ウェークアップ!ぷらす 2014.03.08

全滅だね。
宮城県南三陸町志津川地区です2011年3月10日まで、ここには普通の生活がありました。
そして一番町でにぎわっていたのが、この地区です。
震災直後に来たときには、それこそ、何から手をつけていいのか、分からないという状況だったんですが、1年ぐらいして訪れたときには、今、砂が盛られてますね。
あの辺りにがれきは片づけられて、大きながれきの山になっていて、でもこのがれきは、一体どうするんだろうと思った記憶があります。
今、ご覧のように、がれきは完全に撤去されて、大きなさら地が出来ています。
阪神大震災のときには、実はさら地になってからの復興は早かったんです。
あっという間にビルが建って、町ができました。
ところが東日本大震災の被災地は、津波で洗われた所には、もう人は住めない、住まないということを大原則にしてますから、ここからどうするのか、各地で大激論が起きています。
三方を山に囲まれ、海に面する、宮城県南三陸町。
町の7割、およそ3800家屋が津波で被災し、567人の犠牲者を出した。
震災前、講演会でこの町を訪れていた辛坊は、幾度もこの町に足を運び、復興を願い、前に進む人々を取材した。
この町で、助かった人がいるということすら、本当に不思議に思えるほどの惨状です。
みんないなくなった。
本当にみんないなくなった。
ここに来たら、もしかしたら出てきてくれるんじゃないかと。
復興の正解の形なんか、どこにもないから。
南三陸さんさん商店街です。
平日は、ちょっと人影はまばらといえばまばらなんですが、土日になると観光客を中心に、本当に大勢の方でにぎわいます。
震災のおよそ1年後、町内30店舗の商店が集まり、オープンした南三陸さんさん商店街。
特産物のタコやカキ、イクラなど、新鮮な海の幸を売りに、にぎわいを見せる仮設商店街。
しかし津波により、住む場所だけでなく、働く場所も失われてしまった南三陸町。
心配されるのはこれからだ。
復旧・復興ということになると、まず震災前に戻すというのが一番っていう考え方もありますが、どうお考えですか?そのあたり。
東北のわれわれ、小さい町は少子高齢化で過疎の町と言われつつ、衰退の一途をたどっていると、どっちかというとね、そういう、マイナーなイメージがありますが、これからの時代の町を作っていって、人にいっぱい来ていただくと、そういった町を作ることが、亡くなられた犠牲の皆さんに対する、私は最大の恩返しであって、最大の鎮魂だと思っております。
実は、この南三陸さんさん商店街は現在、市有地で運営されているため、およそ2年半後には、使用期限が切れてしまう。
そこで移転先の候補になっているのが、沿岸部。
職住分離で住まいは高台に、沿岸部は10メートルかさ上げして、産業、観光などの中心拠点にするというのが、町の復興計画だ。
この辺り一帯は、あの赤の所まで来るんですか?高さ。
あそこの赤の矢印までありますね。
そのちょっと下にきますね。
この上に出来るんですか?その商店街は。
そうです。
この盛り土の上に、一応、作る予定です。
この辺の道路も全部、上に上がる?
そうですね、はい。
すごい工事ですね。
そうです、はい。
震災直後、がれきを前に途方に暮れていた山内さん。
現在、鮮魚店の営業を再開しているが、山内さんは、町ににぎわいを取り戻すため、商店街の移設にも意欲を見せる。
人口ですね、本当にだいぶ少なくなるんで、やっぱり町内のお客さんだけを相手にしてたんでは、なかなか大変だってことで、やっぱり交流人口をとにかくなんとしても増やして、そしてとにかく、商店街、生き残らなくちゃならないなと思ってます。
しかし、店舗兼住居という個人商店を営んできた店主らにとって、高台の住居と、沿岸部に作る新たな店舗という二重の負担は重い。
店舗は下の低い土地でも大丈夫なんですけども、宅地は高台ということで、お金がね、二重にかかっちゃうんで。
行かないで、高台の住宅地のほうで、自分の自宅と兼店舗っていう形で、そちらのほうに行きたいなっていう希望は持っています。
一方、住民は。
商店街っていうのは、主婦からしたら、ちょっとまとまってるほうがいいですよね。
たぶん上に行ったら、車がないと移動できないでしょうね。
いずれにしても少し早く、そういうものを何せやらないと、いろんなライフラインが非常に不便なので、転居していく方が非常に多いと思います。
人口流出と産業の復興。
町はどう考えているのか。
お久しぶりです。
商店主の皆さんに話を聞くと、新しい町に期待される方もいれば、人口が減っていく中で、そこに新しい店を持って、将来、大丈夫かと心配してらっしゃる方もいます。
当然です。
前、町にあったショッピングセンターというのは、どうしても上に伸びてる建物なんですが、今回はさんさん商店街が、一つの成功例ですよね。
おいでになった方々を回遊させながら、それぞれの店を回ってもらう。
私は、南三陸はあそこに住まない、要するになりわいしか作らないということになった以上は、あれが私、ある程度、ベストに近い案だと思います。
そして、南三陸町が抱えるもう一つの課題。
職員ら43人が犠牲となった防災対策庁舎。
これを震災遺構として残すか否か。
遺族への配慮と、維持管理費の負担から、町は去年、庁舎の解体を決めていた。
しかし、宮城県の有識者会議では現在、庁舎を震災遺構として残すことを検討。
国も支援する方針を打ち出している。
有識者会議で、じゃあ、まあ、残すなら残すという結論が出た場合。
いや、そこはね、難しいですよ。
いずれさまざまないろいろ、考え方、まとめながらですね、そのへん、やっていきたいというふうに思います。
残すものと築くもの。
あの津波から3年。
復興の姿が見えてくるのは、これからだ。
おはようございます。
3月8日土曜日、ウェークアップ!ぷらすです。
まもなく東日本大震災から、来週の火曜日ですね、丸3年ということになります。
どういう形の復興がいいのか、どうあるべきなのか、きょうは考えてまいりたいと思います。
ゲストの皆さんです。
復興庁の谷公一副大臣です。
おはようございます。
どうぞよろしくお願いいたします。
よろしくお願いします。
そして仙台市内からご出演です。
宮城県の村井嘉浩知事。
おはようございます。
おはようございます。
どうぞよろしくお願いいたします。
村井知事、被災地行って、例えば10人の被災者の方に話を聞くと、それこそ10の事情があって、なかなか、一人一人にきめ細かくというのは難しいところだろうと思いますが、知事、今ですね、難問山積の中で、まず一番はなんですかと聞いたときに、頭に浮かぶことってどんなことですか。
住宅再建です。
やはり住まいを早く作らないといけないと、これを最優先に考えています。
被災地、例えば宮城県全体で、今仮設を全員の方が出て、新しい将来性のある家に移ることができる、全員移ることができる時期をどのぐらいだと考えていらっしゃいますか?
