ふるさとは青森です。
今回久しぶりに里帰りしました。
「春咲小紅」の大ヒットで知られる矢野さん。
デビューして38年。
弾き語りからテクノサウンドまで精力的に創作活動を続けています。
子供の頃通い詰めたピアノ教室。
音楽を共に楽しんだ幼なじみ。
更に青森の音楽家との再会セッション。
「SONGS」矢野さんの豊かな音楽がどのように育まれたのかふるさと青森で探ります。
矢野さんが訪れたのは3歳から通っていたピアノ教室。
久しぶりの訪問です。
戦後すぐに創立され今年67年目を迎える伝統のピアノ教室です。
矢野さんは東京生まれ。
3歳の時青森へ移り住み母の勧めでピアノ教室に通う事になりました。
矢野さんがピアノを好きになったのはある先生との出会いがあったからでした。
今は亡き今泉尚子先生。
細かい指づかいなどを押しつけず一人一人の個性を尊重。
ピアノの楽しさを教えてくれました。
おさらいの会の時暗譜が苦手だった矢野さんは曲の途中から即興で弾いてしまいます。
しかし今泉先生は叱りませんでした。
多感な少女時代ピアノ教室へ通っていた時の風景が今も心に残っています。
ピアノ教室の大先輩に話を聞こうと生徒たちが集まってきました。
矢野さんが即興演奏をプレゼントしました。
(拍手)小学6年生の時矢野さんはラジオから流れてきたジャズと出会います。
幼い頃から即興演奏をしていた矢野さんはジャズのアドリブに夢中になりプロになろうと決意します。
16歳の時高校進学のため上京。
ライブハウスで腕を磨きます。
その演奏が評判となりプロのレコーディングにも参加するようになります。
1976年アルバム「JAPANESEGIRL」でデビュー。
独創的なオリジナルに加え青森民謡や古賀メロディーのカバーなど矢野さんのユニークな音楽が話題となりました。
79年かねてから親交のあったイエロー・マジック・オーケストラのワールドツアーに参加。
卓越した技術でYMOをサポートしました。
このYMOのツアーで矢野さんの曲が演奏されました。
「在広東少年」。
自由な発想で作られた歌詞とメロディーが小気味よいロックビートで演奏され世界の音楽ファンに強烈なインパクトを残しました。
子供の頃青森で暮らした矢野さんはねぶた祭りが大好きでした。
矢野さんはねぶた祭りのリズムに大きな影響を受けました。
そして作られた曲がデビューアルバムに収録された「ふなまち唄Part