歴史秘話ヒストリア「大発見!歌麿の最高傑作 巨大美人画に秘められた真実」 2014.03.05

その出現を誰もが待ち望んでいた一枚の絵がありました。
かつて写真に収められその後長らく行方不明になっていた幻の傑作です。
江戸の浮世絵師喜多川歌麿が描いた「深川の雪」。
縦2m横3.5mに近い巨大な掛け軸が想像を絶する鮮やかな色彩とともに姿を現しました。
大きな画面いっぱいに27人もの遊女や芸者の生き生きとした姿が描かれています。
発見されたのは美人画で名高い歌麿が晩年にひときわ入念に仕上げた渾身の作品でした。
浮世絵の歴史の中でも最大規模。
画業のある決算をこの大画面でしてみたいというそういう意欲が隅々にまで行き渡ってる。
これほどのいわゆる美人画といいますか美人群像を近世絵画で描くというのはこれ以上のものなかなか探すのは大変だと。
究極の最晩年の傑作がこれだと。
傑作はなぜ生まれたのか?その後どのような運命をたどったのか?今夜の「ヒストリア」は世紀の大発見を独占取材。
歌麿幻の傑作の魅力と謎に迫ります。
18世紀後半喜多川歌麿は美人画の傑作を次々と世に送り江戸浮世絵界の頂点に君臨しました。
絶妙なポーズで妖艶な魅力を際立たせる江戸吉原の花魁。
一方若さにあふれるみずみずしい江戸の町娘。
人々をとりこにした身近なアイドルの姿です。
こちらは渋い着物に身を包む年増の女。
過ぎし日の恋に思いをはせるその姿は濃厚な色香を漂わせています。
従来の日本にはない女性の内面までも描き出す作品は一世を風靡したばかりか世界でも高く評価されています。
こちらは歌麿の貴重な自画像。
粋な優男に見えますが実像は謎に包まれています。
分かっているのは最晩年に幕府に捕らわれ間もなくして世を去った事。
謎に満ちた生涯を解き明かすカギとなるのが今回発見された巨大美人画「深川の雪」。
最高傑作に秘められた歌麿の驚くべき真実の物語をご覧下さい。
ようこそ「歴史秘話ヒストリア」へ。
今夜は大スクープ!見逃せませんよ!江戸の浮世絵師喜多川歌麿の最高傑作が見つかったんです。
歌麿といえば美人を描いた浮世絵で有名ですよね。
今回見つかったのは大量にすられる版画とは違って絵師が一枚一枚彩色も含めて描いていく肉筆画なんです。
では大発見まずはご堪能下さい。
その絵は明治時代に撮影された写真でのみ知られていました。
長い事行方が知れず誰もが探し求めていた…2012年一幅の巨大な掛け軸が東京に姿を現しました。
傷みが激しく掛けてみる事は危ぶまれましたが慎重に広げられていきました。
それはまさしくあの幻の作品「深川の雪」にほかなりませんでした。
作品を確認したのは小林忠さん。
日本近世美術史研究の権威です。
作品は専門家によって修復される事になりました。
再び安心して掛ける事ができるよう絵の回りや裏の表具を取り外し絵を洗ってから仕立て直すのです。
異例な大きさであるため作業は半年以上かけて慎重に進められました。
その間に小林さんは歌麿研究の第一人者浅野秀剛さんに作品を見てもらう事にしました。
複数の目で確認する事で鑑識をより確かなものにするためです。
専門家も驚いたのは歌麿の群像表現の巧みさでした。
描かれた人物の数は27人。
小さな子供の他は全て女性です。
舞台は深川の料亭。
それは女性が大きな風呂敷を運び込んでいる事で分かるのだそうです。
「通い夜具」といい布団などを包んだもの。
深川は料亭でありながら客が遊女と枕を共にする事もできる遊里でした。
描かれたのは料亭の2階。
雪の積もった中庭の周りを廊下が巡っています。
歌麿は要所要所に人物群を巧妙に配しつつ見る者の視線を誘導します。
左下には母親に抱かれる子供。
猫をつかまえようとしました。
驚いた猫は前を行く遊女の裾に飛びつき遊女もびっくり。
しかしその前を行く女中は忙しいのか構う事なくお膳を運び続けます。
その先画面中央の人物群が見事。
歌麿はさまざまなポーズをとらせながら頭を斜め線状に配し視線を上の方に導いていきます。
