もし津波がここまで押し寄せなかったなら。
もっと高台に建物があったなら。
いつもどおりの診療が続いているはずでした。
あの日岩手県立高田病院は大津波の直撃を受け医療に必要な全ての物を失いました。
あれから2年半。
医師たちは懸命の努力で地域の医療を守り続けてきました。
(石木)こんにちは〜。
よいしょ!ごめんなさ〜い。
おなか見せてね。
いまだ十分な設備が整わない中力を入れているのが自ら患者のもとに出向く訪問診療です。
失礼しま〜す。
高度な医療機器がなくても患者を支える事はできる。
逆境の中で新しい医療の可能性を追求しています。
足上げてみせて下さい。
おお〜すごいな〜。
重い病気を抱えていても安心して自宅で暮らせる在宅医療の仕組み。
震災によって陸前高田は若者たちが町を離れ急速に高齢化しました。
しかし希望も生まれています。
医療と介護が一つになって地域の人々の健康を守る。
医師たちの挑戦を見つめました。
現在津波で全壊した高田病院は高台に造った仮設の建物で診療を続けています。
医師の…今年3月まで病院長を務めていました。
定年で院長職を退いたあとも病院に残りました。
石木さんは毎日のように病院の外に出ていきます。
訪問診療です。
患者の一人80歳の佐々木愼太郎さんです。
去年肺炎をこじらせ入院生活を送っていましたが一日も早く自宅に戻りたいと訴え在宅での治療に切り替えました。
退院して9か月。
当初はほとんど寝たきりでしたが訪問診療を受ける中で起き上がれるまでに回復しました。
佐々木さんは来年の春には歩けるようになりたいと願っています。
とにかくこれだと厳しい。
立ち上がるのはね。
でもここの角度は随分よくなったよ。
あの時に比べれば…。
日々の練習はこっちの脚伸ばす事だから。
これか?うん。
この脚伸ばす事が練習だからさ。
く〜っ!うん。
震災の影響で陸前高田では持病を悪化させたり体調を崩す人が増えています。
病院を訪れる患者は一日200人。
高齢者は一たび入院するとそのまま寝たきりになってしまう事も少なくありません。
お年寄りの幸せのために医師として何ができるのか。
石木さんはできるだけ入院期間を短くして自宅で療養する事が大切だと考えています。
そのため患者には歩行訓練や階段の上り下りなど入念にリハビリを行います。
両方持ってみて。
持てる?おお〜すごいすごいすごい。
すごいね。
特にひげそりや洗顔歯磨きなど日常生活に沿った動作は丁寧に指導します。
まず眼鏡を外しましょう。
はい。
おっきく息吸ってから…。
唇や顎の筋肉を鍛え物を飲み込む力を回復させます。
(大きく吐く息)あっもうちょっと。
(大きく吐く息)おお〜いいじゃないですか!退院の日取りが決まると病院のスタッフが患者と一緒に自宅を訪問します。
ここなんですけど遠いところありがとうございます。
石木さんをはじめ入院生活を支えてきた看護師そしてリハビリのスタッフです。
もっと近くに行った方いいんじゃない?もっと近く…。
おいっとこしょ!患者が病院を出て安全に自宅で暮らしていけるのか。
石木さんたちは家族の受け入れ態勢や家の造りを確かめます。
4から5。
4から5。
一応介護保険のあれには…。
手すりやスロープを扱う福祉用具の専門家やケアマネジャーとも連携しきめ細かく準備します。
「もう医療でやる事ないから帰りなさい」って言ったって受け入れがないと無理な訳じゃないですか。
だから受け入れてもらえるような格好のセッティングしなきゃないのでやっぱりそういう意味で言うとケアマネジャーさんとタッグ組まないとうまくいかないという…。
おっ!行けるか…?バックできるか…?本人や家族にとって一番の心配はトイレ。
おっいいよいいよ!上げなくても…。
自分でもう…。
やる気満々だね。
行く気になって歩いてくるんだから。
そっか。
行けると思ってるんで…。
案外いいかもしんないね。
案外いいかもしんない。
いきま〜す。
はい。
適切なサポートがあればお年寄りは自宅に戻ると生きる力がよみがえる。
石木さんはそう信じています。
お邪魔しま〜す。
調子はどうですか?春には歩けるようになりたいと自宅で療養を続けている佐々木愼太郎さんです。
退院したあと佐々木さんのもとには週に2回理学療法士が訪れてリハビリを行っています。
焦らずね。
しゃがめるようになれば大したもんだ。
1…2…3…4…。
12345678。
まだもう一回くらいやるからさ。
ハハハ…!せ〜の!よいしょ!はい。
1…2…。
9か月前は寝たきりだった佐々木さん。
ついにつかまり立ちができるようになりました。
8…9…10!はい座りましょう。
座りましょう!…はい。
お疲れさまでした。
はい。
ご苦労さんだご苦労さんだ。
佐々木さんの家にはホームヘルパーも訪れます。
