「NHK俳句」今日の選者は岩岡中正さんです。
どうぞよろしくお願い致します。
今日の兼題は「絵踏」。
これは踏絵?はい。
江戸時代に行われた禁教の中で行われたキリシタンでないという事を証明するための行事の事ですね。
それを絵踏といいます。
その踏んだもの自体を踏絵というふうにいいます。
春先の季題ですね。
春先のものになっておりますが先ほどの句冒頭の句も悟られないように「まなざしを髪でかくして絵踏かな」という心をのぞかれないような…そういう様子がよく出てましてためらいというのが出た句だなというふうに思います。
今日もよろしくお願い致します。
それではゲストをご紹介致します。
今日はドイツ文学翻訳家の池田香代子さんにお越し頂きました。
どうぞよろしくお願い致します。
池田さんが翻訳されました「ソフィーの世界」「世界がもし100人の村だったら」。
どちらもミリオンセラーになりました。
大変話題になった本です。
こちらをご覧下さい。
この「ソフィーの世界」。
今年なんと98刷りなんですね。
いかがですか?こんな事になるとは全く思いませんでした。
17年前…いまだに増刷されているっていうのはね。
あのころに生まれた子どもたちが読める年になったという感じですもんね。
それにしてもこの本もそうですしあまたある本の中からどれを翻訳するかその辺りの決め手ってあるんでしょうか?やはり好きだという事と…。
まず作品が好き。
それから相性ですね文体の。
いくら好きでも私が訳さない方がいい本は…。
あるんですか?ええ。
あっいけるかなって思っても最初400字で50枚ぐらいはいろんな文体を作るのに四苦八苦する訳です。
例えば私って言ってるのか僕かな俺かなとか漢字かな平仮名で言ってるかなとかそういうのとか句読点の打ち方とか50枚ぐらいやると大体分かってくるのでそのあとは一気呵成ですね。
例えば「ソフィーの世界」厚いんですけど4か月ぐらいで翻訳しました。
そのあとの作業もまたあるんですけども。
やっぱり自分の個性と合うかというね。
何を選んでどういうふうに訳すかって一つのご自分の作品ですよね翻訳とは言いながらも。
そういう世界を自分で持っている。
すごいなと思いますね。
そういう池田さんですが俳句にも関心がおありなんだそうですね。
一般的な関心しかないんですけれども定型詩にはとても興味があります。
私はドイツ文学なんですけれども卒論はドイツの定型詩人だったんです。
じゃあまた後ほど俳句の話もよろしくお願い致します。
それでは入選句ご紹介してまいります。
まず1番自由題です。
これは今年の干支馬ですね。
馬とは言ってないんですね。
「嘶く」って言ったところが面白い。
「空に嘶く」馬が飛んでる。
考えただけで…。
面白いですね。
「絵凧かな」っていう…。
なかなかお正月らしい心弾む句だというふうに思います。
では2番です。
2番自由題です。
ひいきの役者さんにしっかり睨んでもらうと何か今年いい事ありそうなそういうめでたいいかにも正月らしい句ですね。
獅子舞でかんでもらうと子どもが元気に育つというのと何か似たような感じで目力というものをもらうんだという。
いいですねこの句は。
晴れやかで。
ホントですね。
お正月らしいですね。
團十郎さんがいないから海老蔵さんっていう感じで。
睨みっていうのはみんなが睨まれてると思うような視線をちょっと寄り目にして作るんですよね。
いいですね。
睨んでもらっている自分を見てる作者のユーモア。
ホントに心躍りがしますよね。
さあ今度は3番です。
これも悲しい句ですね。
亡くなった人殉教した人もいますが転びバテレンっていいますがそういう赦されて転んだ人もいる。
その人にも物語その後の生活がある。
非常に生活感もありますしその後の物語があります。
やっぱり弾圧に対する痛み。
その痛みへの共感というものがこの句の中にありますね。
釣るにせよ網引くにせようつむいてますよね。
なるほどね。
うつむいてね。
ペトロの漁してる…。
まさにそうですね。
なるほど。
そういう事もありますね。
では4番です。
