スコラ 坂本龍一 音楽の学校 シーズン4「“日本の伝統音楽”編」(2) 2014.02.20

「schola坂本龍一音楽の学校」日本の伝統音楽編。
列島に息づいてきた多様な音楽に触れそこに通底する響きを学んでいます。
今回は大陸との交流によって生まれその後独自の発展を遂げた2つの音楽雅楽と声明を取り上げます。
日本の伝統音楽を勉強しようという事で今回から具体的に今でも残っている古くからある音楽を取り上げたいんですけども。
まず雅楽ですね。
千数百年前からという。
そういう事になりますね。
あまり変わっていないといいますよね。
それがどの程度日本化されているのかね。
そういうところもとても興味深いんですけども。
何十年と雅楽をやってらっしゃる芝祐靖先生に来て頂いております。
よろしくお願いします。
こちらこそよろしくお願いします。
雅楽は平安時代に確立された日本の宮廷音楽です。
雅楽の形態は大きく3つに分類されます。
楽器だけで演奏される…舞を伴う…そして歌を伴う…雅楽の起源は2つあるといわれます。
一つは日本古来の歌と舞。
もう一つは大陸から伝来した音楽。
それらが複雑に影響し合い生まれました。
早速ですけども日本という国号も出来大陸との正式な国と国のつきあいも始まり中華帝国唐の宮廷音楽である雅楽というものを日本にも取り入れるという事になった訳ですけど大体7世紀ぐらいですかね。
7〜8世紀…。
そのだいぶ前に朝鮮半島の音楽が入ってきておりますので。
例えば允恭天皇のお葬式の時に貢ぎ物とか楽人さんが入ってきたっていうのを…。
それは新羅とか?
(芝)新羅の国から入った。
…っていう事はきちんと形式化されたのは唐においても8世紀ごろだとしてもその前からあのような音楽っていうのは唐でもやっていたし。
(芝)もちろんですね。
中華帝国に影響を受けた周辺国でもたくさん影響を受けてやっていたと。
それはもう…特に玄宗皇帝の時代は最も栄えましたね。
特にあの方は音楽が好きで例の梨園という所にたくさんの楽器演奏家を集めて大合奏を楽しんだという事。
それで日本が遣唐使船に乗っかっていった方がそれを拝見させてもらって「日本もなんとかしなきゃいけない」と思ったんじゃないでしょうか。
最初に当時の人たちが聴いた時すごく華やかなものだったんでしょうね。
ただとても明るくて唐の躍動感があったと思うんです。
特に雅楽というのは孔子廟の音楽でございましてそれから俗楽というのが宮廷音楽。
雅楽は来なかったんですけども俗楽というのが日本にどっと入ってきた訳ですね。
国際都市であった唐の都長安にはさまざまな国の音楽が集まり独自の音楽文化が花開いていました。
その中でおもだったものが2つあります。
一つは儒教の祭礼で演奏された音楽雅楽。
もう一つは娯楽的要素が強く宮廷の宴などで演奏された俗楽。
ペルシャやインドなどの音楽と中国古来の音楽が融合したものです。
このうち俗楽だけが日本に受け入れられたのです。
日本の場合はもともと宗教的な音楽はあったんですから。
それで中国のそういう宗教的な宮廷のホントの儀式的な音楽は入らないんですね日本には。
ですからむしろ楽しむ方の宮廷の音楽が入ってきたという事になりますね。
肝心の中国ではどうなんですか?残ってるんですか?雅楽は。
はっきりした事分かりませんけれども大体国っていうか…。
革命ですからね。
将軍が変わると革命が起こると。
名前変えちゃうんだから。
前の文化もなくなっちゃって。
土の中に埋めてしまう。
もちろん雅楽もそうですね。
中国では残ってなくて。
ほとんど日本だけに残ってるという。
日本の場合は支配体制が非常にしっかりといつまでも引いてるからその支配階層が持ってた音楽っていうのがずっと伝わって。
今度武士階級が作った能狂言。
作ったっていうか支えた能狂言。
またそれもずっと…。
やっぱり社会的な階層関係も影響してますね。
音楽を体験しながら学ぶ「scholaワークショップ」。
今回は雅楽の響きを体験します。
参加するのは小学校5〜6年生。
ワークショップのゲスト講師は…雅楽のワークショップという事でね。