どうも。
ヘルパーの及川です。
はいどうぞ。
よろしくお願いします。
週に1回温かいタオルで体をきれいに拭いてくれます。
佐々木さんが心待ちにしている時間です。
家族にとっても介護の負担を減らしてくれるサポートです。
拭くの褒めて下さいませ。
今日も愼太郎さんお元気でいろいろと教えてくれました。
いえ…でもありがとうございます。
(及川)初めて握手しました。
歩く事ができないだとか座る事もできないだとかそういうふうな人たちが高齢者だったりするともう生きるのもいいかなって…。
早く迎えに来てもらいたいみたいな話をよくするんですよね。
そういうふうなのがホントにそういうふうに思ってうつっぽくなっていって生きてる意味みたいな事が薄れてしまわないようにしていくのがすごく大事なんでないかなって思うんですね。
石木さんが高田病院にやって来たのは9年前。
それまでは盛岡の総合病院で呼吸器外科の専門医として年間200例もの手術を手がけていました。
先端医療の現場から過疎の町へ。
待っていたのは糖尿病や高血圧など生活習慣病を抱えているお年寄りたちでした。
ここでは石木さんが磨いてきた専門技術はほとんど役に立ちませんでした。
床ずれ一つとってもどう治療していいか途方に暮れる毎日。
石木さんは専門医としてのプライドを捨て一から学び直す必要に迫られたのです。
自分でもそういう知識がなかった…。
行った時に呼吸器外科の勉強しかしてない訳だから例えば行ってじょくそうの人たちがいっぱいいて「こんなものどうやって治すのかな?」って思っていたらば「じょくそう学会というのがあるんだよ」って言われて「何だそんなものあるんだ」って思ってその年のじょくそう学会は出かけたの。
その時に得られた知識で戻ってきてじょくそうの処置だとかをまた新たな格好でやり始めたらよく治るようになったりとかね。
陸前高田の町で自分に求められている医療とは何か。
石木さんは在宅医療に力を注いでいきます。
そして病気を抱えたお年寄りが我が家で安心して暮らせるための仕組みを作り始めました。
慣れた?いや…慣れねえ。
病院と患者の家をつないで7年。
地域に根ざした医療の形が見えてきたそのやさきの事でした。
大津波が町を直撃。
およそ1,800人もの命が奪われました。
高田病院も4階まで津波にのみ込まれました。
薬医療機器ベッドカルテ。
医療に必要な全ての物が失われました。
それでも高田病院の医療スタッフはすぐさま被災者のもとに向かい懸命に治療に当たりました。
(取材者)病院がですか?未曽有の被害。
先の見えない不安。
石木さんが目の当たりにしたのは生きる希望を失い日に日に弱っていくお年寄りたちの姿でした。
高田病院のスタッフの力だけではこの事態を乗り切る事はできない。
石木さんは開業医や介護施設のスタッフ保健師など医療や福祉の専門家に呼びかけました。
地域に残された力を結集すればお年寄りたちを支えていけると考えたのです。
石木さんの呼びかけで職種の違いを超えた新たな地域医療の和が生まれていきました。
自宅が残ってる方ですね自分は病院に入院中に被災はしたんですが自宅が残ってる方たちというのが助けようがないっていうか…。
そういう人たちが施設に入っても費用も免除にはならないのでそうするとずっと負担も大きくなるというところも出てきていて。
結局その人たちって行き場がないんですよね。
在宅においていろんな保健福祉医療が頑張ってサービスしていくしかないのかなって思うんですけど。
あれから2年半。
医療と介護が一つになってお年寄りを支えていく。
高田病院の取り組みは着実に根を張ろうとしています。
在宅でリハビリを続けている佐々木愼太郎さんの家に石木さんが訪問診療にやって来ました。
(チャイム)こんにちは〜。
どうも。
どうもありがとうございます。
石木さんは佐々木さんの体力がなかなか回復しない事を気にかけていました。
十分に栄養をとれていないのではないか。
口の中を診察しました。
赤くなってるだろ?うん。
歯さ…入れ歯ガクガクしてない?これいつ作ってもらったの?入れ歯が合わず食べ物をうまくかめていなかったのです。
訪問診療してる人なんだけども入れ歯が合わなくなっちゃってる状態なのさ。
すぐに歯科医に連絡しました。
「石原慎太郎」と同じ名前です。
こんにちは。
地元の歯科医が往診にやって来ました。
ちょっと2〜3回かんでみて下さい。
カチカチカチ。
1回2回…はいもう一回カチカチカチ。
はいいいで〜す。
じゃあ今から落ちないように締めるからね。
その場で入れ歯を削って調整します。
削りかすが飛び散らないように使っているのは佐々木さんのお宅の電気掃除機。
在宅医療には工夫が欠かせません。
寝たきりの人でもこうやって入れ歯作って入れ歯修理したりして入れてみてそうするとかめるから力が入んだでば。
