「花子とアン」お楽しみに。
毎朝7時交差点に立ち子どもたちの安全のためにボランティアで交通整理を行っている人がいます。
(一同)おはようございます。
福島県大熊町で大工の仕事をしながら40年間交通整理をしてきた…原発事故により会津若松市に避難してきました。
あの日仕事先で大きな揺れに襲われた赤井さんは急いで自宅に向かいます。
家の中の物は散乱していましたが妻は無事でした。
一安心した赤井さん。
しかし翌朝町の異変に気付きます。
状況を確かめようと赤井さん夫婦が役場に行くと何台ものバスが用意されていました。
2人は行き先も分からないままバスに乗せられます。
着のみ着のままで避難した先は田村市の体育館でした。
毛布も燃料も不足し暖がとれない中赤井さん夫婦は半月もの間寒さに耐え続けました。
避難所を転々としたあと会津若松市の借り上げ住宅に入居できたのは半年後の事でした。
しかし大熊町の自宅は帰還困難区域に指定され戻れる見通しは全く立っていません。
赤井さんは次第にふるさとに戻る事を諦めるようになります。
会津若松市で暮らしていく事を決意した赤井さん。
交通整理を始めたきっかけは市内にある大熊町役場の出張所を訪れた時の事でした。
交通量が多く子どもたちがなかなか横断歩道を渡れずにいたのです。
赤井さんはその日のうちに通学路に立ちました。
子どもたちが登校する平日の午前7時から1時間半雪の日も雨の日も立ち続けてきました。
交通整理を始めてから2年。
赤井さんは子どもからあるプレゼントをもらいました。
折り紙で作られたメダルです。
そこには赤井さんへの感謝の気持ちがつづられていました。
2014/03/21(金) 08:50〜08:55
NHK総合1・神戸
あの日 わたしは〜証言記録 東日本大震災〜「福島県大熊町 赤井光清さん」[字]
大熊町で40年間交通整理をしてきた赤井さん。原発事故で会津若松市に避難してきた。会津若松市でも子どもたちが登校する平日の朝、通学路に立ち、交通整理を続けている。
詳細情報
番組内容
東日本大震災に遭遇した方々の「あの日」の証言。福島県大熊町で40年間、交通整理をしてきた赤井さん。原発事故のため、会津若松市に避難してきた。大熊町に戻れる見通しは立たず、会津若松市で暮らしていくことを決意。市内の大熊町役場の出張所を訪れた時、交通量が多くて子どもたちが横断歩道を渡れずにいたのを見て、その日のうちに通学路に立った。子どもたちが登校する平日の朝、通学路に立ち、交通整理を続けている。
ジャンル :
ドキュメンタリー/教養 – 社会・時事
ニュース/報道 – 特集・ドキュメント
映像 : 1080i(1125i)、アスペクト比16:9 パンベクトルなし
音声 : 2/0モード(ステレオ)
サンプリングレート : 48kHz
OriginalNetworkID:32080(0x7D50)
TransportStreamID:32080(0x7D50)
ServiceID:43008(0xA800)
EventID:2314(0x090A)