100分de名著 愛するということ 第2回「傷つくのが怖い」 2014.02.19

メールやSNSが急速に広がった今多くの人とコミュニケーションができるようになりました。
しかしそれは本当のつながりなのでしょうか。
むしろ人々は孤独を深めているのではないのでしょうか。
精神分析家エーリッヒ・フロムは著書「愛するということ」の中で人は孤独では生きていけないと主張します。
孤独は人の心を狂わせ社会を崩壊させてしまう事もあるのです。
私たちはどのように人と向き合っていけばよいのか。
その答えを探します。

(テーマ音楽)「100分de名著」司会の…さて前回に引き続きまして今回も「愛するということ」ですが前回は「愛は技術だ」。
ちょっと衝撃を受けましたよね。
そうですね。
特に愛される方じゃなくて愛する事についてきちんと考えろきちんと技術を持たなきゃ駄目だという。
我々に備わってるのかどうかという。
ちょっと怪しい感じでございますが…。
さて今回は「人はなぜ愛を必要とするのか」という事に迫っていきたいと思います。
指南役の先生は鈴木晶さんです。
どうぞよろしくお願いします。
どうしてこんなに「愛」について論じなければいけないかというと言い古された言い方ですけども…これがまず前提としてありますね。
長い事人間は自由を求めてきたわけですけれども…みんなが孤独になってしまっては社会が崩壊してしまうわけです。
私たちはどうしても孤独から抜け出そうとするわけですが孤独の解消法後で出てくるようにいくつかありますけれどもやはり究極は愛なのではないかというのがフロムの主張ですね。
まずは「孤独」についてフロムがどのように言っているのかご覧頂きましょう。
フロムは第2章の冒頭でこう語ります。
孤独こそがあらゆる不安の源。
人間の最も強い欲求とは孤独の牢獄から抜け出したいという切実な思いであるとフロムは言います。
「孤独」ってすごく私たちを支配しているというかそこから抜け出したいという気がものすごいあるっていう。
そこまで孤独を恐れるというのは何なんでしょうか?まず単純に人間というのは独りで生きていく力を持っていないそういう生き物です。
例えば自分の部屋にず〜っと閉じ籠もっていても誰かがその分稼いでくれたり食事を用意してくれたりしなければ私たちは生きていけないわけですよね。
これを心理学的に考えると「自我」の問題というのがあってフロイトという人が始めた精神分析の考え方ですけれども「私」という事ですね。
そもそもの「私」というのが生まれるのは自然には生まれないんですね。
動物は食欲や睡眠欲など本能に従って生きています。
しかし人間は体に悪いと知りながら食べ過ぎたりお酒を飲み過ぎたり夜更かししたりします。
それを精神科医フロイトは「人間は本能が壊れている」と分析しました。
本能が壊れたまま放っておくと人間の行動は破綻し死を迎えてしまいます。
そのため自分を規制するためのコントロールタワーとして自我を身につけたのです。
となるとこの自我というものさえきちんとあれば本能は壊れてても大丈夫ですか?そう言いたいとこなんですけどもこの自我というやつは弱いものなんですね。
あまり存在基盤が無くて例えば脳の一部にはっきり自我という部分があるわけでもなくある意味で空想上のものなんですね。
私が私と思っているものは?そうなんです。
一種の幻想ですね。
何とかして支えようとしてるわけです。
でも弱いからついついこうグラグラときちゃうんですね。
そのために人間どうしてるかというと何とかいろんな方法を使って守ってやるわけです。
その中の一つが…つまり人に「あんたはあんただね。
こういう人なんだね」と言ってもらわないと自分で自分を支える事ができないんですね自我というのは。
回り回って人間は本能がほぼ壊れてると。
だから自我が必要だと。
この自我を支えるのには他者が必要だってなってくるから孤独は駄目ですよと。
崩壊してきますね。
となると困っちゃうのは自分が孤独を望まなくても孤独にはなっちゃうじゃないですか。
そういう状況ですよね今。
そうですね。
そのために人はいろいろ孤独から抜け出す方法というのを考えて実践してきたわけです。
