黒柳徹子:なんと、これは浅草の三社祭。
お父様とお母様。
本当に、お元気な方で、こんな風に、とても楽しんでいらっしゃったんですが。
今日のお客様、女性向けの番組を20年間も生放送で…。
黒:色々伺います。
よろしくお願いします。
小林節子:初めまして。
黒:今日のお客様は、『徹子の部屋』は初めてのご出演でいらっしゃいます。
『レディス4』という番組を20年間、生放送で、月曜日から金曜日まで司会をしておられました。
と同時に、ご高齢のご両親の介護もなさったという、大変な生活でいらした、小林節子さん、今日のお客様です。
小:よろしくお願いいたします。
黒:『徹子の部屋』は、初めてなんですけど、お目にかかったのは初めてではなくて、久米さんの家、久米宏さんの家で。
小:はい。
で、久米家は慌てふためきまして、徹子さんをどうやってご接待したらいいかと。
で、私は、いわゆる掃除係というかね、洗い物係。
それで覚えてらっしゃいますか?おすぎとピーコさんが、お料理係だったんです。
黒:そうそう…。
小:私、その時に徹子さんと初めて、こういう間近で、お食事を一緒にさせていただいたんですが。
驚いた事に、久米さんがいらして、おすぎとピーコがいましたのに、徹子さんの話が、もう豊かで、鉄砲のように…。
黒:私が話したんですか?小:ずっと、話。
で、それが全部、楽しいんです。
しっかり覚えてます。
黒:あ、そうですか。
それで同じぐらい食べたんです。
私。
絶対そうだと思いますけど。
小:すごく召し上がったんですよね。
黒:そうだと思います、ええ。
小:で、それが、こんなにスマートでいらっしゃるから、これも質問した覚えがございます。
黒:そう、おっしゃったかもしれない。
でも、楽しかったですよね。
小:楽しかったです。
黒:でも、この間まではね、結構、食べても、太らなかったんですけどね。
だんだん、これがね、効力、失せましてですね。
やっぱりね、そんなにいっぱい…。
特にアイスクリームとか、そういうものを食べると、やっぱり、それだけ太りますね。
小:そうですか。
お肉は、でも、お好きですか?お肉はお好き?黒:大好き。
小:いまだに?黒:大好き。
焼き肉なんかスタッフと一緒に、よく行きます。
小:やはりね。
だから、お元気でいらっしゃる。
黒:まあ、それもありますよね。
でも、よくいらしてくださいました。
今日は、色々、介護という事で、働いてる女性が介護っていうのは、並大抵の事ではないと思いますけども。
とにかく『レディス4』をおやりになりながら、生放送で。
すごい、終わったらすぐお家へお帰りになって、お父様とお母様たちのごはん。
相当のご高齢?小:90と80の時に、ちょっと2人置いておくのが…。
横浜のお家に。
私は、東京で、勝手に仕事をしてたんですが。
これは、いけないと思いまして、引き取る事になったんですね。
それで、それから…。
その時は、介護っていう感覚はなかったんですよ。
一緒に、また生活出来ると。
黒:うん、一緒に楽しく過ごす…。
小:はい、楽しめると。
そしたら、だんだんだんだんやっぱり母が、認知が進んでまいりましたので。
黒:その時は、まだ、これは…?小:これは、ですから、一緒に生活し始めた最初の頃で。
浅草へ住もうって事になったんです。
黒:その時は?小:はい。
実は、信州に家を、大きなペンションをね、友達たちに、介護のために泊まってもらうために買ったんですね。
で、洋服も置き場のためにペンションを買ったんですが。
東京では、借家をいたしました。
それで父と母をここに住まわせて、一緒に私も、3人で。
で、三社祭、楽しんで。
元気になったんです、母が。
父も。
黒:元気におなりに、お母様も。
小:で、元気になりまして、騒いでる最中なんですが。
これ以後ですね、それで、絵の展覧会をやったり、色々、もうね、お友達がいっぱい来てくれて、浅草なんで。
結構、楽しくやってました。
ところが、2〜3年経った頃に、ちょっと母の認知が進んだり、妄想とかが出てきたもので、そのために、大喧嘩というか、母と毎晩、夜中までですね、大討論会になったり…。
時期が少しあったんですね。
