生字幕放送でお伝えします山本⇒こんばんは「ゆうどきネットワーク」です。
きょうのお客様です。
出田⇒南こうせつさんです。
こうせつ⇒よろしくお願いします。
今週は先週に引き続いて震災からまもなく3年ということで、被災地の皆さんの声現状をお伝えします。
こうせつさんは東北で相当コンサートをされていますよね。
そうですね、いろんな場所で歌ってきました。
きょうはそのコンサートのお話も伺いえればと思っています。
分かりました。
よろしくお願いします。
出田⇒まず中継です。
宮城県山元町に吉田さんが行っています、吉田さん!吉田⇒真っ赤に実ったいちごの実もういっこ、という名前です。
地元特産のいちごでもう1個食べたくなるような爽やかな甘さが特徴です。
今収穫の最盛期を迎えています。
きょう私が訪れているのは宮城県山元町です。
海岸からですと大体、1.3kmほどのところにある場所です。
いちごの一大生産地だったこの山元町津波の影響で9割が被害を受けました。
その、いちごの町を復活させようと去年作られたのが、このような農業用ハウスが集まったいちご団地なんです。
お隣の亘理町と山元町の2つの町がこのような農業ハウスを作って農家に貸し出しをしています。
現在2つの町で、7か所のいちご団地があります。
その、いちご団地で今シーズン初めての出荷を迎えているということなんです。
いちご農家の方にきょうは来ていただいております。
千尋重男さんです、よろしくお願いします。
千尋⇒よろしくお願いします。
千尋さん、ようやく3年たって出荷の時期を迎えましたね。
そうですね、長かったですね。
長かったですか?長かったです。
その長かった3年を超えてそして今、ことし作っているいちごの出来はいかがですか?豊作に近い状態で、ありがたく感謝しております。
豊作とおっしゃいましたが震災前の8割ほどまで復活しているということなんです。
ハウスの中にお邪魔していますけれど、見ていただいて分かるように背丈の高い高設の栽培をしているんです。
なぜかと言いますとこの辺りまで津波が押し寄せてきました。
土壌には塩分が含まれていますので、下では作れなくなりました。
それでこのように、上で栽培するようになって水分や養分を与えることによってこのような栽培ができるようになりました。
上を見てみますと電気代もかかります。
温めるために重油代もかかります。
燃料代がかかるようになりました。
さらに津波がここまできたと言いましたけれどそうしますと地下水も今まで使っていたものが使えなくなりまして水道代もかかるようになりました。
震災前は400軒ぐらいいちご農家があったんですけれど、今では3分の1ほど130軒ほどに減ってしまったということなんです。
町から農業ハウスを貸し出してもらっているということを先ほども伝えましたけれど貸し出しも10年間は継続して作らなければいけないという状況になっていますので高齢の方たちは継続して再開するということを、断念せざるをえなかったという状況もあったということなんです。
再び千尋さんに伺います。
千尋さんそう言った先輩たちの思いも受け継いでいくということなんでしょうか。
そうですね。
再開したいと言っても、そういうもろもろの条件があってやれないというさみしい人も多いんです。
そういう中で再開できた、われわれはほんとうに幸せです。
支援をいただけなければ作ることはできなかったのでスタートラインにようやくたどりつきました。
その皆さんが作ったもういっこ、のいちごラベルがついています。
左下には感謝の心、復活へとこのラベルを貼って全国の皆さんへと出荷されていきます。
いちご使って、新たなものもどんどんこちらです。
洋菓子です。
いちごに入り込んだ生地にいちごのジャムを使っています。
ロールケーキです。
牛皮でくるんだ洋菓子です。
いちごは地元のものです。
いちごを30個以上、2パックぐらい使ったいちごのケーキそして縦長のロールケーキもあります。
洋菓子店の斎藤さんです。
斎藤⇒よろしくお願いします。
いちご農家が復活してきますと期待も高まりますね。