フロムは「愛するということ」の中で人々が孤独から逃れる手段として3つの方法があると述べています。
(フロム)一つにはありとあらゆる種類の「祝祭的興奮状態」。
難しく言ってみたものの要はこういう事。
アルコール麻薬愛のないセックスで気を紛らわす事だ。
まあ快楽ですな。
しかしこれらは依存性が強いから一つ間違うと身を滅ぼす事にもなるんです。
2つには「集団への同調」。
サッカーをみんなで応援したりする事がこれに当たります。
一人でも応援はできるがわざわざみんな声を合わせてワーワーワーワー応援する。
これで人と一体化した感じになるでしょ?3つには「創造的活動」。
絵画や小説音楽を作り出す事。
大工さんがテーブルを作る農家が野菜を作るなんかも同じ事。
創造的活動に没頭すれば人とのつながりなんて忘れて自分だけの世界に浸れる。
しかしこれらは全て一時的なものでもある。
(助手)それに先生最近ではこんなものがあるんですよ。
(フロム)ああLINEやTwitterだろ?よくご存じで。
まあね。
しかしこれも一時的に孤独が紛れるだけだよ。
直接相手に会うわけじゃないからつながっているようでいてつながっていない。
何だか大丈夫かという感じじゃないか?ちょっと寂しいですね。
やはりそこには「愛」が必要なのではないかと考えるのだ。
VTRで紹介した孤独を逃れる手段としてフロムが挙げたものをこちらにまとめました。
何か良さようなものもありましたけどね。
すごいなと思うのはとても鋭く確かに孤独を紛らわせるにはこんな方法がありますよって代表的なものを的確に教えてくれてるんだけどこれら全て一時的なものですよというところまで斬られちゃってるからもうVTR見ててもドキドキしちゃって。
これは否定…?いけないって言ってるんですか?いやそんな事ないんですよ。
認めてるわけです。
でもこれだけでは問題は解消しませんよと。
最初の「祝祭的興奮状態」というのは一番分かりやすい例は例えば年に一度お祭りをやってみんなで大騒ぎするというのは昔の社会ではちゃんと恐らく機能していてみんなその時のために1年間働いて…というような形でよかったんだと思いますけど今の社会はもっと複雑化してますよね。
年に一度お祭りがあるぐらいでは1年間支えられないというか。
そうですね。
ほぼみんなが農業に従事してて収穫のあとのお休みがあるからそこでみたいな事じゃなくて。
したがってその楽しい時間というのがまず短い事が問題ですね。
終わってそれ以外の日常の方が長いですからその日常全体を支えるほどではなくやっぱり瞬間的に終わってしまってまた孤独に戻ってしまう。
それからこの「集団への同調」というのもいいように見えてさっき言ったように人間また自由を求めますのでこの集団から抜けたくなるわけですね。
「創造的活動」というのも例えば伊集院さんはいわゆる芸能界でお仕事されてるけれども芸能というのはもちろん創造的な活動なんですけどもみんなができるわけじゃないですよね。
アーティスト小説家とか俳優いろいろいますけれどもそれはあくまで一部であってみんながそれにはなれない。
しかもそれはそれはすばらしい作品を作ったアーティストが孤独をこじらせて自死したりするケースって珍しくないですからそう考えると作ってる側の中でも当然最終的には埋められない孤独を持つという事ですよね。
ほぼ解消されていてもやはりまだ埋められない孤独というのがどこかにある。
そのためにフロムは愛という事が大事なんだというわけです。
でも最近はその孤独を逃れるためにそれこそ新しいツールがいろいろ登場してSNSソーシャル・ネットワーキング・サービスありますよね。
インターネットを通じて何かみんながつながり合う。
僕もやりますけど一時的には救われますよ。
今真夜中俺一人しかいないんじゃないかという時に同調してくれる人が文字面でもいたりとかすると一人ではないんだという感じは持てたりはしますね。
メールとかLINEとかでやり取りされてる事というのは例外はあるとしても一般にはあまり内容のない事が多い。
でもそれは目的があって…なるほど。
「誰かいるか」とか「今何してるか」。