これから2年かかります。
2年!逆にいうと、2年たてば、今、仮設に入っている方は全員新しい家に入って、未来に向けて歩みだすことができるということですか?
そうですね。
これもかなりスピードを上げてという条件にはなりますけども、2年以内で入れるようにしたいと思っています。
分かりました。
そのほかの難問を、きょうはじっくり皆さんで討論していただきたいと思います。
私がきのう行きました南三陸町ですね、ここでも大きなテーマになっているのが、震災遺構ということになります。
震災の記録をどう後世に伝えていくのか。
きょうは坂木キャスターが中継でお伝えします。
私は、岩手県の宮古市田老地区に来ています。
寒い朝を迎えました。
そして隣には、建物あるんですが、こちら、たろう観光ホテルです。
震災前まではこちらに観光に訪れた方々が、宿泊するホテルでした。
ご覧のように、1階の部分、そして2階の部分は鉄骨がむき出しの状態、そして3階部分、壁はあるんですが、窓ガラスがほとんどない状態となっていて、あの辺りまで津波が来たということが分かるんですね。
そしてこちらの建物は、震災遺構として、残すことがすでに決まっています。
また保存などに使う費用は国の予算が充てられるということで震災遺構としてはこれは初めてのケースだということです。
また、大きな被害を受けているんですが、この階段を使って上り、中に入ることができるということなので、早速上っていきます。
被害は受けているんですが、建物の強度自体は問題ないということです。
こちら1階の部分、もともとはロビーだったということです。
全く今は何もない状態となっています。
鉄骨がむき出しの状態です。
そして2階部分は、宿泊された方々が朝食などをとるスペースだったということです。
こちらも壁が全部流されてしまったということなんですね。
こちら、これまで見学なども一般の方ができるようになっていました。
これまでに6万人ほどが訪れたということです。
そして3階部分に入ってきました。
まず、壁をご覧いただきたいんですが、こちらに黒い汚れのようなものがあるの、お分かりでしょうか。
こちら、津波の水しぶきだということなんです。
本当にここまで、この高さまで津波が来ていたということが分かるんですね。
また、この廊下なども、すべて3年前と同じ状態にしてあるということです。
先ほども言いましたように、1階部分、2階部分壁がないので、階段からも外が見える状態となっています。
そして、奥進んでいきますと、こちら、客室があったということです。
和室の部屋だったんですが、中、入りますと、床が抜けています。
そして奥の押入れなどには、布団があるんですが、これも3年前のままの状態となっています。
こちらのホテル、震災の時刻がチェックイン前の時間だったということで、お客さんはいませんでした。
また従業員の方も早めに逃げていたということで、このホテルでの犠牲者は出なかったということです。
また、奥進みますと、こちら、角部屋の客室だったということですが、こちら、被害が大きくて、壁がもうほとんどない状態です。
どんな部屋だったのかは、もう分からない状態となっています。
先ほどもこちらの建物は震災遺構として残っていくと申しましたが、また、新しいホテルが高台に出来るということで、もう着工、進んでいます。
8月にオープンする予定だということです。
またこの建物は、このあと10時から、宮古市との間で引き渡しの調印式が行われるということです。
お忙しい中なんですが、きょうはですね、このホテルの社長、松本さんにお越しいただきました。
お話伺っていきます。
よろしくお願いします。
松本です。
よろしくお願いします。
松本さん、この建物を今後、残していこうと決められたのはなぜなんでしょうか?
やっぱりこの建物があったおかげで、津波がここに来たという事実をずっと伝え続けることができるっていうことと、やっぱりここの前に立ったら、どれくらいの強さの津波が来て、かということを、強さとか大きさとかを一見しただけで感じ取ることができるということだと思います。
ここに来て初めて分かることがあるということですよね。
また新しいホテルもオープンするということですが、そのあたりはいかがでしょう。
新しいホテルのほうは、海岸の近くのほうに、美しい海岸の見える高台に出来るんですけども、眺めがいい所です。
そこで貸し切りの露天風呂、屋上に作ったり、これからビデオをここで公開していたやつも、あそこで命の大切さ、逃げれば助かるっていうところを、VTRを通じながら、語っていきたいと思っていました。
このVTRというのは、社長が震災のときに撮られた映像なんですが、メディアなどには公開していません。
ここに来た人だけに公開しているものということなんですよね。
そうですね。
やっぱり現地で見たりしないと、現状が伝わらないなあと思ってます。
スタジオからはいかがでしょうか。
松本社長、社長からご覧になってて、この宮古のこの3年間の復興・復旧のスピード、状況について、現状について、どう感じてらっしゃいますか?
片づけのほうは早かったんですけども、やっぱり住む所とか、そういうのがなかなか進まなくて、ようやく最近になって、目に見えるような形で土が盛られたり、削られたりしてきてるんで、高台のほうも、出来てきて、形が見えてきてるんで、みんなもう、期待しているところだと思います。
なるほど。
谷さん、このどうやって記憶をつないでいくかということなんですが、谷さんとしてどういうように考えてらっしゃいますか?
今、ご紹介あったホテルは、震災遺構として国が支援しようという第1号です。
それで震災のそういう遺構をどうするかという議論が出たのは、今回の東日本が初めてだと思います。
19年前の阪神・淡路大震災、私も当時兵庫県の職員として復旧・復興に従事しましたけれども、そんなことよりも、早く一刻でも早く復旧させなければ、神戸が潰れてしまうというあれが強かったですから、ですから津波は地震以上に来る頻度が、大津波は低いわけですから、ですから、こういう遺構を残して、目に見える姿で、これだけの被害があったということを若い人に、あるいは次の世代の方に伝えるというのは、大変意義のある事業だと思っています。
こちらご覧いただいているのがですね、議論になっている主な震災遺構ということで、今、ご紹介したたろう観光ホテルは、保存が決まりました。
奇跡の一本松、ここも保存処理が済みました。
その一方で、宮城県の第18共徳丸は、解体がもう終わっております。
今議論になっているのが、南三陸町のこの防災対策庁舎なんですが、これは今、県のほうの委員会で最終的にどうするか決めるということなんですが、村井知事、これ、宮城県としては、どういう方向性ですか?
