先人たちの底力 知恵泉(ちえいず) 江戸の大天才「平賀源内」(前編) 2014.03.04

今宵も日本に一軒しかない店「知恵泉」で先人たちの底力をたっぷり味わって下さい。
浜谷さん今日はね浜谷さんのためにちょっと変わったお通しを用意したんですよ。
(浜谷)ありがとうございます。
はいこちらです。
は〜これはまたおいしそうな。
ちょっと持ちづらいですけど。
ちょっとちょっと…これは知恵の輪じゃないですかね。
ハハハ!どういう事ですか?実はこちらの芳賀先生のリクエストで今日お出ししてみたんですよね。
今日ご紹介したい人知恵の輪に関係する人なんですよね。
その人は18世紀の後半の江戸でいつも毎年春になるとオランダ人が長崎からやって来た。
ある時そのオランダ人の商館長がこれを出してきて「これを解ける人いるか?」と。
で…ザーッと回した。
その人は一番末席にいたのでそこまでみんな解けなくてきたんですがその末席にいた人がカチャカチャとやっていたらパッと解いた。
みんな感心してそのオランダ人の商館長も感心しちゃっていろんなご褒美をくれたというそういう話が残ってるんです。
面白いんだ。
今日ご紹介したい人はこちらの人なんですよ。
知ってるでしょ?平賀源内。
(浜谷)知ってます。
エレキテル。
この平賀源内の知恵をたっぷりと味わって頂きましょう。
(浜谷)うわっ!
(芳賀)あれ?解いちゃった。
江戸時代半ば一人の大天才がいました。
エレキテルという静電気を発生させる装置を作り人々を驚がくさせました。
しかし多芸多才の源内にとってエレキテルはほんの一部。
実は源内あらゆる分野でイノベーションを起こし「江戸のレオナルド・ダ・ビンチ」とも呼ばれています。
例えばこちらは歩数計。
西洋の知識がまだあまり入ってこなかった時代なんと源内は独自の工夫で完成させてしまいます。
また浮世絵の世界でも源内は革命を起こします。
もともと浮世絵は単色で刷るのが主流でした。
源内はある工夫でカラフルな多色刷りを成功させます。
やがて浮世絵は西洋の画家にも大きな影響を与える芸術へと発展しました。
更に羊を飼育して羊毛を取ろうとしたり南北アメリカ大陸をデザインした陶器を作って海外に輸出したり。
商売から芸術までありとあらゆる分野で多くの革新を生み江戸の世を変えていった源内。
今日ね皆さんに味わって頂きたいのは源内のこちら!「イノベーション」というと「技術革新」というふうに訳されますよね。
最近では組織とか個人の心の中の改革という意味でも使われるようになっています。
あれどうされました?
(駒村)話に交ぜて頂きたい。
面白いお話なので。
こちらにお掛け下さい。
実はこちらの方駒村純一さんとおっしゃいましてイノベーションを起こしてある企業をV字回復させたというすご腕の社長さんなんです。
駒村純一さんは老舗製薬会社の社長です。
会社の創業は明治26年。
主力商品はこの銀色の粒。
生薬を銀箔で包んだ口臭予防製品です。
駒村さんが社長に就任したのは7年前。
当時会社は主力製品の売り上げが不振で30億円もの赤字を計上していました。
しかし社員たちは老舗ブランドを過信し危機意識を持っていませんでした。
そこで立て直しを任されたのが商社マンとして海外に長く赴任し現地企業の業績を回復させた駒村さんでした。
社長となった駒村さんは改めて会社が長年培ってきたものを包むという技術に注目します。
それまで医薬品や食品を包んだ商品しか作ってきませんでしたが駒村さんは異分野に目を向けます。
その結果生み出された一つがこのカプセル。
なんと液体の中からレアメタルだけを回収します。
カプセルの中にレアメタルを吸収する微生物が包まれているのです。
こうした新技術によって会社の業績はV字回復。
世界各国からも注目され取引先は150社に上ります。
イノベーションで会社の立て直しに成功した駒村さん。
平賀源内の知恵をどう読み解くのでしょうか?まさに駒村さんはイノベーションを起こして会社の危機を救ったわけですけれども具体的にどんな改革をされたんですか?さっきのご紹介頂いた技術をもっと用途を広げたんですね。
口に入るものだけだったのを産業用途に使うと。
さっきのレアメタルの回収ですとか。
相当の飛躍ですね。
ちょっと発想を変えてみるとという事ですか?見方を変えるという事ですね。
