100分de名著 風姿花伝(最終回) 第4回「秘すれば花」 2014.02.05

「100分de名著」。
「風姿花伝」。
その中でもよく知られた言葉があります。
実はこの言葉には用意周到な世阿弥の戦略があったのです。
「秘すれば花」というと非常に神秘的なありがたいような言葉としてとられがちですけど世阿弥にしてみれば必死の戦略だった。
「風姿花伝」最終回は世阿弥が能の未来に託した思いに迫ります。

(テーマ音楽)「100分de名著」司会の…伊集院さん「風姿花伝」最終回です。
そうですね…さみしいです。
さみしいはさみしいんですけど前回の終わりにもちょっと言ったんですけど僕からすると自分の仕事にものすごく参考になる事が多いから同業者に見られたくないっていう。
逃げるように最終回にしたいなという。
でも今日もいろんなのが出てきますよほんとに。
皆様お楽しみに。
本日も明治大学教授でいらっしゃいまして能の評論家でもあります土屋惠一郎さんをお招きしております。
(一同)よろしくお願いいたします。
さあ今回取り上げますのはこちら。
これよく聞く言葉ですね。
ですね。
そしてあの「花」シリーズですね。
また「花」が出てきましたね。
「何々が花」。
まあよく知られた言葉ですけど誤解もされていると思うんですが。
「珍しきが花」で始まって「秘すれば花」で終わるというのはいいかなと思いますね。
さあこの「花」一体どんな「花」なんでしょう。
世阿弥の時代に度々行われたのがいくつかの一座が集まって勝敗を競い合う「立ち合い」です。
負ければその一座の人気は下がり当然生活も苦しくなります。
いわば存亡を懸けた戦いでした。
このような勝負に明け暮れた世阿弥が編み出した必勝法。
それが「秘すれば花」でした。
立ち合いに臨むにあたってあっと驚くような…更にその秘密兵器を隠している事すら悟られてはならないと世阿弥は説きます。
ここには世阿弥の卓越した戦略がありました。
え〜…「秘すれば花」って何かあなた黙ってた方が美しいわよという意味かと私は思って…。
何か全然違いますね。
普通理解されている「秘すれば花」は今おっしゃったように黙っていた方がいいとかあるいは女性はあまり見せない方がいいとかそういう何かこう美しさの演出として言われますよね。
ところが世阿弥が言ってるのはむしろ戦略的なまさに立ち合いという勝負事勝負としての能の中でどうやったら勝てるのかその戦略として…能の家にはですね。
その秘事があってなおかつ……というのが世阿弥の一番中心的な話だと思いますね。
新しい珍しいも「花」だって言ってましたからもうセットですね。
セットです。
それと最近は映画の予告編なんかに「衝撃のラストを見逃すな!」みたいなもう「隠してますよ。
我々はすごいの隠してますよ」みたいのありますよね。
ああいうのは世阿弥のやり方からいうと駄目だという。
がっかりしたりしますもんね「え〜これ?」みたいなね。
俺らが現代用語で言う「ハードル上がっちゃう」っていう。
だから世阿弥は隠してる事も言うなというのはまさに今おっしゃったハードルを上げるなと。
つまり今言ったように世阿弥もほんと言ってるんですよ。
隠してあっても大した事じゃないかもしれないと。
でもそれでも隠している事を悟られずに見せれば人は驚くかもしれないと。
驚くという事が。
新しいもの珍しいものが出てきてしかも知らなかったから知らないものが出てきてサプライズですよね驚きがある。
それがやはり芸能としての大事な中心であるという事を世阿弥はずっと言い続けてますね。
ずっと隠してたら意味ないですよね。
いやもちろん。
だから世阿弥だってずっと隠してたら意味ないのでどこかで見せるわけですよね。
ただ見せてしまったらもうこれは「秘すれば花」ではなくなるのでつまり世阿弥にとって必要なのはあるいは世阿弥たちにとって必要だったのは一回見せたらもうそれは「秘すれば花」ではないからまた次の「花」を隠すべき「花」を作っておかなければならない。
…という事が世阿弥の主たる言い分だと思うんですよね。
一つ出してしまうともうそれは「花」じゃなくなる。
そしたらまた次の「花」というのは自分の中でも研鑚をほんとに積んでいかないといけないという。
でも今だって企業にとってみれば毎年何かありますよね多分。
新車発表会とか。
そうですね。
だからそこで「秘すれば花」あっと思うような…予想どおりのものが出てきたでは駄目なわけでしょう。
だから常に…そこにだから何ていうんですかね「珍しきが花」もそうでしたけどイノベーションというか…だから「秘すれば花」というと何か非常に神秘的なありがたいような言葉としてとられがちですけど世阿弥にしてみれば必死の戦略だった。
人気を保つための。
かなりの戦略家ですねこの世阿弥という人は。
ほんとに戦略家って事がイコール戦略を打てるだけの才能があるという事だったり。
それでいて冷静なのがすごいですね。
翻って考えると僕たちが生きていく中でやっぱりそれぞれの個人が「秘すれば花」というのを持ってるじゃないですか何か。
だからそれが出てきた時に一種のサプライズになって驚きになる。
世阿弥にしてみれば必要だと。
今でもですよ。
それがある事によってその人間がまた違って見えてくるし恐らく社会の中における発信力も違ってくると思うんですよね。
人生も豊かになりますよねきっと。
「ダブルメジャーの時代」とよく言われますけどつまり自分のメインの仕事があるけどもう一つ何かがあってあるいはもっと何か違う事があってその違う事がある中でやっぱり自分のメインの仕事も生きてくるだろうしあるいは自分の人生も豊かになってくるだろうと。