田老のホテルと全く違いますのは、南三陸の防災庁舎はたくさんの方がお亡くなりになった、建物の中で。
そうですね、職員の方43人も亡くなっています。
したがって、ご遺族の方が解体をしてくれという方が圧倒的に多いんですね。
そこで町としては、解体をするという方針を決めました。
しかし、いろんな方から歴史的な意義があり、また、教育上の観点からも意義があるものでありますので、残したほうがいいのではないかという声も、また一面、あります。
そこで町にお任せをしていたら、なかなか結論が出ないだろう、間違いなく解体するだろうということで、いったん、ここで立ち止まっていただきまして、客観的に残したほうがいいのか悪いのかということを、有識者会議で検討していただきまして、第三者の有識者会議で検討していただき、その結論をもって、今後どうするのかということを検討したいと、こう考えたわけであります。
いつごろ決まりそうですか?
一応、来年度中にはということにはしておりますが、できるだけ早く結論は出してほしいというふうに思っております。
宮崎さん、どうすべきだと?
7日に発表された読売新聞の世論調査だと、東北でも4割がこの東日本大震災に関する関心が弱まっている。
被災地から遠い中国や九州になると、もう46%で、これは変わっていないという数字よりも上回ってしまうんですよね。
私はこういう状況、要するに記憶の風化というのを食い止めるためにも遺構というのは残して、多くの方々に、来てもらって、見る、見せるということがとても重要だと思いますので、実感として、実感できるからね。
岩田さん。
やっぱりね、ご遺族の方のご意向というのはあると思うんですけど、これだけの高さまで来て、これだけの勢いのものだったというのを、やっぱり後世に伝えなきゃいけないし、未来に対して切り開くことからいっても、こういったものはやっぱり、残っていくということも、必要なのかなと思いますけどもね。
なかなかでも難しいなというふうに思うのは、ここは周りが4.5メートル、地盤かさ上げするって話になってますんで、そうすると、これ、穴の中に埋まっちゃうような形になったり、それからメンテの、先ほどは耐震の、これ、問題ないという、たろう観光ホテルですが、ここはやっぱりちょっと問題なので、維持するだけでもお金がかかったり、誰が出すんだという議論にも、そのあたり、来年度中に知事の話ですと、結論が出るということであります。
さあ続いて坂木さん、これも大きなテーマですね。
再び、岩手県宮古市の田老地区です。
港の近くにコンクリートの建造物があるのが見えますでしょうか。
この防潮堤は、明治、昭和の津波の被害を受けて、1978年に完成しました。
高さが10メートル、総延長2.4キロ。
万里の長城といわれるほど、その巨大さを誇っていたんです。
しかしあのときの津波は、この防潮堤を乗り越え、この地区で181人の犠牲者を出しました。
現地の人には、この防潮堤があるために、津波に対して怖さがなくなっていたという声も聞かれています。
あれから3年です。
被災3県沿岸では、津波の被害から住民の命と財産を守るために、防潮堤の整備が進められています。
しかし建設を進める自治体と住民との間で意見が割れるなど、防潮堤の整備を巡ってさまざまな考えが交錯しています。
岩手県陸前高田市。
沿岸では長さ2キロ、高さ12.5メートルの巨大防潮堤が、2016年3月の完成を目指し、建設中だ。
2011年、国は今後の津波対策について、2種類に分けて進める方針を確認した。
1つは東日本大震災クラスの最大級の津波。
もう一つは、高さは低いものの、比較的高い頻度で発生し、被害をもたらす津波だ。
これに基づき、頻度の高い津波については、防潮堤で対応できるよう、現在、東北沿岸各地で整備が進められているのだが、整備を進める自治体と地元住民の間で、意見が割れている所もある。
宮城県気仙沼市の鮪立地区。
漁港を取り囲む小さな集落が、今、防潮堤の建設を巡って大きく揺れている。
向こうのほうからずっと250メートルくらいの、以上の防潮堤が出るんですが、土手からずっとこの湾沿いに、変形台形の堤防、それから9.9メートルですから、それに道路ですから、海が見えなくなるということですね。
あのだいだい色の旗の高さが9.9メートルです。
宮城県が提案しているのは、高さ9.9メートルの防潮堤を海岸線上に建設するというもの。
その形状から、かなりの奥行きも必要で、巨大な防潮堤が集落を覆うという構想だ。
鮪立地区に住む鈴木伸太郎さんは、地区の住民らの意見を聞き、9.9メートルもの高さの防潮堤は必要ないとして、先頭に立って県に要望している。
ここは港ですから、なりわいとして、漁業をやっている地域なんで、集落が形成できなくなると、ここ全部、平地がなくなる。
すると、また集落の形成がなくなると同時に、なりわいとして、ものすごく漁業がしづらくなるということですね。
巨大な防潮堤の建設で海の状態が見えなくなり、漁業にも支障を来すほか、風光明媚な景観も損なわれるというのだ。
鈴木さんらは、過去の津波の記録から、防潮堤の高さは5メートルでいいと主張。
住民7割の署名を集め、宮城県に要望しているが、県は今のところ、9.9メートルの高さを譲るつもりはない。
われわれはその海で、今後も集落形成して、なりわいとして海を目の前にして生きていきたいんですね。
という視点から話をしたいと思ってるんですけど、県はお金とコンクリートで、命と財産を守るという視点だけで、それはもう全然ね、視点が全く逆ということなんですね。
一方、防潮堤を建設することなく、集落の復興を進めている所がある。
岩手県釜石市花露辺地区。
この地区も鮪立地区と同様、漁業を主な産業とする小さな集落だが、この地区は、震災発生の年に住民の考えをまとめ、すでに防潮堤なしで復興を進めることが決まっている。
近い所がいいわけさ。
そして高くないほうが、ほら、車の出入りもいいでしょ。
高くてはちょっと不便なんだよね。
災害にはいいけどさ。
地域で話し合って、高い防潮堤はいらないと。
この付近で、18世帯が全壊。
花露辺地区の自治会長の下村恵寿さん。
住宅の高台移転や、避難道路の整備などを進めることで、防潮堤なしの町づくりを進める方針を取りまとめた。
工事の期間が4年も5年もかかるだろうと。
だったらばその間、どこで漁業をやるのか。
60の人が5年たつと65だけども、70の人が5年たったら75だよね。
で、そのとき、防潮堤出来ました、でも漁業はできないよと。
そういうリスクを計算したら、防潮堤なくても逃げっぺしと。
一つの手段として防潮堤も必要かもしれないけど、まず逃げることが大事だよね。
被災3県の沿岸に整備中の防潮堤の費用はおよそ8000億円。
防潮堤問題に詳しい専門家は、コスト面でも問題は大きいと指摘する。
造るときは国税ですけれども、それを維持管理するのは県費なんですね。
県民の方々の税金で行います。
だから最初に国からのお金だからいいやと思って造っちゃうと、あとで、そのつけが重くのしかかってきますから、それが地域を衰退させる一つの原因になりかねませんね。
先月9日、鮪立地区では、防潮堤について、宮城県から住民への説明会が行われたが、両者は依然として、平行線のまま。
こうした中、住民からもいら立ちの声が上がり始めている。
まちづくり委員会は、結局、5メートルしか頭しかないですからね。
何回やっても同じです。
非常に困りますね。
できればいっときも早くああやって、早く決めてほしくているんさ。
3年たっても復興の方針が決まらない状況が新たな不満を生み、住民の対立も見え始めた鮪立地区。
果たして防潮堤は、一体何を守るのだろうか。
宮城県の村井知事、素朴に思うんですが、住民の皆さんが5メートルでいいって言ってるんなら、5メートルでいいんじゃないですか?
