歴史秘話ヒストリア「春はすぐそこ!世界遺産SP〜秘められた日本人のドラマ」 2014.03.19

今から待ち遠しいお花見の季節。
桜がよく似合う場所といえば…やはり富士山ですよね。
古くから人々に愛されてきた日本ならではの美しい景観です。
広島の宮島嚴島神社も実は桜の名所。
宮島は秋の紅葉が有名ですが実は紅葉より桜の木の数の方が多いのだそうです。
更に金色堂で有名な中尊寺。
ここも東北有数の桜の名所です。
この時期時代行列や郷土芸能を奉納するお祭りが開かれおよそ20万の人出でにぎわいます。
もちろん春の京都や奈良も魅力的ですよね。
これらの場所に共通している事お分かりになりますか?実はみんな世界遺産に登録されているのです。
日本各地の世界遺産は春も見どころがいっぱい。
今日はそんな世界遺産にまつわるえりすぐりの秘話をご紹介します。
ようこそ「歴史秘話ヒストリア」へ。
もうすぐ春の行楽シーズン。
というわけで今日は「世界遺産スペシャル」。
この春訪れたい世界遺産の魅力をお伝えします。
これまで番組では…美しき城姫路城を造り上げた武将の苦悩や戦乱が相次いだ東北の地に平和への願いを込めて築かれた中尊寺金色堂にまつわるお話などなど。
世界遺産の一つ一つに人々の苦難と感動の物語が秘められていました。
そこで今日はそれらの中からオススメの世界遺産を3か所ご紹介します。
一緒に案内してくれるのはこちらの方。
こんにちは。
ガイドの秘話子と申します。
今日は世界遺産にまつわる秘話の旅ベスト3を私の独断で選んでご案内します。
では早速始めましょう。
オススメ世界遺産第3位はこちらです!広島市の沖合にある宮島。
ここに海に浮かんでいるかのように建てられているのが世界遺産嚴島神社です。
床の高さは潮の満ち引きを計算して造られており満潮時の姿はまさに竜宮城!社殿には300mに及ぶ美しい回廊が巡らされ幾重にも折れ曲がって本殿へと続いています。
回廊を抜けると現れるのは開放的な空間。
「平舞台」です。
ここは楽人が神楽や舞を舞う海上ステージになっています。
世界でも類を見ないこの海上社殿は一体どのようにして生まれたのでしょうか。
嚴島神社をめぐる神秘の旅へご案内します。
しかし神社自体はそれより600年も遡る飛鳥時代から存在していたと言われます。
それにしてもなぜこのような場所に神社を造ったのでしょうか?その謎を解くカギが毎年5月に行われるこちらの神事にあります。
嚴島神社の神官がおだんごを海に供えると…飛んできたのはカラス。
見事カラスがおだんごを食べればその年に良い事があると信じられています。
古来カラスは神の使いとされ神社の灯籠の上にもカラスの像が。
言い伝えによれば1,400年前島のとある領主が神様を祭る場所を探していました。
しかし気に入った場所がなかなか見つからず困っていたところ…カラスがやって来てなんと一行を案内してくれるではありませんか。
突然ですが質問です!なぜカラスがこの場所を選んだか分かりますか?ちゃんと理由があるんです。
皆さんの中には実際に嚴島神社に行った事のある方もいらっしゃいますよね。
では引き潮で水が引いた時海底から不思議なものが現れる事にお気付きでしたか?それがこちら!鏡池です。
一見ただ海水が残っているだけのようですが…。
実は地下から真水が湧いて出来たものなんです。
境内には同じような池が3つもあって引き潮の時はそこからあふれた水が川をつくり海に流れ込んでいます。
潮が満ちると真水と海水がここで一つになります。
こうした場所は神道の世界ではとっても神聖な場所と考えられているんですよ。
水の霊力あるいは潮水の霊力それによって…ですから神聖な場所ですねそこに神社が立地している。