何してるかを知りたいんじゃなくて反応があればいいわけでつながっている事自体に意味があるわけですよね。
分かります。
孤独を解消するというよりは全くの孤独ではないぐらいです。
だけどねしばらくすると逆にそれが孤独を際立たせちゃうような事もあるんだよね。
たまたま返ってくる数が少ないとか返ってこないとか。
反応が薄かったりすると。
何か分からないけど期待してたそれ以上の事なんて起きないって事が分かったりした時にむしろ軽くつながった分だけより孤独みたいな事。
いろいろ考えちゃいますよね。
みんな相手にしてくれてないんじゃないかとか嫌われてるんじゃないかとか。
反応があるかどうかあるいはどういう反応が来るのかというのをすごく気にしたらやらない方がましじゃないかというぐらい…それともう一つはじかに会ってないわけですね相手と。
非常にかなり回りくどい形でつながっている。
細い形でつながってる事に満足してるのである意味ではあれは近寄らない近寄らせないそういうところで距離を保ってるところもありますよねああいうSNSというのは。
これどうすべ?ほんとですね。
日本人の孤独はますます深まってるという事のようですが人間が孤独から逃れようとする事で社会構造を狂わせる事態に陥る危険性があるとフロムは言ってるんです。
一体どういう事なんでしょうか。
ご覧下さい。
フロムは人間が孤独から逃れ人とつながる事を求めると「共棲的結合」という関係に陥る場合があると言います。
「共棲的結合」とは人が支配と服従サディズムとマゾヒズムの関係になる事をいいます。
マゾヒストは自分に指示し命令し保護してくれる人物の一部となる事に喜びを感じます。
サディストは自分を崇拝する他者を自分の中に取り込み服従した人を手足として使います。
マゾヒストとサディストはどちらも孤独から抜け出したくて相手を必要とし依存し合う関係に陥ってしまうのです。
この関係は社会構造を変えてしまうほどの力を持っているとフロムは考えました。
その顕著な例としてフロムはナチズムを取り上げています。
1930年代ドイツではナチスが台頭し民衆を支配する側と大きな力に服従する側が生まれました。
近代化が進む中民衆は自由を獲得しましたが個人はバラバラになり孤独を感じていました。
強い指導者に従う事で不安を解消しようと民衆はマゾヒストとなっていったのです。
一方で他人を支配する事に生きがいを感じる権威主義的な性格の者サディストが現れます。
それがナチスでした。
マゾヒスト化した民衆は孤独から解放されたい一心でナチスに熱狂しナチスは独裁国家を築くほどの勢力となりました。
孤独から逃れたいという人間の欲求は国家や国際社会をも破壊する大きな力となったのです。
うわ〜…自由の究極的なところに孤独があってその孤独というものに人間は耐えられないから不自由をというか結束をというか集団を求めてこういう事になってく。
ちょっとゾッとする話ですね。
ほんとですね。
今のサディズムとマゾヒズムをまとめてみました。
サディストの方が悪くてマゾヒストはかわいそうというイメージがありましたけどお互いを必要としているという関係なんですね。
お互いに寄りかかっている。
一方がいなくなると倒れちゃうので寄りかかってそこで初めて成立してる関係ですね。
マゾヒストがいなければ一人でサディストってできないので。
サディストがいなければ一人でマゾヒストになる事もできないわけです。
フロムは心理学の立場からどうしてドイツ国民がナチズムを生んだのかという事を考えてそこで戦後「自由からの逃走」というこれもベストセラーになりましたけどそういう本を書きます。
さっき言った手に入れた自由を手放したくなってしまったと。
今度はこれを誰かにあげてしまおうとした。
逆に自分を不自由にしてそこに幸福を見いだそうとした。
みんなマゾヒストになってこうやって虐げられ支配される事を望んだのではないかとフロムは考えたわけです。
ほんとに紙一枚の差なのかもしれないほんとに言葉一つの差なのかもしれないけどすごく大事で危険で何かすごくバランスの難しいところですね。
現代でもやはりよく「民主主義は駄目なんじゃないか」という事が言われたりします。