一方その中ほどにいる女性が手のしぐさによって右手の集団へといざないます。
そこには火鉢を囲む女性たち。
キセルを吸う者笑う者寒さに凍える者そしてたたずむ者。
身を寄せ合う人々は皆かわいらしくも優美。
歌麿ならではの表現です。
そして左上には拳遊びをする芸者たち。
今のじゃんけんを複雑にしたような遊びです。
熱中する人見守る人。
左端では愛嬌ある女性が下の方を指さします。
そこには庭に遊ぶスズメ。
こうして視線は下に誘導されて元に戻り円を描くのです。
画面の大きさは…これがどんなに大きいかというと…。
例えば歌麿の肉筆画の名品「芸妓図」。
標準的なサイズの作品で芸妓の大きさは「深川の雪」の人物とほぼ同じです。
画面を比べると「芸妓図」がちょうど20枚入る破格の大きさである事が分かります。
2人の考察は作品の制作時期に及びました。
注目したのは女性の口元。
下唇が緑色です。
「笹色紅」といって紅を濃くつける事で玉虫色に輝かす化粧法。
ある時期から流行した事が分かっています。
その他髪形や描き方の特徴なども考え合わせ制作時期は享和2年ごろから歌麿が世を去る文化3年までの数年間と推定されました。
「深川の雪」は歌麿最晩年の傑作だったのです。
どうです?すごい作品が現れましたね。
それにしてもこれだけの傑作が今までどこに行っていたのでしょう?探ってゆくとそこには流転の物語がありました。
歌麿の大作「深川の雪」。
その名が初めて記録に現れるのは東京から離れた栃木市においてです。
その時に作成された目録です。
ここに記された「雪月花図」のうち「雪」が「深川の雪」にあたります。
しかも「月」「花」と三部作を成していました。
明治時代に三部作を写した写真が近年栃木市の旧家から見つかりました。
あの「深川の雪」。
こちらは「品川の月」。
そして「吉原の花」です。
三部作の舞台はいずれも江戸を代表する遊里。
その遊女たちの美に「雪月花」という四季を代表する美を取り合わせる趣向の作品だったのです。
当時パリを中心にヨーロッパでは日本美術を熱狂的に愛好するジャポニスムブームが起きていました。
浮世絵の人気は最も高く中でも争うように求められたのが歌麿でした。
その後三部作は離れ離れになります。
大富豪フリーアが競売で競り落とし快慶や宗達を含む自慢のコレクションに加えたのです。
それらは今ワシントンのフリーア美術館に門外不出の作品として収められています。
幅3mを超える大作。
もとは掛け軸でしたが今はパネルになっています。
江戸湊に面し広々とした感じで人気を集めた品川の遊里。
海に浮かぶ月をめでる月見の名所でもありました。
だから「品川の月」。
歌麿は当時目新しかった西洋的な遠近法を使いながら人物をリズミカルに配し品川ならではの開放感を巧みに表しています。
アメリカ東部コネティカット州のハートフォード。
アメリカ最古の公共の美術館であるワズワース・アセニアムが購入したのです。
ルネサンスやバロック美術の収集で知られる美術館がヨーロッパの古典絵画にも匹敵する名品として「吉原の花」を迎え入れました。
金箔に彩られた華麗な大画面。
舞台は日本最大の遊郭江戸の吉原。
名物の桜が咲き乱れる中美を競うように花魁たちがその艶やかな姿を見せています。
ここにも男性の姿はなく女性ばかり52人が文字どおり画面を埋め尽くします。
では残る「深川の雪」はどうなったのでしょうか?実はある日本人がパリで購入し昭和14年に日本に里帰りしていた事は分かっています。
その後昭和23年に銀座の百貨店で3日間だけ展示されたのを最後に行方不明になっていました。
それが今回古美術商の手を経てついにその姿を東京に現しました。
明治半ばに栃木を離れてからおよそ120年。
歌麿の「雪月花」三部作は流転の果てに今ようやくその全容を現したのです。
歌麿の「雪月花」三部作はそれぞれ形も大きさも異なります。
そして実は制作された時期も異なる事が浅野秀剛さんの研究によって分かっています。