映画のワンカットをパッと見せて下さっているようないい句ですね。
難しい事は言っていません。
表現はないんだけど「火影いま」というふうにいきなり入る表現もいいし。
切迫感が…。
そうですね。
もう追い詰められた感じ「いま」。
「大きくゆらぐ」。
ゆらぐものは火影であり内面の葛藤だという。
非常にできた俳句だと思います。
では5番です。
自由題です。
これ年を取ると共感の持てる句でして水というのは輪郭がだんだん曖昧になってきて溶けそうな…そういう齢になりました。
一つのユーモア。
人生の味わいといいますかそういう味わいのある。
そうなりたいと僕は願ってますけど。
そういう句です。
では今度は6番です。
これはどう…?昨日は舞台の上で大見得を切っていた旅の役者さんが今日は絵踏の場に引き出されて苦悩しているというそういう事ですか?それも面白いと思いますね。
いずれにせよ想像上の歴史上のそういう場面もあったかなというふうに思われるそれも一つだしもう一つは大見得の芝居の中でのストーリーの中で絵踏があったとしたらそういう時に大見得を切って旅の役者が大見得を切る。
ところが絵踏っていうのはひそやかなものでそれをどういうふうに大見得切って大げさにやるのかそれも面白そうだなというその落差の面白さ。
歌舞伎にはそういう内面を表す様式がありますからね。
葛藤が…そういう事とも読めるんですね。
面白い句だなと思って取り合わせが。
では今度は7番です。
長崎の丸山の遊郭で遊女たちがそういう絵踏をさせられるという行事。
これも一つの行事になっておりましてね。
お正月の行事です。
そういうものを踏まえた句はたくさんありましたが特にこれはその中でも省略がよく利いている。
それとはまたちょっと違うかもしれませんけども「足美しき絵踏かな」。
焦点がよく合ってますね。
省略が利いています。
丸山の遊女とは全然知りませんでした。
足が脚じゃなくて足ですよね。
だからふくらはぎなんか見えてないんですよね。
足指の辺りだけがほの白く浮き上がっていてこの切り取りすごくエロチックな感じがして場違いかも分かりませんけれどもすばらしい句だと思いました。
そういう行事なんかでそれを見物するために客が押し寄せたという事が残ってますのでね。
やっぱり非常に省略をしてますので空白がよく生きた句だというふうに思います。
今度は8番です。
これは原城天草・島原の乱の跡ですね。
何万人もの人がここで死んだかと思うぐらい狭い所です。
「踏絵のごとき」っていうのは実感ですね。
つらいですよね。
原城址が踏絵のようだっていうのは。
全体が受難の地ですよね。
だから相似形ですよね踏絵と原城址と。
痛みの象徴みたいな気がします。
行ってみればこれは本当に実感しますね。
では9番です。
「ただただ仰ぐ」というのに一方でない万感実感があります。
すがるような思いですね。
一方で絶望もありますから。
非常に率直な句だと思いますが。
石牟礼道子さんにも「祈るべき天とおもえど天の病む」という。
天が病んでいるというそこまでというようなものがあります。
そういうのと重ね合わせて読んだ事でした。
以上が入選句でした。
では特選三句をご紹介する前に「俳人のことば」をご覧下さい。
早春東京の向島百花園を訪れた時の句です。
草は芽を出したばかりの頃から既に花咲く時の準備をしています。
山口青は科学者としての観察を基に自然を写生しました。
39歳の時東京の杉並区に転居し雑草園と称しました。
「私のただ一つのぜいたく」と語った庭には種々の樹木や草花が植えられ青俳句の源泉となります。
(青)これは私の庭の事を詠んだものです。
小さい庭ですがいろいろな草や木を植えておりますのでその間の道はちょっと山道でもあるように思われる事があります。
そこに春蘭が咲いているという風景です。
自然を慈しむ気持ちを養い俳句の素材を提供してくれた雑草園。
青は昭和63年96歳でこの世を去るまでこの庭を愛し句を詠み続けました。
それでは特選句です。
まず第三席はどちらでしょう?鯨岡日出男さんの句です。
二席の句です。
天野信敏さんの句です。
