宮城県南三陸町でホテルの女将を務める…宿泊客を守るだけではなく地域住民の避難所としてホテルを開放しました。
阿部さんのホテルは創業1972年。
海沿いに建つ10階建てで客室数は244あります。
あの日阿部さんは商談のため5階にあるロビーの窓際の席にいました。
阿部さんはすぐさま従業員に客の避難誘導を指示します。
その時頭をよぎったのは津波の事でした。
客を避難させたのはホテルの向かいにある建物。
1階は託児所2階は女子寮となっています。
ホテルに戻った阿部さんは窓から見える海の異変に気が付きます。
ホテルは志津川地区と戸倉地区の間の高台にあります。
津波は2つの町を襲いホテルは孤立しました。
阿部さんは2つの地区の住民も避難してくる人数は更に増えると判断し従業員をロビーに集めました。
そして指示を出します。
託児所に布団を運び入れ館内中の蝋燭をかき集め水を確保させました。
調理場には500人分の献立1週間分を考えさせました。
避難者に配った食事はあえて量を少なくし小出しにしました。
いつ救助が来るか分からない状況で日に日に食べ物の量が減ると不安が増すという判断です。
こうして1週間持ちこたえました。
ホテルには大きな被害はなかったものの志津川地区にある同じ系列の結婚式場は津波にのみ込まれました。
阿部さんはこの建物を保存する事を決めました。
2014/02/19(水) 10:50〜10:55
NHK総合1・神戸
あの日 わたしは〜証言記録 東日本大震災〜「宮城県南三陸町 阿部憲子さん」[字]
南三陸町でホテルの女将を務める阿部さんは宿泊客を守るだけでなく、地域住民の避難所としてホテルを開放した。手元の限られた食料、水を工夫して使い、1週間持ちこたえた
詳細情報
番組内容
東日本大震災に遭遇した方々の「あの日」の証言。宮城県南三陸町でホテルの女将(おかみ)を務める阿部さん。宿泊客を守るだけでなく、避難してきた地域住民に避難所としてホテルを開放した。避難者に配った食事は、いつ救助がくるかわからない状況で、日に日に食べ物が減ると不安が増すという判断で、あえて量を少なくした。こうして1週間を持ちこたえた。
ジャンル :
ドキュメンタリー/教養 – 社会・時事
ニュース/報道 – 特集・ドキュメント
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