5メートルというのは、津波が内陸までずっと広がっていって、そして、4メートルまで津波が来るわけですね。
だからそれにプラス1メートル、安全ケースを取って5メートルとおっしゃってるんです。
しかし、防潮堤を造る場所っていうのは、ずっと内側、海に近い所ですから、狭い所になりますから、狭い所になります。
すると、津波がその分エネルギーを持ってますので、高く上がってくるんですね。
7.5メートルまで上がってくるんです。
したがって5メートルの防潮堤というのは、理論上、全く意味をなさない防潮堤を造ることになります。
いや、その一方で、もう防潮堤もいらないという所もありますわね。
住民の皆さんとして、やっぱり避難ということを優先させて、防潮堤がたとえ10メートルでも、今回の津波は20メートルを超える津波が来てます。
防潮堤を高くすることで、問題が解決するんだろうかという、素朴な意見をたくさん聞くんですが、被災地で。
当然、避難路は作らないといけないんですね。
津波が来たら、防潮堤があっても必ずすぐ逃げなければいけない、これはもう大前提です。
しかし、今回のように、建物を壊し、道路を壊し、橋を流しっていうようなことがありましたので、命と、そしていろんな建物やインフラを守るという意味からも、先ほどの防災会議、中央防災会議にあったように、頻繁に来る津波については、防潮堤で守りましょうということで、高さを決めているということです。
鮪立の方も、作らないでくれとおっしゃっているわけではなくて、5メートルの防潮堤を造ってくれと、防潮堤は造ってくれというのは、住民の意見なんです。
ただその高さが今、まだ合意に至っていないということです。
あともう1つだけ言いたいんですけども、非常にこの鮪立が象徴的にお話になってますが、今、宮城県でやっておりまして防潮堤の中で、これだけ意見が割れている所は本当にあと数か所でございます。
われわれから言うと、地元ではほとんどニュースにならないようなこういうテーマが、全国のニュースで、こういう番組で取り上げられるということ自体に、やや違和感を持っておりまして、これがやはり地元と中央の意識の違いがやっぱりこういうところに出てきているのではないかという気はしますね。
ただそう、必ずしもそう言えないと思うのは、私も現地に実際、南三陸行って、いろんな人に話を聞くと、大きな声では言わないんですけど、みんな小さな声で、そんなに高い防潮堤いらないよなって、ぼそぼそぼそぼそいう声は、たくさん聞こえるんですよね、現実に。
で、今、どういう計画になっているかというと、巨大防潮堤なんですが、総延長390キロ、8000億円を投じて、従来の防潮堤より3メートル高くしましょうということで後ろにちょっと写真がありますが、どういう状況になっているかというと、ご覧のように、高さを高くすると、当然、すそ野も広まりますから、この辺り、土地を持ってる人にとっては、たくさん買い上げてもらえていいという話もあれば、横が広がるんで、狭い海岸線の所では、ほとんど防潮堤になっちゃうというような問題もある。
国としては谷さん、このあたりの地元の論争はどう見てらっしゃるんですか?
基本的には、やっぱり防潮堤は、命と暮らしを守るということです。
ただ、しばしば誤解されるように、今回の防潮堤で、3・11の大津波は防げません、防げません。
数十年に一度の大津波を防ぐだけで、3・11の大津波を防ぐには、防潮堤とその後ろに、道路のかさ上げなどの多重防御と、にせんていとか言ってますけども、それでやるということで、それでどれだけの高さにするかということは、村井知事の言われるように、基本的に地元で、皆さんのお話をよく聞いて、決めるべきことだと。
この原点を私は忘れてはならないと思います。
1つ、例を挙げたいんですが、奥尻島のVTRが出ますかね、北海道南西沖地震の後に、奥尻島で実は同じようなことが起きました。
非常に高い防波堤を島の周りにぐるっと巡らせたんですが、その後、どうなったかというと、地元の漁業および観光産業、ともに衰退をして、人口が激減すると。
巨大な借金だけが残るという結果になったんですが、これ、一歩間違うと、同じ結果になりませんか?観光資源として美しい三陸海岸の所に、長い大きな壁が出来るということに関して、村井さん、心配する声は当然、地元でも聞かれます。
工夫しだいで対応できると思います。
例えば、気仙沼の内湾地区ですね。
防潮堤、5メートルの防潮堤を造ることになりました。
地元からは非常に厳しい批判があったんですけれども、内陸側の土を盛ることによりまして、内陸から見た防潮堤の高さは1.5メートル。
腰高ぐらいの高さにすることになりました。
海から見る高さは確保すると、当然ですけれども、防潮堤ですから確保する。
しかし陸側から見る高さは工夫する。
また、防潮堤のそばに土を盛って木を植えて、非常に景観をよくする、やり方しだいでは、防潮堤を造りながら住みやすい、お客様にたくさん来ていただけるような町づくりは、十分可能だというふうに思います。
五郎さん。
村井さんもご一緒だった、東日本大震災復興構想会議で、どういう議論になったかというと、どういう結論になったかっていうと、防潮堤、やっぱり必要だと。
まずやっぱり防がなければいけないと、しかし基本的に、大きな災害からもう、かなわないと、だからまず逃げようということで、防潮堤、そんなに高くしていいはずはないと。
そうすると、ある程度防げる、それを二重、三重に、今、谷副大臣言われたように、堤防を、道路を作ったりして、二重三重にやるときに、かさ上げすることによって、という、もう少し柔軟な、命か、暮らしか、どっちなんだっていう話じゃ、私はないと思うんですね。
そうするとやっぱり十何メートルっていうのは、やっぱりこれは高すぎるのかなという感じは持つんですね。
岩手県、平均防潮堤の高さが12.1メートルと。
宮崎さんは?