ただそれは果たしてみんな持ってるのかなあるいは持とうとしてるのかという問いかけが世阿弥からなされているというふうに思いますけどね。
そうですね。
何かもう人気絶頂になったらそこにあぐらをかいちゃいそうなものですけどやっぱり世阿弥はいろいろ苦労してそうじゃない時も常に「花」を持って磨いていけと。
すごいですね。
さあこの抜け目のない戦略家であります世阿弥についてもうちょっと見ていきましょう。
「風姿花伝」には「物学条々」という世阿弥の演技論が書かれた章があります。
世阿弥が重視したのは写実でした。
しかしその一方で庶民を演じる時などに貧しさをリアルに出しすぎると観客の共感を得られないと注意をしています。
舞台の上での写実と現実とは違う事を分かっていたのです。
という事で先生がちょっとキーワードを出して下さいました。
今「写実を求めていた」と言っていましたが…。
ちょっと矛盾してるような…面白い。
能というのは例えば物語があって例えば炭焼きであるとかきこりであるとかあるいは猟師であるとかですねそういう普通の山の中の生活をしてる人たちを題材にする場合もあるのでそれをリアルにやってしまうと今度は能としては面白くないのでというのが世阿弥の言いたい事でしょうね。
これ全く同じ事を亡くなった伊丹十三監督に僕教わって。
言葉尻だけちょっと違うんですけどリアルとリアリズムが映画を作るにおいて最後のところで逆方向を向く事があるという話をしててそれが面白くてしょうがないんだけど何でもいいんです例えば自分でいえば僕一回も見た事ないですけど自分の会社にはデスクってあります?自分の席ってあります?はい。
それを「NHKのアナウンサーの席」座席というセットを作るとするじゃないですか。
それと本物の武内さんの席は違うんですよ。
リアルはどっちかというと本物の席だと思うんですね。
本物の席はリアル。
これで言うと写実は本物の席だと思うんですけど。
本当の写実は。
だけど見て分かりやすくするためには要らないものって多分いっぱいあると思うんです。
そうですねお菓子が積んであったりとかね。
ストップウオッチがあるのは何かいいけど。
ストップウオッチは確かに本当にあるしあった方がいいものじゃない。
お菓子要らないかなみたいな。
そうでしょ。
子供の写真はあの人は子供がいるんだから本当にあってあった方がよかったりもしくは本当はないんだけどあるべきものみたいなものがありますと。
それがすごくこだわってらっしゃって。
リアルとリアリズムは違う?それ面白いですね。
つまりフィクションですよね。
フィクションで作られたものがリアリティーがある。
はい。
これはものすごく大事な問題なんですけど多分世阿弥も例えば漁師を出す場合ですねこうやって腰にみのをつける。
みのってありますよねそれをつけているので漁師って分かるんですけど姿形は割と楚々としたおじいさんの姿であって本物にそっくりにはしない。
でもそうするとある「幽玄」が出てくるんですよね。
これはなかなか不思議なんですけど。
「幽玄」というのは前にも出てきましたけど美しさという事。
幽玄を世阿弥はこう言ってるんですよ。
白鳥です。
スワンですね。
白鳥がくちばしに白い花を含んで立ってる姿が幽玄であると。
それと僕がさっき言った漁師の姿とが決して別じゃないんですよね。
でも世阿弥はやはりそこの能というのは美しいという事が必要であると。
これはだから世阿弥は…ブランドを確立した。
それは今もそうです。
今も我々は能を幽玄と言ってますからそういう意味においては…今キーワードを出して頂きました。
全て幽玄が幽玄こそが全ての中心だと。
ただ幽玄とは何かというのはまさにいろいろな事を世阿弥は言うんですけど例えば…子供のかわいい姿が幽玄であると言ってみたりいろいろ言うんですけど結局は美しいという事が能にとって大事な事で。
衣装もあるでしょう装束もあるし能面というものがありますし音楽もあるしさまざまな付随するいろんなものがあるけどそれが合わさった時に…今でいえば能というのは亡霊と鬼が出てくるわけでしょ。
ほとんど亡霊なんです。
そうですね。
そうなんですよ。
よく考えるとおかしいんですよみんな亡霊なんですから。
寺の僧が出てきて旅して亡霊が出てきてっていう。
怖いはずなんですよ。
でもそれを美しくしちゃったんです。
ほんとに何事にも常に万全な準備をして新しい事を求めていた。
ありとあらゆる大事な事を書き残すという…。
世阿弥ですけどやっぱり人生でそううまくはいかないいろんな時があるわけでしょう。
ですね。
そんな時には一体世阿弥どうしてたんでしょうか。
立ち合いの勝負が盛んだった世阿弥の時代。
厳しい稽古を積み重ね新しい技術やアイデアを盛り込んで勝負に挑んでもうまくいかない時もあります。
「勢いの波」とでも呼ぶべき人間の力ではどうにもならない流れ。
世阿弥はこれを「男時」「女時」と名付けその流れを読んで勝負するようにと説いています。
またすごい言葉が出てきました。
いかにも勉強になりそうです。
ちょっとすてきな言葉です。
どういう事かといいますと…。
ずっとここで強調してきたのは能が立ち合いといういわばライバルとの争いコンテストだと強調してきたと思うんですけどその中で相手に勢いが行っている時を男時自分が停滞してる時を女時とこう言ってるわけですよね。
勝負の中での勢いが行った来たという。
世阿弥は男時と女時が必ずあってしかもそれは…だから相手が男時の時はむしろじっと見てろと。
自分は女時なんだから。
こう言ってるんです。
