画家はこの部屋の意外な場所に飾っていました。
壁ではなく階段の裏に。
作品として発表しないばかりかこの絵を人目につかないところに置いていたというのです。
帰国後間もなく武二は美術界を揺るがす大事件に巻き込まれます。
舞台となったのは国家が主催する画家の登竜門文展。
その洋画部門の審査の中心にいたのが黒田とその親派たちでした。
彼らのあまりに時代錯誤なやり方に梅原龍三郎をはじめとする若手画家たちは大正2年文展からの独立を表明。
その熱意に武二も賛同したのです。
しかし恩義のある黒田に懇願され武二は文展に踏みとどまるしかなかったのです。
っていうようなところがあってもおかしくないなとは思いますね。
当時の日本洋画壇から『黒扇』はあまりにかけ離れていたのです。
今この作品を世に出すべきではない。
武二はこの絵を30年以上封印します。
ところが…。
先生は今ご病気で絵筆をとれないそうだ。
でもなぜ急に発表する気になったのかな?30年以上も出さなかったのになぁ。
しかもそのあと…売ったらしいよ。
(3人)えっ!『黒扇』の突然の発表。
そして愛着のある作品をなぜ手放したのか。
その謎めいた行動の裏に隠された画家のある核心とは…。
今日の一枚藤島武二の『黒扇』は描かれてから一度も発表されなかった作品です。
しかし晩年武二は突然発表に踏み切りしかも手放すことを決意します。
実はこの絵に画家は己亡きあとの未来を託していたのです。
日本が太平洋戦争に突入した翌年昭和17年。
75歳になった藤島武二はある展覧会に『黒扇』を発表しました。
かつての教え子である小磯良平や猪熊弦一郎らが旗揚げした新しい団体が主催するものでした。
そのときの図録が残されています。
巻頭を飾っていたのが『黒扇』。
死期を悟った画家はこれが『黒扇』を世に問いかけるための最良にして最後のチャンスだと感じていました。
ちょうどいい頃合いにということでしょうかね。
そして発表のあと武二はこの絵をブリヂストン美術館の創設者である石橋正二郎に売却します。
後世に『黒扇』を伝えていくために最善と考えて。
ヨーロッパの芸術に触れ対象の本質を描ききったこの絵は武二にとってまさに会心の一枚でした。
混迷する日本洋画界が進むべき道を照らす一筋の光になると画家は信じていたのです。
先生は『黒扇』を譲ったもののたった3日後には取り戻してるんだけどね。
あることを訴えてね。
えっ何だって藤島先生?この絵がないと寂しくて眠れないんだって。
あの頃はわからなかったがこの絵は窮屈だった日本の洋画界を変えようとした先生の心のよりどころだったんだな
『黒扇』を取り戻した武二はその半年後75年の生涯を閉じました。
更におよそ30年後画家の思惑どおり『黒扇』は日本の洋画壇に大きな影響を与えたとして重要文化財に指定されます。
この絵は日本の宝として後世に受け継がれることになったのです。
藤島武二作『黒扇』。
日本の近代洋画界に新しい扉を開いた一枚。
今年正月の東京。
2014/03/08(土) 22:00〜22:30
テレビ大阪1
美の巨人たち 藤島武二『黒扇』[字]
毎回一つの作品にスポットを当て、そこに秘められたドラマや謎を探る美術エンターテインメント番組。今日の一枚は、重要文化財・藤島武二の『黒扇』。
詳細情報
番組内容
今日の一枚は、重要文化財指定・藤島武二の「黒扇」。純白のベールに包まれた女性が、夢かうつつか知れないまろやかな世界へと誘うように、真っ黒な扇を開き芳しい香りを漂わせています。武二の他の絵とは極めて異質な、一気に描かれたような素早い線と、まるで塗り残しのような荒々しい画面です。なぜか30年以上もの間封印し、晩年まで手放そうとはしなかった今日の一枚。そこに秘められた藤島武二の複雑な思いをひも解きます。
ナレーター
小林薫
音楽
<オープニング・テーマ曲>
「The Beauty of The Earth」
作曲:陳光榮(チャン・クォン・ウィン)
唄:ジョエル・タン
<エンディング・テーマ曲>
「終わらない旅」
西村由紀江
ホームページ
http://www.tv-tokyo.co.jp/kyojin/
ジャンル :
趣味/教育 – 音楽・美術・工芸
ドキュメンタリー/教養 – カルチャー・伝統文化
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