そうすると、父もね、今まで、一緒に生活、もう60年も70年も生活してる人が、どうして、こうなっていくのかっていうのが、わかんないわけですよね。
そんな事もあって、結局は、父もわからない、母の事が。
それで、私ね、色んな事件が、家庭内のね、介護の事件を拝見するたびに、あれは、ひとごとではないなって、やっぱり思いますね。
穏やかな父も、ちょっと、包丁持ったりなんかね。
今だから言えるんですけど、そんな事もありますし。
黒:それと、あなたが、生放送が終わって、転げるようにお家へお帰りになると、そこで、お母様とずっと。
お母様は、やめないで。
そういう時、エネルギーが出ちゃうのね。
小:エネルギーがすごい方なんです。
すごい人なんですよ。
黒:議論がすごくて、止まらないんですってね。
だもんで、しまいには、お父様が包丁を持って…。
小:それで私のためにだと思うんですが。
なんかね、そういう話になって。
で、正直言って、その間、2年間ぐらい…。
兄がおりますので、兄にお願いした事があるんですね。
ちょっと預かってもらおうと。
でも、やはり、お嫁さんと母が、合うわけないですよね。
長い間、別に生活してますからね。
結局は、私がまたっていう事で、また引き取ったんですね。
ですから、浅草の、ちょっと2年あとになりますが。
でも、その反対に、離れたが故に、その2年は本当に兄夫婦に感謝してるんですが。
離れたが故に、自分の中で覚悟が出来たんですね。
それまでは覚悟じゃなく、一緒に生活するだけで楽しいんじゃないと。
黒:横浜に、もともとお住まいだったんだけど。
ご両親、浅草好きだから、浅草にお家借りて住みましょうっていって、みんなで楽しく過ごすんだと思ったら、そうでなくて、すごい、もめもめになっちゃって、こんなはずはなかったって。
楽しく過ごすはずがね。
でも、それでも、お兄様が見てくださったので、一緒に住むっていう事は、もう楽しく住むのじゃないんだって事が、だんだん、おわかりになった。
小:覚悟出来ました。
本当に覚悟が出来ました。
でも、私も母の認知症に対しては、責任があると思いましたのはね。
やっぱり、住まいを変えた事によって…。
別に、住まい変える事は、うちの年寄りは、しょっちゅう変わってましたので、関係ないんですけども。
思いましたんですが、どんどん変わるんですよ。
なんていうんですか、冷蔵庫を新しくしますと、野菜は上にあったところが、下にきたりとかで、冷凍になっちゃうんですよ、下が。
そうすると、帰ってくると、サラダ菜が全部凍ってるわけです。
黒:冷凍、入っちゃってる。
小:ええ。
黒:前は、そこが冷蔵だったとこ。
小:そう。
母にとってはそれしかね、今までの経験…。
蛇口も、横浜では、ねじるのが、引っ張ったり…、今度…。
黒:なるほど、そういう事がね。
小:だから、高齢者のために考えてくれてる事が、反対に、今まで生活してきた人にとっては、これはね、変えられない。
黒:水が出しっ放しになっちゃう。
小:そうです。
それで私は、認知っていう状態がわからないもんですから。
母と、「またやったの!」っていう。
黒:「どうしてレタス、こんなとこに入れるの?」。
小:「昨日言ったでしょ!」って…。
黒:それが一番いけないんですってね。
そういう風にガンガン言っちゃうのがね。
小:今になってみるとね。
それから、やはり介護の方も、色々来てくださいますでしょ。
そうすると、あの人が、入れ歯をどこかへ持っていっちゃったとか。
黒:人のせいにする。
小:「何がなくなった」が、くるんですよ、まず。
黒:なるほど。
本当にそうなの?小:本当にそうなんですよ。
黒:よく、そういうね、あの人がお金とったとか、言ったとかっていうけど、本当にそうなの?小:本当にあるんですよ。
でも、それが一生そうかっていうと、そうじゃないですよ。
その頃、母が多分90になりかけた、今、98になっておりますが。
黒:お母様。
小:ええ。
でも、もう、そういうのないんですよ。
ですから、認知の状態も、どんどんどんどん…。
黒:例えば今日、『徹子の部屋』に出るという事を、あなたがおっしゃったら、介護の方に、お化粧ちゃんとしていくのかしらとかって、お母様、言ってらしたって?小:あのね、今、認知度が4なんですね。