歴史の教科書から抜け出してきたみたいな人たちが並んでますけど現代の人たちですから。
でも古い音楽をやってくれるので一度聴いてみて下さい。
(一同)はい。

(拍手)どうでしょう?みんながふだん聴いてる音楽とは随分違いますかね。
(一同)はい。
宮殿の中でお偉いさんのために何かやってるような感じの音楽でした。
なるほど。
はいどうぞ。
おはらいの時の音楽に楽器とかちょっと似てるなと思いました。
先生古い音楽ですよね?そうですね。
おっしゃるとおりお偉いさんが貴族たちが集まって昔のね演奏したりですね。
それからおっしゃった儀式の時の音楽でもあるんですよ。
じゃあねみんなたくさん楽器があるのでそれぞれ気になった好きな楽器があると思うんですけど特別に今日は舞台に上がれるので自分の好きな楽器のそばに…。
触らないんだよ。
邪魔にならないようにそばに行ってみて下さい。
立って。
行ってみましょう。
雅楽の演奏にはどんな楽器が使われているのでしょうか。
そろそろね自分の好きな楽器のそばに行って下さい。
笙が人気…。
笙が人気ですね。
じゃあそのそばに座ってもらってもう一度さっきの曲を演奏してもらいますので近くで聴いて下さい。
楽器の響きを間近で聴いた子どもたち。
どのような感想を持ったのでしょうか。
どうでした?近くで聴いて。
息継ぎとかほとんどしてないからすごい肺活量が必要なのかなと思いました。
倒れちゃいそうですね。
君何かある?感想。
何て言うんだろう…。
何か最初笛の音から始まってこの太鼓がカン鳴ってからそれでいきなりポンッて止まって。
何て言うんだ…曲をまとめる太鼓。
…でこっちも何か1回目と2回目で音の大きさを変えたりして何かすごい変化があって面白いなと思いました。
よく聴いてるな〜。
偉い。
すばらしい。
強大な影響力を持っていた中国。
その宮廷音楽は周辺の国々に伝わりました。
現在もそれを起源とする音楽がアジア各地で演奏されています。
日本の雅楽はこうしたアジア各地の音楽にも影響を受けました。
例えば東大寺大仏開眼供養では唐をはじめ朝鮮半島やベトナムの楽団が演奏を行ったといわれています。
しかし平安時代に入るとそうした多様な音楽を日本化しようとする動きが出てきます。
中心となったのは雅楽寮。
当初は唐から伝わってきた楽曲楽器そのままやっていたと。
ところがそれを日本化するという。
平安時代にすごく大きく変わった訳ですよね。
楽器の取捨選択がありましてまずどういう訳か低音楽器を無くしましたね。
尺八も無くなりました。
使ってたんですけども。
そんなような感じで楽器の取捨選択をして日本人に扱いやすい楽器が出てきましたよね。
それでそこでまた音階が変わったという。
中国から来た音階の中に日本の音階を入れたという。
ただ音色や音階を自分たちの好みに合わせて変えてやってしまうという事なんですね。
面白いですね。
特に篳篥という楽器ですね問題は。
雅楽で主旋律を担当する篳篥。
日本独自の音階を取り入れる上で大きな役割を担いました。
「越天楽」の中には篳篥の音だけがずれる部分があります。
例えばこちら。
大変な事で西洋音楽でもそういうのがあるのかなと。
陽旋法の中に陰旋法。
つまりこういう事でしょう。
…っていうのを。
そうですね。
それはメロディーが完全になってるんですけどでも伴奏の方が陽旋法なんです。
ああ…伴奏がね。
笙とか琵琶とかお琴っていうのは中国のベースのまんまです。
笙なんかは簡単には変えられないという事で和音は元のとおりやってる訳ですよね。
メロディーを変えてしまうって事でそれでぶつかる。
こうなのに…。
そうですそうです。
そうそう…。
ブルースですねブルース。
「scholaワークショップ」。
ここからは雅楽ならではの演奏方法について学びます。
芝先生ね昔から雅楽を聴いて不思議だなと思ってる事があるんですけども大概のほかの音楽特にヨーロッパ音楽などに比べてリズムがずれてるように聴こえるんですよね。
鉦鼓と琵琶に注目して演奏を聴いてみましょう。
鉦鼓は琵琶のあと一瞬遅れて音を出しています。
