さあ今日もちょっと風変わりな居酒屋「知恵泉」でおもてなし。
本郷先生は子供の頃になりたかった職業ってあります?子供の頃は落語家。
落語家?へえ〜。
みんなを笑わせるというのがすごい快感だったんですよ。
今でもだいぶ近いですけどね。
全然違う。
北尾さんは小さい頃になりたかった職業というのは?
(北尾)お医者さん。
お医者さん。
その心は?お医者さんというのは僕はよく病気もしてたから偉いのかなと。
それで頼りになるなと。
大将は?僕ですか…。
やっぱりこういう居酒屋をやりたいなと思ってたからある意味夢がかないましたよね。
そうなんですか。
でもさずっと思ってたんだけどすごく声がいいでしょう。
だからアナウンサーなんかできるんじゃない?無理ですよそんなもう。
でもさ少しやってみたら?そうですか。
「こんにちは。
正午のニュースです」。
あっ駄目だ。
顔が固すぎるよ。
やっぱあなたの天職は居酒屋の大将だね。
(増田)こんばんは。
出た!いつものメンバー。
いやいやもう最悪ですわ。
どうしたんですか急に。
仕事して仕事で失敗して怒られて。
言い分あるんですよ。
言い分あるんですけど黙って怒られてる方が丸く収まるのかなと思って怒られておきましたけど…。
ちょっと飲ませて今日は。
あえて怒られたという事ですよね。
そうそう。
今日はそんな増田さんにピッタリのお薦めを用意しておりますのでたっぷりと味わっていって下さい。
(増田)まあ偶然な!今月のテーマは「ナンバー2力」。
天下統一を成し遂げた豊臣秀吉をナンバー2として支えた武将たちを紹介しています。
今日はこれまであまり取り上げられる事のなかったナンバー2にスポットを当てます。
秀吉の弟…自らは名誉を追い求める事なく兄の補佐役に徹した秀長。
実は豊臣家という巨大な組織にはなくてはならない存在でした。
秀吉の代理で大軍を率い四国攻めや九州攻めを成功させました。
また温厚な秀長は多くの武将たちから慕われトップ秀吉との間を何度も取り持ちました。
豊臣家の要となって働いた秀長。
秀吉の弟という誰にも代わる事のできないナンバー2だったのです。
今回秀長の知恵を読み解くのは…かつて孫正義さんがトップを務める大手通信会社のナンバー2として活躍しました。
もともと証券会社に勤めていた北尾さん。
孫さんにヘッドハンティングされると幅広い人脈で大口の資金調達に腕を振るいます。
内外のIT企業との提携や大型の買収を次々と達成。
孫さんの事業を発展させました。
孫さんのビジネスを支え続けた北尾吉孝さん。
天下人秀吉を支え続けた秀長の思いをどう読む?孫さんってとってもユニークな方で集中すると何かこう…見えなくなっちゃうような人らしいですね。
彼は天才肌だから奥様と結婚式するといって教会で待ち合わせしてたら彼忘れて他の事に集中してた。
すっぽかしたとか…。
自分の結婚式で!?そんな話を聞きましたけどね。
とにかく話に集中して一つの考えに集中しちゃうと他の事もう見えなくなる。
食事なんか行ってもスーッと何も払わないで出ちゃうのね。
「ちょっとちょっと」と呼び止められて今度はこっちが払うというような事は何回か…。
「まだ払ってないですよ」と。
今日取り上げる秀長という人物なかなか知らないという方も多いかもしれませんよね。
どんな人物だったんでしょうか?ともかくいろんな意味で一流の人物ですね。
政治家としても極めて優れた手腕を持ちそれから武将としても20万人の兵隊を率いて四国を攻めたり九州を攻めたり。
その時に全然綻びを見せないんですよ。
一見すると地味なようにも感じるんですが大軍を率いる能力というのもあったと。
やっぱりねどんどんどんどん後ろから資金調達だったり当時の戦争だったら食べる物ですよ。
食べる物と物資を供給してあげないと前で戦えないんですよね。
それをちゃんとやってたのが秀長なんでしょうね。
そういう意味ではだからなかなか光が当たらないけど縁の下の力持ちだし大きな戦争をやるにはどうしても必要な人なんですよね。
秀吉の妬みみたいなのを買う事はなかったんですか?それが一番怖いんです。
ほんとに弟って一番危ないんですよ。
だって頼朝と義経でしょ。
戦国大名でいったって毛利元就。
それから伊達政宗。