嚴島神社は祭られている神様はもちろん建てられている場所自体もありがたい聖なる地なんですね。
それではここで嚴島神社に行った事のある方でもなかなか訪れない不思議な場所へご案内しましょう。
画面の上嚴島神社の後ろにそびえる山にご注目下さい。
標高535m。
宮島で一番高い弥山です。
その頂に数多くの巨石があるのをご存じですか?大きなものではなんと高さ5m以上!このただならぬ自然のパワーに圧倒されたいにしえの人々はここに仏像を置き修行の場にしたと言われています。
厳かな雰囲気を持つ弥山とその麓の聖なる場所に建てられた嚴島神社。
まさに宮島全体が神々しい力を帯びた神秘の島なんです。
皆さん宮島を訪れたら是非弥山まで足を延ばしてみてはいかがでしょうか?嚴島神社の見どころは何と言っても美しい社殿。
平安時代の貴族が住む大邸宅の建築様式を取り入れたものです。
世界遺産には他にも美しい建築がまだたくさんありますよ。
そうですね。
その中でも取って置きの場所を2か所ご紹介しましょう。
岩手県平泉にある世界遺産中尊寺です。
訪れる人の目を奪うのが金色堂の輝き。
お堂の中も外も金箔で覆われたまばゆい姿です。
皆さんお堂内部の飾りにご注目下さい。
螺鈿や蒔絵など光輝く装飾が一面に施されています。
お堂の中央にいらっしゃるのは阿弥陀如来。
人々の魂を救い金色の光に満ちた極楽浄土へと導いて下さるありがた〜い仏様です。
一方美しい建築といえば栃木県にある世界遺産日光東照宮。
そのシンボルが絢爛豪華な陽明門です。
500を超す極彩色の彫刻が建物を埋め尽くしています。
龍かと思いきや馬のひづめを持つ龍馬や悪い夢を食べる獏。
いくら見ても見飽きず日が暮れてしまう事から「日暮らしの門」とも言われています。
皆さん東照宮といえばあの有名な「三猿」やこちらの「眠り猫」も見逃せないスポットですよね。
実はこの猫には東照宮を現在の形に整えた将軍・徳川家光公のある願いが込められているといいます。
それは裏に回ると分かりますよ。
猫の裏側にいるのは竹林で遊ぶすずめ。
すずめを襲うはずの猫が眠り弱いすずめも安心して暮らせる世の中になるようにとの願いなんです。
さあ世界遺産の秘話を巡る旅を続けましょう。
オススメ秘話第2位はこちらです!世界遺産富士山。
左右対称のなだらかな稜線。
白い雪に覆われた頂。
いにしえより日本人は富士山を神聖なものと考え信仰の対象としてきました。
その麓にある…富士登山を目指す人々の出発地点となっています。
世界遺産に登録された去年登山道のお道開きの日には大勢の参拝者が押し寄せました。
富士登山が大ブームとなったのは江戸時代の事。
これは当時の富士山頂上付近を描いた絵です。
頂上に登る事で御利益が得られると信じられ押すな押すなの大盛況。
しかし不思議な事に女性は一人も描かれていません。
実は富士山は古来「女人禁制」。
江戸時代そのタブーに挑み初めて富士の頂に立った女性がいました。
女性の名は…「高い山に立つ」なんてまさに富士山に登るための名前みたいですよね。
女人禁制の背景にあったのは「女性はけがれている」という当時の根強い考え方。
そんな中そのタブーに命懸けで挑んだ高山たつの知られざる苦闘の物語です。
なぜ女性は富士登頂ができなかったのか?江戸時代富士山に登る人が守るべきとされていた規則にはこう書かれています。
「月水」つまり女性の月経による出血がけがれていると考えられていたのです。
頂上に登れば御利益が得られるのにともどかしく思っていた女性もいた事でしょう。
では女性は一体どうしていたのでしょうか?実はどうしても富士山の頂上に立ちたいという女性のための特別なスポットがありました。