4なんで、ほとんど会話の出来ない状態なんです、誰も。
ところが、友達が言ったんですね。
「なんか『徹子の部屋』にね、節子さん、お出になるみたい」って言ったらね、母が、「お化粧するようにあの子に言って」って。
黒:まあ、うれしいじゃありません?小:私、ビックリ…。
で、そのあと会話が、「いつなの?教えて」って言ったっていうんです。
黒:じゃあ今日、見てらっしゃるかもしれないじゃない、お母様ね。
小:私、徹子さんのおかげでなんか最後の親孝行、出来たみたいで、本当に、ありがとうございます。
黒:じゃあ、ちょっと、お母様にひと言ね、お母様になんかおっしゃったら?小:わかります?黒:節子さんですよ。
小:節子です。
せっちゃんです。
化粧してます。
黒:今日お化粧してます、お母様。
大丈夫ですか?元気ですから。
小:徹子さんですよ。
大好きなトットちゃんです。
黒:黒柳徹子です。
でも、そういう事があって、お母様が、ちょっとでも、なんていうんですかね、生き生きしてくださるとね。
小:ですからね、徹子さんたちのお役目って、やっぱり大きいですよね。
ちゃんとわかるんですよね、母の中で、どこかで。
黒:だから『徹子の部屋』をきっと、見てくださってたんでしょう。
だから、あなたが、お出になるって事になったら、じゃあ、ちゃんとお化粧もしてくのかしらって。
普段はね、多分、すっぴんでいらっしゃるんでしょうから。
そういう風にね、お母様、おっしゃったっていうから、うれしいなと思って。
ちょっとでもね。
小:本当に、そのあと会話は、またね、途絶えましてもね、なんか本当にうれしかったです。
ありがとうございます。
黒:いいえ。
でも、あれですよね。
お父様の方がお元気だったのに…。
お父様はすごいしっかりした方で、そろそろと、ご自分で、お決めになったんですって?小:父が、100の時、母が、ちょっと体を壊しまして、車椅子になってしまって、2人を見るのは、皆が大変だっていうので、母をちょっと施設に横浜へ預けたんですね。
で、100歳の年に、父をどうしても、やっぱり母に、6か月ぐらい離れてますから、会わせたいと思って、200キロの道を、信州から横浜の母の施設まで行ったんですよ。
そしたら、私はね、もう、しばらく別れてた両親が、うわーって抱き合うと思ったんです。
これ、車に乗ってね、父を連れて。
抱き合うと思ったら、母はもうね、泣き出さんばかりに「お父ちゃま」とか言ってるんですよ。
明治の男はね、もう、知らん顔なんですよ、母に。
で、私は、もうすごいショックで。
黒:せっかくね、お連れになった。
小:せっかく連れていったのに…。
そしたら、もう母も、相当ね、頭にきたんですね。
そのあと、私に言った言葉が、まだ、ちょっとしっかりしてましたからね。
これですね、母は、もう、おろおろ泣いてるのに、父はね、結構、冷静でしょ。
黒:でも手なんか握ってらっしゃる。
小:母が出した手に、一応、握ったんですが。
「私、嫁にいきます」って。
黒:ハハハ…、すごい。
小:すごいでしょ。
黒:あの人がそんな冷たくするならよそへ、嫁にいきます。
いいですね。
小:いいですよね。
黒:90になっても、80になっても。
小:「私が先よ」って言いましたけど。
黒:「嫁にいきます」って。
あ、そう。
でも、それから、お父様、お帰りになったら、さあ、そろそろ支度だなっておっしゃったんでしょ?小:それから1月3日に帰ったんですが。
ちょうど1月5日か6日頃だったんですが、父が、私が寝てるとこ、ちょっとあれして、そばに来ましたらね。
1人でね、「さあ、もう覚悟は出来たぞ」って言うんですよ。
黒:ああ、そう。
小:で、私、ビックリして、何かと思ったら、「うん…」って言ってね。
そんな事が数日続いて、それから正直言って立ち上がれなくなったんですね。
そうして、私は、すぐに車椅子を用意したんですね。
気力が落ちたなと思ったもんで。
それから、ごはんを食べなくなりまして…。
で、ごはんを食べなく、ほとんど。
お菓子も大好きだったのに食べなくなりまして。
そして、2月の26日ですから、約ひと月ちょっと前ぐらいですね。
お水だけになりまして、で、点滴もいいと言って。