みんな弟殺してるんだよね。
だから弟が力を持ってると兄が嫉妬してっていうそういうパターンからこの兄弟は逃れる事ができた。
やっぱそれだけ大変なんですよねナンバー2ってね。
ではまずその秀吉とそして秀長2人がどうやって天下取りに向けて歩みだしていくのか見ていきたいと思います。
秀長は天文9年尾張国の農民の家に生まれます。
転機は20代前半。
織田家の家臣となっていた3歳上の兄秀吉の誘いで自らも武士となったのです。
若き日の秀長の活躍を伝える逸話があります。
美濃国に侵攻しようとしていた織田信長。
秀吉に美濃への足掛かりとなる城を築けと命じます。
秀吉は国境を流れる木曽川の対岸に城を築く事を決めます。
しかしそこは敵地美濃。
短期間で建設を終えねばなりません。
当時木曽川には水運事業を営みながら実効支配を続けていた川並衆という勢力がいました。
秀吉は彼らに協力を求めます。
しかし交渉は難航。
川並衆のリーダー蜂須賀小六は秀吉の口のうまさにかえって不信感を持ち協力を断ったのです。
そこで送り込まれる事になったのが秀長。
武力で脅すのかそれとも金銭的な見返りを与えるのか。
秀長のとった交渉方法は…。
なんとひたすら誠意を見せお願いし続けるというもの。
これには川並衆たちも拍子抜け。
秀長の裏表のない生真面目さに好印象を持ち協力を約束します。
蜂須賀小六は後にこう語ったといいます。
「秀長様に心ひかれたから秀吉様の軍に加わった」。
こうして川並衆の協力を得て城は僅か数日で完成します。
秀吉の手腕を天下にとどろかせた一夜城です。
秀長の温厚な性格が秀吉を救ったのでした。
一夜城って秀吉というイメージありましたけど秀長の働きの方が大きいんじゃないですか?一夜城っていろんな説があってどんな城を築いたのかとか何日で出来たのかとかあるんですけどね。
でもやっぱり当然木曽川の所に何か拠点を築いた事は間違いないでしょうね。
「川並衆」と呼ばれる人たちの関わりの中で出来た。
そうですね。
川並衆というのは木曽川を物資を運搬するような商人的な色彩を持った武士という感じなのかな。
あとだから傭兵的な色彩も持っていてお金を払ってそれで彼らを雇う。
そういう何ていうんですかね百戦錬磨の川並衆をなぜ説得できたのか?蜂須賀小六っていう人は外交官だったんだと。
要するに非常に交渉事がうまかった人だったらしいんです。
だから言ってみれば秀吉と蜂須賀小六は合わないんですよ。
同じような気質を持ってるから。
逆にだから誠実さというものを表に出す秀長の方が心を打ったのかもしれませんね。
これどうなんでしょう?北尾さんやっぱりトップを支える人間として誠実であるという事は大事ですよね。
あらゆる人間にとって誠実さというのは非常に大事だと思いますね。
韓非子が言うように…巧い巧みな言葉は誠実さには及ばないという意味なんですけどね。
あらゆる交渉事でそうだと思いますよ。
何か巧みな事を言って相手簡単にだませるかなんて思ってもそうはいかない。
北尾さんが持ってらっしゃる交渉術。
それによってうまくいった事というのを具体的に教えてもらえますか?基本的にほとんど僕は誠実に全部Win−Winでいこうという事。
例えばジョイント・ベンチャー随分たくさんつくってきたんですね。
しかもうちは比率は60と向こうを40でスタートをするというケースが多かったんですけどもそれをほんとに誠意を持って話していく。
やっぱり誠実というのは思ってる事もちゃんと言うんです相手に。
そして自分の思いはこうなんだという事を伝えてそして向こうの思いも聞いてそして正反合のこの世界にいかに歩み寄るかという事だと僕は思うんですね。
そこをできた秀長。
どんなナンバー2としての知恵を持っていたんでしょうか。
たっぷりと味わって頂きたいと思います。
明智光秀の謀反により天下人織田信長が討たれたあとその後継者として名乗りを上げたのは秀吉と柴田勝家でした。
両軍は近江国の賤ヶ岳で激突します。
この戦いに勝った方が天下の覇権を握る。
両陣営とも一歩も動かずにらみ合いが続きます。
先に動いたのは秀吉軍でした。
勝家に味方する信長の三男織田信孝を攻めるため秀吉は1万5,000の兵を割いて美濃に向かったのです。
