死の病として恐れられてきたがん。
そのイメージが大きく変わろうとしています。
医療現場では本人への病名告知が広がりがんは「隠す病気」ではなくなっています。
医療の進歩で生存率も大きく向上。
がんの治療を受けながら働くなどどう生きていくか選択の幅が広がっています。
そんな中アメリカで始まったがんサバイバーという考え方が注目されています。
がんになっても大丈夫!私を見て!9年生きてます。
今とっても幸せ!やりたい事でいっぱいです。
自分らしく生き抜こうというのです。
がんになっても普通の人間なんだ。
普通に感情もあるし普通に生きていきたいんだ。
だから命が尽きるまで生きている生活者なんだ。
ハートネットTV「シリーズがんサバイバーの時代」。
今始まりつつある新しい生き方とその課題を考えます。
こんばんは。
「ハートネットTV」です。
今月は1か月間がんについて特集します。
皆さんはがんサバイバーという言葉ご存じでしょうか。
サバイバーという言葉の意味は通常生き残った人を表す意味の言葉なんですがこのがんサバイバーというのは単に生き残った人というのではなくてがんになっても最後まで自分らしく生き切ろうという考え方を表すものなんです。
医療の進歩でがんへの考え方が大きく変わってきました。
「がんサバイバーの時代」。
皆さんと一緒に考えていきたいと思います。
ではこのシリーズのゲストをご紹介します。
エッセイストの岸本葉子さんです。
よろしくお願いします。
よろしくお願いします。
岸本さんもがんサバイバーのお一人でいらっしゃるという事ですね。
虫垂がんっていうちょっと珍しいがんなんですが経験しました。
もう12年前になります。
当時はあんまりサバイバーって言葉聞いた事なかったですね。
がんっていうともうもうすぐ死ぬ人…。
こういうドキュメンタリーに出てくる人も死までをどう生きたか。
普通の生活とかはもうなくなって…。
それが先ほどのビデオにあったようにみんなTシャツ着て「私はがんです」っていう感じで行進してたりホントに共に生きるサバイバーっていう言葉共に生きるという意味なんだなと今改めて感じています。
今日本人の2人に1人ががんになるというふうにいわれている時代ですからホントに自分たちの事として考えていきたいと思います。
シリーズのラインナップご紹介します。
今日1回目はがんサバイバーとは何かを考えていきます。
そして明日はがんと仕事について。
あさっては終末期について見ていきます。
皆さんの声を踏まえて第4回第5回と放送を予定しています。
そして第1回の今日はがんサバイバーとは何かを見つめていきます。
乳がんと診断されたあとこの言葉と出会ったある新聞記者を追いました。
今月っていうのは6月でいいの?これは7月。
新聞報道の第一線で活躍する記者本田麻由美さんは11年前乳がんと診断され手術を受けました。
2文字ぐらい縮めると。
2文字縮めろ…。
ここの点取るのと。
ここ取って…。
リアルじゃない。
リアルじゃない?ちょっとやってみます。
当時医療や介護を専門に取材する中堅記者として締め切りに追われる多忙な毎日を送っていた本田さん。
自ら当事者として医療を見つめ直す事になったのです。
34歳の時でした。
本田さんが体の異常に気付いたのは2002年2月。
結婚して4年目「そろそろ子どもを」と周囲から言われ始めた頃でした。
まず相談したのは夫の雅貴さんでした。
右の乳房に電気が走るような痛みがあり軟らかい塊があるように感じたのです。
3か月後先輩記者に専門医を紹介してもらい病院で検査を受ける事にしました。
医師から告げられた検査結果は乳がんの疑い。
2.5cmほどのしこりがあり直ちに治療を始める事を勧められました。
説明が始まると本田さんはとっさに手帳を取り出し震える手でメモしました。
尋ねたのは「いつまで生きられるか」。
「8割ぐらいは治る」というのが医師の答えでした。
「7〜8割は治ります」というのが「2〜3割は死にます」って聞こえちゃったんですよ。
その2〜3割に入るかどうかという事に対しても先生に聞いてるんですけどそれは分からないと。
今の医学では…。
それが一番つらかったですね。
11日後手術を受ける事になりました。
本田さんがこだわったのは可能な限り乳房を残したいという事でした。
手術は1時間半ほどで終了。
しかしその後がん細胞が周辺に広がっている疑いのある事が分かりました。
40日後2度目の手術を受け右側の乳房全てを切除する事になりました。
乳房を失った喪失感に加え本田さんはもう一つ喪失感を味わいました。
職場に戻ると自分が書くつもりだった記事をほかの記者が書いておりやるべき仕事がなかったのです。
休んだり会社に出たり休んだり会社に出たりするので当然予定が立たないし上司も責任のある仕事を私に任せられないですよね。
同じような年の同じような今まで一緒にワイワイとやってた人たちが命の心配もなく元気に時には文句も言いながら仕事をしてる姿がすごい遠くに感じたっていうか疎外感というか「もう私は違うんだ」というのを逆にまざまざと見せられたという。
思い知らされたっていうか勝手に私が思ってるだけなんですけど思ってすごい妬ましいと思っちゃったりとかして…。
2度目の手術の4か月後胸にがんの再発が見つかり手術を受けました。
その後も抗がん剤やホルモン剤などの治療のため通院を続けます。
検査の数値が悪かったり体調を崩したりする度に再発し死ぬのではと不安が募り仕事を辞めようとした事もありました。
そんな本田さんが勇気を与えられる出来事がありました。
アメリカを訪れがんと診断された人やその家族らと出会ったのです。
アメリカでは1980年代からがんを隠さずよりよい医療や社会の理解を求め声を上げる運動が広がり成果を上げていました。
私は卵巣がんです。
私は抗がん剤治療が終わった2週間後にマラソンの練習を開始しました。
この前の日曜日大会で走ったんですよ。
うわ〜!