一席はどちらでしょう?三宅久美子さんの句です。
非常に省略が尽くしてありまして余白がたくさんあります。
いい句だと思いますね。
完成されてます。
以上が今週の特選でした。
ご紹介しました入選句とそのほかの佳作の作品はこちらNHKの俳句テキストに掲載されます。
俳句作りのためになる情報も参考になさって下さい。
続きまして「入選の秘訣」です。
入選までのあと一歩を教えて頂きます。
今日は俳句の詩情と広がりを大事にするために説明を避けるというような点です。
こちらの句ですね。
痛みがよく伝わってくる句。
瓦礫を踏んだその痛みを絵踏に例えているんですが被災者の人の気持ちにも共感している。
そういう句ですね。
「大地震に」っていうところが説明っぽいところがあります。
大地震があったのでという事ですので…。
「に」という助詞が…。
「に」がですね特に。
ですからここを少しそらして離してみます。
例えばですが「沖を見て」というふうに少し離しますと広がりがありますし「瓦礫踏む」というので地震津波があったっていう事は分かってもらえると思いますので。
特に沖といえばそうでしょうから津波。
そういう句にしますとかなり詩的に広がりのある膨らみのある句になるんじゃないかな。
しかも具体性があります。
そういう事だと思います。
お読み頂けますか?以上俳句作りの参考になさって下さい。
それでは皆さんからの投稿のご案内です。
番組のホームページからも投稿できます。
それでは岩岡さんの年間のテーマ「小さきものへのまなざし」。
今日は「絵踏」ですね。
絵踏はもう当然ですけれども今ありません。
そういう想像上の季語ですよね。
でもそれが今でも鋭い痛みとして感じられる共感を持って詠まれるという事はちっちゃい絵踏の中に込められた良心の重さとか痛みとかそういったものについて考えると。
例えば…絵踏とは言ってませんけれども「小さなる主」ですよね。
だから敬慕というか小さなる絵踏の中におられるキリストへの大いなる敬慕という。
これは「踏まさるる」と言ってますので非常に悲しいですね受け身ですから。
ここに内面の葛藤がありますね。
絵踏の小さな主を踏んだ時の痛みを自分自身の痛みとして汀女が感じている。
そういう句だと思いますね。
小さなものへのまなざしが行き届いてる句だと思います。
さあ今日は池田香代子さんにお越し頂いているんですが初めに俳句に関心おありという事で俳句との向き合い方といいましょうか楽しみ方で今日は一つご提案を頂くという事ですね。
これなんですけれども…。
美濃瓢吾という絵描きの友達が俳句をこうやって書いてるんですね。
写句と彼は言っています。
写経じゃなくて…。
写す句。
今病気療養中で制作するほど集中力がもたないというので好きな作品をたくさんこうやって書いています。
そこの句は…?「春二番三番四番五番馬鹿」という三橋敏雄さんの。
意味よく分からないですけれども何かこの「五番馬鹿」という感じが春らんまんで突き抜けるようなそんな感じでいいなと思って。
字の姿も面白いなと思って今日持ってきました。
どういう思いで写句をしていらっしゃるんでしょうね。
好きな作品だと何十枚も書くんですよね。
やっぱりそれを自分の体を通じて体験したい取り込みたいっていう思いなんじゃないですかね。
先生写句っていうのはある?あんまり聞きませんけども…。
そういうのを意識してはやらなくても誰でもそういう好きな句はノートに写したりそういう事は…。
今でも僕も好きな句は書いたりします。
筆ではないんですけど記憶に留めるために。
特に初心のような場合ですと学ぶですよね。
学ぶ時には必ずして…。
一つの共感のしるしっていうかな思い余って書く事もありますしいわば書く事によってつながるっていうかな作った人と作者と自分がつながっていく。
身体がつながるような…。
一体化するというんですかね。
そういう実感があります。
成り切り感がありますからオマージュみたいな…。
オマージュでしょうね一種の。
写経というのも多分その事によって自分を…。
自分を空っぽにして…。