留守を任されたのは秀長でした。
秀吉がいない事を知った柴田軍は一気に攻撃を仕掛けてきました。
そこに…突然の大軍に動揺した柴田軍は秀吉軍に攻めたてられ敗走を重ねます。
実は秀吉が一旦美濃に向かったのは…柴田軍に先制攻撃をさせてからたたくという策だったのです。
まんまと勝利を手にした秀吉。
しかしこの作戦で最前線を守っていた中川清秀が討ち死にしてしまいます。
清秀は先の明智光秀との戦いで大きな手柄をあげた人物でした。
武将たちの間に「秀吉は味方を捨て石にする人物だ」という不信感が募ります。
陣中には重い空気が流れていました。
そうした雰囲気を察知した秀吉。
突如秀長を呼びつけます。
「なぜみすみす清秀を死なせたのだ」と強く叱責します。
武将たちは秀吉がナンバー2の秀長を叱ってまで清秀の死を悼んでいる事に驚きました。
清秀の死について秀長に落ち度はありませんでした。
しかし秀長はあえて怒られ役となる事に甘んじます。
それが武将たちの信頼を取り戻すための秀吉の策である事を理解していたからです。
怒られ役は深い信頼関係で結ばれていた秀長だからこそ担えた役割でした。
なるほど。
増田さんはどうでしょう。
和田アキ子さんにあえて怒られてみるとか。
あえてじゃなくても怒られます。
北尾さんはまさか怒られ役引き受けたなんて経験は…。
あんまりないですね。
怒られ役っていうかたまたまそういう事で自分から判断して今のような映像のような形で怒られ役にあえてなると臨機応変に判断して。
これはこれで非常にナンバー2として秀長として立派な決断だったと思いますけどね。
それから彼がもしかするとですけどやっぱり農民出身だったしその辺のところで妙なプライドとかはなかったのかもしれませんよね。
でもやっぱりその場の空気を北尾さんがおっしゃるように非常に賢い彼はパッと察知してそれで謝った。
そういう事だったんじゃないですかね。
増田さんどうでしょう?お笑いの世界で自分が出ないでも人を立てるという事を目指すってちょっと矛盾して…。
でもコンビやったらあるんじゃないですかね。
百貨店とかでいうたら商品は僕が作って包装紙は相方が作るみたいな。
たまに包装紙破けてるんですよ。
北尾さんビジネスの世界においてもトップとナンバー2その役割の分担というのは非常に大事になってきますよね。
大事になってきます。
特に規模が大きくなると1人で何もかもという事は不可能だしトップというのは自分の人間力でどれだけ優秀な人を周りに集めるかここにかかってくるわけですが。
例えばホンダの場合でも本田宗一郎さんと藤沢武夫さんとかね。
ソニーは井深さんと盛田さんというふうに研究開発は井深さんそしてマーケティングや広報は盛田さん。
2つに分けてるところってのは結構効率的に経営がなされて成功してるというケースがありますね。
孫さんと北尾さんの関係性でいうと孫さんは何をやる人?孫さんっていうのはまあ言えば僕は戦略家だと思いますよ。
いろいろ事業戦略を立てるのが本人も一番好きだと思うし。
だけどあと例えばですね一つ会社をやりますと。
どんだけ力入れて例えば「あおぞら銀行買収だ」と言ってやった。
しばらくすると関心がグーッと薄れていく。
次の関心に移るんです。
関心がどんどん移っていくとリスクが大きくなりますからね。
だからこれが非常に大事なポイントだと思います。
そこに待ったをかけるのが北尾さんの役割。
僕はそうしてきたし彼のそういう意味で財務面でサポートする人は常にそういう役割をやっていく人じゃないといけないと思いますね。
コンビでいうたら孫さんがボケで北尾さんがツッコミですね完全に。
そうですね。
そりゃコンビですよ。
完全にコンビですよね。
なるほどなるほど。
そして柴田勝家を倒していよいよ組織が拡大していく中で秀長の役割というのはますます大きくなっていくんですね。
どういうふうな知恵を絞り出して天下を目指していくのか?ご覧下さい。
着々と支配地域を増やす秀吉。
組織は拡大の一途をたどります。
温厚な性格の秀長は新しく豊臣家の支配下に入った武将たちからあつく信頼されていました。
さまざまな相談に応じたり弟という地位を生かしてトップ秀吉との間の連絡役を担ったりナンバー2として奔走します。