同じ平面で勝負するなと。
むきになっていくんじゃ駄目なんだ。
あいつがこう来たからこう行ってやるみたいな。
すごいのはあれだけいろんな戦略のパターンを持ってていろいろ手を持ってるにもかかわらず「こういう時はあるんです」というのは潔いというか。
それは運命だと言ってるんですよね。
そこはもう諦めてるというか受け入れてる。
ただし必ず男時は来るとそれを信じてると。
男時女時の流れを読んで勝負しろと。
諦めろと言ってるんじゃないですよね。
例えば2人でやる場合がありますよね。
その場合向こう側にみんなの目が行ってる時は自分は黙っていろと。
そうすると向こうもだんだん疲れてくるという時に自分がバッと出ていけばこれで自分は勝てると。
そういう事ないですか?いやいやものすごい勉強になる。
うなっちゃうぐらい勉強になります。
滑り始めてる時って焦ってどんどん続けるんです。
他の人がバンバンうけてる時ってもともと自分が滑ったんじゃなくて他の人がうけてたのにそれにこれはやばいと思って変なギア入れると今度は自分の方がおかしくなってくるからどんどん向こうがうけてこっちのペースが取り戻せないところまで行っちゃうから。
でも今は相手の時間なんだなだから話題が一回途切れた時に何しゃべろうという事を用意しながら待つ。
それそれ。
女時を無駄に過ごさない。
年齢いくと多少分かるようになってきますけど若手の頃はこれで2度とカメラが来ないと思っちゃうからまあ随分痛い目遭いましたけどちょっとそれは実感として。
それはまさに男時女時ですよ。
女時の時はすごく大事って事ですよね。
じっとしてる。
伊集院さんが向こうが誰かがいい時には向こうの話が切れたら何を言おうかと準備してるわけでしょ。
準備してないやつじゃ意味ないですよね。
そういう意味では世阿弥は相手が男時である時にはじっとして待ってろと。
ただその時に…男時は必ず来るという裏側にはちゃんと準備をしろと。
時代が時代だから言葉に語弊はあるじゃない。
いい時に男の代名詞を付けて悪い時に女の代名詞を付ける言葉自体はちょっと現代的じゃないかもしれないけど。
普通だったら「陰」と「陽」と言うと思うんですよ。
「陰」と「陽」で言わないで「男時」「女時」と言ったところに世阿弥の言語感覚の面白いところがあると思うんです。
あ〜なるほど。
「陰」と「陽」と言っちゃうとただ表と裏ですけど「男時」「女時」と言うと波として時間もつかまえてる。
僕はいつも学生にも言うんだけど人生ずっと私は女時でしたという人もいると思うんですよね。
それは男時のための準備の時と思えば別に絶望する事もないしむしろ逆に男時のための準備をしているかと自分に問いかけてみればこの言葉の持つ意味の深さが分かると思うんですよね。
何か勇気もらう人たくさんいると思います。
私も含めて。
僕もそうです。
能を大成させた天才世阿弥。
しかしその晩年は不遇でした。
少年時代から何かと世阿弥を引き立ててくれた将軍足利義満は世を去り義教の治世になると世阿弥は将軍に疎まれて迫害を受けるようになります。
不幸は続き後継者として期待した長男元雅に先立たれてしまいます。
更に70歳を過ぎた世阿弥に将軍はなんと佐渡島への流刑を申し渡したのです。
この絶望的な状況にあっても歌を作ったり手紙で演技論を語るなど世阿弥の情熱が果てる事はありませんでした。
このような言葉があります。
芸術に全てを打ち込んだ世阿弥。
その人生との向き合い方は私たちに大きなメッセージを残しました。
今こそ僕は世阿弥を発見する時代だと。
そこはまた新しい形であの花伝書の精神が違う言葉に組み替えられてあるいは違う精神に組み替えられて発見されるんじゃないのかなと思うんですよね。
そのお客様を前に何かを表現したりとかする。
それってまた更に広く見ていくとお客さん商売の人もそうだし一座というものは何かというと小さくは家族もそうだしクラスもそうだし会社の一部署もそうだと思うんでこれは相当響く人には響く本ですね。
だからそういう意味で言うとやはり単に能のために「風姿花伝」があるというふうには私は思ってなくてやはり…そうやって読んでいくと単に能楽は日本最古の芸術であるとかあるいは日本の最高の芸術であるという事を権威づけるために「風姿花伝」について語るなんていう事が意味がなくてむしろ我々の生活我々の生きる事の中で世阿弥の言葉がどう反映してどう受け止められるのかと考えると実にある時は勇気をもらうしある時は何というか600年前の言葉であるにもかかわらずその中に自分の言葉も発見できると思うんですけどね。
是非そうやって読んでほしいなと思いますね。
すごい人がいたもんです。
しかも何年前でしたっけ。
600年以上前。
600年以上前に。
響きましたね。
今回どうでしたか伊集院さん。
もちろん自分のこういう仕事にとってものすごくためになりそうなもう一回考えてみようと思うような言葉も多かったしあと逆に言うと世阿弥みたいな人は世にもいるという感じもしました。
それは映画監督でもほんとスーパーマーケットの店長でもほんとにできてる人はいるという。
そういう人たちはどうやら成功してるっぽいというのもちょっと感じました。
ほんとに私も自分の本当の「花」をこの年になって本当の「花」は何なのかという事を突き詰めながらこの秘伝書後輩全部に勧めたいと思います本当に。
先生どうもありがとうございました。
とても楽しかったです。
楽しかったです。
2014/02/05(水) 05:30〜05:55
NHKEテレ1大阪
100分de名著 風姿花伝[終] 第4回「秘すれば花」[解][字]