皆さんが頑張ってここまでいちごを復活させてくれたおかげで私たちも待っていたお客さんに対して喜んでもらえるのがとてもうれしいです。
だからもう少しみんながもっともっとこのいちごを分かっていただけるように少しでも力を貸して私たちもできるかぎりやれたらそれで十分です。
ありがとうございました。
宮城県の山元町からお伝えしました。
山本⇒もういっこ、です。
本当にお話を伺っていますと1個に重みがありますね。
そうですね。
果物ができるようになってそれでもいろんな燃料代のこととか、町から10年間続けなきゃいけないとか厳しいといえば厳しいですね。
それだけに頑張って作らなければいけませんね。
ゆえにわれわれが、おいしいいちごをもっともっと味わって食べていくというのは。
千尋さんと書いてありましたね。
分かりました。
あすは福島県の相馬市からです。
続きましては被災地の皆さんからいただいたアンケートをご紹介してまいりましょう。
出田⇒きょうは福島の方からいただいた声です。
福島第一原発の事故が今も続いています。
アンケートにもその放射線を不安視する声が多く寄せられました。
佐伯⇒まずは原発事故により生活を追われた人たちです。
相馬市の仮設住宅で暮らす宮原喜美子さんです。
浪江町より避難仮設住宅で暮らしています。
振り返ると3年間は夢中で自分を見失わないように頑張ってきたと思います。
最近は、体の衰えを感じ心細くなります。
築き上げた人生すべて奪われたと思います。
出田⇒浪江町から南相馬市に避難している八島三枝子さんです。
平成29年度までに除染が終わるのかどうか。
除染が終わってもいつ戻れるのか除染しても大丈夫なのか不安です。
南相馬市から宮城県に避難している西内明美さんです。
相変わらず放射線への不安が残る。
自営業なのでいずれ、戻らないといけないが今は夫だけが福島に通っている。
今後、家族で戻ることになってもとても不安でしかたがない。
そして、西内さんの子どもたちもアンケートに答えてくれています。
長男の海斗君は南相馬に戻っても友達がいないから戻りたくない。
次男の晴久君と長女の美玲さんも放射能への不安を訴えています。
山本⇒いわき市に避難している55歳の男性です。
浪江町へは戻らないことになると思います。
住んでいた地区が原発にあまりにも近すぎるので。
浪江町もやっと除染が始まりましたがいつまで実施するのかどこまで効果があるのか疑問です。
原発事故で今までどおりに仕事ができない方もいます。
ご覧ください。
福島県いわき市小名浜の漁師志賀金三郎さん。
小名浜で、25年以上漁獲量が最も多かった漁師でした。
原発事故の影響で漁に出られなくなっていましたが私たちが訪ねたとき試験的な漁の準備をしていました。
先月、再び志賀さんを訪ねました。
去年10月から試験操業ができるようになり週に1度、漁に出ています。
試験操業では事前の放射性物質の検査で安全が確認された魚だけを取ります。
その魚の種類は震災前の5分の1です。
さらに取れた魚は念のため全種類、検査を行います。
志賀さんが取った魚からは食品衛生法の基準を上回る数値は一度も出ていません。
しかし、東京電力福島第一原発の汚染水問題などで本格的な操業がいつになるのかは分かりません。
山本⇒志賀さんが操業が本格的にできるのは時間がかかるのではとおっしゃっていました。
まさに時間のちょっとがどれくらいなのか。
皆さんいちばん知りたいところだと思います。
先ほど原発事故についてお伝えしましたけれど福島第一原発の事故の影響が続いているということです。
誤解のないようにお願いします、失礼いたしました。
続いては、福島県の田村市都路地区からの声をご紹介していきます。
ここは、国による除染が最も早く始まったことからこの春、4月1日に避難指示が解除される予定になっています。
まずは、すでに避難先から自宅に戻った方の声です。
震災から1年半後に自宅に戻った渡辺祐一さんです。
ことしの春から学校も再開します。
安心とは言えませんが、少しでも活気が戻ればいいのですが。
皆、心情は不安だらけだと思います。
出田⇒吉田幸弘さんも自宅で暮らしています。