ただね「イノベーション」ってひと言で言うのは簡単ですけれどもなかなか我々にとって難しいと思うんですよね。
何が秘けつなんですか?やっぱり自由な発想ができるような環境をつくる。
意識改革ですね。
それとやっぱり組織が硬直化しないように。
駒村さんイノベーションの必要性を感じて動いたわけですけれども源内はどうしてイノベーションを起こす人になっていったのか?若い頃の源内の姿からちょっと見えてくるんですよね。
平賀源内は…幼い時から発明が大好きだった源内少年。
故郷の記念館には12歳の時に作った最初の発明品が残されています。
天神を描いた掛け軸。
「お神酒天神」と呼ばれています。
残念ながら今は壊れていますがこの掛け軸に酒を供え願い事をすると不思議な事が起こったのです。
こちらは当時の掛け軸の仕組みを再現したもの。
顔の色にご注目。
分かりましたか?掛け軸の前に酒を置くと天神の顔がまるで酔ったかのように赤くなるのです。
顔の所が透明の薄い紙になっておりましてそこへ背後に赤い紙が上から下りるようにしておるんですけれどね。
特別にね特別にね。
ちょっとこうちょっと見えますかね?この紙が赤いのが上にあってそれが下へ引っ張って下りると。
源内は酒を置いた人がうつむいて拝んでいる隙に掛け軸の裏に手を伸ばして操作したのです。
顔を上げると天神の顔が赤くなっているのに驚いた大人たちは源内を「天狗小僧」と呼んだのだとか。
そんな源内長じるにつれ最も興味を持ったのが本草学。
今でいう薬学です。
これが下級武士の家に生まれた源内の人生を大きく変える事になります。
というのも当時の藩主が大の本草学好き。
歴代藩主が100年以上かけて造った庭園栗林荘の一角をわざわざ薬草園に変えてしまうほどの凝りようでした。
ここには430種以上の薬草が集められていました。
源内は藩主から薬草園の世話係に抜擢されます。
25歳の時には本草学の知識を深めるため長崎へ遊学。
そしてこの長崎での体験が数々のイノベーションを生み出すきっかけになるのです。
いや〜源内って本草学者だったんですね先生。
(芳賀)本草学というのはもう薬草探しですね。
この草はこの木の葉っぱはこの実は何の病気に効くってな事を調べてそれをたくさん集める。
だから薬草の研究なんだけども源内の場合は薬草の草木だけじゃなくて鉱物とか動物まで広げて自然界にあるものをみんな一つ一つ確かめてみようと考えるようになったんですね。
だから本草学がだんだん薬草学薬物学を超えて博物学に近づいてきた。
本草学の知識を深めるために長崎に向かった源内です。
そこで目にしたものが彼を変えるきっかけとなったんです。
一体何があったんでしょうか?長崎は当時外国との貿易が許された場所でした。
しかし交易の様子を見て源内は怒りを覚えます。
多くの輸入品が舶来品というだけで不当なほど高値で取り引きされていたのです。
中でも源内を憤慨させたのが薬草でした。
例えば朝鮮人参は1斤600gで200万円以上の値がつけられだまされて薬効のないものをつかまされる者が後を絶ちませんでした。
本草学に詳しい源内は鑑定を依頼される事も多く取り引きの実態を目の当たりにしたのです。
じくじたる思いを抱いたまま高松に戻った源内は一念発起。
役職を返上し…そして「東都薬品会」と名付けたイベントを企画します。
それは薬草をはじめ全国から珍しい物産を集めるという日本初の博覧会でした。
開催にあたり源内が全国に配ったチラシにはこう書かれています。
全国30か国から1,300種の動植物や鉱物が集まりました。
会場には多くの人が詰めかけ博覧会は大成功を収めます。
それにしても一介の浪人者でしかない源内の呼びかけになぜこれほど多くのものが集まったのでしょうか?実はそこにも源内の驚くべきアイデアがあったのです。
源内は全国25か所の…地方の出品者は取次所まで品物を持ち込めばあとは着払いで江戸の源内のもとに届くというシステムを作ったのです。
まさに現在の宅配便の着払いシステムと同じ。
更に源内は集まった品物を書物にまとめました。
これをきっかけに朝鮮人参の国産化に成功。
安いものが市場に出回るようになります。
またかぼちゃや白砂糖も広く普及するようになりました。
日本の食文化にまで変革を与えた源内。