豊臣家を頼ってやって来る大名たちの窓口になったのも秀長です。
天正14年九州の大名大友宗麟が大坂城を訪ねてきました。
宗麟が治める豊後国は薩摩の島津家からの侵略に悩んでいました。
宗麟は秀吉に軍勢を送ってくれるよう頼みに来たのです。
この時も対応にあたったのが秀長でした。
大友家の記録はこの時秀長が宗麟の手を取りこう語りかけたと記しています。
「大友家のためになるように考えるから政治や外交に関する事は何でも相談するように」。
これを聞いた宗麟は大いに感激。
「秀長様の優しい心遣いはとてもありがたかった」。
宗麟の望みは秀長から秀吉に届けられます。
秀吉はこれを聞き入れ九州に兵を送り島津家を討ちました。
秀吉の弟として誰にも代わる事のできない働きを担った秀長。
天正19年兄を残して52歳でこの世を去ります。
秀長の死後その役割を果たせる人物が豊臣家に現れる事は二度とありませんでした。
相談役として非常に有能だった。
人と人とを結び付ける役割だったという事ですよね?本郷先生。
この時の秀吉というのはもう専制君主ですよ。
昔の親しみやすい秀吉ではなくなっているわけですね。
むしろ信長に近いかもしれない。
だからそうした秀吉様にはちょっとおっかなくて言えないんだけどだけど弟の秀長様だったら聞いてくれる。
そういう形での政権運営というのはありだと思いますね。
その後亡くなっていくわけですよね。
この死というのは豊臣家にとってどんな意味が?ものすごい計り知れないぐらいのダメージでしょうね。
すごく信望があってみんなからの話をちゃんと聞けてそれを秀吉につなげる事ができた人がいなくなっちゃうわけですよね。
そのあと秀吉は例の五大老五奉行制というのを敷いて豊臣政権のシステム作りというのにいくわけですけれどもそれはどうもうまくいかない。
だから秀長が生きてた時は秀長がほんとに一身にそれをやってたわけですね。
最後に北尾さんナンバー2に求められる極意というのは…。
「誠心誠意」に尽きるんじゃないかと思います。
ナンバー2というのはそして常に変化しうるわけです。
それは時代が変わっていく環境変わっていくその中で求められる人材像というのは常に変化する。
しかし変わらない不変のものがある。
それは誠心誠意なんです。
「論語」の中に「徳は孤ならず」という事もありますけど徳性の高い人は必ず周りに同じように徳性の高い人が集まって孤独になる事はない。
だから秀長なんていうのはその代表選手じゃないですかね。
「誠心誠意」。
先週の半兵衛が「無欲」。
両方駄目ですね。
これほんまに頑張らな駄目ですね。
難しい事ですよ。
(増田)ねえ!本郷先生しょっちゅう家では怒られ役らしいですけれどもね。
誠心誠意謝らないと。
ハハハ!どこでそんな情報を?2014/02/04(火) 05:30〜05:55
NHKEテレ1大阪
先人たちの底力 知恵泉(ちえいず)「弟の覚悟 豊臣秀長のナンバー2力」[解][字][再]
秀吉の弟・豊臣秀長。多くの武将から慕われ、秀吉の黒子に徹しながら、軍事・内政両面で政権を支え続けた。その能力は、後世の評価も高い。歴史に埋もれた功績を発掘する。
詳細情報
番組内容
取り上げられることは少ないが、豊臣政権の中で、なくてはならぬナンバー2がいた。秀吉の弟・豊臣秀長。決して功名を求めず、軍事・内政両面で秀吉を支え続けたその能力は、後世の評価も高い。非常に温厚な性格で、多くの武将から慕われたという秀長が長生きしていれば、豊臣政権は崩壊しなかったといわれる。歴史に埋もれたナンバー2・秀長の功績を発掘する。ゲストは、孫正義氏のナンバー2として活躍した北尾吉孝さん。
出演者
【出演】SBIホールディングス(株)社長…北尾吉孝,東京大学史料編纂所教授…本郷和人,増田英彦,【司会】井上二郎
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ドキュメンタリー/教養 – 歴史・紀行
映像 : 1080i(1125i)、アスペクト比16:9 パンベクトルなし
音声 : 2/0モード(ステレオ)
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