ほとんどね、今、堤防の高さを見直された例というのは、ほとんどないということなんですけれども、ちょっと硬直的な運用がなされて、私も防潮堤、必要な所は必要だと思いますが、例えば高台移転とか、避難路の整備とかというようなこととの兼ね合いを考えると、もう少し柔軟に対応できるようなところというのを、私はあるんじゃないかと思うんですけど、どうも何か硬直運用がなされているんじゃないかという気がしてなりません。
村井さん、いかがですか?
われわれも、後ろに守るべきものがない所、例えば住まいがない所は、防潮堤を造らない所、たくさんあるんです。
ただ先ほど言った、鮪立は防潮堤を造ろうとしているすぐ後ろ側に、もう家が、すでに再建してしまっているんですね。
したがってその家を守らなければいけない、われわれはそういう思いで、防潮堤を造っているということで、必ずしも防潮ありきでは、決してないんですね。
守るべきものがあるときには、造らざるをえないということで造っている。
貴重な税金でありますので、むだなものは一切造ってない。
高さにつきましても、必要のない高さではなくて、先ほど言った頻繁に来る津波が守れる最低限の高さ、プラス1メートルの余裕高を持った防潮堤を造ろうということであります。
14メートル、15メートル、非常に高いんじゃないかといわれますけれども、数十年に1回、それぐらいの津波が、あの地区は来ているということなんです。
したがって、そのことをぜひご理解いただきたいと思います。
岩田さん、ひと言。
お互いね、命と生活を守るということに、基本は変わってないと思うんですよね。
ですから、高さで非常にお互い住民がもめているということ、県とも、もちろんもめてるんでしょうけども、やっぱり漁師町に住んだ経験から言うと、確かにね、なりわいという問題をどのように考えたらいいかっていうのを、ここの知恵の出し方というか、景観も当然、これは失われる部分があるわけですから。
そうですね。
でもやっぱり基本的には地元の皆さんの意思というのが、そこに住んでいる人の気持ちというのが、恐らく、大切なのではなかろうかという気はいたします。
村井知事、ここまでのご出演です。
ありがとうございました。
どうもありがとうございました。
さあ、続いて別の被災地では、また、特別な事情があります。
五郎さんが取材に行ってくださいました。
未曽有の事故から3年。
今週、橋本五郎が福島第一原発へ。
現地で見たものとは。
たまっている汚染水が緑の色になって。
さあ、一向に終わりが見えない原発事故との戦いです。
今回は、橋本五郎さんが、今もなお、廃炉に向けた作業が続く、福島第一原発の現地取材に。
そして原発から出る核のごみを、地中深くに埋める技術を研究する北海道の施設を、五十嵐アナウンサーが取材しています。
これから私たちが、どう原発と向き合っていくのか、考えます。
3月4日火曜日、車から見える町には、全く人の気配がなかった。
時間は3年間、止まったようだった。
福島第一原発事故で、住民が避難を余儀なくされている地域。
橋本五郎が、福島第一原発へ向かう。
現地は依然、放射線量が高いため、まずは防護服に着替える。
いやあ、だんだんね、大変だなって感じになってきましたね。
そして原発敷地内へ。
大量のタンクが見える。
福島第一原発では、原子炉を冷却している水が漏れ、また建屋内に地下水も流れ込み、毎日放射性物質に汚染された水が大量に発生している。
その汚染水をこのタンクにためているのだ。
1つ当たり1000トン入るというが、2日に1つ、新しいタンクを作っているという。
今、盛んにこのタンクを作るため、作業をしているところです。
なんとなくね、際限のない戦いだって感じは、どうもするんですよね。
地下水が建屋に入るのを防ぐため、政府は、東京電力に財政支援を行い、周囲の土壌を凍らせて壁を作る計画だ。
そして、事故を起こした原発の内部へ。
向かったのは4号機。
1号機から3号機までは、燃料がメルトダウンして、現在も放射線量が高すぎて近づけない。
4号機は、地震発生当時、定期検査で運転を停止していた。
だが当時、3号機からの水素が流れ込み、4号機でも爆発が起きた。
もうこれはがれき、爆発したあとの、そのまんまの状態になってるということですね。
やっぱりすさまじいものだったということが、よく分かりますね。
そして4号機の地下へ。
そこには問題の汚染水が。
3号機から配管などを通じて流れ込み、たまっているのだという。
汚染水が緑の、これはもう色になって、ちょっと上のほうに油が浮いてるって感じで、この状態になっているということは、なかなか、復興しないということの象徴のようにも思います。
まだまだ厳しい状況が続き、事故収束の道のりは遠い。
先日、政府が発表したエネルギー基本計画では、原発を重要なベースロード電源と位置づけ、電力の安定供給を重視するとした。
各電力会社は、この夏の原発再稼働を目指しているが。
事故は起きるんだという前提に立って、運転するわけです。
もし仮に次に事故が起きたときには、きちんと避難できること、そしてきちんと周辺住民の安全が確保されること、そういう手だてをいかにできるかということが、やはり非常に、大きな条件になると私は思います。
一方、この夏、日本の原発が抱える最大の問題の解決に向けて、ある試験がスタートする。
北海道北部の幌延町。
人口およそ2500人、主な産業は酪農というこの町にあるのが、日本原子力研究開発機構の幌延深地層研究センターだ。
政府は原発から出たいわゆる核のごみ、高レベル放射性廃棄物を、地下深くに埋める計画を打ち出している。
この研究センターでは。
こちらはこの夏、実験に使われる模擬廃棄物の実物大の模型です。
この夏から、廃棄物に似せた模型を廃棄物と同じ温度にして地下に埋める。
熱が周囲に与える影響を調べるのが目的。
実際に地下へ。
まずは140メートル地点。
センターでは、地下水の流れや岩盤の性質を調べ、地下に核のごみを安全に処分する技術を研究している。
続いて地下250メートルへ。
ここでは地震計を埋め、地表と地下の揺れの違いを観測。
日本は地震が多くて、地下処分には不向きだという声も聞きますけど。
これは一般にいわれていることで、250メートルになると揺れは地表に比べて3分の1とか、5分の1とかいうような研究もありますけども、それと合う結果になってるわけで、地表に比べて安定であるということで。
廃棄物の模型は、地下350メートルに埋める予定だ。
こうした研究について、懸念の声も。
センターのある幌延町の隣町に住む久世さん。
なし崩し的に処分場になるんじゃないかと。
日本では、実際に核のごみを埋める最終処分場の場所が決まっていない。
研究センターのある幌延町は、北海道や原子力研究開発機構と、放射性廃棄物は持ち込まず、使用しないという協定を結んでいる。
やっぱり、まだずっと疑惑のあれが残っているという。
この地域で生活して、この地域の水とか空気とかね、それでそういうことでやってるわけだから。
やっぱりそれは汚染されたくないし。
今後、原発を推進するにしても縮小するにしても、日本にはすでに使用済み核燃料が存在する。
福島の事故から3年、日本の原子力政策は、どこへ向かうのか。
五十嵐さん、幌延町を取材に行って、あそこは単に、そういう高レベルのものを埋めたらどうなるかという実験するための施設?