それで、本当に、私は、実は、亡くなる時に東京で仕事だったもので、大丈夫じゃないかなと思ったんで、「行ってきていい?」って言ったら、「いい」って言うんでね。
それで、「じゃあ、いってきます」って行っちゃって。
で、私の一番親しい妹分になる女性に、私より、若くて可愛いんですけど、「お願いね」って言ったら、「わかった」って言って、ずっと、父の手を握っていたそうなんですが。
その時に、三社祭の、「楽しかったね、お父さん」とかね。
それから、手を握りながら、「せっちゃんはね、本当は節子というんだよ」とかって歌っててあげたんですって。
そしたら、スーッとね、本当に眠るように息を引き取ったって彼女から報告を受けまして、私も、こういう風に…。
徹子さんね、わからないんですがね。
戦争とかね、災害とかでは、なかなか、そういう風に、思うようには亡くなる事って出来ないけれども。
父と母からやっぱり教わったのは、機嫌よく、ずっと生きていたら、なんか機嫌よくね、すっと逝けるんじゃないかなって。
父からは、本当に教わったものが多かったです。
黒:そうやって、お父様、だんだん寝付いて、お水ぐらいで、あとは、もういらないとおっしゃった時に、もう、覚悟なさったんじゃないですかね。
小:多分、父はしたと思うんですね。
黒:100歳?小:100歳7か月で亡くなりました。
はい。
黒:お話が、ちょっと後先になりましたけど、小林節子さんはフジテレビのアナウンサーでいらして、逸見さんと?小:そうですね、同期でした。
黒:同期でいらっしゃって、逸見さんと。
それから、お兄様が露木さんとお友達?小:そうなんです。
高校時代からの仲よしだったんで、フジテレビにね、なんか、ご縁がありましたけども。
黒:あなたがフジテレビのアナウンサーでお入りになった時には、なんか25年、女のアナウンサーは…。
小:そうなんです。
25歳定年制って敷かれてましたね。
信じられませんでしょ、今。
黒:すごいですね。
小:今、怒られちゃいますよね。
黒:25歳定年っていったら…。
小:もう、すぐですよ。
入って。
黒:仕事始めて、すぐ?小:始めて、すぐですよ。
それで、アナウンサーだけは2年契約、2年保証っていうんで、しばらくはいられましたが、でも、フリーにならざるを得なかったっていうのは、そういう事もありますね。
黒:すごいですね、それもまた。
小:今、考えればね。
でもね、私も最近、思っているんですが、全部、その、すごいな、ひどいなと思うのを裏返すと、だから今がある?黒:まあね。
小:徹子さんのここへね、座れるなんて、やっぱフリーにならなきゃ出来なかったから。
そう考えてね、そうやって振り返っていくと、人生って面白いですね。
黒:そうですね。
自分で選んでやっているわけですからね。
それがよかったって思うのが一番いいと思います。
でも、そういう風にいらしてから、『レディス4』の司会を、そんな20年も生放送で、ずっとなさって。
でも、それにしても、あなたは、そうやって生放送をやりながら、お母様たちの、2人の介護をやりながらっていったら、「あなた、死にますよ」って介護の人に言われた事ある…。
小:言われました、はい。
「1人は大丈夫です」と。
「8時間は大丈夫です」と。
面倒見る事は、お仕事だから。
でも、「24時間を2人は無理です」って言われました。
黒:お父様とお母様の2人をね。
小:ええ。
でも、そういう風に介護士の方たちが、本当に私は人に恵まれてたと思うんですが、介護士の皆さんも本当に助けてくださったし、友達も、浅草にいた時もそうですけど、信州へ、ほとんど生活、土日に行きますよね。
その時も、みんな、泊まりに来てくれてね。
で、そのちっちゃなホールを作りましたのね。
向こうに、長野に。
永さんがこけら落としなんですよ。
黒:そうそう、永さん、永六輔さんがね。
元同じ事務所だったんですって?小:はい、そうなんです。
黒:永さん、元気そうですね、この時ね。
小:はい、この時はお元気でいらして。
黒:お母様ですか?右側。
小:母が、もう私が抱きつけないのに、母が抱きついちゃって。
黒:そうですか。
でも、みんな、元気そうで。
でも、あれですよね、浅草に行きたいっていうのも、お母様の意思だったし、それなのに浅草に行ったら、どうして私は、こういうところへ引っ越してこなきゃなんないんだっていう事になった?小:もう、腹立ちましたね。