投入する訳でしょ。
そういうものとよく似てる。
いい事ですね。
試してあるいは奨励してもいい事かもしれません。
その中から自分で作ってみようかなって思う方も出てくるかも分かりませんね。
分かりませんね。
最初に俳句とそれから翻訳というところで似てるとおっしゃいましたよね。
それは…?俳句と翻訳はいろんな訳すべきものがいっぱいあるでしょうけどもどれを選ぶかっていうのは自分の主体の問題ですからね。
それ知らなかったものですからなるほどと思ったんです。
それからさっきの添削なんですけれども「大地震」っていうのを説明的だからというので削られたじゃないですか。
あれびっくりしました。
省略ですね。
私若い頃映画の字幕の翻訳をしてたんですがあれは削る作業です。
また翻訳する時はいっぺんにパッと見ていくつ訳し分けの可能性があるかを思い浮かべるのが勝負で。
そこから次の瞬間に一つ選ぶという…。
翻訳も字を選ぶ事もある意味では創作ですね。
虚子が「選は創作なり」というふうに言ってます。
選ぶっていう事選句する事は創作であるという。
だからどういう言葉を選ぶかたくさんある中からどれを翻訳するあるいはどういう字を選んで字幕を作るのか。
多分それは一つの創作であると。
選ぶ事削る事が創作っていう事ですね。
非常によく似たものかなというふうに…。
先ほどの中村汀女さんの「小さなる小さなる」。
ホントに限られた文字数の中で2回同じ言葉を繰り返したらもっともっと狭まってしまうのに何て言うか深い世界が出来てますよね。
こんなのはとても驚きましたし「る」の音「さ」の音が重なっていてヨーロッパの詩も脚韻とか使いますがそういうのもあるのかなって思いました。
だんだんだんだん対象を小さくして「小さなる小さなる」って詠んでいくと世界がまた広くなる逆に。
空白がもたらす。
言葉のリズムもありますよね。
「さ」と「る」。
桜井さんが読んで下さって初めて句が立ち上がるんですけれどもまた一方に書くという…。
文字で私たちは鑑賞するという。
言葉が持っている力みたいなものをどう受け止めどう伝えるかっていう事では声も文字も全部がそういう一つの世界を持っていると。
翻訳もそうですね。
感動を伝える。
そうなるといいんですけどもなかなか…。
なるほどね。
そういう意味ではますます俳句との接点も今日お感じになった訳ですよね。
このような季語がある絵踏なんていう季語があるなんて知りませんでしたしこのように昔の事を思って自分がキリシタンになったりして創作するっていう世界もあるんだっていうのを知ってとても興味が湧いてきました。
今日はいろんな事を教えて頂けて面白かったです。
それから写句という意味でもね。
写句もいいですね。
是非はやらせたい。
ありがとうございました。
こういう形で俳句がますます…。
とても身近なものになりました今日は。
ありがとうございました。
今日は池田香代子さんにお越し頂きました。
岩岡さんまた来月もどうぞよろしくお願い致します。
それでは「NHK俳句」今日はこの辺で失礼致します。
またお目にかかります。
ごめんください。
2014/02/19(水) 15:00〜15:25
NHKEテレ1大阪
NHK俳句 題「絵踏」[字]
選者は岩岡中正さん。題は「絵踏」。絵踏は春の季語。江戸時代、幕府が人々にマリア像、キリスト像などを踏ませ宗門でないことを証明させた故事にちなむ。
詳細情報
番組内容
選者は、岩岡中正さん。題は「絵踏」。江戸時代、幕府が人々にマリア像、キリスト像などを踏ませ、宗門でないことを証明させた。春先に多く行われたことから、春の季語となっている。
出演者
【出演】池田香代子,岩岡中正,【司会】桜井洋子
ジャンル :
ドキュメンタリー/教養 – 文学・文芸
趣味/教育 – 生涯教育・資格
映像 : 480i(525i)、アスペクト比16:9 パンベクトルなし
音声 : 2/0モード(ステレオ)
サンプリングレート : 48kHz
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