その出発点は長崎で感じた怒りだったのです。
しかしこれ江戸時代に博覧会するってすごいですね。
すごいですね。
そして日本から富が流出していく事に対してじくじたる思いがあったようですけども…。
今の状態に対する不満それから不安。
年中不満不安。
体も心もチリチリチリチリフライパンの上にのっかってるみたいになってるわけですよ。
そうすると知恵が湧いてくるんだ。
そのいらだち…怒りというのかそういったところがいろんな動きの原動力になるという事あったりしますか?自分の会社にしてもものすごく歴史のある伝統の企業にもかかわらず自信喪失して非常に鳴かず飛ばずの状態に甘んじてるという状態ね。
これは入ってみてものすごくいらだったですね。
これ何とかしなきゃいけない。
使命感があるのでちょっと燃えたというかこいつらなんとかしてやろうと。
怒ってるだけじゃ駄目ですよね。
一人で怒っててもそれは伝わらないわけですものね。
どうやって伝えるのか人を動かすのか。
やっぱりね意識改革って簡単に言っちゃいますけどもっといろんなものを見てもらう。
自分の周りのね例えば事業の周りのお友達同業者…。
薬だけじゃなくて?なくて。
どういうふうに周りの人を巻き込んでいったんですか?とにかくそばにいてもらう。
怒っても仲間が協力者がいないとあまり意味ないですものね。
それはどんどん広げていく。
だから交流をする幅をそこに凝り固まらないというね。
これは重要かなと…。
凝り固まらないというのは大事ですね。
源内もね浪人になったのは自由だからいいんだと。
行きたい所を駆け回れる。
それが浪人の自由というものだと。
僕らもね「売れなくていいや」って思った瞬間に自由になってね芸の幅が広がったんですよ。
それまではやっぱ売れるとはこういう事だという何か勝手なレールを引いてその上歩いてたんですけどね。
気持ちが自由じゃないと怒ったりぶつけたりってなかなかできないですよね。
そうですね。
自由さと怒りみたいのが混ざり合ってそしてイノベーションみたいのを起こしていく。
すごいパワーになると思うんですよ。
イノベーションの動機は怒りだという話だったんですが具体的に源内はどんな方法を使ってイノベーションを巻き起こしていったのでしょうか。
源内の代名詞といえばエレキテル。
香川県の博物館には源内が作ったエレキテルが保管されています。
ハンドルがついた木箱。
ハンドルを回すと中のガラスと金属がこすり合って静電気が発生するという仕組みです。
源内はこれを医療器具として宣伝。
「電気の刺激で体の毒素が消える」といううたい文句で大名や豪商の前で実演したのだとか。
実はエレキテルはもともとオランダ人が日本に持ち込んだもの。
源内は見よう見まねで再現に成功してしまったのです。
他にも源内は西洋人が持ち込んだ器具を見るや次々とまねていきます。
こちらは歩数計。
帯に下げると歩く振動で歯車が回り歩行距離を測る事ができるのです。
そしてこれは源内が描いた温度計の構造図。
オランダ人が完成に十数年かかったという温度計も源内はすぐに原理を見抜き作り上げてしまいました。
まねの名人源内。
しかし単に模倣しただけではありません。
自分なりの改良を加え逆にオランダ人に売りつけたものがあります。
「源内焼」と名付けられた陶器です。
緑黄色褐色などカラフルな色使いが特徴です。
実はこれ中国の陶器唐三彩の風合いをまねたもの。
当時中国の陶器はヨーロッパで大人気でした。
しかし源内の時代中国では内乱の影響で生産が下火になっていました。
源内はそこに目をつけ故郷讃岐で唐三彩をまねた陶器作りを始めます。
そして出来たのが源内焼でした。
9年前香川県さぬき市のグループでは源内焼を再現しました。
源内は単に中国陶器の模倣をしたのではなく独自の工夫を加えました。
通常陶器はろくろなどを使って形を整えますが源内焼では型を使います。
型に粘土を押しつけて形やデザインを仕上げるのです。
型があった方がね大量に出来ますのでね。
そういう意味では一つ一つの品も安く出来るという事もありますわね。
更にデザインが斬新でした。
こちらは日本地図。
こちらはなんと南北アメリカ大陸が描かれています。
源内焼は日本の新しい輸出品として人気を博します。