「品川の月」は横長の画面。
縦は147cm横は319cmです。
制作時期は最も早く…「吉原の花」は縦187cm横257cm。
画面全体は「月」よりも大きいんです。
「品川の月」から3〜4年後の寛政3〜4年ごろに制作されたと考えられます。
そして今回発見された「深川の雪」は縦199cm横341cmともちろん最大の画面。
制作されたのは「吉原の花」の十数年後。
歌麿最晩年の享和2年ごろから文化3年までの間です。
これだけ大きな作品を3点しかも長い時間をかけて完成させたのは異例な事だそうです。
そこには一体どんな物語が秘められているのでしょうか。
明治の半ばに三部作があった栃木市。
歌麿はここで三部作を描いたのでしょうか?江戸時代の栃木は商業の町としてにぎわいました。
市内を流れる巴波川を利用した江戸との水運が発達していたのです。
今も市内に数多く残る蔵はかつての繁栄を伝えています。
これまで歌麿が栃木を訪れた事を示す史料は見つかっていませんでした。
しかし近年歌麿の作品が栃木の旧家から相次いで発見され歌麿の栃木滞在の可能性が高まりました。
まず2007年に見つかった「女達磨図」。
遊女が禅の始祖・達磨の姿で描かれています。
9年間座禅を組み悟りを開いた達磨に10年間は遊郭に奉公しなければならない遊女を重ねたもの。
当時人気のあった画題です。
朱と墨の2色を主体にした簡素な画面。
幅60cmほどです。
2010年にはもう二つ。
幅40cmほどの「三福神の相撲図」と幅30cmに満たない「鍾馗図」。
いずれも小ぶりの作品でした。
3点が制作されたのは様式などから寛政3〜4年ごろと推定されました。
これは「吉原の花」の制作年代にぴたりと重なります。
この事は…歌麿は少なくとも3回栃木を訪れては大作を描き三部作を完成させたと推定されました。
ではなぜ江戸の絵師歌麿が栃木と関係を持ったのでしょうか?歌麿の絵本や版画を調査すると興味深い事実が浮かんできます。
栃木の人の名が頻繁に出てくるのです。
酒桶数有。
小袖裾長。
皆狂歌師と言われる人々です。
歌麿と栃木を結び付けたもの。
それは「狂歌」だったと見られます。
狂歌は滑稽な和歌の事。
その面白さを競い合う遊びが歌麿の若い頃爆発的に流行しました。
駆け出しの絵師だった歌麿は「筆綾丸」と名乗る狂歌師でもあったのです。
封建的な当時にあって性別も身分も問わない例外的に自由な空間。
そこに江戸と行き来する地方の商人の姿もありました。
栃木の狂歌師はそうした人々でした。
歌麿の作品に最も多く登場する狂歌師が通用亭徳成です。
栃木の豪商で本名は善野喜兵衛。
そして明治12年に栃木で歌麿の三部作を所有していたのは善野家。
そもそも歌麿を栃木に招き…善野家に最初に栃木に招かれた天明8年ごろの歌麿はまだ30代半ば。
ようやく修業時代を脱しようとしていました。
後に最初の代表作と言われる「画本虫撰」を出したのがこのころです。
虫を題材に詠んだ狂歌に歌麿が挿絵を描いています。
鋭い観察眼と精緻な描写力。
歌麿の実力が初めて遺憾なく発揮されました。
そんな江戸で売り出したばかりの絵師が栃木に招かれたのです。
巨大な掛け軸の制作は歌麿と善野家の話し合いで決まったと見られます。
挿絵など小さなものばかり描いてきた歌麿にとって大きな挑戦でした。
三部作の初め「品川の月」。
さえざえとした月明かりに照り映えて女性たちはしなやかな美しさに輝いています。
着物の柄こまやかなしぐさ。
一筆たりともゆるがせにせず歌麿は描いています。
絵の中に歌麿は額を掲げました。
雪月花を詠み込んで当時大ヒットした狂歌です。
まるで狂歌が縁となって栃木で描く事になった自らを寿いでいるかのようです。
「月」を完成させ歌麿は江戸に意気揚々と戻ったはず。
しかし待ち受けていたのは思いもよらぬ事態でした。
老中・松平定信が「寛政の改革」を推し進めていたのです。