そんな落ちるほどの入れ歯じゃなかったからいいと思うんですけど今度しっかりかめますのでリハビリしてても足腰が早く鍛えられるっていうか回復する可能性もありますので。
調子悪くなったら俺だって…。
少し短くしましたけど。
ああいい。
大丈夫ですね?固いものが食べられなかった佐々木さん。
久しぶりに大好物のりんごを味わいました。
パリッとでねえボヤッと。
俺みてえ。
震災後高田病院には全国から若い研修医がやって来るようになりました。
研修医の先生がまた勉強しに来てくれています。
それぞれ自己紹介したいと思います。
じゃあ村木君。
宮城県の仙台オープン病院から来ました研修医2年目の村木です。
岩手県立中央病院2年次研修の田口といいます。
都市部とは違う地域での医療また被災地での医療という現状を勉強したいと思ってます。
(犬の鳴き声)こんにちは。
こんにちは。
こんにちは。
若い医師のほとんどが都市部の大病院で高度な先端医療を学びたいと考えています。
自宅でお年寄りが幸せに暮らすためのサポート。
石木さんは若者たちに地域を支える医療の喜びを感じて帰ってほしいと願っています。
専門の狭いところを深くやっていくのもすごく大事な仕事なんだけどそうでなくて広く浅くいろんなもの見ながら命を支えるというふうな事のやりがいだとか面白さだとか大切さだとかが分かってもらえるような医療をここの病院の中で展開していけば若い先生の中でこっちでやってもいいかなって思うような人たちも出てくるんじゃないかなと思うんですね。
もちろんそれは高田病院でなくてもいいんですよ。
医療過疎のところの病院はいっぱいある訳ですからそういったところに入っていって高田病院で勉強した事を思い出しながらそこでまた花開いていけばそれなりにいい格好になるんじゃないかなと思うんですね。
更に高田病院では今新たな試みを始めています。
お願いします。
私は前の院長の石木といいます。
はいお願いします。
矢作町出身…大船渡高校出身で今は東京薬科大学に通ってますカンノユウコと申します。
よろしくお願いします。
地域医療の担い手を地元で育てていこうという取り組みです。
お盆の帰省時期に合わせて全国の医学部や看護学校に通っている地元出身の学生たちに声をかけました。
高田高校出身で岩手県立大学看護学部1年…。
地元で働く事の魅力をアピールします。
地元出身の若い人たちが盛り上げていかなきゃ駄目だなと思って。
震災は起こってしまったんですけどここがふるさとっていう事は誇りに思うべきところだと思ってます。
震災から3度目の夏。
高台には新しい家が建ち少しずつ復興が進んでいます。
今日も石木さんは佐々木愼太郎さんを訪ねます。
(女性)起きる?起きようか。
まず触るな触るな。
んだ。
構うな構うな。
何でも食べられるようになりすっかり元気になっていました。
よっこいしょ。
よいしょ。
よっこいしょ。
よっこいしょよっこいしょ。
こんなもんでがす。
足もよくなったね。
足だいぶよくなった。
ちゃんと着くようになったもんね。
佐々木さんはかつて高田高校で働いていました。
来年の春には歩けるようになって元気な学生たちの姿を見に行きたいと願っています。
いろんな人がいるとますますその気になる。
(笑い声)石木さんたちはこれからも陸前高田のお年寄りを支えていきます。
岩手県立高田高等学校校歌斉唱!・「水と空との連なれる」フレーフレー高田!フレーフレー高田フレーフレー高田!ヤ〜!…で終わりです。
2014/03/20(木) 13:05〜13:35
NHKEテレ1大阪
ハートネットTV シリーズ 被災地の福祉はいま(4)「逆境からの再出発」[字][再]
東日本大震災で病院が流され、医療崩壊の危機を迎えた被災地。しかし岩手県陸前高田市では医療と福祉が密接に連携、高齢者を支える取り組みが一気に進み希望が芽生えている
詳細情報
番組内容
東日本大震災で病院が流され、医療崩壊の危機を迎えた被災地。若者が職を求めて町を出たため、高齢化が進み、事態は深刻化した。だが、逆境を機に改革の闘いが始まった。岩手県陸前高田市では医療と福祉が密接に連携し、高齢者を支える取り組みが一気に進んだ。都会からそれまで先端医療を指向していた若手医師も次々とやってきて学んでいる。被災地が超高齢社会を見すえた医療の先進地帯に生まれ変わろうとする歩みを記録する。
ジャンル :
福祉 – その他
福祉 – 高齢者
福祉 – 障害者
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音声 : 2/0モード(ステレオ)
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