今日はひと味違う一品をご用意しました。
ほんとねやっぱり人生失敗だらけですよ。
(石井)そう!そのとおり。
石井さんも何か失敗というと思い当たるような事ありますか?失敗だらけですよ。
ナレーションで「しっぱい」って読む時に「しょっぱい」って言った事ありますからね。
結婚生活も失敗して。
どんどん深くなっていくから。
失敗だらけですよ。
飲まなきゃやってらんない。
そうですね。
あっいらっしゃいませ。
(石井)あ〜!どうも。
秋元康さん。
ご無沙汰しております。
どうぞお掛け下さい。
今石井さんと失敗についての話してたんですけど秋元さんは失敗ってあるんですか。
いっぱいありますよ。
いっぱいありますけども失敗っていうのは自分が認めないかぎり失敗じゃないですから。
僕らがよくテレビ番組とか数々失敗してきました。
企画したり構成したりしていっぱい失敗してきたんですが…。
(石井)ヒットばっかりのイメージですよね。
必ずその番組の終了になるとそのパーティーも少ない人数で暗い打ち上げになるじゃないですか。
その時に「やっぱりこれは時代が早すぎたね」っていう大体その言葉が。
「失敗したね」じゃなくて「時代が早すぎたね」。
これはちょっといい事聞きましたね。
それで「必ずこのメンバー同じメンバーでもう一回やり直そう」と言ってそれでやり直した事はないです。
大体それで終わるんですけどもでも失敗っていうのはそういうものじゃないですか。
実はその失敗について今お話をしていたのはお薦めとしてこういうのを挙げてみたんですよ。
「敗者に学べ!」という事なんですよね。
いつもこの店では歴史の勝者成功した人から知恵を学ぶ。
でも今回は敗者つまり負けた人が何で失敗してしまったのかというところから知恵を学んでいきたいと思います。
そして今日取り上げるのはこの方なんです。
新潟県中部に位置する城下町長岡。
幕末ここに壮絶な人生を送った一人の男がいました。
時代が大きく動く中長岡藩の家老としてそのかじ取りを担った人物です。
情勢の変化を敏感に察知していた継之助は軍備の抜本的な改革に着手。
いち早く外国製の最新武器を買いそろえました。
また現在の額で50億円とも言われる藩の負債をあらゆる策を講じて解消させ動乱に備えます。
まさに藩の英雄とも言うべき継之助。
ところが市内に残る継之助の墓では戦前こんな事があったといいます。
朝早いうちにカンカンコンコン…音がするからこっちに来てるというと…墓に残る多くの傷痕。
地元長岡の人たちが彼を恨んで石を打ちつけたというのです。
実は継之助には戊辰戦争の折長岡を戦いに巻き込んだという根強い批判がありました。
継之助はある致命的な失敗を犯し長岡を壊滅に導いてしまったのです。
継之助の生きざまを読み解くのは作詞家秋元康さん。
AKB48のプロデュースヒット曲の量産など輝かしい実績の裏に多くの失敗も重ねてきたと言います。
秀でた才能を持ちながらも敗者となった継之助を秋元さんはどう分析するのでしょうか?今回は「敗者に学べ!」。
失敗から知恵を学んでいこうという事なんですが秋元さんは失敗というのをどういうふうに捉えてますか?絵を描く時にねデッサンをする時何か写生するのに細いペンで一回で描ける事はないじゃないですか。
大体何本の線で描いていくわけですからだからそれを失敗といったらそのはみ出した線とか他の線も全部失敗かというと失敗ではなくて全体を描くために必要だった事だと思うんですよね。
もう失敗はするものだと。
絶対。
だって失敗しない人を見た事がないですよね。
まぁそう言われれば。
きっと何かは失敗してらっしゃるんだと思うんですよね。
(山本)こんばんは。
山本先生よくいらっしゃいました。
こんばんは。
歴史を研究されてます特に近世史がご専門の山本先生でいらっしゃいます。
よろしくお願いします。
今日誰でやってるんですか?河井継之助でやってるんですよ。
なるほど継之助ね。
中央では非常に無名な人ですよね。
長岡藩っていう中藩の家老なんですけども司馬太郎さんがですね「峠」という小説を書いたのでぐっと有名になったわけですね。
自分の信念を曲げない行動を重視するというそういう人なんですね。
ただ長岡藩っていうのはこのあと新政府軍と戦って壊滅的な打撃を受けるんですね。