定信は武士を頂点とする支配体制を立て直すため町人層を弾圧。
厳しい風俗統制を敷き贅沢を禁じます。
例えばくしやかんざしに金銀を用いる事は禁止。
取り上げろ!御禁制の品だ。
統制は出版界にも及びます。
狂歌絵本のような豪華本は出版禁止。
多くの色を用いた華美な浮世絵も禁じられました。
寛政3年には歌麿の雇い主である版元蔦屋重三郎が財産を半分没収されます。
更に歌麿と同じ蔦屋専属の作家山東京伝が手鎖50日の刑に処せられました。
次は自分が改革の餌食になるのではないか。
このころ歌麿の制作点数は極端に減りました。
そんな歌麿を見かねての事でしょうか。
寛政3〜4年ごろ歌麿は再び栃木に招かれます。
そして前回にも増して大きな画面に取り組んだのです。
それが「吉原の花」でした。
金の雲に囲まれた画面。
幕府公認の遊郭吉原は春桜満開の季節。
大通りに面した引き手茶屋に遊女たちが集います。
当時誰もが憧れた場所を歌麿は栃木の人々が喜ぶようきらびやかに描いたという事なのでしょうか?いいえそればかりではありません。
この絵には驚くべきたくらみが潜んでいるのです。
それは2階の座敷。
踊りを楽しむ一行がいます。
これ実は武家の宴会なのです。
髪形に御注目。
「片外し」といって将軍家や大名家の女中たちがしていた特殊な髪形です。
更に酌をせよとばかりの横柄な女性は三つ葉葵の紋をつけています。
そう徳川家の家紋です。
寛政の改革のさなかに武家の女性がこともあろうに遊郭で遊ぶ姿を歌麿は描いていたのです。
華麗さの中に改革への抵抗を込めた危険な絵。
江戸の絵師の矜持は栃木でこそ示す事ができたのです。
三部作はなぜ掛け軸だったのかよく分かっていません。
しかし「吉原の花」についてはこんな事が言えます。
実際に掛け軸を広げるところを想像してみるとまず出てくるのは宴会の場面。
「ああ武家の女性たちが楽しそうにしているなあ」と思いますよね。
でも更に広げていくと…「吉原遊郭で遊んでいたのか!」となったはずです。
広げる時上から徐々に見えてくるという掛け軸ならではの特性を生かした驚きの効果が仕掛けられていたのです。
さあいよいよ三部作の最後今回発見されたあの傑作「深川の雪」の登場です。
再び江戸に戻った歌麿は何かが吹っ切れたかのように快進撃を始めます。
さあさあさあさあ歌麿の新作だよ!歌麿の代名詞「美人大首絵」の誕生です。
女性の上半身や顔のみを画面いっぱいに描いた版画。
歌麿が初めて生み出した様式です。
上半身に集中する事で浮かび上がるのは人物の内面。
手紙には何が書かれているのかなぜ女性はかくも真剣な目つきをしているのか鑑賞者と描かれた人物の対話が始まります。
しかも背景をなくし顔を中心に描くので色の数は少なくなります。
華美を禁じる改革を逆手に取って歌麿は新たな世界を切り開きました。
お待たせしました。
歌麿は描く対象を広げていきます。
江戸の町娘たちを描き始めたのです。
その代表作「当時三美人」。
江戸で大人気だった3人の娘たちのみずみずしい事!浄瑠璃の名取豊ひなせんべい屋の娘おひさ水茶屋の娘おきた。
街角の美人が確かな存在感を持って絵に息づいています。
そんな彼女たちの名前を歌麿は高らかに作品に書き入れました。
しかしそれが幕府の逆鱗に触れます。
浮世絵に町娘の名前を書く事を禁じたのです。
一体なぜなのでしょう?幕府の密偵の報告書「よしの草子」に理由が記されていました。
歌麿が描く事で茶屋娘おきたの人気はうなぎ登り。
高慢になった娘は客に横柄な態度をとり始めます。
それに激怒した客が店の前に汚物をまき散らす騒動まで起きていました。
幕府にとって歌麿は絵によって市中をかき乱す存在にほかならなかったのです。
しかし歌麿はあらがいます。
今度は名前を絵文字で表した「判じ絵」を用いてみせたのです。
例えばこれ。
まず菜っぱが二把で「な」「にわ」。
次に「や」。
そして「おき」と田んぼの「た」。
正解は「難波屋おきた」。
実は歌麿の成功にあやかろうと多くの絵師が町娘を描きました。