20km圏内に住んでいる人たちは再度除染を望み20kmから30kmの地域で子どものいる人は山が除染されていない線量の高いところがあって帰れないと言います。
旅館をしていますが商売をやっていて人がいないのにはまいりました。
山本⇒避難先の郡山と都路を行き来しながら暮らす根内昌美さんです。
長期特例宿泊を申請して都路に住んでいます。
本格除染も終了しモニタリングの線量結果が提示されましたが国の目標とする線量数値をクリアしていないところが数多くあります。
今後、帰還に向けての大きな課題となっています。
この都路地区に私も何度も行きました。
根内さんに、きのう電話で伺いました。
根内さんは現在、地区の副部長をされています。
地区の38個のうち4月1日までに帰ってくるのは12戸ほど。
あとの家はまだ分からないということでした。
以前のように桜の木を囲んでにぎやかに集まりをやりたいんだがそれぞれ家庭があって事情が違うんだからねということでした。
またことし70cmほど大雪が降りまして稲の苗床のハウスが押し倒されて、ことし米作りをあきらめた人も相次いでいるということで残念なことですという話でした。
ふるさとに戻りたくても戻ることができないという人たちもいます。
浪江町から福島市に避難している71歳の男性です。
避難解除まで早くて3年以上かかるとすれば福島市に新居を設けたいと思っているが戻りたいという未練があり決めかねています。
出田⇒浪江町から南相馬市に避難している、50代の男性です。
浪江でガソリンスタンドを営業している。
賠償しか考えていないのか町のやる気が感じられない。
避難先の南相馬市で暮らす渡部哲雄さんです。
若者が戻らなければ集落の機能が成り立たない。
皆、戻って暮らせることが基本である。
一方で、自宅に住んでいても元の暮らしに戻っているわけではありません。
南相馬市の自宅で暮らす77歳の男性です。
自宅付近に除染後の土が入った黒い大きい収納袋の列が見える。
食品の安全基準が本当はどのくらいか分からないので、地元産の野菜は悪いと思いながら購入はしない。
出田⇒川内村の自宅で暮らす秋元美誉さんです。
しばらく、田村市の息子の家に避難していた。
今は自宅に戻ってなりわいの農業に従事。
でも、戻っているのは60歳以上ばかりで若者が戻ってこない。
こうした中でふるさとに戻ってかつての生活を取り戻そうとしている方もいます。
田村市に避難をする坪井榮正さんです。
この春、田畑の再開をする予定となっていて、準備をし3年ぶりの米作りを楽しみにしています。
ですが先ほど山本さんからもありましたけれど坪井さんからは「大雪のため米の苗床を作る農業用ハウスが壊れたので再開は未定だ」という連絡をいただきました。
山本⇒浪江町から避難し南相馬市で暮らす川村博さん。
浪江町で農業をしている。
県の支援により野菜の放射線量のデータもたくさんとれた。
僕は、毎日浪江町の畑で仕事をしている。
浪江町の畑から浪江町でも活動できるぞ!というメッセージを発している。
ここまで14人の方のアンケートの答えをご紹介しました。
どれも厳しいですね。
そして先がいつ希望があるのかというそれが見えてこないという中で、皆さん苦労されているようでありますね。
最後の方のメッセージのようにやっぱり自分がそのメッセージ元の希望の発信していくことが大事なんでしょうね。
アンケートの声、あすもご紹介します。
出田⇒続いては「人生ドラマチック」です。
南こうせつさん。
1970年からフォークグループ、かぐや姫のリーダーとして活躍しました。
「神田川」や「赤ちょうちん」「妹」などの名曲はあまりにも有名です。
生活感あふれる歌詞とこうせつさんの透き通った歌声で楽曲は次々とヒット。
日本の音楽史に一時代を築きました。
南こうせつさんは、1949年大分市のお寺で4人きょうだいの末っ子として生まれました。
高校時代には合唱部の部長を務めました。
2歳年下には後にかぐや姫で一緒に活動する伊勢正三さんがいました。
高校時代からフォークグループを結成していた2人はこうせつさんの実家のお寺でよく練習したそうです。