そうです。
同じ熱源を出して、その熱が与える影響というのを調べる試験場ということです。
だけど実際に埋めるのと同じような施設を造るので、もしかするとここに本当の廃棄物が運び込まれるんじゃないかと、地元の皆さんは心配していると?
はい、でも三者協定があって、北海道と幌延町と事業者で絶対に核のごみは持ってこないという協定を結んでいるので。
どこまで信用できるのかってことなんだろうと思いますね。
五郎さん、実際に
福島原発、ご覧になっていかがですか?
3年たってもこういう状態ということで、改めてこの原発が与える、事故に与えた影響の大きさを感じるんですけども、ただね、一つは燃料の取り出しっていうのが、4号機で始まってるんですよね。
ということで、ここはスリーマイル島、規模がもっと小さかった。
アメリカのスリーマイル島は、これ、始まるまで6年かかってるんですね。
そうやって見ると、そうやって比較するとまだ早いと。
しかし1号機から3号機までは、これ全く内部の状態も分からない。
そうですね。
4号機は別にメルトダウンしてるわけじゃありませんから、プールの中に整然と並んでいるのを運び出すだけですが、これ、1号機、2号機、3号機は、今どんな状況に今核燃料があるのかすら分からないと。
このコーナー、ゲストの皆さん、お2方お迎えしています。
まず中継でのご出演です。
福島県浪江町の馬場有町長。
おはようございます。
おはようございます。
そして、京都大学原子炉実験所、高橋千太郎教授です。
おはよう。
浪江町というのはこういう町です、ご覧ください福島第一原発があった場所ではありませんが、非常に影響を受けた場所で、このピンクの所は、帰還困難区域、50ミリシーベルト以下に、除染するのが非常に難しいということで、なかなか、ふるさとに帰れないのではないのかという地域と、それから、いや、もうすぐ帰れますよという所も、同じ町内にあるという位置づけなんですが。
町長、この3年間で、どんな思いで過ごしてらっしゃいました?
そうですね、きょうで1000と42日目なんですね。
本当に長期的な避難になりました。
それから、広域的に、本当に全国各地にばらばらになってしまいましてね、ひと言で言うのはなかなか難しいんですけれども、本当に長くなったっていうことがね、実感してますね。
浪江町は現状、どうなっているかというと、1万9400人の人口のうち、県外6400人、県内、皆さん、ばらばらにお住まいになっている状況の中で、将来浪江町として、一つのコミュニティーというのが形成されていくというふうに、当然、町の皆さんは信じてらっしゃるわけですか?
そうですね。
やっぱり私どもは、平成29年の3月までに、避難指示の解除の見込みを立ててます。
そういう状況の中で、なんとか避難先で、生活空間をできるだけ快適にできるような、災害復興公営住宅をお願いをして、なんとかこのしのいでいくというような感じでおります。
しかしやっぱり、帰れるということの目標は、やっぱり忘れてはならないというふうに思うんですね。
希望を潰すわけではないんですが、大臣、現実問題として、そのスケジュールで除染、副大臣、谷さん、終わるっていうか、メドというのはあるんでしょうか。
国としてはどういうふうに、このスケジュール、考えてらっしゃるんですか?
浪江町を含む地域は、国直轄で今、事業をしています。
辛坊さん、ご指摘のようになかなか時間がかかってるということは事実です。
国としてはとにかくいろいろ課題はあります。
除染にしても、一つ一つ、同意を得なければなりませんし、課題はありますけども、とにかくそれが帰還に向けた大きなまず初めの第一歩だと思ってますので、とにかくあらゆるやり方で、この除染のスピードアップを図ると、それ以外にはないと思っています。
高橋さん、放射能の専門家として、50ミリシーベルト以上の地域を除染して、それが居住可能な放射線レベルに下げるということが、現実的にどの程度可能なんですか?
お金と時間ということになるかと思いますけれども、不可能なことではありません。
ただですね、それだけのコストをかけて、そこまで除染して時間をかけることに、住民の方がご納得なさるかどうか、そこのところじゃないかなと思います。
高橋さんの、時間をかけての時間軸というのは、どのくらいの時間なんですか?
今のペースを見てますと、50ミリシーベルトの所を、最終的な目標の1ミリシーベルトにもっていくのであれば、やっぱり10年、20年という時間がかかりそうに思います。
新しい政府の方針の20ミリシーベルトだとどうですか?
そうですね、政府のお考えのようなペースで5年とかそれぐらいまでには、一部の地域を除けば、完了するんではないかと思います。
20ミリシーベルトというのは、人体に与える影響は専門家としてどうなんですか?
そうですね。
言い古された言い方ですけども、緊急事態、あるいは、ある事態のときには、許されるレベルであると。
ただ、全く正常な状態というのは、やはり政府も目標にされてますが、1ミリシーベルトにもっていくと。
ということはやっぱり専門家の方から見て、20ミリシーベルトの所に、ずっと日常的に暮らし続けるというのは、ありえないというお考えですか?
少なくとも望ましいことではないということは言えると思います。
宮崎さん。
コミュニティーが復活する戸数というのは、あらゆる世代の人たちが安全に住めるということですよね。
今のお話だと20ミリシーベルトでも、例えば子どもが安心して住めるような、そういう状況にはならないと、つまり5年以内にそういう状況にするのは難しいというのが、高橋さんのお話だったと思うんですが、そうなるとねぇ。
そうですね、現実問題として、恐らく安心だろうというぐらいの思いでは、とてもじゃないけど、生まれたばかりの子どもを連れてそこに住むかっていうと、岩田さん、ありえないですよね、それは。
取材に行きますと、やっぱりね、お子さん、小さなお子さんなんか持ってる方は、やっぱり、当分というか、それはやっぱり、新しい生活ということも考えざるをえないのかという話が出ているのは事実ですよね。
となると、馬場町長、これを馬場町長に聞くのは申し訳ないんですが、じゃあ、町として、その厳しい現実を踏まえて、どんな未来像を町長として考えていくのかというになるんだろうと思いますが。
そうですね。
やはり、先ほどからお話になってますね、放射線量。
これが本当に、20ミリでいいのかどうかという問題はございます。
したがって、この20ミリをどんどんどんどん下げていくという除染ですね、これをできるだけ早くスピードアップしてやっていただくということなんですよ。
だから私は政府のほうにね、どれだけの基準値が果たしてわれわれの健康に対する影響というのはないのかという、この基準値を出してくれというふうに言ってるわけですよ。
ただせんぱんですね、20ミリから1ミリの間、そういう形で、ちょっとうやむやにされているところがあります。
したがって、その基準値をはっきり出していただくということが必要ではないかなと思いますね。
谷さん、いかがですか?ー町長のおことばですけれども、うやむやにしてるということではないです。
専門家の間でも、やっぱり分からないことは今でもあります。
そのことを正直に、正直にといいますか、正確に見解としてまとめたということで、誰も隠すとかそういうことでは全くございません。
そういう線量のときに、人体にどういう影響が及ぼすかということは、まだ分からないところがあることは事実なんです。
そのあたり、高橋さん、まさしく、ラットにプルトニウムを注射するなどの研究をずっと重ねてこられた方ですから、その安全な基準値というものを、学者として出せるものなんですか?