しかし禁令後も名前を伝えようとしたのは歌麿ただ一人。
だからこそ歌麿は判じ絵を用いた作品に自ら記してみせました。
サインは「正銘歌麿本家」。
幕府にあらがう浮世絵師の覚悟がここにあります。
明らかに歌麿に狙いを定めたのです。
それでも歌麿は描き続けました。
人気の町娘が駄目なら名もなき市井の女性たちを。
その働く姿の美しさを見つめよう。
歌麿はあらゆる女性を描く事で人々の期待に応え浮世絵界の頂点に君臨し続けたのです。
こうして「吉原の花」を描いてから十数年の歳月が流れました。
そんな中歌麿は三度栃木を訪れます。
ついにあの畢生の大作「深川の雪」に取り組む時が来たのです。
でもなぜ歌麿は栃木に赴いたのでしょうか?その訳は意外にも120年以上前にパリで明かされていました。
ジャポニスムのさなか歌麿に魅せられた作家ゴンクール。
世界初となる歌麿の評伝の中で「深川の雪」の来歴を記しています。
幕府にあらがい描く事をやめなかった絵師の手になる「深川の雪」。
そこには一人として同じ姿の人物はいません。
たゆまぬ人間観察と果てなき美の追求。
歌麿のみが生み出す事のできた豊かな個性たちです。
栃木で描いた三部作の最後「深川の雪」は歌麿の人間賛歌でした。
そしてそれは歌麿のラストメッセージになってしまったのです。
おらてめえの足でしっかり歩け!歌麿はついに幕府に捕らえられます。
牢に入れられたうえ手鎖50日の刑に処せられました。
その後みるみる衰えた歌麿は…50歳過ぎだったと伝えられています。
それでは最後にもう一つ。
そんな秘話をどうぞ。
栃木市が3年前に始めた…そのハイライトではなんと歌麿が江戸から花魁を引き連れて舟でやって来ます。
(アナウンス)「新たな作風『美人大首絵』が話題になっています」。
大勢の人が一目見ようと集まり町は大歓声に包まれます。
栃木市は今歌麿とともに輝きを取り戻そうとしています。
更に栃木市は「品川の月」と「吉原の花」の原寸大の精巧な複製を作りました。
歌麿と栃木の豊かな交流への関心を高めたいと市内で展示しています。
かつて歌麿を受け入れ記念碑的な作品を描かせた先人の姿を思い起こしたい。
そんな願いも込められています。
「深川の雪」は箱根の岡田美術館に収められる事になりました。
半年以上の時間をかけて行われた修復。
額にはめ込むのではなく掛け軸のまま保存するというより手間のかかるやり方が選択されました。
三部作のうちただ一つ日本で見る事のできるこの作品だけは歌麿が制作した当初の姿をとどめたいという思いからです。
是非御覧になる事によって…歌麿生涯の傑作「深川の雪」は4月に公開される予定です。
長い旅を終え再び人々の目を楽しませようとしています。
2014/03/05(水) 22:00〜22:43
NHK総合1・神戸
歴史秘話ヒストリア「大発見!歌麿の最高傑作 巨大美人画に秘められた真実」[解][字]

江戸の天才浮世絵師・喜多川歌麿の最高傑作「深川の雪」が発見された。番組ではこの傑作を1年以上前から独占取材。巨大美人画に隠された歌麿の知られざる実像に迫る。

詳細情報
番組内容
江戸の浮世絵師・喜多川歌麿の最高傑作「深川の雪」が発見された。番組ではこの傑作を1年以上前から独占取材を重ねてきた。いつ、どこで、なぜ、この巨大な美人群像画は描かれたのか? アメリカから栃木まで歌麿の謎を追っていく。そこから見えてきたのは、幕府に抵抗を続けながらも決して筆を置くことなく、人生の転機を迎えるたびに栃木に赴き、あらん限りの力で傑作を残そうとした姿。歌麿の知られざる傑作と真実の物語。
出演者
【キャスター】渡邊あゆみ

ジャンル :
ドキュメンタリー/教養 – 歴史・紀行
ドキュメンタリー/教養 – ドキュメンタリー全般
ドキュメンタリー/教養 – カルチャー・伝統文化

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