かぐや姫解散後ソロの道を歩み始めたこうせつさんはチャリティーコンサートに力を注ぐようになります。
1986年から10年間は広島ピースコンサートを開催。
収益金で被爆者の養護ホーム設立を支援しました。
ほかにも、阪神・淡路大震災や雲仙普賢岳噴火新潟県の中越沖地震など大災害が起こるたびに支援コンサートを行ってきました。
東日本大震災のあとにも宮城県石巻市の避難所に駆けつけました。
すすり泣き
震災から、まもなく3年。
きょうは南こうせつさんの目を通して被災地を見つめます。
山本⇒改めて、南こうせつさんです。
ようこそいらっしゃいました。
よろしくお願いします。
座っていただきました、まずはお話を伺う前に出田⇒プロフィールをご紹介します。
かぐや姫解散後の76年には日本武道館で日本人初となるワンマン公演を行いました。
86年からは10年間広島ピースコンサートなどチャリティーコンサートを開催されています。
チャリティーコンサートって結構多いじゃないですか。
これは何か意識していることはあるんですか?どなたもそうなんじゃないかと思いますけれど私は若くしてかぐや姫というグループをやっているときにヒット曲が出ていたんですね。
何で僕にヒット曲を神様がくださったのかなということをずっと考えていましてそれはヒット曲が出ると知名度が上がったり生活が楽になったりしますよね。
それは社会に貢献する義務が生まれるというふうに考えています。
そういうことなんですね。
世の中に名前が知られるということはそういうことなのかなと自分では解釈しています。
出田⇒こうせつさんが初めて被災地を訪れたのは震災から3か月となる2011年の6月でした。
石巻市の渡波という地区のお寺で支援コンサートを開いたんですよね、こちらをご覧ください。
宮城県石巻市。
海沿いの水産業の町は津波によって多くの犠牲者を出しました。
午後2時46分。
渡波地区の高台にあるこのお寺では強い揺れで墓石が倒れ仏像や仏具が散乱しました。
境内には全身ずぶぬれになった人々が次々と避難して来ました。
その数は400人にも上りました。
住職の小野崎さんは寺を臨時の避難所として開放しその後、5か月もの間ともに暮らしながら被災者を支えました。
こうせつさんが訪れたのは震災から、およそ3か月後の6月21日。
この日も住民3人の遺体が発見され遺骨が寺に納められたばかりでした。
遺骨を前にして歌い始めたこうせつさん。
一緒に歌おうと被災した人たちに声をかけました。
一緒に歌おうか。
♪「若かったあの頃」♪「何も…」
すすり泣き
♪〜肉親を失った人たちの前で歌声は涙に変わりました。
失礼しました!そして、ことし2月このお寺で準備を進めてきた計画が実現しました。
渡波地区で待ち望んでいた保育園が設立されることになりました。
住職の小野崎さんが地域の復興を願って1年以上前から進めてきた計画です。
若い母親たちにとっても被災地で働いていくためには保育園は欠かせないものでした。
町の復興がここから始まってほしい。
小野崎さんは、そう願っています。
山本⇒小野崎さんはやっていらっしゃいましたね。
すばらしいです、確かに今町から子どもの声が少なくなるというのは本当にさみしいですよね。
子どもの声が響いているだけでなにか元気が出てきますよね。
活気が出てきますよね。
震災後3か月のときに小野崎さんのお寺の本堂でコンサートをされましたねよく覚えていますか。
このときも本堂にたくさんお客さんがいまして昔の「神田川」とかを歌うと一緒に歌っていただいて全員が被災された方ですからやっぱり歌うと皆さんいろんな思い出がよみがえるんですね。
それが歌っていて、よく分かるんですよね。
歌えなくなってしまいますよね。
でもやっぱり、その日に親族の遺体を遺骨にするというその中で歌っているのはいろんなことを突きつけられるような感じですよね。
ことばで頑張りなさいとかあしたに向かって立ち上がろうよというよりもやっぱり、メロディー歌のほうがいいですね。
苦しみ、悲しみを共感できる。
それぞれみんな事情が違うから。
でもメロディーをみんなでラララと歌うのもいいし歌うとなにかこう、みんなで頑張ろうねというような感じになってきますよね。