基準という一つの線は引けません。
ある確率で、危ないか危なくないかになります。
どうしても確率論になるという?
そういうことです。
したがって、結局、ほかのリスク、例えば、避難されておられて、家庭が崩壊していくようなことがあれば、これはもうむしろ帰られたほうがいい、そういういろいろな要素を勘案して、どの線量まで除染するかということを決める必要があるんだろうと思います。
これは厳しい話ですね。
やっぱり専門家の意見がね、かなりばらばらだっていうのが、普通の人にとってはもっともっと不安になっちゃうっていう。
ここのところ、なんとか固められないものかっていう感じはずっとしてるんですけどね。
復興庁なんかのほうでも、実際に避難されている方に、放射線のそのへんの知識をきちっとお伝えして、住民の方々が納得いく形で決めていただこうというふうにお考えと聞いておりますので、そういう方向でいくしかないんじゃないかなと思いますが。
さあ続いて、この原発事故によって、仮設暮らしを余儀なくされている皆さんの苦悩です。
なぜここにいるのか。
今までの3年間、
先ほどから非常にスタジオでの厳しい議論を町長、お聞きになってて、今、どんなことを考えてらっしゃいますか?
そうですね、やっぱり大変厳しいですね。
まあ、私どもの苦悩といいますかね、そういうことがですね、この3年間、ずーっと続いているということで、ちょっと明るい光が見えないんですね。
そうですね。
そんな避難所で暮らしている皆さんの気持ちはどうなのかという、そこです。
福島第一原発の事故により、ふるさとを奪われた人々。
長引く仮設暮らしは、住民から帰る場所のほかに何を奪ったのでしょうか。
原発補償の現実です。
福島県二本松市にある安達運動場仮設住宅。
浪江町から避難した471人が暮らしている。
こんにちは。
自治会長を務める本田昇さん61歳。
仮設住宅の見回りが日課だ。
住民のケアのほか、最近は、断水や漏電などのトラブルが相次ぎ、役場や業者への対応も一手に引き受けている。
大変、みんなトイレに行けなくて困ってるもんで。
この日も、具合の悪い高齢者がいると、連絡が入った。
大丈夫か?
鼻血が止まらないっていうことで、血圧かなと思ったら、落ち着いてる、今?
本田さんは、救急車を見送ったあと、ある部屋に向かった。
2年前、独り暮らしの男性が亡くなった場所だ。
亡くなってたとこ。
鍵が開かなくて、ガラスを壊して、鍵を開けて入った場所なんです。
少し発見が早かったら助かってたとは言われたんです。
避難生活が続く中、体長悪化や過労などで亡くなる震災関連死が増えている。
4畳半一間の仮設住宅に暮らす山田やゑ子さん87歳。
一日中、テレビを見て過ごす。
慣れない生活で、ひざを悪くしたという。
山田さんの自宅は帰還困難区域にある。
持ち出すことができた数少ない荷物の中には、趣味だった園芸の写真があった。
お花は楽しみだったんですか?
うん、楽しみだった。
うちさいるときは花だらけで、どこもかしこも。
部屋の中には、小さな鉢が置かれている。
気晴らしになればと、ここへ来たときに植えたものだ。
しかし仮設住宅に入って、2年8か月、時がたてばたつほど、先が見えなくなり、気力を失いつつある。
もうやるのが嫌になるって、できるのにやらなくなる。
やればできんだけども、それをやるのが嫌になるわけだな。
自分の体を守るのが精いっぱいだよ。
浪江町は線量によって区域を分割されている。
長期間戻れる見込みがない帰還困難区域。
日中は自由に立ち入ることができる居住制限区域。
3年後の帰還を目指す避難指示解除準備区域の3つ。
各区域に応じて、東京電力から損害賠償が支払われる。
東京電力が原発被災者に支払っている賠償金について、政府は4人世帯での総額を、帰還困難区域は1億675万円、居住制限区域は7197万円、避難指示解除準備区域は5681万円と試算している。
この賠償金は、避難生活を続ける人たちに何をもたらしたのか。
管野実さんで、僕の兄弟分です。
管野実さん51歳。
自宅は津波で流され、避難指示解除準備区域に指定された。
ここには毎日やっぱりいるとストレスはたまるよね、やっぱりね。
分からない環境のとこさ来てさ。
そのストレスのたまりだね、3年間っていうのはね。
原発事故の前、トマト農園で働いていた管野さん。
今の生活から抜け出すため、ハローワークには2回足を運んだ。
しかし、会社の面接には行かなかった。
浪江の人間は、賠償もらってるから、おつきあいしないとかっていう話も聞いてるしね。
恐怖感ですよ、恐怖感。
周りからの目、目線っていうのが、もう、行く前に頭にポッと入る。
賠償金による格差は、避難区域外の住民との間であつれきを生んでいる。
また、
原発事故から3年で大枠が固まった賠償金。
避難生活を続ける人たちに、何をもたらしたのか。
東京電力から賠償金、もらってるから、俺。
仕事なんかしてる人いねぇわな。
借り上げ住宅に住む有川正則さん51歳。
元漁師。
船は今も、浪江町の浜に打ち上げられてまま残っている。
今までの3年間、嫌で嫌で嫌で嫌でな、どうにもなんねかった。
やっぱり賠償金なんかもらったって一つもうれしくねえ。
かえって金なくていたほうがいいわ、あっち。
前いたとこで、毎日毎日、船さ乗ってるほうが、俺よっぽどいい。
浪江町が行ったアンケートによると、働いていない男性避難者は、30代から50代までそれぞれおよそ23%。
その中で、職を探していないと答えたのは、30代から年代が上がるにつれて増え、50代では半数以上に上る。
浪江町の仮設住宅で自治会長を務める本田さん。
賠償金で日々を過ごすことに、ある違和感を持ち始めている。
3年目でね、別にやる気を出す必要がなくなったのかなという、よく言うじゃないですか、今まで持たないお金を持つと、人間変わるって。
その状態じゃないかな。
避難生活を続ける人たちの間に漂う孤独と無気力感。
本田さんは、この3年を節目に、今の生活に区切りをつけたいと考えている。
3年目で、今度は前向かないと。
踏み出す勇気も求められる時期だと思うんですよ。
でないと、本当に何やってんのってなっちゃうもん。