こちら人工の山富士塚です。
高さはおよそ6m。
いわば富士山のミニチュア版。
つづら折りの参道をはじめ…こちらの黒い岩は七合目付近にあるえぼし岩。
有名な行者が修行し亡くなった所なんだそうです。
更に頂上には本物の富士山の溶岩も置かれています。
そして「奥宮」と呼ばれる社でお参りをしました。
こうした富士塚は関東を中心に200以上が確認されています。
女性はこれらの富士塚に登って富士山に思いをはせるしかなかったんですね。
そんな中なぜたつは女人禁制のタブーに挑む事になったのでしょうか。
埼玉県にたつの富士山登頂の記録が残されています。
たつと共に富士に登った人物が書いた日記の写しです。
ここには女性が富士山に登る事ができるよう自らがその道を切り開きたいというたつの強い思いが記されています。
博文さんのもとにはたつの考えに大きな影響を与えた人物の肖像画があります。
たつの遺品と伝わる掛け軸に描かれているのは小谷三志。
江戸時代後期の宗教家でたつと共に富士山に登った人物です。
三志はこう訴えます。
「花水」とは月経の事。
女性の月経があるからこそ自分たちはこの世に生まれるのだと女性のけがれを否定します。
女性も富士山の頂上に立ってよいはずだと考えるようになったのです。
とはいえ誰も経験のない女性の富士山登頂。
周到な根回しと準備が必要です。
ここは富士山の麓にある「御師」と呼ばれる神職の家です。
富士登山に御師たちの協力は不可欠。
女性の登山が増えれば収入増加につながる事もあり御師たちは計画を受け入れました。
更にたつは自分の姿形も変えます。
女が入ると山が荒れると恐れる地元の人々の目を逃れるため女の命である髪を切りました。
前髪から頭頂部の毛までそり落として髷を結い男の姿になりました。
そして登る時期にも気を配ります。
たつたちは富士山登頂に挑みます。
たつたちはどのような装備で登ったのでしょうか?史料には「綿入れ」を着たと記されています。
たつたちもこれを着て寒さをしのぎます。
26日の朝から登り始めたたつたちはその日の夜に5合目にたどりつき一泊します。
「月あきらかにおがみ奉る」。
次の日朝から頂上を目指す一行。
ところが…一行はこのあと暑くなり綿入れは邪魔になるだろうと判断。
その場に置いて道を急ぎました。
ところがあろう事か天候は一変。
9合目付近まで来ると寒さが厳しくなりまるで山が荒れたかのように強い風が一行を襲います。
もはやこれまで。
富士登山のベテランである荷物持ちが下山するべきだと強く訴えます。
心の声ここで私が諦めたら女が富士に登る事は二度とあるまい。
なんとしても頂上に登り女性の富士山登頂の道を切り開くのだと訴えるたつ。
その決意に一行は凍える体を奮い立たせ再び頂上を目指します。
そして天保3年9月27日夕刻。
眼下に広がるのはこれまで女性が決して見る事ができなかった光景。
女性として初めて富士山登頂を成し遂げた瞬間でした。
たつの子孫の家にこの時頂上で書かれたという巻物が伝わっています。
氷雪の中一行が無事頂上に着いた事への御礼の書の脇に小さくこう書かれています。
「同行六人内女たつ」。
これが女性の富士山登頂を記した歴史上初めての記録です。
美しくそびえる富士山。
そこには苦難の末に頂に立った女性の足跡が秘められているのです。
富士山信仰の根底にあるものそれは自然への畏敬の念。
そうした日本人の信仰を伝える世界遺産は富士山だけではありません。
紀伊半島にある世界遺産熊野。
平安時代には京都から熊野へ参拝する「熊野詣」が大人気でした。
目指したのは熊野本宮大社など熊野の神を祭る神社。
しかし人々はそうした社だけでなく神々が宿ると考えられていた自然そのものにも祈りを捧げました。