出田⇒歌の途中もこうせつさん自身も涙を流されていましたね。
みんなが泣いているのを見ると60過ぎると弱いですよね。
山本⇒3か月後に入られて何回も行かれていて、私たちは取材で入って、いろんな方とお会いするんですけれどこうせつさんはコンサートという形で、舞台の上だったり客席と同じ高さの中でお客さんを見ながら、まさにコンサートを通じて被災地を見てきましたよね。
3年の変化はどういうふうに見ていますか?そうですね本当に、分かりやすくいうと最初のころは食べ物がなかったわけですよね。
ガソリンがなかったり水がなかったり毛布がなかったり時間がたってくるとだんだん食べ物が整えられていったりしてする中で支援のしかたも変わってくる。
最初はやっぱり具体的に肉体というものを、どう健康維持していくということがあるんですけれど心にも栄養を与えないといけないんですよね。
そういうときに人のぬくもりとか、そのときに歌というのは寄り添ってあげられる力になりますよね。
この3年間の間に心というかどんな思いで将来を思い描いていくということが形になってきますね。
そういう変化が大きくありますね。
出田⇒こうせつさんは、たびたび被災地を訪れていらっしゃいますけれど、去年の夏にも石巻を訪ねていらっしゃいます。
こんな出会いもありました。
去年の夏、こうせつさんは海岸線に程近い門脇町を訪れました。
町は7mの津波に襲われ壊滅状態となりました。
その一角に1台のキッチンカーがあります。
尾形勝壽さん、68歳。
震災前、この場所で30年以上妻と2人でラーメン店を営んでいました。
あの日、店は津波に飲み込まれ流れて来た屋根にはい上がった尾形さんは九死に一生を得ました。
しかし、妻のきみ子さんは行方不明。
震災から10日ほどして尾形さんが、店があった場所に立ち寄ったときのことでした。
これ。
尾形さんは、きみ子さんの思い出が残るこの場所に再び店を出しました。
ここに人が暮らしていた事実を伝え、門脇町を再びにぎやかな町にしたい。
そのために、1人焼きそばを作り続けています。
南こうせつさん来たよおっかさん、ねえ。
日課となっているきみ子さんとの対話です。
それから、6か月。
番組では再び尾形さんを訪ねました。
尾形さんは新たな取り組みを始めていました。
それは、花壇作り。
尾形さんの店の前の通り沿いおよそ200mに花の苗を植えて春には満開にしようというのです。
もともとは、2年前の冬この同じ場所に地元の中学生たちが花の苗や球根を植えたのがきっかけでした。
よくとし、見事に花が咲くとそれを見て全国からやって来たボランティアの人たちが次々と花を植えて花壇はどんどん広がっていきました。
山本⇒また来てほしいんですって。
行きます、行きます。
尾形さんのことを久しぶりにご覧になって。
元気で。
会ったときも元気でした。
いいですね。
へらを持ってね。
出田⇒すごくいい笑顔の多い方でいらっしゃいますね。
あの辺りもすごい津波が押し寄せて。
尾形さんが妹さんに山は間に合わないから2階に逃げろと指示して逃げたんですけど妹さんが流されたことを悔いていましたね。
尾形さんは流されて流されて、いろんな流れてくるものにつかまって、ぐるぐるとなって浮き上がったらしいんです。
それで屋根の上に乗って、そのまま流されて、うまい具合に助かったらしいんですけれどもあとで傷だらけで骨が折れてあとで気づいたと言っていました。
今になって花の力で子どもたちと全国のボランティアの人たちも巻き込んでやっていらっしゃるということです。
すてきですね。
まだ奥さんは見つかっていないんですけど、あの場所で奥さんのへらを使って、そしてお花を植えてね。
生きるって、そういうことじゃないのかな。
人が生きるってそういうことかもしれない。
お花を植えて、みんなが笑顔になってくれるのを願いながら生きる人っていうのは人の幸せのために生きるってそういう気がしますね、見ていて。
尾形さんがいちばん苦しんだものね。
でもお花を植えて、みんなに笑顔になってもらったなってなんかいいですね。
尾形さんの背中をさすっていらっしゃる映像がありましたあれはどういうお気持ちでしたか。