今でもボストン美術館にはその一部が収蔵されています。
エレキテルから陶器に至るまで源内のイノベーションは堂々と模倣する事から始まったのでした。
イノベーションのやはり基本にあるという事なんですかね?模倣から出発するというのは。
やっぱり学ぶという事ですね。
学んでるうちにひらめきがあればそれをのせる。
すると多分革新があるんですよ。
何も全然ベースがないとこで一から作ろうと思ってもやっぱり限界があると。
ですからまず先に既にあるもので価値のあるものを学んでいくっていうその学びの精神に近いのかなと。
浜谷さんは相当オリジナリティーあふれる漫才をしてると思うんですが…。
僕ら漫才とかのネタはまねはできないですから。
だけど始めた頃は面白いなと思う人の声の出し方とか立ち方とかまねましたね最初。
「いいものを取り入れて学ぼう。
プラスアルファしてやろう」という気持ちが大事なんですか?もう一つ目的がないとね目標みたいのが。
あるいはなければ自分で作っていくとか。
目標を設定する第一歩が堂々と模倣から。
そこから自分で積み重ねていく。
積み重ねて学んでいくうちに目標も変わっていくでしょ。
どんどん上に。
(芳賀)初めからある場所に決まった目標があるわけじゃなくてね。
目標も動いていく。
今日は源内の知恵見てまいりましたけども…。
好奇心がめちゃくちゃ強いのとそれを興味持つと止められないというそういう…。
こんなに多趣味というか多才な方とは思わなかったですね。
まっすぐに目標に向かうというよりは寄り道しながら枝分かれしてどんどんどんどん広くなって誰もたどりつけないところに行くみたいな。
もしかしたら源内って一人の人物じゃなかったんじゃ…。
案外そうかもしれない。
まさか乗ってくれるとは…。
先生気が合いますね。
(芳賀)ほんとマルチ人間でね。
動揺しちゃった。
動揺してお酒をこぼしちゃった。
(芳賀)いい事おっしゃる。
何かね。
源内はさまざまな知恵でイノベーションを起こしていくわけですがまた来週もねまだまだ源内の知恵味わって頂きたいと思うんです。
旦那もう終わりですか?ちょっと一品ぐらい何か。
しつこく言うから用意しましたよ浜谷さんのために。
はい。
何ですかこれは!何?このとんち。
全然分かんないんだけど。
どういう事?これ。
実は源内がこの歯磨き粉…日本で最初のCMソングを作ったという。
これはね「歯を白くし口の中の悪臭を退治し非常に気持ちよくする。
そういう薬なんだ」。
こういう事をやれるのが源内なんです。
人の気持ちを逆なでするんです。
逆なですると人を目覚めさせるわけ。
ちょっとマイナス的な事を言って気を引くCMありますよね。
そんな事を考えながらちょっと味わって頂きましょう。
味わいますわ。
こういった怒りの気持ちをイノベーションに変えて頂きながら来週もご覧頂きたいと思います。
ありがとうございました。
2014/03/04(火) 23:00〜23:25
NHKEテレ1大阪
先人たちの底力 知恵泉(ちえいず) 江戸の大天才「平賀源内」(前編)[解][字]

「どうしたら新しいことを思いつけるか」。多くの人が仕事上で持つ悩みだ。江戸時代、とてつもない発想力を持った男がいた。平賀源内。そのアイデアの生み出し方とは?

詳細情報
番組内容
江戸時代に、こんな日本人がいたとは! エレキテルを作ったことで知られる平賀源内。実は、ありとあらゆる分野で新しいことを生みだし、革新を起こした人物だった。たとえば、日本初の博覧会を開催したり、現在の宅配便の着払いサービスシステムを思いついたり、歩数計や温度計を製作したり。歯磨き粉の宣伝のために作った歌は、日本初のCMソングといわれる。いったい、源内はどのように新しい発想を得たのか。発想の源を探る。
出演者
【出演】静岡県立美術館館長…芳賀徹,森下仁丹(株)社長…駒村純一,浜谷健司,【司会】井上二郎

ジャンル :
ドキュメンタリー/教養 – 歴史・紀行

映像 : 1080i(1125i)、アスペクト比16:9 パンベクトルなし
音声 : 2/0モード(ステレオ)
日本語
サンプリングレート : 48kHz
2/0モード(ステレオ)
日本語(解説)
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