その責任者が河井継之助なので長岡においては賛否両論。
非常に長岡を壊滅させた悪い人間だというのとそうでもないんだという。
これ司馬さんに代表される意見ですね。
こういう2つの見方が分かれてる人ですね。
司馬太郎さんの「峠」の中で出てきた河井継之助の好物を今日の一品としてご用意いたしました。
こちらなんですよね。
(石井)何ですかこれ?「桜飯」という名前のご飯なんです。
大根をみそ漬けにしたものを炊き込みご飯にしたんですがこの大根を桜の花びらに見立ててる事から桜飯という名前が付きました。
これね河井継之助がほんとに大好きだったという…。
おいしいですよ。
ありがとうございます。
おいしい。
優しいお味ですね。
ではまずは継之助がどんな人生を送ってきたのかどんな人物だったのかを見ていきたいと思います。
文政10年河井継之助は長岡藩の中級武士の家に生まれます。
幼い頃から負けん気が強く年上の子供に組み伏せられても決して許しを請う事はありませんでした。
26歳で江戸に遊学。
ちょうどペリー率いる黒船が浦賀沖に来航した頃です。
最新の学問や思想を身につけた継之助。
その存在は主君牧野忠恭の目に留まります。
当時長岡藩は23万両現在の50億円とも言われる負債にあえいでいました。
広い見識を持っていた継之助はこの状況を打開するため改革の実行役に抜擢されます。
継之助は藩内に横行していた賄賂の一掃や位の高い藩士の給料を減らすなどあらゆる政策で立て直しを図りました。
更に領地を流れる信濃川の流通にも目を向けます。
それまで川を通る船に課していた通行料を撤廃したのです。
この規制緩和は経済を活性化します。
やがて長岡藩の負債は解消され黒字を生み出すまでに回復しました。
そのころ日本に大きな変革が訪れます。
徳川幕府が天皇に政権を返上したのです。
内戦が起こると考えた継之助はいち早く藩の軍備の近代化を決定します。
戦うためではなく小さな長岡藩を守るには相手をけん制できる強力な武器が必要だと考えたのです。
継之助は牧野家の美術品や屋敷までも売り払い横浜の外国商人から最新の兵器を買いそろえました。
中でもアメリカで開発されたガトリング砲は1分間に200発の弾を発射できるという当時最先端の兵器でした。
日本に輸入された3門のうちなんと長岡藩が2門を購入します。
時代が風雲急を告げる中継之助は藩を取り巻く難局に敢然と立ち向かおうとしていたのです。
大胆な改革を成功させた継之助。
ここまでは上昇気流に乗ってますよね。
僕やっぱりすごいなと思ったの通行料をねなくすと。
これはなかなか勇気が要る事だと思うんですよ。
つまり普通はこの通行料がなくなると困るっていう方を先に取るじゃないですか。
それをいや違うんだっていう事を通したっていうのはね多分既得権を持ってた人たちにとっては相当やなやつだなと思ったでしょうけど。
山本先生何でここまで抜本改革にこだわったんでしょう。
やはり長岡藩っていうのは幕府を守るための藩だからここできちんとした軍備を持ってないとすぐにのみ込まれてしまうと。
軍備をきちんとする事によって新政府に対する抑止力になろうとしたと思うんですね。
ここまではうまくいっている河井継之助。
このあと運命が大きく変わっていくんですよね。
なぜ彼は失敗したのでしょうか?新政府軍と旧幕府軍の戦闘が京の南部で勃発しました。
新政府軍は旧幕府軍を圧倒。
江戸に向けて進軍を開始します。
その途上各藩を降伏させた新政府軍は長岡藩に対しても恭順を求めました。
これに対し藩内の意見は「降伏」と「戦争」真っ二つに分かれます。
しかし家老継之助の考えはそのどちらでもありませんでした。
彼の目は日本を取り巻く西洋列強の脅威に向いていたのです。
その数年前長州藩や薩摩藩はイギリスなどと交戦し圧倒的な武力差で敗北していました。
継之助は列強に対抗するには日本人同士で争っている場合ではない。
長岡藩が戦いに巻き込まれないためにも中立の道を歩もうと考えます。
継之助は国を思う熱い気持ちを新政府軍に伝えるため書状をしたためました。
継之助は書状を携え新政府軍が陣を張っていた寺に赴きました。
応対したのは土佐藩出身の岩村精一郎24歳。