この腹立ちは、ちょっと…、まあ、母子だから。
黒:まあね、自分で言ったんじゃないのって。
でも、さっき、あなたがおっしゃった、世の中でたくさん、ご両親の事を見てらっしゃる方もあると思うんですけど、そういう電気製品の、ここが冷蔵で、ここが冷凍とか、そういうのが変わっちゃうと、それ、なかなか老人になると、そこがついて…、ついつい、冷凍のところにレタスやなんか入れて、カチカチになっちゃって、みんなから文句を言われると「わかんない」ってなっちゃう。
それ、よくないですね。
小:それから、母が認知が進んだのは入院したからなんです。
大腿骨、折りまして、3か月入院って、とても…。
絶対、転ばないでください。
永さんに、しょっちゅう言われるんですが、「転んじゃいけない」って言われるんですが。
その3か月で、おしめの世話とかをね、してもらいたくないっていう人だったんですよ、ずっと、90過ぎても。
ところが、病院では看護師さん、少ないですから、「行きたかったら、このベルを押してください」って言うんですよ。
「そうすれば飛んでまいります」。
でも、母の回路の中に、お手洗い、行きたい。
押そう。
看護婦さん来てくれる。
行かれるっていうのは、もう出来てなかったんです。
黒:なるほど。
小:だから可哀想な事をしました。
黒:なるほどね。
だから、そうすると、看護婦さんは、もっと手間のかかる事になっちゃうんですよね。
小:それは無理です。
たくさん、いらっしゃるんだから。
黒:だから、呼んじゃった方が。
小:呼んでいただきたいって言うんですよ。
でも、そのベルを押せば、来てくれるっていう回路は、多分、母には、あの時なかった。
黒:それからやっぱり、下の世話を、そういう人にやってもらうのはイヤとか、そういう事があったでしょ。
小:はい、行きたいと。
でも、介護は度胸だと思うし、そういう風に友達にも言われました。
黒:介護は度胸?小:度胸。
そして、すごい勉強になったのは、やっぱり1人で抱え込まない。
お友達にね、やっぱり、たくさんのお友達に助けていただいて、これから、それのお返しになりますけどね、そういう事だなっていう事を父と母から教わった気がいたしますね。
黒:でも、あれですね、そういう風に、全然、認知になってらっしゃらないお父様が100歳でお亡くなりになって、ご自分で決めて、覚悟してお亡くなりになったんだけど、そうやってお母様は100歳近くて、今もお元気で、介護の施設にもいらっしゃるそうですけど。
そこでは、お母様、うまくいってるんですか?小:ええ。
今のところは、うまくいっていますが、私は、みとり介護っていうのをしていただけるって事が今度、わかったので…。
病院、どんどん移すのは大変だなと思ってましたらばね、うちへ引き取る事は、まず無理だろうと思って。
そこへ行って、母をみとる最後の役目は残ってるけども、それだけは果たしたいと、やっぱり思います。
黒:でも、あなたがいらっしゃると、お嬢さんだって事は?小:やっと、わかって。
ギリギリですね。
黒:でも、『徹子の部屋』に出るとおっしゃったら、顔、お化粧するのかしらって…。
小:ビックリしました。
黒:今日の事でしょ?今日の事ですけど、おっしゃったんだから、きっと、今、ご覧になってて、画面は、もしかしたら、おわかりになるかもしれないからね。
小:かもしれませんね。
黒:いつも、だって、ずっと、あなたを画面で見てらしたお母様でしょ。
小:そうらしいですね。
黒:多分、そうだと思いますよ。
小:多分、そうなんでしょう。
黒:だから、肉体のあなたよりも画面のあなたをきっとご覧になるのが、お母様はきっと、おわかりになると思いますから。
小:肉体の娘は憎たらしいんだと思います。
黒:だから、こうニコニコして。
愛想がいいでしょ、お嬢様は今日、笑ってらっしゃるでしょ。
だから、お母様、大丈夫ですよ、お元気になっていらしてくださいね。
黒:まあ、最終的には長野県の原村というペンションをお借りになって、お部屋が10もあるとこなんで、そこで、色んな事が出来るし、お父様もそこにいらっしゃったり、お母様もいらっしゃって。