原発事故で着のみ着のままで家を出されて、家に帰れないわけですから、それは当然、補償があってしかるべきで、払われた補償金が、過去3年間、平均で支払われた、帰還困難区域の皆さんの賠償実績です。
4人世帯だと4人家族で9000万円。
単身世帯でその隣、4500万円余りが支払われて、なおかつ、今後、故郷喪失賠償料ということで、1人700万円追加。
これ、過去3年間の支払い実績。
今後は当然、住宅なんかに関しては支払われませんので、あとこのあたりの就労不能損害などが何年間、支払われるかというようなところが議論になるんだろうと思いますが。
町長、まあこれ、区域の制限によって、道一本挟んで、もらえる賠償金が違う、このあたり、住民の皆さんの気持ちというのはどうなんでしょう。
私ども、浪江町は、賠償に格差を設けてはならないということで、一律賠償していくべきだということを主張してきました。
ただ、線量が高い所と、比較的低い所で差を設けたということは、われわれの方針に反してるというふうに思います。
われわれ、帰れるといっても、なかなか帰れる状態ではないんです。
したがって生活できない、そういう生活できないときに、賠償に格差を設けるということは、ちょっと私ども、理解ができないなというふうに思っています。
谷さん、町の中でも賠償金に格差があるのは理解できないと町長おっしゃってます。
賠償は、これはなかなか難しいです、専門的ですし。
ですから、政府が最終的にはもちろん、指針というので、東京電力に示すんですけれども、専門家の方々に、どういった賠償の方法が適当かというのを十分検討していただいてですね、やっぱり線量によって、その差が出るのは、やむをえないと、われわれとしては考えてます。
ただ、今、浪江のお話をされました。
これ、大熊と双葉については、原発の所在地ということで、その両町については、全域を対象にしていると。
今の方向性、1世帯に4人家族で9000万、お金を差し上げて、
原発事故で住めなくなったわけですから、岩田さん、賠償は当然なんですが、ただ、同じように津波で避難している人たちと、全く違う環境になると。
現地なんか行ってますと、そういった意識のずれみたいのでね、ですから先ほど、最後の面接には行かなかったとかいうのは、やっぱりそういう目で見られているという形の中で、少しやっぱり追い込まれているというかね。
自分のせいでもないのに…。
不幸だと思いますよ。
全然自分の意思でもないですよ。
生活していたものが急になくなったわけですから。
宮崎さん、方向性としてどういう形がいいんでしょうか。
賠償金をね、支払う、賠償金を差し上げるというのは、当たり前のことで、しかもこれ、ある程度の線量によって、生活に対する損害というのは、違うわけですから、ここで差が出るのもしかたがないといえばしかたがないんだけれども、お金っていうのは人間関係を解体する力っていうのがあるんですよ。
そうですね。
そう、そこの部分に対する意識っていうのが、支払う側に、非常にデリケートな問題だということを、支払う側にあったかというと。
金払ってんだからいいだろうという思いが。
そういう感じだったのではないかという気が、私はしてなりません。
と同時にやっぱり、それは当然、生活再建のための原資になるべきものであるにもかかわらず、実は生活再建を妨げている一面もあるというのは、非常に深刻な問題だと思いますね。
そうですね。
町長、きょうは朝からありがとうございました。
これからの方向性、町長としてひと言、お聞かせください。
そうですね、やっぱり今問題になってます賠償の問題、一つとってもですね、やっぱりわれわれ町民に格差を設けてはならないということ、それから除染を、やっぱりきっちりやっていただいて、放射線量を下げていただく。
それから私ども心配なのは、町民の健康管理です。
健康保持です。
そういうものについても、やっぱり政府がきっちり、私ども、被災者、被災地に寄り添って、なんとか加速化をして、われわれの要望についての対応をしていただきたい、そういう
おととい木曜日は、二十四節気の啓蟄。
暖かくなって冬眠していた虫が穴から出てくるといわれる時期ですが、ことしは啓蟄を迎えてから、再び寒くなっています。
初めに、11日火曜日の東北のお天気です。
岩手、宮城、そして福島県では、晴れる所が多いでしょう。
気温は低く、寒い1日となりそうです。
続いて全国のきょうのお天気です。
日本海側では雪や雨となるでしょう。
太平洋側は晴れますが、東北では雪の降る所がありそうです。
続いて週間予報です。
北日本は日本海側を中心に、雪や雨が降る日が多いでしょう。
太平洋側は晴れる日が続きますが、木曜日ごろに、
きょうはスタジオに、谷復興庁副大臣にお越しいただきましたが、復興庁として、今、一番重きを置いていることはなんですか?
ことしは住宅を1万戸提供すると、その復興の加速です。
それを最重点です。
今の復興のスピードについては、副大臣、どう思ってらっしゃいます?
一生懸命やってると思いますが、被災者にとってはもどかしい面があるかと思います。
その重さをしっかり受け止めなければならないと思います。
そうですね。
その被災者の皆さんのもどかしい気持ちを、どう政治に反映させていくか。
頑張ってください。
皆さん、ありがとうございました。
頑張ってまいります。
ありがとうございます。
消費税8%まであと3週間。
今買うと得するものは?損するものは?各企業の戦略は。
2014/03/08(土) 08:00〜09:25
読売テレビ1
ウェークアップ!ぷらす[字]

東日本大震災から3年…復興は進んだのか?被災地の今を考える▽震災の風化どう防ぐ?▽沿岸部の復興は…防潮堤の是非▽いまだ収束見えぬ原発事故▽仮設暮らしに住民は…

詳細情報
出演者
辛坊治郎
森若佐紀子
坂木萌子
岩田公雄(読売テレビ特別解説委員)
五十嵐竜馬(読売テレビアナウンサー)
【コメンテーター】
橋本五郎(読売新聞特別編集委員)
宮崎哲弥(評論家)
谷公一(復興副大臣)
高橋千太郎(京都大学原子炉研究所教授)
村井嘉浩(宮城県知事)
松本勇毅(たろう観光ホテル社長)
馬場有(浪江町長)
番組内容
東日本大震災から3年…復興は進んでいるのか?被災地のいまを伝える