岩村は降伏か敵対二者択一の返答しか求めていませんでした。
ところが書状を差し出した継之助その説明を始めると思いきや「詳しくはこちらに書いてあります」と述べるだけ。
自分の思想は口で説明するよりも書状を読んでもらう方が理解できると考えていたのです。
しかしこの態度は岩村の目には単なる時間稼ぎと映りました。
しかも継之助は書状を上層部に渡すよう要求。
若い岩村には理解できないと考えたのです。
プライドを傷つけられた岩村。
(岩村)分かった。
長岡藩は敵対するという事だな。
交渉は僅か30分で決裂。
継之助が自分の思いを伝えるにはあまりにも言葉が足りませんでした。
この後新政府軍は長岡藩への攻撃を決めます。
中立の立場をとり戦いを回避しようとした継之助。
しかし事態はその思惑とは正反対の方向へ進んでいくのです。
ちゃんと丁寧に説明すればいいのにと思っちゃいますよね。
そうですよね。
岩村の方もですね河井がやって来てもこれは田舎の単なる一家老が来たにすぎない。
旧態依然とした考えしか持ってないだろうと見くびってるわけですよね。
だからあんまり真面目にものを聞こうとしない。
河井も相手が若いものですからこいつには分からんだろうからもう少しものが分かってる人間に取り次いでくれという。
そういうその意思の何というか齟齬がですね結局この決裂という事に結び付いたんでしょうね。
以心伝心で伝わるだろうとこういう熱い思いを持ってるから伝わるだろうという気持ちがあったわけですよね。
自分は正しい事を言ってるんだから正しい事は相手にも分かるはずだっていうそういう何ていうかな信念があったんでしょうけどそれは必ずしも誰にも伝わるものではないわけですよね。
ちょっとまっすぐすぎちゃう人だったって事なんですかね。
そもそもこの継之助という人は相手の気持ちを忖度するとかそういうのは苦手だったようですね。
やはりなまじ自分に自信があるものですから相手がバカに見えてですねつい言っちゃいけない事を言ってしまうというか自分の意見に自信があるだけにそういう間違いっていうか失敗をね犯しやすいんですね。
秋元さんはどうご覧になりました?やっぱりあれじゃないですかガトリング砲が…ねえ?
(石井)ちょっと効いちゃってますね。
それが自分の背後にあるぞというのが…。
だってあれすごいですよねあの軍備はね。
日本に3台しかなかったうちの2つがあると言ってましたもんね。
この時どうすれば成功したのか?エンターテインメント性というのはやっぱり大事なんだと思うんですよね。
つまり初めから話し合いになってないですよね。
だからまず話し合いになるためにはそれこそそこに桜飯があって「まずはこれでも食いねぇ」と言って2人で桜飯を食べて30分間があった。
「それがこれですよ」って言うんだったら多分違うんだと思うんです。
だからぐっとつかまれるようなパフォーマンスでもいいから何かがあればね。
それが多分あまりにも賢すぎて普通の言葉で言えば理解できる。
でもこの人には分からない。
でもその上の人だったら多分分かるからあなたには多分何言っても分からないと思うので上の人を出してくれと言われたらそれは戦争になっちゃう。
それは確かに。
結果的に戦争へと突入していくんです継之助は。
そこにもまだ失敗の芽というのがあったんですよね。
まだ?はい。
相手をけん制するため長岡藩がそろえた最新兵器。
しかしこの強みが長岡を…新政府軍が迫る中迎え撃つ事を決意した継之助。
その頼みの綱が自慢の兵器でした。
これらを総動員し粘り強く戦っていれば…継之助らが拠点にしたのは長岡城。
一方新政府軍は小千谷に陣取り南から攻めようとしました。
長岡城は東を山に西を増水した信濃川に守られています。
そこで継之助は強力なガトリング砲を南に向けて配備しました。
そして兵士の多くは城から出し新政府軍に当たらせました。
開戦当初長岡藩は最新兵器の威力によって善戦します。
ところがそれがかえってあだとなります。
兵器の存在を知った新政府軍は長岡藩を徹底的に壊滅させる事を決めます。
豊富な兵力を持つ新政府軍はひそかに分隊を作ると北上させました。
そして増水していたにもかかわらず信濃川を越え奇襲をかけたのです。
まさかの方向からの攻撃でした。