近くに、なんと、すごくいいのは鎌田先生が。
小:鎌田先生に直に来て、お願いしているわけじゃないんですが、諏訪中央病院っていうのがありまして。
それも理由の1つだったんですね、病院が近い。
黒:諏訪中央病院。
小:そちらがですね、いわゆる在宅看護っていうんですか、してくださってて。
父が亡くなります時ね、というか、もう覚悟した時ですね。
ベテランの看護師さんが、忘れもしないんですが、いらしたんですね。
「節子さん、3つの事を守ってほしい」って言われたんです。
「1つは、お隣にお父様、寝てらっしゃいますが、全部、聞こえてます」と。
黒:耳が。
小:耳は。
だから、「いや、そろそろ危ないんじゃないとか、そういう話はやめてください」とおっしゃるの。
当たり前ですね。
それが1つで、2つ目は「もう多分、お食事はなさらないでしょう」と。
「覚悟なさってるみたいです。
でも、お水だけは多分、欲しがりますので、このスプーンにね、ちょっと、お水を口元へ持っていって、口を開けたら入れてあげてください」と。
「もし、拒否したらいい」っておっしゃるの。
2つ目。
3つ目は、これがすごかったんですが、点滴をね、本当はすれば、お体も少しはね、長生きが出来るっていうか、延命出来るかもしれないけれども、痛い。
もう痩せてましたからね。
で、多分ね、痛いだろうと。
どこへ刺しても。
それで私がね、ここが、すごいんですが、看護師さんが、「お父様がお元気になられた時に、あの看護婦の刺した針は痛かったって言われると私もつらいんですよね」っておっしゃるんですよ。
それで私はね、「痛いんですか?」って言ったら、「痛いと思うんです」。
「やめてください」って言っちゃったんです。
黒:あなたの方からおっしゃるように。
小:私の方から。
だからね、普通だったら、「点滴はどうなさいますか?」って言ったら、私、悩むと思うんですよ。
でも思わず、「痛いんですか?」って言ったら、「痛いと思います」、「やめてください」になっちゃったんです。
黒:あなたの方から「どうしましょう?」って言われたら、どうしたらいいかわかんないけど。
小:答えが出ないですよね。
だって、父は長く生きてほしいんだし。
でも、痛い思いはさせたくないという、その葛藤をね、痛くない方を選んだんですね。
それを、スッと言わせてくださったの。
で、あとで考えて、あの方はすごかったと今、思います。
はい。
黒:なるほどね。
だから、結果、お父様はご自分の意思で生きて、ご自分の意思で亡くなったっていう事ですものね、それはね。
小:ええ。
それだけは、わからないけど、結果的にはね、そういう事になりました。
黒:100歳でいらっしゃったの?小:100歳7か月でしたね。
でも、本当に介護っていうとおこがましくて。
2人の残してくれたものはやっぱり思い出と、それから、やっぱり友達ですね。
だから、もう、それだけで本当によかったなと思いますね。
黒:でも、お父様は関東大震災、戦争、終戦後、何言っても、全部、体験なさったんですってね。
小:本当。
あの世代は本当に静かに送り出してあげたいですね。
大変な苦労をしてますものね。
黒:でも、あなたはお兄様がいらっしゃるので、ご兄弟がいらっしゃるっていう事になればね。
小:そうですね。
でも、自分の最後は、やっぱり、多分、友達何かとで、シェアハウスか何かで、そういうので、今、小さい…。
黒:いいですよね。
今、シェアハウスって、とっても気に入ってるのね。
小:いいと思いません?黒:すごいのよね、みんなでお部屋、借りてる人が集まって、どっか一角に集まって、お茶なんか飲んだりなんかして。
小:色んな作業したり。
傘張りやったり。
黒:そうそう、お話ししてね、内職やったりして。
小:そう、内職やったり。
黒:シェアハウスっていいなって私も思ってます。
黒:でも、アナウンサーにおなりになるような時にも、お母様は、「なるたけ働く女性になりなさい」とおっしゃったんです?小:そうですね。
自分が、やっぱり父と大変な時に独立して子どもを育てたいと思った時も多分、あったと思うんですね。
その時に手に職がない。
昔の言葉でいえば、職業婦人?自分も憧れてて。
そして、私には、その夢を託したんじゃないかっていう事はありまして。