いやあ、私より年上なんですけれども。
なんか、うまく言えないけど。
うん…大変だったね、というのはおこがましいですけど。
尾形さんが花に力を感じている。
こうせつさんが、さっきおっしゃいましたが、歌の力ということもあると思います。
最初は物がいったけれども、今は心を応援するコンサートをされていてもやっぱりコンサートをするこうせつさんの気持ちがどんどん変わっていくと思います。
これからコンサートをする中でどういう気持ちでやっていきたいと思っていらっしゃいますか?当時フォークソングを歌っていた人たちが、団塊の世代ちょっと下の方も多いんです。
そういう人たちの青春の歌がフォークソング青春時代の歌を聴いたり歌ったりすると本当に元気になれちゃうんですよ。
世代によって、みんな違うんですよね。
その下の世代、さらにその下の世代。
いろんな世代の歌い手さんが被災地へ行って歌うとその世代のみんなが元気になっていくということなんですね。
被災した皆さんの青春を思い出してもらうということですか?そこもポイントですね。
まだ独身でいちばん大好きだった女の子別れたなとかね。
そういう思い出ね。
あんまり思い出したくないですけど。
悪さをしていたころとかね。
青春時代の誰にも縛られないで自由に夢多きを語っていたころにかえるんです。
ここからもう一度やってみようとそういう気持ちになれる。
歌はそういう雰囲気、力になるような気がしますね。
そしてできれば声に出して、歌ってもいいんです聴くだけではなくて。
声に出して?1曲ぐらいはみんな全部歌えるでしょう、歌詞を見なくても。
出田⇒だから一緒に歌おうとおっしゃっていたんですね。
山本さんは何の曲?山本⇒「赤ちょうちん」とか「神田川」弾きましたよギターを弾きながら。
僕がゲストだからそういうこと言っているんでしょ、本当は井上陽水でしょ。
いや世代的にちょうどこうせつさんの後ろからついていく世代なので。
出田さんはどの歌を?出田⇒私はSMAPとか。
青春の歌として分かります。
それを歌うといいんです。
「夜空のムコウ」を歌うといいんです。
しょげていても気持ちがとけていってあしたに向かってあしたも生きてみようかなって思えるんです。
不思議ですね。
本当に不思議です。
山本⇒こうせつさんは、また近々被災地に行かれるんですか?すぐ行きます。
12日は石巻かなそれから盛岡のほうに岩手県にも行きます。
青春を思い出すために歌うんだ。
気付かせてもらいました無意識でしたけど。
うまく答えられなかったけどそれでもあしたはやってくるんですねみんなに平等に。
だからあしたがきて、その次がまたくるんですけれども泣くより笑っていたいですよね。
全員いろんな方法があるんだと思いますけど。
ありがとうございます。
「人生ドラマチック」でした。
引き続き、おつきあいいただきます。
出田⇒中継です。
きょうは沖縄にとって記念の日になりました。
澤田さん。
澤田⇒ご覧ください、この美しい海。
先ほどまで夕日が出ていてきらきらと輝いていてきれいだったんです。
周りには大小の島々が並びます。
ここは慶良間諸島です。
きょう国立公園にこの慶良間諸島と、沿岸海域が指定されたんです。
慶良間諸島です。
沖縄本島から西に30kmほど離れたところにある30余りの島々のことを言います那覇から高速船で1時間ほどです。
ここはその島の1つ阿嘉島です。
人口300人弱の小さな島なんです。
けさ9時半ごろ環境省から役場に連絡があって島中に国立公園に指定されました、と放送が流れました。
島の皆さんたちも、とても喜んでいらっしゃいました。
この慶良間の美しい海には珍しい生き物がたくさん住んでいるんです。
これはザトウクジラです。
毎年この時期になると出産や子育てのために暖かい慶良間の海に戻ってきます。
迫力があるんです。
これはウミガメです。
ビーチのすぐそばでも見ることができます。
そしてケラマブルーと呼ばれるこの青い海世界中のダイバーが訪れます。
慶良間諸島には250種類近くのサンゴが住んでいるんです。
このきれいなサンゴを未来に残していこうと、ここ阿嘉島では力を入れていることがあるんです。