これはどうしてなんでしょうか?どの楽器がどういう音を出してどういうふうな動き音程を演奏してるかっていう事をそれぞれみんなが聴き合っているんです。
ですからこのプレーヤー全員がそれぞれの動きを見計らって演奏してますんでね。
ですからちょっとリズムが伸びたり縮んだり。
これが雅楽の特徴だと思いますね。
あの…ちょっと変なリクエストなんですけど合わせたら演奏できるもんなんでしょうか?雅楽の人にとって難しいかもしれないですけど多分伶楽舎の人はやって頂けると思うのでじゃあお願いしましょうか。
ちょっと違ってたねやっぱりね。
ちょっと味気ない。
味気ないですね。
何かピリッとしたものが…。
自然の移り変わり景色の移り変わりがゆったり来るんですけど。
今のですとホントにパッと…。
何月何日はこうっていう感じになってしまいますね。
デジタルな感じ…。
一種の独特の洗練ですよね。
そうですね。
平安時代に確立した雅楽。
日本固有の感性を持つその響きは現在も息づいています。
ここからは雅楽とほぼ同じような時代に伝来し能浄瑠璃などにも大きな影響を与えた声明について学びます。
今まで扱っていた雅楽と時代的にはほぼ同じような時代なんですけどもう一つ大事なものとして声明というのがありますけども。
これはやはり仏教の伝来とともに日本に入ってきた音楽ですわね。
皆さんお経ってつまらないものの代名詞みたいに言ってますけど実はそのお経も含んで声明というふうに言ってる訳ですから。
ものすごく音が豊かなんですよね。
非常にメロディックなものも結構あるというとこですけども。
紀元前500年ごろインドで発祥した仏教。
声明も仏教とともにアジア各地に広まりました。
日本に仏教が伝わったのは6世紀半ば。
声明もそのころ伝わったといわれています。
今も残る声明の中で最も古いものの一つとされる東大寺の声明を聴いてみましょう。
私は東大寺の修二会を朝5時くらいまで間近で見た事があるんですけども音の乱舞といいますか非常に音が豊かで声だけではありませんで板の間をげたでバタバタッて走り回ったりとか身を打ちつけたりとか。
一種のパフォーマンスであり空間性が生きるっていうかね。
それを生かしながら場の中で初めて成立する。
シアターピースですかね。
それで今までが割と初期に日本に入ってきた東大寺などの南都というとこの声明とそれからその周辺の国々の声明を見てきたんですけども大きな転機といいますかねその後来ますよね。
804年でしたかね。
空海と最澄が中国に行って。
空海の方の真言宗と最澄の天台宗2つの流派が出来ちゃった訳なんです。
宗派。
声明の形がね2つある…。
まずは平安時代の初期には奈良の人たちもそれから天台宗も真言宗も一緒に唱える事ができたって言いますからそんなには変わってなかったんだと思いますね。
そのころはね。
でもだんだんそれなりに変わっていったので。
どんどん変わっていっちゃうのね。
面白いですねそれね。
今に伝わる醍醐寺の真言宗の声明と延暦寺の天台宗の声明と続けて聴いてみましょう。
それでは響きの違いに注目してお聴き下さい。
…という訳でいろいろ見てきて遠くインドで発祥した仏教の音楽がシルクロードも通って中国を通って半島から日本に来て奈良そして京都と伝播してそしてその影響が日本中に。
この声明というのはその後の民衆の音楽も含めて日本の音楽に非常に大きく影響を及ぼす訳です。
語り物の旋律が非常に大きく影響してますから。
当然このあとの能や狂言浄瑠璃そういうものに全部影響を及ぼしている訳で。
はるかな8世紀なんていう昔のものですけどもそれが現代まで非常に大きく影響を及ぼしているというのが面白いなと思うんですよね。
2014/02/20(木) 00:30〜01:00
NHKEテレ1大阪
スコラ 坂本龍一 音楽の学校 シーズン4「“日本の伝統音楽”編」(2)[字][再]

日本の伝統音楽編第2回は、国家の成立期から平安時代までの音楽を学ぶ。中心となるのは、雅楽。雅楽が日本でどのような発展をしたのかに触れる。また声明も紹介する。

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