「嫁にいけ」っていうような事も言われた事ないんですよね。
黒:あれ、言われないと、なかなか、いかないんですね。
小:そういう問題かどうかわかんないんですがね、楽ですからね。
それで、とにかく働く事に大応援団を組んでくれたって感じがしますね。
黒:それは、だからね、お母様は、そういう認知症みたいにおなりになる前は、本当に、あなたの人格認めて、あなたのおっしゃる事は本当にそうだっていう風にね、きっとね。
小:とても嫁には務まらないっていう事が、よくわかってた…。
黒:そうかもしれない。
小:かもしれない。
黒:でも今、お母様、何歳?小:今、98になりました。
黒:そうですか。
でも、そうやって介護の方もいてくださってね。
時々、会いに?小:ひと月に4回は行ってます。
黒:あ、そうですか。
小:200キロ走って。
黒:すごいですね。
長野の方ですからね、やっぱり。
雪、すごいでしょ?小:雪、すごいですよ。
黒:今時ね。
小:もう腕っ節、強くなりますね。
黒:でも、いつか、お母様を、それほどひどくない時に、1回、ホテルに連れてって、なんかしようと思ったら、その時、あなた、号泣なさった事があるそうですけど?小:3日間、ホテルへ行って、一緒に生活したいと思ったんですね。
ところが、やっぱり看護師さんのやってらっしゃる事はすごい事ですね。
時間が、ちゃんと合っていまして、その時に言われました。
「8時間だから私たち出来るけど、節子さん、24時間は無理ですよ」と。
それから、「このお年になって、この認知症になられたら、食べる事と、それから出す事さえ、本当にね、気持ちよく、状態でいさせてもらえれば、お母様は幸せなんです」って言ってくださったんですよ。
で、「あなたが、しょっちゅう来てくださればいいんだ」と。
この時にはね、涙、出ましたね。
その言い方の温かさに。
黒:もっと違う事、考えてらしたでしょ?ホテルに行けばね、レストランもあるし。
小:レストランで食べさせたあと、もう、最後の3日目に母が、なんて言ったかと思うと、もう、くたびれ果ててたんです、母は。
私が下手なんで、介護が。
何、言ったかっていうと、「あなた、だあれ?」って。
3日目に。
私もう、どうしようと思いました。
黒:それは号泣ですよね。
小:号泣ですよね。
で、連れて帰ったら、「よく3日も出来ましたね」と。
「8時間だから私たちは出来るんで、24時間を3日間は、節子さん、無理です」って。
黒:やっぱり。
だから、そういう事はね、それにあなたの仕事を認めてくださった、あのお母様がとか、そういう風に思っちゃうじゃない。
小:思っちゃいますよね。
黒:だから、そういうの、やっぱり切り替えないと。
小:私も見栄があるし、いいとこ見せたいですしね、他のお友達には。
黒:やっぱり切り替えないとね。
だから、こういう事で悩んでらっしゃる方、いらっしゃると思うけど、やっぱり人の手も借りて、出来るだけね。
小:そうです、はい。
黒:なるほど、介護によって?小:よってです。
黒:そうですね、わかりました。
どうもありがとうございました。
小林節子さんでした。
2014/02/19(水) 13:20〜13:55
ABCテレビ1
徹子の部屋[字]
〜両親の介護体験で学び〜小林節子さんが今日のゲストです。
詳細情報
◇ゲスト
フリーアナウンサー小林節子さんがゲスト。
◇番組内容
横浜の実家を離れ東京で一人暮らしをしていたが、両親の様子が気になり、東京で同居生活をすることにした小林さん。次第に母の認知状態が進み、介護生活になったという。100歳で亡くなった父や、現在は施設で暮らす98歳になる母の介護を通じて、血縁だけではない「人の輪」の大切さを学んだと語る。
◇おしらせ
☆『徹子の部屋』番組HP
http://www.tv-asahi.co.jp/tetsuko/
ジャンル :
バラエティ – トークバラエティ
ドキュメンタリー/教養 – インタビュー・討論
福祉 – 文字(字幕)
映像 : 1080i(1125i)、アスペクト比16:9 パンベクトルなし
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