兵力が手薄な長岡城では継之助自らがガトリング砲を操作して応戦しなければなりませんでした。
しかし新政府軍はあらゆる方向から攻め上がってきます。
こうなると機動力の劣るガトリング砲だけでは太刀打ちできません。
こうして城は僅か数時間で占拠。
継之助の期待した新政府軍の分裂はありませんでした。
その後継之助は銃弾を受けその傷がもとで命を落とします。
長岡軍は崩壊。
残ったのは焼け野原になった長岡の町でした。
継之助の大いなる自信の源だった最新兵器。
しかし自信が過信となった時戦局は大敗という結果を迎えたのです。
なぜ長岡藩は新政府軍にあそこまで徹底的にやられなくてはいけなかったんでしょうか?長岡藩の方は最新の兵器を持ってますからかなりの損害を与えるんですね。
逆にですねそれが相手への刺激になってここでこれだけの軍備を持っているところはどうしても潰しておかなきゃいけない。
完膚なきまでにたたきのめされたという事になるわけですよね。
太平洋戦争でもそうですよね。
真珠湾で一撃を与えてあと交渉しようとか思ってるわけですよね。
でも一撃を与えられた方は絶対に簡単には講和できないわけですね。
相手をせん滅するまでやりたいっていう。
やはり彼にもう少しブレーンというか例えばそこに仲間がいていよいよ戦争になりそうだという時に「みんなどう思うか。
私はガトリング砲があるから絶対勝てると思う」と。
「でもじゃ回られた時にどうするんですか?」とかって言う人がいたらこれほど賢い人なのでどうするかとかっていう事にいったんじゃないかと思うんです。
つまり会話がなくて一人で沈思黙考してたんじゃないかと思うんですけど。
例えば自分が思っていた思惑と違う方向に転がり始めた時に一回俯瞰の目をちょっと入れてみるという事。
…と思うんですよね。
今日は河合継之助の失敗に学ぶ知恵見てまいりましたけれども秋元さんが失敗と向き合ううえでの極意どういうふうにお考えでしょうか?僕はやっぱり自信過剰で勘違いしてて思い込みの激しいやつが大好きなんですよ。
そういう人は前に進むんですよ。
でも手痛い目にもあうんですよ。
でも少しずつ直っていくんです。
失敗から学んでいく。
だからこういう人はすごくすてきだなと思うんですけどほんとに残念なのはもっといっぱい失敗すればよかったのにと。
だから僕は失敗から学ぶっていう事は失敗した時の失敗は誰でもするんだっていう事を改めて思う事と失敗した時に立ち直る方法を自分で見つけておけばもう失敗なんか怖くないと。
僕バブルの時に何人もバブって失敗した方を見てでもやっぱりすごいなと思うのは語ってくれた人がみんなよみがえってるんですよ。
「秋元俺さバブって失敗したわ」って。
そのためにはいっぱい失敗しておかなくちゃいけないという事なんですね。
そうですね。
今日はほんとにお話でおなかいっぱいになりました。
(一同)ありがとうございました。
これ今日はいっぱいメモする事があるな。
2014/03/18(火) 23:00〜23:25
NHKEテレ1大阪
先人たちの底力 知恵泉(ちえいず) 敗者に学べ!▽河井継之助はなぜ負けたのか[解][字]
歴史上「敗者」となった人物から知恵を学ぶ!幕末、長岡藩の改革を成し遂げた家老・河井継之助。時代を読む目がありながら新政府軍との戦いに敗北。その意外な理由とは?
詳細情報
番組内容
歴史上の成功者や勝利者の知恵を紹介してきた「知恵泉」。今週は、能力がありながら「敗者」になってしまった人物を取り上げる。幕末、長岡藩の家老を務めた河井継之助。ばく大な借金を抱えていた藩の財政再建を成し遂げ、さらに、軍備を徹底的に近代化して幕末の動乱に備えた。しかし長岡藩は、新政府軍との戦いで敗北し、壊滅的な被害を受ける。時代を読む目がありながら、継之助はなぜ敗者になったのか? その意外な理由とは?
出演者
【出演】東京大学史料編纂所教授…山本博文,秋元康,石井正則,【司会】井上二郎
ジャンル :
ドキュメンタリー/教養 – 歴史・紀行
映像 : 1080i(1125i)、アスペクト比16:9 パンベクトルなし
音声 : 2/0モード(ステレオ)
日本語
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