それが、この水槽の中小さなサンゴです。
このサンゴ実は、人の手で育てられたものなんです。
サンゴの卵の状態から2年半かけてここまで大きくなりました。
卵から育てるのは全国的にもとても珍しいことなんです。
このサンゴふだんはあちら海に浮かぶオレンジ色のウキの下で育てられています。
堤防の中の水の流れが穏やかなところで育てられたあと近くの海に移植されるんです。
この阿嘉島で、サンゴの養殖の研究をしている岩尾研二さんです。
岩尾さんはサンゴの養殖で大変なところはどんなことですか。
50cmぐらいのサンゴなんですが板についた直後のサンゴはとても小さいんです。
1mmほどなんですよね。
それから半年ぐらいの間小さい分だけ死にやすいので生き残らせるのに苦労します。
そうした活動している中での国立公園指定うれしいですよね。
私たちもサンゴ礁の保全を目指して今までやってきたのでそうした気持ちを多くの人に理解してもらうとなると、とてもうれしく思います。
ありがとうございます。
こうして大切に育てられてきたサンゴですが実は海の中には、そのサンゴを食べてしまう生き物がいるんです。
サンゴの天敵です。
いくつも海の中にはサンゴを食べてしまう生き物がいるんですが、今、特に問題になっているのがこちら、小さな貝シロレイシガイダマシといいます。
聞いたことない名前ですよね。
私の親指ほどの大きさしかないんですよ。
でもこの貝が多いときには1日に自分の体よりも大きな面積のサンゴを食べてしまうんです。
そこで、海の生態系を壊さないようにしながら、でもサンゴを守ろうと、この貝を駆除しているのが、こちらの皆さんです。
島のダイバーの皆さんです。
ちょっと肌寒いんですけれどもありがとうございます。
この日焼けした皆さんが手に持っているのが、ピンセットです。
このピンセットで海の中に潜って一つ一つこの貝を取り除いていくんです。
週に2回集まって皆さんで活動しています。
ダイビング協会の吉村強さんです。
手に2種類のピンセットを持っていらっしゃいますね。
大きい貝は大きいピンセットで小さい貝は小さいピンセットを使って取っております。
サンゴの隙間に入った小さいものまでとるんですよね。
そうです。
こうした活動を続ける中で、国立公園に指定されて今どんなお気持ちですか。
正直うれしいです。
これからもこの美しい慶良間の海を未来の子どもたちや阿嘉島に訪れるお客さんたちのために一生懸命保全活動をして頑張っていきたいと思います。
ありがとうございます。
こうして島の皆さんで守り続けている美しい慶良間の海、これから訪れる人たちとも一緒に守り続けていきたいということです。
きょう国立公園に指定された慶良間諸島の1つ阿嘉島からお伝えしました。
思わず手を振ってしまいました。
寒そうですがありがとうございました。
おめでとうございました。
海の中を見ていると一足先に夏のような気分になりますね。
そうですね。
これで、慶良間に行くぞという方もいらっしゃるかもしれません。
きれいな海でした。
3月12日にいらっしゃるのは石巻ではなくて気仙沼ということですね。
60過ぎると結構きてますね。
それだけよく行っていらっしゃるということですよ。
また来てくださいありがとうございました。
2014/03/05(水) 17:10〜18:00
NHK総合1・神戸
ゆうどきネットワーク ▽南こうせつさんをゲストに迎え、被災地への思いを伺う。[字]
震災直後から支援を続けている南こうせつさんをゲストに迎え、3年目を迎える被災地への思いを伺う。「いま旬・一本勝負」は、沖縄・慶良間諸島から生中継。
詳細情報
番組内容
【キャスター】山本哲也,出田奈々
出演者
【キャスター】山本哲也,出田奈々
ジャンル :
ニュース/報道 – 定時・総合
情報/ワイドショー – 暮らし・住まい
情報/ワイドショー – グルメ・料理
映像 : 1080i(1125i)、アスペクト比16:9 パンベクトルなし
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