こちらをご覧下さい。
高さおよそ45m。
「花の窟」と呼ばれる巨大な岩山です。
日本列島を生んだ女神イザナミの墓だと言われているんですよ。
一方こちらは那智の滝。
落差はなんと133m。
一段の滝としては日本一の落差を誇る滝です。
古来この滝も神様であると考えられていました。
雄大な自然に神々が宿る地熊野は日本古来の信仰を今に伝えています。
さあ世界遺産を巡る旅。
いよいよ最後の一つをご紹介しましょう。
はい!私がオススメする世界遺産の秘話第1位はこちら!奈良の大仏様としておなじみの世界遺産…何と言っても特徴はその大きさ。
高さは15mあります。
手は指先まで2m50cm。
目の長さは1つ1m。
銅で造られた大仏としては世界一の大きさだと言われています。
造られてから変わる事なくどっしり座っているように見えますが実は何度も災難に遭い壊されてきた歴史があります。
今私たちが見る事のできる大仏は江戸時代中頃に再建されたもの。
そこには一人の少年が流した涙と日本中を巻き込んだ苦難の物語が秘められていました。
物語の主人公は…誰もが知っている大仏の知られざる物語です。
奈良時代に聖武天皇によって造られてから幾度となく被災してきた大仏ですが戦国時代最大の危機を迎えます。
戦国武将の争いに巻き込まれ大仏殿が炎上してしまったのです。
猛火に包まれた大仏は上半身が溶け崩れてしまいます。
大仏炎上の翌年。
ある武将が再建しようとします。
しかしお金が足りなくなり…そして…長年放置された大仏は痛ましい姿に変わり果てていました。
体の至る所に亀裂が走り顔の銅版はところどころめくれて下の木材が露出。
一部は破損していたとも考えられています。
そんな大仏を目を潤ませながら見つめる少年がいました。
僅か13歳。
出家したばかりの少年僧公慶です。
公慶は自分がなすべき仕事を悟ります。
いつの日か大仏様を修復し大仏殿を再建してみせる。
それから20年余り。
誰もがもはや再建は不可能だと思い込んでいた中で公慶が立ち上がります。
諦めてはいけません。
大仏様は必ず再建します。
その資金を集めるため公慶が考えたのは「勧進」。
この柄杓を使い…奈良をはじめ京都や江戸など…各地の家々を訪ね寄付をお願いして回ったのです。
公慶がこの勧進にこだわったのは大仏の成り立ちと深い関わりがありました。
奈良時代国を守る象徴として大仏を造った聖武天皇は「大勢の民が力を合わせなければ魂は込められない」として…後に源平の合戦で大仏が燃えた時再建へと導いた重源も50人の仲間と全国を回り大勢の人々から寄付を集めました。
勧進で大勢の人々が力を合わせる事こそが大仏再建にはふさわしいと考えたのです。
ところが公慶には聖武天皇のような権力もなければ重源のような仲間もいません。
公慶はただひたすら全国を行脚し一軒一軒寄付を集めます。
しかしただ回るだけではなかなか人々に理解してもらえません。
そこで公慶はあるアイデアを思いつきます。
そのヒントとなったのが江戸時代に盛んに行われたイベント…「出開帳」とは地方の寺が都市に出張し秘仏を公開する催しです。
人々はめったに見られない仏像を拝み賽銭を投げました。
こうする事によって「結縁」つまり仏と縁を結び現世や来世の幸せを約束してもらうのです。
公慶もこの出開帳と同じような事をします。
もちろん大仏そのものを持ち運ぶわけにはいきません。
そこで用意したのがこちら。
何だか分かりますか?「螺髪」つまり大仏の髪の毛の実物大の見本です。
大仏の偉大さを実感してもらうねらいです。
公慶の思惑どおり人々は大仏の功徳の大きさに心打たれますます喜んで寄付をしました。
公慶はこうした勧進を一心に続けました。