つまり強い指導者が必要だとか。
これも一歩間違えば自分の判断能力というのを…判断を停止してしまって「お任せします。
だから勝手にやって下さい」とその方が楽だなという方向というのは常にあって愛国主義のようなものが高まるとさっきの集団への同調というのが高まって一時的に孤独が癒やされるのである時期にその愛国主義が結構広まったりする事が現実に今の日本でも起きてますよね。
私たち結構危険な社会に生きてるなという感じはします。
国を愛するという事自体は自分の国を誇りに思う事自体が間違ってるんじゃなくてその名の下に自分一人一人の判断が失われてはいないかという事はいつも考えてなければいけないという事ですかね。
そう。
そしてその原因の一つがさっき言った孤独からの脱出が原因になってるかもしれないとそこを考えた方がいいんじゃないかという事なんですね。
社会をも揺るがす孤独への恐怖なんですけれどもこれを回避するためにどうすればいいのか。
フロムはこのような事を言っています。
「完全な答えは愛にある」と言い切っているんですね。
個人と個人の愛というのもある。
最終的にこれはやっぱり人類全体への愛と言っちゃうと大げさに聞こえるんですけれども恐らく人類が生き延びていくためには愛というのがないとやっぱり生き延びていけないんだと思うんですよ。
なぜならば…ここに愛がなくなってしまうとやはり殺し合いになる。
滅ぼし合う事になるわけですね人間は。
しかしその愛というのが前に言ったように多くの人は本当の愛というのを知らなくて誤解をしている。
ですからその本当の愛によって人と人とがつながっていないとやはり人類というのはこれからも存続していけないんじゃないかとフロムは言ってるわけです。
うわ〜難しいですね。
僕が愛だと思いたい愛じゃない何かもいっぱいあるし愛によく似たものとか。
例えばみんなで同じチームを応援してるうちにその中からカップルができてみたいな事とかの最終的に出来上がるものは本当の愛だったとしても最初にみんなでどんちゃん騒ぎしてる事は一時的な孤独からの逃避にすぎなかったりだからややこしい。
だけどその中ですごく成熟したきちんとした愛に出会う。
愛を持てる技術を身につけるという事が大切だと。
そうですね。
自分がどうしてもテニスやりたいと思うからテニスを習うんであってまずはこの愛というのが大事なんだという事を肝に銘じないといけないんですね。
そして学ばなくちゃいけないという意志をちゃんと持って。
さあだいぶ本当の愛に近づいてきましたが次回からより本当の愛とは何かという事に近づいていきたいと思います。
鈴木先生どうもありがとうございました。
2014/02/19(水) 05:30〜05:55
NHKEテレ1大阪
100分de名著 愛するということ 第2回「傷つくのが怖い」[解][字]

精神分析家・エーリッヒ=フロムの作品で、愛の本質を考察した「愛するということ」を読み解く。第2回では、愛を求める感情の背景として、人間が抱えている孤独を分析する

詳細情報
番組内容
人間には自我がある。しかし自我はもろいものだ。そのため人間は、もろい自我を守るために、孤独と闘っており、常に他者との一体化を求めている。他者と一体化したいという願望がむかう先は、特定の個人とは限らない。民族や宗教など、集団の場合もある。自分を集団に融合させることで、孤独を忘れ、愛に似た喜びを得るのだ。しかしそれは、時に非常に危うい。第2回では、人間の孤独が社会全体に及ぼす影響について考える。
出演者
【ゲスト】法政大学教授…鈴木晶,【出演】斉木しげる,【司会】伊集院光,武内陶子,【語り】山崎和佳奈

ジャンル :
ドキュメンタリー/教養 – カルチャー・伝統文化
ドキュメンタリー/教養 – 文学・文芸
趣味/教育 – 生涯教育・資格

映像 : 1080i(1125i)、アスペクト比16:9 パンベクトルなし
音声 : 2/0モード(ステレオ)
日本語
サンプリングレート : 48kHz
2/0モード(ステレオ)
日本語(解説)
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