ふるさとの記憶〜福島県浪江町〜 2014.03.21

東京電力福島第一原子力発電所から10kmほどの場所にある福島県浪江町です。
かつてこの町には2万1,000人もの人々の暮らしがありました。
しかし3月12日福島第一原発1号機の建屋が爆発。
町民全員が避難した町はあの日で時が止まったまま3度目の春を迎えようとしています。
買い物にデートに人々が集ったショッピングモール。
祭りの日には300を超える屋台が立ち並んだ商店街。
今回この町が模型になりました。
浪江町の中心部…この町にどんな営みがあったのでしょうか。
人々は今ふるさとへのどんな思いを抱いているのでしょうか。
浪江町から車で1時間半ほど離れた福島県二本松市です。
ふるさとを離れおよそ2,400人が避難生活を送っています。
この町に模型がやって来ました。
1週間にわたって模型を展示。
人々に思い出を語ってもらいながらかつての町の営みをよみがえらせていきます。
せっかくおにいちゃんきれいに作ってくちゃのちゃんと塗らなくちゃね。
家や商店にはそこに暮らしていた住民自身が色を塗ります。
ここら辺にあった。
東邦銀行。
そうそう。
更に思い出を旗に書き込み模型に立てていきます。
二本松市の仮設住宅に暮らす2人の女性がやって来ました。
2人が語り始めたのは浪江町の名物だった祭りの思い出です。
十日市は田畑の収穫を終えた人々が秋の実りを祝う祭りとして始まりました。
全国からやって来た商人が店を出し年越しの買い物客でにぎわう商店街。
最盛期には10万人を超える人出があったといいます。
浪江町に生まれ育った…商店街は子どもの頃から通っていた思い出の場所です。
(橋本)あっこんにちは。
橋本さんは商店街で喫茶店を経営していました。
原発事故が起きたのはオープンの半年後。
ようやく常連客が増えてきた頃の事でした。
浪江町には住民が一時的に立ち入る事が可能です。
この日橋本さんは2年ぶりに自分の店を訪ねるため商店街にやって来ました。
何かう〜ん…ねえホントに…。
(取材者)かわいそう?うん。
お邪魔します。
喫茶店には裏手にある窓から入ります。
停電が続いているため入り口のシャッターが開かないのです。
橋本さんはこれまで荒れ果てた店内に手をつけられずにきました。
あの日から3年。
ようやくこの日片づけを始めました。
今浪江町は除染や上下水道などの修理を進めています。
権現堂を含む一部の地域については3年後をめどに暮らせるようにする事を目指しています。
しかし町の調査によれば20代30代の半数以上が現時点で浪江町に戻らないと決めていると答えています。
国分明敏さん照子さんと孫の和さんです。
じゃあおとうさんいつもここで仕事を…。
原発事故が起きるまで国分さんたちは和さんの家族と一緒に3世代で暮らしていました。
家の近所は和さんにとってたくさんの思い出が詰まった場所です。
(学生)皮むくの?どんぐりの?帽子じゃなくて?
(和)帽子は…そんなについてるやつはなかった。
(取材者)どうして戻りたいの?和さんの思い出が詰まったどんぐりの木。
子どもたちの笑い声が消えた町に今も残されています。
原発事故のあと和さんは一度も浪江町に戻っていません。
離れ離れに暮らす幼なじみが模型の前で再会しました。
帰りに食べてきた。
まんじゅう。
会場にはもう一つ別の模型も展示されていました。
太平洋に面した港町…請戸地区は津波で集落が壊滅し更に原発事故の避難区域となった場所です。
現在の請戸地区です。
地区の復興は放射能による立ち入り制限などで後れてきました。
あの日から間もなく3年。
浪江町の住民は北海道関東九州そして沖縄まで全国各地に散らばって避難生活を送っています。
40年以上請戸地区で暮らしてきた…あっこれだ。
200年を超える歴史を持つという祭りの思い出を語り始めました。
田植踊の踊り子は代々地域の子どもたちが担ってきました。
長年踊りを教えてきたのが佐々木さんです。
震災後も東京や埼玉新潟などに避難している子どもたちに声をかけ田植踊を続けてきました。

(太鼓)毎年安波祭が行われていた2月には浪江の人たちが暮らす仮設住宅を回って踊りを披露してきました。
今年は2月16日に福島県内の仮設住宅を訪ねる予定でした。
(ラジオ)「日本海側や太平洋側の山沿いなどは明日にかけて雪が降り続く見込みで明日の朝までの24時間の雪の量は東北地方の多い所で山沿いで70cm平野部で40cmに達する大雪になる見込みです」。
翌日佐々木さんは子どもたちが着るはずだった衣装を片づけ始めていました。
離れて暮らす子どもたちは雪で交通機関が動かず集まる事ができませんでした。
みんな遠くに離れているからそういう事になるんだね。
何かみんな来たくても来れない。
模型に刻まれていく人々の記憶。
展示終了まで残り僅か。
色が塗られていない建物が目立っていました。
各地で避難生活を送る浪江の人々にとっては模型に色を塗りに来る事さえ容易ではありません。
そして学生たちが驚かされたのが模型は白いままがいいという住民の声でした。
どうもこんにちは。
こんにちは!町で介護施設などを運営していた…川村さんにとってこの場所はこれからを生きる場所だと言います。
去年4月川村さんはこの場所で再び農業を始めました。
住民の早期帰還を目指す避難指示解除準備区域となった事で再開が可能になりました。
川村さんは20種類を超える作物を育てながら放射能の影響を調べ再びこの町で農業をなりわいにできる方法を探っています。
国の基準値を下回り出荷を待つばかりの野菜。
しかし…。
この日川村さんたちはキュウリの種をまきました。
育てても買い手が見つかるか分からない作物。
それでも川村さんは浪江町で農業を続けていきたいと考えています。
白いまま模型に残された川村さんの農場。
ふるさとはまだ失われていない。
川村さんの思いが込められました。
住民が学生たちと作り上げた浪江町の模型です。
色鮮やかによみがえったかつての記憶と手つかずのまま残された白い町並み。
あの日から3年を迎えた原発避難の町です。
2014/03/21(金) 05:15〜05:40
NHK総合1・神戸
ふるさとの記憶〜福島県浪江町〜[字]

被災地の模型を作り、震災前の街をよみがえらせるプロジェクト。今回は「原発避難の街」福島県浪江町。模型制作と模型を見た浪江町民への取材から震災3年の福島を伝える。

詳細情報
番組内容
被災地の模型を作り、震災前の街をよみがえらせる「失われた街 模型復元プロジェクト」。今回、模型となるのは、福島県浪江町。町並みが残されたまま住民全員が街を離れた「原発避難の街」だ。震災から3年。街に戻らない決断をする人がいる。一方、ふるさとで再び暮らす術を探るため、浪江町で営農を再開する人がいる。人々にとって「ふるさと」とは。模型制作と、模型を見た浪江町の住民への取材を通し、震災3年の福島を伝える

ジャンル :
ドキュメンタリー/教養 – ドキュメンタリー全般
ドキュメンタリー/教養 – 社会・時事
ニュース/報道 – 特集・ドキュメント

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サンプリングレート : 48kHz

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