これは…公慶が歩いた道に赤い線が引かれ地図が真っ赤になっています。
およそ一月かけ京都のあらゆる路地を回り尽くしました。
こうした旅の途中公慶は決して横にならなかったといいます。
大仏を野ざらしにしたまま自分だけ横になって寝るわけにはいかないと考えたからです。
これは当時の勧進の記録「勧進帳」。
奈良・大和郡山の農村で行われたものです。
「かめ五文」。
「つる三文」。
一文はおよそ25円。
決して楽ではない暮らしの中から投じられた貴重なお金です。
公慶はこうした小さな寄付を集め…そして元禄4年。
6年間の工事を経て頭を新しく造り替えた大仏が完成します。
東大寺に残る公慶の像です。
奈良の大仏には少年の日の決意を胸に一人でも多くの協力を得ようと尽力した僧侶のくじけぬ志が秘められているのです。
世界遺産にまつわる3つの秘話いかがでしたか?まだご紹介していない世界遺産がたくさんありますがそれはまた次の機会に。
本日はおつきあい頂きありがとうございました。
さようなら〜。
それでは最後にもう一つ。
そんな秘話をどうぞ。
姫路城はこれまで何度も大規模な修理が行われてきました。
その一つが今から半世紀前に8年がかりで行われた「昭和の大修理」です。
傾いてしまった天守閣を完全に修復するため天守は一旦解体されました。
工事中注目を集めたのが木材の継ぎ目に対で描かれた模様「番付」という印です。
築城当時の職人が大量に使われる木材を間違いなく組み合わせるために刻んだもの。
修復の際には築城当時の城の様子を忠実に再現するため番付の位置も正確に元に戻されました。
そして2009年から6年がかりで行われている「平成の大修理」。
今回は主に瓦や壁が補修されています。
屋根に載せる鯱瓦も最新の技法を取り入れながら当時の形や質感を忠実に再現。
より丈夫なものに造り替えられました。
姫路城は時代を超え大切に修理されながら築城当時の姿を今に伝えているのです。
えいやあ!万歳!
(一同)万歳!姫路城が日本で最初の世界遺産に登録されたのは大規模な修復作業を経てもなお400年前の姿のまま現代に受け継がれている事が高く評価されたからです。
世界遺産には創建した人の思いとともにそれを守り伝えてきた日本人の営みまでをも見る事ができるのです。
この春世界遺産を訪ねてそうした先人たちの思いに触れてみてはいかがでしょうか。
2014/03/19(水) 01:25〜02:11
NHK総合1・神戸
歴史秘話ヒストリア「春はすぐそこ!世界遺産SP〜秘められた日本人のドラマ」[解][字][再]

春の行楽シーズン直前、世界遺産スペシャル!神秘の海上社殿・嚴島神社の誕生物語や信仰の山・富士山への女性初登頂の物語など。世界遺産のおすすめ秘話ベスト3をご紹介!

詳細情報
番組内容
春の行楽シーズン直前、世界遺産スペシャル! ヒストリアでは、これまで数々の魅力的な日本の世界遺産をとりあげ、そこに秘められた人々の苦難と感動の物語を伝えてきた。その中から、神秘の海上社殿・嚴島神社の誕生秘話や信仰の山・富士山への女性初登頂の物語など、世界遺産おすすめ秘話ベスト3をピックアップ。この春に訪れたい世界遺産と、その魅力をたっぷりと紹介!
出演者
【キャスター】渡邊あゆみ

ジャンル :
ドキュメンタリー/教養 – 歴史・紀行
ドキュメンタリー/教養 – ドキュメンタリー全般
ドキュメンタリー/教養 – カルチャー・伝統文化

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日本語(解説)
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