「秘すれば花」この言葉には人生における「戦略」が隠されている。世阿弥の人生は平坦ではなかったが常に戦略を持って行動していた。どんな方法を用いたのか、探っていく。

詳細情報
番組内容
世阿弥にとって、舞台とは真剣勝負の場だった。そのため、どんな時でも、観客をあっと言わせる秘策を用意しておくべきだと記した。時の権力者や大衆の人気という不安定なものをつなぎとめるには、たとえどんなに大変だとしても挑戦を続け、マンネリに陥ってはならないと考えていたのだ。第4回では、難局に負けないために、戦略を持つことの大切さを語る。そして運命にめげずに前向きに生きるためには、どうすればよいのかを語る。
出演者
【ゲスト】明治大学教授…土屋恵一郎,【出演】中本白洲,【司会】伊集院光,武内陶子,【語り】小山茉美

ジャンル :
ドキュメンタリー/教養 – カルチャー・伝統文化
ドキュメンタリー/教養 – 文学・文芸
趣味/教育 – 生涯教育・資格

映像 : 1080i(1125i)、アスペクト比16:9 パンベクトルなし
音声 : 2/0モード(ステレオ)
日本語
サンプリングレート : 48kHz
2/0モード(ステレオ)
日本語(解説)
サンプリングレート : 48kHz

OriginalNetworkID:32721(0x7FD1)
TransportStreamID:32721(0x7FD1)
ServiceID:2056(0×0808)
EventID:34554(0x86FA)